あれから一週間が経過して、とうとう職場体験の初日がやってきた。
1年A組は朝早くから学校に集合し、コスチュームの入ったトランクケースを各々携帯。その後は学校所有のバスに乗って、新幹線停車駅にもなっている大きな駅へと到着した。
「俺、ここ集合だったら雄英行くより近かったな」
「コスチューム、昨日の時点で持って帰れればよかったのにねー」
尾白くんと透ちゃんがそんなやり取りをしたところに、クラスを先導していた相澤先生が振り向きもせずに言う。
「おまえらは本来公共の場じゃコスチューム着用厳禁の身。可能な限り紛失のリスクを避けるためだ。文句を言うな」
それから相澤先生が立ち止まったのに合わせて、私たちも歩みを止めた。
「はい注目。ここから各自、職場体験先に向かってもらう。くれぐれも先方には失礼のないようにな。じゃ、行け」
そして、ざっくばらんな解散の合図で、1年A組の面々はそれぞれ利用する路線のホームへと足を向けていった。
私はコスチュームケースを左手から右手に持ち直し、ついでにリュックも軽く背負いなおして、同じ行先の相手に話しかける。
「轟くん、行きましょう」
「……ああ」
そう、私は結局、エンデヴァーヒーロー事務所を職場体験先に選んだ。
一応、その他40件のヒーロー事務所についても目を通し、どんな活動しているのか一通り調べたりもした。しかし、なんだかんだやっぱり相澤先生の言葉が気になって、私の心の天秤はあっさりと燃え盛るおじさんが乗っかってる方に傾いたのだ。
そして、そんな燃え盛るおじさん……いややめよう。エンデヴァーの下へは、息子である轟師匠も世話になるわけだ。
……
この一週間、職場体験に関連して師匠とは何度か話す機会があったのだが、彼はエンデヴァーのことを決まって〝アイツ〟と呼んでいた。周囲の目もあってそれほど踏み込んだ話はしていないが、単なる反抗期では片付けられないほどに刺々しいその呼び方から、師匠がエンデヴァーに対してただならぬ感情を抱えていることは間違いないと思ったのだ。
とは言え、体育祭以降で明らかに変化した私への接し方から考えて、これでも落ち着いた方なのだろう。そうでなければ、そもそもエンデヴァーの下で職場体験をするという選択すら取らなかったのではないだろうか。
今後一週間、今までとは比べ物にならないほど師匠とかかわることになる。この機会にちょっとばかり彼の事情を聞いてみても良いような気はするが……。
何はともあれ、私と轟師匠は連れ立ってエンデヴァーヒーロー事務所の最寄り路線のホームへと向かう。
隣を歩く師匠はなんだか難しそうな顔をしていた。
……不機嫌、ではない。
「――飯田くん、気になりますか」
先ほど、轟師匠が熱心に目を向けていたのは、緑谷くんとお茶子ちゃんと言葉を交わす飯田くんだった。
飯田くんの件に関しては、この一週間で一切クラスの話題に上がっていない。みんなそれとなく気にかけている雰囲気はあるけど、当の飯田くんが表面上はいつも通りに振る舞っているので、下手に触れないことが暗黙の了解になっている感じだった。
「……あいつ、保須の事務所に行くらしい」
「保須って、インゲニウムが……ヒーロー殺しにやられたところ、ですよね」
偶然と考えるのは、楽観的過ぎるだろう。
しかし、だからと言って私たちがしてあげられることなんてない。間違いなく飯田くんと一番親しい緑谷くんとお茶子ちゃんが声をかけていたのだから、それ以上のことなんてないはずだ。
「……恨みつらみで動く人間の顔は、よく知ってる。最近のあいつは、そういう顔をしてた」
轟師匠は神妙な表情で、そう呟いた。
私はそれに対して何と言っていいかわからず、黙りこくるしかなかった。
※ ※ ※
「よく来た焦凍。そして、雪柳氷雨くん」
そこは、見上げると首が痛くなりそうなほどにでっかいビルの最上階の、まるでダンスホールのようなでっかい部屋だった。
で、そんな部屋にぽつんと置いてある大きなデスクの前で仁王立ちしているのは、この部屋の、あるいはこのオフィスビルの主――ナンバー2ヒーローのエンデヴァーだ。
「…………」
「……えっと、よ、よろしくお願いします」
轟師匠がエンデヴァー……もとい、エンデヴァーさんの言葉に一切の反応を示さないので、私は物凄く気まずい中でぺこりと頭を下げた。やっぱりこの親子、全然上手くいっていないらしい。
それからしばらく沈黙が降りたが、ふと、師匠が口を開く。
「……一つ、聞かせろ」
「なんだ」
「どうして雪柳を指名した」
「えっ!?」
それ、師匠が聞くの!?
私はあんぐりと口を開けて咄嗟に師匠の横顔を見たが、彼の視線はまっすぐにエンデヴァーさんへと向けられていて、私の驚愕なんか目にもくれていない。
対するエンデヴァーさんはというと、相も変わらず眉間に皺を寄せたままちらりと私を一瞥した後、再び師匠に顔を向けた。
「彼女の個性をもってすれば、おまえの補佐をする優秀なサイドキックになり得ると判断した。体力の方は目も当てられないが、それを補って余りある強力な個性だ。おまえが歩むべき覇道を――」
「てめぇの自分勝手な野望に、雪柳まで巻き込むな」
「彼女にとっても、悪い話ではないはずだ」
「てめぇが決めることじゃねぇ。雪柳の道も、俺の道もだ」
……私を親子喧嘩の種にしないでくれないかなぁー……。
「あの、轟くん。私は気にしてませんから。むしろ、体育祭であんな体たらくだった私に指名を入れてくださったこと、本当に感謝しているんです。ですから……」
「…………」
二人の間を取り持つように口を挟むと、師匠が複雑そうな顔でこちらを見てきた。この人ホントイケメンだな……じゃなくて、本当に気にしてないからそんな顔しないでほしい。
「……ふん、まぁいい。とりあえず今日は……いや、その前におまえたちのヒーロー名を聞かせてもらおう。職場体験中はヒーロー名でのやり取りを基本とする。ヒーローとしての自覚を養うためだ」
「……ショートだ」
師匠が先んじて簡潔にそう言うと、エンデヴァーさんは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐにニヤリと口の端を吊り上げた。師匠のヒーロー名、音だけ聞いたら完全に本名のままだし、エンデヴァーさんが戸惑いを見せたのはそういうことだろう。
そして。
「氷雪ヒーロー・ニクスです」
私がそう名乗ると、エンデヴァーさんの顔から笑みが抜け落ちた。
「……君の、その名……氷雨……まさか君は、グラキエスの?」
「グラキエス?」
……おっと、あとで機を見計らって話聞こうと思っていたのに、まさかエンデヴァーさんの方から振られるとは。
轟師匠がいるのが気がかりだが……まぁ、絶対誰にも言えない秘密、というわけでもないし、いいか。
「……ええ、そうです。私は、グラキエスの……子どもです。よく、おわかりになりましたね?」
「……奴から、聞いたことがあった。息子がヒーローになりたがっていて、ヒーロー名を考えてやったのだと。その名が〝ニクス〟であるとな。しかし君は、姉の方では……いったいどういうことだ?」
「単刀直入に言うと、私は弟の方です。名前までは聞いていませんでしたかね? 姉の名前は吹雪ですから」
「おい雪柳、何言ってんだ? おまえは……」
「すみません轟くん。実は、クラスのほとんどの人には既に言ってあるんですけど、なかなかタイミングがなくて……私、五年ほど前に個性が突然変異を起こしたんです。私の個性の名前は『雪女』。元々氷と雪を操る発動型の個性を持っていたんですが、異形型の性質がある日突然発現して、身体が女性のものになってしまったんです」
「なっ……!」
轟師匠は私のカミングアウトに絶句し、エンデヴァーさんも目を見開いて驚愕していた。なんだかすごいタイミングで言うことになってしまって、師匠には申し訳ない。
「そういうわけなので、私はグラキエスの息子である雪柳氷雨……いえ、旧姓で言うところの
私の言葉にエンデヴァーさんは瞑目し、しばらく沈黙した。
「……そうか、わかった」
そして、一言そう零すと目蓋を持ち上げて、改めて私のことをその青い瞳でじっと見据えてきた。
「あの男の子どもだからと言って、贔屓する気はないぞ」
「いえ、別にそういうつもりで言ったわけでは……」
でもこれは、信じてもらえた、ということでいいのだろうか?
我が事ながら、これは突拍子もない話だ。ましてエンデヴァーさんはお父さんのことを知っていて、家族のことまで聞かされていたという。彼はつまり、間接的にとは言え男だった頃の私を知っているのだから、クラスのみんなとは私の個性を受け入れることへのハードルが大いに違ってくる。
しかし、ともかくエンデヴァーさんは、これ以上深く踏み込んでくるつもりはないようだった。
「ショート、ニクス。おまえたちはそれぞれ更衣室でコスチュームに着替えろ。その後で、今のおまえたちがどの程度できるのか見せてもらう……フランベ!」
エンデヴァーさんが大きな声で呼びかけると、部屋の外で控えていたらしいサイドキックの人が部屋に入ってきた。エンデヴァーさんは彼に対し、私たちを案内するよう指示をした。
私と轟師匠は部屋を退出し、サイドキックさんの後に付いて行く。
「……轟くん。あとで、ちゃんと説明しますから」
師匠が歩きながらちらちらと私の顔を窺ってくるので、私は思い切ってそう言った。
「あ、いや……すまねぇ」
「いえ、目の前であんな話をされたら、気になって当然です」
師匠には悪いことをしたと思う。しかし、ひとまず今は職場体験だ。一言二言で説明しきれる話ではないから、あとでしっかりと時間を取って説明するということで勘弁してもらいたい。
やがて更衣室にたどり着き、私と師匠はもちろん男女別の更衣室に分かれて入った。サイドキックさんは特に何も反応を見せなかったので、たぶん部屋での話は聞こえていなかったんだと思う。
「さて、と」
私は、ここ一週間で何度か袖を通した新たなコスチュームへと着替え始めた。
※ ※ ※
更衣室から出ると、轟師匠がサイドキックさんと共に待っていた。どうやら少し待たせてしまったらしい。
「すみません、お待たせしました……轟くん、コスチューム変わりましたね」
以前は上から下まで白一色のシャツとズボンで、さらには左半身に氷を纏ったような謎コスチュームだったのだが、今の師匠が身に纏っているのは紺色一色のツナギっぽいコスチュームだ。ベルトやらブーツ、あとは背中の……なんだろう、謎の装備がそれぞれ違う色になっていて、無難な配色ではあるけれどシンプルで良い感じ。
イケメンが着るとツナギすらかっこいいな。イケメンってすごい。改めてそう思った。
「まぁ、左も使っていくことにしたからな。雪柳も、随分変わった」
「私のコスチューム、ほとんどただの着物でしたからね。あれは流石に動きづらすぎました」
私の新しいコスチュームは、一言で言うと着物ドレスだ。
上半身だけに目を向ければさほど変わって見えないが、下半身に目を移すと長かった丈がバッサリと断ち切られている上にふんわりと広がっており、膝上丈のフレアスカートのようになっている。また、袖の振りもかなり短くなっていて、とにかく動きやすさが増した。
生地の加工も変わったようで、元は耐寒性に優れているというだけだったのが、撥水性を高めるコーティングをしてコスチュームの凍結を防いでくれるようになったらしい。これは、私の個性の詳細をきちんとサポート会社に伝えたおかげだ。
あと、機能面には寄与しないけどカラーリングについても変更されており、白と水色のグラデーションによって鮮やかな印象のコスチュームとなった。
「あとはまぁ、この義手ですかね。普段使いのものじゃなくて、ヒーロー活動用のものなんですよ」
コスチュームを送り返したサポート会社と、日常生活用の義手を体育祭に間に合わせてくれたサポート会社は別々だ。しかし、どうやら会社同士で連携をしてくれたらしく、コスチュームと同時にヒーロー活動用の義手も届けてくれたのだ。
デザインはいったい何と言ったらいいか、とにかくスタイリッシュでかっこいい。白を基調としていて、表面の素材はプラスチックっぽい感じだが、もちろんただのプラスチックではない。程々の重量感でありながら衝撃に対して非常に強く、また私の個性で氷結しないような謎の素材なのである。なんちゃらかんちゃらせらみっく? みたいな名前が説明書に書いてあったけど、全然わからなかった。謎の素材である。
で、肝心の機能だけど、これは単純に日常生活用よりも反応の良いものになっているらしい。というか、慣れれば生身の腕よりも脳からの命令を反映する速度が早くなるとかなんとか。他に違うところと言えば、日常生活用と違って基幹部も本体の腕部分も一体になっていて、付け外しが容易ではない点だ。これは、耐久性の問題上、仕方がないらしい。
「君の腕、義手だったんだね。全然気が付かなかったよ……」
「ええ、はい。まぁちょっと、いろいろありましてね」
「あああ、ごめんよ、無遠慮だった!」
「いえいえ、そんなお気になさらず」
サイドキックさんが慌てて口を手で覆い、なんとも申し訳なさそうな顔をしたので、私は首を横に振って答える。
……で、そんなサイドキックさんの隣で何故か師匠も眉間に皺をよせていた。なんだろう、私のカッコいい義手が羨ましいのかしら。
「……というか、あの、早く行かなくていいんですか? どこに行くか知りませんけど、エンデヴァーさんが待ってるんじゃ……」
「――はっ! そうだった! ええっと、ショートと……ごめんね、ヒーロー名を聞かせてもらえるかい?」
「ニクスです」
「ニクス、だね。僕はフランベだ。これから案内するのは地下の訓練場だよ。エレベーターで一気に降りるから、また付いてきてね」
と、そんな説明を受けた私は師匠と共にフランベさんに連れられて、エンデヴァーヒーロー事務所の地下二階までやってきた。関係者以外立ち入り禁止らしく、秘密基地みたいでちょっとワクワクしてしまった。
「遅いぞ」
「すみません、私が着替えに手間取ってしまいまして……」
エンデヴァーさんの苦言に、私は率先して謝った。
彼は私の姿を上から下まで見て、それから左手に視線を向けた。
「それは、義手か?」
「はい。まだ扱いに慣れていなくて、これを付けるのに手間取ってしまいました。すみません」
「……もしや先月の雄英襲撃、生徒に出た怪我人というのは」
「あ、それ私です。この腕もまぁ、その時にですね」
私があっさりとそう言うと、エンデヴァーさんはピクリと眉を動かす。
「体育祭の結果はその影響か」
「……まぁ、それもないことはないですけど、体力は元々かなりないです。言い訳にするのは、ちょっと」
「ふん、正直だな」
だって、エンデヴァーさんそういう言い訳嫌いそうだし……偏見だけど。
「まぁいい。ショート、ニクス。おまえたちにはこれから、この場所で軽い模擬戦を行ってもらう。ショートの完成度、そしてニクスの個性を今一度見せてもらうぞ」
私と師匠は顔を見合わせた。
まぁ、まったくの予想外というほどではないけど、そう来たかって感じだ。
※フランベさんはオリキャラです。原作で名前が明かされているエンデヴァーのサイドキックたちはだいたい実力者なので、職場体験に来ただけの学生の案内を任されるほど暇じゃないかなと。フランベさんは炎のサイドキッカーズの大体中堅くらいの立ち位置で、苦労人のアラフォーです。フランス料理が得意です。フランベします。