リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
さて、年末である。
有馬記念も終わり、ライスも無事……というと語弊があるが、無事退院した。
ライスは松葉杖もいらないし、車椅子に乗らなくても良い。ただ、当分は入院した際に作ってもらった足底板を使用して生活する必要がある。
本当は二、三日入院させても良かったんだけど、ライスの怪我の具合いはどうなっているのかと病院に記者が詰めかけたり、テレビカメラを抱えたカメラマンが病院前にスタンバってたりと、病院に迷惑がかかるため早々に退院したのだ。
とりあえず最低でも三ヶ月は安静にして様子見だと発表して記者達を解散させ、それでもインタビューをと喰らい付いてくる記者にはライスは怪我人だぞと笑顔で拒否させていただいた。慣れるまでは立ってるだけでも辛そうなんだぞ。
そんなこんなでトレセン学園に戻ってきた……のだが。
部室に赴き、仕事納めとして僅かにあった仕事を片づけてたら理事長とたづなさんが訪ねてきて、何やら封筒を差し出してきた。
「たづなさん、これはなんですか?」
「URAからの書類です」
うわぁ……理事長とたづなさんがわざわざ出向いて渡してくるあたり、不安しかない。しかも理事長が取り出し、秘書であるたづなさんに渡して、そこからたづなさんが俺に渡すというどこか格式ばった雰囲気があったし。
「杞憂ッ! それはライスシャワーに関する書類だっ! 是非中身を確認してほしいっ!」
理事長は笑顔でそんなことを言ってくる。あ、もしかしてドリームシリーズに関する書類だろうか? それならたしかに杞憂だわ。
俺はそんなことを思いながら、封筒を開封する。あれ? でもちょっと待って。それってわざわざ理事長が出向くような案件じゃないよね?
「…………?」
俺は封筒に入っていた書類を引っ張り出し、内容を確認する。そして、内容が理解できずに首を傾げた。
中に入っていたのは、明細だった。ライスが獲得した賞金に関する明細で、俺がライスの口座を管理しているため見ても問題はないんだけども……。
「すいませんたづなさん……この2億円ってなんですか?」
「秋のシニア三冠を獲得したボーナスです。レースの賞金と違い、こっちは丸々ライスシャワーさんに入ります」
そう言われて、俺はああ、と思い出す。そういえばそういう規定もあったなぁ、なんて。
クラシック三冠を獲得したら1億円、春のシニア三冠を獲得したら2億円、秋のシニア三冠を獲得したら2億円というボーナスがURAからもらえるのだ。
普段はウマ娘に賞金の2割しか振り込まれないが、こちらはそのまま丸々もらえるらしい。いやうん、賞金の2割といっても、秋のGⅠ3つ勝ったライスはそれだけで1億5000万円振り込まれてるんだけどね……そっかぁ、ボーナス足したら3億5000万円かぁ……税金のこともあるけど、軽く億超えてる。
(……ライスのご両親には伏せといた方が良いか? いやでも、調べればわかることだし……)
今頃ライスの実家周辺に名前も顔も知らない友人や遠い親戚が集まったりしてないだろうか? 年末年始、帰省させても大丈夫かな……間違いなく、ついていった方が安心できるな。
(というか、過去の賞金全部足したらとんでもないことになるな……そこにグッズの売上も加わって……有馬記念2連覇したから、グッズが更に売れてそうだなぁ……)
URAはグッズの販売を取り仕切ってるし、ライスに2億円払っても大した痛手ではないだろう。というかライス、これから先進学したり就職したりする必要が……一生遊んで、とは言わないけどそれなりに豪勢な生活が送れるぞ……。
まあ、ライスはウマ娘としての本能が強いというか、金よりも走る方が大事ってタイプだしな。金のかかる趣味を持ったり、変な男に捕まりでもしない限りは将来も安泰だろう。
(でもなぁ、金があるから日がな一日のんびり過ごす、なんて生活は飽きるよな……まずは怪我を治してレースをどうするかだけど、その後はやっぱり進学なり就職なり勧めるべきか)
今後怪我をしないとも限らないが、ライスが満足するまで走ってレースから引退する場合、燃え尽き症候群にならないためにも進学や就職を勧めてもいいだろう。
額が額だけに手放しで喜ぶことはできないものの、ライスの将来が安泰というのはトレーナーとしても嬉しい話だった。
俺がそんなことを考えていると、たづなさんが何とも言い難い顔をする。
「ところでトレーナーさん……トレセン学園の方にトレーナーさんやライスさんに関するインタビュー依頼が殺到してるんですが……テレビ出演にご興味は?」
「ないです」
「ですよね……年末年始ですし、予定もあるでしょうし……」
俺はトレーナーで、ライスはウマ娘だ。レースのインタビューとかは仕方ないけど、テレビに出てどうすんだって話である。
「ちなみにですけど、年末年始のご予定は?」
「ライスの足が不安なので、帰省に付き合います。ライスの親御さんとも今後のライスの進路に関して色々と話をしたいですしね」
「ああ……それなら仕方ないですね。レースだけがウマ娘の人生じゃないですし、レースを引退してからの方が長いんですから」
そう言って苦笑するたづなさん。見れば理事長もうんうん、と頷いている。理解がある上司で部下としては嬉しい限りだ。
「そういうわけで、テレビ出演はともかくインタビューを受けるにしても年が明けてからですかね」
「それなら断っておきますね。お忙しいところ失礼しました。それではトレーナーさん、よいお年を」
たづなさんはそう言って、理事長と一緒に部室を後にしたのだった。
そうして俺は仕事納めが終わった……と言いたいところだったけど、たづなさんと理事長が帰ると、再度来客があった。
「よう。今、いいか?」
「先輩……どうしたんです?」
うちの部室を訪れたのは、スピカの先輩だった。相変わらずのイケメンフェイスで笑いつつ、俺に向かって何かしらの書類が入っていると思しき紙袋を差し出してくる。
「いやなに、ちょっとしたプレゼントだ」
「はぁ……ありがとうございます?」
先輩からプレゼント? 一体なんだろ、なんて思いつつ紙袋を受け取った。割とずっしりと重たいけど、触った感触的に中身は紙だろう。先輩に一言断って紙袋を開けると、デカいクリップで留められた書類束が出てくる。
「これは……」
表紙を見た俺は、思わず目を見開いた。そこにあったのは思わぬ内容で、かつ、俺が今、一番必要としている物だったのだ。
「うちのテイオーとマックイーン、それとスズカが故障した時の記録と実際に取り組ませたリハビリのメニューだ。良かったら使ってくれ」
「……マジですか」
コピーだけどな、なんて言って笑う先輩に、俺は目を丸くしながら中身に目を通していく。
「うわー……本当だ……これ、先輩にとって滅茶苦茶重要な資料じゃないですか……良いんですか?」
こういった資料はトレーナーにとって武器であり、財産でもある。おいそれと他のトレーナーに見せるものではないし、コピーとはいえ渡すものでもない。
なにしろそのトレーナーがどんな意図を持って、どんな育成や治療を施し、どんな結果が出たのかが記されているのだ。その対象がトウカイテイオーにメジロマックイーン、それにサイレンススズカとトップクラスのウマ娘となると、その価値は計り知れない。
「お前にゃ借りがあるしな。テイオーが故障しないよう注意してくれたし、マックイーンの腱鞘炎にも気付いてくれた。その分の礼だよ」
「釣り合ってない気がするんですが……俺、もらいすぎでは?」
たとえるならこの資料はアレだ、桐生院さんがいつも持ち歩いている秘伝書っぽい書物。アレに該当するレベルの代物である。
故障してから完治するまでの状況を記録し、実際に取り組ませたリハビリメニューまでセットでもらえるとなると、本当にもらいすぎである。
「気にすんな。症状が全然違うし、精々参考になるかどうかって感じだろ。それに後輩の面倒を見るのは
先輩はそう言って笑う。どこか照れ臭そうでもあるが、俺としてはありがたいことこの上ない。
「ありがとうございます。俺、ごく一部の先輩以外には思いっきり嫌われてるんで……先輩に面倒見てもらう機会が全然なくて……」
普通に話せる先輩とか、目の前の先輩と東条さん、あとはミホノブルボンのトレーナーぐらいである。カノープスの先輩? あの人は……うん……怖いから……。
「はははっ……いやすまん。割と笑えない……大丈夫か? 駿川さんに相談するか?」
俺の言葉を笑い飛ばそうとした先輩だったが、途中から心配そうな顔になる。
「いやぁ、その分同期と仲良くしてますし、後輩もけっこう頼ってくれますし」
「ああ、それは聞いたことがあるな。お前さんの代、仲良いもんな」
そう言って、少しだけ羨ましそうに目を細める先輩。いえ、仲は良いけど飲みに行ったら自分のところのウマ娘自慢し始めるし、酒が入ったらお互い煽り合う仲ですよ?
なお、桐生院さんは除く。あの人ミーク自慢はするけど、桐生院さんに煽られることはない……というか煽られたらどんな反応すれば良いかわからないわ……。
「それで、ライスシャワーの容態はどうだ?」
「思ったよりも悪くはないですね。ただ、順調に治っても元のレベルでトレーニングができるようになるまで3ヶ月はかかるでしょうし、その間に鈍った体を鍛え直すのに追加で3ヶ月ってところです」
もらったものがもらったものだけに、俺は素直に内情をぶちまける。すると、先輩は顎に手を当てながら目を細めた。
「それぐらいで済んだのなら良かったって考えるべきだろうな。しかしそうか……そうなると、復帰は半年後ぐらいか……」
「ですねぇ……まあ、来年のシニア戦線にはキングが出ますし、経過次第ですけどライスはドリームシリーズに進むかもしれません」
俺がそう言うと、先輩は怪訝そうに眉を寄せる。
「なんだよ、GⅠ7勝……いや、それ以上の記録は狙わないのか? たしかに長期療養で衰えるだろうけど、ライスシャワーなら狙えるだろ?」
GⅠ7勝以上? シンボリルドルフ越えを狙うのは……まあ、ライスならできるだろう。怪我で衰えたとしても、多分、あと1勝か2勝ぐらいならGⅠでもいけると思う。ただ、できることとやりたいことは別だ。
「その辺りも今後、ライスと相談しながらですね。あの子が狙いたいっていうなら狙わせます。ドリームシリーズに進みたいって言うなら進ませます。引退するっていうなら……それも選択肢の内ですね。進学や就職……そういった道もありますから」
俺がそう言うと、先輩は苦笑しながら頷く。
「なるほどなぁ……お前さんにとっちゃあウマ娘本人の意思が最優先なわけだ」
「先輩もそうでしょう?」
「まあな。でもよ、勿体ないとは思わないのか? ライスシャワーならまだまだGⅠで勝てるだろうに」
そう言いつつ、先輩は懐から取り出した棒付きキャンディーを咥える。その仕草から、この人煙草を吸ったら格好良さそうだな、なんてことを頭の片隅で思った。
「思いますけど、それ以上にライスが無事に競技人生を終えてくれる方が俺個人としては嬉しいですね。それが何ヶ月先、何年先になるかはまだわかりませんけど。今回は治らない怪我じゃなかったですけど、一生引きずるような故障をして引退なんてことになったら……なんて思うと、怖いです」
「ま、それもそうだな。俺もスズカがレース中に故障した時は、心臓が止まるかと思ったよ」
「左足の粉砕骨折でしたか……俺だったら心臓が止まってますよ」
眉を寄せながら俺は呟く。サイレンススズカも先日のライスと同様に、ウマ娘の限界を超えた走りを見せて故障したことがある。ただ、ライスよりも重篤な怪我で復帰は絶望的だったとも聞いている。
それが今では歩くどころか普通に走り、レースにも復帰し始めているのだ。サイレンススズカ本人に強い意志があるのもそうだが、先輩が献身的に支えたのだろう。
「とにかく、そこまで落ち込んでないならいいんだ。俺が渡した資料も摘まめるところだけ摘まみ食いして、あとは自分流に仕上げていくんだな」
「ありがとうございます。そうします」
俺は先輩に向かって頭を下げる。本当にありがたい、得難い資料をもらってしまったと俺は思ったのだった。
その日の放課後。
部室に顔を出したウララとキングが揃って衝立の向こうで着替え始め、俺はパソコンを前に年末年始に泊まる場所の決定を行っていた。ライスの帰省先周辺にある、温泉が良さそうなところを検索中である。夏の合宿以来、遠出する時は温泉に入るのが癖になってしまった。
年末ということで、今日のウララ達は比較的軽いメニューでトレーニングを行う予定である。キングは疲労も抜けたし、ウララは相変わらず元気だが、年末にまで筋肉痛になるレベルでトレーニングをさせるわけではない。帰省したら娘が筋肉痛で辛そう、なんてことになったら親御さんも何事かと思うだろう。
「トレーナー、あなた、さっきから何を調べているの?」
ライスの地元は観光地だけど、観光地だからこそ泊まる場所がたくさんある。それでも年末年始だからホテルも満室が多いな……なんて思っていたら、キングが衝立から顔を覗かせながら尋ねてきた。着替え中だから肩やら何やら見えているんだけど……はしたないですわよ?
「年末年始にライスの帰省に付き合うつもりでな。宿泊先を探してるんだ。それとキング、はしたないから着替え中に出てこないこと」
「見るのがあなたなら私は別に構わないわ。それで、ライス先輩の帰省に付き合う? それは……いえ、そうよね。ライス先輩の足のこともあるし、それも当然よね」
「ぱっと見、普通に歩けるけど足の骨が折れてるからなぁ……今はライスも時のウマ娘だし、帰省しようとして何かあったらまずい」
ウマ娘は日本で……というか世界でも大人気だし、おいそれと手を出すような奴はいないだろう。だが、今のライスは足が折れているのもあって、何かあった際に逃げることもできない。いや、走れないわけじゃないから逃げることはできるだろうけど、そんなことがあったら余計に怪我が悪化する。
俺はライスの実家から近く、温泉や料理の評価が高いホテルを見つけてすぐさま予約する。値段は年末年始とあって割り増しだが、せっかくの機会だ。というか値段が手頃な部屋は全部埋まっていて、高い部屋しか残ってなかったりする。
「あと、ライスの将来に関して親御さんとも話をしたいと思ってな」
「
「その辺も含めての話だなぁ……家庭訪問みたいで教師になった気分だわ」
トレセン学園は全国からウマ娘が集まってるし、普通の学校みたいに家庭訪問をするのは不可能だ。金と時間をかければできないこともないだろうけど、2000人前後のウマ娘が在籍しているのである。やろうとすれば全国を飛び回る必要があり、大金ととんでもない時間が必要になるだろう。
俺の言葉を聞いたキングは何を思ったのか、おかしそうにくすくすと笑う。
「あら、良いじゃない。私達にとってはレースやトレーニングに関して教わる師だから、あなたは立派な教師だと思うわよ?」
「いやいや、俺は教師ってガラじゃないしなぁ。そういえばウララとキングは年末年始はどうするんだ? 帰省するんだよな?」
一応、明日から三が日まではトレーニングも休みである。最近まとまった休みを取らせてなかったし、しっかりと英気を養ってきてもらいたいものだ。もちろん、帰省しても最低限のメニューはこなしてもらうが。
「わたしはねー、高知に帰ってパパとママに会ってくるよー! あと、地元の友達といっぱい遊ぶんだー!」
ウララは笑顔でそう宣言する。うん、ウララみたいな可愛い娘が帰省してきたら、親御さんもさぞ喜ぶことだろう。俺が親御さんの立場なら大喜び間違いなしだ。
「私は……まあ、実家に顔を出すつもりよ。今までなら帰るつもりはなかったけど、その……最近のお母様なら、話していてもそんなに苦じゃないもの」
キングは照れ臭そうにそう言う。うん……それは、とても良いことだ。完全に打ち解けたわけじゃないけど、キングもキングの母親も、お互い少しずつ歩み寄っているらしい。
まあ、歩み寄っているというか、最近のキングは母親に何か言われても気にしない……どころか、平然と言い返すようになっている。そうやってぶつかり合えば、自然と親子仲も改善されるだろう。
そんな会話をしつつ、俺はライスの実家への移動手段……飛行機の予約をする。ライスの実家は北海道の登別市らしく、かなり遠い。移動時間に目を瞑れば新幹線でも良いけど、7時間以上かかるから飛行機だ。
ただ、ライスが骨折してるから飛行機に乗ると足が痛むかもしれないんだよな……痛み止めを忘れないようにしないと……。
あとはライスの親御さん用に、空港でお土産を買って行けば問題ないだろう。
「一応、休日用に軽めのメニューを組んどいたからそれぞれこなしておいてくれ。もちろん普段通り準備運動と整理運動はしっかりな」
「うん、わかったー! おうちの近くにコースがあるからそこで走っとくね」
「うちは走れるぐらい広い庭があるし、問題ないわ」
休日用の練習メニューは鍛えるというよりも、鍛えた体が鈍らないようにする程度のものだ。負荷が少ないがその分怪我する可能性も極めて低い。あとはウララとキングの適性や能力に合わせてそれぞれメニューを組んでいる。
「さて、それじゃあ今年最後のトレーニング……っていきたいところなんだけど」
ウララもキングも運動用のジャージに着替え終わっているが、ライスがまだ来ていない。トレーニングをさせるわけではないものの、休んでいる間にどの筋肉がどれぐらいの期間でどれだけ衰えるかをチェックしたいところなんだが……あと、2億円のボーナスに関しても教えないと。
そうやって俺が考え、いっそこっちから迎えに行こうかな、なんて思っていたらライスが部室に顔を出した。ただ、その表情は少し悲しそうである。
「お、遅れちゃった……走れないと教室から部室までってけっこう遠いんだね……ライス、びっくりしちゃった」
そう言って儚げに微笑むライス。これまでは時間がない時は走ってくれば良かっただろうが、今は走るのは禁止だ。急ぎ足も禁止である。足に痛みが走らないよう注意しつつ、ゆっくり歩くことになる。
「悪い、迎えに行けば良かったかな……足は大丈夫か?」
「うん、ゆっくり歩いてきたから平気だよお兄さま。ライス、ちゃんと走らず歩いてきたよ?」
「おう、偉い偉い。治るまでは不便だろうけど、ゆっくりでも良いから確実に治していこうな?」
「うんっ! えへへ……」
俺がライスを褒めるように頭を撫でると、ライスはそれまでの表情を一変させて嬉しそうに笑う。走るどころか思うように歩くことも難しい現状に思うところはあるようだが、今のところはそこまで根深くないようだ。
「ああ、そうだ。俺はライスと少し話があるから、ウララとキングは準備運動を始めといてくれ」
「はーい!」
「……私達がいなくて大丈夫かしら?」
ウララは元気よく返事をして、キングは首を傾げながら部室から出て行く。それを見送った俺は、ソファーに腰をかけたライスと向き直った。
「ライス、これの中身を確認してくれ」
「これって……URAからの封筒?」
ライスは不思議そうに首を傾げるが、俺が言う通り封筒の中身に目を通す。そして目を丸くした。
「お兄さま……この2億円って……」
「秋のシニア三冠を獲得したボーナスだそうだ。税金があるから丸々入るわけじゃないけど、それでも半分以上ライスの手元に残るぞ」
ライスにはこれまでの賞金に関しても話はしていたが、さすがに一度に2億円というのは驚きだったらしい。そりゃ未成年の子がいきなり2億円をポン、と渡されたら驚くわな。
ただ、現金で2億円を渡されたわけじゃないし、ライスの驚き方は可愛らしいものだった。現ナマでドーンと渡されたら俺も腰を抜かすやもしれぬ。
ライスはURAからの書類をしげしげと眺めていたが、やがて嬉しそうに微笑む。
「将来のことを考えたら、お金はたくさんあった方がいいもんね」
「そうだな。お金はないよりあった方が良いぞ」
進学云々は別にして、生活するだけで金は減るのだ。ウマ娘だと食費も大きいし、金は多い方が良い。ライスもその辺りをしっかりと理解しているようで、これなら心配はいらないかもしれんなぁ。
世の中、お金に対して潔癖な子もいたりするが……その点、ライスは問題ないらしい。世の中金で買えないものもあるが、逆に言えば金が買えるものが大半なのだ。あればあるに越したことはない。
「お金はライスが管理するより、お兄さまに任せた方が良いよね?」
「ん? いや、今はライスが未成年だし俺がトレーナーとして管理してるけど、これはライスの金だからな?」
グッズの販売関係の利益とか、レースの賞金とか、そういったものの振り込みに関する手続きは俺がやっている。だが、そういったお金の振り込みはできても俺がライスの口座から金を引き出すのは当然不可能だ。
担当トレーナーが担当ウマ娘の口座の金を自由にできる、なんてことになったら洒落にならない事件が起こりそうである。
「そっか……お兄さまもたくさん稼いでるし、口座は別々でも良いんだ……でも共用の口座も必要じゃないの? ライス、そういうのってあまり詳しくないけど……」
「共用の口座? 靴とか蹄鉄とか、消耗品の購入に使う金ってことか? 以前も話したけど、その辺りは部費で買うから大丈夫だぞ? 経費処理できるし」
「え? そうなの? 蹄鉄はさすがに使わないけど、靴も経費処理できるの? ライス、知らなかった……お洋服も?」
「体操服や勝負服も部費で買ってるだろ?」
ウララの勝負服を購入する際、その辺りもきちんと理解したと思ったんだが……それに練習用の体操服やジャージも、古くなったり擦り切れたりすると新しいものを買って渡しているんだけど……。
「お洋服と言えば……ね、ねえ、お兄さま。ライス、どんな服装で帰ればいいのかな?」
「服装? 普段着でいいだろ?」
「普段着でいいの!?」
え? ライスの実家って普段着で帰っちゃ駄目なの? 俺が知らないだけで実はお嬢様だったのか? もしかして着るものも厳格に管理されてるんだろうか……。
「ち、ちなみにお兄さまはどんなお洋服にするの?」
「俺? さすがにライスの親御さんに会うんだし、それなりにかしこまった格好をするつもりだけど……フォーマル過ぎるのも逆に失礼だろうしなぁ」
「そ、そうなんだ……ライス、てっきりスーツかなって……」
スーツ? まあ、無難っちゃ無難な格好ではある。ただ、スーツ姿で旅行はちょっときついような……ライスの家に行く時だけ着替えれば良いけど、荷物が増えるのもなぁ。
でもまあ、さすがにカジュアル過ぎるのも問題だし、ジャケットにパンツでスマートカジュアルぐらいにしておけば問題はないだろう。あと、真冬の北海道は寒いだろうし、しっかりと外套も用意しないとな。
「今回俺はあくまで添え物だしな。重要なのはライスを支えることだし」
北海道は雪も積もってるだろうし、ライスが転ばないようしっかりと支えないとな。靴は滑りにくいやつで……スノースパイクとか持ってないけどどうしよう……空港で売ってるかな? 小さな歩幅で歩くと滑りにくいんだっけ?
「ええっ!? お、お兄さまは何も言ってくれないの!? 全部ライスが言うの!? ライス、こういうのって男の人が全部言ってくれるのかなって……」
「???」
なんだろう……さっきから気になってたけど、俺とライスの間に致命的な齟齬がある気がする。
「そりゃあライスの将来に関してだしな。俺も必要なことは言うし提案もするけど、一番大事なのはライスの意思だ。怪我が治ったらこのまま現役を続けるのか、それともある程度で引退して進学や就職に舵を切るのか……もちろん、ライスが続けたいなら何年でも現役でいいわけだしな」
一応、シニア級としてずっと走り続けるって道もある。ライスなら怪我から復帰すればしばらくGⅠを狙えるだろうし、GⅠで勝てないぐらい衰えてもGⅡやGⅢといったGⅠ以外の重賞を狙えるはずだ。
更に衰えて重賞で勝てなくなったとしても、走り続けたいという意思があるのなら重賞に挑み続けて良い。オープン戦という道もある。
ただまあ、毎年新しいウマ娘がトレセン学園の門を叩くし、シニア級も増えていくわけで……後進のためにもある程度で見切りをつける必要はあるだろうが。
「その辺りを含めて、ライスの将来に関して親御さんと話すべきだろ? 考えるにはまだ早いかもしれないけど、いつ頃まで現役を続けるのか。その後は進学するにせよ就職するにせよ、親御さんに連帯保証人や身元保証人を引き受けてもらう必要があるしな」
「…………」
俺の話を聞いたライスは、無言だった。だが、徐々に首から顔にかけて赤く染まり始め、数秒もしない内に顔が真っ赤になる。
「う、うんっ! そうだねっ! ライスの将来についてだよねっ! 大事だよねっ!」
「お、おう……大事だろ?」
昨日からずっと、
俺は顔を真っ赤にしてあわあわと大慌てなライスを見ながら、首を傾げるのだった。