リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
『今年も残すところあと一ヶ月と少しとなりました。真冬が近づきつつある東京レース場、これから行われますのは第11レース。芝2400メートルのGⅠ、ジャパンカップ。バ場は良の発表です』
『観客席は満員ですが、東京レース場の周辺にも人々が詰めかけています。先ほどURAが発表した情報によると、レース場に入った観客を含めて50万人を越え、60万人に迫る人々が集まっているようです』
東京レース場にファンファーレの音が鳴り響き、実況と解説の男性がそれぞれ話し始める。60万人近い人出か……今回のジャパンカップの注目度合いがよくわかるってもんである。
『それでは各ウマ娘の紹介に移りましょう。1枠1番、ライスシャワー。2番人気です』
『先月の秋の天皇賞の勝者、そして春秋の天皇賞を制覇したウマ娘です。秋のシニア三冠の冠2つ目がかかっていることもあり、高い人気ですね。いやぁ、私も一押しのウマ娘ですよ』
紹介に合わせてライスが観客席に向かって手を振る。するとそれに応えるように観客から大きな歓声が――って耳が痛い! 事前に塞いでたけど滅茶苦茶声が大きい!
ウララは両手をウマ耳に添え、キングは腕組みをしながらもウマ耳をぺたんと前に倒している。ただ、キングとしても予想以上に声が大きかったのか、肩をびくりと震わせていた。
ライスが高い人気があるのは嬉しいけど、こればっかりは大変である。いやうん、本当に嬉しいんだけどね。
そして次は、奇数番号からのゲートインということでミホノブルボンの番だ。
『2枠3番、ミホノブルボン。6番人気です』
『約一年ぶりに公式戦に姿を見せましたね。いやぁ……彼女がこうしてレースの舞台に立ったこと、素直に嬉しいです。人気は6番人気ですが、これは一年間レースに出なかったことを思えば高い人気と言えるでしょうっと、すごい歓声ですねぇ』
ミホノブルボンは観客席に向かって深々と一礼する。そして色々と思うところがあるのだろう、頭を下げたままじっと動かない。
「おかえりー! ミホノブルボーン!」
「よかったー!」
「戻ってきてくれてありがとおおおおおおおぉぉっ! これからもレースに出てくれええええええええぇぇっ!」
歓声、涙声、拍手。その他もろもろな声やら音がミホノブルボンへと降り注ぐ。見れば、ゲートインしたライスやゲートイン前の他のウマ娘達も笑顔になり、ミホノブルボンに向かって拍手しているのが見えた。
それは同じように長期療養を経験したトウカイテイオーやメジロマックイーンも同様で、パドックで見せた張り詰めた雰囲気を消し、柔らかく微笑んでいる。
ライバルではあるが、レースという同じ舞台で競い合う者同士。思うところがあるのだろう。ミホノブルボンは顔を上げると、目元を腕でこすってからゲートへと入っていく。
『5枠9番、スペシャルウィーク。5番人気です』
『とうとうこのウマ娘がシニア級も出てくるGⅠへと殴り込んできました。黄金世代の一人にして今年のダービーウマ娘です。今後が楽しみなウマ娘ですよ。もちろん、今日のレースも非常に楽しみです』
そんな紹介と共に、スペシャルウィークは観客席に向かって元気よく手を振る。レースが近付くにつれて不必要な緊張がなくなっていく感じがするな、あの子。ああいうタイプは勝負強い印象がある。
『6枠11番、ナイスネイチャ。10番人気です』
『ここ最近、少し元気がありませんね……ですが安定した強さを持つウマ娘です。今日は一体どんな走りを見せるのか、注目しましょう』
ナイスネイチャは観客席に向かって苦笑するように笑いながら、控えめに手を振る。しかしゲートに入ると表情が引き締まり、集中していることが窺えた。
『7枠13番、マチカネタンホイザ。12番人気です』
『チームカノープスから二人目の紹介です。しかしこの子も最近少し元気がありませんね……ですが、そういう時に限って伏兵としてするっと勝つのもウマ娘のレースです。楽しみですね』
解説の男性の言葉に俺は小さく頷く。どれだけ鍛えたとしても、ウマ娘のレースに絶対はない。だからこそ油断は禁物だ。
マチカネタンホイザは小動物のような動きで観客席に向かって小さく頭を下げると、ゲートに入っていく。
『1枠2番、ウイニングチケット。11番人気です』
『黄金世代の一人にして、去年のホープフルステークスで1着を獲ったウマ娘ですね。ただ、ジャパンカップではGⅠウマ娘がずらっと揃っています。クラシック級としてシニア級のウマ娘を上回れるか注目です』
ウイニングチケットは観客席に向かってブンブンと元気よく手を振る。明るく朗らかなその仕草に、観客達も大喜びである。
『2枠4番、ツインターボ。9番人気です』
『来ましたねぇ、ツインターボ……この子の逃げはレース前から楽しみですよ。ただ、今日は他にも有力な逃げウマ娘が多いです。はたしてどうなるのか、逆噴射するのか、注目したいと思います』
うーん……解説の男性のツインターボに対する扱いが他のウマ娘と違う気がする……でもツインターボは気にした様子もなく、大口開けて観客達に向かって笑っている。それを見た観客達も笑っているし、不思議なウマ娘だ。
『3枠6番、メジロパーマー。13番人気です』
『この子も力がある逃げウマ娘ですよ。今日の出走するウマ娘達の顔ぶれから見て、逃げウマ娘の頂点を決めるといっても過言ではないかもしれません。ここにサイレンススズカも加えたいぐらいですよ』
メジロパーマーは軽い調子で観客達に手を振ると、ゲートへと入っていく。去年の有馬記念みたいな逃げっぷりを発揮されると、ライスでも差し切るのが難しいがどうなるか……。
『5枠10番、エルコンドルパサー。8番人気です』
『NHKマイルカップで勝ったことからマイラーの印象がありますが、この子は中距離や長距離も全然走れますからね。黄金世代の一人としてどんな走りを見せるのか……今日は注目したいウマ娘が多すぎて困りますよ』
エルコンドルパサーがゲートインするが……この子はなんというか、純粋に強いタイプのウマ娘だ。東条さんが育てているというのもあるだろうけど、クラシック級の中では隙がないウマ娘である。
あと、芝もダートも問わずマイルから長距離まで走れるのってすごすぎると思うんだ……いや、ミークほどじゃないけどさ……。
『6枠12番、メジロマックイーン。4番人気です』
『秋の天皇賞は腱鞘炎で回避しましたが、ジャパンカップには出てきました。クラシック級の黄金世代を迎え撃つTMRの一人として好走が期待できますね。おっと、大きな歓声が上がっています』
メジロマックイーンは優雅に一礼すると、ゲートに入っていく。うん……レースが近付くにつれて集中を研ぎ澄ませている感じがするな。ただ、回復したとはいってもブランクの期間が挟まったのがどう転ぶか……。
『7枠14番、オグリキャップ。7番人気です』
『この子もクラシック級の中ではトップクラスの実力がありますからね。皐月賞ウマ娘が新たな冠を被ることができるのか……それに気合いも十分に見えます。好走が期待できますよ』
オグリキャップは観客達に向かって手を振るといった素振りは見せない。ただ前を見据えて、ゆっくりとゲートに入っていく。
『8枠16番、トウカイテイオー。3番人気です』
『秋の天皇賞では2着とライスシャワーに一歩譲りました。しかし、今回も彼女にとって得意な距離ですからね。いやぁ……誰に注目してレースを見れば良いのか、困りますよ』
実況は淡々と進めていくが、解説の男性は大興奮の様子である。話している通り、誰に注目すれば良いかわからないほどに強いウマ娘達ばかりなのだ。その気持ちはわかる。
(トウカイテイオーも集中してるな……さあて、どう出るか……)
調子の良さを示すように、トウカイテイオーは軽くステップを踏んでからゲートへと入る。気合いも調子も十分、といった感じだ。
『8枠18番、セイウンスカイ。1番人気です』
『最後にこのウマ娘がゲートインです。菊花賞ウマ娘にして世界レコードホルダー。TMRすら抑えての1番人気ですって声援が――すご――こ――』
セイウンスカイの紹介が行われた瞬間、ミホノブルボンの時よりも大きな声援が上がった。
「ウンスー! ウ! ン! ス!」
「今日も世界レコードを見せてくれえええええええええぇぇっ!」
「逃げ切れよセイウンスカイ!」
世界レコードを記録したということで、一時期はお茶の間にその姿を晒し続けたのがセイウンスカイである。ライスの天皇賞春秋連覇は日本国内レベルでの偉業だが、セイウンスカイは世界レベルでの偉業なのだ。この人気も当然といえば当然ってもんである。
セイウンスカイはそんな観客達からの声援に、困ったように笑う。そして視線を彷徨わせたかと思うと、曖昧な笑みを浮かべてゲートへと入った。
各ウマ娘のゲートインが完了し、ジャパンカップがスタートする……と思ったが、観客からの声援が中々止まらない。特にセイウンスカイに新たなレコードを期待する声が大きい。
『これからレースが始まります。お静かに願います。繰り返します。これからレースが始まります。お静かに願います』
とうとう場内アナウンスが流れ、そこでようやく観客達も静かになり始めた。だけどまあ、騒ぎたくなる気持ちもわかる。俺もトレーナーではなく純粋に一人の観客だったなら、これだけ有力ウマ娘が出揃ったレースでは大興奮しただろう。
トレーナーとして担当ウマ娘を走らせる身としては……うん、興奮以上に緊張の方が強い。
(お前の走りを見せてくれ、ライス……)
マークして差し切るという、いつものパターンではない。先行狙いの真っ向勝負だ。
アナウンスの効果もあり、波が引くようにして観客達から声や音が消えていく。
『各ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました』
そして、バタン、という音と共にゲートが開いた。
『各ウマ娘、ややばらついたスタート。最初に飛び出していったのは4番ツインターボ、3番ミホノブルボン、6番メジロパーマー、18番セイウンスカイ』
スタートで出遅れたウマ娘はいない。だが、逃げウマ娘の四人がスタートと同時に先を争うように飛び出していったため、結果としてばらついたスタートに見えた。
『続いて1番ライスシャワー、9番スペシャルウィーク、16番トウカイテイオー、14番オグリキャップ、10番エルコンドルパサー、12番メジロマックイーン、11番ナイスネイチャ、7番ウィズカスパールの順。そこから2番ウイニングチケット、8番グーテンベルク、13番マチカネタンホイザ、15番ブラックティップド、17番メイクユーガスプ。シンガリには5番エナジェティック』
ライスは内枠ということもあり、スタートと同時に前の方につけている。ただし、逃げウマ娘が速い。先行集団の先頭を駆けるライスと逃げウマ娘の間に、徐々に差が広がりつつある。
東京レース場は割と起伏が大きいコースである。観客席の目の前、第4コーナーを抜けた先からスタートし、左回りで1周走ってゴールを目指すことになる。
上り坂があれば下り坂もあり、走るのにスタミナと根性がいるコースだ。その二つに関してライスに勝てるウマ娘は早々いないだろうが、そんなライスでもスタートと同時に火が点いたように逃げ出すウマ娘をいきなり捉えることはできない。
逃げウマ娘として見れば、トレセン学園でも間違いなく10本の指に入るようなウマ娘達である。後先を考えていないような走りぶりを見れば、スタートからゴールまで逃げ切るつもりなのだと窺えた。
ただし、逃げ方にも差異がある。先頭を取ったまますさまじい勢いで逃げていくツインターボと、そんなツインターボを追う形でどんどん加速していくメジロパーマー。
ミホノブルボンはスタートダッシュこそ速かったものの、自分の逃げるペースを守るように3番手につけた。そして世界レコードを叩き出したセイウンスカイはといえば、ミホノブルボンから僅かに遅れて4番手の位置を走っている。
そんな4番手の位置についたセイウンスカイですら、ライスよりも先に先にと逃げていくのだ。
『最初の直線を抜けて第1コーナーへ。ハナを切っているのは4番ツインターボです。今日もターボエンジン全開ですね。しかし並ぶようにして6番メジロパーマーがつけています。そこから2バ身離れて3番ミホノブルボン、1バ身離れて18番セイウンスカイが続きます』
『ツインターボもメジロパーマーも大逃げするタイプのウマ娘ですからね。あれで2400メートルもつのかは……エンジントラブルが起きないかどうかにかかっているでしょう』
『続く集団とは早くも3バ身の差がついています。5番手に1番ライスシャワー、そこから大きな差はなくウマ娘達が順位を変えながら進んで行きます。ハナからシンガリまでは約10バ身差ほど』
『先頭の二人がどんどん逃げていきますからね。序盤にも関わらず大きな差が開いていますよ』
ツインターボとメジロパーマーは、お互いに先頭へ立とうと争うようにして逃げている。あのペースで逃げ続けられたらライスどころかどんなウマ娘でも捕まえることは不可能だろう。そう思わせるほどの逃げっぷりだ。
『先頭争いのツインターボとメジロパーマーが第2コーナーを抜けて向こう正面へと突入していきます。これは非常に早いペースですね。もう少しでスタートから1000メートルを通過します』
『1000メートルの通過タイムは……57秒5!? 2400メートルのレースでこの通過タイムはとんでもないですね。掛かっているのかもしれませんが……ツインターボとメジロパーマーならいつも通りと言えるでしょう。あれを見るとメジロパーマーとダイタクヘリオスが揃って爆逃げしていた頃を思い出しますねぇ』
ツインターボとメジロパーマーが叩き出した1000メートルの通過タイムに、観客席も俄かにざわつく。
(あのペースで逃げ続けるのはどう考えても不可能だ……でも……)
後半に失速したとしても、それまでのリードを利用して逃げ切るという戦法もある。それにツインターボはオールカマーで大逃げを成功させ、メジロパーマーも去年の有馬記念であと一歩のところまで逃げ続けた。
それでも観客達から見ている俺はさすがに無理があると思ったが、実際に走っているウマ娘達からすれば違うように思えるのだろう。何人かのウマ娘が加速し、前に出始めた。
『逃げ続ける二人に触発されたのか、何人か前に出始めました。18番セイウンスカイが3番手に、10番ナイスネイチャが3人かわし、13番マチカネタンホイザが先行集団へと追いついていきます。7番ウィズカスパールもナイスネイチャと一緒に上がっていきますね』
『ツインターボとメジロパーマーの逃げっぷりがすさまじいですからね……3番手に上がったセイウンスカイとの間にも6、いえ、7バ身差ほど差が開いています。二人いるためこう表現するのはおかしいですが、独走状態ですね』
『先頭の二人が向こう正面の上り坂へと差し掛かりました。大きく差が開いて18番セイウンスカイ、3番ミホノブルボンが続いています。更にそこから3バ身差ほど先行集団が追走。中団は先頭から13……14バ身差ほど離れています。シンガリまでは数えきれません。20バ身は開いていないと思いますが……』
先頭から最後尾までで見ると、すさまじいまでの差が開いている。距離にして約50メートルと、絶望的な大差だ。しかし、それも最後まで逃げ切れればの話である。
途中でスタミナが尽きるとは思う――が、ツインターボもメジロパーマーも逃げ切りそうな怖さがある。
(ライスは……うん、動いてないな。焦ってもいない、か……)
さすがに勝負を仕掛けるには早すぎる。ライスはロングスパートもできるが、まだ1000メートル以上あるのだ。多少スピードを上げることはできるだろうが、スパートをかけるのはまだ後だ。
『先頭のツインターボとメジロパーマーが第3コーナーへと突入していきます。残り1000の標識を通過。今日のターボエンジンは好調か? メジロパーマーも一歩も譲りません。しかし今年の菊花賞ウマ娘、セイウンスカイがじわじわと上がってきています』
『ミホノブルボンは動きませんね。タイムを見る限り正確にラップタイムを刻んでいますが……前が崩れるのを待っているのか、それともペースを上げていくのか……』
『続々と後続のウマ娘達も第3コーナーへと突入していきます。早いウマ娘はそろそろ仕掛け始めるタイミングですが……僅かに加速し始めているのは1番ライスシャワー、16番トウカイテイオー、9番スペシャルウィーク、10番エルコンドルパサーでしょうか』
向こう正面からコーナーへと入り、観客席に向かって徐々にライス達の姿が大きくなってくる。
第3コーナーはほぼ下り坂で、加速するのには向いているだろう。ただ、第4コーナーに入る手前から僅かな上り坂になっており、最後の直線には高低差2メートルほどの坂が待っている。
アップダウンが激しいということは、それだけスタミナが削られるということでもある。最後の直線は500メートル近くあるため、高低差があろうとライスにとって非常に加速しやすいコースとも言えるが……。
『先頭のツインターボとメジロパーマーが残り800の標識を抜け、第4コーナーへと入っていきます。ここからは緩やかな上り坂。後続のウマ娘達が少しずつ距離を詰めてきています。それでも稼いだ距離は3番手のセイウンスカイまでおよそ6バ身から7バ身。このまま逃げ続けることができるのでしょうか』
『このまますんなりといくのなら、今のシニア級はTMR世代と言われていないでしょうね。徐々にライスシャワーとトウカイテイオーが上がってきていますよ。メジロマックイーンは……おや? やや後方、中団の位置まで下がっていますね』
そんな解説の声に、俺は視線を移す。メジロマックイーンは……たしかに、序盤の順位から後ろへと下がっていた。その表情はやや苦しげというか、どことなく調子が悪そうである。
(腱鞘炎がぶり返した……って感じじゃないな。スタミナが尽きた? あのメジロマックイーンが?)
いや……いくら休養期間を挟んでいるとはいえ、スタミナが尽きるのが早すぎる。足を溜めていると見るべきか。
『さあ、第4コーナーを抜けたツインターボとメジロパーマーがホームストレッチへと突入してきます! ゴールまでは約500メートル! このまま逃げきああっとツインターボが失速し始めている! ターボエンジンが限界か!? それでも必死にエンジンを吹かすぞツインターボ!』
『がくっとスピードが落ちましたね。こうなったらメジロパーマーがどこまで逃げ切るかですが……あっ』
『ツインターボに続き、メジロパーマーも足が鈍り始めた! さすがに飛ばし過ぎたか!? 新生爆逃げコンビが一気に失速している! それを狙ったようにセイウンスカイが徐々に上がってきている! バ身差は5、いや、4バ身差! 一気に距離が縮まっていく!』
最終直線に入ってそのまま駆けていたものの、急勾配の坂に差し掛かった瞬間、ツインターボとメジロパーマーの足が鈍った。横から――観客席から見ていると、その失速ぶりがよくわかる。
メジロパーマーもだがツインターボが一気に失速すると、何故か観客席から笑い声が上がる。それと同時に『あー』とか『今日のエンジンは駄目かー』なんて聞こえてきた。
――そして、狙いすましたようにセイウンスカイが上がってくる。
『さあきた! きました! 世界レコードを叩き出したウマ娘が! 満を持して上がってきた! 必死に逃げるツインターボをかわし、メジロパーマーを今! かわして先頭に立った!』
『セイウンスカイは逃げだけでなく先行もこなせますからね。逃げ気味の先行といったところでしょうか? このままゴールまで逃げ切って人気に応え……そう簡単にはいきませんか』
『そしてセイウンスカイの後方! 上がってきたぞライスシャワー! そしてトウカイテイオー! ぐんぐん加速している! ミホノブルボンをかわし! 垂れてきたツインターボもかわした! メジロパーマーはまだ足を残しているがどうだ!? あっ、かわした! 今かわした!』
実況が興奮し始めたのか、ガンッ、というテーブルを叩く音が響いた。その音を聞きながら、俺は目を細めて眉を寄せる。
(ミホノブルボン……)
加速したライスは、ミホノブルボンを抜き去った。ミホノブルボンは己のペースを保つように駆けていたが、ライスが抜いた瞬間、その表情が僅かに和らいだような……?
『坂を上り切ってあと300! だがまだ300! 先頭に立ったセイウンスカイ、このまま逃げ切れるのか!? それともシニア級が意地を見せるのかってんんっ!? もう一人! 上がってきたのはオグリキャップ! オグリキャップだ! 芦毛の怪物が一気に加速してきた!』
俺は逸らしていた意識をライスに向け直す。そして、後方からオグリキャップが凄まじい形相をしながら突っ込んできたのが見えた。
姿勢が低い。まるで地を這うように、あるいは弾丸のようにオグリキャップが突っ込んでくる。
『後方からメジロマックイーンが加速してきているがどうだ!? こっちは届くのか!? 復帰レースのミホノブルボンは現在4番手! いやオグリキャップがかわした! ミホノブルボンは5番手! ミホノブルボンンンッ!? 一定のペースを保っていたミホノブルボン! ここでオグリキャップを追うように加速した!? 更にその後ろナイスネイチャが上がってきている!』
『ミホノブルボン……あんなに表情が変わったのは初めて見ましたね』
『残り200を切った! 先頭は変わらずセイウンスカイ! だが、だが! 春秋天皇賞制覇のウマ娘が突っ込んできた! ライスシャワーが! 上がってきた! そして負けじとトウカイテイオーも上がってきた!』
ホームストレッチを、ライス達ウマ娘が駆けていく。その姿に観客達は大興奮で、大声援を上げている。
「いけえええええええええええラァイスウウウウウウウゥゥッ! かわせええええええええええぇぇっ!」
もちろん、俺も大声で叫んでいた。今日ばかりは周囲の声援が大きすぎて、声が届いているかわからない。両隣でウララとキングも声を張り上げているが、それが聞こえないほどの大声援だ。
それでもライスは俺達の声が聞こえたのか、更に加速していく。最早見守ること、応援することしかできない。だからこそ、喉が裂けても構わんと言わんばかりに叫び続ける。
『観客の声援に押されるようにウマ娘達がホームストレッチを駆けていく! 先頭のセイウンスカイは苦しいか!? まだゴールまで100メートル! それが遠い! セイウンスカイこのまま逃げいや捕まった! ライスシャワーが並ばず抜き去った! トウカイテイオーもセイウンスカイをかわす! そして更にオグリキャップがきた! 先頭まで2バ身!』
オグリキャップが更に加速し、ライスとトウカイテイオーを捉えようとする。その速度は最早クラシック級のものとは思えない。シニア級でも十分上位のスピードだろう。
だが、オグリキャップの前を走っているのはシニア級でも上位を超え、トップを張るような二人だ。
『オグリキャップが上がってきた! 上がって……差が縮まらない! ライスシャワーとトウカイテイオー! 今、並びながらゴール!』
ライスとトウカイテイオーが、競り合いながらそのままゴールを通過していく。それを見た俺は、ふと、大阪杯の時のことを思い出していた。
あの時はトウカイテイオーだけでなくメジロマックイーンも加えた三人で写真判定になり、ライスは3着だった。今回は……どうだ? 真横から見ていた俺も判断がつかない。
続々とウマ娘達がゴールを駆け抜けていく。そして終盤で逆噴射したツインターボが今にも倒れそうな様子でゴールを通過すると、着順掲示板が点灯する。
1着と2着の部分に、表示がない。『写真』の文字が点灯している。
『これは……写真判定ですね。最後に競り合っていましたが写真判定になりました。トウカイテイオーとライスシャワー、どちらが勝ったのでしょうか?』
『どちらかが体勢有利って感じでもありませんでしたからね。はたしてどうなるのか……』
着順掲示板には3着以下の番号に関しては表示されている。
3着はオグリキャップが2着との間に1と1/2バ身差、4着はオグリキャップに1バ身差でナイスネイチャ、5着にはクビ差でエルコンドルパサーが入っている。
問題は、ライスとトウカイテイオーのどちらが勝ったかだが……。
「長いな……」
「かなり際どい判定だったのかしら?」
俺が呟くと、キングが応じる。既に3分近く協議が行われており、まさか、という考えが過ぎった。
そして、それから数十秒ほどしてから着順掲示板が点灯する。
『着順が確定いたしました。1着1番、ライスシャワー。勝ち時計は2分22秒3。2着2番、ハナ差でトウカイテイオー。3着14番、1と1/2バ身差でオグリキャップ。4着11番、1バ身差でナイスネイチャ。5着18番、クビ差でエルコンドルパサー』
実況が着順を読み上げる。俺はそれを聞き、着順掲示板を確認してから両拳を突き上げた。
「~~~~っ!」
喜びが声にならない。大阪杯の時は写真判定で負けたが、今回は勝った。そしてこれで、秋のシニア三冠に王手である。
俺の視線の先で、着順を確認したライスが小さく拳を握り込んだあと、観客席に向かって向き直る。そして右手を空に向かって突き上げると、GⅠ5勝目を宣言するように全ての指を広げてみせた。
そんなライスのパフォーマンスに、観客達から大歓声が上がる。
2着になったトウカイテイオーは悔しそうに顔をしかめていたが、やがて空を仰ぎ見たかと思うと、大きく息を吐く。続いて苦笑するように笑い、ライスの背中を軽く叩くのが見えた。
『これでライスシャワーもGⅠ5冠でトウカイテイオーと並びました。この決着は有馬記念でつけることになりそうですね』
『いやぁ、オグリキャップも伸びてきましたし、今年の有馬記念は例年にないほど盛り上がりそうですね』
実況と解説の声に、観客達からより大きな声が上がる。その声の大きさに耳を塞いでいると、トウカイテイオーに続いてミホノブルボンがライスに声をかけているのが見えた。
ミホノブルボンは、9着だった。オグリキャップを追ったものの届かず、オグリキャップほどは足が伸びなかったのだ。そして後方から突っ込んできたエルコンドルパサーとメジロマックイーンにかわされ、セイウンスカイに届かず、最後にスペシャルウィークに差された。
それでもミホノブルボンの表情は明るい。俺の目から見てもわかるほどに微笑んだかと思うと、ライスに何事かを告げた。
すると、ライスの表情が途端に崩れる。言葉の全てはわからなかったが、おめでとう、と告げたのだろうか?
ミホノブルボンはライスを抱き締めるようにして背中に腕を回すと、どこか満足そうに笑みを深めるのだった。
――