リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
ウララのチャンピオンズカップが3着に終わり、一晩が経った。
俺は今日も今日とてコンビニで買ったスポーツ新聞を片手に、朝早くからコーヒーを飲みながら記事を確認していた。
(一面に載ってるけど、ジャパンカップみたいに何ページも紙面を割いたりはしないのか……)
そしてそんなことを思う。GⅠのため扱いは大きいが、それでも一面に記事が載っているだけだ。スマートファルコンがダートでGⅠ三勝目を挙げたことが記事になっているものの、どうにも扱いが小さい気がしてならない。
これもまた芝とダートの人気差が原因なのだろうか? というか、『ハルウララ、3着で敗れる!』なんて煽り文がでかでかと書かれている。
さすがに1着を獲ったスマートファルコンより記事の扱いが小さいものの、そこは1着を獲ったスマートファルコンに全部記事を割いてやるべきでは、なんて思う。
中京レース場を訪れたレースファンにインタビューして、『ハルウララのおかげで引きこもりから抜け出せました! ハルウララは負けたけど生で見れただけでサイコーです!』ってコメントが載せられているが……なんか怪しい広告記事みたいだ。本当にウララのレースを生で見るために引きこもりから抜け出せたのなら嬉しいけどね?
(ダートではウララの人気が高いってたづなさんも言ってたけど、実績ではスマートファルコンの方が上なんだよな……うーん……)
ウララのグッズ販売に関しても、制作が決定したことを発表して現在予約受付中だが既にかなりの数の予約が入っているらしい。年内に発売される予定だが、既に増産も決定しているなんてホクホク顔のたづなさんが教えてくれた。
(スマートファルコン、か……)
昨日のレースを見て思うのは、スピードやスタミナ、根性もそうだが、それ以上に意志の強さがずば抜けていることだろう。ウララは以前より強くなったが、スマートファルコンも当然のように強くなった。
その差を縮め、追い越すべくウララを鍛えてきたものの、はたして差はどれほどのもんか……引き離されてはいないが、劇的に縮まったとは言い切れないか。
他のクラシック級のウマ娘も成長してきている。今後は有力ウマ娘がどう、とか言えないだろう。全員が全員、強敵として捉えなければならない。なんて、そこまで考えた俺は苦笑した。
(レースに絶対はないし、強くなるのはウララだけじゃない。当然のことなんだよな……問題はウララを更にどう強くするかだ)
チャンピオンズカップの1800メートルも、ウララは走り切ることができた。それも普段と比べて序盤からペースを上げ、終盤にロングスパートをかけるという無茶をしたにも関わらず走り切ることができたのだ。
スタミナは確実についてきている。走り終わった直後はさすがに限界だったようだが、これならば2000メートルのレースも十分もつだろう。だが、スタミナはあるだけあった方が良い……でも、これ以上スタミナをつけるとなると中々に難しい。
俺はここ数ヶ月のウララの成長曲線を脳裏に思い描く。以前は予想を超えて成長してきたウララだが、今は予想の範囲内、いや、スタミナに限っては成長が予想を下回るようになってきた。
元々の距離適性がダートの短距離のみ……うん、適性とも呼べないぐらいスタミナが乏しかったけど、これまでのトレーニングで確実にスタミナがついたと言える。しかしこれからは劇的な成長を望むのは難しく思える。
昔と比べればトレーニングの質と量が遥かに増えた。そういう面でもスタミナがついているのだが、元々中距離以上は本当に向いてないのだ。そこをトレーニングとウララの根性で乗り越えてきたものの、中距離も問題なく走れるスマートファルコンをどう崩せば良いのか。
(スマートファルコンは更に成長するだろうしな……)
フォームから無駄を削り、スタミナを少しでも温存できるようコース取りの勘を磨き、足を溜めても問題ないようレース展開を見切る目を養う。
言葉にすれば簡単だが、いざやるとなると難しいことをいくつも行い、ウララのスタミナを伸ばすのではなく
「……ん?」
そんなことを考えていると、部室の扉が戸惑いがちにノックされる。誰だ、と思いながら扉を開けてみると、そこには制服姿のウララが立っていた。
「ウララ? ずいぶんと早い……というか、こんな朝早くに来るのは珍しいな」
時計を確認してみればまだ午前八時と、授業が始まるにしても一時間近くある。まあ、俺の始業時間にも一時間近くあるんだけど……やってることは仕事じゃなくて、コーヒー飲みながら新聞をチェックしているだけだ。昨晩は悔しくて眠れなかったし、家にいるより部室で新聞を読んでいた方が有意義だと思っての判断である。
「えへへ……トレーナーがいるかなって思って」
俺の言葉を聞いたウララはそう言うが、ウマ耳がぺたんと倒れ、尻尾も力なく垂れている。それを見た俺は部室に通すと、ウララ用のマグカップを手に取って尋ねる。
「朝ごはんは食べてきたか?」
「うん……ちょっと早かったけど、食べてきたよ」
「そっか……よし、ココアを淹れてやるよ。座って待ってな」
そう言って俺はココアを淹れ、ウララへと渡す。12月にもなると、朝晩は寒い。部室も俺一人だからと暖房を入れてなかったため少々肌寒く、ココアを淹れると甘い香りと共に湯気が広がった。
「ありがとー、トレーナー」
ウララはマグカップを受け取ると、ふー、ふー、と息を吹きかけて冷ましながら飲む。しかしその間も表情は固く、俺はウララの対面のソファーに腰をかけて先ほどまで飲んでいたコーヒーを一気に飲み干した。
「ふぅ……それで、どうしたんだウララ」
そんな風に尋ねながらも、ウララが部室を訪れた理由は明白だった。ウララの表情やウマ耳、尻尾の動きを見れば大体のところは察せられる。
――昨日は、ライスやキングが一緒だったもんな。
チャンピオンズカップで3着になったウララだったが、ウイニングライブは笑顔で歌って踊っていたし、帰り道では明るく振る舞っていた。それでもウララが抱えていた感情は理解できる。
スマートファルコンがすごかった、最後に2着に飛び込んできたスレーインもすごかった、なんて笑顔で褒めていたが、ウララが抱いた感情が
それでもライスやキングが一緒にいる時は、言い出せないことがあったのだろう。寮に帰ってもキングが一緒だ。本当は昨晩の内に話ができれば良かったのだが、レースが終わってウイニングライブもやって、そこから高速道路を飛ばして帰り着く頃には寮の門限が迫っていたのである。
ウララは俺の問いかけに視線を彷徨わせる。しかしここには俺とウララしかいない。ウララもそれをわかっているからか、やがて、ポツリと呟いた。
「……負けちゃった」
そう言って、ウララはソファーに座ったままで膝を抱える。その瞳にはじわじわと涙が溜まりつつあり、唇を震わせながら声を漏らす。
「また……ファル子ちゃんに負けちゃった……」
スマートファルコンに負けたのは、これで3度目だ。昇竜ステークス、ジャパンダートダービー、そしてチャンピオンズカップと、負け越している。
勝ったのは一度きり。ウララが初めて挑んだ重賞、ユニコーンステークスでの一度きりだ。
ただ、ユニコーンステークスでウララとスマートファルコンが並んでゴールし、着順の発表を待っている際の
競り合った影響で疲労し尽くしたウララと、そんなウララと比べればまだ余裕があったスマートファルコン。
あの時のスマートファルコンの姿を見て、ウマドルとして観客の前でみっともない姿を見せられないという矜持かと考え、同時に、
――ダートを盛り上げるために、ウララに花を持たせたのではないかという、疑念。
スマートファルコン本人に確認したわけではない。ゴールを通過した後のスマートファルコンの表情や仕草から、まさか、と思っているだけだ。
だからこそウララには何も言っていない。俺が無駄に疑っているだけで、あの時のスマートファルコンは全力で走っていた。そうに違いない。
チャンピオンズカップでは今度こそスマートファルコンに勝てると思った。そう思えるぐらいウララを鍛えてきた。それでも、届かなかった。
パドックでスマートファルコンの姿を見た時、思ったのだ。スマートファルコンは本当に強い、と。
そしてそれは、ウララも一緒だったのだろう。泣き顔を隠すように、抱えた両膝に顔を押し付けながらウララが呟く。
「レース前にね、パドックでファル子ちゃんを見た時……すごく強そうだなって、勝てないかもって思っちゃったんだ……」
「…………」
俺は沈黙を返す。ウララは言葉を吐き出したいだけで、言葉を求めていないと思ったからだ。
「ファル子ちゃん、すっごく速かった……このままじゃだめだって思ったから前に出たけど……届かなかった……」
あの判断は間違っていなかった。俺はそう断言できる。普段通り終盤に差そうとしていても、スマートファルコンには届かなかっただろう。残り2バ身のところまで詰め寄ることもできなかったに違いない。
ウララの判断は間違っていなかった。ただ、間違ってはいなかったが、スマートファルコンに勝つには
ウララはヒヤシンスステークスでオグリキャップに負けて、昇竜ステークスでスマートファルコンに負けて、悔しさを知った。
そしてライスのように専用の勝負服を着て、GⅠで勝って、ウイニングライブでセンターに立って歌って踊りたいという目標を立てた。
センターに立つということは、1着を獲ると言うことだ。誰にも負けないよう、ウララを鍛えようと俺も思った。
俺はソファーから立ち上がると、ウララの隣に腰を下ろす。ソファーが凹み、膝を抱えたウララが俺の方に転がって来そうになるのを肩で支える。そして、
「なあ、ウララ」
「……ん」
「前にさ、昇竜ステークスが終わった直後だったか……負けたくないって強い思いが最後の最後で勝敗をわけるんだ、なんて言ったけど覚えてるか?」
俺がそう尋ねると、ウララは両膝に顔を埋めたままで小さく頷く。
「昨日、パドックでスマートファルコンに勝ちたいって言ってただろ? ウララがそう思うようになってくれて俺は嬉しいよ。でも、その気持ちはどれぐらい強かった?」
俺は昨日のウララのパドックでの様子を思い返す。
――怪我せず、楽しんで走ってくるっ! それと、ファル子ちゃんに勝ちたいっ!
ウララはそう言ってレースに臨んだ。うん、実にウララらしい言葉だ。スマートファルコンに勝ちたいって言葉が出てくるだけでも、昔と比べれば成長したんだと思う。
だけど、
「はんぶん、はんぶん……ぐらい?」
ウララは戸惑うようにして答える。
怪我をせず楽しんで走る。それと同じぐらい、スマートファルコンに勝ちたいと願う。それはウララが口にした通り、半分程度の割合なのだろう。
その点、昨日のスマートファルコンは明白だった。ウララに勝つ、全員に勝つ、レースに勝つと雰囲気が語っていた。それだけ体を仕上げ、レースに勝つという部分に限った話だが心も強く保っていた。
そういった面でも、ウララとスマートファルコンには差があるのだろう。実力だけじゃない、レースへ込める思いが、熱量が違うのだ。
そしてそれは、以前と比べれば遥かに改善されたものの依然としてウララの弱味でもある。
たとえばライスの場合、レース前のパドックで
たとえばキングの場合、マイルチャンピオンシップの時のように『勝ってこい!』の一言で足りる。キングはその性格から負けず嫌いだし、母親への反発から勝ちへの執念が強い。
もちろんウララと同様に怪我なく、レースを楽しんでこいと声をかけることもある。ただし、レースを楽しむというのは不必要な緊張は捨てて余裕を持って走れという話だ。楽しめる余裕があれば、余計な力が入って怪我をする確率も下がるだろう。
そんな二人と比べれば、ウララはライバルと競い合い、絶対に勝ちたいと思わせるのが難しい。出会った頃と比べれば雲泥の差だけどな……それでも、ライスやキングと比べれば勝ちたいという思いがまだまだ育ってない。
怪我をさせないのは俺の方針だが、楽しんでレースを走るという、元々ウララが持っていたレースへの感情。
1着を獲りたい、ウイニングライブでセンターに立ちたいという、元々ウララが持ってはいたが弱かった感情。
そして誰かに勝ちたいという、新たに覚えさせた感情。
今までは均衡を保っていたが、これからはもう一歩、先に進まなければならないだろう。そうしなければ、ウララはその場で足踏みをし続けるだけだ。
「スマートファルコンはきっと、ウララに勝ちたい、ウララに負けたくないって気持ちだけで走ってたよ。まあ、あの子の場合勝ちたい、負けたくないって感情が他のウマ娘と若干違う気もするけどな」
「……わたし、気持ちで負けちゃったの?」
ウララが顔を上げて尋ねてくる。その目は真っ赤に染まっており、それを見た俺は懐からハンカチを取り出した。
「そうだなぁ……2着になったスレーインにも気持ちで負けちゃってたかもな」
俺はウララの涙を拭いながらそう言う。あまり目元を擦らないようにしないと、目が真っ赤になるなこりゃ。
それで、まあ、なんだ。そうやって誰にも負けたくないって気持ちを持たせるのは、トレーナーの仕事でもある。もちろん本人が心からそう思ってくれないと意味がないのだけど、それとなくライバル心を煽ったりするのもトレーナーの手腕の一つだ。
ただし俺は、そういったギラギラした感情がウララには合わないと思っている。昨日のスマートファルコンのように見た者が圧倒されるような気迫も一つの道だけど、ウララには根本的に合わないのだ。
だからこそ怪我せず楽しんで、その上で勝って来いなんて言ってたわけだが……。
(そういったメンタルトレーニングが足りなかった、かな……俺の責任だな)
ウララは悔しさを知った。
レースに勝ちたいとも思えた。
なら、次の目標は一つだ。
レースに勝ちたい、1着になりたい、ウイニングライブでセンターに立ちたい、ではなく。
――
そういった形の執念がウララにも必要なのかな、と思う。しかし困ったことに、こういった感情は生来の性格だったり、勝ちたいと思える誰かを定めて長い時間をかけて醸成したりと、思い立ったからすぐに身につくわけでもない。
ちなみに、ライスとキングは後者のタイプだ。
ライスはミホノブルボンというライバルに勝つために。
キングは母親を見返すために。
それぞれトレーニングに励んでレースでも勝とうと足掻いてきた。
その点、ウララは今のところどちらのタイプでもない。今からどうなるか、だ。
もちろん世の中には気持ち一つではどうにもならないことがある。しかし、ウララはスマートファルコンと勝負になる――勝てる水準まで鍛えてきたと自負している。
中距離は……まだ厳しいけど、昨日のチャンピオンズカップも勝ち目はあったはずなのだ。
「ウララ……スマートファルコンに勝ちたいか?」
「うん……わたし、ファル子ちゃんに勝ちたいっ! もう負けたくないっ!」
そうウララは訴えかけてくる。負けたくない、スマートファルコンに勝ちたい、次こそは勝ちたい、と。
その思いがきっと、スマートファルコンを倒すための鍵になると俺は信じている。
ただまあ、信じてはいるものの、実際にいつぶつかるかって話である。
『ウララさんは体調不良で遅れるって伝えとくわ』
もう少しで授業が始まるってタイミングで、キングからそんなメッセージがスマホに飛んできた。多分、ウララがいないからって部室の近くまで来てたなあの子。で、ウマ娘の優れた聴覚で俺とウララの会話を聞いていたんじゃなかろうか。
そんなことを考えつつ、俺はウララに今後のレースの予定を話していく。
「年末の東京大賞典はどう考えても間に合わないから、来年2月のフェブラリーステークスでリベンジする……って言いたいところなんだけどな」
チャンピオンズカップで1着になった場合、たしかサウジアラビアで行われるサウジカップの優先出走権が与えられたはずだ。スマートファルコンがサウジカップに出るかわからないが、仮に出た場合GⅠで再戦する機会は6月後半の帝王賞になる。
帝王賞はシニア級のみ参加できるレースで、距離は2000メートル。フェブラリーステークスは1600メートルのため、勝算という意味では後者の方がまだ見込めるだろう。
GⅠに限って考えると、あとは秋のJBCスプリント、JBCレディスクラシック、JBCクラシックのどこか。それに12月のチャンピオンズカップに東京大賞典。
GⅡやGⅢも含めれば再戦の機会はぐっと増えるものの、スマートファルコンが出てくるかどうか……いや、こっちからどこかしらのレースで勝負しようと持ち掛けたら、案外乗ってきてくれるかもしれんが。
オープン戦を込みなら更に機会は増える……が、現時点でGⅠを3勝しているスマートファルコンと、GⅠで1勝しているウララがオープン戦に出るっていうのは何かしらの文句を受けそうだ。少なくとも俺がオープン戦にウマ娘を出すトレーナーの立場だったなら、文句の一つも出るに違いない。
「こっちからスマートファルコンに話を振るって手もある。問題はあの子が乗ってくるかだけど……多分、乗ってくれるだろ」
ただし、フェブラリーステークスでぶつかるとなると時間が少し厳しい。成長が落ちているもののウララには可能な限りスタミナをつけさせたい。
それにもっとウララを成長させていかなければ、シニア級になってから他のウマ娘達に飲み込まれかねない。ウララの成長が鈍ってきているのもあるが、ダートを主戦場とするウマ娘達の成長がぐっと早まっている気がするのだ。
下手するとスマートファルコンにリベンジするどころの話じゃなくなってしまう。
まあ、つまりやることはこれまでと変わらなかったりする。
「怪我をせず、力をつけてスマートファルコンに勝つ……それだけだな」
「うんっ!」
レースに勝つ、ではない。ウララにとって
俺とウララは決意を新たにするのだった。