リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第88話:それぞれの年末年始 その3

 ――キングヘイローの場合。

 

「……いくら帰省とはいえ、まさか自分から帰りたいと思うなんてね」

 

 年末のその日。キングヘイローは自身が生まれ育った邸宅の前に立ってそんなことを呟いていた。

 

 キングヘイローと同様に実家へ帰省しているハルウララやライスシャワーと比べ、キングヘイローの実家はトレセン学園からそこまで遠くない。高知や北海道と比べれば遥かに近く、電車を乗り継いで一時間もかからない内に帰ることができた。

 

 キングヘイローの母親の仕事の関係上、都内からほど近い場所に邸宅があるのである。かつてはアメリカ有数のウマ娘としてGⅠ7勝を挙げたキングヘイローの母親は、今では勝負服のデザイナーとして生計を立てている。

 

 作る勝負服はトゥインクルシリーズ――すなわち中央でGⅠレースを走るウマ娘のためのもので、トレセン学園がある都内に近い方が何かと都合が良いのだ。

 

 キングヘイローは自身の母親が勝負服のデザイナーとして非常に高名で、何の冗談かURAにも顔が利くという話すら聞いたことがあった。

 

 かつては輝かしい実績を残し、今でもデザイナーとして高名で、URAにも顔が利く。そんな母親のことをキングヘイローが強く意識するようになったのは、いつの頃だったか。

 

 母親のようなウマ娘になるのだ、母親のような()()()()()になるのだと思ってしまったのは、何故だったか。

 

 キングヘイローはかつての自分に対して苦笑を浮かべる。今でも意識していないといえば嘘になるが、それでもこうして自ら帰省しようと思えるぐらいにはキングヘイローも成長していた。

 

 ()()()()()()()()の顔を思い浮かべ、キングヘイローは凛とした表情に穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ただいま」

 

 そして笑顔を浮かべたまま、実家の扉をくぐった。

 

 キングヘイローの実家は普通の一軒家――と呼ぶには大きい。ウマ娘の名門メジロ家やライスシャワーの実家と比べれば小さいが、それでもいくつもの部屋があり、中には書斎やキングヘイローの母親が使う仕事用の部屋なども存在する。

 

 世間一般から見ればキングヘイローは立派なお嬢様と呼べる立場で、ハウスキーパーなども雇っているほどに裕福な家庭だった。

 

「……あら、帰ってきたのね」

 

 リビングに足を踏み入れると、キングヘイローの母親が優雅に紅茶を飲んでいた。そして意外なものを見たようにキングヘイローへ視線を向けると、ティーカップを置きながら口を開く。

 

「やっと帰ってくる気になったのね。自分の置かれた境遇と才能をようやく理解して――」

「そんな話はどうでも良いわ。というか、世間は年末年始よ? 学生なんだから帰省ぐらいするでしょう?」

 

 以前、電話越しによく聞いていたような話を口に出そうとした己の母親をすぱっと切って捨てるキングヘイロー。その切れ味は鋭く、一刀両断だった。

 

「ウララさんも実家に帰省したし、トレーナーもライス先輩の怪我が心配で帰省に付き合っているし、トレセン学園の寮に残っていても暇なのよ。自主トレーニングぐらいしかやることがないし、さすがに私も帰省しようと思っただけ」

「……そう。でもいいこと、キング。そんな姿勢では来年のシニア級のレースで勝つことなんて――」

「それもそうね。トレーナーから渡された練習メニューをこなさないといけないし、庭を借りるわよ。ああでも、少し狭いかしら? ちょっと外も走ってくるわ」

 

 キングヘイローは時間を確認する。今からトレーニングをしていれば、夕食に丁度良い時間だ。そのため母親の言葉を遮るようにして打ち切ると、キングヘイローは荷物を自室に置いて体操服に着替え始める。

 

「…………」

 

 そんなキングヘイローを、キングヘイローの母親はしょぼんとした顔で見送った。

 

 

 

 

 

 その日の晩。

 

 キングヘイローの母親は、きりっとした顔で娘であるキングヘイローと一緒に食事をとっていた。

 

「それで? あなたの新しい担当トレーナーはどんな方なのかしら?」

 

 キングヘイローの母親はこれまでとは違う切り口から話を振る。以前と比べて精神的なタフさを感じるようになった娘に、どんな話題を振れば良いかわからなかったのだ。

 

「トレーナーがどんな人か……そう、ね……」

 

 キングヘイローは脳裏にトレーナーの顔を思い浮かべた。

 

 キングヘイローから見たトレーナーの顔は、特別整っているというわけではない。少なくとも世間一般で俗に言われるイケメンではない。だが、不細工かと言われればそれも違う。落ち着きがあり、温かみがある老木のような顔だとキングヘイローは思っていた。

 

 老木と言っても老けているという意味ではない。時折見せる仕草や表情が、二十歳を僅かに超えた程度の男性のものとは思えないほどに落ち着いて見えるからだ。

 

 それでいて時には子どものような笑顔を浮かべ、時にはハルウララやライスシャワーと一緒にはしゃぎ、時には真剣な顔になる。

 

 そして時折見せる、自身が育てるウマ娘の勝ち負けで涙を流す姿。それが不思議なことに格好良くも可愛らしく思えるような()()だった。

 

「多分、私にとって最高に相性が良いトレーナーなんでしょうね。あの人の言うこと、あの人の指示、あの人の立てたトレーニングメニュー……全部がしっくりとくるの。私を強くするため、私をレースで勝たせるために全力を尽くしてくれる……そんな人よ」

 

 穏やかに微笑みながら、キングヘイローが語る。その表情は大人びて見え、キングヘイローの母親は思わず閉口してしまった。

 

「あなた……少し、大人になったわね」

 

 それでもキングヘイローの母親は絞り出すようにしてそう呟く。それは心からの言葉で、それを聞いたキングヘイローは目を瞬かせ――柔らかく微笑む。

 

「もしそう見えるのなら、あの人が私を()()()()()()()()のかもしれないわね」

「っ!?」

 

 ガンッ、と音を立ててキングヘイローの母親が椅子に足をぶつけた。その激しい物音に、キングヘイローは何事かと眉を寄せる。

 

「ちょっとお母様? 今、ものすごい音が……」

「足元に虫がいて驚いたのよ」

「え? でも今は冬で」

「足元に虫がいて驚いたのよ」

「そ、そう……」

 

 虫がいたのなら仕方ないわね、とキングヘイローは呟く。キングヘイローの母親は大きく深呼吸をすると、気を取り直したように表情を厳しいものへ変えた。

 

「でも、あなたが出走したレースを見る限り、本当にそのトレーナーは信用できるのかしら? スプリンターズステークスから一ヶ月も経たない内に菊花賞に出して、そこからマイルチャンピオンシップに出して――」

「それ、私がお願いしたのよ。スプリンターズステークスは()()()()()()()()()()()()にね。菊花賞は元々出ようと思っていたレースだったし、マイルチャンピオンシップはJBCスプリントでのウララさんの走りを見て、私もGⅠに出たいと思ったの」

「……あ、そうなのね……」

 

 キングヘイローの母親の勢いが完全に止まる。しかしすぐさま我に返ると、再び表情を険しいものに変えた。

 

「仮にあなたが望んだことだとしても、そんな無茶を止めるのがトレーナーの役目よ」

「無茶……ふふっ……ええ、そうよね。無茶だって思うわよね」

 

 だが、自身の母親が厳しい声色で話しているにも関わらず、キングヘイローはどこか楽しそうに、嬉しそうに笑う。

 

「でもね、あの人は私の背中を押してくれたわ。私だけじゃない、あの人にも負担がかかるってわかっていたはずなのにね……強く止めもしないで、『俺もそうしたいから』だなんて言って……本当、おばかな人なのよ」

 

 もしかして惚気られてる? とキングヘイローの母親は思った。そして同時に、何故自分の娘がここまで精神的にも強くなったのかを垣間見た気分になった。

 

 ウマ娘にとって、信頼できるトレーナーの存在は非常に大きい。

 

 相性が良く、信頼ができて、強くしてくれて、自分の背中を押してくれる。そんな要素が揃ったトレーナーに出会えるウマ娘は、はたしてどれほどいるか。

 

 ()()()()()()()()とキングヘイローが出会ったのだ。キングヘイローの母親はそう痛感した。

 

「……でも、いくら相性が良いトレーナーが担当していると言っても、あなたの才能には限界があるわ。チームメイトのライスシャワーさんぐらい才能があれば話は別だけど、あなたでは遠からず限界がくる。だから不様を晒す前に家に帰ってきなさい」

「あら、おかしなことを言うのね? 才能? このキングの才能に限界があるとしても、それはまだまだ先のことだわ。それにあの人と一緒に進むのなら、才能なんてなくても乗り超えていけるもの」

 

 キングヘイローの母親は棘のある言葉をぶつけるが、キングヘイローは揺らがない。

 

「私はチームキタルファのキングヘイローよ。ウララさんにライス先輩、そして何よりもあの人と一緒に強くなるわ。そしてゆくゆくは全距離のGⅠで勝つの。見ていてちょうだい、お母様。私があなたの娘と呼ばれるのではなく、あなたがキングヘイローの母親って世間に呼ばれる日が近付いているわよ?」

 

 そう言って、自信ありげにキングヘイローは笑う。それは過信ではなく確信だ。自身のトレーナーと一緒に道を進んで行くのなら、きっと叶うと信じて疑わない。

 

「全距離の……GⅠで勝つ? 本気で言っているの?」

「もちろん本気よ。既に短距離とマイルでGⅠを獲ったわ。あとは中距離と長距離……本当は全距離重賞制覇なんて目標だったのだけど、目指すならより高い目標じゃないとね」

 

 キングヘイローの母親は、日本のウマ娘で全距離でGⅠを勝った者がいただろうか、と記憶を探る。重賞でならいるが、GⅠではいなかったはずだ。自身の娘がそれに挑むと聞き、キングヘイローの母親は思わず苦笑してしまう。

 

 たしかにそれが叶えば、世間からも称賛を浴びることになるだろう。ただし、キングヘイローの世代は綺羅星の如き才能を持つウマ娘達が集まっている。

 キングヘイローを含めて黄金世代と呼ばれる面々がGⅠの冠を奪い合い、GⅠでは毎回のように上位を独占するような有様だ。

 

 その黄金世代の中でもキングヘイローはGⅠ2勝と頭一つ抜けた実績を残しているが、選手層が比較的薄い短距離やマイルはまだしも、中距離や長距離のGⅠは常に黄金世代同士でぶつかり合うことになる。

 

 黄金世代と呼ばれずとも、強いウマ娘は他にも何人もいるのだ。キングヘイローが掲げた目標は無理難題もいいところである。

 

 だが、キングヘイロー本人はそれを叶えると、それが叶うのだと信じて疑わない。その根底にあるのはトレーナーへの信頼感であり、これまで培ってきた己への自負だ。

 

 キングヘイローの真剣な瞳を見て、キングヘイローの母親は諦めたようにため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 そうやって夕食が終わり、キングヘイローは自室に戻ろうとする。だが、それよりも先にキングヘイローの母親が何かを思い出したように口を開いた。

 

「ああ、そうそう。戻ってくるなりすぐさまトレーニングに向かったから伝え忘れていたけど、書斎は一部の棚が古くなっていて危ないから入らないようにしてちょうだい」

「そうなの? わかったわ」

 

 自身の母親から告げられた言葉に、キングヘイローは素直に頷く。それで怪我でもすればトレーナーに迷惑がかかるし、悲しむと思ったのだ。

 

 キングヘイローは自室に向かう。そしてその途中で思わず呟いた。

 

「もう……お母様ったら相変わらずなんだから」

 

 何かにつけて否定するようなことばかり言う母親に、キングヘイローは拗ねたように呟く。しかし以前より反発を覚えなくなったのは、トレーナーから母親との付き合い方に関してあれこれと言われたからか。

 

「……あら、なにかしら?」

 

 先ほどまでの会話を思い出していたキングヘイローだったが、ふと、ウマ娘としての優れた聴覚がかすかな物音を捉えた。その音は書斎から聞こえたが、何か軽いものが床に落ちる音だとキングヘイローは判断する。

 

 キングヘイローは廊下を歩き、書斎の扉の前に立った。書斎には入るなと言われたが、物音がしたのではさすがに気になってしまう。

 

(棚が壊れたのかしら? さすがにネズミや他の動物が入り込んでるってことはないでしょうけど……)

 

 危ないとは言われたが、まさか扉を開けた瞬間書斎の棚が崩落するようなことはないだろう。そこまで危険な状態だったなら、母ももっときつく止めるはずだ、とキングヘイローは思った。

 

 どうせやることもない。棚が崩れて本が散らばったのなら、片付けておこう。

 

 キングはそんなことを考えながら書斎の扉を開けた。一度気になってしまった以上、確認しておかなければ落ち着かないのだ。そして扉の横にあった電気のスイッチを入れる。

 

 書斎と言っても10畳ほどの部屋に本棚が並べられ、あとは机や椅子が置かれているだけだ。キングヘイローは何が落ちたのかと床へ視線を向け、思わず目を見開く。

 

「えっ……?」

 

 そこに落ちていたのは、予想だにしない物体だった。何故こんなものが落ちているのか、そもそも何故こんなものがこの場所に存在しているのかと、キングヘイローは強く困惑する。

 

 書斎の床に転がっていたのは、キングヘイローをデフォルメした勝負服姿のぬいぐるみだった。二頭身で大きさは30センチ程度、フェルト生地の髪はキングヘイローを模した鹿毛で、にっこりとした笑顔で困惑するキングヘイローを見上げている。

 

「私の……ぬいぐるみ?」

 

 キングヘイローは確認するように呟いた。

 

 グッズ化すると聞いていたし、もうじきグッズが発売されるとも聞いていた。だが、まだ市場には出回っていない代物である。

 

 何故こんなものがあるのか、と思いながら書斎の中を調べてみると、ぬいぐるみが落ちていた傍の本棚に布地がかけられているのが見えた。キングヘイローはこの場所の本棚に布などかかっていただろうか、などと思いながら何気なく布地をめくる。

 

「…………」

 

 そして、思わず絶句した。

 

 本来本棚にあったはずの本がなく、その代わりにぎゅうぎゅう詰めになったぬいぐるみやキーホルダー、ブロマイドやカレンダー等々、今後発売されるであろうグッズが本棚を占領していたのだ。

 

 おそらくはぎゅうぎゅう詰めになっていたぬいぐるみの一つが押し出され、床に落ちてしまったのだろう。偶然キングヘイローがそれを聞き取ってしまったのだが、問題はそこではない。

 

 何故、まだ発売されていないキングヘイローのグッズが全種類、それも大量に本棚に詰め込まれているのか。

 

 キングヘイローはウマ娘として優秀なだけでなく、勉学においても優れた成績を残している。同年代の者と比べれば頭の回転も速いだろう。

 

 だがしかし、さすがに目の前の出来事は理解できなかった。むしろ脳が理解を拒んでいた。

 

「なんで扉が開いて……っ!?」

 

 そんなキングヘイローの元に、母親が姿を見せる。そしてぬいぐるみを手に持ち、本棚に押し込まれたグッズを見て固まっているキングヘイローの姿に、母親も固まってしまった。

 

「……お母様……その、このグッズ類は……」

「…………グッズの製造メーカーの知り合いが……私の娘のグッズが発売されるからと言って見本を持ってきた……のよ……そう、そうなの!」

「こんなにたくさん……?」

「複数の人から贈られたのよ! でもまだ発売されていないものを処分するわけにもいかないでしょう? だからそこに置いていたのよ!」

 

 慌てた様子でそう話す自身の母親の姿に、キングヘイローは手の中のぬいぐるみへと視線を落とす。はたして自分はこんな笑顔を浮かべたことがあっただろうか、と疑問を抱くようなにっこりとした笑顔だ。親友のハルウララならこういった笑顔も似合うのだろう、などとキングヘイローは現実逃避する。

 

 キングヘイローの母親はあちらこちらに顔が利く。娘であるキングヘイローのグッズが発売されるとなれば、その見本を届ける者もきっといるだろう。

 

 キングヘイローはそう思った――そう思うことにした。

 

「……発売前のものを捨てるわけにもいかないわよね」

「ええ! そうでしょう!」

「ええ……そうね。そうだわ」

 

 キングヘイローはそっと、自分をデフォルメした笑顔のぬいぐるみを本棚に戻す。ぎゅうぎゅう詰めの場所を避け、比較的スペースが空いていた場所にそっとぬいぐるみを置く。

 

 そうして振り返ってみると、キングヘイローの母親がこれまでにないほど焦っているのが見えた。それを見たキングヘイローは柔らかく微笑むと、一つ頷く。

 

「……それじゃあ私、部屋にいるから」

「え、ええ……ゆっくり休んでちょうだい……」

「うん……お母様もゆっくり休んでね?」

 

 そう言って、キングヘイローは書斎を後にした。

 

 それ以上、何も追求しない優しさがキングヘイローにはあったのだ。

 

 

 

 

 もういくつ寝るとお正月。

 

 ――新たな年を迎える前に、キングヘイローはまた一つ大人になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――スマートファルコンの場合。

 

 トレセン学園には様々な設備が存在する。

 

 練習用コースやプール、ウマ娘達が生活する寮や怪我をした際に世話になる保健室。勉学に励む教室に雨の日でも運動ができる体育館。それにトレーニング用ジムに、ウイニングライブで踊るダンスを練習するためのダンススタジオ。

 

 そんな設備の内の一つ、ダンススタジオに年末にも関わらず一人のウマ娘がいた。

 

 最早外は真っ暗で、一体いつからダンスの練習をしていたのか、額には大粒の汗が浮かんで床に雫を落としていく。しかし額に浮かんだ汗を拭うこともなく、そのウマ娘はひたすらダンスの練習に励んでいた。

 

 ウマ娘にとって、ウイニングライブで踊るダンスの練習も重要なトレーニングの一つだ。集まったウマ娘ファンに見せるとあって、手を抜けるものではない。ダンスだけでなく歌の練習も必須といえるが、そのウマ娘――スマートファルコンは一心不乱にダンスを踊っている。

 

「いっちに、いっちに」

 

 鏡に映った自分の姿を見ながら、笑顔で踊るスマートファルコン。レースを走り終えた疲れた状態でもきちんと踊れるようにと、今日の練習メニューをこなした上での練習である。

 だが、ウマ娘のダンスは下手なスポーツよりも運動量がある。スマートファルコンは息が荒れそうになるのを抑えつつ、笑顔でダンスを踊り続ける。

 

 そうして踊るスマートファルコンの脳裏にあったのは、とあるウマ娘の笑顔だ。

 

 ()()()()()()自然で綺麗で魅力に溢れた笑顔。その笑顔は一目見たウマ娘ファンを魅了し、そして、スマートファルコン自身をも魅了した。

 

 明るく、無邪気に笑うウマ娘――ハルウララの笑顔が、スマートファルコンの脳裏から消えない。

 

 スマートファルコンが初めてハルウララというウマ娘を認識したのは、昇竜ステークスの時である。

 

 ハルウララが観客に向ける笑顔と、観客から向けられる声援。その二つがこびりついたように離れない。

 

 スマートファルコンと同じように、ダートを主戦場とするウマ娘。

 

 スマートファルコンと同じように、何度もレースで勝ってレコードを塗り替えている強いウマ娘。

 

 ――スマートファルコンと違って、ウマ娘ファンに心から好かれるウマ娘。

 

 それが、スマートファルコンのハルウララに対する評価だ。そしてそれは、間違っていないだろうとスマートファルコンは思う。

 

 12月に入ってハルウララとぶつかったチャンピオンズカップ。結果はスマートファルコンの勝利で、ハルウララは3着だった。

 

 その勝利によってスマートファルコンはGⅠ3勝目である。これは同期のウマ娘の中でもトップの成績だ。

 

 ハルウララはGⅠ1勝。他にも多くの有力ウマ娘がGⅠ1勝で留まっている点を思えば、別段ハルウララの評価が下がるわけではない。むしろ、スマートファルコンの中ではハルウララに対する評価は日に日に強く、大きくなっていく。

 

『ハルウララのおかげで引きこもりから抜け出せました! ハルウララは負けたけど生で見れただけでサイコーです!』

 

 チャンピオンズカップの翌日、新聞にはそんなコメントが載せられていた。

 

『ハルウララ、3着で敗れる!』

 

 さすがに1着のスマートファルコンより扱いが小さかったが、それでも3着のウマ娘とは思えないほど大きな扱いで記事が載っていた。

 

 ――()()()()()()

 

「いっちに、いっちに☆」

 

 スマートファルコンは踊る。誰にいつ見られてもいいようにと、笑顔で踊る。

 

 何かが足りないのだ。ウマドルを目指すスマートファルコンにあって、ハルウララにないものがある。逆に、ハルウララにはあって、スマートファルコンにはないものがある。

 

 スマートファルコンはクラシック級では唯一の、GⅠ3勝。ダートではあるが、GⅠで3勝したのだ。

 

 それだというのに、ダートに限れば世間の人気はスマートファルコンよりもハルウララに軍配が上がっている。仮に芝のウマ娘を含めてもハルウララの人気は上位、おそらくは5本の指に入るだろう。

 

 G1で1勝するだけでもウマ娘史に名前が残る。いや、GⅠどころかGⅡやGⅢを含めた重賞、あるいはオープン戦に勝つだけでも名前が残るだろう。

 

 ダートとはいえ、GⅠは重賞の中でも特別だ。そんな特別なレースを3度制したというのに、世間の評価はスマートファルコンが思うほど高くない。

 

 もちろん、()()()()()()()()()は凄まじく高い。ダートとはいえ同世代ではGⅠ勝利数でトップなのだ。それで評価が低ければ、何を基準にすれば良いのかとスマートファルコンどころかURAでさえ困るだろう。

 

 だが、スマートファルコンが望む評価は得られていない。ウマドルとしての人気は、思うほど得られていない。

 

 今のクラシック級ではGⅠで3勝どころか2勝したウマ娘すら一人――いや、二人しかいない。

 

 ハルウララと同じくチームキタルファに所属するキングヘイロー。そして、有記念を回避して東京大賞典に出たエルコンドルパサーの二人だ。

 

 どうせハルウララが出ないだろうから、とスマートファルコンが回避した東京大賞典。それを制したのがエルコンドルパサーだった。

 

 だが、別にそれは良い、とスマートファルコンは思う。いや、やはり良くない、ともスマートファルコンは思う。

 

 相反する気持ちを抱く理由は単純だ。スマートファルコン自身、まだ思いが定まっていないからだ。

 

「いっちに、いっちに☆」

 

 スマートファルコンは踊る。テンポを上げて、笑顔で踊る。

 

 その脳裏に浮かんだのは、春の陽だまりのような温かい笑顔を浮かべるハルウララの姿。可愛らしい勝負服で身を包み、ファンだけでなくスマートファルコンをも魅了したその笑顔を思い浮かべる。

 

 しかし足りない――足りないのだ。

 

 自分はハルウララではない。自分はあの子にはなれない。スマートファルコンはそれを理解している。

 

 つまり、足りないのなら()()()()で補う必要があるのだ。

 

「ふふっ――ファル子って呼んでね?」

 

 鏡に映ったスマートファルコンの口元は、歪な笑みに歪んでいた。


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