リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
ジャパンカップの翌朝。
俺はトレセン学園の近所のコンビニで買ってきたスポーツ新聞を読みながら、部室でのんびりとコーヒーを飲んでいた。最早レース後のルーチンワークである。
新聞の一面にはジャパンカップの記事が……って、二面、三面まで記事が続いてるな。ライスが1着を獲ったことが大きく取り上げられているけど、ミホノブルボンが復帰したこと、セイウンスカイが敗れたこと、オグリキャップが3着になって健闘した云々。
そして、メジロマックイーンが入着を逃したことも、記事になっていた。
(メジロマックイーンは故障ってわけでもなかったが……やっぱり腱鞘炎で休んでいたのが響いたか?)
トウカイテイオーやメジロマックイーン、それにミホノブルボンも、長期療養明けにレースに出ると言っても治って即、走るわけではない。
当然ながらトレーニングを積んでから出走するわけだが、今回のメジロマックイーンの場合はそこまで重い故障ではなかったものの、ジャパンカップに出るには純粋に時間が足りなかったのだろう。
腱鞘炎が治ってレースに出られる水準まで調子を整えたものの、勝てるところまでは鍛え足りなかった、といった感じか。
オグリキャップやエルコンドルパサーの伸び足はすごかったし、レースの展開次第ではライスも敗れていた可能性もある。特にオグリキャップの差しは強烈だ。というか、あの子なんで二段階に分けて更に伸びてくるんだろう……。
今回はライスもトウカイテイオーも、シニア級としての経験差、スペック差で押し切った。だが、これが来年になると……いや、下手すると今年の有馬記念でもどんな結果になるか。
新聞を読み進めていくと、早くも有馬記念に関する記事が載っている。ライスが昨日勝ったことでGⅠ5勝になり、トウカイテイオーに並んだ。そのため『GⅠ5勝対決! 勝つのはどちらか!?』みたいな煽り文が目立つ。
ライスは当然、有馬記念を狙う。二連覇がかかっているし、勝てば秋のシニア三冠だ。それにGⅠ6勝目と、トレセン学園のウマ娘でいえばシンボリルドルフに次ぐ実績になる。もちろん勝てればの話だが。
「ふぅ……」
湯気が立ち昇るコーヒーを一口飲み、息を吐く。今年も残すところあと一ヶ月と少し。数日もしない内に12月がやってくるわけだが。
(さあて、どうしたもんか……)
俺は新聞を読みながら思案する。
ライスの次のレースは有馬記念で確定。キングは今年いっぱいは休養とトレーニング。そして、ウララだが……うーん……。
(チャンピオンズカップか、東京大賞典か。GⅢのカペラステークスも選択肢ではあるんだけどなぁ……)
JBCスプリントに勝ったことで、ウララの収得賞金は7000万円を超えている。芝を主戦場とするウマ娘と比べれば少なく思えるが、ダートを主戦場とするウマ娘では上位の収得賞金である。
つまり、GⅠに挑戦する機会が目の前に転がっているのだ。
GⅢのカペラステークスは短距離1200メートル。
チャンピオンズカップはマイルの1800メートル。
東京大賞典は中距離2000メートル。
他にも一応、出そうと思えばオープン戦が三つほどあるが……今のウララをオープン戦に出すメリットが薄い。となるとやっぱり、カペラステークスかGⅠのどちらかだが……。
(ウララをどの重賞に出そうか悩めるなんて、去年の今頃は考えなかっただろうなぁ……)
去年の今頃といえば、ライスが加入しててんやわんやしてた頃だ。有馬記念に出るからと可能な限りライスの歪んだ筋力バランスを整え、疲労を抜いていた頃である。ウララは未勝利戦に勝って、ウマ娘としてようやく先に進めるようになった頃だったが……思えば遠くへきたもんだ。
ただまあ、悩んでこそいるが、ウララが次に走るレースは八割方決めてある。それはチャンピオンズカップで、レースに備えてウララにトレーニングを課してきた。
東京大賞典の2000メートルは……やっぱりきつい。今のウララなら2000メートルでも勝負になるが、スマートファルコンとぶつかると勝ち目が薄いのだ。
チャンピオンズカップの1800メートルなら、まだ勝負になる。1200メートルのカペラステークスならウララが高い確率で勝つ。スマートファルコンとはそんな実力差、いやさ、適性差があるのだ。
向こうが短距離で挑んできてくれるなら、なんて思うがそれは逃げだろう。いや、別にスマートファルコンと戦わなければいけないってこともないんだけども。スマートファルコンを避けて短距離だけで戦う場合、GⅠがJBCスプリントしかないというのが痛い。
(なんともまあ、贅沢な悩みだ……うーん、スマートファルコンにウララは東京大賞典に出るって伝えて、本当はチャンピオンズカップに出るとか……スマートファルコン以前にまず、キングが怒るな)
頬に張り手の一つももらいそうだ。ウマ娘に全力で叩かれた場合、首がやばそうである。そしてウララからは自分が勝つと信じてくれないのかと泣かれそうだ。その場合、俺の心がやばそうである。というか絶対にもたない。
(1600メートルのユニコーンステークスならウララが勝った。だから1800メートルなら……なんてのは甘い見通しだよなぁ)
JBCレディスクラシックで走るスマートファルコンを見たが、あの子はジャパンダートダービーの時よりも更に成長している。もちろんウララも成長しているものの、距離が伸びれば伸びた分、きつくなる。
チャンピオンズカップは12月の第一日曜、カペラステークスは第二日曜、そして東京大賞典は12月29日の開催だ。開催日だけで見れば東京大賞典が一番余裕がある。
(……ウララの希望を聞いて最終決定だな)
年末にはライスの有馬記念も控えているため、二人一緒に追い込んでいくというのも手ではある。期間が空くためチャンピオンズカップと東京大賞典の両方に出すことも可能ではあるが、ウララの疲労を考えると避けたい――。
(ああ、そうか……もしもスマートファルコンがウララとレースでぶつかることを期待してるなら、両方に出てくる可能性があるのか……)
あの子の考えはいまいち読めないが、ウララに執着している節がある。だからこそ、再びウララと同じレースで走ろうと思えば、まずはチャンピオンズカップに出走し、ウララが出てこなければ東京大賞典にも出る、なんて可能性があるのだ。
さすがに両方のレースに出すのはウララの疲労の蓄積的にも難しいところだが、特に故障もしていないのにGⅠの機会を見逃すのはトレーナーとしてもできない。
敢えて回避して来年の2月に行われるフェブラリーステークスに狙いを定めても良いが、俺の脳裏にミホノブルボンのトレーナーとの会話が過ぎる。
(……機会は逃すべきじゃない、よな)
JBCスプリントで勝ったことで、ウララが掲げていたGⅠのウイニングライブでセンターを飾るという目標は達成した。しかし、達成したからといってウララがやる気を失ったというようなこともない。
スマートファルコンとは3戦し、1勝2敗。負け越している。だからというべきか、ウララのトレーニングに取り組む姿勢は以前よりも熱心だ。それに、ライスやキングがレースで勝つ姿を見て、ウララもやる気がみなぎっている。
スマートファルコンに挑もう。そして勝とう。その思いからウララと相談した俺は、チャンピオンズカップへの出走を決めたのだった。
さて、ウララのチャンピオンズカップへの出走を決めたわけだが、今の季節は12月である。世間一般で言えば冬のボーナスがどうと騒がれる時期だが、それはトレセン学園も例に漏れない。
そして冬のボーナスがどうって話題が出ると、同時にもう一つ出てくる話題がある。
そう――人事評価のお時間だ。
前回、前々回と、忙しい時期に被っていて予定を延期してもらった経緯もある。そのため今回は理事長とたづなさんが通達してきた日時に人事面談を受けた――のだが。
「ところでトレーナーさん。少し気が早いですけど、来年度のチームのご予定はどんな感じですか?」
今期はこんな感じですね、評価がこんな感じですね、なんていつも通り話をしていたのだが、不意にたづなさんがそんなことを尋ねてきたのである。
「来年度、ですか。まだ4ヶ月先ですけど……」
来年度の話をすれば鬼が笑いますよ、なんて言葉が脳裏に浮かんだが、こういった話の振り方をされると警戒してしまうのはなんでだろうか……来年じゃなくて来年度って辺りに、どうにも嫌な予感がするのだが。
「なるべくチームの人数を増やしてほしいという話を前々からしていましたけど、無理に増やす必要はありませんからね?」
「???」
だから、俺はたづなさんの言葉が理解できずにクエスチョンマークを脳内に大量発生させる。
嫌な予感が外れたのか話の内容は問題ない……問題ない? いや、本当に問題ないのかこれ? わーいやったー、なんて思いながらチームメンバーを増やさずにいたら、向上心なし、みたいな感じで評価が落ちるトラップではなかろうか。
社会人としては失格だろうけど、正直、評価が落ちても困らないと言えば困らない。ただ、色々と世話になっているたづなさんや融通を利かせてくれている理事長の手前、そういった問題ないから手を抜くといった真似は極力したくない。
したくないんだけど……それ以前に、どんな意図があっての発言なのか。俺は巨大に膨らんだ風船を針で突くような心境でたづなさんに尋ねる。
「冗談……いえ、これもアレですか、以前聞いたようなたづなジョークですか?」
たづなさんって意外とお茶目な人だし、冗談を言いたくなっただけかもしれない。シンボリルドルフがギャグを言いたくなるのと同じだ。
「もう、嫌ですよトレーナーさん。冗談だったら、来年度は10人までチームメンバーを増やしてくださいとか、そういうわかりやすく冗談だって伝わることを言いますよ」
そう言って微笑むたづなさんだけど、いきなり東条さんのチームリギルみたいな状態になったら俺は間違いなくパンクする自信がある。あとたづなさん、あなたは冗談だって言ってくれましたけど、理事長の目がどことなくマジな気がするんですが……。
理事長の普段の口調を借りて言うなら、『期待ッ!』みたいな眼差しが怖い。名義貸しで良いのなら10人でも20人でも……いやうん、無理だな。絶対にしっかりと育成したくなるに違いない。
(来年度ねぇ……そうだよな、あと一ヶ月で新年なんだよな……)
ウララのチャンピオンズカップ、ライスの有馬記念が終われば新年が来る。そうなるとウララとキングがシニア級になるわけで……というか、ライスの扱いってどうなるんだろうか?
メジロマックイーンが現在シニア三年目なのは……まあ、問題になっていない以上、良いのだろう。中等部でシニア三年目ってことは、要は世間で言えば高校二年生ぐらいってことだろうし。
でも、ライスは高等部でシニア級だ。高校生なら卒業の時期である。ただし一線を退いたシンボリルドルフが生徒会長としてトレセン学園に在籍してるしな……まあ、シンボリルドルフやエアグルーヴさん、マルゼンスキーなんかはシニア級を卒業してドリームトロフィーに出てるし、ライスもそっちに進むことになるか。
――なんて、現実逃避をしていたわけだが。
「それでたづなさん、無理にチームメンバーを増やす必要がないというのはどういうことなんですか?」
後回しにしていても始まらん。こういう時は直に聞いた方が早いだろう。そう思って俺が尋ねると、たづなさんはにっこりと微笑む。
「トレーナーさんは担当のウマ娘一人あたりにかける時間がものすごく大きいでしょう? 人数が増えたら増えた分、そのままトレーナーさんの負担も増えますよね?」
そんなことはないですよ? とは言えない。そのため俺は頭を下げる。
「はい……申し訳ございません」
ウマ娘の育成にかける時間がものすごく大きい――それがトレセン学園上層部というか、少なくとも理事長とたづなさんの認識なのだろう。
そのためチームの規定人数である5人まで到達すると、俺がもたないと考えているわけか。でもそう言われると、逆にやってやらあ! なんて思えたり……はしないか、うん。無茶したらウララ達が怒るからね、仕方ないね。
(……あれ? チームメンバーを5人以上にするのが難しいのなら、このままチームを続けるのもまずいような……)
ウララと二人三脚だった頃のように、チームではなく個人のトレーナーに戻っても良いのでは? それなら5人がどうとか気にする必要もないのでは?
そんなことを考えたものの、ライスが有馬記念で勝ってGⅠ2勝目を挙げたってのもチームの設立理由だったか。あと、他のトレーナーを発奮させる意味もあるってのは聞いた話だ。
ライスがGⅠ5勝、キングがGⅠ2勝、ウララがGⅠ1勝の現状、チームメンバーを増やせないのでチームを解散します、なんて言って認められるのだろうか。うん、無理か。
となると、たづなさんが担当ウマ娘を無理に増やさなくて良いって言ってくれているのは……完全な善意? 俺の負担が増えすぎるからと、気を遣ってくれた? 美人で優しくて気立ても良いとか完璧超人かよ。たまに分身してるんじゃないかって疑いたくなる速度であちこちに移動してるけど。
「もちろん、トレーナーさんが担当したいと思えるウマ娘がいた場合はスカウトしていただいて構いません。トレーナーさんの場合、ご自身やチームメンバーとの相性を強く考慮されるでしょう?」
「それは……そうですね」
いくら育てたい、この子は才能があるな、なんて思ったウマ娘でも、性格が合わない、反りが合わない場合は育てるのが難しいだろう。ましてや、既にチームメンバーとして活動しているウララ達とも相性が悪い場合、俺は加入を断るだろう。
そうなると、癖がないタイプの子じゃないと厳しい……か? スペシャルウィークやエルコンドルパサー、タイキシャトルみたいな明るくて周りと協調性があるタイプか。あとはゴルシちゃんみたいな面白い上に気遣い上手な子か。
それらを考えると、たづなさんの言う通りチームメンバーとの相性を考慮した上でスカウトすることになるだろう。もしくは俺が『どうしてもこの子を育てたい!』って思うような子か。
来年度、そんな子が入学してくれば良いんだけど……でもウララとキングがシニア級でバチバチやり出す時期だし、育て切れんか。もしくはもっと育て方を変えるべきか。
「年度末の人事面談で突然今のようなことを言われたらどうなります?」
「急だなぁ、って思います。そりゃあ前もって伝えますよね……」
いかん、すぐにそんな考えが浮かばないあたり、なんだかんだで疲れているのかもしれん。俺は反省するようにたづなさんの言葉に苦笑すると、少しだけ気が楽になった体で理事長室を後にするのだった。
そして数日後。
俺はウララのチャンピオンズカップの出走表が届くなり、その中身を確認して一つ頷く。
そこには予想通りというべきか、スマートファルコンの名前があった。他に警戒しているウマ娘の名前はないが……。
「……これでぶつかるのは4回目、か」
ジャパンダートダービーで負けた借りを是非とも返したいもんだ。俺は、そう思った。