「雪柳、次ウチらだし、そろそろ準備しとこ」
二番目のグループのレースが終わってオールマイト先生から講評をもらっているタイミングで、響香ちゃんに声をかけられた。
「おっと、そうですね。……じゃ、師匠、行ってきます」
「ああ……まぁ、雪柳なら余裕だろ」
私たちは梅雨ちゃんと一緒にいたお茶子ちゃんにも声をかけて、共にOZASHIKIからスタート地点へと向かう。
「……ねぇ雪柳、なんか轟のこと変な呼び方してなかった? ししょー? とかなんとかさ」
「え? あー、あれは……まぁ、あだ名みたいなものです。私、個性把握テストの時に轟くんより順番後ろだったじゃないですか。個性の使い方参考にしようと思って、それからずっと心の中で師匠って呼んでたんですよね。それを公認指定もらったんです」
響香ちゃんの問いに、私はちょっと恥ずかしく思いながら答える。すると、隣でお茶子ちゃんが小さく噴き出した。
「氷雨ちゃんって意外とおもしろい子だよねぇ。第一印象はもっとお堅いイメージだったんだけど……あ、ほら、それこそ個性把握テストの時に八百万さんと波長が合ってそうな感じだったから、ああいうお淑やかなタイプかと」
「あー、確かに。雪柳って見た目と雰囲気の割に結構はっちゃけてるよね……でもさ、あだ名で呼ぶなんて、轟とは仲直りできたってこと?」
「あ、それは、はい」
「仲直り? 喧嘩でもしてたの?」
「ちょっと戦闘訓練でいろいろあって、まぁなんというか、私が怒らせるようなことを言ってしまって、それがずっと尾を引いてたんです。でもまぁ、職場体験中にいろいろと話して、むしろ打ち解けることができました」
何せ、成り行きとは言えお家にお邪魔して、一緒にご飯食べたくらいだしねぇ……いやでも、それに関しては冬美さんとの方が仲良くなっちゃった感じがするかも。連絡先も交換しちゃったし、最終的に師匠そっちのけでまたお邪魔する約束しちゃったし。
「……それはそうと氷雨ちゃん、余計なお世話かもしれんけど、今回の訓練平気? その、競争っていうと……」
「ふふん、平気ですよお茶子ちゃん。体育祭の障害物走はホントに散々でしたけど、今の私ならちょちょいのちょいです」
「ちょちょいのちょいって、久々に聞いたな……けど、そう言えば轟も、雪柳なら余裕とか言ってたよね。緑谷みたいに職場体験で何か身に付けた感じ?」
「いえ、職場体験というか、その前の〝放課後特訓〟の成果なんですが……ま、詳しくは見てのお楽しみということで」
私を含めた女子三人と、少し遅れてやって来た青山くん、常闇くんがスタート地点に着いた。それぞれ救難信号を受信するためのデバイスが渡されてあり、これに合図があったらレーススタートだ。
みんなそれぞれ軽いウォーミングアップを始める中、私はあらかじめ【氷衣】を使って両手足、そしてコスチュームの帯を氷で覆う。
すると、常闇くんが話しかけてきた。
「雪柳、氷を纏っているのか」
「ええ。技の名前は【氷衣】です。どうでしょう?」
「氷の
「僕のキラメキには敵わないけどね!!」
「それはまぁ、はい」
青山くんが会話に割り込んできたけど、そもそも別にキラメキ勝負はしてない……いやでも私、個性把握テストと体育祭とで結構キラメキアピールしてるな……もしかして青山くんにライバル認定されてたりする? 対抗するべき?
――と、そんな下らないことを考えていると。
『ピピピッ! タスケテー!』
不意に、私たちの手の中にあったデバイスが喋った。
『START!!!』
そして同時に、運動場内のスピーカーからオールマイト先生の大きな声が聞こえた。
常闇くんの反応が一番早く、次いで響香ちゃん、お茶子ちゃん、そしてキラメキアピールに必死だった青山くんが少し出遅れてスタートを切った。
でも、個性的に一番早いのは青山くんかな? いや、こんな長距離だとレーザー発射で飛んでいくのはお腹壊しちゃって無理か。素の身体能力で言えば常闇くんがほぼ間違いなく一番だけど、彼の個性『
「――っと、流石に余裕こきすぎか」
呑気に考察していた私は、氷を操作してひとまず上昇。
デバイスで救難信号が出ている場所――つまりはゴール地点を確認してから、地形完全無視で上空を一直線に飛んで行った。
「――えええええ!! 氷雨ちゃん空飛んどるーっ!?」
途中、私を見上げてわかりやすく驚いているお茶子ちゃんの姿があったので、ひらひらと手を振っておく。
で、それから特に何事もなく、私はあっという間にオールマイト先生の下へたどり着いてしまった。
「雪柳少女! もう来たのか!」
「ええ、文字通り飛んで来ました」
私は『助けてくれてありがとう』と書かれたタスキをオールマイト先生にかけてもらった。このひっそりとしたユーモア、結構好きだ。
「相澤くんから聞いていたけど、機動力の課題はばっちり克服できたようだな! 偉いぜ雪柳少女!」
「ありがとうございます。まぁ、職場体験で見えた課題もあったんですけどね」
今回のように、ただ移動するだけが目的なら問題はない。
でも、ヒーロー殺しとの戦いを経て、やはりこの【氷衣】でもって戦闘中も動けないとダメだと痛感した。もっともっと習熟しなくちゃいけない。
「……雪柳少女も、職場体験では大変だったね。先月に続けて、怖い目にあった。大丈夫だったかい?」
「大丈夫ですよオールマイト先生。ヒーロー目指してるんですから、あのくらい……」
「うん、まぁ、それは否定はできないけどね。……でもそうだな、これは私自身への戒めでもあるけど、恐怖を忘れてしまってはいけないぞ」
「恐怖を、忘れない?」
「そうだ。ヒーローはしばしば、自らの命を賭して救けを求める人々に手を差し伸ばさなければいけないことがある。そんな時、恐怖に呑まれてはいけないからと恐怖を抑え込み続けて、ついには忘れてしまう……それはとても危ういことだ。ヒーローは、恐怖を抱きながら恐怖を乗り越えなくてはならないんだ」
「……なる、ほど」
なんだか、こんな場所で、こんな場面で、私だけしか聞いていないのがもったいない言葉に思えた。
……恐怖を抱きながら恐怖を乗り越える、か。
私は保須で脳無を見た時のことを思い出して、せっかくだからオールマイト先生にちょっと相談してみようかな、なんて考えたのだが。
「――お、常闇少年、それに麗日少女も来たね!」
私が口を開こうとしたちょうどそのタイミングで、常闇くんたちが到着してしまった。お茶子ちゃんは自分に個性を使っていたせいか若干顔色が悪い。
その後、4番目にゴールしたのは響香ちゃんだった。あれ? と思ったのだけど、少し遅れてたどり着いた青山くんはプルプルと震えながらお腹を押さえていた……うん、個性使い過ぎたんだね。
全員ゴールしたということで、オールマイト先生から簡単な講評をもらった。……オールマイト先生への相談は、まぁまた今度でいいな。そもそも授業中に話すようなことでもないし。
ともあれ、私たちはOZASHIKIへと戻る。吐き気をこらえている様子のお茶子ちゃんの背を摩ってあげながら歩いていると、響香ちゃんが話しかけてきた。
「雪柳の個性って、空飛べたんだね。正直、個性で機動力補えない系で、ウチと同類だと思ってた」
「俺はむしろ、体育祭で不思議に思っていたがな。氷の操作が可能なのに何故それで自分を運ぼうとしないのか、と」
するとさらに常闇くんもそんなことを言ってきたので、私は苦笑して返す。
「今まではできなかったんですよ。氷を動かす筋力的なものが足りなくて、自分の体重を持ち上げられなかったので。職場体験前に特訓して、ようやく習得したのがあれなんです」
……まぁ、本当は工夫次第でなんとかなったっぽいんだけど、恥ずかしいので個性伸ばしの成果なのだということにしておこう。相澤先生はそういうのを無闇に言いふらす人じゃないはずだし、私が黙っていれば誰にもバレることはないだろう。真実は闇に葬る。
「なんにせよ、皆もきっと驚愕していることだろう」
「そうですね、秘密にしてきた甲斐がありました」
私が片方の口角だけ上げ、悪戯っぽさを意識して笑顔を浮かべてみせると、常闇くんも呼応するように目を伏せ、フッと笑った。
ちょっとカッコいいやり取りができて私の心は満たされたけど、響香ちゃんは首を傾げていた。
※ ※ ※
それは、ヒーロー基礎学の授業が終わった後の、着替えの最中のことだった。
「……んん? 声?」
「どうしたの氷雨ちゃん?」
「なんか、やけに男子たちの声が聞こえません?」
「……んー? ……あ、ホントだ」
私の言葉に透ちゃんが反応して、三奈ちゃんが耳を澄ます仕草をした。
さらには上半身下着姿の響香ちゃんが声のする方の壁に近寄って、イヤホンジャックを壁に刺した。そのまましばらく怪訝な表情をしていたのだが、不意にピクリと眉を動かしたかと思うと、一歩身を引いて壁全体を見渡した。
「……あ、うわ、マジであるじゃん」
「ある? いったい何が……」
「それ、もしかして穴かしら」
「えっ!?」
響香ちゃんが発見したのは小さな穴だった。
……ははぁ、なるほど読めてきたぞ。
「響香ちゃん、下手人は誰です?」
「峰田」
峰カスゥ……や、この穴自体は峰田くんの仕業じゃないだろうけどさ、情状酌量の余地はないよね。
「どうします?」
「制裁」
「制裁だね」
「制裁でしょ」
「制裁を」
「制裁ね」
「制裁やな」
満場一致である。
「まずはウチが確実に仕留める」
第一の執行者は響香ちゃんが努めることになった。
彼女は穴の傍に立って再び片方のイヤホンジャックを壁に刺し、もう片方のイヤホンジャックを穴にセット。
そして。
「――ああああああっ!!!」
はたしてどういうタイミングだったのかはわからないが、確かにブドウの断末魔が聞こえてきた。どうやら主犯の制裁は完了したようである。
「では、次は私が。峰カスを止めなかった男子の皆さんも、連帯責任を負ってもらいましょう」
私は、何故か神妙な顔をしている響香ちゃんに代わって穴の前に立ち、聞こえるかわからないが壁の向こうに声をかける。
「男子の皆さん、ちゃんとその色欲ブドウを止めていただかないと困ります。私はともかく、他の女子のみんなを性犯罪の被害者にしたらいけませんよ。ヒーローとして、人として。これからは殴ってでも止めてくださいね。でないと、こうです」
――と、そう言って私は手のひらで穴を覆い、個性を発動した。
すると、やがて。
「――ゆ、雪柳ぃぃぃぃ! 悪かった、俺たちが悪かった! だからガンガンに冷やすのやめてくれぇぇぇ!」
「まだ着替えてる最中なんだよぉぉぉぉ!!」
「寒い寒い寒いって!」
うん、どうやらいい感じに冷えたらしい。あんまりやりすぎて風邪を引かせたら流石に悪いので、程々にしておく。まぁ、師匠辺りがすぐに温めてくれるだろう。
「ありがとね、二人とも!」
「まったく、なんて卑劣な……この際ですから塞いでしまいましょう!」
百ちゃんが創造で壁の穴を埋めている間、私は、やっぱりどうにも暗い表情をしている響香ちゃんの様子が気になった。
「響香ちゃん、どうしたんですか」
「雪柳……や、ちょっと……ウチってこう、女として魅力ないのかなって……あー待って、ごめんやっぱ今のなし。何言ってんだろウチ」
「……もしかして、峰カスが何か言ってましたか? だとしたら、気にすることなんてありませんよ。あのブドウは何もわかっちゃいません。響香ちゃんは十分すぎるほどに魅力的です。容姿が整っているのはもちろんですけど、たとえばイヤホンジャックがとてもチャーミングですし、コスチュームとか小物とかを見ると素敵なセンスを持っているのもわかりますし。スタイルだってすらっとしていて健康的で、女性的なかわいらしさとかっこよさが高いレベルで融合しているというかなんというか。男性的な目線で見たら、放っておけるような女の子じゃ……って、いやこれはこの状況じゃセクハラですね。いえあの、本当にそういう目で見てるわけじゃなくって――」
「――ちょ、ちょちょちょ! ゆ、雪柳やめて、やめてってば! そんな耳元で囁かないで……!!」
私から物凄い勢いで距離を取った響香ちゃんは顔が真っ赤で、両手で耳を塞ぎながら俯いて「雪柳は女の子雪柳は女の子雪柳は女の子……」と、ひたすらに呟き始めた。
そして、ふと振り返ってみると、他の女子みんながどことなく戦慄した表情で私のことを見ていた。
「……えーっと、すみません、気持ち悪かったですよね……?」
「ううん、ちゃう、ちゃうよ氷雨ちゃん……」
「褒め殺しって、きっとああいうのを言うのでしょうね……」
「ケロ、氷雨ちゃんは天然でやっているのね」
「氷雨ちゃん、恐ろしい子ッ!」
「……いいなぁ耳郎……じゃない! 雪柳は女の子雪柳は女の子雪柳は女の子……!」
女子更衣室は、なんだかよくわからないおかしな空気になってしまった。
※ ※ ※
……はてさて、そんななんやかんやがあったものの、放課後。
私はコスチュームケースを持って、校舎の一階にある開発工房にやって来ていた。パワーローダー先生は、ここを根城としているらしい。
「それにしても……物々しい扉だなぁ」
THE・鋼鉄の扉。どうやらスライド式になっているようだけど、こんなごついスライドドアは今まで見たことがない。
ノックしても中に音が伝わらなさそうだし、勝手に開けちゃってもいいのかな……と、そう考えた次の瞬間、ドアの向こうから明らかに爆発音のようなものが聞こえてきた。しかも三連続。いやこれ開けちゃダメな奴な気がしてきた。
私が二の足を踏んでいるうちにドアが勝手に開いて、大量の煙が廊下に流れ込んできた。私は咄嗟に口を覆ったけど、少なからず吸い込んでしまってケホケホとむせてしまった。
「――う、ゲホッ、ゲホッ! 発目ぇ……おまえもうちょっと安全確認してから起動しなさいよ……!」
「いやぁ~、上手くいくと思ったんですけどねぇ~……けほっ」
煙の中から現れたのは、私より背の低い二人組。
一人はショベルカーみたいなコスチュームを着た男性で、たぶんパワーローダー先生だ。
で、もう一人は……。
「あー、えっと……そうだ、発目明さん」
「……おや? どちらさまですか?」
「私、ヒーロー科の雪柳氷雨です。ちょっと、パワーローダー先生にご相談があって訪ねたんですけど……大丈夫ですか?」
「お気になさらず! いつものことですので!」
あ、いつものことなんだ……。
私は思わず頬が引き攣らせていると、パワーローダー先生が私に気が付いてくれたようだった。
「君が雪柳か、イレイザーから聞いてるよ……悪いね、いきなりこんなで。発目、おまえ掃除」
「そんなの後でいいです!! 今はどんどん新しいベイビーを」
「良くないんだっての……! おまえだけが使う場所じゃないんだぞ……! ……ったく……っと、失敬。義手の修理って話だったね。説明書とかも持ってきた?」
「あ、はい。ケースの中に入ってます」
私がコスチュームケースをぽんぽんと叩くと、パワーローダー先生が頷いた。続けて「とりあえず中に」と言われたので歩き出そうとしたら、発目さんがずいっと横から出てきた。
「義手、右手ですか左手ですか?」
「え? あ、えっと、左ですけど」
「ほうほう」
「わ、ちょ」
発目さんはいきなり私の左腕を取って、まじまじと、穴が開くんじゃないかってくらいに見つめてきた。
「……ふーむ? これは見た目重視の日常生活用ですかね? 特殊な機能はなさそうに見受けられますが」
「え、ええそうです。今回修理してほしいのはヒーロー活動用の義手でして……」
「ほほう! ヒーロー活動用! つまりはサポートアイテムのようなものですね! いったいどんな故障ですか!? よければ私が修理ついでにアップグレードを――」
「こら発目、初対面の人間にいきなり迫るな……」
「あいたっ」
パワーローダー先生が発目さんの頭に軽くチョップして、暴走を止めてくれた。いやうん、あんなに義手をベタベタ触られたの初めてだった。触覚のフィードバックがすごくてぞわぞわしてしまった。
……ただそれにしても、発目さんの言うアップグレードとやらは、少し気にならなくもない。日常生活用はともかく、ヒーロー活動用の義手はもっといろいろなギミックがあってもいいと思うのだ。頑丈な腕、というだけでも非常に有用だったが、それだけじゃもったいない気がする。
「あの、ちなみに発目さん。アップグレードってどんな……」
「おや、おやおや!? 興味を持っていただけましたか!! 生憎と今いるベイビーたちの中にそのまま転用できるものはありませんが……そう、たとえば今お使いになっているような見た目の義手の下に、前腕そのものを銃身としたテーザー銃のようなものを仕込むのはいかがでしょう!? どうです!? 最高にドッ可愛いベイビーになると思いませんか!?」
「じゅ、銃ですか……」
それはちょっと、私には似合わないんじゃないだろうか。もっとこう、「ヒュー!」とか口走っちゃうようなハードボイルドな宇宙海賊とかじゃないと。私の精神エネルギーじゃきっと使いこなせないと思う。
「えっと、すみません、それはなしでお願いします」
「むむ、お気に召しませんか。ではですね……」
「……はぁ。はいはい発目、その辺にしときな。ひとまず修理、改良するならそれからだ。雪柳、発目も一緒にやらせていいかい? 勝手なことはしないように見張るから」
「あ、それは全然大丈夫です……というか、ここで直せるんですかね?」
「実際に見てみないと断言はできないけど、よっぽどでなければね。さ、とりあえず中に入って」
私はパワーローダー先生に招かれ、開発工房の中に立ち入った。
……その後、パワーローダー先生と発目さんにすっかり動かなくなってしまった義手を見てもらったのだが、破損した内部のパーツを交換すれば直せるだろうとのことで、一日預けることになった。
また、今後はしばらく開発工房に通って、義手の改良案を発目さんと共にまとめていくことにもなった。
パワーローダー先生曰く、発目さんは人格がちょっとアレ(ひどい言い草)だし、技術的な面ではまだまだ粗削りな部分もあるそうだが、とにかくその発想力となんでもかんでも試行してみる姿勢がすごい子らしい。
きっと私の義手の改良も、最終的には良い結果になるはずだと太鼓判を押してくれた。
……うん、