リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
「……私にはもう、担当トレーナーはいないわ……つい先日、私の担当を辞めたもの」
泣き笑いのような表情を浮かべてそう話すキングちゃん。俺はそんなキングちゃんの言葉に、思わず顔をしかめていた。
「君の担当を辞めた? 冗談だろ?」
キングちゃんがわざわざそんな冗談を言うとは思えない。だが、キングちゃんは優れた資質を持つウマ娘だ。そんな彼女を手放すトレーナーがいるとは思えないし、思いたくない。
しかし、そんな俺の言葉が癇に障ったのか、キングちゃんは整った顔立ちを盛大に怒りの感情で歪めた。
「私がこんなことを冗談で言うと思っているのっ!?」
「……思わんよ。だが、信じられねえってのが正直なところだ」
俺は椅子に腰をかけると、背もたれに体重をかけてギィ、と鳴らす。そして足を組んで天井を見上げながら考えるが……わからん。
「うん……わからん。君の担当を辞める理由が俺にはわからん……君は同世代の中でもトップクラスの才能と実力があるウマ娘だ。それなのに投げ出す? 意味がわからんぞ……」
他のトレーナーが聞いても同じことを言うだろう。そして金の卵が転がっているぞ、と殺到して拾い上げるに違いない。そんなキングちゃんの担当を辞める理由ってなんだ?
「……あっ、もしかして産休に入るとか?」
「それなら私も何も思わないわよっ!」
「じゃあ、何か病気でも患った?」
「ウマ娘を担当できないぐらい重病なら私が病院に叩き込むわっ! はったおすわよ!」
いかん、キングちゃんが怒り心頭なご様子だ。でも、そういった
「なら余計にわからん……何があったんだ?」
俺が心底からの疑問を込めて尋ねると、キングちゃんは言葉に詰まった。しかし、怒鳴ったことで心の壁が崩れたのか、深々とため息を吐いてから言う。
「別に……私は
「ふむ……」
キングちゃんからのプレッシャーに耐えかねた、のか? もっと上手くやれ、もっとすごいトレーナーになれ、とケツを蹴られまくったと思えばキングちゃんの担当を辞めたことにも納得できる……わけ、ないんだよなぁ。
「いやいやいや……うっそだろ。目標があるウマ娘の育成を諦めるとか……うっそだろ」
俺は顔の前で手を振り、ないない、と否定する。
ウララを強くしたい、でも強くしてやれない。そんな自分の力不足を嘆いて奮起することはあっても、手放すなんてことは絶対にしないししたくない。ウララの方から俺に育成されるのが嫌だって言われたら……泣く泣く、号泣しながら、三日ぐらい待ってもらってから受け入れるけど。いや、やっぱり断固として拒否するわ。
そんなわけで、キングちゃんほど性格良くて才能あって意志が強くて実力も高いウマ娘の育成を辞める理由が俺には本当にわからなかった。いや、本当になんで?
「ちょっとあなた! 真面目に聞いているの!?」
「聞いてるよ。で、聞いてるからこそ余計にわからないんだって……いや、本当、なんでなの?」
俺は椅子から立ち上がり、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れる。
「飲む?」
「本当にちゃんと聞いてる!? 飲むわ! 飲むわよ!」
「あいよ。ミルクと砂糖は?」
「1つずつ!」
俺はコーヒーを淹れると、キングちゃんがオーダーした通りにミルクと砂糖を入れる。そしてキングちゃんに差し出すと、キングちゃんは一口飲んで目を丸くした。
「あら、美味しいじゃない……って、違うわ! もうっ! もうっ! おばかっ! あなたから聞いてきたんでしょう!?」
「うん、俺から聞いたよ。でもなぁ……ほんっとに理解できなくてなぁ」
俺はブラックでコーヒーを飲み、少しでも精神を落ち着けようとする。あー、この苦みが思考をクリアにしてくれますわ。
「トレーナーに一流であることを求めたって、キングちゃん、何したの?」
俺はとりあえず、原因がどこにあるのかを探ることにした。すると、キングちゃんは言葉に詰まったように視線を彷徨わせる。
「大したことじゃないわ……私は一流のウマ娘、に、なるから……それに相応しいトレーナーとして在れるよう、精進しなさいって言い続けただけよ」
「うん、本当に大したことじゃないな。それなら悪いのはトレーナーの方か……キングちゃんのトレーナー、誰だったっけなぁ」
たしか、先輩トレーナーが務めてた気がするんだが。育成手腕は……評判はそれなりに良かったはずだけどなぁ。
俺は何か言いたげなキングちゃんの視線に気付くと、今しがたのセリフを脳裏に思い浮かべる。というか、さっきから気になってたんだ。
「キングちゃん、君は一流のウマ娘になるっていうけど、既に一流だろ? というかどうしたんだ? 以前は自分は一流だって言ってたじゃないか」
「……え?」
ぽかん、と口を開くキングちゃん。はしたないですわよ、って、これキングちゃんに言ったら怒られそうだな。
「でも……私は皐月賞で負けたし、日本ダービーでも負けたわ」
「そうだねぇ。でもいいかい、キングちゃん。皐月賞や日本ダービー……
そう言って、俺は椅子から立ち上がる。そしてホワイトボードの前に移動すると、ペンを握って文字を書き始めた。
「クラシック級だけでざっと700人弱。んで、芝とダートにわかれるけど、大体のウマ娘が芝に行って……500人以上600人未満ってぐらいか」
こういうのってトレセン学園の授業でも習うよね、なんて言いながら俺は言葉を続ける。
「メイクデビュー、未勝利戦、オープン戦、GⅢ、GⅡ、そしてGⅠと……キングちゃんはここ、頂点のGⅠで戦ってるわけだ。ここまではオッケー?」
「そんなわかりきったことを――」
「で、今の時期になっても未勝利戦で走り続けているウマ娘がいるし、そもそも1勝も出来ずに引退したり、故障で引退したり、地方に移籍したりする子もいるわけだ」
俺はキングちゃんの反発を敢えて無視して話を続けた。
「キングちゃんはたしか、現時点で7戦3勝だったっけ。メイクデビュー、オープン戦、GⅢの……なんだっけ? 東京スポーツ杯ジュニアステークスで1着だったよね? しかもレコード勝ち」
「それは……そう、よ」
「初めて出走したGⅠ、ホープフルステークスで2着。GⅡの弥生賞で3着、GⅠの皐月賞で3着……先日の日本ダービーが7着だったけどね」
この辺りの情報は以前調べたものだ。キングちゃんに渡した情報に、キングちゃん自身の情報も含まれていた。
そして、これらの戦績を見て思うのはただ一つ。
「君はもう、一流のウマ娘だよ」
間違いなく、トレセン学園のクラシック級ウマ娘の中でトップクラスの存在だ。一握りどころか、一つまみ程度にしか存在しない、優れたウマ娘なのだ。
――これを一流と言わず、何を一流と言えば良いのか?
俺がそう伝えると、キングちゃんは言葉を失ったように沈黙している。だが、だからこそ、俺は解せないのだ。
「そんな風に君を育てたのは、その元……っていうのはアレだけど、元トレーナーだ。それなら十分一流なんじゃないか?」
今年に入ってからは1勝もできていないが、十分に優れている戦績だろう。それだというのにキングちゃんの担当から降りた理由が、俺には本当にわからないんだ。
他に理由があるとすれば……キングちゃんの口振りだと、性格の不一致だろうか。でも、俺からすると自分が担当しているウマ娘が『こうしてほしいっ!』なんて言ってきたら喜んじゃうんだけどなぁ。
たとえば、ウララに『トレーナー、もっとしっかりしてほしい』とか言われたら、最近気が緩んでいたのか、何か抜けていた部分があったのか、と己を改めることができる。
ライスに言われたら、俺よりも一年間だが長い間レースの世界に身を置いた相手の言葉だ。参考になる、勉強になるなぁ、とありがたく思う。
というか、だ。
「あと、キングちゃんが一流のトレーナーになるよう言ったってことは、
まあ、言い方を変えると『あなたは一流じゃない』と言っているようなもんだから、人によっては受け入れられないか。
俺としては、キングちゃんからの『一緒に一流の存在になろう』という発破にしか聞こえんが……そのあたりの誤解を解いたら、案外上手くいくのでは?
俺はそういった疑問をキングちゃんにぶつける――と、キングちゃんは何故か気まずそうに俯いてしまった。
(あれ? なんか思いっきり間違えたか?)
話を聞いた感想としては、本当に何故キングちゃんの担当を辞めたのかわからんって気持ちしか湧いてこない。だが、キングちゃんの表情を見る限り、他にも何かがあるのではないか、と思わされる。
「私は……あなたが言うほど、大したウマ娘じゃないわ……一流にこだわるのだって、お母様を見返したい……そんな気持ちがあるからよ」
「……家庭環境に、何か問題でも?」
そこまで深く踏み込むのはどうかと思ったが、ここまできて引き返すわけにもいかないだろう。それになにより、キングちゃんが聞いてほしそうにしているのだ。
「問題ってほどのことじゃないわ。ただ、私のお母様は海外のGⅠでも1着になったウマ娘で、今は有名なデザイナーで……私がトレセン学園に入学することを、今の年代でデビューすることを、ずっと反対してたのよ。私には才能がないから、入学しても苦労するだけだってね。不様な姿を晒す前に帰って来なさいって、何度も言われたわ」
「……?」
「この前の日本ダービーも、1着どころか入着すらできなかったじゃないって言われて……ほら見なさい、これ以上恥をかく前にレースを辞めて家に戻って来なさいって。結果が結果ですもの。反論できなかったわ」
「…………?」
俺はキングちゃんの話を聞いて、思わず首を傾げてしまう。
トレセン学園という場所は、ウマ娘の養成機関だが同時に学校としての側面も持つ。何が言いたいかというと、入学するには
キングちゃんは母親が反対していると言うが、そもそもの話、本当に反対しているなら入学を認めなければそれで済んだ話である。
それでも入学を認めており、なおかつことあるごとにそういったことを言うということは、だ。
(それってキングちゃんが心配なだけなんじゃ……いや、キングちゃんから一方的に聞いた話だしな。家庭の事情もあるだろうし、今はまだ、触れないでおくか)
前世でも親になったことがない身だが、キングちゃんみたいな子なら親からするとさぞ可愛いし、心配もしたくなるだろう。
なにせ、母親のような一流の存在になろうとしているのだ。母親からすると、嬉しく思うと同時に心配して早く家に帰ってこいと言いたくなる気持ちもわかる。
「それに、こうも言われたわ。『日本ダービーで勝ったスペシャルウィークさん。あんなに人を惹きつける走りを見たのは久々よ』って……あの子と同世代で走って、負けたのなら諦めもつくでしょうって……」
心底悔しそうに、歯痒そうに話すキングちゃん。だが、俺としては更に疑問が募るばかりだ。
(母親もウマ娘なら、しかも海外でGⅠを獲るレベルのウマ娘なら、キングちゃんの才能も理解できるはずだ……この子は強いし、これからもっと強くなる。それこそスペシャルウィークが相手でも勝てるようになるだろうに……)
たしかにスペシャルウィークは強い。才能に溢れ、努力を欠かさず、それでいてレースを見ている者に勇気と感動を与えられるウマ娘だ。オグリキャップに勝った彼女の姿は、俺の目にも輝いて見えた。
だが、キングちゃんがスペシャルウィークに劣るなんて俺は思わない。母親なら、その辺りも信じてやれると思うのだが。
「あと、は……」
俺が疑問を覚えていると、キングちゃんはなんとも言い難い顔をしていた。怒られることを恐れる子どものような、そんな顔だ。
「皐月賞の時は、あなたからもらった資料を元にして走ったのよ。なんというか、あの資料を見たらとても
ぎゅっ、と己の体を抱き締めながら、キングちゃんは言う。
「結果が出なくて、お母様からも早く諦めるよう言われて、どうして私は勝てないのか、どうして
日頃から一流になれと発破をかけられ、レースで負けたら責められ、限界を迎えたのだろうか。そこで奮起して、次は勝つ、キングちゃんを勝たせてみせると言えたのなら違ったのだろうが……。
(俺にも責任の一端がある……か?)
以前渡した資料がどこまで影響を及ぼしたのかはわからないが、皐月賞で1着になったオグリキャップとの差は3バ身程度。2着のスペシャルウィークとの差は1バ身程度と、少しばかりレース展開が違えば1着になっていた可能性は十分にある。
逆に、俺のせいで1着を逃した可能性もある。元トレーナーの指示が的確で、皐月賞での作戦が当たっていれば勝っていた可能性もあるのだ。
ただ、キングちゃんが皐月賞で着外になっていたら、その時点で今のキングちゃんみたいな状況になっていた可能性もある。もちろんこれもたらればの話だが、元トレーナーは既に担当から降りてしまっているわけで。
「お母様のこと、元トレーナーのこと……あとは勝てない自分が悔しくて、こうやって体を壊すだけなのに無茶なトレーニングを……いえ、トレーニングですらないわね。憂さ晴らしをしていたわけよ」
「……そうか」
元トレーナーとの間を取り持つことを真っ先に考えた俺だったが、トレーナーが担当しているウマ娘の育成を諦めるというのは色々な意味で
育成方針が合わないから他のチームやトレーナーのもとへ移籍する、というぐらいなら問題は少ないが、移籍先を決める前に担当から降りてしまっている。
トレーナーとして、トレセン学園からの評価も厳しくなるとわかりきっているのにそこまでしたのだ。俺が思うよりも、元トレーナーとキングちゃんの間にあった確執は根が深かったのかもしれない。
俺からすれば、キングちゃんと元トレーナーの話は『なんで?』と首を傾げるしかない。だが、元トレーナーの立場に立って考えてみるとしよう。
自分よりも10歳ほど年下の女の子に、顔を合わせる度に一流になれ、自分に見合ったトレーナーになれと言われ続け、挙句の果てに『どうして私を勝たせてくれないのか』と訴えかけられたらどう思うか。
そこをなんとか取り持って、元の関係に戻したとして……どうなるか。
(また遠からず破綻するだろうな……クラシック路線を走るなら、次は菊花賞だ。3000メートルとなると……今から徹底的に鍛えても厳しい。キングちゃんは長距離も走れそうなウマ娘だけど、短距離、マイル、中距離と比べたら苦手な距離だしな)
日本ダービーより600メートルも距離が長いのだ。600メートルの差といえば、今まで短距離しか走ったことがないウマ娘を中距離で走れるようにするぐらい難しい。いや、それ以上に難しいだろう。
言葉短く答えた俺をどう思ったのか、キングちゃんはコーヒーを飲み干して大きな息を吐く。
「ふぅ……色々と吐き出せて、少しはすっきりしたわ。ごめんなさいね、こんなくだらないことに付き合わせて」
「くだらなくなんてないさ。キングちゃんのことだしな。それで……今後はどうするんだ?」
色々と思うところ、考えるべきところはあるが、目下の懸念はそれだ。担当トレーナーがいなくなったキングちゃんが、今後どうするのか。言葉を変えれば、
「ふふっ……今後、ね……あなたは私を一流のウマ娘だって言ってくれたけれど、この時期に担当トレーナーから見放されるようなウマ娘を引き取ろうなんて物好きはいないわ……お母様の言う通り、家に帰るのも――」
「じゃあ、俺が君を育てるよ。いや、違うな……育てさせてほしい」
キングちゃんの話を聞いた俺は、すぐさまそう言っていた。もっとよく考えるべきで、ウララやライスの育成だけで限界が近い俺だが、キングちゃんを育てられるのなら限界なんて知らん。そんなもんは超えてやる。
「それは……同情かしら?」
俺の言葉を聞いたキングちゃんは目を丸くしたかと思うと、自嘲するように尋ねた。
「同情? いや、目の前に前々から育ててみたい、この子だったら強くなるだろうって思ってたウマ娘がフリーでいるんだぞ? 手を伸ばさん奴はトレーナーじゃないだろ」
理事長とたづなさんには新しいチームメンバーは当面増やせないって言ってしまったし、色々と便宜を図ってもらった手前、不義理をすることになる。
それに、チームキタルファに入りたいって希望してくれた今年の新入生を全て断ったというのに、キングちゃんをチームに入れようとするのは不満が出る可能性が高い。
そして、キングちゃんを育てる場合、これまで良好な関係を築いていた同期達とも本格的に敵対することになる。キングちゃんの適性的に、どのレースで誰とぶつかるかわからないのだ。少なくとも関係は悪化するだろう。
あとはウララはともかく、ライスがキングちゃんをどう思うかがわからない。いきなりチームにキングちゃんが加わった時、どんな反応をするか。
ぱっと思いつくだけでも、これだけデメリットがある話だ。そしてそれは、キングちゃんも推測できたのだろう。
「おばか……ウララさんから聞いているし、あなたとはよく電話していたから知っているのよ? ウララさんとライスシャワーさん以外にウマ娘を育てる余裕、ないんでしょう?」
「ぶっちゃけると、ないな」
ここで嘘を言っても仕方がない。俺はキングちゃんの言葉に頷くと、キングちゃんは自嘲するように浮かべていた笑みを苦笑の形に変える。
「ウララさんのあんなに楽しそうな顔、嬉しそうな顔を見ていたら、あなたに無理はさせられないわ。あなたはウララさんやライスシャワーさんのことだけを考えていればいいのよ」
そう言って気遣うように声をかけてくるキングちゃん。たしかにそれは道理だろう。今の俺にとって、レースが控えているウララやライスは大事だ。これから増えるであろう苦労を思えば、二の足を踏みたくもなる――が。
「だけどな、キングちゃん――君はそんな苦労をしてでも担当するに値するウマ娘だ」
俺はキングちゃんを真っすぐに見つめて、そう言った。キングちゃんは言葉を失ったように目を見開くが、俺は構わずキングちゃんとの距離を詰めていく。
「一流だとか、そんなもんは関係ない。母親がすごいウマ娘らしいが、そんなもんは知らん。君が君だから、がんばり屋で優しくて向上心があって前向きな、そんなキングヘイローだから、俺は君を育てたいんだ」
いつの間にか、俺もトレーナーという人種になっていたのだろう。目の前に荒削りの巨大なダイヤの原石がポン、と放置されていては、磨かずにはいられないのだ。
ウララの場合は、ハルウララという名前から勘違いしてスカウトをした。
ライスの場合は、気が付けば向こうから飛び込んできて担当トレーナーになった。
だが、自分からここまでスカウトしたいと思ったウマ娘は、キングちゃんが初めてだ。
問題は色々とあるが、それらを飲み込んででもキングちゃんが欲しい。この子を育てたい。そう思えた。
そう訴えかけると、キングちゃんは迷うようにして胸に手を当て、ジャージをぎゅっと握り締める。
「おばか……私は所詮、担当トレーナーにも見限られるようなウマ娘よ?」
「そいつとの相性が悪かったってだけの話だろ? よくあることさ」
俺とキングちゃんの相性が良いかは……俺は良いと思っているんだが、どうかね。こればかりは実際に育ててみないとわからん。
「あなたが苦労をしてまで育てるようなウマ娘じゃ……ない、かもしれないわよ?」
「そこは育ててみないとわからんしなぁ。でも、キングちゃんは強いウマ娘だし、これからもっと強くなるって俺は信じてる。少なくとも、後悔だけはしないと思う」
むしろ、ここでこの機会を逃す方が後悔するだろう。俺はキングちゃんとの距離を詰め、両肩を掴んで真っすぐに見つめる。
「だから、俺のウマ娘になってくれ」
「~~っ! もうっ! おばか! おばかっ!」
おばかと連呼されるが、キングちゃんが嫌がっている気配はない。顔を赤くして、目の端に涙を溜めながら、俺をまっすぐ見つめ返してくれる。
「ほんとっ、おばかなんだから……そこまで言われて引き下がれるキングじゃないわ」
「じゃあ……」
「ただしっ! まずはウララさんやライスシャワーさんに許可を取りなさいっ! それにお仕事も大変なんでしょう? そっちもどうにかしなさいなっ!」
トレーナーが担当するウマ娘を決める際やチームに加入させる際に必要なのは、トレーナーの意思と新しく担当されるウマ娘との合意である。
それを思えばウララやライスの許可を取る必要はない、のだが。
「それもそうだな……理事長やたづなさんには明日、朝一で話をしてくるよ。ウララとライスにも許可を取る。それでも大丈夫ならこの話、受けてくれるかい?」
「もう……そう言っているでしょう?」
キングちゃんは俺の言葉に柔らかく笑うと、目尻から涙を零しながら言うのだった。
「……おばかっ」
明けて翌朝。俺は前言通り朝一で理事長室を訪れると、扉をノックしてたづなさんに取次ぎを願う。
「挨拶ッ! おはよう! 朝から何か話があるとのことだが、一体なにかっ!?」
「もしかして、新しく担当したいウマ娘でも見つかりましたか? なーんて……」
「ええ。新しく担当したいウマ娘がいたので、その許可をもらいにきました」
俺がはっきりと伝えると、理事長とたづなさんの動きが止まった。そして二人は目を合わせたかと思うと、音が立つような速度で俺に向かって振り返る。
「驚愕ッ! どんな風の吹き回しかっ! チーム設立から向こう一年……あと半年は増やせないと言っていたのはっ!?」
「ええっと……冗談……では、ないですよね」
驚愕する理事長と、困惑するたづなさん。特にたづなさんは日頃からチームキタルファの運営でお世話になっているのだ。昨日会った時は特に何もなかったというのに、一晩経ったら担当ウマ娘を増やしたい、などと言われるのは予想外だったのだろう。
「冗談ではなく本気です。チームキタルファに迎え入れたい子が一人いまして……担当トレーナーがいない子なんですが」
「疑問ッ! 他所のチームから引き抜いたりするのならさすがに止めるが、それなら特に相談する必要もないっ! しかし、普段の業務に関してはどうかっ!?」
「そうですよトレーナーさん。たしかに以前と比べれば仕事を片付けるのも早くなりましたけど……担当するウマ娘が増えた場合、無理をしませんか?」
「多分、慣れるまでは無理をします。でも、無理をしてでも育てたい子なんです」
俺がそう言うと、理事長とたづなさんは再度顔を見合わせた。
「トレーナーさんがそこまで言う、担当がいないウマ娘って誰ですか? 思い当たる子がいないんですが……今年の新入生にそんな子、いましたっけ?」
「キングヘイローです」
「ああ……なるほど……」
俺の返答を聞いたたづなさんは納得したように、それでいて困ったように頷く。
「たしかについ先日、担当トレーナーとの育成に関する契約を解消していましたね。トレーナーさんが育てたいと仰るのなら、こちらとしても止めることはできないのですが……」
そこまで言って、たづなさんは理事長へ視線を向ける。
「警告ッ! その場合、君との間に交わしていた『業務に慣れるまではたづなをサポートにつける』という話も解消することになるっ! 我々はともかく、周囲からすれば余裕ができたから担当ウマ娘を増やしたと思われるっ!」
「それに、チームキタルファへの移籍や新規加入を希望するウマ娘を止められなくなりますが……もちろん、受けるかはトレーナーさん次第ですけど」
依怙贔屓、というわけではないが、これまでやってもらっていたたづなさんのサポートはさすがに打ち切られるらしい。だが、たづなさんが言う通り、仕事に慣れてきたのはたしかだ。
元々一年程度で見込まれていたものが、こっちの都合で半年で打ち切るのである。その程度のペナルティは当然だ。いや、ペナルティですらないな。本当はなかったはずのものなのだから。
仮にたづなさんがサポートを続けた場合、他のトレーナーからの突き上げがあるだろう。というか、俺なら文句を言うなり抗議なりするだろうし。
そして、移籍や新規加入に関しては……うん、断るしかない。希望する子には申し訳ないが、少なくともキングちゃんを受け入れてからの生活に慣れるまでは絶対に無理だ。
そもそも、適性的にウララがダート、ライスが芝の中距離から長距離、キングちゃんが芝の短距離を得意としているが全距離走れる、という感じなのだ。誰かを入れるとしても、年代をずらさなければチーム内で勝ち星を奪い合う羽目になる。
「あとはキングヘイロー本人から、ウララやライスの許可を取るように言われてまして。放課後に二人と話をして、受け入れてくれたらキングヘイローをうちのチームに入れたいと思っています」
本当はウララとライスに話をして、許可を取ってから理事長とたづなさんに話をした方が良かったのかもしれない。だが、俺はウララやライスのトレーナーである以前に、トレセン学園に雇われたトレーナーだ。上司である理事長やたづなさんに報告、連絡、相談をする義務がある。
「キングヘイローをチームに入れた場合なんですが、ライスの時と違って芝のレースやクラシック級のウマ娘に関するデータもある程度揃っています。ライスの時ほど苦労することはないと私は考えています」
なんだかんだで半年間チームとして活動してきたのだ。独り立ちには少々早いが、なんとかなると俺は見ている。というか、なんとかするのだが。
俺のそんな言葉に、理事長とたづなさんは少々渋りながらも頷いてくれたのだった。
そして、その日の放課後。
俺はウララとライスが部室に来る時間になると、部室の扉の前に立って二人を待っていた。
昨晩電話なりメッセージアプリなりで話をするのもアリだったのだろうが、こういった話は面と向かってするべきだろう。そう思って待っていた俺の姿に、ウララとライスは不思議そうな顔をする。
「あっ、トレーナー! そんなところでどーしたの?」
「お兄さま? 何かあったの?」
「今日は二人に大切な話があってだな……まあ、入ってくれ」
俺は部室の扉を開け、二人を招き入れる。ウララは首を傾げながら俺に続いて部室に入ったが、ライスは何故か部室に入った瞬間動きを止めた。
「…………」
そして今度は無言で部室の中を動き回る。ロッカーやソファー、そして最後に何故か洗濯機を開け閉めし始めた。
「あの、ライスさん? どうしたんでしょうか?」
思わず敬語で尋ねる俺。ライスはなんとも言い難い顔をしながら、首を横に振った。
「……別に。それでお兄さま、大切な話ってなあに?」
「えー……何でもないってことはなさそうなんだが……」
最近、ライスの行動が読めない俺である。この年頃の女の子ってみんなこうなのかしら?
俺はそんな考えを振り払うと、一度咳ばらいをしてから口を開いた。
「ごほんっ……えーっと、だな。このチームキタルファに、新しいメンバーを加えたいと思ってるんだ」
「えっ!? 新しいメンバー!? もしかしてキングちゃん!?」
「そう、キングちゃん……って、え? なんでわかった?」
俺はウララの言葉に頷き、続いて驚いたように尋ねる。あれ? まだ何も話してないよね?
「だってこの部屋にキングちゃんの匂いがするもん! それにキングちゃん、昨日、トレーナーの匂いがするジャージを持って帰ってきたし!」
笑顔で言い放つウララ。だがちょっと待ってほしい。たしかに昨日キングちゃんに着せたジャージはキングちゃんが持ち帰った。俺が洗うよ、と言ったら、自分が着た服を殿方に洗わせるわけにはいかないでしょっ! と怒られたからだ。
昨晩話をしたあと、キングちゃんは乾いた下着や体操服を着て俺のジャージを持ち帰ったわけだが、ウララに匂いでバレたらしい。というかウララ、鼻が良すぎじゃない? あとライス、無言で俺に抱き着いてきて急にどうした?
「あー……実は昨晩……」
俺はとりあえず、経緯を説明することにした。
キングちゃんが大雨の中、自主トレーニングをしていたこと。
どう見ても体に障る状況だったため部室に連れてきたこと。
担当トレーナーとの意思疎通、相性に問題があって育成を放棄されたこと。
そんなキングちゃんをチームキタルファに入れて育成したいと思ったこと。
それらを客観的に、淡々と伝えていく。すると、俺の予想とは裏腹に、最初に賛成したのはライスだった。
「そうだったんだ……お兄さま、ライスはそのキングちゃんを受け入れてあげてほしいな」
「……いいのか?」
「うん……だってライス、以前のトレーナーさんとは浅いつながりしかなかったけど、担当を降りた時はすっごく悲しかったもん。あの時はライスのせいでもあったけど……キングちゃんはこれまで一緒にがんばってきたトレーナーさんに、もう育てられないって言われたんでしょ?」
俺はライスの問いかけに無言で頷く。すると、ライスは悲しそうに目を伏せた。
「だったらその子、とっても辛かったと思うの……だからライスは賛成するよ。だって、ライスはお兄さまと出会えてすごく、すっごく幸せだもの。その子もきっと、幸せになってくれるよ」
「ライス……!」
俺は思わずライスを抱き締めた。くそ、なんて良い子なんだ。ウララよりライスの方が反対すると思っていた昨晩の俺をぶん殴りたい気分だ。
「うーん……わたしもキングちゃんと一緒のチームになれたら嬉しいんだけど」
そんな俺とライスのやり取りを見ていたウララは自分の頭を指でつつきつつ、首を傾げた。
「トレーナーはだいじょーぶなの? おしごと、きつくないの?」
ウララが心配していたのは、キングちゃんではなく俺のことらしい。
チームキタルファに迎え入れた場合に増大するであろう、俺の負担のことを気にかけていたようだ。キングちゃんがうちのチームに馴染むかどうかを心配していないのは、ルームメイトだからか。あるいは、俺ならどうにかしてくれると信じているのか。
「――ああ、大丈夫だ」
俺はウララの心配に対し、笑顔で断言する。
たづなさんのサポートがなくなり、キングちゃんの育成に関しての手間暇が増えれば、確実に大変な目に遭うだろう。
だがウララに、担当しているウマ娘にこんなことを心配されては、きついなんて言えない。トレセン学園から割り振られる仕事に関しては、もっと効率よく片付ければキングちゃんを育てるための時間を捻出できるはずだ。
たづなさんのおかげで、ここ半年の業務である程度は慣れた。それに、他のチームのトレーナーも同じことをやっている……いや、俺以上の数のウマ娘を育てながら業務を片づけている人もいるんだ。やってやれないことはない。
それに、だ。
『決まったよ、キングちゃん。うちの部室に来てくれ。君がチームキタルファの3人目のメンバーだ』
『――ええっ!』
電話でキングちゃんにそんな連絡をしてみると――返ってきた声の明るさに、俺の決意も否が応でも高まるというものだった。