リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第59話:新人トレーナー、夏合宿へ赴く その3

 合宿開始から一週間が経過した。

 

 その日は朝からウララ達に近場にある普通のコースで芝とダートの両方を走らせ、合宿前とのタイムの差をチェックして一週間でどれぐらいトレーニングの効果があるのかチェックし、午後からは海で遠泳させようと思っていたのだが……。

 

「あっ、き、奇遇ですねっ!」

 

 昼ご飯を食べていると、旅館に桐生院さんとミークが来た。本当に奇遇ですねぇ……いや、どんな偶然が働けば実現するんだこの状況。

 

 桐生院さんはグルグルお目目で俺に向かって手を振ってるが、その後ろでミークがフレーメン反応しちゃった猫みたいな顔をしている。あの顔、以前も見たぞ。

 

「桐生院さんとミークも合宿ですか?」

 

 俺はミークの表情を見なかったことにして尋ねる。すると、桐生院さんは何度も頷いた。

 

「はいっ! やっぱり普段と違う環境でトレーニングするのは大切ですからねっ!」

 

 あれ? どっかで聞いたセリフだぞ……いや、気のせいだな、うん。

 

「わーい! ミークちゃんだー!」

「あら、ミークさんじゃない。ごきげんよう」

 

 ウララとキングはミークに声をかける。ウララとしては親しい友人の一人だろうが、キングにとってミークはライバルだ。それでも何の隔意もなく声をかけられるあたり、肝が据わっているというか、性格が良いというか。

 

「…………」

 

 そしてライス? ライスさん? 何故無言で俺に抱き着きながら桐生院さんを見ているんだい? 桐生院さんだよ? 敵じゃないよ?

 

「えーと……とりあえず、チェックインして荷物を置いてきてはどうでしょうか?」

 

 俺はひとまずそんな話を振る。すると、桐生院さんはハッとした様子で受付へと向かった。ミークもそれに続き、そんな二人を見送った俺は昼飯として注文したカツ丼を食べながら内心で唸る。

 

(ううむ……そういえば合宿の資料を送った時に、サンプルとして俺が作った旅のしおりも送ってたっけ……)

 

 それを見て宿泊先を決めたんだろう。値段も手頃だし、実際に泊まってみたら快適で文句の付けようがない場所だ。トレーナーの名門出身の桐生院さんも、特に困ることはないと思われる。

 というか、合宿に行くって話をしてから時間があったのに、現地入りが俺達と比べて一週間も遅れたのはなんでだろ? まさか夏休みが始まった段階になってからミークに何の前振りもなく『今日から合宿に行きます!』とか言ったわけでもあるまいし……。

 

 トレセン学園への申請や合宿の準備でそれなりに時間がかかるし、泊まる場所の手配も必要である。あとは……そうか、俺の場合はチームキタルファ用の予算があるけど、桐生院さんは担当がミークだけだ。トレセン学園から降りる予算の都合もあって、合宿を一週間短くしたんだろう。

 

(あ、そうだ。リギルとスピカとうちで行う模擬レースにミークも誘ってみるか。あの子も実力がしっかりしてるし、先輩も東条さんも駄目とは言わんだろ)

 

 ミークもクラシック級でGⅠに出られるレベルのウマ娘である。対戦相手として不足はないはずだ。

 

 それでも一応先輩宛てにチャットアプリでメッセージを送ってみると、『俺からおハナさんに話しておくよ』と返事が来た。あとは桐生院さんとミーク次第だが、事前に話をしておいて損はない。

 

 なお、模擬レースは合宿の終盤に行う予定だ。それぞれの合宿の成果をウマ娘にも実感させるためで、出走するウマ娘や走る距離などを変え、何度か行う予定である。全距離走れて芝もダートも両方走れるミークにとっては、さぞ良い経験になるだろう。

 

 シンボリルドルフやマルゼンスキー、エアグルーヴさん、それにうちのライスなんかと何度も競えるなんて、ミークも大喜びすること間違いなしだな、うん。

 

 もちろん、ダートは苦手だが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ミークの参戦は良い刺激になるはずだ。なんなら合宿期間中に時折トレーニングに誘ってみても良いかもしれない。

 

 俺は桐生院さんとミークが現れたことで、そんなことを考えるのだった。

 

 

 

 

 

 さて、その日の午後のトレーニングの時間である。

 

 予定通りウララ達に遠泳をさせようと思った俺は、救助用のゴムボートや救命胴衣、浮き輪を準備していた。ゴムボートには船舶免許なしで使える2バ(りき)の船外機を搭載しており、使用法の確認をしていく。

 

(うん、事前に調べておいたけど、複雑な操作はいらないな)

 

 一応オールも用意しておいたから、船外機に何かあっても漕げば良い。

 

 ウララ達は俺が機材のチェックをしている間、海中で足を攣らせることがないよう入念に準備運動をしている。なお、ウララはビート板装備だ。一応犬かきもできるし、泳ぐこと自体に恐怖心があるわけでもないため遠泳にも乗り気である。

 

 そうして準備をしていた俺だったが、ふと、遠くから誰かが走ってくるのが見えた。それは先日東条さんのところで見たグラスワンダーで、俺達に気付くと走るのをやめてゆっくりと近付いてくる。

 

「わわっ! グラスちゃんだ! グラスちゃんもトレーニング?」

 

 グラスワンダーに気付いたウララが尻尾を振りながら尋ねる。それを見たグラスワンダーは柔らかく微笑むと、小さく頷いた。

 

「今日はお休みなので、自主トレーニングを少々……」

 

 どうやら今日のチームリギルは休養日らしい。グラスワンダーは体操服姿で走っていたが、どれだけ走っていたのか額から大粒の汗を流し、体操服も汗で濡れてしまっている。

 

 パッと見、オーバーワークというほどではないが、休む時には休まないと疲れが抜けない。俺はウララ達用に用意していたスポーツドリンクを取り出すと、グラスワンダーへと差し出した。

 

「少々、って感じにゃ見えないな。東条さんも焦るなって言ってただろう? ほら、飲みな。水分はしっかり取らないとな」

「えっと……ありがとう、ございます」

 

 グラスワンダーは戸惑った様子でスポーツドリンクを受け取る。そして蓋を開けると、実に美味しそうに飲み始めた。

 

 俺はウララ達にまずは浅瀬で軽く泳ぐよう伝えると、ちょっと気まずそうなグラスワンダーをビーチパラソルの下へと誘う。わざわざ俺達がトレーニングしているところへ走ってきたということは、何か話したいことがあるのではないかと思ったのだ。

 

「たしか、折ったのは右足の中足骨(ちゅうそくこつ)だったか」

「……え?」

 

 俺の突然の言葉に、グラスワンダーは目を丸くする。

 

「そのあと右足を庇って左足に骨膜炎……故障ってのは嫌だよなぁ」

「……調べたんですか?」

 

 丸くした目が、不審そうなものへと変わった。そりゃまあ、いきなりこんなことを言われたら誰でも不審がるだろう。

 

「君のことは以前から注目してたからね。朝日杯フューチュリティステークスで1着……それもレコード勝ちするようなウマ娘だ。同世代のウマ娘を育ててるトレーナーなら、誰でもチェックするよ」

 

 まあ、本当のところは同期からもらった情報も含まれているんだが……キングの育成を引き受けた直後、グラスワンダーが走ったレースに関しても何十回と繰り返し見てきた。

 

「でもやっと治ったんだ。ここで無理をしたらまた足を傷めることになる。だから無理はしないこと。いいね?」

 

 俺としては、心からそう願う。東条さんが育成している以上、悪化させることはないだろうが、ウマ娘の足はふとした拍子に故障してしまうのだ。

 

 俺も細心の注意を払ってウララ達の足腰を少しずつ、本当に少しずつ強く頑丈にしているつもりだが、それでも限界が存在する。不良バ場に等しい浅瀬を走らせたのも、普段は使わない筋肉をしっかり鍛えようと思ったからだ。

 

 普段から運動している人間でも、初めてスキーをした時は筋肉痛になったりする。それは普段使わない筋肉を使ったり、普段と違う環境で無意識に体に力を込めてしまうからだ。

 

 今回の合宿では、そういった普段使わない筋肉を鍛えるメニューを取り入れている。余分な筋肉をつけるとそれはそれで走りを妨げるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をウララ達に身をもって教えたいのだ。

 

「それは……余裕ですか? ライバルになるウマ娘が減った方が、トレーナーさんにとっても良いのでは?」

 

 俺の言葉をどう思ったのか、グラスワンダーがそんなことを聞いてくる。俺を責めている――って感じじゃない。純粋な疑問として尋ねたようだ。

 

「そういう考えをするトレーナーもいるとは思う。でも、俺の信条には合わんね」

 

 強力なライバルウマ娘が故障でレースに出られなくなったことを喜ぶトレーナーの気持ちも、わからないではない。

 

 そうなった場合、自分が育てているウマ娘がレースで勝てる可能性が上がるのだ。俺としては強いライバルウマ娘も込みでウララ達に勝ってほしいが、1勝が遠く、重く、価値があることも理解しているつもりだった。

 

「君みたいな優れた才能を持つウマ娘だけじゃない……俺としては、どんなウマ娘でも故障で苦しむのは嫌だ。それが自分の育てているウマ娘のライバルだろうと関係ないよ」

 

 先日触診した感じ、足の骨折は綺麗に治っているし、右足を庇っていた影響で発生していた左足の骨膜炎も治っていた。だが、無理をすれば再発する可能性がある。

 

「……無理をしたら駄目、ですか」

「ああ。君が焦る気持ちもわかるけど、今は無理をする時じゃない。東条さんが施すトレーニングを……いや、東条さんを信じてついていけば間違いないよ」

 

 実際、東条さんはグラスワンダーを大切に育てているのだろう。先日触診した感じ、丁寧に丁寧にグラスワンダーの基礎能力を高めているように思えた。二度とグラスワンダーが故障しないよう、足腰をしっかりと鍛えているのだ。

 

 ただ、()()にはまだ時間がかかる。俺がそう伝えると、グラスワンダーは納得したように頷いた。

 

「わかりました。お時間を取らせてすみません」

 

 そう言って頭を下げるグラスワンダー。多分、先日の話で納得していたものの、念押しで話を聞きに来たのだろう。セカンドオピニオンというか、根底には焦りの感情があるのではないか、なんて思う。

 

 グラスワンダーも本心から俺や東条さんの判断を疑っているわけではないだろうが、長期間故障でリハビリをしていたとなると、そういった気持ちが芽生えてもおかしくはない。それでも僅かな会話で納得して引き下がるあたり、東条さんのことを信頼しているのだろう。

 

 それはそれとして不安と疑念がわくのは、仕方のないことである。

 

「でも、わたしが完全に治ったらキングちゃんともレースでぶつかることになると思いますよ? それはいいんですか?」

 

 おっと、なんか戦意を滾らせながら聞いてきましたよこの子。挑発というか、その覚悟があっての発言だろうな、みたいな空気を感じる。

 

 人によっては失礼だと思うだろうが、俺としては実に好ましい……うーん、東条さん、良い子を育ててるなぁ。この子、育てたら面白そうだなぁ。

 

 でもまあ、キングとレースでぶつかるけど大丈夫か、なんて聞かれたら答えは一つだ。

 

「キングはもっと強くなるし、君とレースでぶつかっても勝ってくれるから何も問題はないよ」

 

 俺はにやりと笑いながら答える。すると、グラスワンダーは艶やかに微笑んだ。

 

「わたし、あなたみたいなトレーナーさんは嫌いじゃないですよ」

「俺も、君みたいなウマ娘は嫌いじゃないよ」

 

 お互いに笑い合うと、グラスワンダーは最後に好戦的な笑みを浮かべて俺に背を向ける。

 

「うふふ……キングちゃんとレースで当たる時が楽しみです」

「ははは……俺もだよ」

 

 うーん、ちょっと掛かっているかもしれませんねぇ、なんて言葉が脳裏を過ぎったが、問題はないだろう。グラスワンダーは俺に向かって一礼すると走り去る――前に、海で泳ぐキングを手招きしたかと思うと、何事かを耳打ちして去っていく。

 

 なんだ? と俺が首を傾げていると、キングがダッシュで俺の方へと近付いてきた。

 

「ちょっとトレーナー! あなた、グラスさんに何を言ったのよ!?」

「ええ……別に変なことは言ってないぞ?」

 

 キングを自慢して、レースになったらキングが勝つって宣言しただけだ。何も変なことは言っていない。

 

「『大切にされていますね』って……何か変なこと言わないとあの子がそんなこと言ってくるわけないでしょ!?」

「変なことなんて言ってないって。レースで当たったら俺のキングが勝つよって言っただけだ」

 

 俺がそう言うと、キングは言葉に詰まったように口を閉ざす。そしてもにょもにょと口を動かしたかと思うと、最後には何故か俺の背中を叩いた。

 

「もうっ! おばかっ! あなたはもうっ……ほんっとうにおばかなんだからっ! ほら! 遠泳するわよ!」

 

 そう言って駆け出すキング。この日の遠泳は、滅茶苦茶気合いが入った様子のキングがライスとウララをぶっちぎっての一位となった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、合宿の日は続く。

 

 毎日トレーニングメニューを変え、徐々にトレーニングの負荷を上げてウララ達を限界ギリギリまで追い込み、何故か一緒にトレーニングをしたいと申し出てきた桐生院さんとミークも加え、トレーニングをする日々である。

 

 ただし、真夏のこの時期に毎日限界まで追い込むと、疲労が抜けきらずに徐々に蓄積してしまう。そのためトレーニングを午前中だけにして午後からは休みにしたり、軽めのメニューで済ませる日もあった。

 

 そうしてトレーニングをさせて思うことは、本当に環境の変化というのは大きいなってことだ。

 

「うーむ……予想より伸びてきてるな……」

 

 俺は芝やダートのコースで測ったタイムをパソコンに入力しつつ、唸るような声で呟く。

 

 合宿を始めて既に三週間ほど経過しているが、三週間という短期間ながらも成長を感じ取れる。

 

 今日のトレーニングが終わり、今は夕食も済ませてそれぞれが好きなように過ごしている時間だ。そのため俺は合宿でのトレーニングの結果をパソコンでまとめていたのだが、数値で表すとはっきりと成長が見て取れる。

 

 特に、キングの成長が著しい。スタミナにスピード、元々あった並外れた根性も真夏のトレーニングでより鍛えられているように思える。キング自身、タイムの推移を見せたら困惑するぐらいに成長が著しいのだ。

 

(やっぱりあの子の才能はすごい……それでいて努力を欠かさないし、格上のライス相手でもなにくそと思って喰らい付ける度胸もある……)

 

 体も頑丈で、精神も強くて、吐く寸前まで追い込んでも愚痴も文句も全て飲み込んで顔を上げて走り抜くのだ。

 

(飛び抜けて適性があるのは短距離……でもライスの併走相手を務めてるうちに、スタミナもどんどんついてきてる……長めのマイル走から短めの中距離なら十分通用するレベルまで鍛えられるとして……でもやっぱり、長距離がキングにとっての壁だな)

 

 予想よりもスタミナの伸びが良いと言っても、簡単に長距離を走れるようになれば苦労はしない。

 

 いやうん、キングの場合、長距離も走れるし並のウマ娘が相手なら勝てる水準まで鍛えてるけど、長距離でキングとぶつかるのがスペシャルウィークやオグリキャップってのがきつい。あと、完治すればグラスワンダーも出てくるだろう。

 

 短距離なら同世代の中でも頭一つどころか体ごと抜け出してるぐらいだが、長距離はきついのが現状だ。それでも秋の菊花賞までに、ある程度勝負になるレベルまで鍛えられる目算はついてきた。

 

 そんなキングと比べて、ウララの成長力が徐々に落ちてきている。スピードはまだまだ鍛えられそうだが、スタミナが徐々に頭打ちになってきている感じがするのだ。以前も考えたことだが、距離に対する適性の差が響いてきているのだろう。

 

 それでもダートが主戦場のウララなら、キングのように長距離を走れるスタミナは必要ない。もちろんスタミナがあるに越したことはないが、トゥインクル・シリーズで走るダートのGⅠは最長でも2000メートルだ。それなら十分狙える水準までスタミナをつけられるだろう。ライスのように、スタミナがついたらスピード重視のトレーニングに切り替えて良いかもしれない。

 

(そしてライスはなぁ……ステイヤーとして完成形だから、ウララやキングと比べると伸びにくいんだよな……)

 

 いくらウマ娘といっても、鍛えれば鍛えただけ成長するなんてことはない。ウララ以上に成長が鈍ってきているのがライスで、劇的な成長は望めないだろう。こちらも以前考えた通り、スタミナを維持しつつスピードを鍛える方向で伸ばしていければ良いのだが――。

 

「……ん?」

 

 データを入力しつつ考えごとをしていた俺だったが、部屋の扉がノックされて思考を中断される。どこか控えめなノック音で、俺は一体誰が来たのかと首を傾げた。

 

 ウララならもっと元気良く、キングなら規則正しくノックする。ライスのノックの仕方に近いが、躊躇するようなノック音だった。

 

「はいはーい、誰ですか……っとぉ? ミーク?」

 

 あとはあり得るとすれば桐生院さんかな、なんて思いながら扉を開けた俺だったが、そこにいたのは予想外にもミークだった。しかも、桐生院さんがいない、ミーク単独での来訪である。ちなみに風呂上りなのか浴衣姿だ。

 

「どうしたんだ? 俺に何か用?」

 

 珍しいこともあるもんだ、なんて思いながら俺は膝を折って目線の高さをミークに合わせる。すると、ミークは視線を彷徨わせ始めた。

 

「少し……お話したいな、と思って……」

「俺と? ああ、いいよ」

 

 本当に珍しいなぁ、なんて思いながら俺はミークを部屋に上げようとする。だが、不意に隣の部屋の扉がギイィィィと音を立てながらゆっくりと開いた。あれ? その部屋の扉、そんなに建付け悪かった?

 

「っ!?」

 

 ミークがびくりと体を震わせる。それに釣られて視線を向けて見ると、ライスが顔を半分覗かせてこっちを見ていた。ちょっとホラーな演出である。

 

 しかしライスはミークの顔を見ると、ぱっと表情を明るくする。

 

「なんだ、ミークちゃんだったんだ。ライス、誰が来たのかなって思っちゃった」

「え、っと、はい、私はハッピーミークです……」

 

 何故か名乗るミーク。うん、知ってるよ?

 

「何か俺に話があったみたいでな。部屋に上げようとしてたところなんだ……飲み物、何かあったっけなぁ」

 

 ちょっと自販機で買ってこようか、なんて考えていると、ライスが数秒だけ引っ込み、パックのニンジンジュースを持ってくる。

 

「ライスもお兄さまとお話したいな……だめ?」

「ん? 俺は別に構わないけど……ミークはライスが一緒でも大丈夫か?」

 

 何か内緒で相談にきたのではないか、と思いながら尋ねると、ミークは数秒悩んでから頷いた。

 

「……大丈夫、です。できればライスさんにも話を聞いてもらいたいですから……」

 

 ミークが頷いたため、俺はライスと一緒に部屋へと上げる。そしてライスが持ち込んだニンジンジュースを紙コップに注いで差し出すと、俺は畳に座った――のだが。

 

「ライス? どうして俺の足の上に座るんだい?」

 

 あぐらを掻いた俺の足の上に、ごく自然な動きでライスが座ってきた。そしてウマ耳を俺の胸板に擦り付けるようにして、真下から見上げてくる。

 

「だめ?」

「駄目じゃないけど、ミークの話を聞くのに相応しくないな」

 

 真剣な相談だったらどうするんだ。ミークの様子を見る限り切羽詰まった感じはしないけど、それなりに重要な話っぽいぞ。

 

 俺の言葉を聞いたライスは素直に降りると、俺の隣に座った。というか、俺の隣というか、敷いてた布団の上に座った。俺はミークに座布団を勧めると、ミークは戸惑いながらも座布団に正座する。

 

「それで? 話したいことってなんだい?」

 

 俺は雰囲気を柔らかくしながら尋ねる。ミークみたいな子の場合、柔らかい雰囲気で尋ねた方が話しやすいと思ったからだ。

 

「……私のトレーナーについて、なんですが……相談……したいなって」

「桐生院さんに関して相談? 俺で良ければ別に構わないけど……その桐生院さんは?」

「……お風呂、です。その間に抜け出してきました」

 

 桐生院さんの目を盗んで接触してきたあたり、どうやら割と本気の相談らしい。ミークは視線を彷徨わせると、困ったように眉を寄せる。

 

「最近……トレーナーが変なんです……」

「……変、とは?」

 

 俺が見た感じ、普段通りの桐生院さんだったが。

 

「トレーナー……私と一緒に、お風呂に入ろうとします」

「うん」

「トレーナー……私と一緒の布団で眠ろうとします」

「うん」

 

 相槌を打った俺だったが、なんというか反応に困る。

 

「皐月賞が終わったあと……ううん、端午ステークスが終わった後ぐらいから、トレーナーが変になりました……前より、ぐいぐい来ます……日本ダービーで負けた時も、前はしてくれなかったことを、してくれました……」

 

 それは、泣きながらミークに謝り、抱き締めていたことだろうか。ミークは変だと言っているが、その表情に嫌そうな気配はない。

 

「ミークは、それが嫌なのかい?」

 

 俺は声に出して尋ねる。するとミークはしばらく悩んだあと、首を横に振った。

 

「別に、嫌じゃない……です。でも、どんな反応をすればいいか……わからなくて」

 

 困ったように首を傾げるミーク。今までは距離を保った付き合い方をしていた桐生院さんが、急にインファイトのボクサーよろしく飛び込んでくるようになったため困惑しているようだ。

 

「うーん……ミークが嫌じゃないのなら、止める必要もなさそうだけどなぁ」

 

 そういったスキンシップを好むウマ娘もいるのだ。というか、うちのチームで言えばウララとライスがそのタイプである。キングは……たまになら撫でても怒らないが、頻繁に撫でると怒るタイプだ。

 

「でも、たまに変なことをします」

「と、いうと?」

「今回の合宿、いきなり『合宿に行きましょう! 今から!』って言われました……」

「それは……駄目だねぇ」

 

 俺は事前にウララ達に話をしていたし、手続きや申請も夏休みが始まる前に全て済ませていた。桐生院さんは……うん、そういうところがあるよね。

 

「去年、ライスさんと模擬レースをした時も、レース直前に話を聞きました」

「それは怒っていいと思うよ?」

「……今回は、尻尾でちょっとたたきました。ぺちって」

 

 そう言って、ふんす、と胸を張るミーク。

 

 うーん……ミークなりにきちんと意思表示をしているみたいだけど、ミークはちょっと独特な感性をしてるし、桐生院さんも変なところで常識がないし……それでも以前と比べれば、十分距離が近いように思える。桐生院さんは距離の詰め方がおかしい気もするけど。

 

「トレーナーになる人達って、それが普通……なんですか?」

「いやぁ……普通って思われるのはちょっと……」

 

 どうしよう、桐生院さんを庇えない。多少はミークと話をするようになったようだが、スキンシップが相変わらずちぐはぐだ。ミークとしては嫌ではないものの、困惑が先に立つって感じか。

 

 どうしたもんかと俺が頭を悩ませていると、なんか、廊下の方からバタバタと足音が聞こえてくる。

 

「ミーク! ミーク!? どこに行ったの!?」

 

 聞こえてきたのは、心配そうな桐生院さんの声だ。俺よりも先にそれに気付いていたのか、ミークの耳がぴくぴくと動き、尻尾が左右にパタパタと振られる。

 

「俺に相談してくれるのは嬉しいけど、君も桐生院さんも、まずはお互いしっかりと話をした方が良いと思うよ」

「……はい」

「桐生院さんは変わろうとしている。なら、君も変わろうとすれば、もっと良い関係になれるさ。ほら、桐生院さんが心配しているぞ?」

 

 俺がそう言うとミークが座布団から立ち上がり、桐生院さんを止めるべく部屋の扉へと向かった。

 

「また何かあったら、いつでも来なさい。俺もライスも、ウララやキングだって相談に乗るから。な、ライス?」

「うん。ライス、ミークちゃんの相談だったらいつでも聞くからね?」

 

 俺の言葉を聞き、ライスが笑顔で頷く。それを聞いたミークは小さく頭を下げると、ミークを探して廊下を走り回っている桐生院さんの元へと駆け出した。

 

(桐生院さんとミークも、なんだかんだで前に進んでるんだよな……)

 

 ミークだけでなく、他のライバルウマ娘も当然のように成長しているのだ。

 

 ウララとライスの成長が鈍っていると考えていた俺だったが、トレーニングメニューをもっと効率化してライバルたちの成長を上回れるよう、頭を捻ることになるのだった。


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