リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

44 / 145
毎度この作品を読んでいただきありがとうございます。
UA数が50万を超え、感想数が2000件を超えました。ありがとうございます。
ここ最近更新する度に感想数が100件を超えてて、返信できないのが申し訳ないですが、非表示以外は全件目を通してモチベーションの火種にしております。

というわけで(?)、感想欄でたまに見かけた『トレーナーが周囲にどんな風に見られているか』をお届けします。


各方面から見た新人トレーナー、のお話

 ――秋川やよいと駿川たづなの場合。

 

 チームキタルファのトレーナーが拗ねたライスを宥めすかし、ウララと一緒に胴上げワッショイしている頃。

 

 理事長室では秋川やよいと駿川たづなが顔を合わせていた。

 

「……という感じでして。やっぱり、チームキタルファのトレーナーさんは新しい担当ウマ娘を増やすつもりはないみたいです」

「残念ッ……先日も聞いた話だが、やはり無理か……」

 

 やよいとたづなが話題に挙げているのは、チームキタルファのトレーナーに関してである。

 

 今年に入って設立されたばかりの新チームで、所属するウマ娘は2人。チームを率いるのは昨年度トレセン学園に配属されたばかりの新米トレーナーという、トレセン学園の中でも異色のチームだ。

 

 チームを設立した直後、昨年度の内に出走したレースではハルウララが2戦0勝、ライスシャワーが2戦1勝、チームで見れば4戦1勝とパッとしない成績で終わった。

 

 しかし、今年度に入った途端、ハルウララが端午ステークスをレコード勝ち、ライスシャワーが春の天皇賞をレコード勝ちと、文句の付けようがない成績を叩き出した。

 

 それによってトレーナーの一部から上がっていたチームキタルファ設立への不満の声も、すっかり鳴りを潜めている。そもそもからして、昨年度の4戦も全て入着しており、チームを設立してから入着率100パーセントという数値なのだ。

 

 不満を言ってきたトレーナーに関しては、たづながにっこり微笑んで。

 

『では、あなたも担当しているウマ娘全員に入着率100パーセントの実績を与えてくれるのですね?』

 

 などと言ったら引き下がった。

 

 ハルウララやライスシャワーのように、3戦して全て入着というのは不可能なことではない。だが、単純計算でも15人出走すれば3分の2は着外になるのである。

 

 文句を言っていたトレーナー達も、それが難しいことを理解しているのだろう。あくまで不満がある者同士の愚痴に留め、たづなも()()()()()()()()()()()()()()だけなのだ。

 

痛惜(つうせき)ッ! 彼の苦労は理解しているが、一人か二人……三人か四人、できれば五人……欲を言えば十人ぐらい引き受けてほしかったっ!」

「それ、無理だってわかって言ってますよね?」

「無論ッ! 十人引き受けてくれたとしても、そもそも()()()()()()()()()にしか満たないのだぞっ!」

 

 やよいはそう言って頭を抱える。たづなもまた、困ったように苦笑を浮かべた。

 

 先週末までの時点で、チームキタルファへの所属を希望したウマ娘が16人ほどいた。しかし4月末に行われた端午ステークスや春の天皇賞の結果を知り、更に倍近い新人ウマ娘が申請を出してきたのである。

 

 現在チームキタルファではチームメンバーを募集していないため断ったが、やよいとしてはせめて一人ぐらいは引き受けてほしかった、というのが本音だった。

 

「ですが、一人でも受け入れたら今度は定員の五人まで……新人を三人は引き受けるべきだ、なんて話が出てくると思いますよ? 業務命令という名前で()()()すれば引き受けてくださるとは思いますが……トレーナーさん、その場合絶対無理をします」

「納得ッ! しかしたづなっ! トレーナーが足りないのだっ!」

 

 やよいは頭を抱えるようにして叫ぶ。

 

 トレセン学園は地方と比べてトレーナーの待遇が桁違いに良いが、その分、中央のライセンスを取得するのが非常に困難である。ウマ娘の人生を預かり、中央という魔境で競い合うため相応の資質と能力が求められるのだ。

 

 そのためトレセン学園側としては、所属するトレーナーには可能な限り担当ウマ娘を増やしてほしい。しかし狭き門を潜り抜けて中央のトレーナーライセンスを取得するような人物でも、担当できるウマ娘には限りがある。

 

 あくまで担当するだけで、面倒をまったく見ないというのならいくらでも数を増やせるだろう。しかし、やよいもたづなもそんなことは望んでいない。

 

 それでも現状ではトレーニングを自分で行い、レースに出るためだけにトレーナーの名義を借りているというウマ娘が少なからず存在する。

 トレーナーとしても僅かな手間暇だけでウマ娘の出走手当などの一部が懐に入ってくる上、放っておいたウマ娘が1着にでもなれば豪勢な臨時ボーナスに早変わりするのだ。

 

 やよいやたづなからすればそういった関係は規制したいが、レースに出るにはトレーナーの存在が必要になる。そのため規制すればレースに出たいウマ娘の希望を潰すことにつながり、容易には動けなかった。

 

 ライスシャワーもそのクチ――ライスシャワーの前トレーナーは他の名義貸しをするトレーナーと比べればまだ良心的な部類だったが、結局、紆余曲折あってライスシャワーはチームキタルファのトレーナーに拾われた。正確にいえば、自分から突撃して逆スカウトした。そして見事に花開いたのだ。

 

 そういった経緯もあるため、今年度新しくトレセン学園に入ってきた新人ウマ娘だけでなく、形だけのトレーナーしか持たないウマ娘にとってもチームキタルファは魅力的なチームに見える。

 

 トレーナー個人との相性の良し悪しもあるだろうが、トレセン学園に入る前はその能力から活躍するのは絶望的だと判断されていたハルウララを鍛え上げ、未勝利戦、オープン戦レベルとはいえレコード勝ちさせた育成手腕。

 

 ライスシャワーも故障寸前の体を癒しつつ、有記念を勝たせ、春の天皇賞ではレコード勝ちさせたのだ。大阪杯では3着になったが、タイムで見ればレコードを更新していた。そのためトレーナーの手腕やライスシャワーが悪かったのではなく、勝ったトウカイテイオーがすごかったのだという結論に落ち着く。

 

 能力が非常に劣る新人ウマ娘でも鍛え上げてレコード勝ちさせ、途中で育成を引き継いだウマ娘も悪い部分を治して更に鍛え上げる。だからこそ、チームメンバーを募集していないと聞いても入部の申請がいくつもきたのだろう。

 

「他のトレーナーさんも頑張っているんですけどね……特に、キタルファのトレーナーさんと同期の方々は、例年の新人トレーナーと比べて成長が著しいように思います」

「朗報ッ! それは嬉しい誤算っ! しかし……誤算といえば、キタルファのトレーナーが一番の誤算……」

 

 そう言ってやよいは考え込むように口元に手を当てる。

 

 言い方は悪いが、昨年度トレセン学園に配属された新人トレーナーの中で、一番()()()()()()()()と思っていたのがチームキタルファのトレーナーだったのだ。

 

 どんな会社、どんな業界だろうと、新人というのは役に立つものではない。プロスポーツの世界ならば怪物のような才能を持つ新人が一年目にしてとんでもない記録を残したりもするが、トレーナー業の場合はそうではない。

 

 何故ならば、どれだけトレーナーに能力があったとしても、結果を出すのは育成するウマ娘なのだ。普通は数年かけて社会人として、トレーナーとして、一人前になっていく。

 

 ウマ娘の育成に関しても失敗と成功を繰り返し、徐々に少しずつ()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 新人トレーナーの中にはたまたま才覚優れたウマ娘の担当になり、ウマ娘の育成をしているつもりが自分が育成されていた、なんてパターンもある。しかし、それは極々稀なレアケースだ。

 

 やよいとしては本当に言い方が悪くなってしまうが、チームキタルファのトレーナーが最初に担当として選んだハルウララはそういった優れたウマ娘ではない。たしかに優れた社交性、精神性があるが、それだけでトレーナーが成長するには限度がある。

 

 そもそも、普通のトレーナーならハルウララを最初の担当ウマ娘に選ばないだろう。そして仮に普通ではないトレーナーだとしても、あれほどまでにハルウララを育成することはできないはずだ。

 

 最悪、チームキタルファのトレーナーがハルウララの育成を諦め、途中で放り出すことさえ危惧していた。

 

 だが、現実は違う。ハルウララを4戦目にして未勝利戦でレコード勝ちさせ、先日は端午ステークスでレコード勝ちさせた。初勝利が4戦目になったものの、アクシデントがなければメイクデビューの時点で初勝利をおさめていたというのも信じ難い。

 

「報告ッ! たづな、君でも彼のトレーナーとしての手腕は理解できないのかっ?」

 

 ウマ娘の育成というものは、経験豊富なトレーナーでさえ万事が万事上手くいくということはあり得ない。しかし、チームキタルファのトレーナーの育成手腕が理解できれば、他のトレーナーの育成にも役立つ可能性が高いのだ。

 

 ()()()()()、やよいはチームを設立させた上で、たづなを補佐につけたのだが――。

 

「……現状では、なんと報告すればいいのか」 

 

 たづなは困ったように頬に手を当てる。

 

 チームキタルファのトレーナーの育成手腕自体は、際立って秀でているわけではない。担当ウマ娘の怪我を事前に防ぎ、調子の良し悪しを見抜く点に関しては優れているとたづなも思うが、彼よりも優れた育成手腕を持つトレーナーは何人もいると考えていた。

 

 しかし、ライスシャワーはともかくとして、ハルウララがあれほどまでに成長する秘訣は見えてこないのだ。

 

 チームキタルファのトレーナーはよく『残業をしてもいいか?』と口にする。それはつまり、残業しなければハルウララとライスシャワーの育成が間に合わない、他のライバルウマ娘の情報を揃えられないレベルの能力しかないということだ。

 

 もちろん、新人にチームの設立から運営まで託しているため、その辺りを差っ引いて評価すればそれなりに高い評価になる。だが、やよいからすれば、ハルウララがあれほどまでに成長する理由にはならないと思っていた。

 

「あくまで私見、ですが」

「拝聴ッ! 聞かせてくれっ!」

 

 たづなが戸惑うように言えば、やよいは勢い込んで頷く。やよいとてチームキタルファのトレーナーを評価しているが、トレセン学園という巨大な組織を運営する以上、他のトレーナーの成長にも役立ちそうな情報はいくらでも欲しかった。

 

「トレーナーさんとハルウララさん、ライスシャワーさんの間には、強い信頼関係があります。それはご理解いただけますね?」

「無論ッ! 素晴らしい関係だと思っているっ!」

 

 たづなの言葉を聞き、やよいは笑顔で頷いた。

 

 チームキタルファのトレーナー、ハルウララ、ライスシャワーの三人の間には、強い信頼関係がある。それもトレーナーとウマ娘の間だけでなく、ハルウララとライスシャワーの間にも強く深い絆が作られていた。

 

 ウマ娘と信頼関係を築くのは、トレーナーとして基本だ。トレーナーとして最低限の素養と言ってもいいかもしれない。

 

 トレーナーも生活がかかっているが、ウマ娘は人生がかかっているのだ。信頼できないトレーナーに自分の人生を預けようという酔狂なウマ娘は滅多にいないだろう。

 

 もちろん、出会ってすぐさま信頼関係を築けるかと言えば答えはノーだ。信用や信頼というものは時間をかけて積み重ねるものであり、一朝一夕で得られるものではない。

 中には一目惚れしたかのように惹かれ合い、好意のあとから信頼関係を築くパターンもあるが、それは数年に一組出るか出ないかというレアケースだ。

 

 だからこそ、ウマ娘達はチームリギルのように()()()()()()()()()チームに入りたがる。信頼関係を築くのには時間が必要だが、トレーナーの能力が高ければ強くなりやすいと考えるのも当然のことだからだ。

 

 それだというのに、新人トレーナーが滅多にないほど強固な信頼関係を築いている。それもやよいがチームキタルファのトレーナーを評価するポイントだった。

 

「あのトレーナーさんは、信頼関係を築いた上で深い愛情を持って接しています。だからこそハルウララさんもライスシャワーさんもトレーナーさんを信じ抜き、成長しているのかと……」

 

 たづながそう言うと、やよいは困ったように目を瞬かせる。

 

「……困惑ッ! 愛情とは……その、男女のっ!? ()()()()()になるトレーナーとウマ娘がゼロとは言わないっ! しかし、学園としては推奨しがたいっ!」

「落ち着いてください。私としても判断に迷っている部分なのですが、()()()()()()()()()()()落ち着いていると言いますか……ハルウララさんに対しても、ライスシャワーさんに対しても、娘か何かだと思っている可能性が……」

「驚愕ッ! わ、わたしはそういう経験がないからよくわからない……がっ! ハルウララはともかく、ライスシャワーは年齢差も大してないだろうっ! 娘っ!? 何故っ!?」

「それがわからないから私も判断がつかないんですよね……事前調査では一般家庭の生まれですし、幼少時からの素行も普通。ただ、周囲と比べると大人びた面があったという話ですが……」

 

 そう話しつつ、たづなは首を傾げる。

 

「トレーナーとの間に強い信頼関係がある場合、実力以上の力を発揮するウマ娘は珍しくありません。チームキタルファのトレーナーさんの場合、信頼関係に加えて愛情を持って接しているのが大きいのだと思います」

「愛情ッ!? よく、わからない……」

「その影響なのか特にハルウララさんが顕著なのですが、無垢な幼子(おさなご)が父親を慕うような感じで……()()()()()()()()()()()()()という安心感があるのも大きいのではないでしょうか?」

 

 それは評判が良い、実績があるトレーナーだから大丈夫だと信頼するのとは、似ているようで大きく異なる。この人なら守ってくれる、導いてくれる、()()()()()()()()()という思いがハルウララを安心させ、成長につながっているのではないか。

 

 そう結論付けるたづなに、やよいは頭痛を堪えるように眉を寄せる。

 

「結論ッ! つまり、担当しているウマ娘と深い信頼関係を築けて、なおかつ男女間のものとは別種の、家族愛のようなものを強く抱けるトレーナーならウマ娘を強くできるっ! ……本当?」

「本当かどうか、私が聞きたいのですが……難易度が高いのはたしかです。ライスシャワーさんに関しては、トレーナーさんに対して信頼を超えた感情があるようにも見えますし……」

 

 顔を見合わせるやよいとたづな。

 

 チームキタルファのトレーナーに対する評価は高いものの、何か変だな? という思いが二人の間に広がるのだった。

 

 

 

 

 

 ――同期の場合。

 

 トレセン学園にはチームキタルファというチームが存在する。そのチームを担当するトレーナーは現在2年目の、若手どころか新米としか言えないような男だ。

 

 2年目なのに新米なのか? という疑問の声もあるだろう。だが、ウマ娘の一人も育成し終えていないトレーナーなど、新米も新米。1年目のド新人と大差ない。

 

 それだというのに、チームキタルファのトレーナーは1年目でチームを設立することになった。ウマ娘の一人も育て上げていないトレーナーがチームを設立するなど、周囲から妬まれ疎まれてもおかしくはない。

 

 だが、不思議なことにチームキタルファのトレーナーの同期達は、大して不満を見せなかった。むしろ、『アイツ、今度は何やったの?』と顔を見合わせただけである。

 

 チームキタルファのトレーナー――いや、ハルウララのトレーナーは割と変人だ。

 

 様々な模擬レース、選抜レースに出たものの、ぶっちぎりでビリだったハルウララをスカウトしたという時点で既に変人扱いである。

 

 新人トレーナーである以上、可能な限り優れた才能を持っていそうなウマ娘をスカウトし、育てたいと思うのが普通だろう。1年目から盛大に躓けば、それ以降のトレーナー生活も躓き続ける可能性が高いからだ。

 

 しかし、ハルウララのトレーナーは何を思ったのか、ハルウララをスカウトした。そして一体どんな魔法を使ったのか、メイクデビューの時点でアクシデントさえなければ勝利していたと確信させるだけの実力をつけさせたのだ。

 

 結局は初勝利まで4戦かかったものの、初勝利がレコード勝ちである。アイツ何やってんだ、と同期達は思った。

 

 ただ、同期達の間で評判は悪くない。むしろ良いというべきだろう。同年代にも拘わらず落ち着いているところがあり、気が利き、ハルウララの育成に熱心だ。ただ、変人だ。

 

 一体何をどうすればそんな事態になるのか、ライスシャワーから逆スカウトを受けて菊花賞ウマ娘の育成を引き継ぐという事件も起きた。

 

 それからしばらくは、トレーナー用の共用スペースで徹夜する姿をよく見かけることになった。前日の夕方に退勤の挨拶をして別れ、翌日出勤して共用スペースに行ってみると、前日と同じ場所で夜通し作業をしていた、などということが多発した。

 

 同期達は心配し、何度か止めたものの、一秒でも早く情報をまとめることがライスシャワーにとっての最善になる、と押し切られてしまったのだ。チームキタルファのトレーナーはむしろ押し切った勢いで土下座して、芝のレースに出るウマ娘の情報をもらっていくような有様である。

 

 そして、ライスシャワーに有記念で勝たせた。トレーナーがライスシャワーを交えての模擬レースを企画したためその実力は知っていたが、数々の実力派ウマ娘を下したその走りに、レース映像を見ていた同期達は驚き、興奮したものである。

 

 そして年が明け、ハルウララとライスシャワーのトレーナーは、チームキタルファのトレーナーになった。繰り返しになるが、同期達は『アイツ、今度は何やったの?』と思ったものである。

 

 練習風景を覗いてみれば何故かハルウララと一緒に走っていたり、何故かハルウララやライスシャワーと調理室でハンバーグを食べていたり、ハルウララと一緒にライスシャワーを胴上げしていたりと、やっていることは変人のソレである。

 しかし、チームを設立すると聞いて、不思議と不満の声は出なかった。同期達の先輩からは不満の声が多く上がったが、何年、あるいは十何年とトレーナーをやっていてチームを設立できていない方が悪いのでは、という意見で一致した。

 

 同期の中でも男達は何かあれば一緒に飲みに行き、レースで勝ったからと奢られ、将来は奢り返す約束もしたからか、距離は近いしかなり気安い。バ鹿話もすればアホなこともする。そんな関係だ。

 

 同期の中でも数が少ない女性からは、『彼氏には選ばないけど友達としては全然OK。誘われたら休日に遊びに行ける。あと将来良い父親になりそう』なんて評価が出ていたりした。なお、女性陣の面子から桐生院葵は除く。

 

 ハルウララはダート路線、ライスシャワーはシニア級と、現状では自分達が育てているウマ娘とレースでぶつかることがほとんどないというのも打ち解けられた理由の一つだろう。

 

 同期達から見たチームキタルファのトレーナーは、変人で、気安くて――しかし、すごいと思える人物だった。

 

 

 

 

 

 ――桐生院葵の場合。

 

 その日、桐生院葵は朝から名状しがたい気分に襲われていた。

 

 前日の終業後に同僚のチームキタルファのトレーナーに誘われ、人生で初めてとなる異性と一対一での飲み会に行ったものの、そこで醜態――葵としては醜態としか言いようのないことをしでかしてしまったからだ。

 

 盛大に愚痴を吐き出し、酔い潰れ、目を覚ました時には同僚の自宅のベッドの上という、人生最大級のハプニングに見舞われたのがつい先ほどのこと。

 

 目を覚ますと見知らぬ天井が目に入り、何事かと思えばトレーナー業で普段着ている白いシャツが第二ボタンまで開いて胸元が見えており、ズボンもボタンが外れて脱ぎかけという、脳が理解を拒む状態だったのだ。

 

 酔った勢いで盛大にやらかしたのか、やらかされたのか。血の気が引いて気を失いかけたものの、どうにも様子がおかしい。寝ている時に寝苦しくて服を緩めた、という程度の衣服の乱れはあったが、それ以上は何もなかったのだ。

 

 体調も胸やけと軽い頭痛があったものの、それ以外は何も()()がない。気分はすっきりと晴れやかで、ここ最近胸の中を占めていた重苦しさが綺麗さっぱり消えていた。

 

「うぅ……わたしはなんてことを……」

 

 自宅に帰ってシャワーを浴び、下着から何から全て着替えた葵は、顔を真っ赤にしながら嘆くように呟く。

 

 昨晩の記憶は残っている部分と残っていない部分がある。

 

 今でもしっかりと覚えているのは、溜まりに溜まった愚痴を思いつくがままに吐き出したこと。聞く者によっては最初の10分で辟易してその場を立ちそうな愚痴を全て聞き、時には頷き、時には反論し、時には諫め、そして、叱ってくれたことだ。

 

『やっぱり偉そうなことを言わせてもらいましょうか……桐生院さん、あなたにとって実家や両親の教えって、ハッピーミークより大切にしなきゃいけないものなんですか?』

 

 そう言われて、葵は愕然とした。まったくもってその通りだと思ってしまった。

 

 普段ならば何かしら反論したかもしれないが、愚痴を全て吐き出したからか、チームキタルファのトレーナーの眼差しが真剣だったからか、葵としても意外なほどに、ストン、と胸の中にその言葉が入ってきたのである。

 

 その後も人生初となる酒を飲みながら愚痴を零し、泣き、最後には酩酊してしまった。まずいな、と思った時には既に遅かった。

 

 もしも――もしもの話ではあるが、チームキタルファのトレーナーがよこしまな目的で葵を酔い潰していたのならば、今頃どうなっていたか。

 

 葵が覚えているのは、困ったような、気遣うような男性の声。そして介抱のために自宅へと連れて行かれ、鍵を開ける際に抱きかかえられ、ベッドに寝かせる際に触れ合った感触が――。

 

「……腕、太かったな……男の人って、あんなにごつごつとした感じなんだ……」

 

 あまりよく覚えていないが、何故か強く記憶に残っている。葵から見ると同年代の男性の中でも落ち着きがあり、社交性も高くて紳士的に思えるチームキタルファのトレーナーが、想像以上に力強いことに不思議な感情が湧き上がった。

 

 同時に、夢うつつの中で優しく背中を叩かれて寝かしつけられたことに、妙な安心感があった。寝かされた布団からは自分のものとは違う、男性の匂いが感じ取れたが、不思議と嫌な思いはなかった。

 

(そういえば、その時何かあったような……ちゅ、チュウとか……言ってた?)

 

 そしてふと、記憶に引っかかるものがあって葵は瞬時に顔を真っ赤に染める。衣服の乱れは寝苦しさで着崩した以上のものはなかったが、キスならば痕も残らない。そこまで考えた葵はなんとなく――本当になんとなく、姿見で自分の口元を見る。

 

(ち、違うよね? でも、唇になにか感触があったような……違うよねっ!?)

 

 姿見の前でパタパタと手を振りながら、ますます顔を赤くする葵。ついでにしっかりと着たはずのシャツのボタンを外すと、首回りや胸元に何か痕が残っていないかを探す。

 

 しかし、何もない。そのことに葵は安堵した。同時に少し、ほんの少しだけだが、安堵以外の感情があった気もしたが――。

 

『俺が止めるのが遅かったってのもあるけど、次は酔い潰れないよう飲む量をセーブすること。俺と飲んでる時は酔い潰れても介抱するけど、あんまり隙が多いと悪い男に誑かされるからな?』

 

 そんな言葉が脳裏に過ぎり、はた、と気付く。

 

(あの人と一緒に飲んでいる時に酔い潰れても、また介抱してくれる……?)

 

 それは昨晩と同じように? などと考えた葵は再度顔の温度が急上昇するのを感じた。

 

「あわわっ……あうっ!?」

 

 言葉にし難い感情により、その場でバタバタと動き回っていた葵は足の小指を姿見の支柱にぶつけて思わずうずくまる。その際、手首に巻いた腕時計が目に入り、反射的に時間を確認して今度は顔色を真っ青にした。

 

「あっ……ち、遅刻しちゃうっ!」

 

 葵は急いで準備を整え、トレセン学園へ向かう。昨晩のことはひとまず忘れるとして、これからハッピーミークに会わなければならないのだ。

 

 ハッピーミークにこれまでの不手際を謝罪し、許してくれるならば、担当トレーナーとしてこれからも頑張っていきたい。そして今度こそ、ハッピーミークと二人三脚で進んで行くのだ。

 

(そうすれば、わたしもあの人みたいに強く……)

 

 トレーナーとして先に進んでいる、チームキタルファのトレーナーの顔を思い出しながらそう決意する。ただ、顔を思い出した途端、今朝のように砕けた口調で『それは良いけど、無理は駄目だからな?』という声が脳内で勝手に聞こえた。葵は思わず転びかけた。

 

 

 

 そして結果を端的に言うならば、葵はハッピーミークに許された。

 

 これからは互いに信頼し合い、少しずつでも前を向いて進んで行けるだろう。

 

 ただし、先日ハッピーミークのために購入した最新モデルのシューズは趣味に合っていなかったらしく、今度改めて一緒に買いに行くことになって密かにへこんだが――それも一つの前進なのだった。

 

 

 




おまけ

・チームスピカのトレーナーからの評価

トウカイテイオーの件で感謝しているし、見どころがあると思っている。というか、最早新人トレーナーではなく対等の競争相手と認識している。
「今度の宝塚記念ではテイオーとマックイーンが勝つからな!」

・チームリギルのトレーナー(東条ハナ)からの評価

昨年度入ってきた新人トレーナーの中では一番評価している。
チームスピカのトレーナーとバーで一緒に酒を飲んでいる時に、他所のトレーナーなのに無関係のトウカイテイオーが怪我をしないよう注意してくれたと嬉しそうに語ったことで注目するようになった。なお、お約束のように酒を奢る羽目になった。
エルコンドルパサーの件は()()()()()()()()()()とお手本を見せたつもりだったが、あとになって新人トレーナーに教える内容じゃなかった、と少し落ち込んでいた。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。