リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第5話:新人トレーナー、叫ぶ

 ジュニア級メイクデビューはフルゲート9人で争われる、ウマ娘にとってのデビュー戦だ。ウマ娘にとっての晴れ舞台にして、競技人生最初の――中には最後のレースになるウマ娘もいる重要なレースである。

 

 当然ではあるが、同着にでもならない限り1着を取れるウマ娘はただ一人。勝利したウマ娘だけが上のクラスのレースに出走できるようになり、敗れたウマ娘は未勝利戦に勝てるまでクラスが昇格することはない。

 ウマ娘の中にはデビュー戦の時点で己の才能に絶望し、トレセン学園を去る者がいる。5着以内、すなわち入着ならばまだ芽があると言えるだろうが、デビュー戦で着外となると未勝利戦で戦っても勝てる可能性は低いだろう。

 

 9人中1人。デビュー戦を勝ち抜けるウマ娘は、今年デビューするウマ娘全体の1割と少しになる。そして、仮に勝てたとしてもそこから上のクラスで良い成績を取らなければ重賞などのレースには出走できない。

 他のスポーツでも言えることだが、要は他者を蹴り落としながら進むことになる。それを成せるだけの実力と才能があり、努力を重ね、更には運を味方にしなければ重賞には手が届かないだろう。

 

 俺はトレーナーになるための勉強として、様々なレースを見てきた。上はGⅠから下はメイクデビューまで、時代や条件を問わず様々なレースをだ。

 そこには重賞で常勝と謳われるウマ娘もいれば、毎回負け続けてしまうウマ娘もいた。しかし、重賞で負け続けてしまうウマ娘だったとしても、重賞に出走できている時点でごく一握り、ウマ娘としてはエリート中のエリートと呼べるほどの実力があるのだ。

 

 重賞とは比べものにならないほど小さな規模の、しかし、ウマ娘にとってもトレーナーにとっても重要なメイクデビュー。

 

 俺がウララが参加するレースとして選んだのは、ダートの短距離だ。ダートに限ればマイルも走れるウララだが、現状では短距離と比べるとかなり分が悪い。

 レースの開催場所は東京レース場、距離は左回りの1300メートル。ウララと同じように今年トレセン学園に入園したウマ娘の中でも、ダートの短い距離を得意とするウマ娘が参加するレースだ。

 

 ここ数日天候も良く、今日も雲一つない快晴である。バ場は良好で天候が良いというのはレースを走るウララにとって好材料だが、それは他のウマ娘にとっても同じだ。

 

(とうとうこの日が来たか……)

 

 ウララを連れて東京レース場を訪れた俺は、重賞のレースが行われるわけでもないのに次から次へとレース場に集まる観客達の姿を眺めながら内心で呟く。

 

 観客達にとってもメイクデビューは特別なレースだ。出走するウマ娘達はまだまだ未熟だが、これから先のレースで活躍するであろう有望なウマ娘が現れることを望み、期待に胸を膨らませている。その注目ぶりはウマ娘によるレースが国民的な娯楽として定着している証拠だろう。

 東京レース場の周辺ではまるでお祭りでもあるかのように屋台が建ち並び、焼きそばやたこ焼き等定番の商品が売られている。中にはウマ娘向けの人参ジュースや人参焼きも売られており、それらを買い求めるウマ娘の姿が散見された。

 

「はーい、安いよ安いよー。ゴルシちゃん特製焼きそばだよー。今ならなんと、1パック300円だよー」

 

 買う側だけでなく、売る側にもウマ娘の姿があった。長髪の綺麗な葦毛に、新人トレーナーの俺でさえ一目見ただけでわかるガタイの良さ。走ればさぞ強そうなウマ娘が焼きそばを売り歩く姿は、こちらの世界ならではの光景といえるだろう。

 

「わー……お祭りみたいだね、トレーナー!」

 

 隣を歩くウララは尻尾をブンブンと振り回し、今にも駆け出しそうな様子で周囲を見回している。今から本番のレースだというのに緊張している様子はなく、放っておけば屋台に突撃して好き勝手食べてしまいそうだ。

 

「何か買うのはレースが終わってからだからな? 腹いっぱい食べて走れません、なんてことになったら困る」

「うんっ! わたしね、今日のレースがすっごく楽しみだったんだー!」

 

 そう言ってウララは楽しそうにぴょんぴょんと跳ねる。緊張感が足りないように見えたが、緊張しすぎて実力を発揮できないよりはマシだろう。

 

 今日に至るまで、俺は可能な限りウララにトレーニングを積ませてきた。

 

 ダートコースを走らせるだけでなく、ウッドチップコースを走らせたり、坂路を走らせたり、プールを泳がせたり、筋トレをさせたり、柔軟で体を柔らかくしたりと、怪我をしないよう注意しながら少しでもスピードやスタミナが増すようウララを鍛えてきたのだ。

 ゲートからスタートする練習だったり、桐生院さんに必死に頼み込んでハッピーミークと併せて走らせたりと、本番のレースを見越したトレーニングも行っている。3着以上になった場合必要になるため、ウイニングライブのダンスも最低限ではあるが練習させてきた。

 

 誤算があるとすれば、良い方向で一つ。当初立てていた育成プランで予想していたものと比べ、今のウララの方が成長していることだろう。以前起きたウララのトレーニングドタキャン事件以来、ウララの成長力が増している気がした。

 それまでのウララもトレーニングに対して意欲的だったが、俺が課すトレーニングに文句ひとつ言わず、疑うこともなく、必死に励んできたのだ。

 

 また、俺が担当しているウマ娘がウララ一人というのも思わぬ利点があった。気付けば単純な話だったが、担当ウマ娘が一人ということはその一人だけにトレーナーとしてのリソースを全て注げるということである。

 複数のウマ娘を担当していればチャンスもその数だけ増えるかもしれない。しかし、数が増えればその分だけリソースが割かれてしまう。その点、俺はウララの育成だけに力を注げた。それによって当初の想定よりもウララの成長が見られたのだ。

 

 トレセン学園でもトップチームのチームリギルでは東条トレーナー指導のもと、十人以上のウマ娘を同時に育成しておきながら様々な重賞で1着を搔っ攫っている。そんな化け物みたいな育成手腕を持つ東条トレーナーと比べれば微々たる力だが、俺は自分にできる限りのことをしてウララを育成してきたつもりだ。

 

 その集大成が今日、レースの着順という形で明らかにされる。俺のトレーナーとしての育成の結果が、明確な形として現れる。

 

 俺は楽しそうに笑うウララの隣で、ぶるりと体を震わせた。それは武者震いというべきものか、あるいは別の感情によるものか。

 

「コラァ! ゴールドシップ、お前屋台の人に迷惑かけちゃ駄目だろうが! せめて売り子はうちの模擬レースだけにしてくれ!」

「うわやっべ!」

 

 背後から先輩トレーナーと先ほどのウマ娘の声が聞こえた気がしたが、今の俺に振り返ってそれを確認する余裕はなかった。

 

 

 

 

 

『さあ、続きましてのレースは第5レースになります。新たなスターの誕生が期待されるメイクデビュー。ダートの距離1300、バ場状態は良と発表されております。出走するウマ娘は9人となります』

 

 そしてとうとう始まったウララのデビュー戦。東京レース場に響き渡る男性実況の声に耳を傾けながら、俺は腕組みをしてウララの様子を観察する。

 

 普段の練習用のジャージとは異なり、今日のウララはゼッケンが縫い付けられた体操着にブルマという格好だ。他のウマ娘と違って頭には赤いハチマキを巻いているが、メイクデビューに出走するウマ娘は揃って体操着にブルマもしくは短パン姿である。

 

 コースに最も近い観客席の最前列からは、ウララだけでなく他のウマ娘達の様子もよくわかった。出走するウマ娘に関しては事前にわかっていたが、ハッピーミークのように面識があるウマ娘はいない。

 

 それでも情報を集めたところ、半数はウララよりもラップタイムが良いウマ娘だった。ウララだけを集中して育てられる環境だというのに、タイム上の実力は精々真ん中付近というのが泣けてくる。

 しかし、様子を見ている限りほとんどのウマ娘が緊張している。いくらトレーニングを積んできたとはいっても、本番のレースは全員初めてなのだ。これからの競技人生を占う大事な一戦ともなれば、緊張するのは当然だろう。

 

 緊張していないのはウララぐらいで、普段通りの笑顔で観客席に向かって手を振っているほどだ。

 

「あっ! トレーナー! わたしがんばるから見ててねっ!」

 

 俺に気付いたウララが手を振ってきたため、俺も苦笑しながら手を振り返す。周囲の観客からは温かい視線が向けられている気がしたが、さすがに確認する度胸はない。

 

「ウララちゃん頑張れー!」

「応援してるからなー!」

「わーい! ありがとー!」

 

 だが、聞き覚えのある声が飛んできたためそちらには視線を向ける。するとそこには数人だが商店街の面々の姿があり、俺は少なくない驚きを覚えた。さすがに見知った顔全員というわけではないが、八百屋の店主などが駆け付けたようだ。

 

(ウララのトレーナーとしては嬉しいけど、お店は大丈夫なのか?) 

 

 レース前のため声をかけることはしないが、目が合ったため感謝を込めて頭を下げておく。そして頭を上げると、俺はウララが走るレースの出走表を胸ポケットから取り出した。

 他のウマ娘の実力もそうだが、ウララにとって不利な条件がそこには記されているのだ。

 

「あのハルウララって子、明るくて元気が良いけど1枠1番か。芝なら好材料と言えるかもしれないけど、ダートだと厳しいかもしれないな」

「どうした急に」

「芝のコースなら内枠が有利だと言う人も多い。でもそれはある程度距離が長いレースの話であって、短距離やダートだと不利になることが多いんだ」

「確かに。ダートの場合内枠だと砂をかぶる危険性があるからな。外枠ならその危険性も低いから、外枠の方が有利か」

 

 俺は近くの観客が話す言葉に耳を傾けながら、出走表に視線を落とす。そこには今しがたの観客が語った通り、1枠1番にウララの名前が記されていた。

 

 レースでは枠番が割り振られるが、芝やダート、走る距離によって内枠有利と言われたり、外枠有利と言われたりする。

 

 今回のウララは1枠1番のためコースの最も内側からのスタートになるが、コースの外側からスタートする形になる外枠のウマ娘と比べ、走る距離が短くなるという意味では有利だった。

 ただし、ダートコースの場合内枠は跳ね上がった砂をかぶりやすい。スタートダッシュを決めて逃げに徹するウマ娘ならば関係ないだろうが、ウララの場合は差しで戦うため砂をかぶる危険性があった。

 

(砂に注意するよう、ウララには伝えてある……あとは本番でどうなるかだ)

 

 ウマ娘はスポーツマンシップに則って正々堂々戦う者が多いが、中には狙って後方のウマ娘に砂をかけたり、酷い時には体当たりを仕掛ける者もいる。

 メイクデビューでそのようなダーティプレイを仕掛けてくるウマ娘はいないと思うが、わざとじゃなくても偶然砂が飛んでくる可能性はあるのだ。

 

『1枠1番ハルウララ、笑顔と共にゲートイン。人気は6番人気とやや下位に位置しますが、パドックでも常に笑顔が目立った明るいウマ娘です』

『緊張をしているようには見えませんねぇ。後に重賞を制するようなウマ娘でも、大抵のウマ娘はメイクデビューでは緊張するものですが……』

『今回が初のレースとなりますが、観客席からは早くも応援の声が飛んでおります。その声援に応えることができるのか。続きまして、2枠2番――』

 

 ファンファーレが響いた後、実況アナウンサーと解説による短いながらも各ウマ娘の紹介を挟みつつ、それぞれがゲートに入っていく。それと同時に観客の声も静かになり始め、出走の時を今か今かと待ち望んでいた。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 俺は笑顔を浮かべながら身構えるウララを、じっと見つめる。ワクワクと楽しげな、今にも駆け出しそうなウララの顔を。

 

 一瞬の静寂がレース場を満たし――バタン、という音と共にゲートが開く。

 

『さあ、ゲートが開いた。各ウマ娘、揃って綺麗なスタートを切りました』

 

 ウララのスタートは上々だった。出遅れることもなく、他のウマ娘とほぼ同時にゲートを飛び出すことに成功する。しかし戦法の違いによるものだろう、最も内側を走るウララの行く手を阻むように、一人、二人とウマ娘が姿を見せる。

 

(逃げが1、先行が3……いや、4人か? 差しがウララ含めて3人……追い込みが1人……)

 

 俺は各ウマ娘達がどのような位置取りをするかを確認し、内心で呟く。それと同時に舌打ちしたい気持ちになった。

 ウララの行く手を阻むように先行組が陣取っているが、数が多いと抜け出すのも一苦労である。

 

『先頭を駆けるのは6番チーフパーサー、続いて2バ身開き3番リードノベル、4番グリーンシュシュ、5番ミニデイジーが争うように2番手争い。少し遅れて9番キンダーシャッツ、更に2バ身ほど下がって1番ハルウララ、8番ワイズマンレンズ、2番フューダルテニュアが中団を形成、最後方に7番ベータキュビズム』

(よしっ! 良い位置だ!)

 

 中団の先頭を走るウララの姿に、俺は小さくガッツポーズを取る。周囲を他のウマ娘に囲まれておらず、先を進むウマ娘達の位置も確認できる絶好のポジショニングだ。

 

 ウマ娘達は最初の直線を抜けてコーナーに突入する。ウララを含めてそれぞれが細かい位置調整を行い、膨らみ過ぎないよう注意しながらコーナーを駆けて行く。

 

『大ケヤキを抜け、4コーナーへ! 先頭は変わらず6番チーフパーサー。リードノベル、ミニデイジーが追いすがる! グリーンシュシュはやや下がって4番手! キンダーシャッツはやや外側へ膨らんでしまったか!? その内を突くようにしてハルウララに率いられた中団が進んでくる!』

 

 実況の声を聞きながら、俺はウララが駆ける姿を見詰め続ける。コースの内側を走り続けているが、差しウマ娘としてはほぼ理想的な展開だ。

 欲を言えば最終直線で抜くために位置取りを気にしてほしいが、ウララはコーナーで外に膨らまないことに意識を向けているのだろう。ハッピーミークと併せて走った際の経験が活きているのかもしれない。

 

『コーナーを抜け、先陣を切ったのは6番チーフパーサー! 相変わらず逃げ続けているが2番手との差は2バ身に縮まっているぞ! このまま逃げ切ることができるのか! それとも追い抜くかリードノベル!』

 

 俺は拳を握り締め、力を込める。もうじき夏が訪れるからか東京レース場は暑く、握った拳の内側がすぐに汗ばむほどに眼前のレースは熱い。

 

 そうだ、これだ、これなのだ。

 

 周囲に成績で抜かれ始めた中学時代、焦燥感に駆られた俺の意識を一気に変えたもの。それこそがウマ娘の走る姿であり、今、俺が育てているウマ娘が観客の声援を浴びながらコースを駆けて行く。

 

「行け……」

 

 気が付けば、俺の口から声が漏れていた。走っているウララにはどうせ聞こえないからと、仮に聞こえても集中を乱してはまずいと思って閉じていた口が、勝手に開いていた。

 

『残り400を切りました! 誰が抜け出しておおっと! 内を走っていたハルウララ、ここで加速します! 5番手から3番手に上がってきた! ミニデイジーに並んだ! このまま先頭を捉えることができるか!?』

 

 最終直線、そこがウララの本領を発揮する場所だ。コースの内側を走り続けたウララの表情にはまだまだ余裕があり、笑顔がある。

 

「行け……行け……」

 

 握った拳から軋むような音が響く。心臓が高鳴り、激しく脈を打つ。全身をドクドクと音を立てながら血が駆け巡っていく。

 

『内側を突き進むハルウララ! リードノベルを捉えにかかる! しかしリードノベルも加速する! 先頭のチーフパーサー苦しいか!? 後方の二人との差は既に1バ身しかない! 残り200メートル! どうだ!? 逃げ切れるのかチーフパーサー!』

 

 実況の声にもどんどん熱がこもり、観客のボルテージも上がっていく。それぞれが思い思いの声を出し、ウマ娘達に熱い声援を送る。

 

「ウララ! 行けええええええええぇっ!」

 

 それにつられたのか、思わず俺も叫んでいた。喉が裂けても構わない、それでもこの声援が届けと声を張り上げた。

 

 そうだ、やっぱりウララは――ハルウララはすごいウマ娘なんだ。

 

 このペースならば2番手を抜き去り、先頭を走るウマ娘を差し切り、先頭を駆けてゴールを通過すると確信できる。

 重賞ではない、出走するウマ娘全員にとって初のレースになるメイクデビュー。それでもこれほどまでに俺を熱くさせる。

 

 それほどのウマ娘の育成に携われているという幸運。これまでのトレーニングに文句の一つも言わずについてきてくれたウララへの感謝。

 

 出会って三ヶ月にも満たない付き合いだが、ウララも俺のことを信頼してくれているのだろう。俺の声援が聞こえたようにウララは目を大きく見開き、口元に大きな笑みを浮かべて地面を駆ける足に力を込めた。

 

 残り150メートルもない。ウララは既に2番手まで上がっている。あとは先頭のウマ娘を抜き去るだけで。

 

「――え?」

 

 ウララの体が、不意にコースの外側へとヨレた。俺がそれを理解するのに要した時間は数秒だったが、そんな俺よりも早く、実況が悲鳴のような声を上げる。

 

『これはどうしたことだ!? 1番ハルウララ、ここで大きくヨレて減速した! 砂が顔にかかってしまったか!? 目を押さえている!』

 

 実況の声が俺の耳を通り、そのまま理解できない頭から抜けていく間。後方を駆けていたウマ娘達がヨレたウララを避けるようにして次から次へと進んで行く。

 

『先頭のチーフパーサーが逃げる! リードノベルが追いすがるがチーフパーサーが逃げる! ベータキュビズムが追い込んでくるが届く――ぁない! チーフパーサー! チーフパーサーが僅かにリードを守り切って今、ゴール!』

 

 実況の声が、どこか遠くに聞こえる。

 

『そのままベータキュビズムがゴールに飛び込む! 続いてリードノベル! 僅かに遅れてミニデイジー! ハルウララは大丈夫か!? やや斜行しているぞ! ワイズマンレンズ、フューダルテニュアがゴールを通過した!』

 

 ウララは目を擦りながらも、懸命に前を向いて走る。しかし一度失速した影響か、後ろから来たウマ娘達が次から次へとゴールしていく。

 

『最後にハルウララ! 今、ハルウララがゴールしました! 目を擦っているが大丈夫か!?』

 

 結局、ウララがゴールを通過する頃には他のウマ娘達は全員ゴールしてしまっていた。俺がそれを呆然と眺めている間に着順掲示板が光り、着順を表示していく。

 

『着順が確定しました。1着は6番チーフパーサー、勝ち時計は1分16秒62。2着はクビ差で7番ベータキュビズム、3着1バ身差で3番リードノベル、4着2バ身差で5番ミニデイジー、5着にハナ差で8番ワイズマンレンズが入りました』

『最初から最後まで逃げ切ったチーフパーサーが見事でしたね。ただ、あと少しというところまで追い上げていたハルウララにアクシデントがなければ結果は変わっていたかもしれません』

『目に砂が入ったようですが、ハルウララは大丈夫でしょうか? ひどくなければ良いのですが……おっと、ハルウララ、笑顔で観客席に向かって両手を振っています。どうやら大丈夫のようです』

『アクシデントで最下位に沈みましたが、良いレース展開でした。1着を取ったチーフパーサーもそうですが、今後に期待ができるウマ娘ですね』

 

 実況と解説がウララに関して触れ、好意的な発言をしている。しかし俺の視線は着順掲示板に向いており、1着から5着まで何度も何度も、『1』の文字がないことを確認していた。 

 

(ウララの番号は……1番は……ない? なんで?)

 

 おそらく今の俺は、前世含めて最も混乱している。生まれ変わった時でさえここまで混乱することはなかっただろう。

 

 途中までは勝っていたレースだった。最後の直線で差しにいったウララの足は、間違いなく先頭を捉えていたはずだ。

 

 それが一体何の因果か、9人中9着という結果になってしまった。おそらく、先頭を走っていたウマ娘も狙って砂を飛ばしたわけではないだろう。あと少しでゴールという状態で、後方を走るウララ目掛けて砂をかけるような器用な真似ができるとは思えない。

 

 実際、1着を取ったチーフパーサーは何が起きたのかわからないような顔でウララを見ている。2着以下に入ったウマ娘達も、落ち込んだ顔をしつつも怪訝そうにウララを見ている者が多かった。突然の出来事だったため、何故ウララが突然ヨレたのかわからないのだ。

 

(ま……けた、のか……)

 

 ウララが、俺でも知っているようなハルウララが負けた。

 

 それでも1着のウマ娘を除いて落ち込んだ様子の周囲のウマ娘と違い、ウララは観客席に向かって笑顔で手を振っている。その顔は、普段俺が見慣れた笑顔だ。負け惜しみでもなく諦めでもなく、今のレースが楽しかったのだと心底から笑っている。

 

 そんなウララの姿を数秒見つめた俺は、よく晴れた青空を見上げるようにして天を仰いだのだった。

 

 

 

 

 

「あっ! トレーナー!」

 

 レースが終わり、更衣室で着替えたウララが俺のもとへと駆け寄ってくる。レースが終わったということでオーバーオールの私服に、体操着が入ったバッグを背負った姿だった。

 

「……ウララ、目を見せてみろ」

 

 この時、俺の中には様々な感情が渦巻いていた。それでもトレーナーとして優先するべきことがあると理性が訴え、まずはウララの診察を行う。

 

 俺はウララの頬に手を添えると、親指で下まぶたを軽く下へと引く。そして両目の様子を観察していく。

 

 ウララの目が赤くなっている――が、それは泣き腫らして赤くなったものではない。単に砂が入ったことで赤くなっているだけだ。

 

 俺はポケットからウマ娘用の目薬を取り出すと、上を向かせてから点眼する。ウララは目薬をさすのが下手で、自分でさそうとすると目を閉じてしまうのだ。

 

「うー……すっごくしみるー」

 

 目薬をさされたウララはくすぐったさでも感じているかのように笑う。

 

 ダートを走る以上、多少の砂埃が目に入るのは仕方ないところがある。ウララもそれは理解しているし、こうして目薬を常備しておく程度には日常茶飯事なのだが、理解していてもなお、目を閉じざるを得ないほどの砂が目に入ったのだろう。

 

 差そうと全速力で駆け出した矢先に砂が眼球に直撃すれば、誰でも怯む。驚いて転ばなかっただけまだマシと言える。ウマ娘が全速力で駆けている最中に転べば軽い怪我では済まず、裂傷や骨折――下手すれば死亡することもあり得るのだから。

 

 目の充血だけでなく、他に怪我がないかを確認した俺はほっと息を吐く。そして、僅かに迷ってから口を開いた。

 

「ウララ……レースはどうだった?」

 

 俺がそう尋ねると、ウララは目元を拭いながら笑顔を浮かべる。

 

「すっごく速く走れたし、楽しかった! レースって楽しいね!」

「そう、か……」

 

 ウララの返答を聞いた俺は、全身がずしりと重くなるような感覚がした。そしてなんとはなしに視線を彷徨わせてみれば、今日のレースに出走したであろうウマ娘の姿が見える。

 

 きっと、負けてしまったのだろう。そのウマ娘は人目もはばからずに泣きながら歩いていた。その隣に担当トレーナーらしき人物の姿がないのが気になったが、俺の思考はすぐに別のことへと流れる。

 

 あのウマ娘とウララの違いはなんだろうか。負けて泣くウマ娘と、負けても笑うウララの違いは。

 

「でも……」

 

 悔しくないのか、と尋ねるよりも先に、ウララが言葉を放つ。

 

「あともうちょっとで勝てると思ったのになー」

「ッ……」

 

 ウララの言葉に、俺は口から出かかった言葉を飲み込む。ウララの表情は普段通り笑顔だったが、それが少しだけ暗く見えたのは俺の錯覚か、あるいは願望によるものか。

 

 そうだ、先ほどのレースは勝てていた。砂が目に入りさえしなければ、ウララは1着を取れるだけの走りを見せてくれた。

 

 差しウマ娘としてほぼ理想的なレース展開だった。あともう少しで勝てていたのだ。ウララはこれまでのトレーニングの成果をしっかりと見せてくれた。

 だから、今回のことで悪いと言えることがあるとするならば、それは運の一言に尽きるだろう。最初の一歩でつまづく形になったが、ウララの走りは希望が見出せるものだった。

 

(次だ……次のレースはウララを勝たせてみせる……)

 

 ウララは――ハルウララは、勝てないウマ娘なんかじゃない。

 

 それならば、勝てるようにするのがトレーナーである俺の仕事だ。ウララは負けても笑顔を浮かべるウマ娘だが、それとは別に速く走りたい、レースに勝ちたいという思いがあることもたしかなのだから。

 

「ふぅ……よし! それじゃあウララ! 次回のレースでは勝てるよう、明日からまたビシバシいくぞ!」

「うんっ! よーし! がんばるぞー!」

 

 ウララと共に気合いを入れ、俺は拳を突き上げる。次こそは必ずウララを勝たせてみせると、新たに誓いながら。

 

 

 

 ――俺が未勝利戦の厳しさを知るのは、まだ先のことだった。


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