デジャヴを感じた。
つい先日も、こんな風に建物の前でぽかんとしてしまった覚えがある。……覚えがあるっていうか、エンデヴァーヒーロー事務所のドデカいオフィスビルを目の前にした時のことで、つまりほんの四日ほど前のことだ。
「へー! ここがエンデヴァーさんのお宅!! なんていうかアレだね!! お屋敷!!!」
そう、バーニンさんが無駄に元気いっぱい言った通り、お屋敷だ。師匠のお家はTHE・日本家屋な豪邸だったのだ。
現代で日本家屋は珍しいけれど、私自身はむしろ馴染み深い。何せ、二か月前まで住んでいたおばあちゃんの家が平屋で木造、瓦屋根の日本家屋だったからだ。残念ながら高校入学と共に土地ごと手放してしまったのだが、だいたい4年間くらいは生活していたことになる。
ただ、当然こんな豪邸ではなかったので、私はあえなく呆気に取られてしまったのだ。
「……そういや聞いてませんでしたけど、バーニンさんはどうですか、晩飯」
師匠が思い出したように尋ねると、バーニンさんは首を横に振る。
「んーん、せっかくのお誘いだけど勤務中だからね! でも、お姉さんに挨拶だけさせてもらおうかな!」
車は路肩に停めたままで、師匠を先頭に和風な門扉をくぐる。玄関までは砂利が敷き詰められたところに……飛び石っていうんだったっけ? とにかく石畳みたいな感じの大きくて平らで歩きやすい石が置かれていた。というか、松の木とか生えてるし。あと、灯篭? 生垣? なんかもうよくわかんなかった。
で、たどり着いた玄関扉はしっかりガラス戸。師匠がガラガラと音を立てて開けると、すぐに奥からパタパタと女性がかけてきた。
「焦凍、おかえり……って……え、あれ!? ちょっと焦凍!? クラスメイトって女の子!? 女の子だったの!?」
白髪にところどころ赤のメッシュが入ったミディアムヘアで、アンダーリムの眼鏡をかけているのが特徴的なその女性は、私を見るなり目を見開いて驚きをあらわにした。
そう言えば師匠、別にクラスメイトの女子を連れてくる、とは言ってない感じだったな……と思いつつ、私はとりあえず挨拶をする。
「えっと、急にお邪魔してすみません。とどろ……焦凍くんのクラスメイトの、雪柳氷雨です」
「あ、うん! ごめんね、ちょっとびっくりしちゃって。私、焦凍の姉の冬美です。今日は来てくれてありがとうね!」
師匠のお姉さん――冬美さんからは、随分と明るい感じの印象を受けた。別に師匠は暗い人ではないけど、かと言って明るい人とも言いづらいから、ちょっと意外……でも、ないかな? たぶん、師匠にメッセージアプリでのやり取りを見せてもらったせいだと思う。うん、むしろあの時の文面のイメージ通りだな。
私が勝手に納得していると、冬美さんは私の背後へと目線を向けた。
「……で、あの。後ろの方は、バーニンさん……ですよね?」
「そうです! よくご存じで!」
「わ、やっぱり! いつも父がお世話になってます」
「いえいえ! こちらこそ所長にはとても世話になってますから!」
バーニンさん、相変わらず声は大きいけど一応丁寧に喋れるんだな……って、どんな偏見だ。でも、学生時代とか全然敬語使ってきてなさそう……いや、これも大概ひどい偏見だな。やめとこう。
バーニンさんは挨拶もそこそこに、今回の職場体験が中止になった経緯を冬美さんに説明し始めた。バーニンさんが知っているのは、〝私たちがヒーロー殺しに遭遇して危うかったところをエンデヴァーさんが救けた〟というカバーストーリーだけなので、冬美さんへの説明も当然それに沿ったものだ。そしてバーニンさんは説明の最後に、監督が行き届かずに師匠を危険な目にあわせたことを冬美さんに対して謝罪した。
この謝罪が職場体験先の事務所を代表してのものであることは、もちろん理解できる。
ただ、そもそもその事務所というのが冬美さんにとっても師匠にとっても父親の事務所なわけで、そこであった不手際を他人が代表して謝っているというのは、改めて考えるとなんだかよくわからない状況だ。頭がこんがらがってくる。
また、バーニンさんは私や師匠にも改めて謝ってくれたけど、勝手な行動をしたのは私たちだし、事件の真相のこともあってなんとも言えない気分だった。なんか雄英に入学して以来、方々から謝られてばっかりな気がするな……。
……まぁ、ともかく。
「――それじゃ、またいつか!! ヒーローとして一緒に仕事ができる日を楽しみにしてるよショート!! ニクス!!」
バーニンさんはそう言って、轟邸を後にしていったのだった。
※ ※ ※
その後、私は夕飯の準備を手伝うことになった。
冬美さんは「お客さんなんだからゆっくりしてて!」と言ってくれたのだが、手伝いでもしないとだいーぶ暇を持て余しそうだったので、こちらからお願いしたのである。
というのも、轟家に到着したのがだいたい16時過ぎと夕飯には早すぎる時間で、冬美さんもだいたい18時頃をイメージして仕込みをしていたらしく、それまでの間私はいったい何をしていたらいいのってな具合だったのだ。
初めてお邪魔するクラスメイトの家でだらだらとテレビを見たりスマホをいじったりしてるのは気が引けるし、かと言って師匠と二時間もおしゃべりに興じていられる自信はなかったし、だったらいっそのこと手伝いをしようと思ったわけだ。
少し悩んだが、あらかじめ私の左手が義手であることは伝えることにした。変に気を遣わせないようにできるだけさらっと言うと冬美さんは一瞬驚いた表情を見せたけど、「じゃあ、包丁使うような工程は危ないかな。他のところお願いするね」とあまり深く突っ込まずに流してくれた。
「――氷雨ちゃんって、なんていうか手伝い上手だね。誰かと一緒に料理ってほとんどしないんだけど、すごくやりやすい」
「恐縮です。おばあちゃんの料理をよく手伝ってたので、料理そのものよりも補助みたいなことの方が慣れてるんですよ」
一人暮らしになってからはさほど凝った料理もしてこなかったので、おばあちゃんが生きていた頃の方がよっぽどいろいろなことをしていた。調理自体の経験値よりも、調理補助の経験値の方が間違いなく多いし、質が高い。義手でも十分戦力になる自信があったからこそ手伝いを申し出たのだ。
ちなみに冬美さん、料理がとてもお上手だ。もちろんまだ食べてないけど、明らかに手際がいい。これは持論だけど、料理の上手い下手って味よりもまず手際だと思う。味は、よっぽど変なことしなければ普通においしくなるしね。
「普段、轟くん……じゃなくって、し、しょ、焦凍くんはお手伝いとか、するんですか?」
「んー、お皿出してーとかそういうのは頼むけど、基本的にはしないかなぁ。ね?」
「ああ、そうだな」
私と冬美さんが台所に立っている一方、師匠は今、ダイニングテーブルでひたすらショウガをすりおろし続けている。ちょっと面白い絵面だ。腕を怪我してるんだから別に見てるだけでもいいと思うんだけど、私が手伝いをしているのに何もしないのは据わりが悪かったのかもしれない。
……いやホント、大人しくしててくれればよかったのに。
「……雪柳。おまえ、なんで俺のこと師匠って呼ぶんだ?」
「えっ」
「え? 師匠?」
師匠、なんでそれ今言ったんですか。
「前々から気になってたんだ。病院で会った時と……職場体験の時も、一回言ってた。今も言いそうになっただろ」
「い、今のは下の名前で呼ぶのにちょっと噛んだだけですって。職場体験の時は……うーん、そう言われると確かに呼んだような、呼んでないような……」
はっきりと覚えていないのは、たぶんヒーロー殺しとの戦闘中にぽろっと零したとかそんな程度だったからだと思う。
ともあれ、面と向かって問い詰められては、答えざるを得ない。
「……個性把握テストの時、焦凍くん、私より順番が先だったじゃないですか。で、同じ氷の個性だったから、活用の仕方を参考にしようと思ったんです」
「……? それで師匠か?」
「あっははは! 氷雨ちゃんって結構おもしろい子なんだねぇ!」
あー、恥ずかしい……どうしてよりにもよって冬美さんがいるタイミングで聞いてきたんだ師匠……私、絶対耳赤くなってるぞ。
「……下の名前が呼びづらいんなら、別に師匠でもいいぞ。ただのあだ名みてぇなもんだろ」
「ま、まぁ……じゃあ、せっかくですし、これから師匠って呼びましょうか」
師匠公認の師匠呼び。こんなの身内の人がいる前でする話じゃないよなぁ、と冬美さんの表情を窺ってみると、なんだかものすごくニコニコしていた。
「……あ、ごめんね氷雨ちゃん。なんか、焦凍にあだ名を付けてくれるようなお友だちができたんだって思ったら、嬉しくなっちゃって。焦凍がお友だちを家に呼んだのも、氷雨ちゃんが初めてなの」
……友だち、友だちか。
体育祭以前のことを思い返すと不思議な感じがするけど、まぁ、今の私と師匠の間柄なら友だちと表現してもおかしくはないか。ただのクラスメイトと言うにはお互いの事情を知りすぎたし、一緒に修羅場も潜り抜けたことだし。
師匠が家に友だちを呼んだことはないというのも、特に驚かなかった。師匠の家庭の事情を聞いてたら、さもありなんって感じ。
「でもまさか、焦凍が初めて家に招くお友だちが女の子とはねぇ。しかもこんなに美人な女の子!」
「あ、あはは……」
自分の容姿がいいことは自覚してるけど、面と向かって言われると流石に照れる。かく言う冬美さんもめちゃくちゃ美人だし、この空間の顔面偏差値すごいな……。
私がしみじみそんなことを考えていると、冬美さんがこそこそと近付いてきて、耳打ちをしてきた。
「ねぇねぇ氷雨ちゃん、焦凍のこと、どう思う? 身内の贔屓目かもしれないけど焦凍って顔立ちは整ってるし、愛想はないけど気遣いはできる子なんだよ。私、氷雨ちゃんみたいな妹が欲しいなぁ、なんて」
……おぉう、まさか冬美さんがそんな話を振ってくるとは。
聞けば、冬美さんは体育祭での私の活躍をテレビ中継で見ていたらしい。私の、体育祭での活躍を……穴があったら入りたい……じゃなくって、つまりは私が氷の個性を持っていることを知っているのである。てか、今さっきもちらっと言ったし。
だから、こう、轟家のあれこれのことでちょっと良くない想像をさせてしまうのではないだろうか、と密かに心配していたのだ。もちろん私の顔立ちは師匠とは明らかに違うし、同じ女性である冬美さんとだって似ても似つかない。ただ、二人の白髪なんかはお母さん譲りっぽくって私と共通しているし、氷系統の個性だし……ねぇ?
でも、妹になるとかならないとかいう話をしてくるってことは、別に連想してしまうほどのことはないのかもしれない。あるいは、それはそれとしっかり割り切っている、とか。
なんにせよ、冬美さんの方が気にしている素振りを見せていないのに、私が過剰に反応するのはおかしな話だろう。
「――ふふ、残念ですけど、師匠にはこの前振られちゃったので」
「え!? 何ちょっと焦凍、氷雨ちゃんのこと振っちゃったの!?」
「……? ……ああ、あの時のか。あれは、そういうんじゃねぇだろ」
「でも振りましたよね?」
「……まぁ、そうだな。けど、おまえ……」
「冗談ですよ、師匠。本気にしないでくださいって」
どんなに見てくれがよくっても、元男と付き合うとか結婚するとか、師匠もきっと嫌だろう。冬美さんが義姉になるのは魅力的だけど、私も率先して男と結婚したいとは思わないし……あと、エンデヴァーさんが義父になるのも、ちょっと嫌かも。
――とかなんとか、まぁなんやかんやと楽しくお喋りしながらも、夕飯の準備は首尾よく進んでいった。
※ ※ ※
そして。
「――あれ、お父さん!? 今日遅くなるって言ってなかった!?」
「……お、おやまひへはふ……」
「……雪柳が、何故ここにいる」
私が口いっぱいにから揚げを頬張っているところに、突然、燃えてないエンデヴァーさんが現れた……エンデヴァーさん、だよな? 髭や目元が燃えてないだけでだいーぶ印象が違うぞ。当然コスチュームではなく、白のワイシャツに黒のスラックスとい普通極まりない格好だし、ただのイケメンなおじさんって感じなんだけど。
「俺が晩飯に誘ったんだ」
「む……そうか」
師匠が端的に言うと、怪訝な表情をしていたエンデヴァーさんの眉間の皺が取れる。いや、ずっとじっと見られてたもんで、から揚げがなかなか喉を通っていかなくて困ってたんだ。助かる。
「えっと、お父さんもすぐ食べる? いっぱい作っちゃったのに夏は帰ってこないみたいで、三人じゃ全然食べきれなさそうだから……」
「ああ」
「じゃあ、お茶碗とか用意してくるから、ちょっと待っててね」
と、冬美さんは立ち上がって、エンデヴァーさんと入れ替わる形で廊下へ消えていってしまった。
ちなみに私たちが食卓を囲んでいるのは台所のあるダイニングではなく、12畳くらいの広さの和室である。大きな座卓に大皿の料理がたくさん並んでいて、私は座布団の上でお行儀よく正座している。私は元々正座が苦手じゃないし、今はお腹が曲がらずに済むので余計に楽だ。かなり不自然に背筋が伸びてると思う。
「…………」
「…………」
「…………」
……それにしても……気まずいな……。
私と師匠は向かい合う形で、冬美さんは師匠の隣に座っていた。エンデヴァーさんが腰を下ろしたのは私の隣ではなくいわゆるお誕生日席だったんだけど、うん、そんな程度が幸いだなんて思えないくらい、罰ゲームみたいな空気感。
「……焦凍、雪柳。怪我は平気なのか」
「ああ、別に」
「だ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
……うん、やっぱり気まずい……冬美さん早く帰ってきてぇ……。
師匠は、そりゃまぁ家族相手だし(あとたぶん、エンデヴァーさんだしで)特に気にせず食べ続けてるけど、私はなんとなくエンデヴァーさんに悪い気がして箸を止めている。そこそこお腹も膨れて来てるし別にいいんだけど、手持ち無沙汰なのが非常によろしくない。気まずさが留まるところを知らない。
……あ、そうだ。せっかくだし、ちょっと聞いてみようかな。
「あの、エンデヴァーさん」
「……なんだ」
「相澤先生から聞いたんですけど、私の父……グラキエスと、よくチームアップをしていたって本当でしょうか?」
「相澤……イレイザーヘッドか。ああ、確かにそうだ。奴の個性は、俺の個性と相性がよかったからな」
「個性の相性が、ですか?」
「そうだ。……俺は、個性によって高熱に耐えうるが、熱を逃がす術までは持っていない。奴は、『氷操』の個性で的確に俺のサポートができる男だった」
あーなるほど、そういうことか。
私の父、ヒーロー・グラキエスの個性は『氷操』。その名の通り氷を操る個性であり、氷を生み出せる個性でもあった……要するに、私の個性の氷特化版だ。
トップクラスの炎熱系個性を持つエンデヴァーさんが傍にいたらお父さんの氷の個性が役に立つ場面なんてないのではと思ったのだが、エンデヴァーさんのアシストに徹していたということか。
「グラキエスは、家では仕事の話をしなかったのか?」
今度はエンデヴァーさんの方から尋ねてきた。
私は少し悩んで、ありのまま答えることにする。
「……えーっと、たぶん、してたと思うんですけど……昔のことは、ところどころ記憶が曖昧で。エンデヴァーさんの話も聞いたことがあるような気はするんですけど、この前相澤先生から話を聞くまでは全然覚えてなかったですし、今もはっきりと思い出せてはいないんです」
「……そうか」
エンデヴァーさんは腕を組み、目を伏せた。
「……奴は、よく家族の話をした。聞いてもいないのに、いつもいつも……おまえの話もよく聞かされた」
「そ、そうなんですか……なんかすみません……けど、あの、ちなみに私のことはなんと?」
「やんちゃな悪戯坊主だ、と」
「……意外だな」
今まで黙々と食べ続けていた師匠が、ここで口を挟んできた。
私はそれに苦笑いを返して、ぽりぽりと頬を掻く。
「いや、昔はホントに結構やんちゃで、いつもお母さんに怒られてましたよ。お父さんはそれを面白がってるタイプでしたね」
「へぇ、そうだったのか」
お父さんに叱られた記憶は本当にない。私の記憶にあるのは、笑顔を浮かべた表情ばかりだ。真面目な顔すら見た覚えがないかも。
しばらくぼんやりと過去を思い返していたのだが、ふと、師匠が私の手元に視線を送ってきていることに気が付く。
「あの、どうかしましたか?」
「……いや、雪柳おまえ、もう食わねぇのか? さっきから手が止まってる」
「え? あ、いえ。なんか、エンデヴァーさんに悪いかなぁと思いまして……」
「別にコイツのことは気にすんな」
「父親に向かってコイツとはなんだ焦凍ォ!!」
「うるせぇ」
「ちょっとお父さん、何大きい声出してるの?」
っと、ようやく冬美さんが帰ってきてくれた。や、最終的には別に気まずいというほどの空気感ではなかったけど、居心地がよかったかというと素直に頷けない感じだったので非常に助かる。
……それにしても、冬美さんは師匠と違って、随分と自然な感じでエンデヴァーさんと接しているように見える。
こう言ってしまうとアレだけど、もっと轟家の雰囲気はよくないものなんじゃないかと想像していたのだが……意外にもそんなことはなかった。まぁ、師匠はつっけんどんだしエンデヴァーさんもデフォルトで表情が険しいんだけど、傍目にはただの反抗期な男子高校生と距離感を測りかねている厳格な父親、というくらいの構図に見えなくもない。
でも、そもそもそんな風に思えるのは、冬美さんがいるおかげに他ならない。彼女の明るい雰囲気や立ち振る舞いが、雰囲気を緩和しているように映るのだ。
私は赤の他人で、この家には複雑すぎる事情があるけれど。
それでも久々に……本当に久々に、こうやって家族の輪の中に入って食事をした。すっかり忘れてしまっていたものを、思い出せたような気がした。
「師匠」
「……なんだ?」
「今日、誘ってくれてありがとうございました」
「……おお」