第40話 雪女@とれーにんぐきゃんぷ その1
私は成し遂げたのだ。
夏休みが始まってから林間合宿までの約三週間に渡る補習を、一日たりとも休むことなく……とはいかなかったものの、とにかく乗り切ったのだ。やむを得ない事情で休んでしまった一日分だって、はたして等価なのかと疑いたくなるような大量の課題を提出することできちんと補完したのだ。
誰が何と言おうと、私は成し遂げたのだ。
だからこそ、断じて許せなかった。
林間合宿の当日、雄英高校へと集合した折に、私の前に現れたヤツのことを。
「――え? A組補習いるの? つまり赤点取った人がいるってこと? あれれ? それっておかしくない? おかしくない!? A組はB組よりずっと優秀なはずなのにぃ!? ――それに! 実技試験での赤点ならまだしも筆記の方で赤点を取った人もいるらしいじゃないか! 今日までずーっと学校で補習してた
「物間貴様ァァァァァァァァァァァ!! 許さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「う、うわああああああああ!?!?!?」
私は激怒した。必ず、かの無礼千万たる物間を殴らねばならぬと決意した。
右ストレートでぶっ飛ばす。
まっすぐいってぶっ飛ばす。
心の中で繰り返し唱えながら拳を振りかぶりつつ、私は一直線にヤツへ向かって駆け出した。
……が、しかし。
「――やめろ雪柳」
「むぐぅ!!!」
私は相澤先生の捕縛布にあえなく捕らえられてしまい、物間をボコボコにしばき倒すことは叶わなかった。ただヤツはヤツで音もなく近寄った拳藤さんの手刀により意識を刈り取られていたので、まったくざまぁない。いいぞもっとやれ拳藤さん。
一連の流れを見ていたB組女子の引き気味な様子にちょっと後悔も湧いてきたが、しかしあの男の暴言を見過ごすことはできなかった。これは私の誇りにかかわる問題だったのだ……だからあの、相澤先生、そろそろ解放してくれませんか……。
※ ※ ※
……さて、まぁそんな一幕もあったけども、私たち雄英1年ヒーロー科はクラスごとにバスへと乗り込み、合宿地に向かうこととなった。二クラス合わせても41人しかいないんだし大型バス一台の方が合理的じゃない? とは思ったけど、中型バス2台で行くらしい。
バスが発進した後も依然として行先は不明だった。とりあえず高速道路には乗ったみたいだけど、中型バスとは言えなかなか青看板も確認しづらく、どこに向かっているのかよくわからない。
相澤先生によると一時間後に一度停車するらしい。トイレ休憩的な何かだと思うが、出発前に済ませておいた私はそれ以前に緊急事態に陥ることはないだろう。
バスの中は随分と騒がしかった。それぞれお喋りをしていたり、前の方の席では音楽を流したりしてるみたい。相澤先生も珍しく注意をしないもんで、みんなはしゃぎっぱなしだ。
ちなみに私は最後部の三人席を一人で占領していた。出発前、相澤先生が全然捕縛布から解放してくれなくって最後に乗り込む羽目になったのだが、みんな律義に前から詰めて座っていて、私は一人あぶれてしまったのだ。
いっそ相澤先生の隣にでも座ってやろうかと思ったのだが「はよ後ろ行け」と言われたので、仕方なく一番後ろの三人席の真ん中を陣取ったのである。
もっとも、一人で座っているからと言って、一人寂しく不貞寝しているとかいうわけではなかった。
「――げ! 雪柳なんで赤に変えるんだよ!!」
「いやだって、出せるのこれしかなかったですし」
「ちっくしょー……しょーがねぇなぁ、じゃ、ほい」
「は!? 峰田おまえドロー4!? おま、ふざけんなよ!! ――なんつってな!」
「う、瀬呂もドロー4持ってるのか……じゃあ、はい」
「おいおい、そんなさらっとドロー4連打するなって! ……けど、えーっと……雪柳、すまん」
「……は?」
ドロー4四連打で私の手札が16枚も増えるとかいう惨劇は置いておいて、私は一列前の席の峰田くん、瀬呂くん、尾白くん、砂藤くんと一緒にUNOをやったりしていた。補助席を出してテーブル代わりにしていたのだが、揺れる車内で山札と捨て札が飛び散らないようにするのはなかなか大変だった。
そんな感じでわいわい楽しんでいれば、一時間なんてあっという間。
気が付けば高速道路も降りていて、バスはどこぞの峠道を走っていたのだが、その途中のなーんにもない変な場所で停車。私たちはバスから降りるように指示された。
「ようやく休憩かぁー……つか何ここ? パーキングじゃなくね?」
「おしっこ、おしっこ……」
上鳴くんが大きく伸びをしながら疑問を口にし、峰田くんが内股になりながらおろおろと歩き回っている。
ここがパーキングエリアじゃないのは火を見るよりも明らかだ。建物なんて見当たらず、地面の舗装すらされていないただの空き地のような場所。広大な森と山々が一望できて、なかなか良い景色だけど……。
「ねぇ、B組のバスもいなくない?」
「……あれ、ホントですね。高速では後ろ走ってたはずなんですけど……」
響香ちゃんの言葉で私もはたと気が付く。
……なんか、変だ。
「――何の目的もなく、では意味が薄いからな」
相澤先生が、脈絡なくそう零した。
それを耳にした私は――否、おそらく私以外のみんなも、
とにかく私たちの意識が相澤先生に向いたところで、ふと、すぐ近くにこれ見よがしに停まっていた車から二人の女性が降りてきた。
「よーう、イレイザー!!」
「ご無沙汰してます」
そのうち片方が相澤先生に気安い感じで声をかけ、相澤先生が頭を下げたかと思えば――。
「煌めく
「キュートにキャットにスティンガー!」
「「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!!!」」
――と、女性二人は自己紹介を……自己、紹介? いや違うな、名乗りを上げた。
猫っぽいコスチュームで猫っぽいポーズを決める彼女たち。その隣でしかめっ面してる男の子の姿もあって、なんというかシュールだった。まぁ、彼女たちがヒーローであることは間違いないと思うけど、いったい……。
「今回の合宿中お世話になる、プロヒーロー『プッシーキャッツ』のマンダレイとピクシーボブだ」
私の疑問は相澤先生がすぐに解消してくれた。
茶髪で赤を基調としたコスを身に纏っているのがマンダレイさんで、金髪で水色のコスがピクシーボブさんか……と、私はひとまず浅い理解で満足しようとしたんだけど、誰に頼まれるでもなく詳細な解説を入れてくれる人物が一名。まぁ緑谷くんだ。
通称ワイプシというらしい彼女たちは四人一チームのヒーローで、山岳救助などを得意とするベテランだそうだ。キャリアは今年で十二年にもなるとのことだけど、緑谷くんがそれを口にした瞬間、ピクシーボブさんが「心は18!!!」と叫びながら流石プロヒーローと言うべき瞬発力で迫り、彼の顔面をもこっとした猫の手グローブで鷲掴みにして黙らせた。まぁね、キャリアと活動開始時期を足し算したらわかっちゃうからね。
「ここら一帯は私らの所有地なんだけどね」
チームメイトの必死の叫びにはどうやら触れないことにしたらしいマンダレイさんが、眼下に広がる森へと身体を向けた。
そして、ずっと先にある山を指差し、振り向きながら言った。
「君たちの宿泊施設は、あの山のふもと」
「遠っ!!」
遠い。本当に遠い……何kmあるんだ? 直線距離なら10km……いや、20kmはある? わかんない、わかんないけど……。
「……え……? じゃ、じゃあ、なんでこんな半端なところに……?」
「い、いやいや……」
「ハ、ハハ、バス戻ろうか……早く……」
先ほど覚えた微かな予感が、目の前に迫ってきていた。
「今は午前九時半。早ければぁ……十二時前後ってところかしらん」
「ウソだろ、おい!」
「戻ろう、戻ろう!」
「バスに戻れ! 早く!!」
十二時半までにたどり着けなかったキティはお昼抜きね、とマンダレイさんが育ち盛りの高校生相手に残酷すぎることを言った直後、逃げ惑う私たちの足元が突如としてぬかるむ。
見れば、ピクシーボブさんが悪戯っぽい良い笑顔を浮かべて、地面に両手を突いていた。
「悪いね、諸君」
相澤先生の言葉と同時に地面が――いや、土が大きくうねって、鉄砲水のように私たちへと襲い掛かってきた。
「合宿はもう、始まっている」
1年A組の面々が土砂に流されて、崖の下へと落ちていく。
「み、みんなぁぁぁぁ!!」
「……みんな、じゃない。何避けてんだ雪柳」
「え、いや、だって……」
私は咄嗟に【氷衣】を使って、空中へと逃れていた。相澤先生がめちゃくちゃ非難がましい視線を送ってきたけど、私は絶対悪くない。
断固たる意志でもって相澤先生の視線を受け止めていると、マンダレイさんがこっちに手を振っていた。
「おーい、キミ、スカートの中が見えちゃってるよー!」
「え? あぁ……」
おっと、急なことだったんでそこまで意識が行ってなかった。コスチュームもスカートだけど、あれは中にスパッツ履いてるしなぁ。
……てか、相澤先生普通に見てるな? まったく、女子高生(表面上)のパンツを何の躊躇もなく見るなんて……。
「……相澤先生の、えっち! 「ピクシーボブ、頼みます」 ――うひゃあああああああああ!!?」
相澤先生に個性を消されて落下した私は、やっぱりピクシーボブが操っていたらしい土砂流によって崖下まで運ばれた。ピクシーボブの大笑いしている声が聞こえてきたのは、たぶん気のせいじゃないと思う。
※ ※ ※
私たちの前に立ちはだかった、広大で鬱蒼とした森。
マンダレイさんはこの森を〝魔獣の森〟と呼んでいた。
その理由はすぐにわかった。草木をかき分けて、まさしく〝魔獣〟と呼ぶにふさわしい巨大なモンスターが現れたからだ。
口田くんの個性で操ることができなかったため、魔獣が動物でないことは間違いなかった。というかあんなモンスターが現実にいてたまるかって話である。
では、魔獣の正体はいったい何なのかと言えば、モンスターの形をしていてまるで生物のように動く
私有地につき個性の使用は自由。お昼ご飯にありつくために、魔獣がひしめくこの森を三時間で突破しなければならない。
それが、この林間合宿で私たちに与えられた最初の試練というわけだ。
「――これ、絶対協力プレイした方がいいですよね」
迫りくる魔獣に巨大な氷柱をぶっ放しながら私が呟くと、近くにいた切島くんが反応した。
「おォ、そうだな……っつーか雪柳それ、威力高すぎんだろ」
「まぁ、生身の人間相手には絶対できないですね。切島くん、今度受け止めてみますか?」
「お、いいなそれ! 良い訓練になりそうだぜ! 頼む!」
おぉう、冗談のつもりだったのに意外と食いつきが良かった……まぁ私もストレス発散にはなるし……って、いやいや、クラスメイト使ってストレス発散とかひどすぎるって。あれだな、【氷衣格闘術】の相手してもらうとかがいいか。あれも氷ぶつけてるようなもんだし。
……と、少し話が逸れてしまったけど、私たちは現在、先行してしまった爆殺王くんや轟師匠、緑谷くんを追って(私は【氷衣】で飛んでるけど)走っている。ろくに役割分担もしないまま進んでしまっており、その場その場での簡単な連携はともかく、いまいち非効率というか非合理というか、とにかくそんな感じだった。
でも、まぁ、私が率先してそれを言う必要はない。
「障子くん、緑谷くんたちとの距離はわかるか? あまり離されていないといいんだが」
「緑谷たちは……おそらく、この先で足を止めているな。魔獣の数が多そうだ」
「そうか……みんな! 彼らと合流し次第、作戦を立てる時間を設けよう! 施設まで急がなければならないが、このまま漫然と進めば結果としてさらに遅くなるかもしれない!」
「ええ、急がば回れ、ですわね!」
我らが委員長飯田くんが、私に考え付くようなことを考えないはずがなかった。
みんなは道なき道を走りながら、飯田くんの提案に賛同の意思を示す。当然、私もだ。
緑谷くんたちに追いついたのはそれからすぐ。まだ十体以上も残っていた魔獣たちを全員で即座に蹴散らし、先行していた三人にも話をするが……。
「作戦なんざいらんわ! 魔獣だかなんだか知らねぇが俺一人で全部ぶっ殺したる! テメェらで勝手にやってろ!!」
と、まぁ大方予想はできていたものの、爆殺王くんはやっぱりそんな感じで先に行ってしまい、それを切島くんが「わりィみんな! 俺爆豪と一緒に行っとくわ!」と追いかけていってしまう。
爆殺王くんのことは切島くんに任せよう、と全員が暗黙のうちに了解して、周囲を警戒しつつ19人での魔獣の森攻略作戦を立てることになった。
「私、ここまでの間にいろいろと考えていましたの。みなさん、聞いていただけますか?」
そして開始早々、百ちゃんがそう言った。百ちゃんの頭脳明晰っぷりはみんなよく知っているから、耳を傾けないわけがない。
百ちゃんの作戦はシンプルと言えばシンプルで、各人の役割を分担し、その役割に沿って陣形を組むというものだった。
まず、19人を4つの役割に当てはめる。
魔獣を単独で撃破し得るだけの戦闘力があり、なおかつ長時間の個性使用が可能な戦闘役として飯田くん、尾白くん、常闇くん、轟師匠、緑谷くん、そして私の6人。
次に、魔獣を単独で撃破し得るが、個性の持久力に問題がある戦闘役として青山くん、上鳴くん、砂藤くん、百ちゃんの4人。
単独での魔獣撃破を考えるよりもサポートにまわった方が効果的であろう三奈ちゃん、梅雨ちゃん、お茶子ちゃん、瀬呂くん、透ちゃん、峰田くんの6人。
そして、索敵能力を持っている口田くん、響香ちゃん、障子くんの3人だ。
陣形は、以上の役割分担を踏まえた上で、索敵役3人を中心に据えて先鋒、
先鋒には近接戦闘での露払いをする飯田くん、砂藤くん、緑谷くんの3人。
殿は足止めさえできれば十分であるため、梅雨ちゃん、お茶子ちゃん、瀬呂くん、峰田くんの4人。
右翼には常闇くんを主力として透ちゃん、三奈ちゃんがサポート。左翼は尾白くんを主力に上鳴くん、青山くんがサポート。
残った師匠と私、百ちゃんは索敵係の周囲で全体のカバーをする。
……と、まぁこれが百ちゃんの打ち立てた作戦の全容だった。
「これ、ここまで走ってる間に考えたのかよ……」
「ええ、即席なので考えが及んでいない部分があるはずですわ。もしもお気づきの点がありましたら、遠慮なく仰ってくださいまし」
「……い、いやぁー……」
「ないんじゃないかなぁ……」
みんなそれぞれ百ちゃんの作戦を頭の中で反芻してるみたいだけど、指摘すべき点はなかなか思い当たらないようだ。私も自分の役回りに不満はないし、これ以上の案なんて思い付きそうにない。
こういう考え事が得意そうな緑谷くんはどうだろうか、と目を向けてみたら、彼はちょうど顔を上げたところだった。
「……うん。いろいろ考えてみたけど、八百万さんの作戦は今のメンバーでできる最善だと思う。だからとりあえずこの作戦で行ってみて、問題があるようだったらその都度対応すればいいんじゃないかな? 実際にやってみないとわからないこともあると思うし」
生粋のヒーローオタクであり、私たちの個性や戦闘スタイルすらもかなり事細かに把握している緑谷くんは、百ちゃんの作戦にお墨付きを出した上で建設的な提案をした。
確かに、これだけの人数がいてすぐに改善点が挙がってこないくらいなんだから、ひとまず全面的に信用して試してみてもいいだろう。万が一上手くいかないことがあったとしても、一度の失敗が致命傷になるようなことはないはずだ。
みんなもだいたい同じように考えたみたいで、次々に緑谷くんの提案に賛同する声が上がっていった。
「――よし、では決まりだな! 各自、速やかに配置に就くんだ! それぞれの役割をしっかりと果たして、目標時間内にこの森を抜けよう!」
飯田くんの号令に応じて「昼飯抜きとかありえねぇかんな!」とか「よっしゃー頑張るぞぉーっ! おーっ!」とか、各々あらためて気合を入れていた。
私も集中力を高めるつもりで大きく息を吐き、左隣に立った師匠に声をかける。
「師匠、よろしくお願いしますね」
おそらく百ちゃんの想定からして、あるいはそうでなかったとしても、私と師匠は密に連携していくことになるだろう。
師匠は「おう」と短く答えて、右側からひんやりとした空気を放ち始めた。
私も再度【氷衣】を発動し、軽く身体を動かして準備を整える。
魔獣の森の攻略が、始まった。