リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
ライスの1着で終わった秋の天皇賞。ライス自身初となる中距離でのGⅠでの勝利に、ライスも大喜び……とは、いかなかった。
喜び半分、怒り半分といった有様である。喜びは当然レースで勝てたこと、怒りはトウカイテイオーがツインターボだけを見ていたことが原因だ。
ライス――いやさ、ライスシャワーというウマ娘は、レースに対する意欲が非常に強いウマ娘である。だからこそレースで勝って嬉しいと思いつつも、トウカイテイオーの意識が自分ではなくツインターボに向けられていたことが気に入らないのだろう。
春のシニア三冠で競い合ったライバルだからこそ、トウカイテイオーの走りがライスには受け入れられなかったのかもしれない。しかし勝ちは勝ちであり、ラストスパートも仕掛けどころを僅かにでも間違えていれば勝てなかっただろう。
「お兄さま、もっとライスを撫でて?」
そのせいか、ライスは翌日のトレーニング前に滅茶苦茶甘えてきた。仕事をしていた俺の膝の上に座り、俺の体を背もたれにしたかと思うと、見上げるようにしながら撫でるよう要求してきたのである。
「あいよ。よーしよし、ライスは頑張った! トウカイテイオーの走りが気になるのはわかるけど、これでGⅠ4勝目だ! というか春秋の天皇賞制覇だ! よくやった!」
俺はもう、褒めに褒めて褒めまくった。久しぶりにウララと一緒に胴上げワッショイしてライスを褒め倒したほどだ。以前は自分が悪い、自分が周りを不幸にすると頻繁に落ち込んでいたライスを励ますためにやっていたことだが、最近はライスを宥めるのに使ってばかりな気がする。
普段からレースやトレーニング以外では割と甘えん坊なライスだが、今回は尾を引きそうである。しかし、あまりライスに構ってばかりもいられない事情があった。
「ライス先輩、それぐらいにしておいてちょうだい。ウララさんのレースが控えているのよ?」
俺の心情を読んだのか、キングがライスを引き剥がす。俺はそれに感謝しつつ、一通の封筒を取り出した。
ウララのJBCスプリントの出走表である。
ライスの秋の天皇賞が終わり、ウララのJBCスプリントは11月前半……なのだが、JBCスプリントはジャパンダートダービーの時と同様に、平日に行われるのだ。
それも、JBCスプリントやクラシック、レディスクラシックは年ごとに開催場所が変わるのだが、今年はジャパンダートダービーの開催場所と同じ、大井レース場で行われる。
平日のいつ行われるか? 明日である。昨日秋の天皇賞があったが、明日である。たづなさんに秋の天皇賞が落ち着いたら楽になるか? と聞かれてノーと答えるのも仕方ないだろう。
でもこれを乗り切れば楽になる……といいなぁって……。
ウララの出走レースとして希望したJBCスプリントはフルゲートなら16人で争われる、ダート路線でも数少ないGⅠレースだ。
そしてなんと、JBCスプリントと同日……というか、大井レースでの第8レースがJBCレディスクラシック、第9レースがJBCスプリント、第10レースがJBCクラシックと、GⅠレースが3連続で行われる。
GⅠレースが3レース連続するなど、ダートだけでなく芝のレースでも早々に見れないだろう。いや、早々どころか他にないか。
ダートのGⅠレースが3連続……それもJBCレディスクラシックのマイル1800メートル、JBCスプリントの短距離1200メートル、JBCクラシックの中距離2000メートルと距離適性もばらける以上、それぞれのレースに出てくるウマ娘もばらけることになる。
ウララが出走するJBCスプリントには、俺が警戒しているウマ娘の名前はない。だが、シニア級のウマ娘が数多く出走するため一筋縄ではいかないだろう。
警戒していたスマートファルコンはマイルのJBCレディスクラシックの出走表に名前を連ねており、今回はぶつからない。ダートも走れるオグリキャップやエルコンドルパサー、タイキシャトルやミークの名前もなかった。
オグリキャップは菊花賞から十日程度しか経っていないためある意味当然だろうが、エルコンドルパサーとタイキシャトルは次はどのレースを狙うつもりなのか。エリザベス女王杯か、マイルチャンピオンシップか――ジャパンカップか。
芝のGⅠが集中している時期のため、どのレースに出てもおかしくはない。それは他のクラシック級の有力ウマ娘達も同様だろう。というか多分、知名度的にもジャパンカップにこぞって出てきそうだ。
となると、だ。
「キング、ウララは明日がレースだけど、君の次のレースに関しても決めておかないといけないぞ」
「あら、それってウララさんのレースの前日に決めるようなことなのかしら?」
俺の言葉を聞いたキングは、少々意外そうな顔をする。
「直近のレースだとGⅢの福島記念が狙い目かな、と思ってな……レース間隔が短くなるけど、菊花賞の時から3週間空くし」
福島記念は中距離2000メートルのレースだ。他の有力ウマ娘がGⅠを狙っている間に、中距離の重賞を狙えば勝てる可能性はかなり高いと思う。
「福島記念? 全距離の重賞で勝つにしても、もう少し上の……いえ、それを逃すと今月出走できる他の中距離はジャパンカップだけだったわね」
「長距離ならアルゼンチン共和国杯があるけど、今週末だしなぁ……前回のレースから二週間で次のレースに、ってのはなるべく避けたいんだよ」
「そう……あなたの判断だもの。それが適切でしょうね」
そう言って納得したように頷くキング。それを見た俺は、困ったように頭を掻く。
「あと一応の選択肢として、エリザベス女王杯もあるけど……」
エリザベス女王杯はGⅠの中距離だ。時期的に福島記念に出るのと変わらないけど、中距離2200メートルのためライバルウマ娘がまとまって出てくる可能性もある。
時期的に多分ジャパンカップの方に行くと思うけど、菊花賞から1ヶ月も経たない内に次のGⅠへ、というのはキングの体に負担がかかるだろう。
……いやうん、いくらキングの希望もあったとはいえ、スプリンターズステークスから1ヶ月後に菊花賞へ出した俺が言えることじゃないんだけどさ。
「12月に入ると長距離のGⅡ、ステイヤーズステークス。あとは中距離のGⅢ、チャレンジカップと中日新聞杯があるけどな。あとは長距離で……有馬記念か」
ステイヤーズステークスは3600メートルと、日本国内のレースではトップクラスに距離がある。チャレンジカップや中日新聞杯は中距離2000メートルのため、福島記念を見送るならこれらのいずれかに出走させても良いだろう。
あと一応、キングにもジャパンカップや有馬記念に出るという選択肢がある。
ただし、ジャパンカップはシニア級の有力ウマ娘が続々と出てくるため、キングの収得賞金でも出走できないかもしれないし、有馬記念はファン投票で上位に入らなければならない。
先日の菊花賞3着の件でキングも人気が高まってるだろうし、希望すれば有馬記念には出られるかもしれない――が、その場合、ライスと争うことになる。それはジャパンカップでも同様だ。
「ジャパンカップでも有馬記念でもライスとぶつかることになるけど……出てみる?」
「遠慮しておくわ。今の私じゃまだライス先輩には勝てないもの」
まだ、と言い切るあたり、キングも中々に良い根性をしている。ほら、見てごらん? ライスの瞳が輝いているよ?
「――ライスは、キングちゃんとレースで戦ってみたいよ?」
そう言って微笑むライスに、キングは頬を引きつらせた。うん、今のキングじゃさすがに勝てないしね。中距離のジャパンカップならまだ勝ち目があるかもしれないけど、長距離の有馬記念でライスが相手となると勝ち目はないだろう。
短距離ならキングが確実に勝つだろうし、マイルなら……五分五分ぐらいは勝算があるけど。中距離以上でライスと競えばほぼ確実にキングが負ける。
キングは一度咳ばらいをすると、俺に心配そうな視線を向ける。
「こほんっ……GⅠを狙っても良いけど、ここは素直にGⅡかGⅢを狙うわ。それでトレーナー、あなたは大丈夫なの? 明日ウララさんのレースがあるけど、ライス先輩が春と秋の天皇賞を連覇したからインタビューの依頼が殺到しているのでしょう?」
「ははは……なんとかなる……と思う……」
そう、俺が忙しいというか余裕がないのは、ウララのJBCスプリントが明日に迫っているというのもあるが、ライスが秋の天皇賞で勝ったことで俺とライス宛てにインタビューの依頼が山盛りになっているのが原因だったりする。
ウララのレースが控えてるんで、せめてその後にしてほしいとたづなさんに頼み込んでいるが、あまり先延ばしにはできないだろう。
一応、昨晩というかライスのウイニングライブが終わった後に勝利者インタビューを受けたが、それだけで終わらないぐらい天皇賞の春秋連覇というのは大きいのだ。
なにせ、あのシンボリルドルフでも達成していない偉業である。俺はまったく意識していなかった……というか、勝利者インタビューの時に記者から言われて気付いたぐらいである。
『天皇賞の春秋連覇おめでとうございます! あのシンボリルドルフでも達成していない大記録ですよ! 狙っていたんですか?』
『え? 何の話で……っ! え、ええ! 狙えるなら狙いたかったですからねっ!』
『…………』
一瞬何を言われているか理解できずに素で答えかけた俺がいた。生放送だったから、多分世間のお茶の間では大爆笑だろう。
でも仕方ないだろ? ライスがツインターボの調子に気付いてくれなかったら負けてた可能性が高くて俺はへこんでいたし、ウイニングライブ後のライスを宥めるので大変だったんだから……。
インタビューしてきた記者の、『コイツ、マジか……』と言わんばかりの目が痛かった。
そんなわけで、何やら色々とインタビューの依頼が入っているわけである。以前インタビューを受けた月刊トゥインクルも当然のように依頼してきた。というか、乙名史さんから直で電話がかかってきた。
それでもウララのレースが終わってから、と条件をつけたわけだけど、いっそのこと有馬記念の時みたいに記者をまとめて呼んで一度で済ませてしまおうか。
先週のセイウンスカイの世界レコード達成、そして昨日のライスが達成した天皇賞の春秋連覇と、現在のウマ娘業界は非常にホットである。
一週間が経った今でもセイウンスカイの世界レコード達成の瞬間がテレビでよく流れるし、昨晩からライスが秋の天皇賞で走ったシーンや勝ったシーンがよく流れるようになった。
その分、注目が高まっているといって良い。ライスはもちろんのこと、トレーナーの俺にも単独でのインタビュー依頼が来るぐらいだ。
「……お兄さま、ライス、お兄さまに迷惑かけちゃってあうっ」
で、何かおばかなことを言いかけていたので、ライスのおでこを軽くつつく。
「何言ってんだよライス。お前が勝ったことへのインタビューだ。迷惑なわけあるか。むしろ誇らしいぐらいだよ」
「……お兄さまっ!」
俺が苦笑しながら言うと、ライスが正面から抱き着いてくる。おっとっと……今日のライスは本当に甘えん坊さんだなぁ。俺が背中をポンポンと叩くと、ライスは俺の胸板に顔を押し付け、尻尾をブンブンと振っていた。
「トレーナー、意味が間違っているのを承知で言うけどライス先輩は確信犯よ。それとライス先輩、ウララさんの最終調整をするんだからほどほどにしてちょうだい。今日は軽めのメニューにするといっても、時間は有限よ?」
「……はーい……そうだよね。ウララちゃんが明日レースだし、しっかりと調子を見ないとね」
キングの言葉を聞き、ライスは渋々といった様子で俺から離れる。そして小さく、ぺろっと舌を出しておどけてみせた。
トウカイテイオーへの不満は……一応、飲み込んでくれたらしい。だが、ジャパンカップでも昨日みたいな有様だったなら、ライスがどういう行動に出るか……メジロマックイーンも復帰してくるって話だし、さすがにそれはないか。
「……よし、それじゃあウララ! 今日は軽いメニューだけど昨日は休みだった分、普段のレース前より少しきつめにいくぞ!」
「うん! よーし、がんばるぞー! ライスちゃんに続くぞー!」
俺は意識を切り替えてトレーニングに移る。すると昨日のライスの勝利に発奮したのか、ウララは元気よく返事をしたのだった。
そして翌日。
平日ではあるが、夕方からレースがあるということでウララは公休扱いで朝から授業を休み、ライスとキングもチームメイトの応援ということで公休扱いで午後から授業を休んだ。
俺は朝からウララの調子と状態をチェックし、ライスとキングが来たらウララに遅めの昼食を取らせ、現地へと向かう。
ウララが走るJBCスプリントは17時10分の出走だが、交通機関の乱れがあると困るためやや早めの出発である。
天候は時折雨がぱらつくものの、大きく崩れることはなさそうだ。バ場状態は稍重から重といったところだろう。いや、現地では大雨が降っていて不良ってこともあり得るか。
11月ということで日暮れも早くなり、なおかつ雲が空を覆っていることもあって出走時間にはもう真っ暗になっているかもしれない。まあ、ジャパンダートダービーの時みたいに20時過ぎの出走と比べれば、全然マシだろう。ナイター設備があるから明るいしな。
そんなわけで、俺達は少し早めに大井レース場へと到着したわけだが。
「ウララちゃん、こんにちはっ☆」
一体何の因果か、スマートファルコンに遭遇した。いや、遭遇って言い方は感じが悪いな。スマートファルコンに会っちゃった。
「わー! ファル子ちゃんだー! なになに、どしたの?」
ウララは久しぶりにレース場で会ったスマートファルコンに笑顔で応じる。トレセン学園でなら度々会うが、こうしてレース場で、それも今日のところはレースでぶつかる関係でもないのに会うなど、中々あることではない。
スマートファルコンの雰囲気的に、ウララを探してたんだろうなぁ……。
「特に用があったわけじゃないんだけどー……ふふっ☆」
スマートファルコンはウララを頭から爪先まで眺め、口の端を吊り上げるようにして笑う。笑ってはいるが、その目は観察するように細められていた。
「GⅠレースの前だったから、ファル子、緊張しちゃって☆ ウララちゃんとお話できれば緊張がほぐれるかなって思ったんだー」
「そーなの? うーん……」
ウララは自分の頭を指でつつくと、不思議そうな顔をする。
「でもファル子ちゃん、きんちょーしてないよね?」
ウララがそう言うと、スマートファルコンはにっこりと微笑む。
「してるよ? ファル子が出るのはJBCレディスクラシックだから、ウララちゃんより一つ早くレースがあるし……
ははは、笑顔ですっごいこと言ってるぞこの子。シニア級が出るJBCレディスクラシックで1着を獲るって宣言してるわ。
それだけ自信があるってことなのか。仮にそうだとしても何故そこまでうちのウララにこだわるのか。というか、バトンを渡すってことは『あなたもGⅠで1着を獲ってね?』って言いたいのかこの子。
俺がどうしたもんか、と思考していると、ウララは傍にいたライスとキングの腕を取り、満面の笑みを浮かべた。
「バトンはライスちゃんとキングちゃんからもらってるからだいじょーぶだよ! だからファル子ちゃんもレースがんばってねっ!」
キングからは菊花賞で、ライスからは一昨日の秋の天皇賞で、既にバトンを受け取っている――二人のような走りをするのだと、ウララは宣言する。
そんなウララの宣言を聞いたスマートファルコンの表情は、なんというべきか。笑顔は笑顔なのだが、笑顔の仮面に音を立ててヒビが入ったような感じがする。
「うん……ありがとうね、ウララちゃん。ファル子、すっかり緊張がほぐれちゃった」
それでもスマートファルコンは笑顔を保ったままでウララに向かってお礼を言った。だがまあ、ひび割れた仮面の下から、ひょっこりと覗いているものがある。
「――ファル子、今日のレースが楽しみだよ」
そこにあったのは、レースに対する覚悟と自身の実力に対する自負だ。レースに対する思いでいえばライスに近いのかもしれないが、ライスとは別方向に突き抜けている気がする。
スマートファルコンは俺達に背を向けると、跳ねるような軽い足取りで去っていく。鼻歌すら聞こえそうなほど上機嫌で、これからGⅠレースに挑むというのに気負った素振りもない。
(今日は出るレースが違うけど……やっぱりウララにとっての最大の壁はあの子だろうな)
そんな俺の内心での呟きを裏付けるように、この日のスマートファルコンはシニア級のウマ娘達すら捻じ伏せ、2着に5バ身もの差をつけて逃げ勝ったのだった。