第22話 雪女とコードネーム
振替休日の二日目。
私は朝から大惨事に見舞われていた。
まずそもそも、朝方に目を覚ました私は何故かフローリングの上で眠っていた。身体がバキバキに固まっていてクソ痛いし、しかもどういうわけか全身がびっちゃびちゃに濡れていたのだ。
で、呆然としながら床を見ると、一面これまたびっちゃびちゃのびちょんびちょん。
洪水? 水漏れ? と水浸しの床を見つめながら寝ぼけ頭をフル回転させ、次第に覚醒していって……思い出した。
「……やらかした……」
洪水でも水漏れでもない。顔を上げると部屋の真ん中に鎮座する氷塊。
この惨状、私が生み出したものだ。
昨日、私は個性伸ばしの訓練を開始した。
具体的には、操作可能なギリギリの重さの氷を生成して、それを動かすことで個性に負荷をかけてみたのだ。
すると、私は段々と頭痛に苛まれていった。目の奥にジンジンと響くような、我慢できなくもないけどかなり不快な鈍い痛みだ。
正直、あんまり続くようならヤバい気がしたんだけど……この痛みが、ある種の筋肉痛のようなものではないかと思ったのだ。筋肉が一度壊れて超回復によって強くなっていくように、私の個性のパワーアップもこの頭痛の先にあるのではないか、と。
で、しばらくのあいだ頭痛に耐えながら氷を持ち上げたり降ろしたりを繰り返していると、今度は次第に頭痛が治まっていった。完全に頭痛がなくなった頃、私はもしやと思って氷を少し大きくし、動かしてみると再び頭痛が始まった。これまたしばらく動かし続ければ頭痛はなくなって、また少し氷を大きく……と、何度か繰り返しているうちに、私は今までだったら間違いなく動かすことができなかった重さの氷を動かせるようになっていたのだ。
あまりにも順調すぎて、私はなんかもう楽しくなっちゃった。
昼下がりから始めて夜中まで、食事も着替えもせず、ずーっとこのトレーニングを続けたのだ。相変わらず頭痛は不快だったのだけれど、その先に目に見えてわかる成果が待っているとあって、お構いなしに負荷をかけ続けた。最後の方は、不快なはずの痛みにちょっとした快感を覚えていたまである。
で、私は結局、いつの間にか気を失ってしまったらしい。だいたい私の身体の倍くらいの大きさで、ベッドなんかをギリギリ避けてる程度の氷をそのままに、だ。
ぼちぼち春の陽気が顔を見せ始めている今日この頃だが、流石に一晩でその氷が全て溶けたわけではなかった。でも、キッチンの方まで水が広がるくらいには溶けていて、部屋の温度も冷蔵庫の中かな? ってくらいには冷え切っていた。寒さに強い私じゃなかったら風邪引いてる……なんなら低体温症で死んでそうなレベルだった。水を個性で氷に変えて被害状況を確認したけど、幸い下の部屋に水が漏れてるということはなさそうだった。
……と、まぁそんな悲劇もあったのだが、私の個性訓練は想像以上に順調な滑り出しを見せたわけだ。
というか、もう。
「機動力の問題、解決したのでは?」
この部屋にはユニットバスが付いているのだが、私が動かせる氷はそのユニットバスの浴槽に入るだけの大きさをとっくに超えている。具体的な数字はわからないが、浴槽の容量って200Lくらいはあるんじゃないだろうか。
そう考えると、少なくとも私は既に200㎏以上の氷を動かすことができているわけだ。
自分の身体を支えるだけの氷を生成し、私自身を乗っけたままで、しかもそこそこの速度で動かすことができるんじゃないだろうか。
まさかほんの一日……いや、半日程度でここまでの成果が出るとは思ってもみなかった。いつまでもこんな成長ペースが続くとは思えないが、はたしてどこまで伸びるんだろうか。
こんなに簡単に力が伸びるならもっと早くやっていれば、と思わなくもないが、そもそも個性伸ばしという発想がなかったし、今までの人生で必要に迫られたこともなかったのだからしょうがない。わざわざ負荷ギリギリの大きさの氷を生み出すなんてこと、普通に生活してきた限りではやってみようとも思わなかったのだ。
実際に自分を氷に乗っけて動かすのは、ちょっと六畳の1Kでは試せない。かと言って外で個性を使ったりしたらヒーローか警察に怒られてしまうので……実際にやってみるのは学校で訓練場でも借りて、とかかな?
しかし、それにしても……。
「私、天才か……?」
私は、過去最高に調子に乗っていた。
※ ※ ※
で。
結局、振替休日の二日目は特にやることもなくなってしまって、私は日がな一日だらだらと過ごした。相変わらず全身筋肉痛だし、筋トレやらランニングやらの体力作りはもう少し落ち着いてからでいいだろうと思ったのだ。いやホント、やりたくないとかじゃないからね? 体力のなさにもちゃんと危機感覚えてるからね?
何はともあれ、体育祭明けの登校初日。生憎の雨模様でちょっと憂鬱……というわけでもなかった。
むしろ、登校中にやっぱりいろんな人に声をかけられて、褒められたり握手を求められたり写真を取られたりと、なんやかんやでちやほやされまくって上機嫌。
それに加え、今日は放課後にどこかの演習場を借りて個性による移動方法を模索してみるつもりなのだ。朝の時点から放課後が待ち遠しくて仕方がなかった。
「あ、雪柳おはよ」
「おはようございます雪柳さん」
「おはようございます響香ちゃん、百ちゃん」
学校に到着し、教室にたどり着いて自分の席まで行くと、響香ちゃんと百ちゃんに挨拶される。響香ちゃんが百ちゃんの席に来ていて、話をしていたらしい。
「雪柳はどうだった? 来る途中、声かけられた?」
「ええ、かけられましたよ。握手とか、写真撮影とかにも応じました」
「え、マジ? 握手はまだわかるけど写真も? ウチも何回か言われたけど、はずくて断ったわ」
「まぁ、邪険にするのは悪い気がしまして。百ちゃんはどうでしたか?」
「私はいつも家の車で校門前まで送迎してもらっているので、今日は特に。ですが、昨日家族で外出した際に何度か声をかけられましたわ」
おぉう、車で送迎とな。まぁ百ちゃんって明らかにお嬢様っぽいし、電車やバスで通学してるのは解釈違いだな。
「てかさ、やっぱプロからの指名が気になるよね。休みの間に学校でまとめてくれるって言ってたけど……トーナメント進出してないと厳しいのかなぁ」
「いいえ耳郎さん、トーナメントに出たからって必ずしも指名がいただけるとは限りませんわ……私なんてあっという間に常闇さんにやられて、いいとこなしでしたから……」
「あの、お二人とも。ここに第一種目でギリギリどころか最下位になって脱落した人がいるんですけど?」
「いやでもあんた、一回戦の時に死ぬほど目立ってたじゃん」
「ええ、そうですわ!」
いや、確かに目立ちはしたけど、やっぱり障害物競走での体たらくが帳消しにはならないと思うんだよなぁ。一般の人からの評価はともかく、プロヒーローはその辺りもっとシビアに見てくるはず。期待は……したい、けど、しない方が精神衛生的に良い気がする。
私たちが姦しくお喋りをしている間にも、段々とクラスメイト達が登校してくる。みんなそれぞれ登校時や休みの間に声をかけられただとか、指名がどうとかいうような話をしている。
私たち三人のところには上鳴くんがやってきたり、百ちゃんの前の席の峰田くんも珍しくまともな感じで混ざって来たりして、そこそこ会話は盛り上がった。
やがてチャイムが鳴り、ほぼ同時に相澤先生が前のドアから入ってきた。響香ちゃんや上鳴くん、その他お喋りに興じていた全員が一瞬にして自分の席に着く。すごいよみんな。目にも止まらなかったよ。
「はいおはよう」
「相澤先生、包帯が取れたのね。良かったわ」
「婆さんの処置が大げさだったんだよ」
梅雨ちゃんが指摘した通り、ここ二週間ずっと包帯でぐるぐる巻きだった相澤先生が久々に素顔をさらしていた。
私は体育祭に参加するためにリカバリーガールからがっつり治癒を受けたが、たぶん相澤先生は急ぐ必要がないからと、ある程度は自然治癒に任せる方法を取ったのだろう。リカバリーガール曰く、ちゃんと時間をかけて治した方が身体にはいいらしいからね。
「んなことより、今日の一限のヒーロー情報学だが、ちょっと特別だ。HRもそこそこにさっそく始める」
相澤先生は目元を掻きながら、そんな自由なことを言い出した。
クラスメイトたちの背中を見ると、身を固くしている人が数人いる。たぶん小テストとか、そういう嫌な予感がしてるんだろう。私は筆記の小テストだった時点で何もかも終わりなので、一周回ってとてもフラットな気持ちでいるよ。明鏡止水さ。
相澤先生はざっと教室全体を見渡した後、口を開いた。
「今日は君たちに……『コードネーム』、ヒーロー名を決めてもらう」
「「「胸膨らむヤツきたああああああ!!!」」」
おぉう……もはや1年A組の恒例のヤツです。みんなあれかな、声を揃える個性とか発現してるんですかね。
で、騒がしくなった教室を、相澤先生がひと睨みで黙らせた。目が赤く光ってたし、髪の毛がふわりと持ち上がっていたのでたぶん個性を発動してた。あれ、もしかして本当に誰か声を揃える個性持ってた? それ消された?
「ったく、いちいち騒ぐな……いいか、これは先日話したプロからのドラフト指名に関連してくる。指名の本格化は経験を積んで即戦力とみなされる2年生、3年生からで、1年生にくる指名は将来性に対する興味程度の意味合いでしかない。それを念頭に置いた上で、これを見ろ」
相澤先生がピッとリモコンを操作すると、電子黒板に何やら名前と棒グラフ、そして数字が表示された。
プロからの指名件数だ。
「例年はもっとバラけるんだが……注目が二人に偏った」
……うん、偏りすぎ。
一番多いのは我らが轟師匠の4000件超で、次いで爆豪くんの3500件ほど。
さらに次点はというと常闇くんの360件で、飯田くん301件、上鳴くん270件と続いている。そこからまた少し数が減って百ちゃんの100件強、そこから切島くん、麗日さん、瀬呂くんの順で2桁件数の指名。
そして……。
「私、1件……」
「なんで予選落ちの雪柳に指名来てんだよォーッ!!!」
私の二個前の席で、峰田くんが叫んだ。
クラスのほとんどが私の方を見て、それぞれいろいろな感情のこもった視線を向けてきた。
「い、いや……えーっと、ほら、他にコメントするところ、あるでしょう? 私のことはお構いなく……」
「ま、まぁ気になんのは、1位と2位が逆転してんのだよな! ほら、爆豪1位だったのによ!」
「表彰台であんなだったんだぜ? そりゃプロもビビるって」
「んで俺の話だこのクソ髪クソ醤油顔がァッ!! クソ雪女も仕向けてんじゃねぇぞゴラァッ!!!」
いや、仕向けてない仕向けてない! 冤罪だ!
「爆豪、騒ぐな……で、だ。この結果を踏まえて、おまえらには指名の有無に関係なく職場体験に行ってもらう」
「職場体験?」
「ああそうだ。おまえらはUSJの時に敵との戦闘を一足先に経験しちまったが、本来ならここで初めてプロの活動を実体験する。実際の現場で、より実りのある訓練をしようってこった」
なるほど、それでヒーロー名の考案か。みんなも一様に納得している様子だった。……若干、USJという単語が出た時に私の方へ意識が向いたのを感じたけど。
「まぁ、仮ではあるが適当に付けていいもんじゃない。でないと――」
「――地獄を見ちゃうわよ!」
相澤先生の言葉を途中で遮り引き継いだその人は、教室の前方のドアから現れた。
「「「ミッドナイト!!!」」」
そう、ミッドナイト先生である。主に男子たちが声を揃えて、割と露骨に興奮をあらわにした。うーん、やっぱり近くで見れば見るほど、ミッドナイト先生の格好はヤバいな。
「この時のヒーロー名が認知されて、そのままプロ名にもなってる人は多いからね!」
「……ま、そういうことだ。その辺のセンスはミッドナイトさんに判定してもらう」
俺にはそういうのできん、と相澤先生はどこからともなく寝袋を取り出した。あの人、寝る気か……。
「将来自分がどうなるのか。名を付けることで明確なイメージを固め、それに近付けるよう努力する。『名は体を表す』ってやつだ。たとえば〝オールマイト〟とかな」
相澤先生はそこまで言うと、「じゃ、あとは任せますミッドナイトさん」と言って寝袋に包まり、教壇の端っこに座り込んだ。
それからしばらくのシンキングタイムが設けられて、15分ほど経った頃にミッドナイト先生が口を開いた。
「じゃ、そろそろできた人から発表してね!」
え、発表形式なの。いやまぁ、太マッキーとクイズ番組の解答フリップみたいなの渡されたし、不自然ではないんだけど。
誰がトップバッターやるんだ、と探り合うような空気が教室を満たした中、空気を読まないでおなじみの青山くんがいの一番に教卓へと向かった。勇者だ。
「行くよ……輝きヒーロー『I can not stop twinkling.』!」
「「「短文!!!」」」
お、おぉう……えー、あれですね。ピリオドもきっちりついているので減点要素もない完璧な解答ですね。本当にクイズ番組だったのかな?
ちなみに意味は……えーっと、『私は輝くことを止めることができません』、か。流石に私もこのくらいはわかる……合ってるよね?
ミッドナイト先生は青山くんのネーミングを特に否定することはなく、しかしちょっとした手直しを提案して、最終的には『Can’t stop twinkling』になった。略してCSTだ。
「はいはい! じゃあ次私! リドリーヒーロー『エイリアンクイーン』!!!」
「2! 血が強酸性のアレ目指してるの!? やめときなさい!」
張り切った様子で発表した三奈ちゃんだったが、何やらミッドナイト先生が変な反応をして却下した。なんか元ネタがあるのかな? あとで三奈ちゃんに聞いてみよう。
……で、それからもみんな、続々と自分のヒーロー名を発表していった。
梅雨ちゃんの『フロッピー』やリベンジ三奈ちゃんの『ピンキー』などのかわいらしい名前、『テイルマン』『シュガーマン』『インビジブルガール』と誰が誰なのか一瞬でわかるシンプルなもの、また英語で触手を意味するテンタクルとタコをかけたという障子くんの『テンタコル』やお茶子ちゃんの名字と
そんな中で、個人的に金メダルを上げたいのは峰田くんだ。もぎたてヒーロー『グレープジュース』という抜群のネーミングに、私は思わず唸ってしまった。すごくかわいいと思う。
あと、到底メダルはあげられないけど、私の腹筋を見事に破壊したのは爆豪くんだった。その名も『爆殺王』。ミッドナイト先生には真顔で却下されてたけど、私は死ぬほど気に入った。ちょっと笑い過ぎて百ちゃんに心配され、困惑された。
「私、これから爆豪くんのこと、爆殺王って呼びます」
「え、えぇ……」
困惑された。でもこれは決定事項だ。
「さて、残ってるのは……考え直しの爆豪くん以外には、飯田くん、緑谷くん、あとは雪柳さんね」
……おっと、みんなのヒーロー名発表が楽し過ぎて、自分のを発表し忘れてた。
私が明確にヒーローを目指し始めたのは中学三年生の夏ごろと非常に遅かったが、ヒーロー名だけはそれ以前から決まってた。みんなほど面白いものではないから、こんなトリの方で発表するようなものでもないけど……。
緑谷くんと飯田くんはまだ動く様子がないので、私は立ち上がって教壇に向かう。
「えー、みんなのように面白味はないですけど……氷雪ヒーロー『ニクス』です」
「ニクス、ラテン語で〝雪〟ね? オシャレ!」
おや、さすがは先生。一発で理解してもらえるとは。
ミッドナイト先生の言う通り、ラテン語で〝雪〟を意味する単語だ。ニックスとも読めるらしいけど、促音はなしの方で行く。
……お父さんが、考えてくれた名前だ。
ミッドナイト先生にオッケーをもらったので席に戻ろうとすると、不意に寝袋に包まった相澤先生と目が合った。なんだかよくわからなかったので首を傾げたが、相澤先生はすぐに視線を逸らして目蓋を降ろしてしまった。
私が席に座ると、次は飯田くんが教壇に上がった。彼が提示したフリップに書かれていたのは『天哉』の二文字。轟師匠も自身の下の名前から『ショート』としていたので、それだけならまるっきり変でもないのだが……どことなく、思い詰めたような顔をしているのが気になった。
しかし、誰がそれに触れるでもなく、さらっと流されて最後に緑谷くんの番になる。
彼が発表したのは、『デク』というヒーロー名。
爆殺王くんやお茶子ちゃんが呼んでいるあだ名だ。以前、お茶子ちゃんに聞いたところ、爆殺王くんが蔑称として呼んでいたものらしい。木偶の坊の〝デク〟だそうだ。
クラスのみんなは驚きと戸惑いを見せていたが、緑谷くんは「確かに昔は嫌だったけど、ある人に意味を変えてもらって嬉しかったから」と言った。ある人というのは、きっとお茶子ちゃんのことだろう。お茶子ちゃんは、〝頑張れ〟って感じのつもりでデクくんと呼んでいるのだそうだ。
そんなこんなで、全員分のヒーロー名が……っと、いや、爆殺王くんのが決まってなかったな。ミッドナイト先生に促されて、再び爆殺王くんが教卓の前に立った。
「『爆殺卿』!!!」
「ぶふぉっ!」
「何噴き出してやがんだクソ雪女ゴラァ!」
爆殺王陛下、これ以上私の腹筋を爆殺しにかかるのはご勘弁ください。や、爆殺卿猊下の方がいいのかな?
……んー、初志貫徹ということで、やっぱり爆殺王にしておこう。
ともあれ、結局『爆殺卿』の方もミッドナイト先生に却下されて時間切れ。
爆殺王くんを除いた20人のヒーロー名が決定した。