リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
――ジャパンカップにミホノブルボンが出走する。
その情報は出走表が公表されてから瞬く間に世間へと広がった。
インターネット上ではミホノブルボンに関する記事が乱立し、夕方のニュースでも複数の番組で取り上げられ、翌日の新聞でもギリギリで差し替えが間に合ったのかミホノブルボンに関する記事が載せられていた。
それほどまでにミホノブルボンの名前は――いや、無敗でクラシック三冠に手をかけたウマ娘の存在は大きいのだ。
それも、まさかまさかの一年近い時を経てのカムバックである。あのトウカイテイオーですら、最長でも10ヶ月弱の期間を空けての復帰レースだ。
トウカイテイオーはミホノブルボンと同じように無敗でクラシック三冠に手をかけ、しかし左足の骨折によってその夢を断たれた。しかし彼女はめげず、10ヶ月もの間治療とリハビリとトレーニングを行い翌年……復帰レースとして去年の大阪杯に挑み、1着を獲っている。
1着は獲れなかったものの、一年近い期間を空けて復帰したという例ではメジロマックイーンもそうだ。彼女は去年の天皇賞春に出た後、左足を骨折して長期離脱。そこから治療とリハビリとトレーニングを行い、今年の大阪杯に出てきたのだ。
改めて、チームスピカのメンバーってやばいと思う。なんで長期療養明けにGⅠに挑んでるんだろうか……いや、トウカイテイオーは勝ってるし、メジロマックイーンもうちのライスやトウカイテイオーと競い合って2着になってるしな……。
もちろん、スピカの先輩もトウカイテイオーもメジロマックイーンも、勝てると思ったからレースに出たんだろう。だからその判断を外野がとやかく言うのは間違っている……んだけど、やっぱりトレーナーとしての俺は『なんで?』って思っちゃう。
考えたくもないことだが、ウララやライスやキングが怪我で故障し、長期療養をしなければいけないとしよう。期間は短くて半年、長くて一年とかそんな感じだ。
怪我を治し、リハビリをして、日常生活を送れるようになったら軽いトレーニングメニューから始めて、元の水準までスタミナやスピードを戻して……そこで『よし! 復帰レースはGⅠにしよう!』なんて判断は俺にはできない。
手頃な、なんて言い方だと扱いが悪く聞こえるだろうが、やっぱりオープン戦かせめてGⅢぐらいにするだろう。
あるいは、復帰レースが引退レースになる可能性も見越してGⅠに出すんだろうか? いや、そもそも
再びレースに出ることを夢見て、辛いリハビリを乗り越えて、衰えた自分の体と向き合いながら再び鍛え直して……それでもなお、レースに出ることができないという可能性もある。
そう考えれば、復帰レースがGⅠというのもそのウマ娘にとっては発奮材料になるだろう。もちろん、元々GⅠに出られるレベルのウマ娘に限った話ではあるが。
ウマ娘によってはGⅠどころかGⅡ、GⅢ含めた重賞に出ることすら困難な場合もある。というか、重賞に出られる時点でトレセン学園の中では上澄みも良いところだ。
それらの事情を汲み取れば、長期療養から復帰したミホノブルボンがGⅠであるジャパンカップに出てきてもおかしくはない、のだが――。
(引退レースにするつもりじゃないだろうな……)
俺はそんなことを考えてしまう。
たしかにミホノブルボンは逸材だ。その才能はウマ娘の中でもトップクラスで、逃げウマ娘として見れば一流を越えて超一流と言って良い。
だが、それも相応のトレーニングを積み、なおかつレースで才能が研磨されていたらの話だ。一年ものブランクがある以上、今のミホノブルボンはどんなに高く見積もってもクラシック級の頃の実力を発揮できるかどうか、といったところだろう。
それでも油断できないのがウマ娘のレースだが、部室に来た時のミホノブルボンを観察した感じから言うと、今の彼女ではライスには勝てない。それは主観抜き、客観的にミホノブルボンの実力を見定めた結果である。
それでも……そう、それでも何か隠し玉があるんじゃないか、なんて思えるのがミホノブルボンの怖いところだ。無敗でクラシック三冠に王手をかけたのは伊達じゃない。
ジャパンカップは東京レース場で行われる、フルゲートで18人が出走する芝2400メートルのレースである。
当然のように東京レース場における当日のメインレースで出走時刻は15時40分、第11レースだ。国際競争ということで外国のウマ娘も出走できるレースだが、近年、誘致しても外国のウマ娘が来なくなったことが問題になっているレースでもある。
1着の賞金は3億円と有馬記念に並ぶ高額で、2着でも1億2000万円と並のGⅠを上回る。3着で7500万円、4着で4500万円、5着でも3000万円と、べらぼうに賞金が高いレースだ。
トレセン学園に所属するトレーナーでも、その高額賞金を狙ってウマ娘を走らせようとする者が多くいるほどである。トレーナーは賞金の1割を受け取るが、5着でも300万円だ。狙ってみる価値はあるだろう。お金は大事だからね、仕方ないね。
まあ、去年の有馬記念以降、顔も名前も知らない友人や遠い親戚がわんさかと増えたりもしてるんで、良いことばかりじゃない。その影響でトレーナーになってから一度も実家に顔を出せていないのだ。
というか、我が家のお袋様から『元気なのはわかってるから帰ってこなくていい』と電話で言われている。でも『嫁と孫を連れてくるのは大歓迎だからその時は顔を見せに来い』なんて言われてもいる。
何年、あるいは十年単位で帰ってくるなってことかしら……腹いせに温泉旅行券でも送っておこう。年末年始に親父殿と夫婦水入らずでいちゃついてくればいいのだ。
そんなわけで賞金が高額かつ、GⅠの中でもトップクラスに知名度があることから出走するウマ娘も自然とトップクラスの子ばかりになる。収得賞金も実力もトップクラスのウマ娘が出走を望み、残った僅かな抽選枠を争って倍率何十倍もの出走申請が行われる。
ウマ娘やトレーナー側からも大人気なのがジャパンカップなのだ。ファン投票で出走するウマ娘が決まる宝塚記念や有馬記念と違い、運が良ければ初めてのGⅠがジャパンカップ、なんて子もいる。
まあ、何が言いたいのかといえば――。
「少し早めに出てきて良かったなぁ……」
当然、それを見たい観客が多いよねって話だ。
東京レース場の周りに詰めかけた人、人、人。辺り一面人だらけである。人気が高いレースかつ、今回のジャパンカップでは有力ウマ娘が大勢出てくるため生でレースを見ようとする人々が押し寄せていた。
ミホノブルボンが一年ぶりにレースに出てくるというのも大きいだろう。『ミホノブルボン命』だとか『がんばれミホノブルボン』なんて名前が印字されたハチマキをしている人、シャツを着ている人、中には背中にミホノブルボンの顔がプリントされた上着を着ている人なんかもいる。
公式グッズにあんなのあったっけか……手作りかな? 他にもそれぞれ応援しているウマ娘のグッズで身を固めた人がちらほらといる。
GⅠレースの度にウマ娘ファンがレース場に詰めかけるのは、最早この世界の風物詩である。ただ、それにしても今回は人が多いような……。
東京レース場は約20万人もの収容人数を誇るが、この分だととっくの昔に入場制限がかかっていそうだ。それでも生でレースを見ることを諦めきれないのか、あるいは少しでもレース場の熱気を感じたいのか、東京レース場の周辺には人だかりが出来ている。
スマホでちょちょいと調べてみれば、なんと五十万を超える人々が周辺に集まっている、なんてニュースが流れていた。
そして、わざわざレース場まで見に来るのはウマ娘のレースファンの中でも筋金入りのファンばかりである。応援している特定のウマ娘がいるのは当たり前、そのウマ娘のグッズが出たら片っ端から買い漁り、そのウマ娘がレースに出ると知れば東奔西走何のその。どこでレースがあろうと応援に駆け付ける、なんてファンも珍しくない。
「あれ? ライスシャワー? ライスシャワーだ!?」
「本当だライスシャワーだ!」
「きゃあああぁぁっ! 可愛いー! こっち向いてー!」
そんなところを歩いていれば、当然のようにファンに囲まれた。今日のジャパンカップに出てくるウマ娘の中でも、ライスは実力的な意味で1着が期待されるウマ娘の一人である。一度気付かれると、一気に周囲からの視線と声が飛んでくる。
「ハルウララだ! こっち向いてー!」
「キング! キング! キング! キング!」
もちろん、ウララもキングも人気である。あとそこ、キングコールはやめてくれ。キングがおほほ笑いを始めてしまう。
「あ、ライスシャワーが一緒ってことはあの人が柵パ……」
「しっ」
ん? 今、俺を見ながら何か言おうとしたか? さくぱ……何?
とりあえず先に進めないから、はいはいごめんなさいねー、ちょっと通してねー、なんて言いながら進んで行く。すると人混みが綺麗に左右に割れた。モーセの海割りかな?
ウマ娘のレースが国民的な娯楽になっているからか、この世界の人達って割と素直というか優しいというか、通してくれって言ったらちゃんと通してくれるあたりファン根性がすごい。
まあ、スマホでパシャパシャと撮ってる人もいるけど、ウララ達みたいな有名なウマ娘だとその辺りは有名税だ。仕方ない。一人二人なら注意できるけど、何十人とスマホを構えているから止めるのは無理である。
俺はウララ達を先導しながら東京レース場に入場する。周りの入場できない人々から文句を言われるかな? と思ったが特に気にした様子もない。ウララ達が一緒だからトレーナーってわかるだろうし、当然っちゃ当然か。
俺は控室に向かうライスを送り出すと、腕時計で時間を確認する。少し早いがパドックに移動した方が良いだろう。人が多いと移動にけっこう時間がかかるのだ。
そんなこんなで俺はウララやキングと一緒にパドックへ移動する……と、パドックの最前列に、不自然なほどぽっかりと空いているスペースがあった。なんだあれ? なんて思いながら近付いていくと、そこにいた人を見て納得してしまう。
日本人男性の平均よりも高い背丈に、上下白色のジャージ。しかしシャツを着てないためバッキバキに割れた腹筋剥き出しで、黒い中折れ帽子をかぶった上にサングラスまでかけている男性がそこにいたのだ。
ヤのつく自営業の方かな? なんて感想が出てきそうだが、同業の方である。というか、ミホノブルボンのトレーナーだった。
「どうも」
「おう」
俺は先輩の隣に立つと、声をかける。ウララとキングには少し離れた場所で待つように伝えた。なんというか、この人と話をしてみたかったのだ。
先輩はサングラスの奥から横目で俺を見たが、すぐに視線を外してパドックを見る。俺もそれに倣うようにパドックを見ると、パドックの柵に両肘を置いた。
「ミホノブルボン、さすがに無茶じゃないですか?」
で、まあ、なんだ……余計なこととは思いつつも、尋ねてしまう。失礼だとは思ったが、故障明けでどうしても心配してしまうのだ。先輩は俺の言葉に口の端を小さく吊り上げる。
「なんだ、トレーナー生活二年目のひよっこが敵の心配か? ……いや、もうひよっことは呼べんか。お前はもう、立派なトレーナーだ」
「まだまだですよ。仰る通り、二年目のひよっこですから」
だからこそ先輩の意図が読めないんだが……これはトレーナーとしての方針の違いもあるだろう。
先輩は微動だにせず、これからお披露目が始まるパドックをじっと見つめている。
「正直に言うと、ブルボンは二度とレースに出られるかわからない状態だった。だが、あの子はもう一度レースに出たいと、ライスシャワーと競い合いたいと言っていた。その一念で戻ってきた」
「……本人からも聞きましたけど、それでもさすがにいきなりジャパンカップはきついと思うんですよね。ミホノブルボンが相手なら、うちのライスはいくらでも待ちますよ?」
ミホノブルボンが勝負を挑んでくるというのなら、ライスはいくらでも待つだろう。それこそオープン戦だろうと出たに違いない。
「いくらでも待つ、か……」
俺の言葉を聞いた先輩は苦笑するように口元を歪める。そして先輩は先ほどの言葉を覆すように、若者を見るように目元を緩めた。
「訂正する。
「それって褒めてます?」
「さて、な……」
とぼけるように先輩が言うが、まあ、言いたいことはわかる。
「お前も知っているだろうが、ウマ娘は優れた身体能力を持つものの発揮する力に対して体が脆い。ブルボンは俺が育ててきたウマ娘の中でも一番才能があり、一番頑丈で、一番根性がある子だ。それでも故障する時は故障する。もちろん、俺がプレッシャーをかけ過ぎたという面もあるがな」
体の頑丈さはウマ娘にとって一つの才能だ。今でこそライスも復調しているが、元々は故障しそうなほどに筋力バランスが崩れていたし、一度は骨折で長期療養を経験している。
ウララは俺が育て始めてから擦り傷や切り傷、軽い炎症ぐらいか。キングは以前のトレーナー含めて、一度も大怪我はしていない。この辺りは運もあるが、やっぱり頑丈さという才能が大きいだろう。
「そして、一度の故障で二度とレースで走れなくなることもあるのがウマ娘だ。いや、レースで走れなくなるどころか、日常生活を送るのが困難になるほどの重傷を負う子もいる。中にはレース中に命を落とす子だっている」
「……ウマ娘の速度で走っていれば、そういうこともありますね」
「ああ。
そこまで話した先輩が、視線だけでなく体ごと俺へと向き直る。そして頬を吊り上げるようにして笑った。
「今日のところはこちらが挑戦者だ。勝たせてもらうぞ、ひよっこ」
「勝つのはうちのライスですよ、先輩」
ああ、駄目だ。これは止まらない。止めようがない。
秋のシニア三冠、その二戦目なら間違いなくライスが出てくると踏んだ上での挑戦なのだ。それも、ミホノブルボンがライスに勝った去年の日本ダービーと同じ場所、同じ距離での勝負である。しっかりとゲン担ぎもしているらしい。
ライスに負けた長距離を避け、本気で勝ちに来ている。ライスが確実に出るレースならば秋のシニア三冠の終着点、有馬記念でも良いだろうが、有馬記念はファン投票で出走ウマ娘が決まるため不確定要素がある。
ミホノブルボンならばほぼ確実に出走できると思うものの、今年のクラシック級は綺羅星のようなウマ娘が多い。出走を希望してもファン投票で落ちる可能性を思えば、ジャパンカップの方が確実だろう。
そこまでしてライスと戦いたいと願うミホノブルボンと先輩に、俺はもう何も言えない。言えない、のだが……。
「でも、ミホノブルボンがこれからも無事に走り続けてくれることを祈ります。うちのライスは、まだあの子に一回しか勝ってませんからね」
「その一回で満足しておけ。先輩は立てるものだぞ」
そう言って先輩と小さく笑い合う。しかしふと、先輩は遠くを見るようにサングラス越しに目を細めた。
「だが、もしもあの子に何かあれば責任を取るつもりだ……いや、何もなくても責任を取るがな……」
「……責任?」
何をするつもりだろうか、なんて思いながら尋ねると、先輩はかぶっていた中折れ帽を掴み、表情を隠しながら呟く。
「忘れろ……こっちの話だ。気にするな」
「はぁ……そう仰るのなら」
まあ、先輩とミホノブルボンの間にはたしかな絆が見て取れる。責任なんて言葉だと悪いように聞こえるが、悪いことにはならないだろう。
兎にも角にも、ミホノブルボンがライスに勝つつもりでレースに出てくるのなら、これ以上言えることはない。俺は先輩に一礼してから別れると、パドックでのお披露目が始まるのを待つのだった。
そして待つことしばし。とうとうパドックでのお披露目が始まり、ウマ娘が姿を見せる。
『1枠1番、ライスシャワー』
今日のライスは内枠での出走だ。普段と比べれば僅かに表情が固いが……まあ、仕方ない。レースごとに整備されてはいるが、第11レースになるとコースの内ラチが荒れてしまうため注意が必要だろう。
『1枠2番、ウイニングチケット』
この子は……調子が良さそうだな。体の仕上がりも良いし、クラシック級ながらその差し足はよく伸びる。注意が必要だろう……というか、今日のレースは注意が必要なウマ娘が多すぎて困る。
『2枠3番、ミホノブルボン』
続いて出てきたのはミホノブルボンだ。GⅠのため当然のように専用の勝負服姿なのだが……銀色にも白色にも見えるハイレグレオタードにローライズのミニスカート、腰回りや頭部、靴はやけにメカメカしい部品がくっついており、足にはニーソックスを穿いている。
勝負服は個性的なものが多いが、ミホノブルボンの勝負服は断トツで個性的と言えるだろう。あの近未来的なデザイン、はたしてミホノブルボンの趣味なのか、それとも勝負服デザイナーの趣味なのか。
(勝負服は置いとくとして……調子は良さそうだし、仕上がりも悪くはない……が……)
今しがた出てきたウイニングチケットと同水準か、やや劣るか、といった体付きだ。ミホノブルボンはシニア級だが、やはり一年近いブランクが大きいのだろう。ウイニングチケットもクラシック級ではトップクラスのウマ娘だけど、シニア級として見ると……。
(少なくとも、ライスにマークさせる相手じゃ……ない、か)
そう、結論を下す。下さざるを得ない。
『2枠4番、ツインターボ』
続いて出てきたのはチームカノープスのツインターボだ。相変わらずギザギザな歯を剥き出しにしながら大笑いしており、その姿を見た俺は眉を寄せる。
(調子は相変わらず絶好調って感じなんだよな……でも秋の天皇賞じゃ逆噴射したし……個人的にはこの子が一番読みにくい気がするな)
体の仕上がりを隠すための勝負服によって、調子程度しか読み取れない。だが、調子は絶好調にしか見えないのだ。この子に関してはライスの勘に頼った方が正確かもしれない。
『3枠6番、メジロパーマー』
さて……この子も大逃げするウマ娘である。そのためしっかりとチェックするが、体の仕上がりは悪くないし、調子も悪くない、といった感じだ。ただ、最後までスタミナがもつなら強敵であることに変わりはない。
問題はスタミナがもつかどうかで、これはツインターボにも同じことが言えるだろう。ただし、ツインターボはスタミナが尽きると逆噴射するが、この子はスタミナが尽きても根性で伸びてくる。油断はできない。
『5枠9番、スペシャルウィーク』
チームスピカのウマ娘にして、今年のダービーウマ娘だ。少し緊張した顔つきながら、勝負服で堂々と立つその姿は未完の大器を思わせる。
(ふむ……良いトモをしてるな……さすが先輩)
スピカの先輩が一から育てているウマ娘だ。クラシック級と言っても油断はできないだろう。
『5枠10番、エルコンドルパサー』
こっちはチームリギルのウマ娘である。ウララとは対戦経験があるが、ライスとはない。しかし、俺の見立てではシニア級が相手だろうと十分に勝てる水準のウマ娘だ。
体の仕上がりは……良いな。調子も良さそうだし、この子も油断できない。
『6枠11番、ナイスネイチャ』
チームカノープスから二人目の出走である。この子は安定した実力を持つんだが……仕上がりも悪くないし、調子も良さそうだ。しかし、チームカノープスの中でならツインターボの方が読みにくくて怖い。というか読みにくいのはツインターボじゃなくてカノープスの先輩か。
『6枠12番、メジロマックイーン』
腱鞘炎で秋の天皇賞を見送ったものの、復帰が叶ってジャパンカップに出てきたな……うん、その点は喜ばしいことだ。だが、強敵の復帰となると喜んでばかりもいられない。
調子は良さそうだ……ただ、腱鞘炎の治療もあったため、体の仕上がりはバッチリとは言えない。それでも当然、油断はできない。
『7枠13番、マチカネタンホイザ』
チームカノープスから三人目の出走……って、チームスピカも三人出してるし、出走ウマ娘全体の三分の一が二チームで占められているってのは大丈夫なんだろうか? 割とギリギリな感じがするが……。
(イクノディクタスは引退がどうのって話を聞いたしな……レースにかける思いが強そうだ)
仕上がりは上々で、調子も良さそうだ。ただ、怖いとまでは思わない。そんな感じである。
『7枠14番、オグリキャップ』
(……ん?)
アナウンスされて出てきたオグリキャップを見た俺は、思わず眉を寄せた。
これまでにも何度かパドックで見てきた子だが、以前はレース中以外はぼーっとしていて調子が読みにくかった。だが今日のオグリキャップは違う。これまでにないほど張り詰めた表情をしており、気迫が感じられた。
体の仕上がりは……悪くない、か。
(十分に仕上がってるとは言わないけど、あの気迫はどんな走りをするかわからなくて怖いな……)
あとは実際に走ってみなければわからないだろう。ただ、仕上がっていないだけなのか、疲労が抜けていなくて仕上がりが悪く感じるのかで、結果が変わりそうだが。
『8枠16番、トウカイテイオー』
今日のトウカイテイオーは外枠での出走だ。調子は……うーん……。
(今日のマークはトウカイテイオー、かな?)
体の仕上がり、調子、そして何よりも気迫が違う。秋の天皇賞ではツインターボに対抗意識を燃やし、ツインターボを抜いて僅かに気が緩んだ瞬間にライスが抜き去った。おそらくはその辺りが影響しているのだろうが、今日のトウカイテイオーには
『8枠18番、セイウンスカイ』
そして最後、大外枠に世界レコードで世間を賑わせたセイウンスカイの登場である。相変わらずどこかとぼけたような笑顔を浮かべているが……。
(んー……あまり調子が良くない、か? 体の仕上がりも……)
この子も調子が読みにくい方だが、今日はあまり調子が良くないように見える。少なくとも、菊花賞の時の何か仕出かしそうな気配はない。
(世界レコードを出してから、インタビューや取材で大変そうだったもんな)
うちのライスもそうだったが、大きな記録を打ち立てるとどうしてもそういった部分が出てくる。
ウマ娘の性格によってはインタビューも全てお断り、なんて選択をするかもしれないが、ウマ娘は基本的にファン商売だ。さすがにレースが近付いてくるとそういったものは断るが、記録を打ち立てた直後なんかは断りにくい。
(各ウマ娘を見た感じ、マークさせるならトウカイテイオーだ。でも、セイウンスカイにミホノブルボン、ツインターボにメジロパーマー……強い逃げウマ娘が多い。下手したら逃げ切られる、か……)
警戒すべきウマ娘が多すぎて、誰をマークさせるかで一苦労だ。今日、最も警戒するべきはトウカイテイオーだと判断したが、逃げウマ娘をフリーにすればそのまま逃げ切られる可能性がある。ただし、逃げウマ娘同士で潰し合う可能性もあるわけだが。
「お兄さま」
そうやって俺が悩んでいると、パドックの柵越しにライスが声をかけてくる。先ほど見た時よりも表情が更に固くなっていたが、その顔に浮かんでいるのは決意……だろうか。
去年、有馬記念で走る前に見せた、絶対に勝ちたいと訴えた時に似てもいる。
「……今日は、
「うん……ライスもね、
意見が一致した。だが、一致しただけで、思っていることは違うだろう。
「お兄さま、ライスね……今日のレースに勝ちたい」
「それはいつもそうだろ? それで?」
今更何を言うんだ、と俺は笑う。ライスはいつだって、どんな相手が出る時だって、勝ちたいと常に願ってきただろうに。
「先行で勝ちに行く……真っ向勝負かなって……」
「そうか……わかった」
ライスの走りはただマークして差し切るだけじゃない。普通に、先行策で走るだけで一つの武器になるのだ。
「……いいの?」
「トウカイテイオーが怖いけど、他のウマ娘も怖い。だからライスがこれまで積み上げてきたもので、真っ向から挑む方が勝率も高そうだしな」
トウカイテイオーを差し切ったものの、他のウマ娘が伸びてきて負ける、なんて可能性もある。というか、ライスがマークして差し切るのは有名だ。そうなると、先行で真っ向勝負というのは意表を突くことになるかもしれない。
それに何より、ライスが
「行ってこい、ライス。ミホノブルボンに、この一年でのお前の成長を見せつけてこい」
「――うんっ!」
笑顔で頷くライスに、俺も頷きを返す。
――ジャパンカップが、始まる。