緑谷くんが、今まで見たことないような俊敏さで路地を飛び回り、ヒーロー殺しを翻弄しようとする。
しかし、ヒーロー殺しの動きも変わった。明らかにギアが一段上がって、緑谷くんの見違えるような身のこなしをも余裕で超えるようなスピードを見せ、しまいには緑谷くんの足をかなり深く切り付けた。
「緑谷くん!!」
私が声を上げたのと同時に轟師匠が左の炎を繰り出すが、今までですらヒーロー殺しを捉え切れていなかったのだから、当然かすりもしない。
そして奴は、刀に付着した緑谷くんの血を舐めながら、師匠と私の方へ迫ってきた。
「止めてくれ……もう……僕は……」
「――止めてほしけりゃ、立てッ!!!」
私たちの後ろで声を絞り出した飯田くんに、師匠は腹の底から出したような叫び声で応えた。
「なりてえもん、ちゃんと見ろ!!!」
その言葉と共に師匠は氷結攻撃を仕掛けて、ヒーロー殺しの接近を遮ろうとする。私はそこに個性による操作を合わせ、緑谷くんにだけ当たらないように気を付けつつも無造作に、放射状に氷の塊を飛び散らせた。
だが、ヒーロー殺しは止まらない。恐ろしいほどの反射神経と運動能力でもって、私の攻撃のすべては叩き落されてしまった。
「轟くん、雪柳さん!!」
ヒーロー殺しは師匠の眼前に迫りつつ、ついでのように私へナイフを投げてくる。奴は、私が立っているのがやっとでまともに身体を動かせないことを、間違いなく理解していた。
それでも私は咄嗟に左腕を【氷衣】で操作して、なんとか義手でナイフを受けることができた。が、ちょうど肘の関節部に刃が入ってしまって、途端に義手の感覚が死んでしまう。
また、私が投げナイフの対処をしている間に師匠は左の炎でヒーロー殺しを迎え撃とうとしたのだが、奴はもはや完全に師匠の攻撃を読み切っていた。
「――言われたことはないか? 個性にかまけて、挙動が大雑把だと」
「ッ、師匠ッ!!」
「轟くんッ!!」
私と緑谷くんの声が重なった、その瞬間だった。
「――レシプロ、バーストッ!!!」
一陣の風が――否、飯田くんが私の隣を駆け抜けて、今にも師匠の左腕を切り落とさんとしていたヒーロー殺しの凶刃を叩き折ったのだ。
「く、ぅっ……!」
飯田くんはさらにそのままヒーロー殺しの頭部に蹴りを放つ。
タイミングもあっただろうが、ここまでとてつもない俊敏さを見せていたヒーロー殺しが、回避でなく防御を強いられていた。
緑谷くんが思わずといったように「飯田くん!!」と声を上げた。
「個性、解けたか……意外と大したことねぇな」
「轟くん、平気ですか」
私は【氷衣】で身体を動かし、師匠の隣に近寄って声をかける。すると彼はちらりとこちらに視線をやって「ああ」と小さく頷いた。
「……轟くんも、雪柳くんも、緑谷くんも……関係のないことなのに、申し訳ない」
「関係のないって、何をそんな――」
「だから」
飯田くんは私の言葉を遮って、力強く、言った。
「だからもう、君たちにこれ以上血を流させるわけには、いかない」
「……感化され、取り繕おうとも無駄だ」
人間の本質はそう易々とは変わらない、と、ヒーロー殺しは飯田くんを睨み付けた。
「おまえは私欲を優先させる贋物にしかならない。〝
ヒーロー殺しのそんな発言を、師匠はすぐに「時代錯誤の原理主義だ」と切って捨てた。人殺しの理屈に耳を貸す必要はない、と飯田くんを諭す。
しかし、飯田くんは「いや」と師匠の言葉を否定した。
「奴の言う通りさ。僕にはヒーローを名乗る資格など……もう、ない。……それでも、折れるわけにはいかないんだ。
「論外」
ヒーロー殺しが動く素振りを見せた瞬間、師匠が大出力の炎で機先を制する。ヒーロー殺しの姿が完全に炎に包まれたところで、まだ動けないらしいプロヒーローの人が背後で声を上げた。
「君たちっ! ヒーロー殺しの狙いは明らかに俺とその白アーマーの子だろ! 応戦するより逃げたほうが――!」
「さっき、それは難しいって結論が出たんです。飯田くんが動けてもそれは同じ。いえ、むしろ……」
「奴の動きが変わった。明らかに焦ってやがる」
緑谷くんが動けるようになってからだ。ギアを一段上げてきたな、とは先ほども思ったが、それに加えてたぶんヒーロー殺しが私たちの攻撃パターンに慣れてきている。実戦経験どころか、実践の訓練もさほどこなしてきていない私たちには、そう何枚も手札はないのだ。
――無傷で炎から抜け出してきたヒーロー殺しが、壁を蹴って回り込んで来ようとする。轟師匠がそれに対し、氷結と火炎の両方を織り交ぜた攻撃を繰り出すが、どちらも奴にあっさりといなされてしまう。
どうしたら、と思考しようとしたところで、飯田くんが口を開いた。
「――轟くんか、雪柳くん! 君たちの個性、氷の温度調節は可能か!?」
「私できます!」
「なら、俺の脚を凍らせてくれ! 排気筒を塞がずにだ!」
私は微かに首を縦に振って、近くに転がっている氷の残骸を支配、操作して飯田くんの脚を包もうとする。
「――ッ!」
「――え、あっ、轟くん!?」
「雪柳、いいから早くしてやれ!」
個性の制御に集中していた私は、ヒーロー殺しが放ってきていた小型のナイフに気が付いていなかった。それを師匠が左腕を伸ばし、防いでくれたのだ。
師匠の腕を軽く切り裂いたナイフは軌道が逸れて、私の頬をかすめていく。遅れて怯みそうになったが、私はなんとか飯田くんの脚に氷を纏わせた。
「おまえも、邪魔だ」
ただ、それと同時にヒーロー殺しは師匠目掛けて短刀を放ってきて、今度はこれを飯田くんが右手を出して庇い、倒れ込んでしまう。
「飯田くんッ!」
「大、丈夫ッ!」
飯田くんは倒れたまま、右腕に深く突き刺さった短刀を口を使って抜き、立ち上がった。
「――行け」
空中にいたヒーロー殺しに向かって、文字通り〝エンジン〟を全開にした飯田くんが跳躍する。
さらには、その反対側から奴を挟み込むように、緑色の閃光を迸らせながら緑谷くんが跳び上がっていた。
「アシスト、しますよ」
私は集中力を振り絞って、個性を発動した。
今までは師匠の氷を操るばかりだったが、今度は自分で氷を生成する。手を使ってのイメージ補助ができないのでかなり大雑把だが、ヒーロー殺しの腕を直接凍り付かせにかかったのだ。
「――な、にっ……!?」
ただ、完璧に凍らせる必要はない。とにかく一瞬でも気を逸らせればそれでいい。
それで、十分だ。
次の瞬間、飯田くんの脚と緑谷くんの拳が、ヒーロー殺しを完全に捉えた。
※ ※ ※
「今だ! たたみかけろ!!」
体勢を崩したヒーロー殺しに対して師匠が炎を放ち、飯田くんが二撃目の蹴りを叩きこんだ。
ヒーロー殺しはほんの一瞬反撃の意思を見せたのだが、この追い討ちでついに脱力したのが私にはわかった。
「お、おおおおお」
ヒーロー殺しと共に落下していく飯田くんと緑谷くんを、師匠が器用に氷の滑り台を作って軟着地させる。ヒーロー殺しだけは、途中でせき止めた形だ。
「飯田緑谷立て! 奴はまだ――」
「轟くん、大丈夫です」
私は、動くようになった右腕を師匠の肩に置く。
ヒーロー殺しは、師匠の作り出した氷に引っかかって、だらりとぶら下がっていた。
「……流石に気絶してる……っぽい?」
「私、動けるようになってます。アイツが気を失ったことで、個性の効果が切れたんじゃないでしょうか」
「そうか……じゃあ、拘束して表の通りに出よう。何か縛れるもの……」
「私や轟くんの氷だと、長時間はマズいですもんね」
私たちは戦いの興奮も冷めやらぬまま、近くのゴミ置き場を漁って縄を発見した。
緑谷くんの提案でヒーロー殺しが身に付けている凶器を見当たる限り全部外したところで、ここまでかなり空気だったプロヒーローさんがヒーロー殺しをふん縛ってくれた。
「緑谷くんも右腕やっちゃってるとは」
「う、うん。最後の一撃のときに、ちょっとね……」
「雪柳くんの腕は大丈夫なのか?」
「義手の方は関節部分にちょうど刃が入っちゃったみたいで、たぶん壊れました。全然動かせませんけど、生身の腕自体は無事です」
私の場合、一番重傷なのはお腹だ。ヒーロー殺しのあの脚力で思い切り蹴られたのだから、大丈夫なわけがない。さっきまではたぶんアドレナリンの分泌か何かで特に問題なかったのだが、今になって物凄く鈍い痛みに襲われつつある。
「緑髪の君は、足も怪我しているね。俺が背負う、背負わせてくれ」
「ヒーロー殺しは、私が個性で運びます」
プロヒーローの人が緑谷くんを背負い、私が個性でヒーロー殺しを括った縄の先端を氷の塊で包み、引きずっていくことになった。残った飯田くんと師匠は、程度の差こそあれど両腕を怪我しているので、手ぶらだ。まぁ私も手ぶらといえば手ぶらだけど。
路地裏を抜けたあたりで、プロヒーローの人――〝ネイティブ〟という名前らしい彼が、険しい表情でため息を吐いた。
「本当に悪かった……プロの俺が完全に足手まといだった」
「いえ、ヒーロー殺し相手じゃ、あの個性もあって仕方がなかったと思います。あれは一対一で強すぎる……」
「四対一、しかもこいつ自身のミスがあって、ようやくギリギリで勝てたわけだしな」
「ミス、ですか?」
「ああ。最後、緑谷の復活時間が頭から抜けてたように見えた。雪柳が気を逸らしたことを差し引いても、緑谷の動きへの対応がなかった」
なるほど、あのとき私は個性の発動に集中していたので気が付かなかったが、師匠がそう言うってことはそうなのかもしれない。
……でも、それにしたって今この場の全員の命があることが、奇跡に思えて仕方がない。人数で有利、というか多勢に無勢だったと言ってもいいくらいだが、一つボタンを掛け違えただけで本当に最悪もあり得ただろう。
私が痛むお腹に右手を当てながら、改めてしみじみ考えていると。
「――む!? んなっ……!」
不意に、そんな声が聞こえた。
「何故おまえがここに!!!」
「グラントリノ!」
「座ってろっつったろが!!」
「グラントリぶへぇ」
コスチュームを身に纏った小さいおじいさんが駆け寄ってきて、いきなり緑谷くんの顔面に蹴りを放った。もしかして、緑谷くんの職場体験先のプロの人だろうか?
「まぁよくわからんが、とりあえず無事なら良かった」
「グ、グラントリノ……ごめんなさい……」
「――細道、ここか!? ……って、あれ?」
さらに続けて、車道を挟んだ反対側から、数人のプロヒーローらしき人たちが現れた。
「エンデヴァーさんから応援要請承った、ん、だが……」
「おいおい、子ども……!?」
「ひどい怪我じゃないか、すぐに救急車を」
「ちょっとこいつ……ウソでしょ、ヒーロー殺し!?」
プロの人たちは近寄ってくるなり矢継ぎ早に言って、私たちに説明する間も与えてくれない。や、ここでのんびり悠長に話すのも違うとは思うけどさ。
「アイツ……エンデヴァーがいないのは、まだ向こうで交戦中ということですか?」
「――あ、そうだ脳無……! あれの、たぶん兄弟が……」
師匠の問いにプロヒーローたちが答えを返す前に、緑谷くんがはたと思い出したように言った……って、え? 脳無って……私の天敵のやつじゃん。ウソでしょ、あれに兄弟いるの? てか今その辺にいるの?
私が人知れず身を強張らせている間に、女性のプロが脳無に有効でない個性持ちのヒーローがここに来たのだと轟師匠に説明をしていた。
ひとまずこの場で応急処置を、ということでネイティブさんの背中から緑谷くんが降りて、私もとりあえずヒーロー殺しの身柄をプロの人に渡した。
すると、不意に飯田くんが「三人とも」と声をかけてきた。
私、緑谷くん、轟くんと順番に振り返る。
「僕のせいで……君たちに傷を負わせた。本当に、済まなかった」
飯田くんは深々と頭を下げて、そんなことを言った。
「僕は……何も、見えなくなってしまっていた……!」
「……飯田くん、僕もごめんね。君があんなに思い詰めていたのに、全然気が付いてあげられなかった。友だちなのに」
私が思い出したのは、一昨日、緑谷くんがお茶子ちゃんと共に駅で飯田くんに声をかけていた場面だった。あの時の彼らのやり取りがどんなものだったのかはわからないけど、緑谷くんもあの時点で、こんなことにまでなるとは思っていなかったのだろう。
「……しっかりしてくれよ、委員長だろ」
「結果論ですけど、みんなでピンチを切り抜けられたんです。そんなに自分を責めることはないですよ」
「……っ、うん……」
飯田くんは弱々しくも確かに返事をして、肩でグイと涙を拭った。
今度こそ空気が弛緩し、ほっと人心地ついた――その、直後だった。
「――伏せろ!!!」
小さなおじいちゃん――グラントリノさんが、突如として大きな声を出した。
「え?」
と、緑谷くんが素っ頓狂な声を漏らして、グラントリノさんが見上げた方に顔を向けた。
私も彼らに釣られて顔を上げ、そして、見た。
「――っ、の、脳無……!」
脳みそが丸出しの、到底人間には見えない人型の生物。
体表の色や翼が生えていることなど、パッと見ただけでも違いがあることはわかる。
でも、あれは脳無だ。
私の心に植え付けられていた恐怖が鎌首をもたげて、私の身体を支配した。痛覚の機能もないどころか、ヒーロー殺しに壊されたはずの義手の芯から、神経をすりつぶされるような強い痛みが走った。
「
プロの人が思わずといったようにそう叫びながら身構えようとしたが、脳無の動きは速すぎた。
「――緑谷!!!」
「緑谷くん!!」
脳無はなぜか一直線に緑谷くんを狙って向かってきて、鳥のような足で彼を掴み上げ、そのまま上空へと飛んでいったのだ。
脳無は緑谷くんを連れてどんどん遠くに、そして高度を上げていく。
私の個性で、という考えが脳裏をよぎったのだが、左腕から絶えず走る激痛に思考を塗りつぶされてしまう。とてもではないが、遠く離れ行く対象に個性を使えるような状態ではない。
あわやこのまま……と、おそらく誰もが思ったその時。
「――贋物が蔓延るこの社会も」
何度となく聞いた声が、隣を駆け抜けていった。
直後、空高く飛んでいた脳無が突然身体を硬直させ、ふらりと落下し始める。
「徒に力を振りまく犯罪者も――」
落ち行く脳無へ人影が走っていき、飛びかかった。そして、その人影は緑谷くんを脳無から乱暴に奪い取ると、続けざまに脳無の頭部へ拳を――いや、小さなナイフを突き立てた。
脳無は地面に叩き落され、飛んでいた勢いのまま地面をえぐるように引きずられて、やがて止まる。
「――粛清対象だ……全ては、正しき社会の為に……!」
立ち込めた土煙の奥で、人影――ヒーロー殺しが、ゆらりと立ち上がった。
「た、助けた……!?」
「バカ、ありゃ人質取ったんだ! クソッ、躊躇なく人殺しやがった!」
「いいから戦闘態勢取れ! とりあえず!」
プロヒーローたちが口々に言いながら、私や轟師匠、飯田くんを庇うように前に出る。
と、そこに。
「――何故ひと固まりで突っ立っている!!! そっちに一人逃げたはずだが!!?」
「エンデヴァーさん!! あちらはもう!?」
「
颯爽と現れたのは、エンデヴァーさんだった。
「して……あの男はまさか……――ヒーロー殺しか!!!」
「待て轟!!」
エンデヴァーさんが構えたところに、グラントリノさんの制止が入る。
戦慄した表情のグラントリノさんは、真っすぐ、ヒーロー殺しのことを見ていた。
「――贋物……!!」
目元の包帯がはらりと落ちて、ヒーロー殺しの素顔が晒される。
私は、私たちは、その壮絶な表情を目の当たりにして、完全に気圧されてしまった。
「正さねば……――誰かが、血に染まらねば……!!」
ヒーロー殺しが一歩踏み出したところで、私は膝から力が抜けて、尻餅をついてしまう。
「〝
あのエンデヴァーさんすら一歩退くほどの迫力で、ヒーロー殺しは、言った。
「来い、来てみろ贋物ども……俺を殺していいのは、
――直後、ヒーロー殺しがナイフを取り落としたことで、奴が立ったまま気絶したことがわかった。