リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
とうとう始まった夏の合宿。既に五日ほど経過しているが、普段と違う環境ながらも少しずつ生活に慣れ始め、俺達は充実した毎日を過ごしていた。
ただ、これを良い機会と捉えてウララ達を更にレベルアップさせようと考えている俺だが、朝から晩まで一日中トレーニングに励むかといえばそうではない。
限界を少しだけ超えるところまでは追い込むが、それ以上負荷をかけ続けても疲労が溜まるだけで成長にはつながらないからだ。だからこそメリハリをつけ、なおかつ怪我しないよう注意しつつトレーニングに励む必要がある。
あと、梅雨が明けて真夏が到来したため、日中は滅茶苦茶暑い。そのためトレーニングメニューとしては一番気温が高い時間帯は避けて、まずは朝の9時から11時までの2時間トレーニングをさせる。
そこからウララ達に休憩や昼食を取らせ、トレセン学園から出された宿題を解かせる時間を設ける。で、15時から18時までの3時間の計5時間がトレーニングの時間だ。
もちろんそのトレーニングの合間合間に休憩を挟んでいるため、一日のトレーニングは実質4時間少々といったところだろう。
真剣に、一切の手抜きなく4時間トレーニングをするとなると、人間にはかなりきつい。というか、俺なら倒れる。しかし人間よりも優れた身体能力を持つウマ娘なら大丈夫だし、内容を濃くすれば4時間でもしっかり鍛えられるのだ。
なお、昼の休憩時間の間、俺はトレセン学園からメールで送られてくる仕事を片付けている。ただしたづなさんが言っていた通り作業量はかなり少なめで、ほんの一、二時間集中して取り組むだけで片付く量だったりする。
そういうわけで、ウララ達のトレーニングにも熱が入るというものだ。
「走る時は全身の筋肉やバランスを意識しろ! 特にバランスに気を付けるんだ! ほらキング! 上半身が揺れてるぞ! もっと背筋を意識しながら走れ!」
「っ……わかってるわ! もう一本!」
「よし、その意気だ! ウララとライスももう一本! 併走して隣の子には負けるなよ!」
「はーい!」
「うん!」
俺はストップウォッチ片手に、ウララ達に声を飛ばす。
今は午前中のトレーニングだが、俺は砂浜をトレーニング場所に選んだ。しかも、砂浜は砂浜でも、わざと波打ち際を走らせている。
砂浜なら普段トレセン学園で走らせているダートと大差ないが、波打ち際なら話は別だ。寄せては返す波が砂地をしっかりと湿らせ、バ場状態でいえば不良に近い状態になっている。
そのため、走る際に非常に力がいる。それでいて砂地自体は海水で柔らかくなっており、膝にも負担がかかりにくい。
その上、時折くる大きい波がバランスを崩させようとするため、走るのに難儀するような環境なのだ。あと、ウララ達が走ったことで抉れた砂地も、数分も経たない内に波が砂を運んできて元に戻る。整備要らずの不良バ場ダートコースと思えば最高である。
問題があるとすれば、靴の裏に打ち込んでいる蹄鉄が錆びやすい点か。防錆加工されたものを使っているが、トレーニングの後はきちんと手入れしなければ傷んでしまう。
あと、海水に濡れてもいいようにトレセン学園指定のスパッツ型の水着を着ているが、そこにトレーニングシューズを履いている絵面がちょっとアブノーマルな感じがするぐらいか。でも裸足で走らせて、貝殻でも踏んだら怪我をするから仕方ないのだ。
ウララとライス、キングを走らせた感想としては、足場が足場だけにウララが一番速い。しかしライスも自前のスピードとスタミナで喰らい付くし、キングは根性でついていく。三人で競い合うようにして走る姿は、普段のトレーニング以上に輝いて見えた。
(やっぱり環境が変わると気合いのノリも違うな……)
足場が悪いコースならウララが一番輝くが、これが芝のコースや整備された山道になれば話は別だ。ライスがぶっちぎるのをキングが気合いでついていき、更にウララも頑張ってそれについていくことになる。
「ああもうっ! もう一本よウララさん! 次は負けないわっ!」
「うん! わたしも負けないよー!」
だが、この場において一番強い……いや、一番
午前中のトレーニングが終われば、夕方のトレーニングまでは時間が空く。
そのため俺は手早く仕事を片づけると、ウララ達の部屋を訪れた。きちんと宿題をしているか確認するためだ。
ライスとキングは座卓に積まれた宿題を次から次へと片付けているが、ウララは自分の頭を揉み解すようにぐりぐりと指でつついてる。しかし俺が部屋に来たことに気付くと、ぱぁっと表情を輝かせた。
「あっ、トレーナーだ! ねえねえトレーナー! べんきょー教えてよー!」
「おう、いいぞ。どこがわからないんだ?」
「えへへー……全部っ!」
にっこり可愛らしい笑顔でとんでもないことをぶっちゃけるウララ。ははは、こやつめ。
トレセン学園から夏季休暇の間に出される宿題は、質もさることながら量も多い。これはトレセン学園が文武両道を掲げているのが理由だが、中にはウララのように勉強が苦手な子もいる。
俺はウララの傍に腰を下ろしてあぐらを掻く――と、ウララはそんな俺のあぐらの上に座ってきた。そして俺の体を背もたれにして、俺を見上げてくる。
「宿題がすっごいおおいの! きまつしけんはキングちゃんが教えてくれたけど、宿題もすっごく難しいんだよー!」
「ウララさんに教えているうちに、わたしの成績が上がったのはなんとも言えないわ……良い復習にはなったけど、ウララさんも普段からきちんと授業を聞かないと……って、それは勉強する姿勢じゃないでしょ!?」
宿題を解きながら答えていたキングだが、俺の足の上にウララが座っているのを見てすかさず突っ込みを入れる。ライスもそんな俺とウララの姿に気が付くと、解いていた数学の問題集を掲げた。
「ら、ライスもわかんないっ! お兄さま、ライスにも教えてほしいなっ」
「中等部の問題ならわかるけど、高等部の問題はどうかなぁ……あとで見てみるから、解けるところを先に解いていてくれよ」
ウララの宿題を進めさせないと、夏休み最終日に地獄を見るからね。いや、それも夏休みの風物詩といえばそうなんだろうけど。
あとライス、俺は中央のトレーナーライセンスを取ったし、トレーナーの養成校も出てるけど、トレセン学園高等部の科目に関して教え切れるか怪しいんだ……使わない知識はどんどん忘れていくし、学校によっては授業内容が全然違うんだよ……。
「じゃ、じゃあ、ライスがお兄さまの膝の上に乗るから、ウララちゃんはライスの膝の上に乗って、二人でウララちゃんを教えよ? そっちの方が早いよ」
「それどんな状況? って、え? 本当にやるの? 別にいいけどって足があああああぁぁっ!?」
さすがにあぐら掻いたところに二人分の体重が乗るとやばいっ! 交差してる部分に滅茶苦茶負担がきてるっ!? あ、これ形が崩れた四の字固めじゃない?
「遊ぶのはあとにしなさいなっ!」
「はい……」
「はーい……」
「ごめんなさい……」
そしてキングにうるさいと叱られるやつがいた。というか、俺とウララとライスだった。
そのあとは普通にウララの宿題を手伝ったが、昔に習った内容と変わっている部分があって困る俺がいたのだった。
午後3時。夏場のためまだまだ太陽が頭上から殺人的な熱射線を放っているが、午後のトレーニングの時間である。
午前中は足腰を重点的に鍛えさせたから、午後はスタミナを中心に鍛えようと思う。近くの山に向かい、山道を走らせるのだ。
「よーし、それじゃあ準備運動は済んだな。転ばないよう注意しつつ、まずは山までいくぞ!」
そう言って俺は借りてきたバイクのエンジンを点ける。合宿に来たトレーナー向けにトレセン学園が貸し出しているもので、せっかくだからと借りることにしたのだ。
なお、バイクと言っても排気量は90ccで、分類としては原付二種だ。車検がいらないし、保険料が安いしで、数が少ないながらも貸し出していたので借りてきた。俺は大型二輪免許を持っているし、たまにはこうして二輪を走らせてみたくなる。
乗る前に方向指示器やタイヤの空気圧、ブレーキやクラッチなんかも確かめたが、きちんと手入れがしてあって問題はない。問題があるとすれば、法定速度が60キロってところぐらいだ。一応、速度メーターは100キロまで表示されてるけどね。
夏場だから暑いが、長袖と長ズボンをしっかりと着込み、手にはライダーグローブもつけている。こけるつもりはないけど、もしもこけたら危ないしね。
バイクでウララ達を先導するようにして近くの山へと向かう。そして一度停車すると、息一つ乱さずついてきていたウララ達へと視線を向けた。
「それじゃあ、今日は俺もバイクでついていくからな。車は来ないらしいけど、気を付けて走ること。それと体に異常があったらすぐに伝えること。いいな?」
俺がそう言うと、元気よく返事が返ってくる。
これから使用する山道はウマ娘のトレーニング用に整備された道で、アスファルトが敷かれているためバイクでも走りやすい。車が走れるぐらい道幅があるけど進んだ先に何もないため、車が入ってくることはない。それでも一応、持参した『ウマ娘トレーニング中』という案内板を道路に設置すると、ウララ達へ視線を向けた。
「それじゃあスタートだ!」
俺がそう言うと、ウララ達が一斉に走り出す。山道は片道2キロと、長距離を走るウマ娘にとってはそれほど長くない距離だ。ただし急勾配になっており、ウマ娘でも平地のようにすさまじい速度で駆けることができず、一度登り切るだけでけっこうな負担になる。
「ほーらウララ、がんばれ! ライスとキングに置いていかれるぞ!」
そして、砂浜でのトレーニングはウララの独壇場だったが、足場が荒れていない場所だとウララが一気に遅れてしまう。それでも先頭を走るライス、それに僅かに遅れてついていくキングには負けるが、バ身差で言えばギリギリ大差にならないぐらいの遅れでついていっている。
「はぁ……はぁ……よーし! 負けないもんねー! ウララ、ゴー!」
自分自身を鼓舞するように叫び、ウララがペースを上げる。それを見た俺は頬を緩めると、バイクのエンジンを吹かして今度はキングの後方へつけた。
「おっとウララ選手、一気にペースを上げました! キング選手、すぐ後ろにウララが迫っているぞ! このまま抜かれるのか!?」
「ちょっ、なんで実況風なのよ!? って、本当にすぐ後ろに来てるじゃない!」
背後に迫るウララに気付き、キングは負けん気を発揮してペースを上げる。それでも根性ならウララも負けない。引き離されることなくキングの背中を追いかけ続ける。
(足元が芝じゃないし、キングもトップスピードには乗れんよなぁ……)
ウララには不利な足場だが、キングに有利かというとそうでもない。しかし競い合うようにして走る二人の姿に、俺は大満足だ。
そこから俺はバイクを加速させ、今度はライスに追いつく。
「ライス! 後ろにキングとウララが――」
「ならもっと飛ばすね?」
来てるぞ、と言おうとしたら、一気にライスが加速した。どうやらキングについてこさせるために、ペースを落としていたらしい。グン、と加速したライスの姿に、俺はギアチェンジしてアクセルを回す。
「良いペースだ! さすがだなライス!」
俺が追いついて声をかけると、ライスは負けじとスピードを上げる。そのため俺はバイクを運転しながら更にギアを上げた。
こっちは90ccでいくらウマ娘が相手といっても、二輪で追いつけないとかなんか滅茶苦茶ショックだな!? なんて思いながら、俺は先行するライスに合わせて車体を傾け、カーブを曲がっていく。しかし、それでもライスを追い越すことができない。
バイク乗りとしてなんとなく対抗心が湧いた俺は、ローギアに叩き込んで一気に加速する。90ccだから急勾配の坂道の加速が重いが、さすがにライスを抜かすことに成功した。サイドミラー越しにライスの姿がどんどん遠くなる。
「さあ、ついてこれるかな!?」
「お兄さまが相手でもライスは負けないよっ!」
テンションが上がって叫ぶ俺に、ライスも応じるように叫ぶ。
「よおし! もしも頂上までに俺を追い越せたら何でも言うことを聞いてやるぞ!」
人参ハンバーグでも何でも作ってやるし、買ってほしいものがあったら買ってやろう。俺はそう思いながら、発破をかけるためにもそう言った――のだが。
「――絶対に勝つ」
そんな声が聞こえた瞬間、サイドミラーに映っていたはずのライスの姿が消えた。え? と思った瞬間には、バイクに併走するようにして走るライスの姿があった。
(どんな加速だ!?)
ここ平地じゃないんだけど!? なんて思いつつも、俺の体はきちんとバイクを運転してくれる。いくらライスでもトップスピードを維持できる時間は限られているが、バイクは壊れない限り、速度を落とそうと思わない限り速度を維持できる。
だから負けることはない、と考えるのが普通だろう。
(あ、いかん。ライスがガチだ)
なんというか、レース本番のような気迫を放ちながらライスが俺を追ってくる。気のせいか青い炎を幻視しそうだ。下手すると有馬記念の時並の気迫で俺を差そうとしてくる。
(ヒェッ……)
なるほど、ライスにマークされたウマ娘はこんな気持ちになるのか。この、心臓がきゅっと縮みそうな気迫はさぞやプレッシャーになることだろう。
生存本能に責め立てられた俺は、そのままアクセルを全開にして一気に逃げる。大人げないとか、花を持たせるとか、そんな考えは一切湧かなかった。
なお、全力で逃げたことにライスが拗ねてしまったが、山道を全力疾走したライスの足に過度な負担がかかっていないかしっかりとチェックしていたら、ライスの機嫌はいつの間にかなおっていたのだった。
そして夜。旅館の食堂で夕食を取り、ウララ達は自室でのんびりしたり温泉に入ったり、俺は自室でレース研究をしたりと、思い思いの時間を過ごす。
俺もトレーニングで汗を掻き、ライスに追いかけられて冷や汗を掻いたため、既に温泉に入った後だ。パジャマではなく旅館が貸し出している浴衣を着て、のんびりレース映像を見ているところである。
時刻は既に午後九時と、普段で考えれば寝るには早い時間だが、明日も朝からウララ達のトレーニングを行うとなるとそろそろ寝る準備をしなければいけない。
でもあとちょっと、あと一時間……いや二時間……日付が変わるぐらいまではセーフじゃないかな、なんて思いながらレース映像を片っ端からチェックする。普段よりゆっくり起きて良いし、睡眠時間は十分確保できるし、最近ちょっと寝付きが悪いし。
しかし、不意に扉がノックされて俺は考えを中断した。何事かと思って扉を開けてみると、そこには何故かウララが立っている。
ウララはピンク色のパジャマを着ており、既に寝る準備は万端といった感じだ。そのため何か用かと首を傾げる。
「どうした? 何かあったか?」
「えへへー……おやすみの挨拶だよー!」
そう言ってにぱっと笑うウララ。日中はトレーニングで徹底的に鍛えているから疲れもあるし、早めに眠るつもりなのだろう。
俺はそう思っておやすみの挨拶をしようとしたが、ウララは何を思ったのか、上体を傾けて俺の部屋を覗き込んでくる。
「トレーナー、お仕事してるの?」
「いや、仕事は昼間に片付けたから……あー、レースやウララ達のライバルの研究だな」
隠しても仕方がない、と俺は苦笑しながら答えた。するとウララは何を思ったのか、俺をじっと見上げてくる。
「トレーナー、だいじょぶ? 疲れてない?」
「ん? ははっ、大丈夫だぞー。トレセン学園で仕事してるよりよっぽど楽だからな」
俺は心配してくれるウララに笑みを向け、その頭を撫でる。実際、仕事量がかなり減っているため楽なのだ。それに温泉でゆっくりできるし、食事も食堂で食べられるから準備や片付けの時間がかからないというのも大きい。
「……ほんと?」
おや、ウララが上目遣いで尋ねてきたぞ。本当にそんなに疲れてないんだけど、なんか心配そうな顔をしている。
「本当だって。でも……そうだな。それならウララにちょっと頼んで良いか?」
「何を?」
「肩たたき。ウララが肩たたきしてくれたら、すっごく元気になりそうだなって」
ウララも疲れているだろうから、こんなことを頼むつもりはなかった。しかし、俺もトレーニングの時間以外ではリラックスしているんだよ、とウララに見せれば安心してくれると思ったのだ。
「うん、いいよー!」
ウララは笑顔で頷いてくれる。ああ、その笑顔が眩しいわ。
俺はウララを部屋に上げると、布団の上に座ってウララに背中を向ける。するとウララは握りこぶしを作り、俺の両肩を叩き始めた。
「とんとん、とんとん、トレーナー、どう?」
「うん、気持ちいいぞー」
主に俺の心が癒されている。ああ、癒されるんじゃあ……。
「わー……肩がガッチガチだー! すっごいね!」
「それすごくない……すごいとヤバいやつ……」
実際、肩こりが酷いことになると頭痛やら吐き気やらもするようになる。そこまでいくとマジでヤバい。俺は鼻歌混じりに肩を叩いてくれるウララと言葉を交わしつつ、目を細める。あー……癒されるぅ……。
ウララは肩を叩いていたが、やがて拳が肩甲骨辺りまで降りてくる。ちょっと肩叩きというには低いなぁ、なんて思いつつ、俺はなんとなく布団に転がった。すると、ウララはそのまま俺の背中から腰にかけて叩いてくれる。
「うんしょ、うんしょ……えへへ、どう、トレーナー? きもちいい?」
「ああああ……極楽極楽……」
ウララのマッサージは、上手か下手かで言えば下手だ。しかし、ウララが一生懸命マッサージをしてくれているという事実だけで、俺は全身から疲れが抜けていく思いである。
というか、口から魂が出そうなぐらい気持ちいい。ウララは俺の反応を見て楽しそうな声を上げると、今度は俺の足の裏を自分の足で踏み始めた。
ああ、足のツボが刺激されるぅ……いかん……なんか急に眠くなってきた……部屋にはエアコンがついていて温度は快適だし、ウララのマッサージが気持ちいいし……。
「トレーナー……いつも、ありがとね」
そんなウララの優しげな声を最後に、俺の意識は途切れたのだった。
「…………んお?」
翌朝、俺は目を覚ますなり天井を見上げながら妙な感覚を覚えて声を漏らす。なんというか、ここ最近なかったぐらいぐっすりと眠れたのだ。
夜中に目を覚ますこともなく、寝ている間に夢を見た記憶もない。ただただ深い眠りに落ちて、体が休まったようだ。
「んー……よく、寝たなぁ……」
布団の上で頭の上に突き上げ、ぐいーっと体を伸ばす。そして腕を戻し――なんか、サラッとした感触があった。
「……?」
天井から視線をずらし、横を見る。すると、そこには長い桃色の髪が眩しい、なんとも可愛らしいお嬢さんが丸まって眠っていた。
「……?」
はて……深く眠り過ぎたのか頭が働かないが、この可愛らしいお嬢さんは誰だろう……頭部にはウマ耳が生えているためウマ娘だろうが、
「んぅ……パパ……」
そんなことを言いながら俺の方に手を伸ばしてくるウマ娘。父性を刺激された俺はぼーっとした頭でそのウマ娘の頭を優しく撫でる。
「んへへ……」
にへら、とウマ娘の表情が崩れた。俺はよしよし、良い子だ、と頭を撫で、ウマ耳を優しく撫でる。するとますますウマ娘の表情が崩れ、俺にしがみついてきた。反射的なものなのかウマ耳がぴくぴくと動き、尻尾も甘えるように俺の足をぺちぺち叩いてくる。
(んーむ……いつの間に俺に子どもが出来たんだ……でも可愛いし、ヨシッ……)
胸の中になんとも暖かな感情が広がっていく。なんだろう、お日様みたいな匂いもするし、心が安らぐ。そう、まるでウララの頭を撫でた時のような――って。
「本当にウララじゃねえかっ!?」
目が覚めた。いや違う、脳が覚醒した。そしておったまげた。
なんでウララが俺と一緒に寝てんの? え? なんで? 昨晩何かあったっけ? 昨晩は……あー、そういえば、ウララがマッサージをしてくれたような……。
もしかして、そのまま俺の部屋で寝ちゃったんだろうか。俺はあまりにも心地良くてそのまま眠りに落ちたんだろうが、ウララは部屋に帰っても良かっただろうに。
ウララは普段ポニーテールにまとめている髪を解いているため、かなり印象が違う。普段は明るい元気っ子って感じだが、髪を解いて眠っているとあどけないお嬢さんって感じだ。
しかし隣でウララが寝ていて全く目が覚めなかったということは、それだけ眠りが深かったのか、ウララのマッサージが効いたのか、安心感でもあったのか。
(うーん……ここ最近の疲れが一気になくなった感じが……)
もしやウララから疲れを癒すマイナスイオン的な何かが出ていたんだろうか。ウララセラピーか。
俺がそうやって首を傾げていると、その気配を感じ取ったのかウララが目を開く。そして眠たそうに数回瞬きすると、俺の顔を見てふにゃりと笑った。
「あー……トレーナーだぁ……おはよー……」
「おはよう、ウララ」
そう言いつつ、俺は時計を確認する。時刻は午前八時前と、さすがにそろそろ起きなければまずい時間だ。そのためウララを起き上がらせる。あ、髪を解いて寝てたから、ウララの寝ぐせがやばい。
一応身だしなみを整えるために自前の櫛もあるが、部屋に帰ればウララも櫛の一本や二本、持ってきているだろう。というか、キング辺りが髪を梳いてくれそうだ。あと、体を起こさせても脳が起きてないのか、ウララの頭が徐々に傾いていく。
「トレーナー? そろそろ起きたかしら?」
そんなことを考えていたら、部屋の扉がノックされた。声の主はキングで、俺はウララを布団に戻してから扉を開ける。
「おはよう、トレーナー。さすがに起きたわね。ウララさんは? まだ眠っているのかしら?」
そして平然とそんなことを聞いてくるキング。いや、なんかおかしくない?
「あら、やっぱり眠っているわね。この子ったら、寮でも中々起きないのよ……もう、寝ぐせもひどいことになっているし、もう少し早く起こしに来れば良かったかしら」
そう言って俺の部屋に上がるキング。その手には櫛が握られており、慣れた様子でウララを起こしたかと思うと髪を整え始める。
……いや、本当におかしくない? ウララが俺の部屋に来ているのを知ってるのなら、昨晩の内に隣の部屋に連れ帰ってくれてもいいんじゃない?
俺がそんなことを考えていると、その考えを読んだのだろう。キングが苦笑を浮かべる。
「言いたいことはわかるわ。わたしもウララさんを運ぼうとしたのよ。そうしたら……」
そう言いつつ、何故かスマホを取り出すキング。そして何やら操作したかと思うと、画面を俺に向けてくる。
そこには、大の字になって眠る俺と、そんな俺のすぐ隣で俺と同じように大の字になって眠るウララの姿があった。どうやらスマホで撮影したらしい。で、写真をよくよく見て見ると、ウララが俺の浴衣をしっかりと握り締めているのが確認できる。
「あなたとウララさんが一緒に眠っているところを見たら、起こすのも野暮だと思ったのよ」
キングは呆れたように、それでいて微笑ましいものを見たように笑う。
「それに……ふふっ。あなたとウララさんの寝顔がそっくりで、無理矢理部屋に連れ戻す必要もないと思ったの」
くすくすと笑うキングに、俺は困ったように頭を掻く。寝顔がそっくりって……あ、写真は数枚撮ってあるが、なんか俺とウララが同じタイミングでおっきな口を開けて寝てる写真があったわ。たしかにそっくりだな。
「いやでも、そこは連れて行こうよ」
「無理矢理連れて行こうとしたのだけど、あなたの服をしっかりと握ってて離さなかったのよ……この子、一度眠ったら全然起きないし、ライス先輩と二人がかりで離そうとしても離さないし……」
どうやら旅館から借りた浴衣がピンチだったらしい。さすがにレンタル品を破損したらまずいけど、そこは頑張って連れて行ってほしかった。もしくは俺を起こしてほしかった。
「ウララさんもだけど、あなたも全然起きなかったのよ? 声をかけても起きないし、揺さぶって起きないし……途中で諦めたわ」
え? そんな記憶ないんだけど、どんだけ深く眠ってたんだ? もしかして知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたんだろうか……。
「帯を解いて、浴衣ごとウララを連れて行くとか……いや、なんでもない。忘れてくれ」
他にできそうな手段を思いついた俺だったが、寝ている間に脱がしてくれて良かったのに、なんて取られそうで取り消す。いや、それ以外に取られようがないんだけど。アカン、寝起きで頭の働きがおかしくなってるのやもしれぬ。
「あと、ライス先輩があなたの隣で眠ろうとしてたけど、そっちは引きずって帰ったわよ。ウララさんは無邪気だけど、ライス先輩は、その……」
ごにょごにょ、と言葉を濁すキング。なに? 声が小さくて本当に聞こえないんだけど。耳を澄ましても聞こえないんだけど。ライスはどんな感じだったの?
俺は少しばかり気になったものの、ちょっと怖くて尋ねる度胸はなかった。そんな俺に、キングが俺の部屋の鍵を投げ渡してくる。
「鍵を開けっぱなしにしておくのは不用心だし、閉めさせてもらったわ。次からはちゃんとウララさんを部屋に戻してちょうだい……ほら、ウララさん、部屋に戻るわよ。ちゃんと起きてちょうだい」
そう言いつつ、キングはウララに肩を貸しながら俺の部屋から出て行く。それを見送った俺は、これからはもう少し早めに寝て疲れを残さないようにしよう、と決意するのだった。
なお、そのあとしっかりと起きたウララに何故俺の部屋で寝ていたのか聞けば。
「トレーナーが眠っちゃってね、わたしも眠くなったからおやすみしたんだよー」
という、なんともリアクションに困ることを言われた。
俺達チームキタルファは、そんな普段とは違う、少しだけ非日常的な毎日を合宿として過ごしていくのだった――が。
合宿を始めて一週間ほど経過したその日。食堂でお昼ご飯を食べていたら、なんか、見慣れた人が旅館に入ってきた。
「あっ、き、奇遇ですねっ!」
それは、桐生院さんとミークだった。
今日のミーク
桐生院「ミーク! ミーク! 今年の夏休みは合宿をしてもっと強くなりましょう!」
ミーク「合宿……いいですね。いつから行くんですか?」
桐生院「今 か ら で す !」
ミーク「…………」
その日、桐生院葵は人生で初めてミークから尻尾で足をぺちっと叩かれ、大急ぎで合宿のスケジュールを組み立てるのだった――。