リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第67話:キングヘイロー、己の道を歩み出す

 キングヘイローというウマ娘にとって、自身の母親は誇りである。

 

 キングヘイローの母親はアメリカでGⅠ7勝を挙げた稀代のウマ娘だ。現在はレースを引退したものの、高名な勝負服の一流デザイナーとして活躍している。

 

 キングヘイローはそんな母親に憧れ、幼少の頃はいつかは母親のように立派なウマ娘になるのだと思っていた。

 

 本当に、母親が誇り()()()のだ。そしていつしか、キングヘイローにとって母親の存在は重く、苦しい鎖へと変貌した。

 

 母親に反対されたものの、反対を押し切って入学したトレセン学園。そこで自身の担当トレーナーを探していたキングヘイローは、己の母の高名さを嫌でも思い知ることになる。

 

「え!? 君、あの七冠ウマ娘の娘さん!?」

「ああ、あの人の娘か。ということは君もマイラーかな?」

 

 キングヘイローの方から探さずとも、トレーナーの方から寄ってきた。新人からベテランまで選り取り見取りで、おそらく、その年度におけるトレーナーからのスカウト数ではトップだっただろう。

 

「今のレースを見てたけど、君、良い走りしてるねぇ。俺の担当ウマ娘になってくれない? え? 君の母親? 誰それ。知らないけど……有名人?」

 

 中にはキングヘイローの走りだけを見て声をかけてくる者もいた。しかし新人トレーナーかつ、明らかにトレーナーらしからぬ浮ついたところを見てキングヘイローは即座に断る。

 

 キングとしては母親のことを知らないというのは高評価だったが、アメリカでも有数の有名ウマ娘を知らないトレーナーとなると、その育成手腕も疑わしいものだからだ。有名なウマ娘を知らないということは、トレーナーになるための勉強はできてもウマ娘に対する興味が乏しいのだろう、と判断をした。

 

 ただ、一応顔は覚えておこうとキングヘイローは思った。そして振り返ってみると、今しがた声をかけてきたトレーナーは何故か両手と両膝を地面に突いて落ち込んでいる様子だった。

 

(……もう少し話を聞いても良かったかしら?)

 

 そう思ったキングヘイローだったが、すぐに頭を振って否定する。母親のような一流のウマ娘になるためには、相応に実力のあるトレーナーが必要だからだ。性格は悪くなさそうだが、実績も育成経験もない新人トレーナーを担当に迎え、一度きりのウマ娘としてのレース人生を棒に振るつもりはなかった。

 

 そうしてしばらく悩んだのち、キングヘイローはとある男性トレーナーを担当として見定めた。

 

 チームを率いてはいないが、これまでに三人ほどウマ娘を育成し終わっている若手のトレーナーである。現在もウマ娘二人の育成を担当しているが、キングヘイローが承諾すると大喜びで迎え入れてくれた。

 

 キングヘイローがそのトレーナーを己の担当に決めたのは、そのトレーナーが今までに育てたウマ娘が自身の得意だと思っている差しの戦法を採用しており、なおかつマイルから中距離を主戦場としていたからだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()己の適性を伸ばすのに合っているだろう、母親のようなウマ娘になるには丁度良いだろう、という思いがあった。

 

 チームリギルのような有名チームの世話になろうかとも思ったが、チームリギルは完全な実力制で模擬レースで1着になった者以外門前払い。模擬レースの志望者が多ければ、何十人といても一人しか合格者が出ないこともあると聞いた。

 

 キングヘイローは並大抵のウマ娘に負けるつもりはなく、また、その気概に見合った実力もあったが、模擬レースで負ければ母親の件と絡めて周囲からどう思われるかわからない。そのため避けざるを得なかった。

 

 他にもチームスピカといった有名チームもあったが、周囲から全力で止められた。チームスピカに関しては、覆面をしたウマ娘三人組に友人であるスペシャルウィークが連れ去られるところを目撃したため、入部を希望しなくて良かったと思っている。

 なお、それはそれとして、理事長秘書である駿川たづなへ即座に通報し、スペシャルウィークを救出した。ただし、何が起きたのかスペシャルウィークはチームスピカに入ってしまったが。

 

 キングヘイローの担当になったトレーナーは、毎年一人ずつ新しいウマ娘の育成を引き受けているらしい。既に3人が引退し、シニア級が一人、クラシック級が一人、そしてジュニア級のキングヘイローと、バランス良くまとまっていると言えるだろう。

 

 担当トレーナーはGⅠでの勝利こそないが、これまで育ててきたウマ娘達によってGⅢで3回、GⅡで1回、1着を経験している。オープン戦ならば既に二桁勝利を目前にしており、これから伸びる期待の若手といった評価を受けていた。

 

 キングヘイローから見れば、一流のトレーナーかと問われれば首を傾げるところだっただろう。だが、キングヘイローは思ったのだ。自分が一流のウマ娘になるように、トレーナーもまた、一流のトレーナーになれば良いのだ、と。

 

 そうして、キングヘイローのトレセン学園での生活がスタートしたのだった。

 

 

 

 

 

 キングヘイローにとって、トレセン学園での生活は順風満帆というべきものだった。

 

 周りには切磋琢磨できる友人がおり、日々のトレーニングも順調。徐々に近付いてくるメイクデビューの時を指折り数えながら待ち、勉学にも手を抜かない。そんな毎日だった。

 

 ただ、問題があるとすれば、ただ一つ。

 

「はぁ……まったくもう……ウララさん? 私のベッドで眠らないよう、何度も言っているでしょう?」

 

 同室のルームメイトにして友人である、ハルウララの存在ぐらいだろう。キングヘイローは朝になって起きるなり、自分にしがみつくようにして眠っている存在に気付いて呆れたような声を漏らす。

 

 このハルウララというウマ娘は、ダートを主戦場とするウマ娘である。担当トレーナーが見つからない、誰も担当を引き受けてくれないと落ち込んでいた時は心配したが、トレーナーとの契約を結ぶ期限ギリギリになってようやく担当が決まった。

 

 その時は素直に祝福したが、毎晩楽しそうに語るハルウララの話を聞く限り、担当トレーナーは新人かつハルウララ以外担当するウマ娘がいないらしい。

 

 今年度の新人トレーナーは優秀らしく、名門桐生院家のトレーナーとハルウララのトレーナー以外は全員が全員、複数のウマ娘を担当しているそうだ。

 

 桐生院家のトレーナーがハルウララを担当するのなら、キングヘイローも心配はしなかった。桐生院家はキングヘイローも聞いたことがあるほど有名なトレーナーの家系である。

 しかし、新人トレーナーがハルウララだけを育成すると聞いて不安を抱いたのは、キングヘイローの生来の人の良さに因るものだろう。ただ、自身のトレーナーに関して語るハルウララはとても楽しそうで、そこまで心配する必要はないのかもしれない、とも思ったが。

 

「んにゅ……おはよー、キングちゃん……」

「はい、おはようございますウララさん。って、ああもう……髪がボサボサじゃないの。ほら、こっちに座りなさいな。髪を梳いてあげるわ」

「んー……ありがとー……」

 

 起こしたハルウララは寝ぼけ眼で、髪も寝ぐせがすごいことになっていた。そのためキングヘイローは自身の櫛で髪を梳いていくが――こうして無邪気に頼られることが、実は嬉しかったりする。

 

 自身のベッドに潜り込んできて、甘えるように抱き着かれるのも悪くない気分だった。ただ、これからは夏である。さすがにそろそろ勘弁してほしいとも思うが、ハルウララは寝ぼけてベッドに潜り込んでくることもある。望みは薄かった。

 

「本当、困った子だわ……」

 

 そう言ってハルウララの髪を梳く自身の口元が優しく緩んでいることに、キングヘイロー本人は気付かなかった。

 

 

 

 

 

 そんな、問題とも言い切れない問題に頭を悩ませながらも、キングヘイローはメイクデビューの時を迎える。

 

 結果は文句なしの1着である。続くオープン戦の黄菊賞でも1着、更にGⅢの東京スポーツ杯ジュニアステークスではレコード勝ちで1着と、順調に戦績を重ねていった。

 

 ただし、ジュニア級で出走できる数少ないGⅠレース、ホープフルステークスでは2着と初の敗北を喫した。2着という傍から見れば立派な成績も、1着が獲れなければ敗北である。キングヘイローはそう思い。

 

「初のGⅠで2着か……さすがはキングヘイローだね」

 

 さすがあのウマ娘の娘だ。担当トレーナーが小さな声でそう呟いた――そんな気がした。

 

「……今、なんと?」

「え? ……いや、次こそは勝ちたいなって言ったんだよ」

 

 そう言われて、キングヘイローは引き下がった。初めての敗北で気が立っていたのかもしれない。ウマ娘は優れた聴覚を持つが、気が立っていては聞き間違いもするだろう、と()()()()()()()()

 

 そうして、キングヘイローはジュニア級を4戦3勝という好成績で終えた。

 

 ――だが、ここからキングヘイローは勝てなくなった。

 

 クラシック級になると、ライバルのウマ娘達もどんどん本格化してくる。それが影響したのか、はたまたキングヘイローというウマ娘の才覚が届かなかったのか、あるいはトレーニング不足か。

 

 GⅡの弥生賞で3着、GⅠの皐月賞で3着、日本ダービーで7着と、徐々にレース成績が悪化しつつあったのだ。

 

 だが、負け続けてもキングヘイローはへこたれない。その程度で折れる軟な精神はしていない。悔しさはあっても、歯嚙みしながら前を向くのだ。

 

 だからこそ、キングヘイローが折れたのには別の要因があった。 

 

『日本ダービーで勝ったスペシャルウィークさん。あんなに人を惹きつける走りを見たのは久々よ。あの子に負けたのならあなたも諦めがつくでしょう? そろそろ家に帰ってきなさい』

 

 レースで走る度に、ことあるごとに電話をかけてくる母親の言葉。()()()()()()()()()()()は一切なく、ただただ、全てを諦めて実家に帰ってこいと言われるのだ。

 

 レースで勝った時は褒めてほしい。負けた時は慰めてほしい。いや、慰めなくても良いから、せめて何故負けたのかアドバイスをしてほしい。

 

 キングヘイローが自身の母親に求めたのは、そんな当たり前のことだった。だが、そんな言葉はない。それが、キングヘイローの心を折ったのだ。

 

 しかし、キングヘイローは折れた心をすぐさまつなぎ合わせた。そして母親の言葉に怒りを抱く。そこまで言うのなら、見返してやろうと心が燃え上がるのを感じた。

 キングヘイローの中に湧き上がった感情に言葉をつけるならば、不屈の二文字だろう。たとえ心が折れようともすぐさま自身を奮い立たせ、秋の菊花賞に向けて更なるトレーニングが必要だと思った。キングヘイローに諦めという文字はないのだ。

 

 今のままでは、到底勝てない。そう判断したキングヘイローは自身のトレーナーに直談判をした。

 

 私は一流のウマ娘になる。あなたもそんなキングに相応しいトレーナーとして、菊花賞で勝たせるトレーニングメニューを用意しなさい。

 

 キングヘイローはそう伝えた。今までも、こうして一流になれと背中を叩き続けてきたのだ。そしてすぐに快諾が返ってくる――そう、思っていた。

 

「……すまない、キングヘイロー。俺にはもう、君を育てる自信がない……()()()()()()()である君を勝たせられないんだ……もう、無理だよ」

「……なん、ですって?」

 

 何を言っているのかと、キングヘイローは思った。トレーナーは申し訳なさそうに、言葉にした通り自信がなさそうに視線を逸らす。

 

「それに、他の子からも君の育成にばかり力を入れていて不公平だと言われるし、あの有名ウマ娘の娘を育てているトレーナーの下にいるのに強くないと言われることもあったようでね……本当にすまない……俺は、君が望むようなトレーナーにはなれないよ」

「っ……!」

 

 その言葉に、キングヘイローはカッとなった。そして、思うがままに言葉を吐き出していく。

 

 キングヘイローは年齢に見合わぬ不屈の精神と、自制心を持っていた。だが、この時ばかりは止まらない、いや、自分を止められなかったのだ。

 

 何故そんなことを言うのか。自分はキングヘイローというウマ娘であって、母親のことは関係ない――何故、勝たせてくれないのか。

 

 そんな言葉を投げかけ、トレーナーとは物別れになった。担当としての契約も解除となり、キングヘイローはレースにも出られない、ただのキングヘイローになったのだ。

 

「……私は、何をしてるのかしらね」

 

 そしてキングヘイローは、大雨が降りしきる中、練習用コースをずっと走っていた。自嘲するように呟くが、本当に何をしているのかと笑ってしまう。

 

 意味もないトレーニング、無駄なトレーニングだと理性が訴えている。しかし、体を動かし続けていないと頭がどうにかなりそうだった。

 

 何も告げずに出てきたため、寮の同室のハルウララが心配するかもしれない、という考えが脳裏を過ぎる。だがこの時ばかりは、あの眩しい笑顔を浮かべるウマ娘に会いたくなかったのだ。

 

 一体何時間走っていたのか。キングヘイローは足をもつれさせてコースに倒れ込む。雨水が溜まったコースは泥で汚れ、キングヘイローが着ていた衣服を汚したがそれに構うこともしない。

 

 ただ、冷たいな、という思いがあった。体が冷え、心も冷え、これからどうすれば良いのかと考え――それすらも億劫だった。

 

「……キングちゃん?」

 

 そんな時、若い男性の声が聞こえた。その声に反応して視線を向けたキングヘイローは、誰だろうか、と内心で呟く。

 そして数秒かけて、愛称であるキングという名前にちゃん付けをして呼ぶ男性が一人しかいないことをキングヘイローは思い出した。

 

「あな、たは……」

 

 思考では相手の素性に気付いても、走り疲れた体はついてこない。ぼやけた視界で声がした方を向くが、夜間かつ大雨の中とあってよく見えなかった。

 

 キングヘイローは結局、声をかけてきた男性――ハルウララのトレーナーに連れられ、彼が担当しているチームキタルファのトレーナー室へと連れて行かれた。

 

 抵抗する体力も気力も残っていないというのもあったが、相手がハルウララのトレーナーというのがキングヘイローに警戒心を抱かせなかったのだ。

 

 ハルウララのトレーナーとは、ハルウララを間に挟んだ関係でしかない。しかしそれでもハルウララがそう呼んでいるからとキングヘイローを『キングちゃん』と呼び、頻度が高かった時には毎晩のように電話で話をしていた相手だ。

 

 何故そんなことになったのか、キングヘイロー自身、あまりよく覚えていない。最初はトレーニングで疲れ果てて寮に帰ってくるハルウララに関して、電話で抗議をしたのがきっかけだとは覚えているが。

 

 疲れ果てたハルウララは湯船に浸かるどころかシャワーすら浴びずに寝ようとし、放っておけば夕食を食べている最中に眠りこけて料理に顔を突っ込み、挙句の果てにベッドどころか床で眠りそうな有様だったのだ。

 

 それを見たキングは怒った。友人であり、表には中々出さないが可愛がっているハルウララに何をしているのかと。一体どんなトレーニングをさせればこんなことになるのかと、猛抗議したのである。

 するとハルウララは今が最も伸びる時期であり、徹底的に鍛えているところだと返された。しかしながら、キングヘイローに迷惑がかかっているのも事実である。それを踏まえてキングヘイローは抗議しようとした――のだが。

 

「えへへ……トレーナー……がんばるぞ、おー……」

 

 疲れ果てて眠っているというのに、むにゃむにゃと寝言を零すハルウララの姿を見たキングヘイローの怒りは即座に鎮火した。そして同時に、仕方がないなぁ、と思ってしまったのだ。

 

 それからはハルウララがどんなことをした、だから大変だった、という旨の電話をよくかけるようになった。その電話がどんな主旨だったのかをキングヘイローに問えば、抗議の電話だと答えるだろう。だが、楽しんでいなかったかと問われれば答えられない。

 

 ハルウララという存在が間に挟まっていたとはいえ、()()()()()()()()()()として接してくれるのが心地良く、気楽だったのだから。

 

 そんな電話越しならば親しく、しかし実際に顔を合わせたことはないという妙な関係のトレーナーに連れて行かれたのだ。しかも、雨で濡れているから服を着替えろ、なんてことまで言われる始末である。

 それでもキングヘイローは素直に服を着替えた。一流のウマ娘は体調管理も一流だから、などと思考したところで、意味のないことだと自嘲する。

 

 そうして着替え終わり、ひと段落したところでキングヘイローは疑問を覚えた。電灯の下で見たトレーナーの顔に、どこか見覚えがあったからだ。

 

 言葉は交わしていたが、見たことがない顔のはずだ。そう考えたところで、キングヘイローの優れた記憶力は初対面ではないと結論付ける。

 

 ハルウララのトレーナーは、トレセン学園に入学したキングヘイローが自身の担当トレーナーを探している時に一度会った男だった。珍しく自身の母親に関してではなく、自身の走りに関して興味を持っていたトレーナーがいたな、とキングヘイローは思い出す。

 

「……キングちゃん」

「……なによ」

 

 そして、真面目な顔で声をかけられた時、キングヘイローは何故こんな真似をしていたのか聞かれるのかと思った。しかし、ハルウララのトレーナーは予想外の言葉を口にした。

 

「えー……今更だけどはじめまして。チームキタルファのトレーナーです。ウララがいつもお世話になっています」

「はじめまして? あなた、何を言って……」

 

 本当に初対面だったのだろうか、とキングヘイローは困惑する。だが、ハルウララのトレーナーからすればキングヘイローは何十人と声をかけて担当を断られたウマ娘の中の一人であり、その後ようやく自身の担当ウマ娘(ハルウララ)と出会えたことで、記憶には残っていなかった。

 

「そう……そうね、ええ、そうだったわ。はじめまして、ウララさんのトレーナー」

 

 それがキングヘイローにとって初めての出会いであり、チームキタルファに所属することになった最初の切っ掛けだった。

 

 

 

 

 

 紆余曲折あってチームキタルファに所属することにしたキングヘイローは、正直に言えば面食らった。それは悪い意味で、ではなく、良い意味でだ。

 

 チームキタルファに所属するウマ娘は二人。

 

 一人はキングヘイローの友人であるハルウララ。ダートを主戦場とするウマ娘で、明るく前向きで元気が良い子だ。

 

 もう一人は、キングヘイローからすれば何故こんな零細チームにいるのか? などという疑問を抱くほどのビッグネーム。昨年の菊花賞ウマ娘にして有記念の勝者。そして今年に入ってからトウカイテイオーやメジロマックイーンとバチバチにやり合っているライスシャワーだ。

 つい最近、春の天皇賞で1着を獲って長距離GⅠ制覇を達成したウマ娘でもある。現在トレセン学園に所属している現役のシニア級の中で、十本の指に入るであろう優駿だ。

 

 そして極めつけはチームキタルファのトレーナーである。

 

 トレーナーになって二年目で、歳は若い。しかしその育成方針や育成方法は、キングヘイロー自身驚くほどに()()()()()()()ものだ。

 

 故障を防ぐことを第一に掲げながらも、慣れるまでは毎日ハルウララの世話になるほど密度の濃いトレーニングを考案し、笑顔で実践させるスタイルである。

 

 余程のことがなければへこたれず、疲れたと思うこともないキングヘイローがあっさりと疲れ果てるほどにきついトレーニングの数々。しかし事細かに体調や疲労具合をチェックし、筋肉痛はあっても疲労がほとんど残らないギリギリの量をトレーニングさせる。

 

 それによってはっきりと自覚できるほどに自身の実力が伸びていくことに、キングヘイローは感動すらしていた。

 また、トレーニングを行う際にライスシャワーが指導してくれるのも大きい。キタルファのトレーナーと同様に笑顔で――いや、それ以上に迫力のある笑顔でキングヘイローを鍛え、追い込み、実力を伸ばそうとしてくれるのだ。

 

 キングヘイローとしては少し……いや、見栄を張る余裕すらないほどに頭が上がらない相手となった。

 

 しかしキタルファのトレーナーはただスパルタなトレーニングを課すだけではない。疲労が溜まっていると判断すれば適切に休ませ、トレーニングに慣れてしまわないよう、飽きてしまわないよう、次から次へと新しいトレーニング方法を導入する。

 

 新しいトレーニング方法イコール今までのトレーニングよりも負荷がきつい、ということでもあったが、キングヘイローとしては望むところだった。

 

 そしてチームメイトのレースを応援し、夏の合宿では毎日のように疲れ果て、収得賞金を稼ぐためのCBC賞で1着を獲り。

 

 キングヘイローは、気付けばスプリンターズステークスで1着を獲り、GⅠの冠をかぶっていた。

 

 

 

 

 

 そうして迎えたのは、10月後半に行われる菊花賞。クラシック三冠の終着点にして、友人やライバルが数多く出走するレースである。

 

 トレーナーと共に掲げた全距離重賞制覇。それが本当に可能な目標なのか、キングヘイローとしては疑う気持ちもある。

 

 だが、これまで積み重ねてきたトレーニングを、チームメイトとの絆を、トレーナーとの絆を疑う気持ちは微塵もなかった。

 

 ハルウララは、頑張ってと言った。

 

 ――武者震いを起こしそうなほどに、やる気がみなぎった。

 

 ライスシャワーは、きつい時は自分との特訓を思い出せと言った。

 

 ――どんな相手でも、怖くなくなった。

 

 トレーナーは、楽しんで走って勝ってこいと言った。

 

 ――ならば、あとは勝つだけだ。

 

 菊花賞が始まる。ゲートが開き、スタートする。

 

 キングヘイローは最初から差し狙いだ。誰かに勝ちたいという思いではなく、最初にゴールを通過するのは自分だという願いを抱いてターフを駆けていく。

 しかし、トレーニングや模擬レースならまだしも、本番のレースで長距離を走るのは初めてだ。はたして自身のスタミナがもつのかという不安も僅かにあった。

 

 1000メートルを通過する――体が軽い。

 

 2000メートルを通過する――まだまだスタミナはもつ。

 

 2200メートルを通過し、残り800メートルを切る――勝負の仕掛けどころだと判断する。

 

 駆ける、駆ける、駆ける。淀の坂を下り、先頭を目指して駆けていく。実況や解説の声、観客の声援すら遠い。キングヘイローは意識を研ぎ澄ませ、一気に加速して5番手へと躍り出る。

 

 それでもまだ5番手だ。セイウンスカイ、ビワハヤヒデ、スペシャルウィーク、オグリキャップが前にいる。

 

 だから、まずはオグリキャップを抜いた。オグリキャップが加速してくるが、それに構わず今度はスペシャルウィークに狙いを定める。

 

 夏の合宿で行った模擬レースでは勝てなかった――()()()今日は勝つ。

 

 底が見え始めたスタミナ、上がる息、鈍りそうになる足を根性で抑え込みながら、歯を食いしばってスペシャルウィークをかわす。

 

 だが、もうゴールまで距離がない。次はビワハヤヒデだ。ビワハヤヒデをかわし、セイウンスカイをかわせば自分が1着だ。

 

「がんばれえええええええええぇぇっ! キングウウウウウウウウウゥゥ! いけえええぇっ! いけええええええええええええええぇぇぇぇっ!」

 

 観客席から、自身のトレーナーの声が聞こえた。だからこそキングはへこたれない。下がりそうな顔で前を見据え、ひたすらにターフを駆けていく。

 

 しかし、ゴールまで残り200メートルもない。ビワハヤヒデまでは残り1バ身。セイウンスカイまでは――残り4バ身。

 

 届かない、とキングヘイローの理性が叫んだ。ならば届かせる、とキングヘイローの本能が叫んだ。

 

 ――だが、届かなかった。

 

 ビワハヤヒデまであと一歩。そしてセイウンスカイには3バ身。

 

 3着でゴールを駆け抜けたキングヘイローは、荒く呼吸をする。そして周囲を見回してようやく、自分が3着でゴールしたことに気付いた。

 

 スペシャルウィークに勝った。オグリキャップも抜いた。だが、自分よりも先にビワハヤヒデとセイウンスカイがいた。

 

 それを認めたキングヘイローは俯きそうになるのを堪え、堂々と顔を上げる。3着ということは敗北だ。しかし、自身が苦手だと思っていた長距離、それもGⅠで3着なのだ。

 

 満足はできないが、納得できる結果である。なにより、1着を獲ったセイウンスカイはライバルであり友人なのだ。キングヘイローは祝福するべく声をかけようとした。

 

「……?」

 

 その時、京都レース場から一切の音が消えた。そしてほんの数瞬間を置いてから爆発的な歓声が上がる。

 

 一体何が、とキングヘイローは思った。しかし着順掲示板を見て納得した。

 

 ――3分2秒3。

 

 そのタイムを見た時、キングヘイローの中にあった悔しさの大部分が吹き飛んだ。

 

 レコード勝ち。それも、世界レコードを更新しての1着である。負けた悔しさは未だに残っていたが、それでも、悔しさに歯噛みするより優先するべきことができた。

 

「セイちゃん、大丈夫? 立てる?」

「ほら、きついのはわかるけど立ちなさい。勝者がその様では笑われるわよ」

 

 同じことを思ったのか、キングヘイローだけでなくスペシャルウィークもセイウンスカイへと声をかける。それを聞いたセイウンスカイは体を震わせながら、呻くようにして答えた。

 

「はぁ……はぁ……ちょ、スペちゃん、キング、二人とも……お願い、あとちょっと、休ませて……足、震えて立てない……」

 

 キングヘイローはセイウンスカイの状態をさっと確認する。体のどこかで故障が発生したわけではなく、限界を超えて走り続けたことで反動が来ているだけだろう。そのため、キングヘイローは苦笑しながら言う。

 

「私だってあなたのペースに引っ張られてへとへとなのよ? もう……仕方ないわね。そっち側、お願いできる?」

「うんっ! ほら、セイちゃん頑張って」

「げほっ、げほっ……うわー、二人とも、スパルタだぁ……でも、ありがとね」

 

 キングヘイローはスペシャルウィークと一緒にセイウンスカイを抱き起こし、肩を貸す。セイウンスカイは抗議するような声を上げたが、照れ臭そうに笑っていた。

 

 そんな三人のもとに、キングヘイローと同じように着順掲示板を眺めていたビワハヤヒデが歩み寄っていく。

 

「やれやれだ……必勝を期して挑んだというのに、世界レコードとは……さすがに素直に負けを認めるしかあるまいよ」

 

 そう言いつつ、ビワハヤヒデは握手を求めるように右手を差し出した。しかし当のセイウンスカイはきょとんとした顔になる。

 

「世界……レコード?」

「ああ。着順掲示板を見てみるといい」

 

 ビワハヤヒデに促され、セイウンスカイは着順掲示板を見た。

 

 己が1着であること、レコード勝ちをしたこと、そして、実況や解説の声、大興奮の観客達、そして負けたにも関わらず笑顔で祝福してくるライバル達の姿から、本当に世界レコードを叩き出したのだと悟る。

 

「う、そ……」

 

 感情の整理が追い付かない。1着で嬉しいはずだというのに、驚愕しすぎて実感が湧かない。

 

 それでも、徐々に理解が及んでいく。それによってセイウンスカイの瞳に大粒の涙が溜まっていき、ついには溢れて頬を伝った。

 

 キングヘイローはそんなセイウンスカイの背中を優しく叩きながら、小さく微笑む。

 

 3着といっても、負けは負けだ。キングヘイローの中にはたしかな悔しさがあった。

 

 だが、涙を流すセイウンスカイの姿に、キングヘイローは素直に称賛し、祝福したいと思った。負けはしたが、誇らしい負けだ。誇るべき相手に負けたのだ。

 

 負けた悔しさよりも強く、誇らしさを覚えられる。そんなレースを走れたことへの感謝を、キングヘイローは強く胸に抱くのだった。

 

 

 

 

 

 菊花賞のレースが終わり、ウイニングライブの準備をするべくキングヘイローは控室へと向かう。すると、それを待っていたようにトレーナーが姿を見せた。

 

「すまん、キング……お前を勝たせてやれなかった」

 

 そして、顔を合わせるなり謝る。潔いと言うべきか、それとも()()()自分を勝たせるつもりだったのか。

 

 そう考えたキングヘイローは、ああ、と心中で声を漏らす。

 

 キングヘイローのトレーナーは、菊花賞は良くて3位に入れるかどうかだと前々から言っていた。その言葉は現実のものになってしまったが、それでもキングヘイローが勝つと、勝ってくれるのだと信じていたのだ。

 

「おばか……今日のスカイさんの走りを見たでしょう? 世界レコードが相手じゃ、さすがに分が悪すぎるわ。それに……」

 

 バツの悪そうな顔をするトレーナーに、キングヘイローは柔らかく微笑む。

 

「スカイさんに引っ張られた形になるけど、長距離のレースなのに今までにないぐらい、気持ちよく走れたわ……あなたは私が全距離で重賞を制覇できる、なんて言ってたけど、本当はちょっとだけ信じてなかったの」

 

 トレーナーに一番向いているのは短距離だと言われ、実際に走って納得していた。スプリンターズステークスで走った時も、ライバルやシニア級に勝てたのだ。距離が伸びるにつれて適性が落ちることを、キングヘイローはなんとはなしに感じ取っていた。

 

 それでも全距離重賞制覇という目標を掲げ、自身を鼓舞するように承諾し、そして今、実際にそれが叶えられる目標なのだと悟った。

 

「でも確信したわ……私、本当に強くなれるのね。そしてもっともっと、強くなる」

 

 まだまだこれからだと、キングヘイローは思った。レースに出た全員がセイウンスカイのペースに引きずられてすさまじいタイムを出したが、それを可能とするだけの走りができるのだとキングヘイローは納得したのだ。

 

「ああ……君はもっと強くなる。俺が強くするよ……いや、違うな」

 

 それに答えるトレーナーは真剣だった。

 

「これからも()()()強くなろう」

「――ええっ!」

 

 だからこそ、キングヘイローは笑顔で頷くのだった。

 

 

 

 

 

「もしもし、お母様? ええ……そうよ。菊花賞で3着だったわ」

 

「家に帰ってこい? バ鹿を言わないで。どうして帰らないといけないの? 私は、キングはこれからなのよ?」

 

「私はもっと強くなるわ。あなたの娘だからじゃない。キングヘイローとして……いえ、チームキタルファのキングヘイローとして、もっと強くなるわ」

 

「走ることが楽しいの。ウララさんとライスさん……それにあの人と一緒に私は進んで行くわ」

 

「だから、家に帰ってなんてあげない。帰ったら私は絶対に後悔するわ。デビューした世代が悪い? いいえ、逆よお母様。この世代で勝つからこそ、その勝利に大きな価値が生まれるのよ」

 

「私が強くなるところをテレビの前で見ていてちょうだい。そしていつかは、()()()()()()()()()()なんて世間に言わせてみせるわ」

 

「またね――今度はこっちから電話するわ」


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