「……16、17、18、19……二名除いて、他の生徒たちは無事か」
ベージュのコートと帽子を身に付けた、いかにも刑事らしい見た目の刑事――塚内直正は、施設の入り口前に集められた生徒たちの人数を数え、呟いた。
塚内ら警察が通報を受け、雄英高校へ到着したころには既に事態は収束していた。警察が
もっとも、決して非難の意図はないが、プロヒーローたちの仕事が完璧だったわけではない。
主犯格と思しき二人の人物――それぞれ死柄木、黒霧と呼ばれていた
塚内は、ほとんどの人間が知らない、オールマイトの事情を知っている。しかし、活動時間の制限こそあるものの、それでも木っ端の
オールマイトからは警察としても、あるいは個人としてもまだ詳しい話を聞けていないが、彼がその場にいて取り逃すほどなのだから、いくらプロヒーローが大勢いたと言ってもどうしようもなかったということは十二分に考えられた。
ただ、そもそも敷地内への
「刑事さん、あの……」
ふと、カエルを連想させるコスチュームを身に纏った生徒の一人が、塚内に話しかけてきた。
塚内は彼女の表情、そして他の生徒たちの暗い表情を見て、すぐに察する。
「……怪我人たちの、容態かい?」
生徒たちの大半がやはり頷いたので、塚内はひとまず自身が把握している限りを話す。
「……まず、オールマイトと彼の近くに倒れていた少年は、保健室で対応可能な範囲だそうだ。今頃はリカバリーガールの下で安静にしているだろうから、心配しなくていい」
「デクくん……よかった」
塚内は生徒の一人がそう呟いたのをちらりと見つつ、さらに続ける。
「救急搬送されたのは13号とイレイザーヘッド、そして白い髪の少女だな。13号は背中から上腕にかけての裂傷がひどいが、命に別状はなしとのことだ。で、イレイザーヘッドと、少女の方だが……」
塚内は、こういうこともあろうかと聞いておいた搬送先の病院へと電話をかけ、しばらくやり取りをする。それから端末をスピーカーにし、それを生徒たちに聞こえるよう差し向けた。
『相澤さんは右腕の粉砕骨折、顔面骨折……幸いにして脳系への損傷は見られませんし、後遺症も残るようなことはないでしょう。それから雪柳さんの方ですが、現在も緊急手術中ですので、現段階では詳しくはお答えできません』
「……だ、そうだ」
「き、緊急手術って……い、命は、命は助かるんですよね!?」
白い少女の怪我の一部始終を唯一目撃し、救急車で運ばれていくギリギリのところまでその傍に付き添っていたらしい透明な少女が、悲痛な声を上げた。
電話口の病院関係者が、一瞬言葉を詰まらせるのがわかった。
『申し訳ありませんが、今の段階ではわたくしからはなんとも……』
「そ、そんな……!」
「葉隠!」
「葉隠さん!」
こびりついた血によって浮かび上がっている透明な少女の肩のシルエットが、突然、がくっと下がる。どうやら膝から崩れ落ちてしまったらしく、傍にいたピンク色の少女と茶髪の少女が咄嗟に声をかけるが、彼女たちもまた沈痛な面持ちで目元に涙を滲ませていた。
塚内は険しい顔でその様子を見つめながら、礼を言って電話を切る。
きっと大丈夫だ、などと気休めを言う気にはなれない。塚内はあの白い少女の様子を遠目に見たが、かなり容態が芳しくないように思えた。
長年刑事をやっていれば、到着した現場で大怪我をした人間を見る機会はままある。その経験から言って、あの白い少女はどっちに転んでもおかしくない、というのが正直な見立てだ。電話口の相手がついぞはっきりしたことを言わなかったのも、本当に容態がわからないというよりは……などと勘ぐってしまう。
なんにせよ、生徒たちからの事情聴取は、少なくとも今日のうちには難しいだろう。
人並みに気にはかかるが、それでも生徒たちのメンタルケアは本職の教師たちに任せることとして、塚内は自分の仕事へと戻っていった。
※ ※ ※
夢を見ていた。
昔の夢だ。
お父さんがいて、お母さんがいて、お姉ちゃんと、
お父さんはずっと俺の自慢で、憧れだった。何せ、プロのヒーローで、毎日
現代の超人社会でヒーローに憧れない子どもなんていない。男だったらなおさらだし、自分の父親がヒーローとまでくれば、憧れるなという方が無理な話だ。俺は、そうだった。
お母さんのことは、今思い返すとお父さんよりずっと大好きだった。いや、そんな言い方をしたらお父さんに悪いんだけど、でも、お父さんは仕事が忙しくてあまり家にいなかったから、触れ合った時間はどうしたってお母さんの方が多かったのだ。きっと、同じ屋根の下にいた時間では倍ほども違うのではないだろうか。
幼稚園の頃からやんちゃだった俺はしょっちゅう叱られていたけど、それが愛情の裏返しだったことが今ではよくわかる。というか、叱られまくったのはイタズラばかりしていた俺が悪かったのだ。それに、叱りはしても怒りはしないような人で、叱られた後に拗ねて不貞寝する俺のことを、布団の上からいつも優しく撫でてくれた。
お姉ちゃんのことも大好きだった。お姉ちゃんはほんの二個上だったけど、俺とは違ってとても落ち着いていて、優しい人だった。
お姉ちゃんは大人しい性格もあってか、ヒーローを目指していた感じではなかったように思う。でも、流石にヒーローの娘だけあってか正義感は強くって、クラスで起こったいじめを率先して解決した、なんて話を人づてに聞いたことがあった。自慢の姉だった。
昔の夢だ。
今はもう、誰もいない。
※ ※ ※
ピ、ピ、という規則正しい電子音が聞こえてくる。
なんだか聞き覚えがあるな、と、思った。
「……ぅ」
小さく呻きながら薄目を開けると、鼻と口をすっぽり覆う透明なマスクが曇るのが見えた。
なんだこれ、と思って、ぼんやりする頭でぼんやり考えてみる。軽く数分は考えて、ようやく人工呼吸器という単語が浮かんできた。
「雪柳」
ふと、声が降ってきた。
ただただ意識があるから目を開けていただけで、その実なんにも認識していなかった私だったが、その声でようやく目の前のものを見た。
黒くて長いボサボサ。黒づくめ。
顔は包帯でぐるぐる巻きになっていて目元しか見えないが、相澤先生だとすぐにわかった。
「……ぉぁょーぉゃぃぁふ」
「もう夜だ」
「……ぅぇ?」
なんか、三日ぶりに喋ったみたいな間の抜けた声が出てしまったが、相澤先生はしっかり理解してくれたらしい。
彼は私の頭の上の方に手を伸ばしたあと、再び口を開く。
「今、ナースコールしたからすぐに看護師がくる。雪柳、俺が誰かわかるか」
「……ぁい、ざわせんせぇ」
「……受け答えは大丈夫そうだな」
うーん、本当に大丈夫だろうか。なんか、口というか舌に力が入らない。ただの寝起きにしてはちょっと……いや待った。ただの寝起きで、どうして相澤先生がいるんだ。ナースコール、それに看護師って言ってたし……病院? や、そう言えば人工呼吸器付けてるしね? 頭を動かすのは億劫だが、視界に入っている天井にも見覚えがないし、さっきからぴっぴこうるさいのって、心電図じゃんね?
平常時には程遠いけど、段々頭が回ってきた。
でもまぁ、どうせ平常時でも大して回らない頭だし、誤差みたいなものだろう。
――そして、それからひとまずの軽い検査を受けているうちに、何があったのか思い出してきた。
USJだ。USJで、
私は相澤先生を助けようと出しゃばって、あの黒くてデカい
あの時の痛みを思い出してちょっと心拍数が上がってしまい、お医者さんを慌てさせてしまう一幕があったが……とりあえず簡単な検査や問診は終わって、人工呼吸器は外してもらえた。
「相澤先生、怪我、大丈夫ですか?」
ベッドの傍の丸椅子に腰掛けた相澤先生に尋ねる。
簡単な検査とは言っても一時間以上はやっていたはずなのだが、相澤先生は律義に待っていてくれたらしい。
寝っ転がりながら担任の先生と話すのは据わりが悪かったが、まだ身体は起こすなと言われたので仕方がない。
「……ああ、大丈夫だよ。リカバリーガールの処置が大げさなんだ。しばらくは包帯まみれだろうが、問題ない……お前のおかげでな」
「へ? 私のおかげ、ですか?」
てっきり盛大に出しゃばったことを怒られるんだと思ってたのに、相澤先生の口からは意外な一言が零された。
「ああ。あのまま脳無……あのデカい
「説教されると思ってました」
「それは後でだな。教師として、プロヒーローとしてはお前の行動は絶対に褒められん。だから今のは、あくまで個人的な感謝だ」
あ、後では怒られるんですね……。
まぁなんにせよ、可能性を潰した程度でも、私の行動に意味があったならよかった。相澤先生の身に取り返しのつかないようなことが起こっていたらと思うと、背筋が凍りそうだ。
「他のみんなは、無事ですか?」
「ああ、無事だよ。緑谷がまた個性でやらかしたのと、オールマイトが
「うわぁ……そりゃあ心配かけましたよね……」
オールマイト先生があの場にやって来ていた、というところからしてもう記憶がおぼろげなのだが、葉隠さんが必死に声をかけてくれていたり、梅雨ちゃん、緑谷くん、あとは峰田くんが応急処置をしてくれていたことをギリギリ覚えているくらいだ。
たぶん、他にも私の惨状を目の当たりにした人はいるだろうし、あまり気に病み過ぎていないといいのだが。
「……それと、雪柳。お前の、左腕のことだがな」
「あー……どうしましょうね? 片腕でヒーローとか、だいーぶ厳しい気がするんですけど」
先ほど、お医者さんから一通り説明はされている。
そもそも私、出血がひどすぎて普通に死にかけていたらしい。応急処置が遅れていたり、あと数分でも輸血が遅くなったりしていたら心臓が止まっていた、と。
また、そうでなくても脳に酸素が行き渡らず、目を覚まさない可能性や脳機能に重篤な後遺症が残る可能性も高かったらしい。今日のひとまずの検査では異常は見られなかったが、明日改めて精密検査をするとかなんとか。
あとは頭を打っての頭部出血があったらしく、外傷的な方でも脳系の異常が懸念されたそうだが、これもやっぱり今のところは問題なさそうで、明日の検査の結果次第らしい。
その他、頭の怪我の原因も同様だが、あの大男の
呼吸に支障が出る肋骨の骨折、それと目立つような傷だけは、病院に出張してきてくれたリカバリーガールが個性で治癒してくれたのだという。しかし、当然体力も大幅に消耗していたため、本当に最低限度しか治せなかったそうだ。道理で身体中が痛いしだるいわけである。
そして、あとはまぁ、左腕。
私の個性は、別に片腕がなくても問題なく使える。元々格闘戦なんてできないし、
しかし、
救けを求める誰かに差し伸べる手が、片方しかない。
それはヒーローとして致命的なのではないだろうか、と、私は思わざるを得なかった。
だが、相澤先生は首を横に振った。
「雄英教師のエクトプラズムは知っているな? 彼は昔、
エクトプラズム先生。数学の先生だ。既に二回ほど授業を受けているので、もちろん知っていた。
言われてみればエクトプラズム先生の脚は、なんというか棒だった。個性の影響か何かかと思ってたけど、義足だったとは。
「あれですか、サポートアイテムみたいな扱いになるんですかね」
「そういうことだ。まぁ、日常用とヒーロー活動用で使い分けてる人間が多いがな」
まぁ、超人社会以前や超常黎明期だったらともかく、今の時代の義手義足の発展はすごいって前にテレビでやってたし、結構なんとかなるかもなぁ。いやはや、良い時代に生まれたな。
「それならまぁ、よかったです。せっかく特別スカウト枠なんて大層な名目でヒーロー科に入学したのに、普通科とか行くことになっちゃったらもったいないですもんね」
義手っていくらくらいするのかなーとか、心配するべきことはまだまだあるけども。
まぁとりあえず、命が助かってラッキー、ってくらいに思っておけばいいだろう。後で考えればいいことは後で考えよう。
「義手のこと、学校への復帰なんかの細かい話は、また後日にしよう。俺じゃなく、他の先生と話し合ってもらうことになるかもしれないがな」
「そうですか……あれ、そう言えば私、どのくらい寝てたんですか? 今日、何曜日ですか?」
「医者に聞いてないのか……奴らの襲撃から丸三日、今は土曜の夜だ。木曜日は臨時休校になって、昨日と今日は平常通りに授業があった。明日は休みだよ」
「はー、なるほど……復帰、いつできますかねぇ」
「医者と、自分の身体と相談するしかないだろう。ただ、今は焦るなよ。焦るのは身体がきちんと治ってからでいい」
まったく焦るなと言わない辺り、リアリストっぽい相澤先生らしい。治療に専念して早く治す方が合理的だ、とか言うんだろうな。
「治療に専念してさっさと治した方が合理的だ」
「うわ、本当に言った」
「は?」
「あっ……や、なんでもないです」
包帯から覗く目がジトっとした。こわぁ。
「……とりあえず、お見舞いありがとうございました。こんな遅くまで、すいません」
部屋の時計を見れば、既に11時を回っている。相澤先生の言葉然り、すぐそこのカーテンから光が漏れていないこと然り、当然夜の11時だ。
普通、病院の面会ってこんなに遅くまで許可されないと思うんだけど……特例なのだろうか。何はともあれ、相澤先生だってまだ包帯でぐるぐる巻きなんだから、ご自愛していただきたい。
相澤先生は「気にするな。それじゃあな」と、片手を上げて去っていった。