ピクシーボブさんが案内してくれた先は管理人室だった。部屋の中に入った途端、火照った身体がひんやりとした空気に晒される。
「冷房結構効いちゃってるけど、寒くない?」
「いえ、大丈夫です。個性で寒さには強いので」
「あ、そっかそっか。じゃ、そこのソファ座ってて。飲み物持ってくるから」
そんなにお気遣い頂かなくても、と私は言ったけど、ピクシーボブさんは「気にしないで、私も喉乾いたからさ」と猫の手グローブやバイザーなどを外し、部屋の奥の給湯室に行って麦茶を注いだコップを持ってきてくれた。
「……さてと、それじゃあ何から話そっか。お互いの個性のことからかな?」
そして、ピクシーボブさんは机を挟んだ向こう側のソファに座ると、さっそく切り出してきた。
「あ、はい……あの、本当にいいんですか? 個性の情報って、ヒーローにとってかなり大事じゃないですか。結構踏み込んだ話になっちゃうと思うんですけど……」
「ま、確かにそうね。でもそこは、ゆきゃなぎキティにも話してもらっておあいこかな。私も君の個性には興味あるから、ね?」
そういうことなら、いいのだろうか。うーん、現役のプロと卵じゃ、情報の価値が全然違う気がするけど……まぁ他ならぬピクシーボブさんの方がだいーぶ乗り気っぽいわけだし、ここまで来て遠慮するのはむしろ悪いか。
……そんなわけで、私はピクシーボブさんといろいろな話をした。
私の個性、ピクシーボブさんの個性、お互いの個性で似通っている部分やお互いの個性でできること、ぞれぞれ使っているときの感覚などなど……。
結論から言うと、私とピクシーボブさんがそれぞれ個性を使うときの感覚は、そこまで似ているわけではなさそうだった。
ピクシーボブさんの『土流』はなんというか、操る対象を感じ取る力が私の個性よりも強いっぽいのだ。触覚と言えるほどはっきりした感覚はないみたいだけど、少なくとも私の「氷の位置が移動させられたことがわかる」という程度ではないようで、土魔獣の自動操作はそういう土台があってこそ成せる技だったのだ。
ただし、土魔獣の運用は、個性だけに頼っているわけでもないとのことだった。
「――う、わっ! すごい、すごい不思議な感じです……!」
「最初は酔っちゃうかもしれないから、動かすのは程々にね」
私がいったい何をしているかというと、ピクシーボブさんのヘッドセットとバイザーを貸してもらっている。そして、
このヘッドセットとバイザーは、専用のカメラマイクや発信機から映像、音、位置情報などを受信できるサポートアイテムだった。
ピクシーボブさんは土魔獣を生成する際、基本的にカメラマイクか発信機のどちらかを仕込むらしい。たとえば魔獣の森では、実は私たちの動向を見守るための小型土魔獣が木の上やらに潜んでいたらしいのだが、そういう情報収集や状況把握用の魔獣にはカメラマイクを。それ以外の自動操作をしていた魔獣は大まかな位置がわかればいいので、発信機を埋め込んでいたらしい。
ピクシーボブさんは、このサポートアイテムを駆使することであれだけの数の魔獣を操っていたのである。
……ちなみに、私がやたらとはしゃいでいるのはカメラから受信した映像が物凄く不思議な感じで見えているからだ。網膜投影という技術を使っているらしいんだけど、映像が映し出されたウインドウが空中に浮かんで見えるのだ。超すごい。
「ピクシーボブさん、あの、これ、真似してもいいですか? できることの幅が一気に広がりそうで……!」
「うん、いいよいいよ。別に私が特許持ってるわけじゃないしね。それ作ってもらってるサポート会社、確か雄英と提携してたはずだから……あとでイレイザーに確認しとくよ」
「あ、ありがとうございます!」
私は勢いよく頭を下げて、ピクシーボブさんに心の底からの感謝を表した。
少し話を聞ければ、なんて程度に思っていただけなのに、嬉しい誤算にもほどがある。
興奮冷めやらぬまま顔を上げると、ピクシーボブさんが私よりもずっと嬉しそうな笑顔を浮かべていることに気が付いた。
「えっと、あの?」
「ん? ……あ、いやいやごめんね。なんか、嬉しくなっちゃって? 今まであんまり後輩ってものに縁がなかったからさ」
「そう、なんですか?」
「うん。私たち、高校出てすぐに自分たちで事務所構えちゃったからねぇ。新人入れるとか考えたこともあったけど、結局やらなかったんだ。だから、ゆきゃなぎキティが私の真似してくれるの、すごく新鮮で……うん、そう! 私の人生に足りなかったものって感じがする! かわいい後輩の存在!」
ピクシーボブさんは拳を握って「くぅ~!」と声を漏らす。それがなんだか随分と大げさな反応に思えて、私は思わず笑ってしまった。……直後に続いた「あとはこれで結婚を前提にお付き合いしてる彼氏さえいれば……」という言葉は聞かなかったことにしようと思う。それはちょっと切実すぎて、とてもじゃないけど笑えないから。
何はともあれ、なんとなく目が疲れてきたような気がするし、そろそろヘッドセットを外そうかなと右手を頭に伸ばした――その時だった。
突然、がちゃりと部屋のドアが開いて、そこには洸汰くんを抱きかかえたマンダレイさんと、腰にタオルを一枚巻いただけの緑谷くんがいた。
※ ※ ※
全ての元凶は峰田くん……否、峰カスだった。
私がお風呂から上がってしばらくした頃、峰カスが、男湯と女湯を隔てていた高い塀をよじ登るという大胆な方法でもって覗きを働こうとしたらしい。
学校の更衣室での一件を覚えていた男子一同は峰カスの犯行を全力で止めようとした……とは緑谷くんの言い分である。私がじとーっと睨んだら、あたふたしながらそう言ってきた。まぁ、ひとまず信じてあげることにしたけど。
はてさてしかし、峰カスは
ただ、その寸前で峰カスを阻んだのが洸汰くんだった。相澤先生が事前に「一人、性欲の権化がいる」とマンダレイさんに伝えていたらしく、洸汰くんに見張りを頼んでくれていたそうだ。
かくして見事に峰カスは撃退されたのだが、直後に洸汰くんは何やら塀の上でバランスを崩してしまった。それなりの高所から落下した洸汰くんは緑谷くんに受け止められたものの、恐怖で失神してしまっており、緑谷くんは服を着るのも後回しにしてマンダレイの下にやってきた……というわけだ。
洸汰くんが塀の上でバランスを崩してしまったのは峰カス退治そのものと関係ないタイミングだったみたいだけど、そもそも洸汰くんがそんなところにいた理由が峰カスにある。
すなわち、峰カスが全部悪い。以上、証明終了である。
「……あいつマジでいっぺんしばくか……」
「ゆ、雪柳さん……?」
……おっと、久々に素の口調が出ちゃったな。
緑谷くんが若干怯えた表情で私のことを見てきたので、ニッコリ笑って「なんでもないですよ」と言ったら……もっと怯えた顔をされた。
マンダレイさんも苦笑いを浮かべて「あはは……まぁなんというか、程々にね?」なんて言って私を宥めてくる始末。気を失ったままの洸汰くんを寝かせるためにソファを空けて、私の隣に座り直したピクシーボブさんもこれに同調していた。
「……あの、マンダレイ」
「ん?」
私の冷ややかな怒りはともかく、割と和やかな雰囲気の中にあって突然緑谷くんが神妙な様子でマンダレイさんの名前を呼び、マンダレイさんはこれに不思議そうな表情を浮かべた。
「洸汰くんは……ヒーローに否定的、なんですね」
そして、緑谷くんの発言の内容自体も、私にはかなり突然に思えた。
確かに洸汰くんは、私たちやマンダレイさんたちに対してかなり反抗的というか、刺々しい様子だった。それが即イコールでヒーローに否定的、というのはちょっと無理やりな気がしたが……もしかしたら緑谷くんは、洸汰くん自身からもっと具体的に何かを聞いたのかもしれない。
「僕の周りは、昔からヒーローになりたいっていう人ばかりで……あ、もちろん僕も……で、なんというか、この年の子がそんな風なの珍しいなって思って……」
緑谷くんがそこまで言うと、ピクシーボブさんが表情を少し強張らせて、マンダレイさんは洸汰くんへと視線を落とした。
それからマンダレイさんは緑谷くんの言葉を「そうだね」と短く肯定する。
「世間じゃヒーローをよく思わない人も一定数いるけど……この子の場合、普通に育ってればヒーローに憧れてたんじゃないかな」
「普通に、ですか……?」
私は静かに話を聞いているつもりでいたのだが、マンダレイさんの持って回ったような物言いに胸騒ぎを覚えて、つい、口を挟んでしまった。
マンダレイさんが顔を上げて、私と、緑谷くんと、ピクシーボブさんを見る。
すると、ピクシーボブさんが静かな声で言った。
「マンダレイのいとこ……洸汰の両親ね。ヒーローだったけど、殉職しちゃったんだよ」
「え……」
小さく声を漏らしたのは、緑谷くんだった。
私はそれすらできず、呼吸をすることさえも忘れてしまった。
「二年前……
マンダレイさんは濡らしたタオルを洸汰くんのおでこに乗せてやりながら、「でも」と続ける。
「物心ついたばかりの子どもには、そんなことわからない。親が世界のすべてだもんね。お父さんお母さんは自分を置いていってしまったのに、世間はそれを良いこと、素晴らしいことだって褒め称え続けた……ううん、世間だけじゃなくって、私たちも。だから、私らのこともよく思ってないみたいで。他に身寄りもないから従ってるって感じだけど……洸汰にとってヒーローは、理解できない、気持ちの悪い人種なんだよ」
そして彼女は小さく息を吐き、目を伏せた。洸汰くんの頬に手の甲を添えて、でも、それ以上のことをしようとはしなかった。
「――ゆきゃなぎキティ? ちょっと、大丈夫? 顔色が……」
ピクシーボブさんが、私の異変に気が付いたようだった。私の顔を覗き込んで、ぎょっとした表情を見せていた。
血の気が引いている自覚はあった。全身が緊張して、悪寒に苛まれている。
ピクシーボブさんに背中をさすられて身体の緊張を解くことはできたが、私はそれからしばらくの間、前屈みになって深呼吸を繰り返すことしかできなかった。
「……雪柳さん、大丈夫?」
やがて、緑谷くんに声をかけられて、私は顔を上げた。なおもピクシーボブさんに背中をさすってもらいながら、なんとか口を開いた。
「……す、いません。急に、こんな。少し……昔のことを、思い出してしまって」
声が震えてしまった。三人とも、とても心配そうな表情で私を見つめていた。
ここまであからさまに動揺しておいて、なんでもないです、なんて誤魔化せないと思った。
「……ヒーロー、グラキエス。ご存じですか?」
私がそう切り出すと、すぐに緑谷くんが反応した。
「グラキエスって……氷操ヒーローグラキエス? 確か、六年前……」
「ええ。そのグラキエスが、私の父です」
そして、端的に返せば、彼だけでなく、マンダレイさんやピクシーボブさんも目を見開いた。どうやら十分に伝わったようだった。
「洸汰くんと私とでは、事情が全然違います。明確に共通してるのは、親がヒーローだったことと……両親が、
と、しかし私はすぐに言葉に詰まってしまった。
何を言いたいのか、何を言うべきなのか。それがわからないことに気が付いた。
いや、そもそも、どうして自分がこんなにも動揺しているのかすらわかっていなかったのだ。
昔のことを思い出してしまうのは、別に珍しくもなんともない。たとえば夜、布団に入って目を瞑っているうちにいろいろと思い出してしまって、なかなか寝付けなくなることがあったりする。
でも、これほどまでに心を乱されることは、最近ではほとんどなかったのだ。
「雪柳さん、無理に話さなくても大丈夫だから。少し落ち着いて、ね?」
「……すいません」
マンダレイさんに言われて、私は今一度俯く。そして、その後しばらく、ピクシーボブさんに再び背中を撫でられ続けた。