リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
『日が沈み、暑さが和らぎ始めた大井レース場。これから始まるのは第11レース、ダート2000メートル。GⅠ、ジャパンダートダービー。バ場状態は良の発表です』
『ダートを走るクラシック級のウマ娘にとって、今年初めてのGⅠレースです。ダート全体で見れば2月のフェブラリーステークス、先月の帝王賞。そして今日のジャパンダートダービーと、今年3度目となるGⅠ……はたして誰が勝つのか、注目です』
大井レース場のパドックからコースの観客席へと移動した俺達は、最前列に陣取りながら実況と解説の話に耳を傾ける。
まだ梅雨が明けていないが、天候は曇りでバ場状態は良である。少々蒸し暑さがあるが、日が落ちて潮風もあるため徐々に気温が下がりつつあるように感じられた。
レースで走るコンディションとしては、悪くないだろう。蒸し暑さはこの時期ならば仕方ない。
ウララを含めたウマ娘達が、それぞれ第4コーナーの出口付近に設置されたゲート近くに集まっている。それぞれ専用の勝負服を身に纏い、気合いが入った面持ちでゲートインの時を待っていた。
『1枠2番、スマートファルコン。3番人気です』
『可愛らしいアイドルのような勝負服ですね。スマートファルコンといえば、先日行われたユニコーンステークスでのハルウララとの一騎討ちが記憶に新しいウマ娘です。今日はこれまでに走ったことがない中距離のレースですが、どのような走りを見せるのか……楽しみですね』
実況と解説の言葉に、観客から大きな歓声が上がる。それを聞いたスマートファルコンは笑顔で観客席に向かって手を振ると、最後には投げキッスをしてからゲートに入った。
『2枠3番、ハルウララ。2番人気です』
『おお……これまた可愛らしい勝負服です。パドックでも大歓声が上がっていましたよ。ユニコーンステークスで勝ったことからスマートファルコンより一つ上の2番人気です。ただ、スマートファルコンと同様に中距離のレースを走ったことがないためその辺りは未知数ですね』
続いてウララがゲートインをする――が、パドックの時と同様に、観客からの声援がヤバい。爆発的な、という表現が最も似合うだろう。レース場全体を震わせそうな大歓声に、ウララは普段通り満面の笑顔を浮かべて両手を振ると、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
それによって再び大歓声が上がり、俺は思わず苦笑してしまう。
「大人気で嬉しいけど、こんなに声援がでかいと反応に困るな」
「仕方ないよ、お兄さま。ウララちゃん可愛いもん」
「ライス先輩の反応もどうかと思うけど……まあ、可愛いのは否定しないわ」
なんかライスが自分のことのように胸を張って誇っているが、俺も誇らしいから何も言えねぇ……あとキング、今のライスにそんなことを言ってると、また可愛がられるぞ? それがお望み?
『2枠4番、オグリキャップ。1番人気です』
『久しぶりにダートの舞台へ姿を見せました。地方での戦績が11戦9勝、中央に移籍してからは6戦5勝、『芦毛の怪物』オグリキャップがハルウララとスマートファルコンを抑えての1番人気です。さすがは皐月賞ウマ娘といったところでしょうか』
続いてオグリキャップの名前が呼ばれる。しかし、1番人気の割に、歓声がそこまで大きくない……って、もしかしてさっきの大歓声で俺の耳がイカれた? 俺の鼓膜大丈夫?
なんて、冗談は横に置いておくとして、だ。ウララやスマートファルコンと比べて、観客に手を振ることもしないため歓声が小さくなるのは仕方ないこと、か?
(やっぱりあの子はいまいち読めんな……ぼーっとしているだけなのか、調子が悪いのか……これでレースが始まったら強いってのが手に負えんぞ……)
ウララもスマートファルコンも、中距離のレースに出たことがない。その点オグリキャップはGⅠレースにして芝の2000メートル、皐月賞で1着を獲ったウマ娘だ。日本ダービーでも2着のため、久しぶりのダートレースにも拘わらず1番人気というのも頷けるが……。
(やっぱり、スマートファルコンがオグリキャップを意識しているような気がするんだよな……)
先にゲートインしたスマートファルコンが、オグリキャップを横目で見ている。その間にはウララがいるが、ウララではなく明らかにオグリキャップを見ているのだ。
オグリキャップはそんなスマートファルコンの視線に気付いていないのか、気付いていながら無視しているのか、そこまではわからないが……。
(スマートファルコンとオグリキャップって何か因縁があったりするのか? ユニコーンステークスで勝ったウララのことを意識するのならまだわかるんだが……)
俺はスマートファルコンの様子から、そんなことを考えた。意識する、といえば何故か周囲の観客から俺も見られている気がしないでもないが、多分気のせいだろう。
気のせいということにしたいから、スマホを向けるのはやめるんだ。いや、スマホが顔とかじゃなくて二の腕付近の高さに向けられているから、俺じゃなくて隣のライスやキングを撮ろうとしているのかもな。自意識過剰だったわ、うん。
そうやってスマートファルコンを観察していると、大外枠までゲートインが終わる。それに伴い、観客席から少しずつ音が遠ざかっていく。
ジャパンダートダービーが、とうとう始まる。俺は深呼吸をして気を落ち着けると、ゲートの中で真剣な表情へと変わったウララをじっと見つめる。
『各ウマ娘、ゲートイン完了――スタートしました』
バタン、という音と共にゲートが開く。それと同時に色とりどりの勝負服を着たウマ娘達が、一斉にスタートを切った。
『各ウマ娘、綺麗なスタートを切りました。さあ、最初に誰が前へ出るのか……ハナを切ったのは2番スマートファルコン。それに続いて14番ハートシーザー、15番インディゴシュシュが前に出ます』
『第4コーナーからのスタートで、最初の直線は400メートル少々といったところです。第1コーナーまでにどれだけの差をつけるのかで今後のレース展開が変わりそうですね』
『逃げる3人のウマ娘に続き、4番オグリキャップ、6番オンステージレビュ、8番ショーティショット、12番クンバカルナ、7番プリスティンソング、9番インサイトキャッチが先行。1バ身ほど離れて3番ハルウララ、5番スローモーション、10番マリンシーガル、11番アクアレイク、13番ミニロータスが集団を形成しています。シンガリ付近に1番スレーイン、16番フェニキアディール』
スタートして第1コーナーに入るまで、400メートル近い直線になる。そのため各ウマ娘は無理に内側へと入らず、それぞれ自分が走りやすい位置をキープしながら駆けていく。
ウララは中団の先頭を走り、オグリキャップが先行している集団の先頭、そしてスマートファルコンが逃げを選択したウマ娘の先頭を走っている。
ウララが先頭とはいえ中団にいるのは、2000メートルという距離に備えてのことだろう。可能な限り鍛えてきたが、さすがに最初から飛ばしていてはスタミナがもたないのだ。
『ホームストレッチをウマ娘達が駆けていきますが、すごい歓声です。各ウマ娘の名前を呼ぶ……いえ、叫ぶ声が響いています』
「ウララアアアアアアァァッ! 頑張れええええええええぇぇっ!」
『ハルウララを応援する一際大きな声が混ざっていますね。やはり人気が高いのでしょう』
両手をメガホンの形にして叫ぶ俺。ウララは俺の声が聞こえたのか、真剣な表情ながらも口元に笑みを浮かべながら駆けていく。
『さあ、先頭が最初の直線を抜けて第1コーナーへと差し掛かります。先頭は変わらず2番、スマートファルコン。そこから3バ身ほど離れて14番ハートシーザー、15番インディゴシュシュ。1バ身離れてオグリキャップに率いられた先行集団が位置を変えながら追走。その集団から2バ身離れてハルウララを先頭とした集団が駆けていきます』
『スマートファルコンは良い逃げ足を持っていますが、今日は2000メートルです。最後まで持つスタミナがあるのか、それとも序盤で距離を稼ごうとしているのでしょうか』
大井レース場は平坦なコースで、ホームストレッチと向こう正面の約500メートルの直線二本に、約300メートルのコーナーがくっついた角丸四角形の形になっている。
坂がないため先頭のスマートファルコンとしてもラップタイムが計りやすく、逃げウマ娘としては非常に走りやすいコースだろう。
だからこそ、というべきか。
『先頭のスマートファルコンが第2コーナーを抜けて向こう正面へと突入しました。後続のウマ娘をグングン引き離し、他の逃げウマ娘との距離は既に6から7バ身ほど離れています。2番手争いをしているハートシーザー、インディゴシュシュ。そこから更に3バ身ほど離れてオグリキャップに率いられた先行集団がいます』
『これは……掛かっているのでしょうか? 単独で逃げ続けていますが、スマートファルコンの足とスタミナがもつのか疑問が残るレース展開になりつつあります』
スマートファルコンがとんでもないペースで逃げていく。逃げを選択した他のウマ娘達すら置き去りにして、コースに降り注ぐナイター設備の光を浴びながら向こう正面を駆けていく。
(掛かっている、か? いや、あの顔は掛かってるって感じじゃない。明らかに狙って大逃げしてるぞ……)
今日のスマートファルコンは、なんというか闘争心が剥き出しになっている感じがする。パドックやゲートインした直後には辛うじて内側に溜め込んでいた
『スマートファルコン、1000メートルを通過してタイムは58秒8……58秒8!? す、すごいペースで逃げています! 後続との距離を更に離しつつ、単独で先頭を逃げ続けています!』
『短距離ならまだわかるのですが、今回は2000メートルですから……しかも良バ場のダートでこのタイムは、いやはや、なんと言えば良いか……やはり掛かっているのかもしれませんね』
そんな実況と解説の声に、観客席の観客達の雰囲気も変わる。それまで思い思いに自分が推すウマ娘を応援していたが、単独で逃げ続けるスマートファルコンへ視線と意識が向けられているように感じられた。
(まずい……ウララとの距離は10バ身以上……ないとは思うが、あのペースを最後まで維持されたら到底届かん……)
短距離の速度で中距離を走り抜けるなんて、普通に考えれば不可能だ。今日のウララもタイム的に遅いわけではなく、十分に速い部類だろう。1000メートルの通過タイムで見れば、1分1秒台と
「っ!? まずいな、こりゃ……」
そこまで思考した俺は、思わず呟く。ウララのペースが速いというよりも、全体的にペースが速い。単独で逃げているスマートファルコンの姿に焦り、知らず知らずのうちにペースを上げているのだろう。
ウララの顔を見ると、僅かな焦りが感じ取れた。ただでさえ初挑戦となるGⅠで、中距離2000メートルというウララにとっての長丁場。それを予想外というより、予想という言葉を突き破って大逃げするスマートファルコンの姿に焦りを覚えないはずがない。
それでもウララはよく抑えている。終盤までに速度を上げ過ぎれば自分のスタミナがもたないと、よく理解している。今の段階でスパートをかけても途中でスタミナが尽きると判断して足を溜めている。
『先頭のスマートファルコンに釣られるようにして、後続もペースが上がっていきます。ハートシーザー、インディゴシュシュが加速してスマートファルコンとの距離をじりじりと詰め始めました。オグリキャップに率いられた先行集団も少しずつ速度を上げています』
『このままではスマートファルコンに逃げ切られますからね。さすがに終盤で失速すると思いますが、開いた差を詰められる位置にいなければ届かないと考えたのではないでしょうか』
『中団ではハルウララが僅かに下がったか、スローモーション、マリンシーガル、ハルウララ、アクアレイク、ミニロータスの順。シンガリ付近ではスレーイン、フェニキアディールが少しずつ速度を上げています』
他の差しウマ娘が前に出ても、ウララは冷静なままだ。ただし時折その視線が動いており、スマートファルコンと自身の間にどれだけの距離があるかを測っているように見える。
おそらく、残っているスタミナと己の最高速、その両方を
『残り800の標識を通過したスマートファルコンが第3コーナーへと駆けていきます。後続がじわじわと追い上げていますがまだまだ距離があります。誰が仕掛けるのか、それともこのままスマートファルコンの独走を許すのか』
スマートファルコンの逃げ足は衰えず、第3コーナーへ突入しても綺麗なフォームを保ったままだ。ただ、さすがにスタミナを消耗しているのか、額からは大粒の汗が流れ、息が上がってきているように見える。
そんなスマートファルコンに引っ張られるようにして走る後続のウマ娘達。スマートファルコンに続いて残り800メートルの標識を通過していくが、それを見た俺は目を細める。
(残り800……既に1200メートル走ってるわけだ。ウララにとってはここからが勝負所だが……)
1200メートルといえば既に短距離のレースを走ったことになる。そこから更に追加で800メートル走るとなると、スタミナの配分が重要なのは言うまでもないことだ。
それを思えば、2000メートルのレースで短距離の速度で既に1200メートルを走り抜け、今もなお先頭を走り続けるスマートファルコンがどれだけとんでもないことをしているのか、嫌でもわかるというものである。
『各ウマ娘が第3コーナーを駆けて第4コーナーを目指し――っと動いた! ここで動いたのは4番オグリキャップだ! 残り600ほどの位置で仕掛けてきた! 一気に速度を上げて前方のウマ娘を捉えにかかる!』
そして、残り600の地点でオグリキャップが動いた。ここが仕掛けどころと判断したのか、これ以上スマートファルコンの独走を許せば
オグリキャップの体が前傾姿勢になって僅かに沈み込む。そしてコーナーを走っているにも拘わらず加速し、どんどん速度を上げていく。
ウララはまだ動かない。いや、正確に言えば動けない。ライスならば残り600メートルの地点からでもロングスパートをかけられるが、ウララにそこまでのスタミナはないからだ。
(まだ我慢だ……まだだぞウララ……)
動いたレース展開に釣られることなく足を溜めているウララの姿に、俺は心の中で呼びかける。それが届くはずもないとわかってはいるが、懸命に駆けるウララの姿に俺は祈りにも似た言葉を投げかけてしまうのだ。
『単独で先頭を駆けるスマートファルコンがとうとう第4コーナーを抜けた! ここからは最後の直線! 残るは約400メートル! まだ足はもつのか!? 背後からはオグリキャップが徐々に迫ってきているぞ!』
『スマートファルコンもさすがに足が鈍ってきた……と言いたいところなんですが、まだ底が見えませんね。観客からもそんなスマートファルコンに大きな声援が飛んでいますよ』
「がんばれー! スマートファルコン!」
「ファル子がんばってー!」
「そのまま逃げ切れー!」
僅かに速度が落ちつつあったスマートファルコンだったが、観客から次々に飛んでくる声援が聞こえたのだろう。足が鈍りそうになったと思いきや、ギリギリのところで堪えて砂地を駆けていく。
スポットライト代わりにナイター設備の光を浴びて独走するスマートファルコンの姿は、応援したくなるのもわかるほど懸命だ。
『各ウマ娘が第4コーナーを抜けて――さあ来た! ここで新たに動いたのはハルウララ! ユニコーンステークスの勝者が! 『砂の隼』と『芦毛の怪物』を狙うように一気に速度を上げた!』
最終直線に入った瞬間、ウララが一気にギアを上げる。それまで溜めに溜めた足を、残り400メートルという距離で解放する。
「いっけええええええええええええええぇぇぇっ! ウララアアアアアアアアアァッ!」
それを見た俺は、後押しするように叫ぶ。むしろここで叫ばずいつ叫ぶのか。
ウララの瞳が輝き、加速した体が更に加速する。蹴りつけた砂地が爆発するように後方へ吹き飛び、ウララの体を前へ前へと押し上げていく。
『ハルウララ、一気に4人かわして上がっていく! 背後の脅威に気付いたのかオグリキャップも更に加速した! スマートファルコンはこのまま逃げ切ることができ――っ!?』
『オグリキャップとの間にあった差が縮まって……ません、ねぇ……』
実況が息を呑み、解説の男性が呆然としたような声を漏らす。
それも当然だろう。先頭を駆けていたスマートファルコンが、鈍ったはずの足で
『せ、先頭は変わらずスマートファルコン! 2番手に上がったのはオグリキャップ! しかしその距離はまだ4バ身から5バ身ほど開いている! 開いている!? す、スマートファルコンが凄まじい逃げ足を発揮しています!』
オグリキャップがスマートファルコン以外のウマ娘を抜き去り、ただでさえ前傾姿勢だった体を更に前へと倒す。そして凄まじい形相を浮かべたかと思うと、スマートファルコンを捉えるべくそこから更に二度目の加速へと移った。
『3番手にハルウララが上がってきた! しかしこれは遠いか!? 残り200の標識を通過してまだ先頭まで距離がある!』
オグリキャップが二度目の加速を見せ、スマートファルコンとの距離を縮めていく。ウララはそんな二人に倣うように、限界を超えるように、ギアをもう一段階上げた。
「がんばれウララちゃあああああんっ!」
「あと少しよ! がんばってウララさんっ!」
「まだだっ! いけっ、ウララアアアアアアアアアアァァァッ!」
ライスとキングが声を上げ、俺もコースと観客席を隔てる柵を叩きながら声を張り上げる。
ウララは既に限界だ。しかし、諦めてなどいない。ここから届く、届かせるのだといわんばかりに歯を食いしばり、スマートファルコンとオグリキャップを追う。
『スマートファルコンの背後にオグリキャップが! 隼を食い千切ろうと怪物が迫っている! しかしその差は3バ身! 更に更にその背後! 大井レース場の潮風に負けじと春一番が吹きこんでくる! 届くのかハルウララ!?』
既に加速し切ったオグリキャップを、ウララが捉えにかかる。しかし距離はもう、100メートルもない。オグリキャップを抜いて、そこから更にスマートファルコンを差し切れるかどうか。
叫びながらそれを見守る俺の視線の先で――ガクン、とウララの体が沈んだ。
「あ――」
思わず俺の口から絶望的な声が漏れかける。ウララの意思に反して限界を迎えた体が、スタミナが尽きた体が、その足から力を奪ってバランスを崩させていた。
もたなかった。2000メートルという距離は、トレーニングならまだしも本番のレースではウララには長かった。
それを俺に見せつけるようにウララの体が前のめりに倒れ――その直前で、ウララが砂地を蹴りつける。
『ハルウララが倒れっ!? いや、僅かにヨレたが持ち直した! しかしもう距離がない! スマートファルコン逃げる! オグリキャップが追う! そしてその後ろからハルウララが伸びてきている! だがもう、距離がないっ!』
俺はウララの表情を見て、大きく表情を歪めた。これまでにないほど息を荒げ、今にも足を絡ませて転んでしまいそうなウララの姿を。
――しかし決して諦めず、懸命に、必死になって走るウララの姿を。
『ハルウララがオグリキャップに並んだ! しかしっ! 今っ! スマートファルコンが逃げ切ってゴール! 1着はスマートファルコンだ!』
それでもなお、ウララは届かなかった。限界を超え、残り2バ身のところまで迫ったものの、届かなかった。
『2着は……ハルウララか!? オグリキャップか!? 同時にゴールを駆け抜けたように見えたがどちらだっ!? そして4着を争うようにスレーインが突っ込んできた! 5着はハートシーザー、ミニロータスが争いながらゴール!』
実況の声を聞きながら、俺はゴールを駆け抜けたウララを見る。
ウララは力を使い果たしたのかフラフラとよろめいており、最後には力が抜けたようにコースへ膝をついた。そして胸を押さえながら荒い呼吸を繰り返している。
1着でゴールを切ったスマートファルコンも同様で、膝を突くことはなかったが息を荒げ、足を震わせている。
最後にウララと並ぶことになったオグリキャップだけが真っすぐに立ち、息を整えながらスマートファルコンを見つめていた。ただ、額から流れる汗を拭おうともせず、頬に張り付いた芦毛を払うこともしない。
『着順が確定いたしました。1着2番、スマートファルコン。勝ち時計は2分3秒1。2着は2バ身差で4番、オグリキャップ。3着はハナ差で3番ハルウララ。4着は4バ身差で1番スレーイン。5着は1バ身差で14番ハートシーザー』
『レコードまであとほんのコンマ数秒でしたが、良バ場でのタイムとは思えないタイムが出ましたね。逃げ切ったスマートファルコンに、観客席から大きな声援と拍手が送られています』
着順が読み上げられ、観客席からスマートファルコンに対して大きな声援が飛ぶ。それを聞いたスマートファルコンは大きく息を吐いたかと思うと、にっこりと笑みを――
「応援ありがとー! ファル子、勝ったよー!」
そして、よく通る声で己の勝利を謳い上げる。それと同時にウマドル志望らしい可愛らしいポーズを取ると、観客の声がより大きくなった。
(届かなかった、か……いや、2000メートルのレースと思えばウララは健闘した方だ……)
今回のレースは、何よりもスマートファルコンを称賛すべきだろう。最初から最後まで逃げ切ったあの足は、間違いなく称賛するべきものだった。
今も足を震わせながら、それでも観客へと笑顔を振り撒くその姿勢には頭が下がる思いだ。
だが、それでも、だ。
(……くそっ!)
俺は心中で声を吐く。悔しくて悔しくて、仕方がない。
元々ウララにGⅠの舞台を経験させておきたかった、将来走るであろう短距離やマイルのGⅠのためだった、なんて言葉が脳裏を過ぎるが、そんなもんは蹴り飛ばす。
ウララは本当に頑張った。今もなお、膝を突いたまま立ち上がることができていないほどに消耗しながらも、走り抜いたのだ。
それも最後はオグリキャップと競うところまで伸びた。あと僅か、ほんの僅かに届かなかったが、それでも限界を超えてみせたのだ。
俺は拳を握り締める。強く握り込んだせいでブルブルと震えるが、歯を噛み締めて悔しさを押し殺す。
俺の視線の先で、観客席に向かって手を振っていたスマートファルコンが踵を返す。そしてオグリキャップとすれ違い……僅かに口元が動いた、か? 何か言葉を放ったのか、オグリキャップが愕然とした顔でスマートファルコンへと振り返る。
しかし、スマートファルコンは既にオグリキャップを見ていなかった。膝を突いたまま立ち上がれないウララの傍に歩み寄ったかと思うと、自身の膝が汚れるのに構わず膝を突き、ウララを抱き締めるようにして立ち上がらせる。
そして柔らかな雰囲気で言葉をかけ、ウララもそれに応じるように笑顔で、しかしたしかな悔しさを滲ませながら頷いていた。
大丈夫かと尋ね、大丈夫だと答え――続いてウララが何かを口にする。それは、次は負けない、だろうか。
スマートファルコンは大きく目を見開くと、先ほどと同じように心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
ウララに肩を貸しながら、スマートファルコンがコースから引き上げていく。その二人の姿に、観客達から拍手と声援が降り注ぐ。
俺はライスやキングと共に駆け出すと、コースの出入り口へと移動した。そして移動してきたスマートファルコンとウララを待ち受ける。
「あっ、ウララちゃんのトレーナーさんだっ☆ ファル子の出番はここまでだねっ!」
そう言って笑うスマートファルコン。俺はまだ呼吸が整っていないウララを抱き留めると、小さく頭を下げる。
「すまない、スマートファルコン。それとありがとう」
「お礼はいいよっ! わたしとウララちゃんの仲だもんっ☆ それじゃあ先にライブの準備をしてるね、ウララちゃん」
スマートファルコンは可愛らしいポーズを取ったかと思うと、背中を向けて去っていく。
それを見送った俺は、抱き締めたウララへ視線を移した。
「ウララ、大丈夫か? ゆっくりでいい、深呼吸をするんだ」
「うん……」
ウララは俺の指示通り、ゆっくりとした深呼吸を繰り返す。しかし足が震えたままで、自分一人では立てないようだった。
「……怪我は、してない……よな?」
痛みで立てないわけではない。ウララの動き方からそう判断した俺だったが、声を震わせながら尋ねる。するとウララは弱々しく笑みを浮かべた。
「だい、じょぶ……ちょっと、疲れちゃっただけ、だよー」
「そうか……良かった……」
心の底から安堵する。俺は取り出したハンカチでウララの汗を拭うと、ウララを横抱きに抱え上げた。
「ウイニングライブまで少し時間があるし、控室で休もうな」
「うん……わかった」
ウララは大人しく頷き、力を抜いて俺に体を預けた。俺はライスとキングに先導を頼むと、そのまま歩き出し。
「ねえ、トレーナー……」
「どうした?」
ウララからの呼びかけに、優しく応じる。すると、ウララは右腕を持ち上げ、自分の目元を隠すように置いた。
「勝負服でのウイニングライブ、だね……」
「ああ……そうだな。初めてのGⅠで3着なんだ……胸を、張っていい……ぞ……」
そう言いつつ、俺は声が詰まってしまう。
ああ、そうだとも。初めてのGⅠで3着なら、誇らしい結果だ。それもウララにとって厳しい中距離のGⅠでの3着だ。誇らしい……はずなんだ。
「わーい……やったよ、トレーナー……この勝負服で、ウイニングライブだもんね……すごく、すごく……うれし……」
俺だけでなく、ウララも言葉に詰まった。嬉しいと言いかけて、しかし言い切ることができずに、体を震わせる。
「すごく……くや、しい……」
そして零れた言葉が、ウララの心情の全てだった。目元を隠したものの、頬を涙が伝っていく。
「くやしい……くやしいよ、トレーナー……とどかなかった……ファル子ちゃんにも、オグリちゃんにも、とどかなかった……」
「っ……」
俺はウララを抱きかかえた両腕に、力を込める。
ああ、くそ、やっぱり駄目だ。何度味わっても、この痛みは慣れない。胸を掻きむしりたくなるような悔しさに、俺は唇を噛み締める。
「ウイニングライブ……このかっこで、センターに立ちたかった、なぁ……」
ウララはそう零し、体を再度震わせた。いや、震えたのはウララの体じゃなくて、俺の体か。あるいは両方か。
「ごめんな、ウララ……勝たせてやれなくて……ごめんなぁ……」
俺は深いため息を吐くようにして、言葉を零す。ウララはそんな俺の言葉に小さく頷き、俺と同時に声を発した。
「だけど――」
「でも――」
――次は勝つ。
俺はハルウララのトレーナーで、ウララはそんな俺のウマ娘だ。
次こそは勝つ、勝ってみせると互いに誓いながら、そっと涙を流したのだった。