リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第4話:新人トレーナー、心配する

 ウララとハッピーミークの一戦から、早くも二週間が過ぎた五月の半ば。

 

 季節は春から初夏へと差し掛かり、少しずつ日中の気温も上がってきている。今日はトレセン学園で行われる授業が早めに終わるらしく、普段より長くウララのトレーニング時間が取れる――はずだったのだが。 

 

「ウララのやつ、遅いな……」

 

 時刻は午後三時半を過ぎている。普段のトレーニング開始時間よりは早いが、俺が練習用のコースに到着して既に三十分が経過していた。

 

 ウララからは授業が昼前に終わるため、昼食を取り、そこからトレセン学園の近所にある商店街におやつの人参を買いに行ってからトレーニングに参加すると事前に聞いてはいた。トレセン学園には購買部もあるが、ウララ曰く商店街の八百屋で買う人参の方が美味しいらしい。

 

 そんな理由から午後三時からトレーニングを開始する予定だった。昼食に一時間、買い物に二時間とかなり余裕を持って時間設定をしたつもりだったが、さすがに時間が経ち過ぎである。そのためスマートフォンでウララの番号に電話をかけてみるが、着信音が鳴るだけでウララが出る気配がない。

 

 ウララだけに限らず、トレセン学園に在籍しているウマ娘達は道路を挟んで学園の正面に建つ寮で寝起きをしている。ウララに話を聞いた限り、一部屋を二人のウマ娘が使用する相部屋での生活になるようだ。

 寮は栗東寮と美浦寮に分かれ、ウララが入寮しているのは栗東寮の方である。昼食を取り、商店街で人参を買い、寮に荷物を置いてきたとしても遅過ぎる。

 

 トレーニングをする時間がなくなるという懸念もあったが、それ以上に心配の感情が湧き上がってきた。

 

(事故に遭ってないだろうな……ウマ娘を誘拐しようなんて命知らずはいないだろうけど……でも知らない人に人参をあげるからって言われたら、大喜びでついていきそうな気もするし……)

 

 ウララは耳と尻尾を無視すれば小柄な少女に見える。しかし、ウマ娘は車並の速度で駆け抜ける運動能力があるのだ。脚力もそうだが、それほどの速度に耐えられる体は人間と比べて遥かに頑強である。

 そんなウマ娘を誘拐しようと思えば、間違いなく命がけになる。全力で蹴られでもすれば大惨事だ。頭がパーンとザクロのように弾けることにもなりかねない。

 

 先輩トレーナーの中にはGⅠウマ娘のドロップキックを顔面にくらっても後ろに倒れるだけで済んだり、ウマ娘の後ろ蹴りをくらっても鼻血を出すだけで済んだり、複数のウマ娘に同時に蹴り飛ばされたりしてもピンピンしている人もいると聞くが、さすがにそれは例外だろう。少なくとも俺なら死ぬ。

 

 それほどの身体能力を持つウマ娘だが、ウララの気性的に相手が誘拐犯だろうと蹴り飛ばすような真似をするとは思えない。かといって相手が笑顔で近付いてくれば逃げるようなこともない。

 お嬢ちゃん、人参をあげるからついておいで、などと言われれば大喜びでついていきそうだ。

 

「っ……ああもうっ!」

 

 俺は頭を掻き、その場から走り出す。そしてウララが普段利用しているであろう道を選び、逆走するようにして商店街に向かう。

 

 俺はトレセン学園の近くにアパートを借りており、通勤は徒歩だ。トレーナー業で必要になると思って普通自動車の免許を、そして趣味で大型二輪の免許を取っているが、さすがに徒歩数分の通勤のために車やバイクを使うことはなかった。

 車を取りに行っている間にウララとすれ違う可能性もあるため、商店街までは徒歩での移動の方が適しているだろう。そう自分に言い聞かせながら、万が一ウララが見つからなかった時のことを脳裏に思い浮かべる。

 

(探して見つからなかったら学園に電話をして、捜索を……いや、先に連絡を入れておくか? でもまだ予定の時間から三十分遅れてるだけだ……)

 

 そんなことを考えつつ、俺はトレセン学園の正門から外へと出る。そして道路を挟んだ先にある二つの建物――栗東寮と美浦寮へ視線を向けると、少しだけ悩んだ。

 

(もしかしたら寮に帰ってうっかり昼寝でもしちまってる可能性もある、か……ウララだしな。でもこの寮、トレーナーでも入れないんだよな)

 

 トレセン学園の寮はウマ娘達のプライベートな空間だからか、担当ウマ娘を持つトレーナーでさえ原則立ち入り禁止の場所だ。特別に寮長の許可を得れば入れるらしいが、現状では申請しても却下されるだろう。

 それでも俺はスマートフォンを取り出すと、栗東寮の内線電話にかける。普段は何かあればウララのスマートフォンに電話をかけるが、本人が出ない以上、他人に確認してもらうしかなかった。

 

 そうして俺は栗東寮の寮長――フジキセキと名乗るウマ娘に、ウララのトレーナーであることを説明してから寮にいるかを確認してもらう。しかし、結果は空振りだった。

 

 俺はフジキセキに礼を言うと、すぐさま商店街に向かって駆け出す。その際、脇道などにも目を向けてウララがいないかを確認していくが、どこにも姿はない。

 

「はぁ……はぁ……すみません! ピンク色の髪をした小柄なウマ娘を見ませんでしたか!? ハルウララという名前なんですが!」

 

 商店街に到着すると、すぐさま近くの店に飛び込み尋ねた。ウララぐらい特徴のあるウマ娘ならば、一人や二人、目撃者がいると思ったのだ。

 

「え? ウララちゃん? ウララちゃんなら……って、お兄さん、どこの人? ウララちゃんに何の用だい?」

 

 俺の剣幕に驚いた様子の女性店員だったが、途中から胡散臭そうな目付きで俺を見る。そしていつの間にかその瞳には警戒の色があり、それに気付いた俺は頬を引きつらせた。

 明らかにウララを知っている様子だが、まるで俺を不審者とでも思っているかのような口振りだった。

 

「俺はトレセン学園のトレーナーで、ウララの担当です!」

 

 そう言いつつ、携帯しているトレーナーのライセンスを見せる。すると女性店員は目を丸くし、あらやだ、と言いながら口元に手を当てた。

 

「ごめんなさいね。あなた、ウララちゃんのトレーナーさんだったの……ウララちゃんならこの先の八百屋さんにいるわよ」

「……? え? 八百屋にいるんですか?」

 

 八百屋に向かった、ではなく八百屋にいると話す女性店員。どういうことかと困惑していると、離れたところから聞き慣れない男性の声と、ウララの声が聞こえてきた。

 

「さあ、今日は人参が安いよ! ここにいるウララちゃんおすすめの人参だ!」

「安いよー! おいしいにんじんだよー!」

「それとピーマンも安いよ! 五つで百円! 五つで百円だ!」

「安いよー! でも苦いよっ!」

「ちょっ、ウララちゃん!?」

 

 威勢の良い男性の売り文句と一緒に聞こえる、ウララの声。それと同時に複数の笑い声が聞こえ、俺は思わず声のする方へと駆け出した。

 そうして見えてきたのは、八百屋と思しき店舗とその前にできている人だかりである。老人の夫婦や主婦、子どもなどが八百屋の前で扇状に集まっており、店主の男性とウララの話に耳を傾けているようだった。

 

 俺が駆け寄ると、その足音が聞こえたのだろう。頭部の耳をピクピクと動かしたウララが振り返り、ぱっと笑顔を浮かべる。

 

「あっ! トレーナーだー! なになに? どうしたの? お買い物?」

 

 間違いなくウララで、間違いなく無事だ。それどころか何故か八百屋のエプロンを身に着け、人参片手に笑顔で手を振ってくる。

 

「ウララ、お前……っ……いや……はぁ……」

 

 何をしているんだという怒りと、ウララが無事だったことへの安堵。その二つは後者へと天秤が傾き、俺は深々とため息を吐いた。

 

「……ウララ、今、何時だ?」

 

 俺はため息を吐いたままで尋ねる。するとウララは首を傾げ、八百屋にあった壁時計へ視線を向けた。

 

「……? わわっ!? トレーニングの時間が過ぎちゃってるっ!」

 

 驚いたように尻尾をピンと立たせ、慌て出すウララ。俺が額から流れる汗を拭いながらその様子を見ていると、ウララも俺が何故この場にいるのかわかったのだろう。

 

「うー……ごめんなさい、トレーナー」

 

 どんな反応が返ってくるかと思えば、ウララは言い訳もせずに素直に謝った。耳当てで覆われたウマ耳をぺたんと倒し、尻尾も力なく垂れている。

 

 話を聞いてみると、どうやらウララはこの商店街をよく利用しているらしい。そして持ち前の愛嬌が気に入られ、トレセン学園に入園して一ヶ月半という短い期間ながらも商店街で店を営む者達に深く受け入れられているようだった。

 今日はおやつの人参を買いに来たが、店主の男性と話しているうちに野菜の販売を手伝ってみたくなり、店主の男性もウララがそう言うのならばと受け入れてしまったらしい。

 

「すまねえ、トレーナーの兄ちゃん。ウララちゃんはこの商店街のアイドルみたいなもんでよ。手伝ってくれるっていうからついつい甘えちまった」

 

 店主の男性も申し訳なさそうに頭を下げる。言葉だけ聞けば反省の弁とは思えなかったが、その態度には心底からの謝罪の意思が見て取れた。

 

 俺は再度ため息を吐くと、ウララへと歩み寄って膝を折り、目線の高さを合わせる。

 

「次からはせめて連絡だけはしてくれ……心配したんだからな」

 

 怒るよりも諭した方が良い。そう判断した俺が声をかけると、ウララは耳をぺたんと倒したままで頷いた。

 

 ウララの担当トレーナーとしては、トレーニングの予定が狂うことを怒るべきだったのかもしれない。しかし自分がやってしまったことを理解し、すぐさま反省した態度を取れるウララの姿に俺は怒りを継続させることができなかった。

 

(トレーナーの先輩方ならここでビシッと叱るのかもしれないけどな……ああ、駄目だ、駄目な甘さだぞこりゃあ……)

 

 前世込みならばウララは娘のような年齢だ。これで開き直るような態度を取れば俺も怒りを爆発させていたかもしれないが、素直に謝るウララには強く怒りをぶつけることもできない。

 そんな自分に嫌気が差すが、ウララが無事ならばそれで良いと思う気持ちが強かった。そのため俺は俯いたままのウララの頭に手を乗せ、ぐしゃぐしゃと撫で回す。

 

「トレセン学園に戻ってトレーニングだ……って言いたいけど、たまには休みも必要だよな。今日は休みにするか」

 

 ウララの育成を始めて一ヶ月半、少しでもウララを強くしようとあれこれトレーニングを課してきた。もちろん休養も重要なため疲れが残らないように休ませていたが、これはこれで良い機会だと捉えることにする。

 それに、ウマ娘との信頼関係というものはトレーナーにとって非常に重要だ。打算の部分もあったが、俺はハルウララというウマ娘についてもっとよく知るべきだと思った。

 

「……いいの?」

 

 そんな俺の言葉に、ウララはおずおずと尋ねた。怒られることを怖がるようなウララの姿に、俺は思わず吹き出してしまう。

 

「トレーニングをするって気分でもなくなったしな。ウララはこの商店街について詳しいんだろ? せっかくだし、この商店街を案内してくれるか?」

「っ……うん! 任せてよっ!」

 

 それまでの表情から一転して、嬉しそうな笑顔を浮かべるウララ。そんなウララの頭を再度撫で回すと、ウララはわきゃーと楽しそうに笑う。俺が怒っていないと察したのか、ウララの尻尾もぶんぶんと景気良く振られていた。

 

「本当にすまねえ、トレーナーの兄ちゃん。お詫びってわけじゃないが、良ければこれを持って行ってくれよ」

 

 そんな俺とウララのやり取りを見ていた八百屋の店主が、ぱんぱんに膨らんだビニール袋を渡してくる。何事かと思って受け取ってみると、中には人参やピーマン、玉ねぎといった野菜が詰め込まれていた。

 

「いいんですか?」

「もちろんだ。ウララちゃんのおかげで短い時間だってのに普段より野菜が売れたしな」

 

 買えばいくらになるのか、などと小市民的なことを考える俺だったが、八百屋の店主は気にした様子もない。ウララはビニール袋を覗き込むと、歓喜の声を上げる。

 

「わわっ! にんじんがいっぱいだー! おじちゃん、ありがとね!」

「こっちが助けてもらったんだ。遠慮せず食ってくれよ?」

「うんっ! でもピーマンは苦いから食べたくないよっ!」

「……美味いんだけどなぁ」

 

 笑顔でピーマンはいらないと断言するウララに、八百屋の店主は遠い目をしながら呟く。

 

 それを聞いた周囲の客達は楽しそうに笑い――俺はふと、閃いた。

 

「ウララ、今回の件には罰が必要だと俺は思うんだ」

「えっ? ば、ばつ?」

 

 俺がにやりと笑いながら言うと、ウララは困惑したように首を傾げる。許しはしたが、何もないというのもウララのためにならないだろう。

 

「ピーマンをもらったし、ピーマンを使った料理を作ってやろう! それを全部食べるのが今回の罰だ!」

 

 だからこそ、俺は心を鬼にして宣言した。

 

「えー!? やだよトレーナー! ピーマンじゃなくてにんじんがいい! にんじんハンバーグが食べたい!」

「そこまでピーマンを嫌ってやるなよ……八百屋のおやじさんもへこんでるし、栄養もあるんだぞ?」

 

 子ども舌なのか、ピーマンは嫌だと叫ぶウララ。ピーマンは苦みがあるため子どもに嫌われやすい食べ物だが、その分、罰としては有効な気がしてきた俺である。

 

「じゃあピーマンも使って人参ハンバーグを作るか。そして明日からまた元気にトレーニングだ」

 

 そのため、俺は妥協案を提示した。ウララの希望通り人参ハンバーグにするが、材料にピーマンを加えてしまおうと思ったのだ。

 

 俺は胸を張って料理が得意と言えるほどの腕前はないが、トレーナーとしてウマ娘向けの栄養学も養成校で学んでいる。その一環として料理に関しても多少は腕を磨いていた。

 料理をする場所に関しては、トレセン学園の調理室を使えば良いだろう。俺が借りているアパートも近いが、担当しているウマ娘とはいえさすがにウララを自宅に連れていくのは世間の目が怖すぎる。

 

 俺は栗東寮に電話して寮長のフジキセキにウララが無事見つかったことを伝えると、その後は話した通りウララに商店街を案内してもらい、ついでに料理の材料を買い集めてトレセン学園に戻ることになった。

 

 驚くべきは、八百屋の店主が語っていた通りウララが商店街の人達にアイドル扱いされていたことだろう。どこへ行っても人が集まり、笑顔で話しかけてくるのだ。

 ウララはウララで、話しかけられれば笑顔で答え、時には驚き、感情豊かな表情をコロコロと見せていく。

 

 デビュー前のウマ娘だというのに、既にファンを獲得しているウララ。それ自体は大したものだと思うが、その人気に見合った実力をつけさせる義務が俺にはあるのだと考えると、少しばかり憂鬱だった。

 

 

 

 

 

 さて、突然ではあるが、ウマ娘の外見は耳と尻尾さえ除けば普通の少女である。正確にいえば少女ではなく美少女というべき優れた容姿を持つ者ばかりだが、その身体能力といい、普通の人間とは大きく異なる点がある。

 

 それは食事だ。食べるものに関しては人間と大きな違いはないが、食べる量が段違いなのだ。ウマ娘の中には段違いどころか桁違いに食べるウマ娘もいるらしいが、ウマ娘の中では小柄なウララでさえ俺より多く食べる。

 

 何が言いたいかというと、だ。

 

「へい、お待ち! 特製の三段人参ハンバーグだ!」

 

 そう言ってウララの前に置いた皿の上には、とんでもなく巨大なハンバーグの山が築かれていたのだった。

 

「わー! やったやったー! にんじんハンバーグだー! トレーナーすっごーい!」

「そうだろうそうだろう……で、繰り返し聞くけど、ちゃんと食べきれるか?」

 

 ウララのリクエストで作った人参ハンバーグINピーマン。それは最早暴力的ともいえる威容を持って皿の上に鎮座していた。

 

 直径30センチほどのフライパンで作った一段目のハンバーグに、一回り小さいながらも20センチを超える二段目のハンバーグ。三段目のハンバーグでさえ直径15センチほどあり、天辺には皮を剥いた茹で人参が丸々一本突き刺さっている。

 厚さも3センチほどあり、生焼けにならないよう細心の注意を払って作った一品だ。ハンバーグだけでなくサラダも山盛りで用意し、茶碗に盛られた山のような炊き立てのご飯が盛大に湯気を立ち昇らせている。

 

 作っておいてなんだが、俺なら間違いなく食べきれない。ハンバーグは一番小さいものだけで十分だし、ご飯も大盛りが限度だ。

 

「ぜんぜんへっちゃらだよっ! いただきまーす!」

 

 ウララは笑顔で両手を合わせると、ナイフとフォークを使ってハンバーグを食べ始める。大きく口を開けてハンバーグを口内に放り込むと、光を放ちそうなほど目を輝かせた。

 

「すっごくおいしいよトレーナー! ピーマンも苦くないし、なんで?」

「ラップで包んでレンジでチンすれば苦みが抜けるんだよ。あとは繊維に沿って縦切りにすると苦みが出にくいしな。それなら食べやすいだろ?」

「うんっ! こんなにおいしいならいくらでも食べれちゃうよ!」

 

 そう言って満面の笑顔で食事を続けるウララ。それを見た俺は、仮に全てを食べきれなくてもこの笑顔が見れただけで十分か、と思った。

 

「……明日からの練習、頑張れそうか?」

 

 ウララが食べる姿を眺めながら、俺は柔らかい声色で尋ねる。すると、ウララはリスのように頬を膨らませながらもしっかりと頷いたのだった。

 

 なお、用意した料理を全て平らげ、ご飯を二杯お代わりして俺の度肝を抜いたのは余談である。

 

 

 

 

 

 そして明けて翌日。

 

 昨日はトレーニングをしなかった分、今日はしっかりと鍛えようと意気込む俺の前にウララが姿を見せた。練習用のジャージ姿のウララは笑顔で手を振りながら俺の方へと駆け寄ってくる。

 

 気のせいか普段と比べると尻尾が強く振られており、耳もパタパタと忙しなく動いていた。

 

「トレーナー!」

 

 駆け寄ってくるウララは普段にもまして元気が溢れている。気合い十分といった様子のウララの姿に、俺は昨日のことは無駄じゃなかったのだと判断して笑顔を浮かべた。

 

「おー、ウララ。今日はいつもより元気がおっぶぅっ!?」

 

 そして、何を思ったのか、ウララは止まることなくそのまま突っ込んできた。咄嗟にウララを抱き留めるものの、まるで相撲のぶちかましでもくらったように俺は地面に薙ぎ倒される。

 

(え? なに? 体当たり? なんで? 俺なにかした? 昨日のピーマンが実は不満だったの?)

 

 小柄なウララの体当たりとは思えない衝撃に俺は混乱するが、抱き着くようにして飛び込んできたウララは輝かんばかりの笑顔で宣言する。 

 

「トレーナー! わたし、がんばるからねっ!」

「お、おう……なんかよくわからんけど、頑張ってくれ」

「うんっ! よーし、がんばるぞー!」

 

 理由はいまいちわからないが、練習に対して前向きなのはトレーナーとしても助かる話だ。嫌々練習するのと、自ら進んで練習するのではその効果も大きく異なるからだ。ウララは元々率先して練習に取り組むタイプだったが、やる気があるのは良いことである。

 

 俺はウララと一緒に立ち上がると、普段通り準備運動から始めるよう指示を出した。

 

 そして、楽しそうに準備運動を始めるウララを眺めながら、俺は内心、こっそりと呟く。

 

(もっと体を鍛えよう……そうしよう……)

 

 自分の首程度までしか背丈のないウララに押し倒されたのがちょっと、いや、かなり悔しかったのは内緒である。

 

 

 

 

 

 そうして俺はウララを育成する日々を過ごし、とうとうその時を迎えることとなる。

 

 6月後半に行われるウララにとって初めてのレースである、ジュニア級メイクデビューの時を。


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