リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
キングが出走した菊花賞も終わり、俺はいつものように翌朝になるとコンビニでスポーツ新聞を買って部室でくつろいでいた。
そして昨日の菊花賞が一面に……というか二面も三面も菊花賞の記事だこれ。セイウンスカイが叩き出した世界レコードに関してどうこう、以前のレコードはどうこう、そこから何秒短縮してどうこう、等々。
何枚もセイウンスカイの写真が紙面に載り、あれこれと記事が添えられている。
(一躍時の人……時のウマ娘か。まあ、あんな記録を叩き出したらこうなるわなぁ)
俺は苦笑を浮かべながら記事を読んでいく。セイウンスカイのパドックの様子やゲートインした時の様子、レース中の様子、ゴールを通過した瞬間、そしてキングとスペシャルウィークに抱きかかえられ、ビワハヤヒデが右手を差し出して握手を求めている瞬間など、カラー写真で何枚も掲載されているのだ。
というか、昨日のうちに号外が配られてたほどの大騒ぎである。テレビをつけてみればニュースやワイドショーで大騒ぎ、ラジオでもセイウンスカイの話題が取り上げられている。
ウマッターやネットの検索エンジンでも『セイウンスカイ』という名前が一日の検索回数で一位を記録した、なんて記事すら出ているほどだ。
今頃はトレセン学園宛てにセイウンスカイのインタビュー依頼やテレビへの出演依頼、あとはグッズ販売の依頼などが殺到しているに違いない。さすがにその辺りが仕事として割り振られることはないため俺はノータッチだが、セイウンスカイの担当トレーナーはどうなっていることやら。
まあ、嬉しい悲鳴というやつだろう、多分。嬉しすぎて数日は眠れなさそうだけども。
紙面にはセイウンスカイだけでなく、2着になったビワハヤヒデやスプリンターと思わせて長距離に殴り込みをかけたキングに関しても記事が載っている。
セイウンスカイの世界レコードに気を取られたけど、スペシャルウィークやオグリキャップに勝ってるしな。ビワハヤヒデには届かなかったけど、割と僅差だ。7着までのウマ娘がレースレコード以上のタイムで走っていたことも紙面を賑わせている。
あまりにもぶっ飛んだ内容過ぎて、7着より上のウマ娘を黄金世代と紙面上で呼称しているほどだ。キングが黄金世代……良い響きである。
キングが3着になったことは悔しいが、一晩経ってみても、悔しさよりもセイウンスカイを称賛する気持ちの方が強いのは困ったもんだ。ニュースで何度も菊花賞のレース映像が流れてるから仕方ないといえば仕方ないが。
今も試しにテレビをつけてみると、ニュース番組で菊花賞のレース映像がスタートからゴールまで編集なしで流れていた。そしてゴール後はちょっと飛び、キングとスペシャルウィークがセイウンスカイを抱き起こして肩を貸すシーン、ビワハヤヒデが右手を差し出して握手を求めるシーンなどが映っている。
だが、そうして映像を見ていると、気になる点があった。
(オグリキャップは……落ち込んでるというか、へこんでる……か?)
以前はレース後もぼーっと空を見上げるような子だったが、菊花賞で5着になったからか悔しそうに眉を寄せて俯いている。
(悔しいって思うようになったのなら、更に強くなるな……)
感情を剥き出しにする方が絶対に強い、とは言わない。しかしオグリキャップに更なる闘争心が宿ったならば、これまで以上の難敵になるだろう。
俺は自分で淹れたコーヒーを飲みつつ、苦笑を浮かべてしまう――と、不意に部室の扉がノックされた。
「はーい……っと、たづなさん? どうしたんですか?」
扉を開けた先に立っていたのは、たづなさんである。あれ? 何かあったっけ? 仕事は問題なく片付けてるんだけど……。
「少しお時間よろしいですか?」
俺がそんなことを考えていると、にっこり笑顔で部室に上がろうとするたづなさん。その笑顔を見た俺は、あ、これあかんやつや、なんて思った。
(たづなさんが怒ってる……残業の件かな? ここ一ヶ月、レースの研究で時間かけまくったもんな……)
キングを勝たせるため、それに今週末に秋の天皇賞で走るライスのため、研究に時間を割きまくっていたのがバレたのだろう。
俺はさっと視線を逸らすと、何か話を逸らすためのものはないかと思考を巡らせる。いや、そうだ、今は格好の話題があるじゃないか。
今しがた読んでいた新聞を手に取った俺は、紙面を見せながらハハハと笑う。
「見てくださいよたづなさん。昨日からずっとセイウンスカイのことばっかりです。こりゃまさに
「はい、なんですか?」
「ん?」
「え? ……え、ええ、そうですね。トキノ、いえ、時のウマ娘ですねセイウンスカイさん」
あれ? たづなさんの気を逸らそうとしたら、なんか変な反応が返ってきた。たづなさんは可愛らしくコホン、と咳ばらいをすると、再び笑顔を浮かべる。
「何故私がここに来たか……わかりますね?」
「はい……申し訳ないです……」
俺は素直に頭を下げる。残業のし過ぎですね、わかります、ごめんなさい。
俺が謝ると、たづなさんは大きなため息を吐いた。
「トレーナーさんが一生懸命だというのはわかります。私個人としてはその姿勢はとても好ましいです。ただ、私の立場……トレーナーさんの上司で
「はい……」
ウララ達のためだし、ライバルウマ娘やレースの研究はいくらでもしたい。しかし俺はトレセン学園に雇われている身である。そんな俺を管理する立場のたづなさんからすると、さすがにそろそろ激怒してもおかしくない。
何度注意しても残業を止めない部下とかね、さすがに堪忍袋の緒が切れてもおかしくないよね……俺のことなんだけどね。
たづなさんは俺をじっと見ていたが、やがて小さく息を吐いて困ったように微笑む。
「もう……目の下に隈ができてますよ? 頑張り過ぎて倒れたらハルウララさん達も心配しますからね?」
「いや、これ実は隈じゃなくてアイブラックでして……」
「トレーナーさん?」
「はい、ごめんなさい……」
とぼけようとしたらたしなめられ、たづなさんに甘えちゃってるなぁ、なんて思う。申し訳ない気持ちもあるが、なんというかこう、すさまじい頼り甲斐があって思わず頼ってしまうのだ。いやうん、いけないことだとは理解してるんだけどね?
普段ならここで会話が終わるのだろうが、たづなさんは小さく首を傾げて不思議そうな顔をする。
「ところで、以前から気になっていたんですが……差し支えなければ、どうしてそんなに残業する必要があるのか聞いてもいいですか?」
「……俺も前から気になっていたんですが、普通は何故残業するのか詳しい申請理由が必要ですよね?」
質問に質問を返してしまう形になるが、俺は『ライバルウマ娘の研究をします』だとか『レース映像の研究をします』みたいな理由で残業を申請するが、たづなさんから深く追及されたことがない。
するとたづなさんは苦笑し、頬に手を当てる。
「トレーナーさんにわかりやすく伝えますと……桐生院さんはご存知ですよね? 桐生院さんは代々トレーナーの家系で、受け継いできた育成法が存在します。秘伝とか奥義とか、そういう感じに言い換えてもいいですね」
「そう聞くとかっこいいですね」
中身は良い歳になっている俺だが、秘伝とか奥義とか聞くとワクワクしてしまう。男はいつまで経っても子供心が捨てられないからね、仕方ないね。
「それでですね、基本的にそういう情報って門外不出なんですよ。トレーナーやその家系の人にとって、ウマ娘の育成方法は何人も、何十人ものウマ娘を育成してきた経験の結晶になるわけです」
「ふむふむ……芝が得意なウマ娘はこう育てる、とか、適性距離が短距離かつ逃げが得意なウマ娘はこう育てる、みたいな情報を蓄積しているわけですか」
そういったある程度の育成方法に関しては、トレーナー養成校でも習うことだ。ただしあくまで基本レベルでしかなく、トレーナーの家系ではその基本を更に掘り下げる、あるいは応用していくのだろう。
人によっては逃げウマ娘の育成に特化したトレーナーなんかもいるだろう。逃げウマ娘以外は門前払い、育ててほしいと言われても全て断る、みたいな極端な例も起こり得る。
「そうなります。更に言い換えると、それらの情報は
たづなさんはそう言うと、相変わらず困った様子で首を傾げる。
たとえ話になるが、医師が勤務時間外に最新の治療法の論文を読み解いたり、新たな症例を研究したりと、業務に必要になるであろう知識や技術を学んでいるとする。
「あなたがトレーナーの家系出身ならまだわかるのですが、ライバルウマ娘やレース映像を研究して何に役立てているのか……それが個人的に気になっただけで、話せないのなら話さなくても大丈夫です」
「……それって、俺が残業してますって感じを装いながら不当に残業代を受け取っている可能性もあるのでは?」
「可能性、あるんですか?」
「いや、ないですけど……」
正直、残業代なしでも残りたいぐらいだ。俺はたづなさんの話に納得すると、棚に並べていたファイルを手に取る。
「話せないってことはないですよ。というか、できればたづなさんのアドバイスが欲しいぐらいですね」
そう言いつつ、俺はファイルを差し出す。ファイルの中身はウララのデータだ。育成を始めた当初から半年間のデータを印刷してまとめてある。
データでも保管しているしバックアップもあるのだが、紙で保管していると焼失でもしない限りなくならないのが強味だろう。
「えっと……これは?」
「ウララのデータです。どんなトレーニングをしたらどこにどれだけ筋肉がついて、タイムや走り方にどんな影響を及ぼすか……そんな感じでデータをまとめてます」
そんな話をしつつ、俺はもう一つファイルを取る。
「で、こっちはウララのライバルウマ娘のデータですね。過去のレース映像から今後どんな感じで成長するかを予測して、その予測値を越えられるように鍛えていくって感じです」
そんな説明をしながら、そういえば、と思い出す。こういう形でたづなさんに話をしたことってないんだよな……。
チームキタルファを設立してから半年ほどサポートについてくれたが、たづなさんがサポートしてくれたのはトレセン学園から割り振られる仕事に関してだ。ウララやライスが出走するレースの出走表を持ってきてくれたりはしたが……その辺はたづなさんの厚意だろう。
「…………」
たづなさんは無言で俺が渡したファイルを読んでいくが、その顔にあったのは怪訝そうな、不思議そうな感情だ。
「……たづなさん?」
俺はそんなたづなさんの反応が気になって呼びかける。するとたづなさんは小さく首を傾げ、今度はライバルウマ娘のデータに関して読み始めた。
なんだろう、何か問題があったんだろうか。それともよくもまあこんな資料にもならないものを見せたな! なんて怒られるんだろうか。怒られたらへこむぞ俺。
「なるほど……」
一通り資料を読み終えたたづなさんは、何かに納得したように頷く。そして俺にファイルを渡すと、視線を彷徨わせた。
「たづなさん? 何がなるほど、なんですか?」
「いえ……疑問が解決したと言いますか、出てきた答えが
どんな感じ? と俺は首を傾げる。しかしたづなさんは俺の疑問に答えず、大きなため息を吐いた。
「トレセン学園に面接の結果だけで合格したハルウララさん……今はダートにおける有力ウマ娘の一人じゃないですか」
「あの子を褒められると照れますね」
「ライスシャワーさんも、故障寸前でしたけど今は元気に走っていますし、シニア級でトップを争うウマ娘じゃないですか」
「ええ、俺の誇りです」
「スプリンターズステークスで1着になったキングヘイローさんが、昨日の菊花賞で3着になったじゃないですか」
「なりましたね」
なに? なんですか? あの子たちのことを褒めにきたんですか? だったら俺も鼻高々になりますし気分も上々。今晩飲みにでも行って高い酒でも何でも奢っちゃいますよ? やーもうたづなさんったら、うちの子達を褒め倒して。もっとあの子達を褒めてくれてもいいのよ?
財布にいくら入ってたかなー、カード使えばいっかー、なんてウキウキになる俺。だが、たづなさんがなんとも形容し難い顔をしているため、ウキウキ気分を引っ込める。
「えーっと……何か問題でも?」
「問題……では、ないんですけど……いえ、問題……なんですけど……」
どっち? え? 問題あるの?
「……わからない……やっぱり……愛……でもトレーナーさん……能力は……」
なんかブツブツと呟くたづなさん。端的に言って怖い。あと愛? 何故そこで愛?
たづなさんはしばらく唸るようにして何事かを呟いていたが、やがて大きくため息を吐いて顔を上げる。
「トレーナーさん、ウマ娘を育成する秘訣みたいなものってありますか?」
「え? そんなのがあったら是非教えてほしいんですが……」
それ、トレーナー生活2年目の新人にする質問じゃないですよね? あれ? なんかこの会話、以前もした気がするぞ。
「うーん……秘訣じゃないですけど、故障は避けるようにしてます。レース中の突発的な故障までは防げませんけど、トレーニングの前はしっかりと準備運動、トレーニングの後はしっかりと整理運動。あとは体に少しでも違和感があったら報告するよう言ってますね」
「それは大事だと思います」
「怪我を避けつつ徹底的に毎日追い込んで体を鍛えて、能力が伸びたら更に負荷を上げて、トレーニングに飽きが来ないよう工夫して……それぐらいですよ?」
「そう……ですよね」
本当に秘訣なんてないのだ。毎日少しずつ、本当に少しずつでも体を頑丈にしつつウマ娘として鍛えているだけである。あ、でも秘訣じゃないけど、俺が育成するにあたり必須なものがあったわ。
「ああ、あと一つ、これは重要だってものがありました」
「――それは?」
たづなさんが目を光らせながら聞いてくる。え、待って、何その反応。ちょっと怖い。
「いや、大したもんじゃないですよ? 担当しているウマ娘がどんなトレーニングでもついてきてくれるような根性……あるいはトレーニングを楽しめる性格じゃないと、俺は育て切れないかなって……」
前者はライスとキング、後者はウララだ。
毎日筋肉痛を起こすレベルのトレーニングを課して、それでも音を上げずになにくそと喰らい付いてきてくれるような子じゃないと……うん、無理だわ。
あとはウララみたいにレースやトレーニングで走れるだけで幸せってタイプ。でも今のウララは後天的にド根性を身に付け、なおかつ以前と変わらない天真爛漫さを備えている。
そう考えると、俺が育てられるウマ娘って割と相性差が酷い。最初からやる気がないタイプ、情熱がなくなってしまったタイプのウマ娘が相手だと、多分、育てられないと思う。
まあ、ウマ娘で最初からやる気がない……レースやトレーニングなんてゴメンだ、なんてタイプはそもそもトレセン学園を目指さないだろうから、育てる機会はないだろうが。
例外はゴルシちゃんみたいに自分に必要なトレーニングを自分で考えられて、なおかつレースで勝てる水準まで鍛えきれるタイプか。よく会うけど、あの子気が向いた時にだけしっかり構ってほしいタイプっぽいんで、俺的にはけっこう育てやすそうなんだが。あと面白い子だし。
俺がそう話すと、たづなさんは苦虫を何十匹もまとめて嚙み潰したような顔をしていた。いや、苦虫噛んだことないから一匹でもこんな顔になるのかもしれないけど。
「そう、ですか……」
「あの……さっきから反応が気になるんですが、何か問題でも……?」
これはツッコめってことだよな? 俺がそう考えながら尋ねると、たづなさんは再度ため息を吐く。
「いえ……お話を聞いていると、もっともなことばかりで……以前からわかっていたことではあるのですが、トレーナーさんが長時間残業してでもライバルウマ娘やレースの研究をしている理由が改めてはっきりしたもので……」
どう言ったものか、と悩ましげなたづなさん。それを見た俺は思わず苦笑してしまう。
「すいません、俺は
ライバルウマ娘の調子の良し悪しを見抜くのも、過去のデータと照らし合わせるからこそできることだ。データがなくてもある程度はわかるが、より詳細に見抜くにはデータの蓄積がなければどうにもならない。
転生なんて不可思議な経験をしても地頭は良くなってないが、前世と比べれば恵まれた境遇だとは思う。小さい頃から努力して自分の知能や肉体を鍛える大切さを知っていたし、実際に、そうするようにしてきた。ただ、秀才にはなれても本当の天才には敵わなかったってだけだ。
これが東条さんほどのトレーナー……いや、同期のトレーナーでも、一目見ただけでウマ娘から得る情報は俺より多いだろう。以前キングをスプリンターズステークスに出した際、パドックで同期と話した時にもそれはよくわかった。
キングに関して研究をしていたのだろうが、当日の調子を一目見て確信し、自分が育てているウマ娘は勝てる水準に至っていると判断していたのだ。それはこちらも同様だが、お互いがそこに至るまでにかけた時間はどれほどの差があるか。
俺は何度も何度も念入りにレース映像を繰り返し確認し、細かいところまでチェックして判断をするタイプだ。
多分、東条さんが一度レース映像を見ただけで見抜く情報量は、俺が10回とか20回ぐらい繰り返し確認して導き出す情報量と大差ないはずだ。だからこそ東条さんは10人近いウマ娘を育成できるのだし、俺は逆にウララ達3人の育成でも割と限界が近い。
もちろんそれは現時点での話だ。俺ももっとトレーナーとして経験を積めば、東条さんみたいに一目見るだけでもっと情報を得られるようになる……といいなぁ、なんて思う。
そうすればライバルウマ娘やレースの研究にかける時間が減って、新しく担当ウマ娘を増やすことも可能になるんじゃないか。トレーナーとしてそれぐらいの才能はあってほしいなって……。
そうやって話す俺だったが、たづなさんは納得半分、不信半分といった様子で眉を寄せていた。
「そう、ですか……いえ、そうですよね。トレーナーさんは時間をかけてコツコツ積み上げていくタイプですよね。仕事の片付け方もそういう感じですし……」
「そのコツコツ積み上げるために残業が必要なので、どうかお目こぼしを……」
俺は拝むようにして頼み込むと、たづなさんは微妙に納得していない顔をしながらも頷く。
「ほどほどにしてくださいよ? ひとまず今週末の秋の天皇賞までは大目に見ますけど、それ以降はきちんと休んでくださいね?」
「それはもちろんです……と、言いたいんですが……」
秋の天皇賞が終われば、少なくともライスだけなら次のレースまで1ヶ月弱期間がある。ライスが10月後半の天皇賞秋、11月後半のジャパンカップ、12月後半の有馬記念と毎月連続でGⅠに出るけどなんとかなる……と思う。
ただ、ウララは11月前半にJBCスプリントが控えてるし、キングも次のレース目標を立てなければならない。全距離で重賞を取らせるならレース間隔が短くなりすぎるのが難点だが、11月前半の福島記念あたりがGⅢかつ中距離2000メートルと狙いやすくはあるのだが。
「あと一ヶ月……いえ、今年いっぱいは割と厳しいんじゃないかなって……」
「年が明けたら本当に残業がなくなりますか?」
にっこり微笑んでぶつけられた質問に、俺はそっと視線を逸らす。ある程度データは揃ってきてるけど、ツインターボみたいなマークから外していたウマ娘もいるし、セイウンスカイみたいにそれまでの予想をぶっちぎって世界レコードを叩き出すウマ娘もいるのだ。
そうして考えると、俺って逃げウマ娘に弱いのかもしれない。いや、スマートファルコンもいるし、どのタイプのウマ娘が苦手かと言われると間違いなく逃げウマ娘になるだろう。
トレセン学園からの仕事は手早く片付けられるようになってきたが、ウマ娘達の研究はいくらやっても終わらない。というか、ライバルウマ娘がどんどん成長していくから終わらせようがない。賽の河原で石積みしてる気分である。
ある程度で切り上げなければ、とは思うものの、それでウララ達が負けたらと思うと手を抜けないのだ。
「何度も言ってますけど、それで倒れでもしたらハルウララさん達が悲しみますからね? もちろん、私も悲しみます。だからほどほどにしてくださいね?」
そう言われた俺は頷き、たづなさんを見送る。しかし、たづなさんがいなくなってからふと疑問を覚えた。
(俺の残業を注意しに来ただけ……なのか?)
それもあるだろうけど、なんというか、育成の秘訣云々の方が重視されていたような……セイウンスカイの世界レコードの件で忙しいこのタイミングでわざわざ来るようなことなんだろうか?
(ウララが芝のGⅠ、それも長距離を制覇したっていうなら気にもなるだろうけど、キングは俺が育成を引き受ける前から中距離も走ってたよな……あ、でもスプリンターズステークスに出した後だったし、距離適性関係で育成方法が気になったとか?)
でもそんなことを言い出したら、俺じゃなくて芝ダート問わない上に全距離走れるミークを調べた方が良いと思うんだが……才能って部分じゃ、多分あの子が一番だと思う。
(うーん……でも心配をかけちゃったしなぁ……レースの研究は直近の3レースだけに絞るか……)
メイクデビューあたりからチェックすると、ライバルウマ娘の癖とかもわかって良いのだが……倒れたら元も子もないし、さすがにしんどくなってきたしなぁ。体が若いっていっても精神は良いおっちゃんだ。ほどほどにしよう。
「よーし……とりあえず仕事をパパっと片付けて、あとは秋の天皇賞の対策を練るかぁ……」
そう言って自分に気合いを入れ、俺は仕事机に向かうのだった。
そして週末――秋のシニア三冠が、スタートする。