リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第46話:新人トレーナー、雨の夜に出会う

 さて、6月である。6月と言えば何があるか?

 

 ウララのユニコーンステークス、ライスの宝塚記念、他にもGⅠの安田記念などが開催されるが、この時期はトレーナーとして頭を悩ませる時期である。

 

 6月といえば何か――そう、梅雨の時期だ。

 

「ぬぅ……今週は向こう一週間雨マークかよ……」

 

 部室のテレビで天気予報を確認した俺は、思わずため息を吐きながら呟く。

 

 気温が上がり、なおかつ雨によってコースが重バ場と化す今の時期はトレーニングの内容に頭を悩ませる時期である。去年の今頃はウララの育成で頭を悩ませていた時期だが、今年はライスの育成も加わって余計に頭を悩ませている。

 

 ただ、去年と比べればかなりマシな状況でもあった。

 

 トレセン学園には練習用のコースだけでなく、室内練習場も存在するのだ。それもプールやスポーツジム、屋根付きのコースなど、種類も豊富である。

 

 しかし、去年は担当しているウマ娘がウララだけということもあり、それらの施設は使用できなかった。いや、使用しようと思えばできたのだろうが、有力なチームに使用の優先権が与えられていたため、その機会は終ぞ巡ってこなかったのである。

 

 様々な練習ができるとはいえ、室内ということは面積が限られている。そこにトレセン学園の2000人にもおよぶウマ娘達が一斉に押しかければどうなるか。それは火を見るよりも明らかだろう。

 

 だが、今年は違う。チームキタルファのトレーナーとして、大手を振って室内設備の利用申請ができるのだ。

 

 面映ゆい気持ちになるが、ウララとライスの戦績的にチームキタルファも有力チームの一つに数えられるようになってきた。そのため、利用申請が通りやすく、様々な設備を日替わりで使用することができるのだ。

 

 俺がこれまでそういった設備をあまり使用してこなかったのは、申請が通りにくかったというのが理由の一つだ。他にも、走るための筋力やスタミナをつけるのなら、実際にコースを走らせた方が有意義だと判断していた部分が大きい。

 

 もちろん筋トレなどはさせていたが、体に過負荷がかからないよう注意しつつ、適切な量しかさせていない。だが、雨が降り続いてコースでのトレーニングができないのなら、室内設備を利用したトレーニングも取り入れなければならないだろう。

 

(レースでバ場のコンディションが重バ場とか不良になる可能性もあるから、雨の中のトレーニングも取り入れるけどな……特に、ライスの場合バ場が悪いと負担が増えるし……)

 

 芝のコースの場合稍重程度ならまだしも、重バ場や不良にまで悪化すると芝が滑るため転ばないよう普段より力を込め、なおかつふんばるようにして走る必要がある。

 

 ダートの方は不良の方がタイムが伸びることが多いが、バ場の良し悪しは芝とダートのコースのように得意不得意が大きく出るため注意が必要だ。

 

 そのためウララとライスを敢えて雨の中で走らせて慣らしておく必要がある。ユニコーンステークスも宝塚記念も開催日はまだ梅雨が明けていないだろう。時期的に、最悪の場合バ場が不良かつ大雨の中で走ることもあり得た。

 

 ただ、雨の中で長時間トレーニングをするとそれはそれで体調を崩しかねないため、加減が必要だ。トレーニングだから雨合羽を着せて走らせても良いが、暑くて蒸れる上、レースでは雨合羽を着て走るわけにもいかないため差異が大きくてあまりトレーニングにならない。

 

 風邪をひかないよう注意しつつ、必要最低限の時間でしっかりとトレーニングさせる必要があった。風邪ならまだマシで、肺炎とかになったら洒落にならんしな。

 

 と、いうわけで、俺は部室に顔を出したウララとライスに今後の練習方法に関して説明したわけだが――。

 

「雨の中走るの? わー! たのしそー!」

 

 ウララは普段と違う環境で走れることにワクワクと笑顔を浮かべた。

 

「雨の中で練習するのは、ライスも構わないけど……着替えの準備が大変かも……」

 

 ライスは非常に現実的なことを口にする。言われてみればたしかに……レースと似た環境ってことで体操服を着せて走らせたとしても、走った後が大変である。

 

 梅雨の時期は洗濯物が乾きにくいしなぁ……ウララとライスは寮に戻れば洗濯機や乾燥機があるだろうが、他のウマ娘達との共用だし……。

 

「んじゃ、洗濯機と乾燥機を買うか。一体型のやつなら場所もそんなに取らないだろ」

 

 というわけで俺は解決案を提示する。練習に使うタオルとかも洗濯できるしな。今まではウララとライスが自分で使ったタオルは寮に持ち帰って洗濯していたが、部室でまとめて洗えば手間が省ける。

 

 あ、でも俺、ライスに一緒に洗濯しないでって……いやいや、だからそんな記憶はないぞ、うん。

 

「……洗濯機」

 

 俺の提案を聞いたライスが、ポツリと呟く。反対というよりは乗り気な感じの呟きで、何かを考えるように俯いていた。

 

「あとは……そうだな、雨の中で走るんだから、服の下は水着でいいな。トレセン学園指定の水着って頑丈じゃなかったっけ?」

 

 ウマ娘が使用するため、トレセン学園指定の衣服は大体が頑丈だ。水着も同様で、トレーニングに使用しても問題はないだろう。さすがにレース本番の時は仕方ないが、下着とかまで濡れると洗濯が大変だろうしなぁ。

 

「これからの時期はプールでの体力づくりも取り入れていくからな。ちなみに、二人とも泳げる……よな? 得意な泳ぎ方はあるか?」

 

 日本の学校は水泳を取り入れているから、大体の人間やウマ娘は泳げる。しかし中にはカナヅチという者もいるのだ。

 

「ビート板があれば泳げるよー!」

「ビート板かぁ……」

「バタフライが一番得意……かな」

「バタフライかぁ……えっ? バタフライ?」

 

 ウララはビート板を使用するようだが、ライスは得意な泳ぎ方がガチすぎる。あ、そういやこの子、トレーニングもレースもガチだったわ。

 

(水泳は全身運動だし、関節とかの負担もほとんどないし、真夏に泳げば気持ち良いし……うん、もっと取り入れるか)

 

 ただ、カロリーはきちんと取らないと冗談抜きで死ぬ危険性があるから注意が必要だ。

 

「あとはジムで筋トレしたり、ルームランナーで走ったりだな。筋トレはともかく、ルームランナーは走り方に変な癖がつくと困るから軽めにするぞ」

「はーい!」

 

 ウララは元気よく返事をするが、これはちゃんとわかっていない時の返事だ。ライスは何度も使用したことがあるのか、納得したように頷いている。

 

「よーし、それじゃあ今日もチームキタルファ、がんばるぞー!」

「おー!」

「お、おー」

 

 俺はウララやライスと共に拳を突き上げると、早速トレーニングに取りかかるのだった。

 

 

 

 

 

 そんなわけで、梅雨の時期のトレーニングに精を出す毎日である。

 

 雨が降ったら室内設備でウララとライスを鍛え、たまに雨が降る中コースを走らせ、商店街の電気屋で購入して運搬から設置までやってもらった乾燥機能付き洗濯機で洗濯物を乾かす日々である。

 

 満足のいくトレーニングを施せている、とは言い切れないのが悔しいところだが、それは他のチームやトレーナーも同じ条件のため愚痴を言っても始まらない。むしろチームを率いる立場ということで優先的に室内設備を使える分、有利と思わなければ。

 

 そうやって過ごしていたある日のことである。ウララとライスのトレーニングを終え、部室で残っていた仕事を片付けた俺は、長時間の残業にならない内に切り上げて自宅へ帰ることにした。

 

 今日も今日とて朝から雨模様で、部室を出ると傘を差して歩き出す。しとしとと、なんて風情のある雨の降り方ではなく、ザーザー降りの雨に明日は晴れてくれないかねぇ、なんて愚痴を零しつつ帰宅の途についていた――のだが。

 

「……ん?」

 

 雨の音に混じって、僅かに物音が聞こえた。それは部室近くの練習用のコースから聞こえてきたもので、本降りの雨の中で聞こえるのはさすがにおかしい。ちょっとした足音や走る音なら雨音で掻き消えるのだが、かすかとはいえ音が聞こえたのだ。

 

(聞き間違いか? それともまさか、こんな雨の中練習しているウマ娘がいたりして……)

 

 時刻は既に午後七時半になろうかとしている。夏至が近付いてきているため日が落ちるのも遅いが、天気が悪いため既に真っ暗だ。

 

 そんな中、雨に打たれながら走るウマ娘はいないと思いたい。雨音で走る音など掻き消えてしまうため、おそらくは気のせいだろう。そうは思ったのだが、どうせ大した手間でもないし、と俺は練習用のコースに足を向けた。

 

 聞き間違いでした、と明日の笑い話のタネにでもなればいい。いや、これからの時期だと笑い話どころか怪談になるかな、なんて俺は思っていたのだが。

 

「おいおい……本当にいるじゃねえか……」

 

 ナイター設備はあるものの点灯していないため真っ暗な練習用のコースに、薄っすらと人影が見えた。しかも、コース上でうずくまっている。

 

「おい! 大丈夫か!?」

 

 我に返った俺はすぐさま駆け寄って声をかけた。一体どこのウマ娘かは知らないが、自主トレーニングにしても程度ってもんがあるだろう。

 

 そう思った俺だったが、そこにいたのは思わぬウマ娘だった。

 

「……キングちゃん?」

 

 そこにいたのは、キングちゃんだった。

 

 一体いつから走っていたのか、着ている体操服はびしょ濡れかつ泥だらけで、顔や髪にも泥が付着している。コースに膝をついて息を荒げているキングちゃんは、俺の声に反応したのかのろのろと顔を上げた。

 

「あな、たは……」

 

 俺に視線を向けたものの、()()()()()()()茫洋とした瞳。雨が入ったのか、泣き腫らしたのか、目が真っ赤になっている。

 

 目を凝らしてみると、キングちゃんの手足が震えているのが見えた。疲労によるものか、雨に打たれたことによるものか、あるいはその両方か。

 

「っ! 何やってんだ!」

 

 俺は濡れるのにも構わずキングちゃんのすぐ傍に膝をつく。そしてキングちゃんの肩を掴んで揺らすと、キングちゃんは煩わしそうに俺の手を振り払った。

 

「どいて、ちょうだい……私は、まだ……」

 

 そう言って体をふらつかせながら立ち上がるキングちゃん。しかし体が言うことを聞かなかったのか、そのまま足から力が抜けて真後ろに倒れそうになる。

 

「っとぉ!? 危ないって!」

 

 明らかに動きが悪かったため注意していた俺は、すぐにキングちゃんを受け止めた。するとキングちゃんは体勢を立て直してから再び前へ進もうとする。だが、体が言うことを聞かないのか、今度は前のめりに倒れそうになり――ああもうこの娘はっ!

 

「きゃっ!?」

 

 すかさず駆け込んで再度受け止めると、背中に手を当てながら足払いをかます。そして膝裏に腕を差し込み、横抱きにして持ち上げた。

 

「なっ……は、離しなさいっ」

「離さんしこれ以上のトレーニングは許可できん。俺は君の担当トレーナーじゃないが、トレセン学園に所属するトレーナーだ。無茶をしてるウマ娘は止める義務があるんでね」

 

 そう言ってなんとか傘を拾い上げると、そのままコースに背中を向ける。ここからだと……保健室より部室の方が断然近いな。

 

 俺は傘の持ち手をキングちゃんに握らせると、そのまま部室へと連れて行く。キングちゃんは暴れようとしたものの、俺が怒りを込めた眼差しで見下ろすと視線を逸らして大人しくなった。

 

 俺はつい先ほど出たばかりの部室の鍵を開け、キングちゃんを連れて中に入る。雨が吹き付けて濡れ、泥だらけのキングちゃんを抱えたことで俺の服も泥だらけになったが……まあ、仕方ない。服の汚れは洗えば落ちる。

 

 俺はウララとライスをくつろがせるために購入したソファーにキングちゃんを下ろすと、大きめのタオルをあるだけ引っ張り出す。部室の明かりの下で見たキングちゃんは唇が真っ青になっており、ガタガタと体を震わせていた。

 

「拭けるか? というか、体操服を脱いだ方が良いな。脱げるか?」

「なっ!? ぬ、脱ぐわけないでしょう!? 何を考えてるのよおばかっ!」

「何言ってんだ。そのままじゃあ風邪を引くぞ。それにそんな格好で寮に戻るつもりか?」

 

 思ったよりも元気が良い。俺は色々と言いたいこと、聞きたいことがあったが、まずは濡れた服をどうにかする方が先だ。

 

 俺は自分用のロッカーから長袖のジャージを取り出す。そしてキングちゃんに放ると、部室の扉へと向かった。

 

「そこに洗濯機があるから、着ている服を洗うと良い。乾燥機能もついてるから、一時間もしない内に乾く。替えの服は俺ので我慢してくれ。さすがにウララとライスの服を勝手に着せるわけにもいかないしな……ああ、俺の服はちゃんと洗ってるからな」

 

 それだけ告げてから部室から出る。今からなら服を洗って乾燥させても、なんとか寮の門限に間に合うだろう。本当は寮に連れて行くのがベストなんだろうが……。

 

(寮に送ってはいサヨナラ、とはいかんよなぁ……)

 

 あー、と俺は呻くような声をあげる。ついでにスマホを取り出すと、アプリを起動してウララにメッセージを送ることにした。

 

『自主練してるキングちゃんを見つけたんで、ちょっと話してから寮に帰すわ』

『よかったー! キングちゃん、どこに行ったのかと思ったよー! トレーナーと一緒ならだいじょーぶだね!』

 

 うーん……ウララからの信頼が温かい……。

 

 ウララに部室まで来てもらうことも考えたが、キングちゃんの様子を見る限り、込み入った事情がありそうだ。そこにウララを呼んだとして、キングちゃんの態度が軟化するとは思えない。

 

 あ、ウララの服を借りていいか聞けば良かった……って、なんかそれ外聞がやばくね? どう聞けばいいの? それにキングちゃんがびしょ濡れで風邪ひきそうだから服を貸してって言ったらウララのことだ。絶対にすっ飛んでくるわ。

 

 俺がそんなことを考えていると、部室の扉が開いてキングちゃんが顔を覗かせる。きちんと俺の言う通りにしたのか、長袖のジャージの上下を着ていた。背丈の違いがあるからダボっとしているのは……ま、我慢してもらうか。

 

「……服、借りたわ」

「おう。体はちゃんと拭いたか? 髪は? ドライヤーもあるぞ」

「……大丈夫よ」

 

 先日、日本ダービーで見た時とは比べ物にならないほど落ち込んだ様子である。部室に入ると洗濯機が音を立てながら稼働していた。

 

 俺はキングちゃんを椅子に座らせると、電気ケトルを使ってお湯を沸かす。そしてコーヒーを淹れようかと思ったが、白湯のままでキングちゃんに渡した。

 

「ほら、飲みな。体が温まるぞ」

「……ありがと」

 

 本当は風呂にでも放り込んだ方が良いんだろうけどなぁ……さすがにトレーナー用のシャワー室を使わせるわけにもいかんし、ウマ娘用のシャワー室は既に閉まっている。

 

 俺も白湯を淹れると、とりあえず一口飲む。そしてジャージ姿のキングちゃんへ視線を向け、小さくため息を吐いた。

 

「それで? なんだってあんな真似をしたんだ?」

「別に……そういう気分だったのよ」

 

 そう言って、ぷい、と横を向くキングちゃん。そんなキングちゃんの姿に、俺は怒りを抱くよりも先に苦笑してしまう。

 

「どうしたキングちゃん。いつもより口が重そうじゃないか」

「ふんっ……そういう日もあるわ」

 

 拗ねたように言って白湯を飲むキングちゃん。水気を取って着替えたからか、白湯を飲み始めたからか、徐々に血色がよくなってきている。

 

「なるほど、大雨の中、雨に濡れて泥だらけになってでも走りたい日だったと?」

 

 俺がからかうように言うと、キングちゃんは小さく俯く。照れた、怒ったというよりも、言いたくないって感じだなこりゃ。

 

 キングちゃんを眺めながらそう考えた俺だったが、ふと、あることに気付く。

 

(あれ? そういや、面と向かって話すのってこれが初めてのような……)

 

 頻繁に電話していたせいか、こうして顔を合わせて話すのが初めてというのを忘れていた。というか、ある意味初対面の中等部のウマ娘相手に服を脱げと言ったトレーナーがいるらしい。うん、俺のことなんだが。

 

「……キングちゃん」

「……なによ」

 

 俺が真剣な顔になって呼びかけると、キングちゃんは少しだけそわそわとした様子で応じる。そんなキングちゃんの反応を見る限り、向こうも今の状況がおかしいと思っていない節がある。

 

「えー……今更だけどはじめまして。チームキタルファのトレーナーです。ウララがいつもお世話になっています」

 

 そう言って俺は頭を下げる。するとキングちゃんは呆気に取られたように目を見開いた。

 

「はじめまして? あなた、何を言って……」

 

 呆気に取られたキングちゃんだったが、途中から目付きを鋭くして怒りを露わにした。からかわれたと思ったのかもしれないが、俺の表情を見てキングちゃんは動きを止める。そして数秒ほど虚空を見詰めたかと思うと、小さく頭を下げてきた。

 

「そう……そうね、ええ、そうだったわ。はじめまして、ウララさんのトレーナー。あなたとは電話でよく話していたから、面と向かって話したことがないって気付かなかったわ」

「だよな。俺も今さっき気付いてビックリしたわ。この前、遠目にだけど日本ダービーで顔を合わせたからかねぇ……多いときなんて毎晩電話してたからなぁ」

 

 俺がそう言うと、キングちゃんの表情が僅かに強張った。それを確認した俺は、小さく肩を竦める。

 

「そう言えば、日本ダービーは惜しかったね。現地で見てたけど7着だったか」

 

 おそらく、日本ダービーに関連して何かあったのだろう。負けたことが悔しくて雨の中を走っていたのかもしれないが、それにしては少々常軌を逸していた。

 

 多分、日本ダービーで負けたこと以外にも、何かあったのだろうが……。

 

「……お世辞はよくってよ。負けは負け。それも着外なのだから言い訳のしようもないわ」

「オグリキャップもそうだったけど、仕掛けどころを間違えたね。キングちゃんの実力と脚質的に、もっと前に上がっていれば最後の直線でスペシャルウィークもオグリキャップも差せただろうに」

 

 キングちゃんは典型的な差しの位置に控えており、途中からスペシャルウィーク達先行集団に混ざって先頭を目指していたが、もう少し前の方にいればレースの結果も変わっていただろう。まあ、これは終わった後のたらればにしか過ぎないか。

 

 俺がそう言うと、キングちゃんは何故か愕然とした顔付きになっていた。そして信じ難いものを見るように俺の顔を見詰めてくる。

 

「あなた……私が日本ダービーで()()()()()と、本気で言っているのかしら?」

「ん? そりゃあ本気だけど……パドックでの様子も見たけど、あの日は調子が良かったよね? 良い顔付きだったし、体の仕上がりも良さそうだった。今になってIFの話をしても仕方ないけど……」

 

 いやもう本当に。負けたレースに関してどうこういうのは失礼だろう。だが、俺としてはもったいないと思ってしまうのだ。

 

 俺なら、キングちゃんをもっと前の位置に行かせた。仕掛けどころを見誤ってスペシャルウィークに差されたオグリキャップではないが、もう少し早めに仕掛けていればスペシャルウィークも押さえ込めたかもしれない、なんて思えるのだ。

 

「俺としては、日本ダービーはオグリキャップが本命、対抗バとして考えていたのがキングちゃんとスペシャルウィークでどっちも甲乙つけがたいなって感じでね。日本ダービーでオグリキャップと競って勝つ可能性があるのは、君とスペシャルウィークぐらいだと考えてたよ」

 

 そう言いつつ、俺は部室のテレビをつける。そして録画していた日本ダービーの映像を選択すると、再生した。

 

『先頭に立ったのはオグリキャップ! しかし3番スペシャルウィーク、6番キングヘイロー、8番ビワハヤヒデ、10番ハッピーミーク、12番ウイニングチケットも上がってきている! おっと、ここでシンガリにいた13番ナリタタイシンもスパートをかけ始めているぞ!』

『残り800メートルといったところですが、仕掛けるには少々早いようにも思えますね。各ウマ娘、スタミナがもつのでしょうか?』

 

 レース映像で実況と解説の男性の声が流れたタイミングで、俺は映像を一時停止する。

 

「ここだな。ここでスペシャルウィークの前につけていたら、勝負はわからなかったと思う。キングちゃんも割と早いタイミングで前に上がってきたけど、俺としちゃあもう少し早く……というか、オグリキャップをマークさせて、セイウンスカイをかわしにいったタイミングで一度仕掛けさせたかな」

 

 ライスの得意戦法を真似るわけではないが、キングちゃんは割と器用なウマ娘だと俺は分析している。

 

 皐月賞から日本ダービーの間に()()()()()()()()()()()()()()()()()()、日本ダービーもスタミナがギリギリもつだろうし、スピードも優れたものになっているはずだ。それになにより、苦しい状態でも顔を下げずにひたすら前を向く根性がある。それらがあればこそ、オグリキャップ相手でも勝てると思っていたのだ。

 

「セイウンスカイが逃げを選択した時点で、()()()()()()()が焦点だった。このレースだとセイウンスカイはペース配分をミスったわけだけど、オグリキャップが追走している時点で遅かれ早かれプレッシャーに負けていた可能性が高い。だから、オグリキャップをマークする、あるいは途中まで3番手の位置にいれば勝算が高かったと思う」

「この子……スカイさんは先行もこなせますわ。逃げなかった場合は?」

「その時もオグリキャップをマークさせたな。枠番と調子的に、スペシャルウィークでも良いか……セイウンスカイは素晴らしい逃げウマ娘なんだけど、パドックで見た時は調子が悪そうだったしね。1着は難しいと思ってたんだ」

 

 もちろん、言葉に出した通りセイウンスカイも素晴らしいウマ娘だ。ただし、日本ダービーの時は妙な固さがあった。

 

「ただ、キングちゃん……君の調子は良さそうだったけど、スタミナがもたなかったね?」

 

 そして予想外だったのは、キングちゃんの調子は良くてもスタミナが足りていなかったところだろう。皐月賞の走りを見た感じ、日本ダービーまでに十分仕上げてくると思ったし、仕上げられるだけの時間的余裕もあったと思うのだが……。

 

 俺の問いかけにキングちゃんは沈黙する。どこか悔しげに拳を握り締め、唇を噛み締めていた。

 

「いや、これはもしもの話だから、今になって言っても仕方がないね。あとになってなら誰にでも言えることだし」

 

 俺ならもっとスタミナをつけさせた上で日本ダービーに送り出しただろう。キングちゃんは短距離向きのウマ娘だと思うが、豊富なスタミナをつけさせればあとは持ち前の根性で中距離どころか長距離のレースだって問題なく走れるはずだ。

 

 だが、普段のノリで色々と話をしてしまったが、キングちゃんは他のトレーナーが担当しているウマ娘である。無理な自主トレーニングを咎める程度ならセーフだが、育成方針などに文句をつけるのはアウトだ。

 

 そのため俺は引き下がったのだが、キングちゃんはぽつりと呟く。

 

「でも……あなたは皐月賞の時、()()()()()()()()()じゃない……」

「んん? 事前にって……ああ、そういえば資料とか送ったっけ。アレもなぁ、送った後にやっぱり他所のウマ娘に過干渉しちゃったかなって焦ったんだよなぁ」

 

 セーフとアウトのラインが明確に定められているわけではないが、トレーナーによっては他のトレーナーが自分の担当しているウマ娘にアドバイスするのを嫌う者もいる。

 

 特に、経験年数の長いトレーナーほどそれが顕著だ。自分の育成スタイルを確立し終えたトレーナーからすると、そういった横槍は邪魔どころか害悪でしかないのである。

 

「えーっと……うん、思わずアドバイスしちゃったけど、忘れてくれ。俺が話をしたかったのは、なんであんな無茶な自主トレーニングをしていたかだよ。君のトレーナーも怒るだろうに」

 

 そう、俺が聞きたかったのはそこだ。キングちゃんの性格的に、あんな無茶なトレーニングはしないだろう。しかしそうしてしまうほどの何かがあったのか、ないと思いたいが担当トレーナーが許可を出したのか。

 

 これも過干渉だと捉えられそうだが、目の前で怪我をしそうなウマ娘がいれば、それを止めないトレーナーはいないのだ。

 

 そう思って問いかけた俺に、キングちゃんは泣き笑いのような表情を浮かべ。

 

「……私にはもう、担当トレーナーはいないわ……つい先日、私の担当を辞めたもの」

 

 そんな、俺にとって予想外のことを言うのだった。


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