ヒーロー殺しとの邂逅の翌日、私と轟師匠、緑谷くんに飯田くんの雄英生徒四名は保須市の大きな病院にいた。
それぞれ大小の怪我を負っていた私たちは、ひとまず全員入院ということになり、昨日のうちに治療を受けて四人一緒の部屋で一晩を明かしたのである。
昨日の事件で大勢の怪我人が出たため、病院は今、満床らしい。本当だったら男女別で部屋を分けるように配慮するそうなのだが、どうにも都合がつかないとのことで私は男子三人と相部屋になったのだ。まぁ、私は元男だし、特に気にしていなかった。
「冷静に考えると……凄いことしちゃったね」
「そうだな」
「よくもまぁ誰も死なずに済みましたよね。いや、ホント」
「うん。最後のあれを見せられたら、なおさらだよね……」
緑谷くんは包帯の巻かれた左足に視線を落としながら、呟く。
「僕の脚。これ、たぶん殺そうと思えば殺せてたと思う。首とか狙われてても、反応できなかったと思うんだ」
「ああ。俺やおまえ、それに雪柳はあからさまに生かされた」
「そうですね……」
強いて言うなら、師匠は左腕にナイフを受けた時、私は腹部へ蹴りを食らったタイミングだろうか。私たちは完全にそれらの攻撃に対処できておらず、狙われたところが違えば、または凶器を使われていれば、そっくりそのまま致命傷を受けていたことだろう。
ちなみに私のお腹、そりゃあもうエグいくらいの青あざになっていた。諸々の検査で内臓が無事であることはわかったので他三人に比べれば軽傷なのだが、これが結構辛い。今も私だけベッドのリクライニングを利用している状態なんだけども、自力で起き上がろうと腹筋に力を入れたり、背筋を伸ばして座ろうとするとお腹が少し曲がるのが痛くて痛くて……と、まぁそれはさておき、だ。
「この中だと、飯田くんだけがアイツにはっきりと殺意を向けられていましたよね」
「そうだな。それでいてなお立ち向かったんだから、飯田はすげぇよ。救けにきたつもりが逆に救けられちまった。わりィな」
「いや……違うさ、俺は……」
「――おおォ、起きてるな怪我人ども!」
「わっ、グラントリノ!」
飯田くんが口を開こうとしたところで、それを遮るように病室の扉が開かれ、小さなおじいちゃん――グラントリノさんが姿を見せた。
いや、グラントリノさんだけじゃない。飯田くんが「マニュアルさん」と呼んだ見るからにプロヒーローっぽい人もいる。飯田くんの職場体験先のプロの方、かも。
……でも、そんな二人よりも、もっともっと気になる人がさらにその後ろにいた。
「いろいろ言いたいことはあるが、その前におまえさんらに来客だぜ。保須警察署署長の面構犬嗣さんだ」
「つ、面構!!! ……しょ、ちょう?」
犬だった。犬のおまわりさんだった。……いや、署長ってどう考えてもおまわりさんレベルの役職じゃないけどさ。
ビジュアルのインパクトはさておき、明らかに偉い人がいらっしゃったということで私は身体を起こそうとしたのだが、面構さんは「そのまま楽にしてくれていて結構だワン」と言ってくれたワン。お腹が痛いのでお言葉に甘えることにしたワン。
「君たち四人が、ヒーロー殺しを仕留めた雄英生たちだワンね」
語尾がだいーぶ気になるワンけど、私たちはとりあえず頷いた。
「ヒーロー殺しだが……主には火傷に骨折と、なかなかの重傷で現在治療中だワン」
続けて面構さんは、ヒーロー資格を持たないもの――つまりは私たちが、保護監督者の指示なく個性によって他人に危害を加えたことが立派なルール違反であると強調してきた。またそれにより、私たち四人とそれぞれの監督者であるエンデヴァーさん、マニュアルさん、グラントリノさんの計七人には厳正な処罰を下さなければならない、と。
これに突っかかったのは、轟師匠だった。
「待ってくださいよ。飯田が動いてなけりゃネイティヴさんが殺されてた。緑谷が来なけりゃ二人が殺されてた。誰も、ヒーロー殺しの出現に気が付いてなかったんですよ? 規則守って、見殺しにすりゃよかったって言うんですか?」
「結果オーライであれば、規則など有耶無耶でいいと?」
「……ッ、人を、救けるのがヒーローだろっ!」
「ちょちょ、轟くん落ち着いて……!」
面構さんに食って掛かる師匠のことを緑谷くんがなだめる。
一方面構さんはというと、やれやれとばかりにため息を吐いた。
「だから、君はまだ〝卵〟だ……まったくいい教育をしているワンね、雄英も、エンデヴァーも」
「この、犬ッ……!」
「やめたまえ轟くん! もっともな話だ!」
「そうですよ轟くん! 犬呼ばわりはマズいですって!」
流石に失礼すぎるって! いや確かに犬なんだけどさ!
ついに面構さんへ一歩踏み出した師匠を見て私も緑谷くんも飯田くんも焦ったが、グラントリノさんがパッと手を出して止めてくれた。
「まァ待てや有精卵、話は最後まで聞け」
「どうも、グラントリノ……そう、ここまでが警察としての見解。で、処分云々はあくまで
「……え……?」
……面構さんの話を総合すると、今回の件、私たち雄英生四人が関わったという事実をなかったことにすれば割と丸く収まるらしい。
火傷痕からエンデヴァーさんをヒーロー殺し逮捕の功労者として擁立し、数少ない目撃者たちには口止め、あとは私たちが本来受けたであろう称賛や栄誉さえ諦めれば、すべて穏便に済ませられるのだとか。まぁ、それでも監督者三人はある程度の責任を取る必要はあるらしく、マニュアルさんが「とほほ」と肩を落としていたが。
選択を迫られた私たちが答えを出すのに、そう時間はかからなかった。
私たちは顔を見合わせて頷き、よろしくお願いします、と頭を下げたのだった。
※ ※ ※
「――あ、やばい」
「む、どうしたんだ雪柳くん?」
「や、ちょ、くしゃみが出そうで……あ、ああやだ、絶対ヤバい、やば、は、は――クシュッ、ぐぅぅぅぅぅ!!!」
いたああああああい!!! お腹ッ!! 痛いッ!!!
「大丈夫か雪柳」
「あぁ、はぁ、あぁぁ……だ、だいじょうぶ……だいじょうぶです……あーいったぁ……って、いや、すみません飯田くん、話の直後でこんな下らない……」
「や、君の怪我も元はと言えば俺のせいだ。俺の怪我は自業自得だし、先に言った通り受け入れている。気にしないでくれ」
飯田くんが、首から吊った両腕に視線を落とす。
呼吸を整えながらなんと声をかけたものかと考えていると、松葉杖を突いた緑谷くんが病室に戻ってきた。クラスのみんなに連絡をすると言って、先ほどから席を外していたのだ。
「あ、飯田くん、診察終わってたんだね。今、麗日さんと電話したんだけど――」
「緑谷、それなんだが」
轟師匠が緑谷くんの言葉を遮り、飯田くんに視線をやる。
「二人にはもう聞いてもらったんだが、俺の左手、後遺症が残るそうだ」
「えっ……」
両腕ともにダメージ大きかったが、特に左の方がひどく、腕神経叢というところをやられてしまっていた。もっとも、後遺症と言っても手指が動かしにくかったり若干の痺れがある程度で、神経の移植手術を受ければ回復の可能性もあるのだ――と、私と師匠にしてくれたのと同じように、飯田くんは緑谷くんに対して説明をした。
そして。
「俺は、ヒーロー殺しを目の前にした時、奴を……奴を、殺したいという以外に何も考えられなくなってしまった。マニュアルさんにまず伝えるべきだったのに……奴のことは憎いが、俺がヒーロー失格だという奴の言葉は、事実だ」
「……そんな、こと……」
「だから、俺が本当のヒーローになれるまで、この腕は残そうと思うんだ」
飯田くんが決然とした表情でそう言うと、緑谷くんは目を見開き、一度口を開きかけて、でも、どうしてか何も言わずに閉じる。
「……僕も、同じだ」
それから彼は、傷跡だらけの、少し形が歪んでいるように見える右手を見つめながら零した。
「一緒に、強く……なろうね」
「……ああ」
緑谷くんの言葉に飯田くんは強く頷いた――の、だが、そんなやり取りの奥で、轟師匠が何やらハッとした顔をしたのが気になった。
「……轟くん、どうかしました?」
「いや……なんか……わりィ……」
「え?」
「何が……?」
「どうしたんだい?」
師匠は顔に汗を滲ませて、義手を付けていない私の左腕、それから緑谷くん、飯田くんの腕の辺りへと順に視線をやった後、自身の右手に視線を落とした。
「俺がかかわると……手がダメになるみてぇな感じに……なってる。……呪いか……?」
あんまりにも神妙な語り口で言うもんだから、何事かと思えば……。
緑谷くんと飯田くんが顔を見合わせた後、同時に私の方を見てきた。たぶん、二人と比べても洒落にならないレベルの怪我をした私に気を遣ってくれたのだろうけど、ものすごく微妙な顔をした二人を見てむしろ私は耐えきれなくなってしまい、噴き出した。その後すぐさま空気が緩んで、飯田くんと緑谷くんも思わずといったように笑い出す。
「あっはははは、轟くんいったい何を言ってるんだ!?」
「轟くんも冗談言ったりするんだね……」
「……っ! っ!」
笑うと痛い。笑うとお腹が痛いんだ。笑いをこらえようとしてもお腹が痛いんだ。頼むから、もう……!
「……いや、冗談じゃねぇ……ハンドクラッシャー的な存在に……」
「ハ、ハンドクラッシャー!!」
「も、もう、やめっ……!」
「や、やめたまえ轟くん! このままだと雪柳くんが笑い死んでしまう!」
私は軽い呼吸困難に陥って、あわやナースコールが必要になるところだった。マジで死ぬかと思った。
※ ※ ※
その日の夜、飯田くんは退院していった。マニュアルさんが今回の件の処分として教育権を半年間剥奪され、また当然飯田くん自身の怪我の状態もあって、職場体験を中断して自宅で療養する運びとなったのだ。
そして、さらにその翌日には、私と轟師匠も退院することとなった。私は安静にしている必要はあるものの、わざわざ入院を続けるほどの重傷というわけではないし、師匠も左腕の傷は多少深かったがこれまた引き続き入院している必要性はなかった。
またその結果として、私たちは緑谷くんを一人置いて行くような感じになってしまった。なんやかんやで足の傷が深く、松葉杖を手放せない彼だけは退院の許可が降りなかったのである。
「すみません緑谷くん、置いてけぼりにしちゃって」
「ううん、いいんだ雪柳さん。みんなが早く退院できてよかったよ」
私と師匠はそれぞれ制服姿。ちなみに私は二日ぶりくらいに義手も付けている。壊れてしまった戦闘用ではなく日常生活用のもので、これらはすべて保須で泊まったホテルに諸々の荷物ごと置きっぱなしだったのを、昨日のうちにキドウさんやオニマーさんが持ってきてくれていたのだ。
……と、それはともかく、緑谷くんが私たちに尋ねてくる。
「二人はこれからエンデヴァー事務所に戻るの?」
「ええ、その予定です。職場体験は、たぶん中止になるような気がしますけどね」
理由は飯田くんと同じだ。エンデヴァーさんも今回の件で教育権を剥奪されてしまったらしいし、私たちの怪我も治りきっていない。最終的な判断は事務所に戻ってから聞かされることになっているけど、たぶん私たちにも帰宅命令が出るような気がする。
「……実際やってもねぇのにヒーロー殺しを倒したことにされたアイツの顔、それが見られれば十分だ」
「あ、あはは……」
すんごい意地悪なことを言う師匠に、私と緑谷くんはお互いの顔を見て苦笑する。
「それじゃあ緑谷くん、お大事に。また学校で会いましょう」
「うん、雪柳さんもお大事に。轟くんも」
「ああ、じゃあな緑谷」
私と師匠は病室を去り、それから一階のエントランスで軽い退院手続きをした。
今回の入院費や治療費はひとまず自己負担で、あとから保険が下りることになっている。四人部屋だったこととほんの二泊程度だったこと、また私に限って言えば手術が必要なほどの怪我ではなかったこともあって、そんなに驚くほどの値段ではなかった。強いて言うなら検査の費用がちょっと高かったくらいか。
手続きを終えた私たちは病院の外へ出て、駐車場へと足を運ぶ。エンデヴァー事務所から迎えが来てくれている、とのことだが……。
「おーい!! 焦凍くーん!! こっちこっちー!!」
やたらと声が大きくて元気そうなお姉さんが、私たちに向かってぶんぶん両手を振っていた。てか、師匠の名前呼んでるし、絶対アレだ。
「やっと来たね!! 待ちくたびれたよ!!」
「すいません、バーニンさん」
「いいよ!! で、そっちが雪柳ちゃんだね!?」
「は、はい。バーニンさん、というのは、ヒーロー名ですよね?」
「そうだよ! 本名は上路萌! でもコスのときはバーニンの方でよろしく!」
……いや、本当に声大きいな……もしかして病院の中に入って来なかったのってうるさいからだろうか、なんて思ってしまうくらい大きい。
バーニンさんのヒーローコスチューム、遠目に見た限りではそこまで奇抜じゃないと思ったけど、近くで見ると意外に攻め攻めだ。主に下半身が。声も大きいし個性で髪の毛が緑色の炎のようになっていて、いろいろとインパクトの強い人だ……というか、ニュースか何かで見たことあるかも。
ともあれ、それから私と師匠は至って普通な社用車の後部座席に乗せてもらい、バーニンさんの運転で保須市を去った。なんだか長いこと滞在していたような気がするけど、実際にはちょうど丸三日過ごしただけだ。それだけヒーロー殺しとの戦闘の印象が強かった、ということだろう。なんならあの戦い自体、30分にも満たないような出来事でしかなかったのに。
「――先に言っちゃうけど、職場体験は中止ね!」
「……え? あ、あっはい」
バーニンさんが高速道路で車を爆走させながら(いったい時速何キロ出てるのか、怖くてメーターを覗きたくない。法定速度は守っていると信じたい)、不意打ち気味にそんなことを言ってきた。
「理由はわかってると思うけど、二人とも怪我治ってないしエンデヴァーさんの教育権なくなっちゃったからね! ごめんね!」
「いえ、そうなるんじゃないかと思ってましたから。ね、轟くん」
「……ああ、まぁな」
「事務所に戻ったら荷物まとめてもらうね! エンデヴァーさんはヒーロー殺しの件で忙しくって、たぶんもう顔は合わせられないと思う! 特に伝言は預かってないけど、それぞれ家まで送るように言われてるから、そのときもよろしく!」
おぉう、帰りもこのスリリングなドライブを味わうのか……いやいや、送ってもらうんだから文句は言うまいて。
私は背もたれに体重を預けて、小さくため息を吐いた。
「……晩御飯どうしようかなぁ……」
「ん、お腹空いた? ……って、お昼ご飯じゃなくって夜の心配!?」
「や、職場体験前に冷蔵庫の中身空っぽにしちゃったので、買い物行かないとなんですよ」
「へー! ってことは一人暮らし!? 自炊!? 偉いね!!」
「簡単なものしか作りませんけどね」
特に今は、簡単なものしか作れない、と言った方が正確かも。義手にも少しずつ慣れてきて、またそれ以上に「私ってば元々右利きだったっけ?」なんて思うくらいに右手が使えるようになってきている今日この頃だが、包丁を握るのは流石に怖い。切るという工程がない料理って、どうしても簡単なものになって来るのだ。
帰ってからスーパーに行くとなると、大体夕方ごろになるだろうか。今日は日曜日だから混雑してそうだし面倒だなぁ、なんて考えてため息を吐く。
すると、ふと。
「……雪柳」
「ん、なんですか?」
「飯、食いに来るか?」
「……はい?」
隣に座っている師匠がスマホを片手に持った状態で、そんなことを言ってきた。
「お!? 何々!? 焦凍くんってば女の子を夕飯に誘っちゃうなんて!」
「そういうんじゃないですバーニンさん。……今、姉さんに職場体験早く終わっちまったこと連絡してたんだが、ついでになんとなくクラスメイト連れて行っていいか聞いてみたらな」
と、師匠は私の方にスマホを見せてきた。
メッセージアプリのトーク画面が映されていて、そこには師匠とお姉さんのやり取りが乗っていた。
「……お、おぉう」
師匠の『晩飯にクラスメイト連れてっても平気か』というちょっと唐突なメッセージの後に、『え!』、『いいよ!!!』、『焦凍のおともだち???』、『何人来るの???』、『何か好きなものとか苦手なものとかあるかな???』、『急いで買い物行ってくるけど何時に着きそう???』――と、怒涛の勢いで返信が来ていた。あ、また来た。
「な、なんでそんなこと聞いちゃったんですかね……」
「……今から帰って買い物行くとか、めんどくせぇんじゃねぇかと思ってな。わりィ、勝手に。迷惑だったら断ってくれていい」
「え、えぇー……」
いや、師匠のお姉さん、こんなにノリノリなのに断ったら逆に悪いでしょ……顔も名前も知らないけど、がっかりする顔がありありと目に浮かぶよ。
「……えーっと、轟くんやご家族の方がよろしければ、ご相伴に預かろうかなと」
ちらりと前を見ると、ルームミラーに映り込んだバーニンさんが物凄く良い笑顔を浮かべていた。