リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第38話:新人トレーナー、連戦に挑む その1

 端午ステークスと春の天皇賞の前日。レースが日曜日開催ということもあり、土曜日の午前中を使ってウララとライスの最終調整を行っていた俺は、トレセン学園の練習用コースを走る二人を眺めながら内心では首を捻っていた。

 

(何度考えてもわからん……桐生院さんはどうして端午ステークスにハッピーミークを出走させるんだ?)

 

 さすがに意図が理解できなくて桐生院さんに話を聞こうと思ったのだが、捕まらなかったり、仮に捕まえてもハッピーミークの育成で忙しいからとすぐに逃げられるのだ。

 

 俺と桐生院さんは同期という間柄でしかない。端午ステークスでウララとハッピーミークがぶつかるという点を考えると、今は敵同士だ。俺が今考えるべきは、ウララとライスをレースで勝たせることである。

 

 午前中に最終調整を行い、午後からは京都に移動して現地で一泊。ウララとライスをしっかり休ませたら京都レース場で本番のレース、という予定なのだが、脳裏では疑問が渦巻いていた。

 

(たしかにハッピーミークならダートも走れるから、ダート路線に切り替えてもおかしくはない……ないんだが、皐月賞を走った直後にダートに出てくる? どういうことだ?)

 

 そもそも、ハッピーミークは今年に入って既に5戦している。しかも3月前半に弥生賞、3月後半に若葉ステークス、4月前半に皐月賞と連戦しているのだ。それだというのにわざわざ4月後半の端午ステークスに出てくる理由が俺にはわからない。

 

(皐月賞で14着だったから日本ダービーに出るための収得賞金が足りない……いや、去年のレースだけで十分足りてるから必要ないよな。確実に出たいのだとしても、ハッピーミークの収得賞金ならクラシック級でもトップクラスだ……え? 本当になんで?)

 

 担当しているウマ娘にそこまで無理をさせる理由も、ダートのオープン戦に出てくる理由もわからない。

 

 芝が魔境過ぎるからダートに路線変更するというのならそれも一つの手だろうが、仮にそうだとしてもまずはハッピーミークを休ませる方が先決だろう。というか俺ならそうする。ハッピーミークが稼いでいる収得賞金を思えば、ダートに転向させるにしてもしばらくは休ませることができるからだ。

 

 桐生院さんとハッピーミークの間のことだからくちばしを突っ込むわけにもいかないが、どうにも腑に落ちない。腑に落ちないのだが、俺としてはやるべきことに変更はないのだ。

 

(スマートファルコンは出てこなかった……ハッピーミーク以外に注目しているウマ娘はいない。もちろん、油断はしないけどな)

 

 俺はライスと競うようにして走るウララの姿を見る。仕上がりは上々――いや、過去最高と言えるだろう。

 

 ハッピーミークとレースで競うことになったと知った際、ウララは。

 

「わー! ミークちゃんと本番のレースで走るのは初めてだよー! すっごく楽しみだなー!」

 

 なんて、普段通りの笑顔を見せていた。それを注意しようか迷った俺だったが、俺の雰囲気が変わったのを察したのだろう。ウララは真剣な表情になり、右手を小さな拳に変えてじっと見つめ、言ったのだ。

 

「うん、わかってるよトレーナー……わたし、ミークちゃんに勝ってライスちゃんにバトンを渡すよ」

 

 その言葉と態度に、俺はそれ以上言うべきことはないと笑ったものである。

 

 ライスもライスで、オーバーワークぎりぎりまで徹底的に追い込み、スピードを鍛えてきた。大阪杯から一ヶ月の期間しかなかったが、逆に言えば()()()()期間があったのである。

 

(あとは他のウマ娘達の仕上がり次第だな……燃えてきたわ)

 

 春の天皇賞では大阪杯と同様に、トウカイテイオーやメジロマックイーンが出走する。そしてチームカノープスからはナイスネイチャが出走を回避したものの、イクノディクタスとマチカネタンホイザが出てくるため油断はできない。

 

 それと、有記念でライスと競ったメジロパーマーも出走予定だ。芝のクラシック路線は魔境だが、シニア級とて強いウマ娘が目白押しである。ウマ娘ファンとしては嬉しい限りだが、トレーナーとしては喜んでもいられない。

 

 だが、まあ、なんだ。

 

(春の天皇賞はライスが勝つ……大阪杯での借りはきっちり返してやる)

 

 ライスの仕上がりも調子も、ウララと同様に最高だ。俺はウララとライスを翌日に疲れが残らない程度に走らせると、予約していた新幹線に乗って京都へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

 京都は朝から晴れ渡り、春らしい陽気に恵まれた。天気予報を確認してみると一日中好天が続くようで、絶好のレース日和と言えるだろう。

 

 端午ステークスは第10レースで15時ちょうどの発走、春の天皇賞は第11レースで15時40分の発走の予定である。そのため俺は朝からウララとライスに念入りに柔軟運動をさせ、体をほぐす程度に京都の道路を走らせた。

 

 そのあとは食べ過ぎない程度に昼食をとらせると、京都市伏見区にある京都レース場まで移動する。今日は連続してのレースになるため、ウララとライスを控室に送り出し、俺はパドックに移動したのだが――。

 

「あっ……」

 

 俺と同じように、パドックでライバルの観察をしようとしたのだろう桐生院さんと行き会った。桐生院さんは気まずそうな声を零したかと思うと、俺から視線を逸らし、パドックの観客席から立ち去ろうとする。

 

「どうも、桐生院さん。こうして()()()()()()()()()()()は久しぶりですね」

 

 俺はにっこり笑って進路を塞いだ。今日のところは敵同士だが、言葉を交わしてはいけない法などない。そのため遠慮なく俺は話しかけた。

 

「ど、どうも……」

 

 桐生院さんはおどおどと目線を彷徨わせ、俺と視線を合わせようとしない。その態度に俺は眉を寄せると、促すようにして観客がいない方へと歩き出した。

 

「こっちは昨日から京都入りしたんですが、桐生院さんはどうしたんです?」

「わたしは……昼前に新幹線を使って移動してきました。それまではミークのトレーニングを……」

「……レース当日に、ですか?」

 

 俺は訝しむようにして尋ねる。俺もウララとライスに軽く走らせたが、あくまで体をほぐす程度だ。準備運動もなしにレースで走らせると怪我の元だし、今日の調子を確かめるという意味合いもある。その結果、二人の調子は最高だと判断した。

 

 もちろん桐生院さんとハッピーミークの間の話だし、ギリギリまでトレーニングをしたかった、というのなら仕方ない。だが、東京から京都まで新幹線で移動する時間を思うと、疲労が溜まるだけとも思えるのだが。

 

 ないとは思うのだが、多少疲労している状態でも勝てると考えている……のか?

 

 俺は自然と目付きが鋭くなるのを自覚しながらも、感情を排して尋ねる。

 

「まさかとは思いますけど……ハッピーミークならどんな状態でも()()()()()()()()、なんて考えてないですよね?」

 

 桐生院さんのことだ。そんなことは考えていないだろう。だがもしも、万が一にだが、そんなことを考えているのだとすればそれは、ウララだけでなくダートを主戦場としているウマ娘全員への侮辱だ。

 

「っ! そんなわけありません! わたしはただ……」

 

 俺の質問を受けた桐生院さんは、慌てた様子で声を張り上げる。しかし俺と視線がぶつかると、すぐに目を逸らしてしまった。

 

 そんな反応を見せられると、まさか、という思いが強くなる。だが、桐生院さんは予想外の言葉を口にした。

 

「ハルウララさんとミークを競わせれば、見えてくるものがあるんじゃないかと……そう思っただけです」

「……見えてくるもの?」

「はい……御存知だと思いますが……いえ、知っていてくださると嬉しいのですが、今年に入ってからハッピーミークは1勝もできていません……」

 

 そう言ってチラチラと俺を見てくる桐生院さん。最初は俺なら知っているのが当然という口振りだったが、途中から何を思ったのか、知っていてくれたら嬉しい、などとわざわざ言い直した。

 

(……この子、大丈夫か? なんというか、精神がやられてないか?)

 

 元々他人とのコミュニケーションが苦手な節があったが、お互いに忙しくて最近は親しく話す機会がなかったからか、桐生院さんが以前より気弱になっている気がする。

 

 俺がチームキタルファを設立してからは疎遠になりつつあったが、顔を見れば声をかけて立ち話ぐらいはしていたのだが……。

 

「何が悪いのかも、もう、よくわからなくなってきて……ハッピーミークはすごい子なんです……でも勝てないんです……いえ、ハッピーミークはすごい子ですから、悪いのはきっとわたしで……わたしがトレーナーとして未熟だから……」

 

 そんな話をしつつ、徐々に表情が暗くなっていく桐生院さん。目の端には涙が溜まりつつあり、それを見た俺は思わず天を仰いでしまった。

 

「あー……桐生院さんがハッピーミークのことを大切に思っているのは伝わってきますがね。んー……」

 

 なんと声をかけたものか、と俺は思案する。慰めること自体はそんなに難しくない。ハッピーミークはたしかに素晴らしい素質を持ったウマ娘だと俺も思うが、戦った相手が悪かった部分もある。

 

 今年の芝のクラシック級で活躍しているウマ娘達はきっと、それぞれを一人だけでクラシック級に放り込めばクラシック三冠を獲っているのではないか。そう思わせるウマ娘ばかりなのだ。

 

 だから相手が悪かった、と慰めることはできる、のだが――。

 

(んなことしてもこの子のためにはならんよなぁ……)

 

 俺はため息を一つ吐く。すると桐生院さんがびくっと体を震わせ、おそるおそる上目遣いで俺を見てくる。今日のところは桐生院さんはライバルトレーナーだが、俺の中身が良い歳になってしまったからか、若い子の世話を焼きたくなるのは悪癖なのかもしれん。

 

 俺がそんなことを考えていると、端午ステークスに出走するウマ娘のお披露目が始まる。パドックでは1枠1番のウマ娘が姿を見せたため、俺は桐生院さんを促してパドックの観客席へと向かった。

 

『2枠3番、ハッピーミーク』

 

 そして、アナウンスと共に姿を見せたハッピーミークだったが……擬音で言えばピキッ、なんて音が俺のこめかみ辺りで鳴った気がする。

 

 オープン戦ということで体操服姿のハッピーミークだったが、しおれるように耳が倒れ、尻尾も力なく垂れ下がっている。顔には明らかに疲労の色が浮かんでおり、調子は絶不調としか言い様がない有様だった。ただし、疲労はあっても瞳だけはギラついているように見える。

 

 ハッピーミークの姿を見た観客からは、戸惑うような声が上がる。一応、過去の戦績から5番人気に推されているが、アレは……。

 

「うちのウララと競わせたら見えてくるものがあるんじゃないか……そう思ってもらえるのは嬉しいですけど、それってハッピーミークに無理をさせてまでやるべきことなんですかね?」

「……えっ?」

 

 そんな言葉を桐生院さんに投げかけたが、思ったよりも低い声が出てしまった。そのため桐生院さんはしどろもどろに視線を彷徨わせているが、俺としては頭を抱えたくなる。

 

「俺もウララに競争心を持たせたくて、勝てないかもしれないレースに挑ませたことがあるんで強くは言えませんよ。ただ、勝てる勝てないの問題じゃない……まさかハッピーミークを壊したいんですか?」

「そ、そんなわけありませんっ! わたしはミークを勝たせてあげたいだけで!」

「……あの様子で勝てるって、本当に思ってるんですか?」

「勝ちます! ミークはすごい子なんですからっ!」

 

 拳を握り締めて力説する桐生院さんだが、心からそう思っているかは怪しいところだった。迷いに迷って、どうしようもなくなって、袋小路から出られなくなったような、そんな顔だった。

 

「……わかりました。それでは、レースで」

 

 俺はそれだけを言って、桐生院さんから離れる。桐生院さんもハッピーミークも世話を焼きたいと思える相手だが、今は何を言っても()()()()()()と思ったからだ。

 

『4枠8番、ハルウララ』

 

 ウララの名前が呼ばれたため、俺はパドックへ視線を向ける。そこには笑顔で観客席に向かって手を振るウララの姿があった。

 

「あの子、仕上がってるな……」

「ああ、良い筋肉だ……」

 

 ウララの姿を見た観客の一部から、感嘆したような声が聞こえる。そうだろう? 鍛えに鍛えた自慢の筋肉だ。でも男の筋肉みたいにはっきりと割れたり、角ばったりはしないため、ウララの足回りを見て良い筋肉だと言えるのは見る目がある。

 

 そんなことを思いながら視線を向けると、少し恰幅が良い眼鏡をかけた青年と、緑色をした髪の青年が真剣な目でパドックを見ていた。というかあの二人、あちこちのレースでよく見かけるんだが……ウマ娘の熱心なファンなのだろう。

 

 そうやって俺が納得していると、お披露目が終わったウララが笑顔で駆け寄ってくる。

 

「トレーナー! 今日もいつも通りでいいんだよね?」

 

 その言葉は、これまでのレースで何度も聞いた言葉だった。しかし、俺は笑みを浮かべて答える。

 

「そうだな。いつも通り、怪我せず楽しんで……そして勝ってこい」

「うんっ! 見ててよトレーナー! わたし、ばびゅーんって走って1着を獲ってくるから!」

 

 違いがあるとすれば、ウララが1着を意識するようになったことだろう。だから俺も、笑って送り出せる。これで負けたら? その時は俺が施したトレーニングが悪かったってだけの話だ。

 

 俺がそんなことを考えていると、俺とウララのようにパドックの柵越しに言葉をかわす桐生院さんとハッピーミークの姿が見えた。しかしどことなくぎこちない、お互いに遠慮が感じ取れる。

 

(去年、模擬レースをやった時より距離があるような……本当に大丈夫かよ……)

 

 そんなことを思いながらも俺は出バ表を懐から取り出し、内容を確認しながら観客席へと向かう。

 

 端午ステークスに出走するウマ娘は16人だが、やはりダートの選手層は薄い。これまでウララと対戦したことがあるウマ娘が何人も出走している。

 

「お兄さま」

 

 そうやって俺が観客席に向かっていると、勝負服に着替えたライスが声をかけてきた。それに気付いた俺は羽織っていた薄手のコートを脱ぐと、ライスの体にかける。

 

「いくら気温が上がってるって言っても、上着ぐらいは着ないとダメだぞ? それに、勝負服だと目立つからな」

「えへへっ、ありがとうお兄さま。ウララちゃんの応援がしたくて急いでたら、つい忘れちゃった」

 

 風邪をひくような寒さではないが、レース前に体を冷やすのもまずい。そう思った俺だったが、ライスは妙に嬉しそうに俺のコートを着込んでいく。

 

「パドックに行くのは間に合わなかったけど、ウララちゃんと走る他の子はどうだったの? ライス、ハッピーミークちゃんを最近見てないけど……」

「ハッピーミークは……まあ、なんだ。ライス風に言うなら()()()()()()よ」

 

 本当は、こんなことを言うのは油断につながりそうで嫌だ。しかし、今の俺としてはハッピーミークの実力を危惧するよりも、ハッピーミークが何事もなくレースを走り切ってくれることを祈る気持ちが大きい。

 

 ただ、今のハッピーミークが相手でもウララが躊躇なく1着を目指せるのならば。それはきっと、大きな武器となる。

 

『春の陽気と心地良い天候に恵まれました京都レース場、第10レース。ダートの1400メートルオープン戦、端午ステークス。バ場状態は良の発表です』

『次のレースがGⅠの天皇賞春ということもあり、既に観客席は満員となっています。GⅠにも負けない熱いレースを期待したいですね』

 

 ファンファーレが鳴り響き、実況と解説の男性が言葉を発する。京都レース場の収容人数は12万人だが、既に昼前には満員を記録したそうだ。俺もトレーナーでなければ入ることはできなかっただろう。

 

 そんなことを考えていると、ゲートインと同時に各ウマ娘が簡単に説明されていく。

 

『2枠3番ハッピーミーク、5番人気です』

『前走の皐月賞では14着でしたが、昨年末の阪神ジュベナイルフィリーズで1着を獲ったウマ娘ですからね。本格的にダートに転向してくるのかはわかりませんが、ダート初戦で5番人気というのは高い期待の表れでしょう。ただ、パドックでの様子を見た限り、調子があまりよくなさそうでしたが……』

 

 解説の男性が言葉を濁すようにして言うが、観客の中にも同じことを思った者が多いのだろう。ざわつくような気配が広がっていく。

 

『4枠8番ハルウララ、1番人気です』

『前走の昇竜ステークスでは5着、前々走のヒヤシンスステークスでは3着でしたが、ヒヤシンスステークスで見せたオグリキャップやエルコンドルパサーとの競り合いは見事の一言でしたからね。期待が持てるウマ娘です』

『おっと、ハルウララが観客席に向かって笑顔で手を振っています。それを見た観客からも大きな声援が上がっていますね』

『どんな時でも笑顔で走るため高い人気がありますからね。パドックでの仕上がりも上々……いえ、これまでで一番良いように見えます。今ゲートインして……おや? 表情が……』

 

 解説の男性が僅かに困惑したような声を漏らす。それもそのはずで、ゲートインしたウララがこれまでにないほど真剣な表情を浮かべたのだ。

 

 ()()()()を見た俺は、思わずコースの柵から身を乗り出すようにしてウララを見る。そして、思わず口の端を吊り上げてしまった。

 

「ライス、よく見といてくれ。今日のウララは強いぞ。お前にきっと1着のバトンを渡してくれる」

 

 今のウララの集中力は、未勝利戦で初めて勝利した時すら超えているのではないか? あの時は武者震いをしていたウララだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ように見える。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了――スタートしました』

 

 そして準備が整い、端午ステークスが始まった。

 

『おっと、3番ハッピーミークやや出遅れた。ハナを切ったのは1番ハードコントロール。5番インディゴシュシュ、14番サニーウェザーがそれに続きます。1番人気ハルウララが4番手。そこから2バ身離れて2番グリーンシュシュ、6番ショーティショット、9番カーキシュシュ、13番プリスティンソング、16番フリルドベリーが先行』

 

 大体のウマ娘が綺麗なスタートを切ったものの、ハッピーミークが少しばかり出遅れる形となった。ウララは逆に綺麗な……というか、過去のレースの中で一番キレのあるスタートを切っている。そのため差しではなく、逃げウマ娘のすぐ後ろに先行の形でついていた。

 

(ウララ、先行もサマになってきたな……ライスと一緒にトレーニングしてるおかげか?)

 

 差しほど得意というわけではないが、普通にレースで通用するレベルで先行できるようになっている。それもこれも、先行のお手本がすぐ傍にいるからだろう。

 

『先行集団から3バ身離れて4番チアーリズム、10番ストレートバレット、7番ホルンリズム、11番マリンシーガル、3番ハッピーミーク。そこから2バ身離れて12番オグレッセ、シンガリはフェニキアディール』

『芝のコースを抜けてダートに入りました。しかし、直線から第3コーナーにかけて京都レース場の名物、淀の坂が待っています。ここでどう動くのかが勝敗を決めるでしょう』

 

 解説の男性が言う通り、京都レース場には淀の坂と呼ばれる高低差4.3メートルもの急勾配の坂路がある。ただしそれは芝のコースの外周りで、内回りやダートコースだと3メートル前後と少々控えめになる……うん、外周りと比べるとマシってだけで、普通に厳しいわ。

 

『向こう正面、1番ハードコントロールが先頭を進んで行きます。それに続いて5番インディゴシュシュが……おや? いきなり仕掛けてきたのは3番ハッピーミークです。後ろから3番目の位置にいましたが、どんどん前へと上がっていきます。4人抜いて先行集団のすぐ後ろまでつけています』

『掛かっているのかもしれませんね。一息つければ良いのですが……』

 

 スタートで出遅れたハッピーミークだったが、序盤にも拘わらず速度を上げて順位を上げていく。長距離も走れるハッピーミークの体力ならば、1400メートルの序盤から飛ばしても最後までスタミナももつのかもしれないが……。

 

(あのペースじゃライスでも最後まではもたんぞ……大丈夫か?)

 

 いくら短距離のレースといっても、最初から最後まで全力疾走するわけにはいかない。どこで仕掛けるかはレース展開次第だろうが、ハッピーミークの走りを見ると解説の男性が掛かっていると言いたくなるのもわかる。

 

『ハッピーミーク、更に上がって現在5番手の位置。先団が残り1000メートルを通過して淀の坂に差し掛かります』

『ここからどう動くのかが見物ですよ。先頭は変わらずハードコントロールですが……んんっ!?』

『ここで一気に加速したのは8番ハルウララ! 淀の坂を物ともせずに駆け上がっていきます! サニーウェザーをかわし、今、インディゴシュシュもかわしました! 残るは先頭のハードコントロール! このままかわすのかって言っている間にかわしたぁっ!」

 

 ハッピーミークがウララに追いついた――と、思った瞬間、ウララが淀の坂を利用して一気に距離を離していく。

 

「最近練習に使ってた階段よりは全然楽だもんね」

「そりゃ、あんな急勾配の階段と比べたらなぁ……」

 

 笑顔で言い放つライスと、同意こそするが想定以上の勢いで淀の坂を駆け上がるウララの姿に頬を引きつらせる俺。ウララとライスのスピードを鍛えるという目的もあったが、京都レース場に淀の坂があるからこそ、急勾配の階段を上り下りさせたのだ。

 

 ここ最近ウララとライスが練習に使用していた階段と比べれば、淀の坂は緩やかな坂でしかない。ただしそれは、淀の坂が端午ステークスの序盤から中盤にかけて存在するからだ。

 このあとライスが走る春の天皇賞の場合、淀の坂を二回通過する必要がある。一回目はともかく、二回目となると疲労が溜まってかなりキツイだろう。

 

『ハルウララ、淀の坂を下りながら残り600の標識を通過! 単独で抜け出し、2番手のハッピーミークとの距離は6、いや、7バ身ほど! 後続のウマ娘達はここから追いつけるのか!?』

『第3コーナーから第4コーナーへと入っていきます。ただし、第4コーナーを抜けた先の直線はゴールまで300メートル程度しかありません。後続は早めに仕掛けないと追い付けないかもしれませんね』

 

 早くもウララが独走態勢に入った。先頭で走ると後続がどこまで迫っているかわかりにくくなるが、こうなった場合の対処法もウララに伝授済みである。

 

(対処法というか、ゴールまで一切気を緩めずに全力で走れってだけの話なんだけどな)

 

 体内時計で正確なラップタイムを刻む、なんてことはウララにはできない。そのためシンプルに、ゴールまで全力で駆けろという方が伝わりやすいのだ。

 

『さあ、先頭のハルウララが第4コーナーを抜けてきた! 後続はまだ遠い! 2番手のハッピーミークはやや後退して……今、6番ショーティショットがかわした! 続くように2番グリーンシュシュも加速している!』

『出遅れた分を取り戻すためだったのでしょうが、ハッピーミークは序盤で足を使い過ぎたようですね。それでもまだ4番手の位置で粘っています』

『ハルウララ、最後の直線! 勢いを緩めることなく単独で! 一人旅! これは決まりだ! もう決まりでしょう!』

 

 興奮したように実況の男性が叫ぶ。観客達もまた、一人抜け出して独走するウララの姿に大歓声を上げている。

 

「よおおおおおおしっ! そのままそのままああああああああぁぁっ!」

 

 当然、俺も大声で叫んでいる。周囲の観客が驚いたように耳を塞いでいるが、驚かせてごめんなさい。ライスも叫ぼうとしていたが、これからレースが控えているため俺が代わりにライスの分も叫ぶつもりで大声を出したのだ。

 

『ハルウララが今、ゴールイン! すさまじい大差です! 2番手のショーティショットはまだ後ろを走って……今、ゴールしました! そして3着にグリーンシュシュが飛び込む! 4着は粘ってハッピーミーク! 5着はシンガリから突っ込んできたフェニキアディール!』

 

 一切減速することなく走り続けたウララは、後続との距離をどんどん引き離してそのままゴールしてしまった。観客席からの目測ではあるが、後続との距離は10バ身以上……つまり、大差での勝利だ。

 

「思った以上に……伸びたな……」

 

 俺は呆然と呟く。おそらくは未勝利戦で初勝利を挙げた時よりも調子が良かっただろうが、ここまでぶっちぎるとは思わなかった。ウララの成長が想定以上というか、ここまで伸びるとなると俺の想定自体が役に立たんのかもしれん。

 

『着順が確定いたしました。1着、ハルウッ!? し、失礼しました。1着ハルウララ、勝ち時計1分21秒7でレコード勝ち。2着、大差でショーティショット。3着、1バ身差でグリーンシュシュ。4着、3バ身差でハッピーミーク。5着、ハナ差でフェニキアディール』

『これは……すごいタイムが出ましたね。従来のレースレコードから1秒6の更新です』

「……ウララ、勝つ時はレコード勝ちしかできんのか?」

 

 これで7戦2勝になったウララだが、ついでに2レコードという単位が後ろにくっつきそうだ。というか、初勝利を挙げた未勝利戦と100メートルの差があるのにタイムは2秒ぐらいしか差がないんだが。

 

(……いや、その差がウララの成長した証……か?)

 

 初めて勝利を挙げた時よりも、確実に前に進んでいる。それを確信した俺は小さく笑うと、隣に立つライスへ視線を向けた。

 

「ライス、ウララからのバトンはどうだった? 1着……というか、レコードまでおまけでついてきたけど」

「うん……ライス、しっかり受け取ったよ。すごく、気合いが入った……」

 

 声をかけてみると、ライスから熱意のこもった声が返ってくる。それに頷いた俺は、観客席に向かって笑顔で手を振るウララを一瞥してから腕時計で時間を確認する。

 

「そろそろ時間だな。ライス、先に行っててくれ。俺はウララに一声かけてからパドックに行く」

 

 俺がそんな言葉をかけると、ライスは踵を返して歩き出した。あ、上着貸したまま……まあ、いいか。

 

「はぁ……はぁ……トレーナー! どうだったー!?」

 

 俺がライスを見送ると、柵越しに駆け寄ってきたウララが声をかけてくる。それに気付いた周囲の観客が口々にウララにお祝いの言葉を投げかけるが、俺はそれに負けじと声を張り上げた。

 

「最高だった! やったな、ウララ! ライスも()()()()()()()()()()ぞ!」

「っ……うんっ!」

 

 俺が叫ぶようにして言うと、ウララも笑顔で頷く。俺はもっと話していたかったが、腕時計を指で叩く仕草をウララに見せた。褒めて褒めて褒め倒すのは後の楽しみに取っておく。覚悟しろよウララ。

 

「ライスの方のパドックを見てくる! ウイニングライブは見れるかわからないけど、終わったらこの場所で合流しよう!」

「うん! わかったー!」

 

 俺が言うと、ウララは再び笑顔で頷いた。ウララのウイニングライブを見たいが、パドックでライスが今日マークする相手を決める必要もあるのだ。

 

 そのため俺は駆け出し――途中で足を止めた。

 

「桐生院さん」

「はい……」

 

 そこにいたのは、桐生院さんだった。俺たちからは離れた場所で見ていたのだろうが、着順掲示板をじっと見つめて俺の方は見ない。

 

 仮にミークが万全の状態だったならば、ウララもあそこまでスムーズに勝てなかっただろう。だが、ミークは絶不調というべき状態だった。そしてウララに負けた。

 

 それ以外の事実は、存在しない。

 

 俺には桐生院さんが何を考えているのか、わからない。それでもその肩を叩くと、俺は笑いかけた。

 

「今度、一緒に飲みにでも行きましょう。そこで愚痴でもなんでも聞きますよ。まずはハッピーミークをしっかり休ませてやってください」

 

 俺に言えるのは、これぐらいだ。桐生院さんが本当に飲みに行ってくれるかはわからないが、もしも誘いに乗ってくれるなら、抱えているものを吐き出させるぐらい付き合おうと思った。

 

 だが、それは未来の話だ。俺は春の天皇賞の出走メンバーをこの目で見るべく、パドックへと駆け出すのだった。


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