リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
スプリンターズステークス。
それは千葉県の中山レース場で行われる右回りの芝1200メートルのGⅠレースだ。
フルゲートは16人。クラシック級もシニア級も出走できるレースで、スプリンターの頂点を決めるレースと言っても過言ではない。
短距離のGⅠレースでは他にも高松宮記念があるが、こちらはシニア級のみが出走可能となっている。そのためクラシック級でもシニア級に勝てるウマ娘は出走できず、スプリンターの頂点を決めるのならスプリンターズステークスの方だろう、と俺は思う。
ただ、芝のスプリンターはダートを主戦場とするウマ娘よりは多いが、芝の他の距離を主戦場とするウマ娘と比べれば少ない。それが芝の短距離路線で、純粋なスプリンターというのは案外少なかったりもする。
たとえばタイキシャトルは短距離だけでなくマイルも走ることができる。ハッピーミークは全距離走ることができるため、短距離も走れる。
そんな感じでスプリンターとして才能がある、ではなく、スプリンター
その点、うちのキングもスプリンターとしての才能がぶっちぎりであって、他は距離が伸びるに連れて苦手になっていく、という非常にわかりやすい才能を持っている。
ただし育成当初のウララのように、短距離ならまだなんとか走れる、なんてパターンではない。他の距離も走れる才能があるが、短距離が一番優れているというパターンだ。
短距離専門のウマ娘として鍛えれば、一体どれほどの偉業を残すか。そんな誘惑が時折脳裏を過ぎるほどに、キングはスプリンターとして高い才能を持っている。まあ、それでも長距離まで走ろうとするあたりがキングらしいところなんだが。
(俺が育てるようになってから、初のGⅠか……)
キングはこれまで皐月賞と日本ダービーに出たことがあるが、俺が育成を引き受けてからGⅠレースに出るのは初めてだ。CBC賞はGⅢだったし……いや、GⅢに出る時点でウマ娘としてはすごいんだけどね。しかも割と余裕で勝ったし。
スプリンターズステークスは中山レースでの第11レースになる。出走時刻は15時40分とやや遅めだが、メインレースだから仕方ない。
移動時間も一時間とかからないため午前中はトレセン学園で軽くキングを走らせて調子を確認し、普段通り昼食を取らせてからの移動になる。
キングの調子は良い。というか、GⅠへの挑戦ということもあって気合いが乗っている。友人であるスペシャルウィークが日本ダービーで、エルコンドルパサーがNHKマイルカップで1着を獲っているため、自身もGⅠウマ娘として名乗りを上げたいと思っているのだろう。
だが、今日対戦するウマ娘の中でも警戒しているタイキシャトルは、スプリンターズステークスと同様にシニア級も出走するGⅠの安田記念で1着を獲っている。安田記念は1600メートルのマイル走になるが、シニア級に勝てる実力があるのは明らかだ。
キングもシニア級が相手だろうと勝てる実力があるし、タイキシャトルは夏の合宿の模擬レースでも勝った相手だ。もちろん油断はできないが、勝算はそれなりにあると思っている。
ただ、今日のレースではちょっと気がかりなことがあったりする。それはキングの調子だとか、有力ウマ娘の有無だとか、そういったものではない。いや、ある意味有力ウマの出走に関連するというかなんというか……。
(とうとうかぶっちゃったかぁ……)
俺は出走表の内容を思い出しながら、内心でそんなことを呟く。
今日のスプリンターズステークスにはフルゲートの16人が出走するが、その中に一人、同期が担当しているウマ娘がいるのだ。
スプリングハッピーというウマ娘で、去年ライスを交えた模擬レースにも参加したウマ娘だ。
短距離を主戦場にするウマ娘で得意な戦法は逃げ。重賞では未勝利だが、9戦4勝でメイクデビューで1着、オープン戦で3勝しているウマ娘だ。勝ってはいないがGⅢに3回出走させており、入着もしている。
桐生院さん以外の同期と本番のレースでぶつかるのは初めてだ。そのため顔を合わせたらなんと声をかけたもんか、と首を捻る。
ただまあ、キングの育成を引き受けるにあたり、いつかはあり得ることだと思っていた。同期との仲も大切だが、俺にとってはそれ以上にキングが大切である。
同着にでもならない限り、レースで勝者は一人だけ。互いに競い合い、蹴落とし合う相手だ。ただし俺としてはそれはレースの間だけで、普段は仲良くできれば、なんて都合の良いことを考えてしまったりもする。
つまり相手次第、というわけなのだが――。
「よう」
「おっす」
キングを控室に見送った後、パドックで顔を合わせた。そしてお互い軽く手を上げ、並ぶようにしてパドックへ視線を向ける。
ウララとライスも一緒だが、空気を読んでくれたのか手をつないでちょっと離れた場所に移動してくれた。
同期の男と俺は、数秒無言になったもののレース前とは思えない緊張感のなさで会話を始める。
「とうとうぶつかったなぁ……しかもキングヘイローが相手とは思わなかったわ。お前のことだから、ハルウララで芝の短距離に殴り込んでくるかと思ったよ」
「どういうことなの……」
え? 俺ってそんな突飛なことをしそうなタイプに見えるの? ウララで芝の短距離に殴り込むとか……うん、考えてたわ。
「そっちは調子どうよ? ちなみにうちのキングは最高だぞ」
「そこで最高って言いきれるあたりがなぁ……まあ、ぼちぼちってところかな?」
そう言って笑う同期だが、その表情は嘘っぽい。あ、こいつ、完璧に仕上げてきたな。スプリングハッピーは逃げウマ娘だし、警戒しとこう。中距離や長距離ならまだしも、短距離の1200メートルだと逃げウマ娘は最初から最後までトップギアで駆け抜けることもあるのだ。
そうやって同期と話をしていると、パドックでのお披露目が始める。
『1枠2番、キングヘイロー』
紹介と共にキングが姿を見せる。GⅠレースということでキング専用の勝負服を身に纏っているが、自信満々といった様子で胸を張るその姿にパドックの観客からも声援が飛んだ。
「うわっちゃぁ……本当に調子良さそうじゃん。こりゃきっついかなぁ……」
思わず、といった様子で同期が呟く。しかしその言葉の内容を聞けば、キングが相手でもきついとは思っても勝てないとは思っていないことが窺えた。
『4枠7番、タイキシャトル』
俺が注目しているタイキシャトルがパドックに姿を見せる。夏の合宿の模擬レースでも見た顔だが、調子は良さそうだ。仕上がりも……ばっちりって感じである。
緑色を基調とした勝負服だが、うん、なんというか……。
「ウマ娘の専用の勝負服ってさ、露出が激しいのが多くない?」
俺は思わずそんな話を同期に振ってしまった。
タイキシャトルの勝負服は、アレはなんていう服なのか……下は緑色のミニスカートに紫色のニーソックス、靴はカウボーイシューズみたいな感じで、腰のベルトには何故かホルスターがくっついていてリボルバーが差さっている。ライスの短剣もそうだけど、あれって大丈夫? 銃刀法でしょっ引かれたりしない?
でも問題はリボルバーではなく、上着が胸元を覆うビキニスタイルな服だけな点だろう。あと、首元に赤い布を巻いたり、首の後ろにカウボーイハットが見えることから西部劇のガンマンっぽい服装とも言えなくもない。
しかしああいうへそ出しルックを見ると、思うことは一つなわけで。
「わかる。目のやり場に困るよな」
「年頃の娘が肌を出し過ぎじゃ――え?」
「え?」
同期と顔を見合わせ、目をぱちくりと。
「今はまだ暑いからいいけど、冬場とかお腹が冷えちゃう……よね?」
「お、おう、そうだな、うん……」
何故目を逸らす。ああいう服装を見たら大丈夫かな? 冬場は寒くないのかな? って思うだろ。これが夏の海辺なら何も言わんけど、レースだぞ。でもあれがタイキシャトルにとって力を発揮する勝負服なんだし、文句を言うのはお門違いか。
まあ、タイキシャトルはスタイルが良いし、本人も堂々としているから問題ないか。パドックの観客達も『良いトモだ……』とか『上半身の筋肉も素晴らしい』とか口々に呟いてるしな。
『6枠12番、スプリングハッピー』
そうやって他のウマ娘も観察していると、同期のウマ娘がパドックに姿を見せた。
白色を基調とした長ズボンにベルト、靴はブーツでこちらは水色の面積が多い。上着は肩出しのノースリーブで胸周りが水色、それ以外が白色になっているが、例のごとく何故かへそ出しルックだ。いや、左わき腹から右の腰に向かって斜めに服が切れているため、へそ出しルックって言うのも違うか? あと、水色と白色の縞模様が目立つ手袋をしている。
癖のある淡い栗毛をポニーテールにしたウマ娘で、その体を見た俺はほぉ、と息を吐いた。
(良い仕上がりだ……以前見た時より更に仕上がってる……こりゃあ気を抜けんわな)
短距離向けに仕上げた筋肉のバランスに、誰が相手でも勝つんだという気迫。それを見た俺は思わず口の端を吊り上げてしまう。
(良い子、育ててんじゃん……初のGⅠでも臆してないし、むしろ気合いが乗ってる……タイキシャトルに目を奪われてたけど、心も体も強そうなウマ娘だ)
難敵が一人、増えた。しかし俺としては逆に燃え上がる。同期の、仲間ではあるがライバルでもある男が育てたウマ娘。そんな彼女と俺のキングが競い合うのだ。先ほどまで感じていた気まずさなんて欠片もなくなった。そんなものはどこかに飛んで行った。
俺が思わず笑っていると、同期もまた笑みを浮かべる。
「重賞を獲ったら奢り返すって話……別に、GⅠで達成しても構わないだろ?」
「応ともさ。ただ、俺のキングに勝てたらの話だからな」
そう言ってお互いに笑い合う。この気持ちを言葉にするなら、君に勝ちたい――そんな感じだ。
俺は同期と笑って別れる。ここからは、レースが終わるまでは敵同士だ。
「トレーナー」
そんな俺にパドックの柵越しにキングが声をかけてくる。凛としたその表情を見た俺は、表情を引き締めた。
「このレースにはシニア級のウマ娘も出てくる……だが、君が勝つと俺は信じている。もちろん、ウララもライスもだ」
「うんっ! がんばってね、キングちゃん!」
「キングちゃんなら勝てるよ。ライスも応援してるから」
俺達がそう言うと、キングは一瞬だけ目を見開く。しかし、すぐに表情を崩した。
「ええ――キングの走り、見てなさい」
そんな言葉と共に燃えるような気迫を放ちながら、キングは柔らかく微笑んだ。
『まだまだ夏の暑さが続く中山レース場の第11レース。本日のメインレースとなりますのは、芝1200メートルのGⅠ、スプリンターズステークス。バ場状態は良の発表です』
『スプリンターの頂点を決めると言っても過言ではないレースです。クラシック級、シニア級のスピード自慢が集まるこのレースはどのような結末を迎えるのか……実に楽しみですね』
中山レース場にファンファーレの音色が鳴り響き、実況と解説の男性がそれぞれ言葉を発する。
観客席は当然のように満員で、レースが始まるのを今か今かと待っている。俺はウララとライスを連れて最前列に陣取り、遠くに視線を向けた。
中山レース場には内回りと外回りがあり、内回りはあちらこちらのレース場でよく見かける角丸四角形だ。しかし外周りは三角のおにぎりみたいな形をしており、スプリンターズステークスの出走は向こう正面からのスタートになる。
向こう正面と言っても直線ではなく、緩いカーブかつ下り坂になっている。そこから内回りの第3コーナーへと突入し、第4コーナーを抜けて最終直線を駆け抜ける形になる。
最終直線のラスト200メートル。その前半100メートルには中山レース場名物の急勾配があり、走る距離が短いスプリンターズステークスでも大きな壁となるだろう。
スプリンターズステークスでは1着のタイムがおよそ1分7秒から10秒程度。今日は良バ場のため、どんな結果になるか……。
「ねえねえトレーナー。なんかね、あちこちからパシャパシャ音が鳴ってるよ?」
俺が考え事をしていると、ウララが俺の袖を引きながらそんなことを言ってくる。
「ウララもライスも有名ウマ娘だからな。そりゃ写真の一つも撮りたくなるさ」
中山レース場はトレセン学園からも近いため、今日の二人は制服姿だ。これが阪神レース場とか遠い場所になるとさすがにずっと制服姿でいろ、とは言えない。そのため私服で移動させることも多いが、移動時間が一時間にも満たないし、今日は制服で来させたのだ。
レース場で走るウマ娘は勝負服だったり体操服だったりで、トレセン学園の制服を着た姿ってのは割とレアだったりする。トレセン学園周辺ならよく見かけるけど、レース場だと意外と見かけなかったりするのだ。
だからそんなウララとライスを撮影しているのだろう、なんて思ったのだが。
(ライスは長距離GⅠを制覇したから当然だけど、ウララもだいぶ有名になってきたよな……やっぱりあの勝負服姿が可愛かったからだろうな)
ジャパンダートダービーでは3着だったが、トレーナーの贔屓目を抜きにしても勝負服姿のウララは可愛かったからね、仕方ないね。
でも気のせいか、スマホのレンズがウララとライスだけじゃなく、俺にも向けられているような……。
『4枠7番、タイキシャトル。1番人気です』
そうやって首を傾げていると、各ウマ娘の紹介が始まった。番号が奇数のタイキシャトルがキングより先に呼ばれたため、俺はそちらへと意識を向ける。
『安田記念で1着を獲ったからでしょうね。クラシック級のウマ娘ながら堂々の1番人気に推されています。夏のトレーニングでより鍛えたのか、体が一際大きくなったようにすら見えますよ』
距離があるためさすがに表情まではしっかりと見えない。しかし紹介に合わせて拳を突き上げたタイキシャトルの姿に、観客席からも大きな声援が飛ぶ。
『1枠2番、キングヘイロー。4番人気です』
キングは4番人気だ。しかし出走するメンバーのほとんどがシニア級のウマ娘だと思えば、タイキシャトルと違ってGⅠを獲っていないにも関わらずかなり高い評価をされているとも言える。
キングはスカートの裾を摘まみ、観客席に向かって優雅に一礼した。それに気付いた観客達から大きな声援が上がる。
『6枠12番、スプリングハッピー。15番人気です』
同期の担当ウマ娘の名が呼ばれ、俺は遠くを見るように目を細める。15番人気ではあるが、GⅠだけあって大きな歓声が飛ぶ。
そして各ウマ娘の紹介が終わると、波が引くようにして観客達が静かになっていく。それに合わせてウマ娘達も真剣な表情になってスタートの構えを取った。
『各ウマ娘、ゲートイン完了――スタートしました』
バタン、という音が鳴り、ウマ娘達が一斉にゲートから飛び出す。特に出遅れたウマ娘はいない。というか、短距離で出遅れるとその時点でかなり不利だから全員集中していたようだ。
『各ウマ娘綺麗なスタートを切りました。向こう正面の緩やかなコーナーを曲がりつつ先頭争い。まずハナを切ったのは1番ジュエルトルマリン。3番シルバーシュシュ、6番メイデンチャーム、12番スプリングハッピー、15番チャタリングチークが先頭争い。逃げるウマ娘達に続いて7番タイキシャトル、9番ナルキッソス、5番セプタゴンサモナー、8番クリシュマルド、11番ジュエルカルサイトが先行』
『1200メートルは短いですからね。各ウマ娘、どんどん加速していきますよ』
『そのすぐ後ろに2番キングヘイロー、10番バーチューマインド、13番アジャイルタレント、14番ドロッピングリンク。シンガリ付近に4番リボンララバイ、16番ハシュハシュ。各ウマ娘、それほど大きな差はありません。先頭からシンガリまで約3バ身から4バ身』
他のレースと比べれば距離が短いといっても、スタートからよーいドンで全力疾走してゴールまで走るわけではない。短いレースには短いなりに駆け引きがあり、それぞれが得意とする戦法で勝とうとする。
ただし距離が短い分、仕掛けるタイミングも早くなる。それでもタイミングが早すぎても遅すぎても負けるため、レースの状況に合わせた仕掛けどころを見極めなければならない。
『緩やかなカーブが、第3コーナーが続きます。先頭は変わらず1番ジュエルトルマリン。しかし他の逃げウマ娘も虎視眈々と先頭を窺っています。ほとんど差がなく3番シルバーシュシュ、6番……おっと、合間を抜けるようにして上がってきたのは12番スプリングハッピー。クラシック級からの挑戦者が、シニア級何するものぞと言わんばかりに上がっていきます』
『初のGⅠの舞台で掛かっているのかもしれませんね……いえ、アレは狙って走っていますよ。早々に勝負を仕掛けてきたようです』
外回りから内回りの第3コーナーを抜けるまで、400メートル前後とかなり長い。その分緩やかなカーブになるが、第3コーナーを抜ければ残り500メートルちょっとしかない。
ライスならスタミナに物を言わせて既にロングスパートに入っているだろう。しかし走っているのはキングだ。キングはまだ動かない。どのタイミングで仕掛けるか。
『先頭に立ったのは12番スプリングハッピー。後続を突き放すようにドンドン加速していきます。残り600の標識を通過してもう間もなく第4コーナーが見えてくる。後続はどこから仕掛けるのでしょうか』
『第4コーナーを抜ける辺りか、最終直線に入ってからか……それぞれの判断が勝負をわけるでしょう』
『さあ、シンガリ含め各ウマ娘が第4コーナーへと入ってくる。先頭のスプリングハッピーは残り400の標識が徐々に迫っている。誰が仕掛けっとぉ動いた! 動きました! ここで動いたのは2番キングヘイロー! スプリングハッピーに続きクラシック級ウマ娘が先頭目指して加速している!』
残り400でキングが動いた。だが、そんなキングに釣られるようにして他のウマ娘達も徐々に加速を始めている。
『キングヘイローに続くようにして各ウマ娘が加速していく! 先頭は変わらずスプリングハッピー! 第4コーナーをぐるりと回り、ホームストレッチ目指してウマ娘達が突っ込んできた!』
俺はキングの姿を目に焼き付けるように、前のめりになってレースを注視する。各ウマ娘が第4コーナーを曲がり、徐々に徐々に、その姿を近付けてくる。
短距離の1200メートルは本当に短く感じる。ほんの1分少々で勝負が決まるため、ウマ娘達もハイスピードで駆け抜けるのでそれはある意味当然か。
『さあ来た! 来たぞ! 最終直線にウマ娘達が突っ込んでくる! 中山の直線は短いぞ! 後ろの娘達は間に合うのか?』
中山レース場の最終直線は310メートル。右回りのため視界の右から左へとウマ娘達が駆け抜けていくのを見守ることになる。
『先頭はスプリングハッピーが粘っている! しかし2番手の位置までキングヘイローが上がってきた! その後ろにはアジャイルタレント、タイキシャトルが上がってきている! 逃げていた1番ジュエルトルマリンも懸命に走って5番手につけている!』
ウマ娘達が一歩でも先を争う最終直線。毎度毎度、ここがレースで最も盛り上がるところだろう。観客達は総立ちになっており、思い思いに応援するウマ娘へと声をかけている。
『残り200メートル! しかしここから先は約2.2メートルの急な坂が待っている! 誰が抜け出すのか!?』
トップスピードを維持しながらウマ娘達が中山の坂に差し掛かる。しかし最大勾配2.24%の坂は数あるレース場の中でもトップクラスの難関だ。
それまで凄まじいスピードで駆けていたスピード自慢のウマ娘達の足が、ガクンと鈍る。いくらウマ娘と言っても平地と同じ速度で坂道を駆けることはできない。中山の坂を駆け上がるのにはスピードだけでなく足腰の強さ、それに根性の強さが必要となる。
――そして、根性という面でキングは他のウマ娘を凌駕する。
「いっけええええええええええええええぇぇっ! キングウウウウウウウウウゥゥッ!」
俺は手をメガホンのようにして叫ぶ。少しでも背中を押せるように、少しでも助けになるようにと、腹の底から声を出して声援を送る。
「がんばれえええええええぇぇっ! キングちゃああああんっ!」
「がんばってっ! キングちゃん!」
俺に負けない大きさで叫ぶウララと、出せる限りの声で応援するライス。キングは歯を噛み締めるようにして全身に力を込め、蹄鉄でターフを抉り飛ばす勢いで坂を駆け上がっていく。
その走りは力強く、凄まじい。シニア級のウマ娘達を後方に置き去りにするようにして駆け上がるキングの姿は、やはり天性のスプリンターなのだと俺に感じさせるものだった。
シニア級のウマ娘ですらキングについていけない。そう――
(来たか、タイキシャトル……!)
尾花栗毛をなびかせて疾走するその姿に、俺は心中で独白する。
『先頭で必死に粘るスプリングハッピー! しかし! その1バ身後方! いや既に並んだぞキングヘイロー! そして更に来た! 安田記念の覇者が! マイルの覇者がスプリンターの冠を被るべく突っ込んでくる!』
先行したタイキシャトルが差しを選択したキングを後から追うというこの状況。タイキシャトルよりも早い段階でスパートをかけたキングのその行動は奇策か、あるいはそれが勝つための道筋だと判断したか。
『キングヘイローがスプリングハッピーを完全にかわした! しかしタイキシャトルも上がってきている! その差は1バ身もない! 坂ももうない! あとは直線が僅か! 残り数十メートル!』
先頭を駆けるキングと、そんなキングをかわそうとするタイキシャトル。キングも背後にタイキシャトルが迫っていることに気付いているだろう。
だが、キングは決して振り向かない。ただ真っすぐに前を向いて、全力で坂を駆け上がってきたにも関わらず顔を一切下げることなく、息を入れることすらせずに全力で駆けていく。
9月の後半といっても、まだまだ暑い。短距離とはいえ本番のレースを走るキングの額には大粒の汗が浮かび、息を入れていないため顔も真っ赤に染まりつつある。
それでも、キングは一切手を抜かず、緩めず、駆けていく。まるで自らの才能を証明するように、その表情は必死だった。
『タイキシャトルがキングヘイローとの差を縮め……縮まないっ!? キングヘイローが1バ身差を保ったままでタイキシャトルを近付けさせない! そして今、キングヘイローが1着でゴール!』
「よおおおおっしゃぁああああっ!」
俺は思わず右拳を握り締め、高々と突き上げる。
先に勝負を仕掛け、なおかつスピードを維持するスタミナと根性があったからこそキングは逃げ切ったのだろう。
キングとタイキシャトルの最高速度はほぼ互角。
そして、普段からシニア級のウマ娘の中でもトップクラスのスピードとスタミナ、そして根性を持つライスに追いかけ回され、引きずり回されても決してめげなかったのがキングだ。
ゴールを駆け抜けるその瞬間まで気を抜くことなどあり得ず、そして今、現実のものとして最後の瞬間まで諦めずにゴールを駆け抜けた。
『着順が確定いたしました。1着2番、キングヘイロー。2着7番、1バ身差でタイキシャトル。3着4番、クビ差でリボンララバイ。4着12番、1バ身差でスプリングハッピー。5着13番、ハナ差でアジャイルタレント』
キングは息を入れることなく全力疾走していた影響で乱れた息を整えていたが、着順掲示板を見やり、驚いたように目を見開く。
そして、着順掲示板を見た俺はほっと息を吐いていた。キングとタイキシャトルの先頭争いに注目していたため気付くのが遅れたが、シンガリ付近にいたはずのリボンララバイがかなり際どいところまで迫っていたのだ。
リボンララバイは追い込み狙いのウマ娘だったが、まるでゴルシちゃんのようにワープしてきたのかと錯覚するほどの追い上げである。
(やっぱり、シニア級のウマ娘はなんだかんだで油断できないな……)
俺は今後キングとぶつかる可能性があるシニア級のウマ娘に関しても、もっと研究が必要だと心の中でメモをする。
『キ・ン・グ! キ・ン・グ!』
ファンの一部がキングの名前を呼び、キングコールとでも言うべきことをやり始めた。それが聞こえたのかキングは胸に手を当て、目を潤ませながら観客席に向かって一礼する。
それを見た観客達からは大きな声援と拍手、そしてキングコールが飛び交い、一礼を終えたキングは誇るようにして胸を張った。
そんなキングの姿を見ながら、俺は安堵の息を吐く。
(まずは短距離のGⅠで勝てた、か……)
キングにとって一番適性が高い短距離での勝負ということもあり、勝算はそれなりにあると思っていた。それでも実際にキングが勝つところを見られて、俺としては少しだけ肩の荷が下りた気分である。
しかし、キングが次の目標にしているのは菊花賞だ。長距離の3000メートルは、はたして今回のように上手くいくのか。出てくるのはクラシック級のウマ娘だけだが、クラシック三冠の最後の冠をかぶろうと誰もが死に物狂いで走るだろう。それを思えば僅かに不安な気持ちが脳裏を過ぎる。
しかし、今は。
「帰ったらお祝いだな。あと、うんと褒める」
「うんっ!」
「そうだね、お兄さま。ライスもキングちゃんを褒めていいこいいこするよ」
誇らしげに観客席へ手を振るキングの姿を見ながら、俺はウララやライスと一緒に笑い合うのだった。