リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
とうとう迎えた、ウララが初めて挑む重賞のユニコーンステークス当日。
天候は微妙なところで、朝から雨が降ったり止んだりを繰り返している。ただ、降っても雨脚自体はそれほど強くないため、レースは問題なく開催されるだろう。
ユニコーンステークスは東京レース場で行われ、第11レースとして15時45分からの出走になる。そのため午前の内にトレセン学園で軽くウララの体をほぐさせ、少し早い時間に昼飯を食べさせてから東京レース場へと移動することにした。
今日の東京レース場ではユニコーンステークス以外に重賞は開催されない。つまり、ウララにとって初めての重賞が初めてのメインレースになるのだ。
ウララはユニコーンステークスで9戦目になるが、重賞は初めてである。そのため朝から少々落ち着かない様子で、頻繁に耳をぴくぴくと震わせ、尻尾をぱたぱたと揺らしていた。
緊張して固くなっている――というわけではない。これは、初めて勝利を挙げた未勝利戦の時と同様に、ウララが最高のコンディションを発揮する前兆だ。
「トレーナー、ウララさんはその……大丈夫なの?」
東京レース場が遠目に見えてきたにも拘わらず落ち着かないウララの様子に、キングが心配そうな声で尋ねてくる。そのため俺は安心させるように笑うと、ウララの頭をガシガシと撫でた。
「大丈夫、絶好調だよ。な、ウララ?」
「うん……わたし、ぜっこーちょー」
「本当かしら……たしかにこの子、昨晩も寝付きが良かったからコンディションは良いのでしょうけど……」
頬に手を当てながら、困ったようにため息を吐くキング。なあに、ライスを見ろ。ウララが武者震いをする様子を見て、『よくあるよね? あるある』と言わんばかりに笑顔だぞ。
ライスも来週に宝塚記念が控えている身だが、トレセン学園で一人で練習するよりもウララの応援をすることを望んだ。最後の追い込みが必要な時期だが、同時に、レースに向けて少しずつコンディションを整えていく必要もあるのだ。
ライスにとって、ウララを応援することは精神面でのコンディションを整えるのにうってつけである。キングとは別の意味でウララを可愛がってるからな……いや、キングもきちんと可愛がってるけどね? ちょっとキングに泣きが入るレベルだけど。
「それじゃあトレーナー、行ってくるね」
「おう。またあとで、パドックでな」
東京レース場に到着すると、ウララは着替えるために控室へと向かう。その背中を見送った俺は、案外慣れてきたもんだな、なんて笑った。
ウララが初の重賞に挑む。それも、スマートファルコンという強敵がいるレースだ。
他の有力ウマ娘の名前はなかったが、クラシック級のダートで行われる今年初の重賞ということもあり、他のウマ娘達も気合いが入っているだろう。逃げを打つであろうスマートファルコンはともかく、戦法が差しのウララは周囲からきついマークがあるかもしれない。だから今日は少し前の方を走らせた方が良いかもしれないな。
それでもこうして大きな不安を抱かずにウララを見送れるのは、やるべきことをやってきたからか。いや、元々やろうと思っていたトレーニングにキングが加わったことで、トレーニングに更なる幅を持たせることができたからか。
(寮のルームメイトで仲が良くて、チームメイトでもあって……主戦場が芝とダートの違いはあるけど、競い合うにはうってつけだもんな)
初めてトレーニングでウララと併走した時のキングの驚き顔は、すごかった。強くなっていたのは知っていたが、キングの予想を超えるぐらいウララが成長していたからだ。
まあ、走っていたのが芝のコースで、なおかつ負けん気を発揮したキングがウララを引き離したが勝負の形にはなっていた。
(ただ、今日の強敵はスマートファルコン……逃げるよなぁ)
逃げるスマートファルコンを、どのタイミングで仕掛けて差し切るか。それは実際にレースで走り始めなければ判断ができないため、ウララの判断にかかっている。
さすがに意表を突いて戦法を変えてくることはないだろう。逃げるスマートファルコンは脅威的だが、逃げ以外の戦法を取れば確実にウララが勝つ。そう断言できるぐらいにはウララを鍛えてきたのだ。
(ウララが1枠2番で内枠、スマートファルコンが7枠14番で外枠だ。かなり理想的なスタート位置でレースが始まる……あとはレースがどう転ぶか、だな)
俺はライスとキングを連れて、パドックへと向かう。
時折雨がぱらつく天候ながらも、東京レース場は人が多い。今日はメインレースがユニコーンステークスだというのに、既に15万人近い観客が押し寄せているらしい。
先日ライスが走った目黒記念の時のように、メインレースが日本ダービーとGⅠのレースでもないというのにこの賑わいだ。この世界の人達、ウマ娘のレースが好きすぎる……うん、俺も大好きだけどね?
「おい、あれ……」
「え? あれって……」
パドックに向かっていると、時折そんな声と視線が飛んでくる。なんですか? あなた達にお兄さまなんて呼ばれる筋合いはなくってよ? なんて前もって考えた俺だった、が。
「ほら、アメリカでGⅠを何度も獲ったあの人の娘の……そう、キングヘイローだ」
「ああ……あの人の娘さんもウマ娘だったっけ」
おや? と俺は視線を向ける。どうやらキングヘイローを見ていたようだが、どうにも覚え方が微妙だ。キングヘイローというよりは、キングヘイローの母親を主に認識しているらしい。
横目でキングの様子を確認すると、キングは唇を噛み締めながらも前を向いていた。多分、よくあることなんだろう。
以前キングから話を聞いて以来、ちょいと情報を漁ってみたがキングの母親は中々にぶっ飛んだ戦績をお持ちだった。
海外でGⅠを獲ったことがあると聞いてはいたが、なんとアメリカのGⅠ七冠ウマ娘だったのである。生涯戦績は24戦11勝で、GⅠ7勝、GⅡ1勝、GⅢ2勝と、勝利数のほぼ全てが重賞で勝っている。
また、敗北したレースもGⅠを走って3着以内での敗北が6回である。24戦して3着以内に入ったのが全体の8割近くにのぼり、アメリカのウマ娘の中でもトップクラスの存在だった。
キングが意識し、一流がどうこうと気に掛けるのも納得の存在である。アメリカはダートが主流で、更に言えばマイルは人気が高い主戦場だ。そんな場所でGⅠ7勝は本当にヤバい。
日本でいえばシンボリルドルフぐらい有名なウマ娘だ。
あの子、メイクデビューやオープン戦を含めたら短距離から長距離まで幅広い距離を走って16戦13勝で、七冠ウマ娘で、勝利より三度の敗北に関して語られるぐらいで、顔を合わせれば相変わらず駄洒落を口走る子だが、本当にすごいのだ。
キングが掲げる全距離重賞制覇という目的で言えば、キングの母親よりシンボリルドルフ超えの方が近いかもしれない。
「……いつも、こうなのよ」
俺の視線をどう思ったのか、キングがポツリと呟く。
「元トレーナーの時も……去年、勝ってる時はここまでじゃなかったわ。でも、今年に入って負け続けると、あの人の娘なのに、なんてよく言われるようになったわ。そのあたりも元トレーナーの負担になっていたのかもね」
落ち込んでいるのかと思ったが、そう話しつつもキングの目はギラギラと輝いている。負けるものか、負けてなどやるものか、と言わんばかりの気炎が瞳に宿っていた。同時に、元トレーナーへの負い目のような感情も透けて見えるが。
「まあ、勝っている時もあの人の娘なんだからこれぐらいは当然か、なんて言われたけどね……」
そう言って締め括り、肩を竦めるキング。気丈に振る舞ってはいるが、やはり思うところがあるのだろう。それに気付いたライスがそっとキングの傍に寄り添い、手を握っている。
「……あれ? キングヘイローと一緒にいる人、お兄さまじゃね?」
「本当だ、お兄さまだ。ライスシャワーもいるから間違いない。お兄さまだ」
おっとぉ、観客の興味の矛先が俺に移ったぞ。あとアンタたち、もう隠す気もなくお兄さまって呼んでるよね? どこからそんなあだ名みたいなのが広まってるの?
「初めて生で見たわ、お兄さま……そっか、今日のユニコーンステークスにハルウララが出るもんな」
「もしかしてキングヘイローのトレーナーが変わったのか? へぇ……面白いことになりそう」
そこ、キングが強くなりそう、じゃなくてなんで面白いことになりそう、なんて感想が出てきたの? ちょっと向こうの物陰で話をしない?
そんなことを思っていると、不意にキングヘイローが小さく噴き出した。そして口元に手を当てながら、押し殺したような笑い声をあげる。
「ふふっ……ちょっと、なんであなたの方が私より有名なのよ。それもお兄さまって……」
「なんでだろうなぁ……いや、俺もよくわからん……」
月刊トゥインクルのおかげかな? いや、おかげというか、あの雑誌のせい? インタビューで聞かれたし、ライスにお兄さまって呼ばれている件に関してもライスの希望でそう呼ばれてるだけって書いてあったんだが……あとライス、何故自慢げに胸を張っているんだい?
(ま、キングの気分転換になったのならいいか……)
俺はキングの背中を軽く叩くと、パドックへと近付いていく。背後から小さく、『おばか』という声が聞こえた気がしたが……振り返るのは野暮だろう。
『1枠2番、ハルウララ』
そうしているうちに、パドックでのお披露目が始まった。体操服に着替え、ゼッケンをつけたウララが姿を見せる。
「ウララちゃーん! がんばってー!」
「勝って今夜もハンバーグを作ってもらえよー!」
「応援しているぞー!」
すると、トレセン学園の近所の商店街の面々が声を上げた。視線を向けてみると、手作りの横断幕まで用意している。
「わー! みんな、ありがとー!」
それに気付いたウララは、この時ばかりは武者震いを忘れたように満面の笑顔を浮かべて両手を振った。
「ハルウララか……いいね」
「うん、いい……」
そんなウララの笑顔を見て、何やら趣深そうに頷く観客がちらほらといる。その目付きは幼い娘や姪を見るように、温かいものに変化しているようだった。
「あの子、可愛いし元気が出る笑顔をするんだけど、強いんだよな」
「レースの時はキリッとするもんね。そのギャップがもうたまらないのっ」
ウララを見てパドックに来ていた観客達がそれぞれ言葉を発する。わざわざパドックに足を運ぶような筋金入りのウマ娘ファンから見ても、ウララは好印象らしい。
そうだろうそうだろう、うちのウララは可愛いだろう、なんて何度も頷く俺。しかしその間にもパドックでのお披露目が続き、とうとうスマートファルコンが姿を見せる。
『7枠14番、スマートファルコン』
「みんな、こんにちはー! ファル子だよっ!」
姿を見せるなり、可愛らしくポーズを決めるスマートファルコン。きゃぴっ、なんて擬音が聞こえそうなほど洗練されたウマドルポーズだったが、観客の反応は妙に渋い。
レコードを何度も塗り替えたウマ娘ということで歓声は上がるが、あれってスマートファルコンが求める反応じゃないような……。
「応援、よろしくねっ☆」
だが、スマートファルコンは笑顔で愛想を振り撒く。調子は……良さそうだな。これでレースに出るのがウララじゃなくてライスだったら、即決でマークさせるところだ。
「なんというか……不思議な感じがする子ね」
スマートファルコンを見ていたキングが、ぽつりと呟く。その呟きを拾ったライスは、真剣な表情でスマートファルコンを見つめた。
「あの子、強いよ……ライス、レースで競ってみたいかも」
ライスの言葉は、クラシック級のウマ娘に向けるものとしては最上級の褒め言葉だろう。俺がどう反応すれば良いか迷っていると、パドックの柵越しにウララが近付いてくる。
「トレーナー」
「ウララ、今日はマークがきついだろうから、普段より少し前に上がった方が良いと思う。ただ、それ以外はいつも通りだ。怪我せず、楽しんで――スマートファルコンに勝ってこい」
「うんっ!」
俺の言葉にウララは元気よく頷く。そんな俺とウララのやり取りを、離れたところでスマートファルコンがじっと見ている気がした。
『あいにくの空模様の下で始まります、東京レース場第11レース。ダート1600メートルのGⅢ、ユニコーンステークス。バ場状態は稍重の発表です』
『本日のメインレースということもあって、観客席はほとんど埋まっていますね。雨が少しぱらついていますが、この程度ならレースにも大きな影響はないでしょう』
ファンファーレの音が鳴り響き、実況と解説がそれぞれ言葉を発する。雨の降り方は、傘を差すかどうか迷うぐらいのぱらつき具合だ。バ場状態は稍重ということもあり、今日のダートレースは速いタイムが出るかもしれん。
そうこうしているうちに、出走するウマ娘がゲートインしていく。
『1枠2番、ハルウララ。1番人気です』
『ウマ娘ファンの間ではレコードブレイカーと呼ばれ始めているウマ娘ですね。8戦3勝という戦績ながら、勝ったレースでは全てレコード勝ちを記録しています。勝ち数を伸ばすのか、伸ばしたとして新たなレコードを叩き出すのか。注目のウマ娘です』
ウララの名前が呼ばれると、観客席から大きな声援が上がった。ウララは笑顔で両手を振ると、ゲートインして深呼吸を始める。
スマートファルコンを抑えての1番人気だが、はたしてどうなるか……。
『7枠14番、スマートファルコン。2番人気です』
『こちらも2番ハルウララと同様に、レコードブレイカーと呼ばれ始めているウマ娘です。人気の面ではハルウララに一歩譲りましたが、実力まで譲ったわけではありません。好走が期待できるウマ娘ですね』
名前を呼ばれたスマートファルコンは観客席に向かって可愛らしいポーズを決め、愛想を振り撒いてからゲートインする。ウララと同様に大きな歓声が上がるが、ウララと比べると少し歓声が小さい、か?
「…………」
俺はスマートファルコンをじっと見る。初めてウララと対戦した昇竜ステークスではウララと観客の反応を注視していたが、今日はウララに視線を向けていない。
ゲートインが完了すると徐々に歓声が静まり始め、三十秒と経たない内に東京レース場に静寂が訪れ――ゲートが開いた。
『各ウマ娘ゲートイン完了……スタートしました。各ウマ娘、揃って綺麗なスタート。最初に誰が抜け出すでしょうか』
スタートで出遅れたウマ娘はいない。それぞれ綺麗なスタートを切ってゲートから飛び出していく。
ユニコーンステークスは1600メートルで、最初の100メートルほどが直線の芝のコースになっている。そして芝のコースを抜けるとダートに突入し、第2コーナーの終わりから向こう正面の直線を駆けていくことになる。
その構造上、内枠にいるウマ娘ほど
そんなコースでウマ娘達が揃ったスタートを切ると、どうなるか。
『各ウマ娘、内を取りに行こうとしていますが横並びになっていますね。このままダートに突入して……っと、その前に動きました。外からスマートファルコンが一気に抜け出してきます』
『多少強引にでも前に出た方が良いと思ったんでしょうね。内からはハルウララが上がってきていますから』
横一線、と言えるほど揃っているわけではないが、不揃いながらも並んだ影響で内側を走れないウマ娘が多く出ている。そのまま駆けてダートに突入したかと思いきや、スマートファルコンが一気に速度を上げてハナを取りに行った。
『ここでハナを切ったのは14番スマートファルコン。続いて12番ハートシーザー、15番ドラグーンスピアが1バ身後方を追走。僅かに離れて2番ハルウララ、3番オンステージレビュ、4番クンバカルナ、7番プリスティンソング、9番インサイトキャッチが先行集団を形成』
『おっと、ハルウララが少し前の方に……いえ、普段よりかなり前の方につけましたね』
『2バ身離れて11番ゴールドシュシュ、1番スローモーション、6番アクアレイク、5番ミニロータス、10番マリンシーガル。2バ身離れてシンガリ付近を8番インディアンブレス、13番スレーイン、16番ルミナスエスクードが固まって駆けていきます』
内枠からの出走かつスタートが綺麗に揃い、なおかつ短い距離なら芝だろうと駆けられるようになったウララが、差しどころか逃げウマ娘についていくような位置で走っている。
先行集団の先頭を駆け、逃げウマ娘をすぐに捉えられる位置取りをしたウララの姿に、早くも観客席から大声援が飛び始めた。
「ちょっと大丈夫なの? あの子、掛かってない?」
「掛かってないよ。1600メートルならスタミナももつし、あの位置ならマークもされにくい。前の方に位置取りしろって言ったしな……予想より、かなり前の方だけど」
キングが心配そうな声を上げたが、俺はそれをすぐに宥める。ただ、うん……先行集団の後方付近につければ、とは思っていたが、スタートが揃い過ぎて先行集団の先頭を走ることになったのは想定外だ。
だが、ウララの表情に焦りはない。位置を下げようと思えば下げられたはずだというのにあの位置を選んだということは、スマートファルコンが上がってきたのに気付いて
ウララはライスやキングのように器用なウマ娘ではないが、その辺りの勘は優れている。そして、ウララはいわばライスの一番弟子だ。スマートファルコンに狙いを定め、差し切るためになるべく距離を詰めておくべきだと考えたのかもしれない。
『向こう正面を抜けて第3コーナーへ。先頭は変わらず14番スマートファルコンです。続いて12番ハートシーザー、15番ドラグーンスピアが続いていますが差が開いて5バ身。更にそのすぐ後ろ、2番ハルウララが続いています』
『スマートファルコンは相変わらずの逃げ足ですね。他の逃げウマ娘を置き去りにしてどんどん前に進んでいます。しかし今日はこれまで通り逃げ切れるのかわかりません。あのハルウララが虎視眈々と隙を窺っています』
『縦に伸びる展開になりつつあります。先行集団は互いに位置を変えながら第3コーナーへと突入していきますが……残り1000メートルで先頭のスマートファルコンを捉えられるのか、注目です』
『ハナからシンガリまでは10……12、いえ、13バ身ほど離れていますからね。仕掛けるなら早めに仕掛けないと、届かないかもしれません。この段階でここまで差がついていること自体、かなりの異常事態ですからね』
実況と解説が言葉を交わすが、スタートしてまだコースの半分も過ぎていないというのに、先頭から最後方までとんでもない差がついている。
普通はここまで大逃げされても終盤で力尽きるだろう、と思うものの、相手はスマートファルコンだ。実況も解説も、スマートファルコンがどこまでもつかではなく、どこで仕掛けて捉えるかを前提に話している。
(最終直線で逆噴射かまして大失速するようなウマ娘なら、話は簡単だったんだけどな……生でレースを見るのは二度目だが、大したウマ娘だ)
スマートファルコンは一切脚色を衰えさせることなく、コーナーを駆けていく。その走りぶりに観客から大きな声援が上がるが、その声援を受けてますます速度を上げているようにすら見えた。
『先頭のスマートファルコン、残り800の標識を通過して第4コーナーへ! コーナーを抜ければ約500メートルの直線が待っている! 後方のウマ娘達は差を詰めようとしていますがじわじわと引き離されています!』
『普通は逃げを選択しても終盤までに大きくリードを取って、あとは差されないよう粘る形になるんですが……スマートファルコンの場合、最後まであの足で逃げ切りますからね。ここで差をつけられると、最後の直線で捉えるのが更に難しくなりますよ』
『常識破りの逃げウマ娘スマートファルコン! 第4コーナーを独走状態! もうじきコーナーを抜けて最終直線へとおぉっと動いた! ここで動いたぞハルウララ! 独走は許さんとばかりに加速し始めている!』
最終直線に入る直前から、ウララが徐々に加速し始めた。スマートファルコンとの間に少しずつ広がっていた差がピタリと止まり、逆にじわじわと距離を詰めていく。
だが、ウララとスマートファルコンの間には既に7バ身近い差が開いている。距離にしておよそ17メートル。タイムで見れば1秒少々。
残りの距離は――約500メートル。
『さあ、先頭を駆けるスマートファルコンがホームストレッチに入ってきた! ここからが最後の直線だ! 300メートルほどの坂路がスマートファルコンを出迎えるがどうだ!? 勢いは止まら――ぬぁいっ! スマートファルコン! すさまじい足で駆け上がっていく!』
『とんでもないウマ娘ですね……あのペースでハナを切って走っていたら、最後の坂道がかなり辛いはずなんですが……』
『だが待ったをかけるように突っ込んできた! ハルウララ! ハルウララだ! ハートシーザー、ドラグーンスピアをかわして! ハルウララも突っ込んでくる! スマートファルコンとの差は約6バ身!』
最初から飛ばしていたスマートファルコンと、ここまで足を溜めていたウララ。
逃げウマ娘と差しウマ娘。この二つで競った場合、最終直線で6バ身差というのは決して絶望的な距離ではない――のだが。
『スマートファルコン逃げる! 砂の隼が! すさまじい逃げ足で駆けていく! 脚色が衰えない!』
スマートファルコンは、普通の逃げウマ娘ではない。さすがに多少は速度が落ちたものの、凡百の逃げウマ娘と比べれば驚愕に値する速度を維持したままでホームストレッチを駆けていく。
その逃げっぷりは、俺が以前ライスに語ったようにミホノブルボンに匹敵するか――あるいは凌駕するか。中距離や長距離ならばまだしも、マイルという距離での逃げ足はミホノブルボンすら超えるかもしれない。
だが、それでも。
『しかしきた! ハルウララが! 逃げる隼を捉えようと駆けてくる! 逃げるレコードブレイカーと差そうとするレコードブレイカー! どちらに軍配が上がるのか! それとも他のウマ娘が――遠い! 後方のウマ娘達を置き去りにして! 最早スマートファルコンとハルウララの一騎打ちだ!』
負けたスマートファルコンを、今度こそ超えるのだと言わんばかりにウララがどんどん距離を詰めていく。
ウララが砂地を蹴りつけ、雨によって重く湿った砂が後方へと吹き飛んでいく。
坂になっていようが関係ない。ウララの目には、スマートファルコンの背中しか映っていない。
『スマートファルコンが坂を抜けて残り200の標識を通過! 残すは平地! ゴールまで一直線だ! ハルウララとの差は――あと2バ身まで迫られている!』
『スマートファルコンもそうでしたが、ハルウララもすごい足です。いえ、差そうとするハルウララの方がやや上でしょうか?』
「あとちょっとだー!」
「ウララちゃんがんばれー!」
「抜け! 抜けー!」
観客席からは、商店街の面々が必死に声を張り上げている。他にも観客達からウララとスマートファルコンの名前を呼ぶ声が響く。
そんな観客達の声援に応えるように、ウララの瞳が輝いた。足に込められた力が増し、より深く、より強く砂地を踏み締めながら、更に加速する。
だが、声援に応えたのはウララだけではない。スマートファルコンも力を振り絞るように加速し、ウララを引き離そうとする。
「今度こそっ! 勝てええええええええええぇぇっ! ウララアアアアアアアァァッ!」
「がんばって! ウララちゃん!」
「勝つのよウララさん!」
俺は大きく息を吸い込み、ウララに届けと言わんばかりに叫ぶ。ライスもキングもそれぞれ声援を飛ばし、その声が聞こえたのか、ウララが
『残り100もないっとぉハルウララが並んだ! 並んだぞハルウララ! このままかわせるか!? スマートファルコンも粘っている! 粘り切れるか!? それともかわせるのか!?』
残り100メートルを切ったところで、ウララがスマートファルコンに並んだ。
「っ!?」
その瞬間、自分の真横にウララが現れたことに気付いたのか、スマートファルコンの表情が驚愕に歪む。それでもスマートファルコンは譲らず、ウララと競り合うようにして駆けていく。
100メートルという、ウマ娘にとって短い距離。全力で駆ければ6秒余りで駆け抜けるその距離を、ウララとスマートファルコンがまるで併走でもするように駆けていく。
その6秒という時間が、この時の俺にはひどく長く感じられた。それはきっと、この場にいる観客達全てが同じ気持ちだったかもしれない。
ウララが僅かにかわした。しかし瞬きをした瞬間二人が並び、今度はスマートファルコンが前に出て。そして再びウララがかわして。最後には横並びになって、駆けていく。
レース場を震わせるような大声援がウララとスマートファルコンの背中を押す。ウララとスマートファルコンは互いに一歩も譲らず――明暗を分けた
『今! スマートファルコンとハルウララが並んでゴール! 体勢は……ハルウララが少しばかり有利か!?』
『並んでいましたからね……写真判定になるかもしれませんが……』
『スマートファルコンとハルウララから10バ身以上離れていた後続が今、ゴールへと駆け込んできます! 3着はシンガリ一気で13番スレーイン! 4着は6番アクアレイク! 5着は15番ドラグーンスピアが飛び込んできた!』
ウララとスマートファルコンの決着は勝敗がわからない。後続のウマ娘達が続々とゴールを通過するが、ウララは今にも倒れそうな様子で荒い息を吐き、額から流れ落ちた汗が雨と共に地面へと落下していく。それでも着順掲示板をじっと見つめていた。
スマートファルコンも荒い息を吐いているが、ウララよりも姿勢を保ったままで着順掲示板を見ている。ウマドルとして観客の前でみっともない姿を見せられないという矜持か、あるいは。
『着順がかくて――おおっ!? 出た! レコードです! 4勝目にして4レコード目! 1着――ハルウララ!』
着順掲示板が点灯した瞬間、実況が順番を読み上げようとして叫ぶような声をあげる。
そこにあったのは『レコード』の文字と、1着がウララを示す2番という数字だ。2着がスマートファルコンでハナ差、2着と3着の間には大差の文字が光っている。
「勝った……のか……?」
かくん、と膝から力が抜けて、俺はよろめく。それに気付いたキングが慌てて支えてくれるが、うん、ごめん。ちょっと足に力が入らん。
俺が呆然とした視線を向けると、ウララもまた、呆然とした様子で着順掲示板を見上げていた。そして自分がスマートファルコンに勝ったことを理解したのか、プルプルと体を震わせ、その場で何度も飛び跳ねる。
ただ、体に限界が来ていたのだろう。飛び跳ねていたウララはその場で転び、それを見ていたスマートファルコンが満足そうな笑顔でウララを助け起こしている。
『タイムは0秒5、更新されましたね。おっと、1着になったハルウララがスマートファルコンと一緒に観客席に向かって手を振っています』
『どちらが勝ってもおかしくなかった勝負でしたからね。今後のクラシック級のダート路線がどうなっていくのか、次は一体どちらが勝つのか……これでハルウララとスマートファルコンは1勝1敗です』
『次はどのレースで競い合うことになるのか、一人のレースファンとして期待したいところです』
そう言って締め括る実況の男性。俺はそれを聞きながら、もう一度だけ着順掲示板を見る。
間違いなくウララが勝っている。あのスマートファルコン相手に、ウララが勝ったのだ。
だが――。
(次のレースは半月後……ジャパンダートダービーは2000メートル……1600メートルでハナ差、か……)
次回もここまで上手くいくかどうか。今回は枠順やコースに助けられた面もある。しかし、それでもウララならきっと。
俺はキングに支えられたままで頭を振ると、まずはウララを褒め倒そうと歩き出すのだった。