リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第35話:新人トレーナー、1年目が終わる

『あいにくの空模様の下で始まります、阪神レース場第11レース。GⅠ、大阪杯。芝2000メートル、出走するウマ娘は16人。バ場状態は良の発表です』

『もう少し雨が酷ければバ場が荒れていたかもしれませんね。春のシニア三冠の出発点ということもあり、観客数は上限の8万人に達したとのことです。観客席の前列を埋め尽くすように、色とりどりの傘や雨合羽が実況席からも見えますね』

 

 阪神レース場にファンファーレが鳴り響き、実況と解説の男性の声が響く。それを聞きながら、俺は観客席の最前列でウララと共に出走の時を待っていた。

 

 なお、俺もウララも傘はささずに雨合羽を着ている。傘は後ろの人が見えなくなるし、傘の骨が当たると危ないのだ。

 

 幸い大雨というほど雨が降っているわけでもないため、雨合羽でも十分に凌げる。

 

『3枠5番、ナイスネイチャ。4番人気です』

『パドックでも気合いが入った顔付きをしていましたね。仕上がりも良さそうですし、今回のレースで期待を持てるウマ娘ですよ』

 

 ゲートインと同時に紹介されていく、各ウマ娘。俺はそれを聞きながら、体の内側で心臓がドクドクと高鳴る音を感じ取る。

 

 ライスにとって、今年初となるGⅠのレースだ。ここで勝ち、春のシニア三冠を目指すためにも弾みをつけたいところである。

 

(俺ももうじきトレーナー生活2年目になるのか……ライスがいなかったら、1年目で春のシニア三冠がどうとか言えなかったよな)

 

 なんとはなしに、そんなことを考えた。他の同期達はみんなウララと同世代のウマ娘をスカウトしたため、1年目でシニア級のレースに担当のウマ娘を出してやばいレベルのウマ娘達と殴り合う羽目になっているのは俺だけである。

 

 まあ、今年のクラシック級の芝路線を思えば、まだ俺の方がマシかもしれないが。

 

『5枠9番、ライスシャワー。3番人気です』

『去年の菊花賞および有記念の覇者がシニア級でも大暴れするのか、目が離せませんね』

 

 俺が苦笑していると、ライスが紹介される。それと同時に声援が上がるが、野次などが聞こえてくることはなかった。どうやら有記念で勝ったことでファンが増え、ライスに不満があるファンもブーイングをする度胸はないらしい。

 

『6枠11番、イクノディクタス。6番人気です』

『この子も調子が良さそうですね。今回の大阪杯は仕上がりが良く見えるウマ娘が多く出ているため、激戦に期待できそうです』

 

 やっぱり、俺以外の目から見ても調子がよく見えるのだろう。ただし、イクノディクタスよりもメジロマックイーンやトウカイテイオーの方が調子が良さそうに見えた。もしもこの二人が出ていなければ、ライスにマークさせたのはイクノディクタスだったかもしれない。

 

『7枠13番、メジロマックイーン。1番人気です』

『この…………が…………です』

 

 実況が紹介すると共に、観客達から盛大な歓声が沸き起こる。それによって解説の男性の声が掻き消されてしまうほどだ。

 

「うー……」

 

 ウララの声に視線を向けてみると、歓声がうるさかったのか頭部のウマ耳を両手で押さえて涙目になっているウララの姿があった。

 

 メジロマックイーンはその声援が当然と言わんばかりのすまし顔だったが、ゲートに入ると表情が真剣なものへと変わる。

 

『8枠15番、トウカイテイオー。2番人気です』

『ナイスネイチャとイクノディクタスもそうですが、一つのチームから二人目の出走となります。しかしすごいですねぇ、1番人気と2番人気を独占したチームとなると、過去の大阪杯でもなかったのではないでしょうか?』

 

 メジロマックイーンほどではないが、大きな歓声が上がる。トウカイテイオーはそれに右手を上げて応えると、気合いの入った顔付きでゲートへと入った。

 

 そして一人、また一人とゲートインが完了していく。大外枠のウマ娘がゲートインすると、観客達のざわめきが波が引くように小さくなっていく。

 

 阪神レース場に静寂が満ち、雨がしとしとと降る音だけが響き――。

 

『各ウマ娘、ゲートインが完了……スタートしました』

 

 バタン、という音と共にゲートが開いた。それと同時にウマ娘達が一斉にゲートから飛び出していく。

 

『各ウマ娘、綺麗に揃ったスタートを切りました。最初に先頭へ躍り出たのは2番エレクトリファイド。10番ブリーズプレーン、12番フリルドピーチがその後を追っています。1バ身離れて5番ナイスネイチャ、13番メジロマックイーン、9番ライスシャワー、15番トウカイテイオー、14番ミニキャクタス、4番クピドズシュート、6番サコッシュが先団を形成』

 

 スタートは目立って出遅れたウマ娘はいなかった。ただ、ライスよりも外枠のメジロマックイーンが前に出て、トウカイテイオーがライスと並ぶようにして走っているのがやや気がかりである。

 

『2バ身ほど離れて1番レッツコーリング、11番イクノディクタス、3番ジップライナー、8番グランドフィースト、7番クリシュマルドが一団となって追走。シンガリは2バ身離れて16番オイシイパルフェ』

『さあ、一体どのウマ娘が仕掛けていくのか。注目です』

 

 阪神レース場には内回りと外回りが存在するが、今回の大阪杯では内回りのコースを走ることになる。

 

 コースの起伏は割と平坦気味で、芝の2000メートルの場合は第3コーナーからホームストレッチにかけて非常に緩い下り坂が600メートルほど続き、ゴール板に向かう200メートルの直線の半分ほど、100メートルちょっとで高低差2メートル弱の坂を駆け上る必要がある程度だ。

 

 ただし、起伏は少ないものの、第1コーナーから第2コーナーにかけては半径が小さいコーナーになっており、第3コーナーから第4コーナーにかけては半径が大きなコーナーになっている。いわゆる()()()()()のコースだ。

 

『1周目の坂を上り切り、直線を抜けたエレクトリファイドが第1コーナーへと突入しました。それを追うブリーズプレーン、フリルドピーチは2バ身差。先行組は互いに位置を変えながら進んでいます』

『第1、第2コーナーは短い上に急カーブになっていますから。どれだけ外に膨らまず、なおかつ速度を維持できるかが鍵となるでしょう』

 

 第1、第2コーナーは足して300メートル前後、第3、第4コーナーは足して600メートル前後と、かなりの違いがある。ライスは外側に膨らまないよう綺麗なフォームで駆けていくが、そんなライスと競り合うようにして走るトウカイテイオーの曲がり方も綺麗なものだ。

 

 ライスとトウカイテイオーは互いに抜くか抜かれるか、フェイントをかけ合いながら少しでも前に出ようとしている。それは俺がライスにトウカイテイオーがマークしてきたらメジロマックイーンにマークを切り替えろと指示した影響だろう。

 

 しかし、トウカイテイオーは思ったよりもライスを意識しているのか、メジロマックイーンの背後につこうとするライスとバチバチにやり合っている。それでいて時折メジロマックイーンを窺っている気配もあり、状況によっては一気に前に出るかもしれない。

 

『第2コーナーを回って向こう正面へ。先頭は相変わらず2番エレクトリファイド。しかしブリーズプレーン、フリルドピーチも距離を詰めて1バ身も差がありません。この3人に引っ張られるようにして――おっと、ここで動いたのはナイスネイチャ。先頭目掛けて徐々に距離を詰め始めています』

『もうじき1000メートルの標識を通過します。なるべく前の方に出ておきたいのでしょう。そのすぐ後ろにはメジロマックイーン、ライスシャワー、トウカイテイオーと人気上位のウマ娘3人が迫っていますからね』

『今1000メートルの標識を通過しました。タイムは59秒2とまずまずのペースです。後続ではイクノディクタスとミニキャクタスが前の方へと上がってきていますね。ここからは第3、第4コーナー、そして最後の直線を残すのみです』

 

 大阪杯は2000メートルということもあり、タイムは大体2分前後になる。残り1000メートルで、誰が、どのタイミングで仕掛けるか。

 

 俺が向こう正面に向かって視線を飛ばしていると、ウララが俺の右手をぎゅっと握ってくる。ウララもきっと、ここからの展開が本番だとわかっているのだ。

 

『さあ、先頭のエレクトリファイドが第3コーナーに差し掛かる。ここからのコーナーは緩やかで速度を出しやすいですが……ここで動いたのは5番ナイスネイチャ! ナイスネイチャが前へと上がっていく! ブリーズプレーン、フリルドピーチをかわして2番手の位置まで上がってきた! 先頭との距離は2バ身! このままかわすのか!?』

『少し仕掛けるのが早い気もしますねぇ。スタミナが持つのかどうか心配です』

『800の標識を越えて第4コーナーへと突き進んでいく! 先頭は変わらずエレクトリファイド! ナイスネイチャは残り1バ身のところまで迫っている! っとぉっ!? 動いた! 動いたぞメジロマックイーン! それと同時にライスシャワー、トウカイテイオーも動いている!』

 

 阪神レース場の第3コーナーから第4コーナーへかけてはカーブが緩く、直線に近い速度で走れる。そのためここを勝負所と見たのか、続々とウマ娘達が動き始める。

 

 有記念の時は残り600メートル前後でライスがロングスパートを仕掛けたが、今回は大きく逃げているウマ娘はいない。それでも徐々に、少しずつ加速し始めている。

 

『第3コーナーを抜けて第4コーナーへ! 残り600の標識も今通過! ここでナイスネイチャがエレクトリファイドをかわした! 先頭に立ったのはナイスネイチャだ! しかし3バ身後方にメジロマックイーン、ライスシャワー、トウカイテイオーが迫っている! このまま逃げ切れるのかナイスネイチャ!?』

『コーナーにもかかわらずどんどん加速していってますね……後続からイクノディクタス、ミニキャクタスも上がってきていますが現在7、8番手の位置。ここから届くのでしょうか?』

『残り400の標識も今、通過しました! 先頭は変わらずナイスネイチャだ! 第4コーナーを抜けて最後の直線が待っている! だが、そのすぐ後ろにはメジロマックイーンが迫っているぞ! ライスシャワーとトウカイテイオーも迫っている!』

 

 第4コーナーを抜け、ライスが最終直線へと入ってくる。先頭はナイスネイチャだが、中盤で飛ばした影響が出ているのだろう、表情が苦しげで、僅かに足が鈍りつつある。

 

 それでもその表情に諦めはなく、自分こそが最初にゴールを通過するのだと懸命に足を動かしていた。

 

 ――だが、ここからがライスの本領だ。

 

『最終直線で最初に動いたのはライスシャワーだ! 一気に加速してナイスネイチャをおおっとメジロマックイーン! トウカイテイオーも動いた! 3人のウマ娘が同時に動いた! ぐんぐん加速していく!』

 

 しかし、ライスが動くと同時にメジロマックイーンとトウカイテイオーも動いていた。抜かせまいと加速するメジロマックイーンと、前方にいるウマ娘をまとめて抜き去ろうとするライスシャワー、そしてそんなライスシャワーとメジロマックイーンを抜こうとするトウカイテイオー。

 

『ナイスネイチャも加速して粘る! しかし阪神の直線にはここから坂がある! 残り200の標識を越えて坂に――メジロマックイーンがナイスネイチャをかわした! ライスシャワー、トウカイテイオーもナイスネイチャをかわす! そして坂にも拘わらず駆け上がっていく!』

『レースの最終盤にも拘わらずすごい足です。一体誰が一番にゴールを通過するのか……』

 

 残り200メートルの時点で、ライスもナイスネイチャをかわして先頭目掛けて加速していく。残り200メートルの前半は坂路、後半は平坦な直線だが、坂路でどれだけメジロマックイーンやトウカイテイオーに差をつけられるかが鍵だろうが――。

 

『坂を上り切って残り100メートルもないぞ! 先頭は……っ!? 並んだ! メジロマックイーンライスシャワートウカイテイオーが横並びになっている! 横一線! 駆けている! 3人だけで完全に抜け出した! 4番手のナイスネイチャとは既に5バ身もの差がついているぞ!?』

「いけええええええええぇぇっ! ライス、あとちょっとだあああああああああぁぁっ! 抜けええええええええぇぇぇっ!」

「ライスちゃんがんばってええええええぇっ!」

 

 俺もウララも必死に叫ぶ。周囲の観客も雨音を掻き消すように、それぞれが声を張り上げてウマ娘を応援していく。 

 

 ゴールまで残り数十メートル。しかし、ライスもメジロマックイーンもトウカイテイオーも譲らない。

 

 雨を弾き、芝生を蹴り飛ばし、一歩一歩蹴りつける度にぐんぐん加速していく。ナイスネイチャは既に息切れしており、ここから届くことはないだろう。更に後ろからはイクノディクタスやミニキャクタスが上がってきているが――到底届くまい。

 

『譲らない! 誰も先を譲らない! 完全に並んでいる! 3人のウマ娘が火花を散らし、競り合いながらターフを駆けていく! 僅かな優劣すらない!』

 

 俺は叫びながらも目を見開いてゴールの瞬間を見届けようとする。

 

 実況の言う通り、ライスたちは横一線に並んで走っている。全員が全員本気で、必死の形相で他のウマ娘より一歩でも先にゴールしようと懸命に駆けている。

 

『メジロマックイーンか!? トウカイテイオーか!? ライスシャワーか!? 今、3人が並んでゴールを通過しました!』

『これ、は……実況席からでは判断がつきませんね』

『1着は……誰だ!? 横一線にゴールへ飛び込んだため、実況席からは判断が――っと! 着順掲示板に『写真』の文字が表示されました! 写真判定です! ライスシャワー、メジロマックイーン、トウカイテイオーの着順は写真判定に委ねられることとなりました! そうしている間にナイスネイチャが4着! 続いてミニキャクタスが5着としてゴールを通過しました』

『3人同時のゴールで写真判定ですか……あまりあることではないですね。どうなるのでしょうか……』

 

 巨大なターフビジョンのすぐ傍に表示されている着順掲示板。そこには実況の言う通り『写真』の文字が光っており、先に4着のナイスネイチャ、5着のミニキャクタスの番号が表示される。

 

「と、トレーナー……どうなってるの?」

「ゴールした瞬間、完全に横並びだったからな……誰が勝ったか判断できずにゴールした瞬間の写真を使っての判定になったんだ」

 

 レース映像ならともかく、トレーナー生活一年程度の俺にとって生で遭遇するのは初めての事態である。観客席からもざわざわとした声が広がり、ライス達も揃って着順掲示板に視線を向けている。

 

 そうやって待つこと、1分少々。レースに出ていたウマ娘達全員がゴールしたものの、未だに1着が決まっていないという事態に困惑してそれぞれ着順掲示板を見つめている。

 

 そしてとうとう、着順掲示板が点灯し――。

 

『1着はトウカイテイオー! トウカイテイオーです! 着順掲示板にはレコードの文字も光っています!』

 

 結果を確認した俺は、思わず膝から力が抜けてその場に膝を突いた。呆然と着順掲示板を見つめていると、1着にはトウカイテイオーの番号である15の文字が光っている。

 

『2着はメジロマックイーン! ハナ差でメジロマックイーンです! そして3着がライスシャワー! こちらもハナ差での3着となりました!』

 

 そんな実況の声と共に、ターフビジョンにゴールを通過する3人の写真が表示される。

 

 レース中に見ると同時にゴールを通過したように見えたが、写真で見るとたしかに、ほんの僅かだがトウカイテイオーとメジロマックイーンが先にゴールを通過していたようだ。

 

 ただし、その差は数センチといったところでタイムの上ではトウカイテイオーだけでなくメジロマックイーン、そしてライスもレコードタイムでゴールを通過している。

 

『いやぁ、すごいレースになりました……3人で競って3人ともレースレコードとは……勝ったトウカイテイオーもですが、負けたメジロマックイーンとライスシャワーにも拍手を送りたいところです』

『これでトウカイテイオーはGⅠレース5勝目、そして大阪杯2連覇となりました。どこまで記録を伸ばすのか、注目したいですね』

 

 実況と解説の声が響くと、観客達は声援を上げるだけでなく総立ちになり、コースに向かって拍手を始める。

 

 その拍手は雨音を掻き消すほどの轟音へと変わり、激戦を制したトウカイテイオーへと降り注いだ。

 

 ここにきて自身が1着になったと実感したのだろう。トウカイテイオーは笑顔でステップを踏んだかと思うと、観客席に向かって右手を突き上げる。そして親指を除いた四本指を立てたかと思うと、ゆっくりと親指を立てて右手を開いて見せた。

 

 ライスが有記念で見せたように、己のGⅠでの勝利数を誇るように。

 

 すると歓声と拍手の音がより激しくなり、それを見聞きしたメジロマックイーンが柔らかい笑みを浮かべながらトウカイテイオーへと歩み寄る。そしてトウカイテイオーに何事かを囁いたかと思うと、互いに笑顔を浮かべ合った。

 

「ライス……」

「ライスちゃん……」

 

 俺はそんな二人をじっと見つめているライスの姿に、思わず名前を呼ぶ。ウララもライスの名前を呼ぶが、ライスは両手を握り締め、雨が降り注ぐ天を仰ぐようにして見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 そして、レース後。

 

 ウイニングライブがあるためコースから引き上げようとしていたライスのもとへと俺は駆け寄る。ウララも心配そうに俺についてきたが、俺の足音に気付いたのだろう。ライスはビクリと体を震わせ、恐る恐るといった様子で俺を見上げた。

 

 ――その目には、大粒の涙が光っていた。

 

 ライスは俺の顔を見ると、涙を溢れさせる。そして顔を俯かせたかと思うと、体を震わせながら血を吐くようにして呟いた。

 

「ごめ……なさっ……おにい、さま……ライス、勝てなかった……勝てなかったよぉ……ライス、チームキタルファの、リーダーなのに……」

「っ……」

 

 そんなライスの姿に、俺は思わずその小さな体を抱き締めていた。そしてあやすように背中を叩く。

 

「泣くな、ライス。今のレースは誰が勝ってもおかしくなかった……3人がレコードタイムで走って、同時にゴールに飛び込んだんだ……だから泣くな。胸を張って誇れ」

 

 中距離のトウカイテイオー相手に写真判定にまで持ち込んだんだ。俺は胸を張って誇るように伝える――ライスの背中を叩く手と、己の吐き出した声が震えていることを、自覚しながら。

 

「ライス、ちゃ……うぅ……」

 

 そんな俺とライスの姿に、ウララは泣きながらライスへと抱き着いた。俺とウララに抱き締められたライスは身を震わせたかと思うと、ぽたぽたと涙を落としていく。

 

 そんなライスの姿に、自然と俺の目からも涙が溢れていた。いや、これは涙じゃない。ライスに誇れと言ったのは俺だ。だから、俺はライスを抱き締めたままで、雨雲に覆われた空を見上げる。

 

「あー! あの時のおじさんじゃないか!」

 

 すると不意に、そんな声が聞こえた。その声がトウカイテイオーのものだと俺は悟ったが、そちらへ視線を向ける余裕はない。ないのだが――。

 

「どうだおじさん! おじさんがボクより強いって言ったライスシャワーより、ボクの方が強か……あっ」

 

 おそらく、俺とウララが抱き締めていたためライスシャワーに気付かなかったのだろう。視線を向けてみると、トウカイテイオーは明らかに『しまった』と言わんばかりに顔色を青くしている。

 

 傍から見れば敗者に鞭を打ちにきたようにしか見えないため、トウカイテイオーの反応も当然のものだろう。

 

 トウカイテイオーはおろおろと視線を彷徨わせていたが、やがてやけくそのように胸を張り、腰に手を当てながら俺とライスを見据えた。

 

()()()()()()()()だっ! 次の春の天皇賞、そこでも勝負だからねっ! 長距離だけど……マックイーンにもライスシャワーにも挑んでボクが勝つっ! だから勝負だ!」

 

 そんなトウカイテイオーの言葉に、ライスの体の震えが止まった。そして感情を押し殺したような、絞り出すような声で呟く。

 

「……次は……絶対に勝つから」

「ひっ……う、ううん! 次もボクが勝つもんね! これでGⅠ5勝目! ボクはカイチョーを超えるウマ娘になるんだから!」

 

 そう叫び、トウカイテイオーが駆け去っていく。それを目で追ってみると、メジロマックイーンに小突かれているトウカイテイオーの姿があった。メジロマックイーンは俺の視線に気付くと、勝負服の裾を摘まみ、優雅に一礼してからトウカイテイオーと共に引き上げていく。

 

「お兄さま……ライス、次は絶対に勝つよ……」

「ああ……次は勝つぞ」

 

 流していた涙を拭い、決意のこもった声で呟くライスに、俺もまた、決意を込めて答える。

 

 こうして、俺のトレーナー生活1年目最後のレースは、雨と涙と苦い決意で終わりを迎えるのだった。


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