「ピクシーボブ!!」
緑谷くんが叫ぶと同時に駆けだそうとして、しかし虎さんに遮られた。
私も咄嗟に動き出そうとしていたのだが、それを見てひとまず踏みとどまる。
「――ご機嫌よろしゅう雄英高校!! 我ら
どこかで見たことのあるような格好をした、トカゲ頭の男がそう言った。
「ねぇ、この子の頭潰しちゃおうかしらどうかしら!? ねぇどう思う?」
「させぬわっ、このっ……!」
サングラスをかけた唇の分厚い男が、地面に倒れたピクシーボブさんの頭に布でぐるぐる巻きにされた大きな角材のようなものを押し付ける。
それに対して虎さんが怒りに声を震わせて、一歩、歩み出たのだが――。
「待て待て早まるなマグ姉! 虎も落ち着け! 生殺与奪はすべて、ステインの仰る主張に沿うか否かだ!」
「――っ、ステイン」
「奴に
そう、そうだ。あのトカゲ男の恰好、ヒーロー殺しの服装に似てたんだ。飯田くんが言ったように、奴に感化されたのがこいつらってわけか。
「アァ、アァそう! 俺は、そうおまえ、君だよメガネくん! 保須市にてステインに終焉を招いた人物!」
トカゲ男は飯田くんを指差した後、背中に背負っていた得物の柄を握った。
「申し遅れた。俺は〝スピナー〟……
そして、トカゲ男……〝スピナー〟と名乗ったその男は、得物を両手で構えた。覆われていた布から現れたそれは、ありとあらゆる種類の刃物を束ねてできた悪趣味な大剣だった。
「……何でもいいが、貴様ら……!」
私の周りで緑谷くんたちが怯み、マンダレイさんが庇うように手を広げる中、虎さんは改めて前に出る。
「その倒れてる女、ピクシーボブはな……最近婚期を気にし始めててなぁ。女の幸せ掴もうって、いい歳して頑張ってたんだよ。……そんな女の顔キズモノにして、男がへらへら語ってんじゃあないよ……!」
「ハッ! ヒーローが人並みの幸せを夢見るか!!」
スピナーが、動き出した。
それと同時にマンダレイさんが虎さんの横に並び立ち、叫んだ。
「虎!!
「承知いたしました! みんな、行こう!!」
マンダレイさんの矢継ぎ早な指示を聞いて、私たちは飯田くんを先頭に施設へと足を向ける。
ピクシーボブさんのことは、気になった。森の中にいるみんなのこともだ。しかし、私たちが勝手な行動をすればむしろ危険が増す
「……飯田くん。先、行ってて」
「緑谷くん!? いったい何を言ってるんだ!?」
「緑谷!!」
緑谷くんが、何故か動かなかった。そして、マンダレイさんの背中に向かって言った。
「マンダレイ!! 僕、
――何を、と私は考えかけて、ようやく気が付いた。
洸汰くんだ。
「……マンダレイさん、私も知っています! 念のため、緑谷くんと一緒に!」
「っ、く、わかった、お願い!!」
私と緑谷くんは顔を見合わせて、頷いた。
※ ※ ※
「う、わ!」
「すいません緑谷くん! 冷たいでしょうけど我慢してください! というか方角あってますかね!?」
「う、うん!! あってるよ!! あの崖だと思う!!」
増強型の個性を持っている緑谷くんだけど、若干の手間を考慮しても私の【氷衣】で移動する方が早いと判断した。森の中を走るよりも空から一直線に目的地へ向かう方が確実だろう、ということだ。
そんなわけで、久方ぶりの【氷衣】によるタンデム飛行。職場体験で師匠にやったきりで、練習する機会はなかった。
ただ、【氷衣】自体の習熟度は格段に上がっているし、前回は師匠をおんぶしたが、今回の緑谷くんは逆に私が後ろから抱っこしてる形だ。今の私はパーカーにショートパンツと【氷衣】を使うにはまったく適していない格好なので少々不安定だが、胴体の氷を安全ベルトにした上で、腕も回してしっかりと抱えている。手足がプラプラしてしまうのは我慢してもらうしかないものの、うっかり落っことしてしまう心配はほとんどない。
「すご、速――って、雪柳さん!! あれ!!」
私たちはあっという間に洸汰くんのひみつきちのすぐ近くまでやってきたのだが、洸汰くんらしき小さな人影と共に、もう一つ、あきらかに大きな人影があった。
「なっ……!」
念のため、とは確かに言った。
でもまさか、こんなピンポイントで――!
「雪柳さん! 僕が行く!!」
「っ! 足場、作ります!!」
考えるのは、後だ。瞬発力は緑谷くんの方がある。
今は、とにかく洸汰くんを。
木の上すれすれを飛んでいた私は若干高度を上げ、緑谷くんを氷のベルトから解放しつつ、洸汰くんの元まで行ける飛び石になるような氷をいくつも空中に生成した。
「洸汰くん!!!」
緑谷くんは私の意図を汲んで足場を利用し、崖の上にたどり着くや否や、大男と相対していた洸汰くんを抱きかかえて素早く距離を取った。
私はそれを確認しながら再び【氷衣】を完全に展開して崖の方に接近しつつ、足場の氷塊を氷柱に成形して付き従わせる。そして、一瞬悩んだが、私は大男の背後に距離を置いて降り立つ――つまり、緑谷くんと私とで、大男を挟み込む形を取った。
「――おいおいなんだよ、俺がせっかくその子どもと仲良く喋ってたのに、いきなり邪魔しやがって……と、言ってやるつもりだったんだがなぁ、えぇ? ハッハァ、なんて
大男がくつくつと笑いながら、私の方に顔と身体を半分向けてきた。
大男は、黒い外套を頭から被って身体をすっぽり覆い、顔を奇妙なマスクで隠していた。
「……あなたも、
「ん? あぁ、そうだぜ。
……素直に答えてもらえて、助かった。
こいつが
こいつが、
まず、最優先は洸汰くんの身の安全だ。
交戦は、可能な限り避けるべきだ。
緑谷くんもきっと同じように考えているはずだけど、はっきりと意思統一をしたかった。やっぱり近くに降り立つべきだった。失敗だ。
ただ、男は顔と身体を完全に私の方へと向けてくれた。
私は緑谷くんの目の前に氷を生成し、『ニゲヨウ』、と文字を作った。緑谷くんは少し目を見開きつつも、頷く。
「おい、白い女。一応確認しとくが……」
タイミングが難しいが、おそらく先に動き出すべきは私だ。洸汰くんを抱えている緑谷くんに注意が行くのはまずい。私が派手に動けば奴の注意は私に向いて、きっと緑谷くんはその隙に――。
「――おまえ、雪柳って名前だな?」
「――だったら、なん」
「その反応は、つまりYESってことでいいな」
次の瞬間。
男の姿が視界から消えて、私は真横に吹き飛ばされた。
※ ※ ※
良い状況、とはとても言えなかった。
洸汰くんが、きっと〝ひみつきち〟にいる。緑谷はそう思った。
ひみつきちの場所をプッシーキャッツが知っているかどうかわからないが、何にせよ合宿場にいる
少なくとも、マンダレイと虎は広場の
自分が行くしかない。緑谷がそう決断するまでにさほどの時間はかからなかった。
しかし、不運と言うべきかなんなのか、緑谷たちがひみつきちへとたどり着いた時には、既に洸汰くんは
緑谷はいても立ってもいられず、雪柳の氷から解放してもらって洸汰くんの下へと駆けつけた。間一髪というタイミングではなかったが、それでももう少し遅ければどうなっていたか。
その後すぐ、雪柳が大男の背後に降り立った。自分と雪柳とで大男のことを挟むような形になったわけだが、おそらく雪柳は大男のことを警戒したのだろうと緑谷は思った。洸汰くんの安全を最優先に考えるなら悪い判断じゃない……が、注意を引く役目が必然的に雪柳のものになってしまうことは、緑谷としてはまったく望ましくなかった。
立ち位置が離れているせいで、お互いの意思を統一するのが難しい。しかし、雪柳が大男に話しかけて彼女自身の方へと注意を引いた後、器用にも氷を空中に生成することで『ニゲヨウ』というメッセージを送ってきた。
緑谷は、雪柳がおおよそ自分と同じように考えていることを確信した。
最優先は洸汰くんの安全であり、交戦ではなく逃げの一手。雪柳なら空中にも逃げられるし、洸汰くんを抱えている自分よりも間違いなく機動力がある。
大男の個性や強さがわからない以上、賭けであることに変わりはないが、分が悪すぎるということはないと思った。
「――おまえ、雪柳って名前だな?」
「――だったら、なん」
「その反応は、つまりYESってことでいいな」
だが、賭けには負けた。
「――っ、ゆ、雪柳さん!!」
ある程度の距離を置いて見ていた緑谷ですら、何が起こったのかを理解するまでに一瞬の時間を要した。
大男はその場で跳躍して緑谷と雪柳の視界から外れ、雪柳の真上に迫って真横から拳を振りぬき、彼女の身体を吹き飛ばして壁に叩きつけたのだ。
「――っとと、あぁやべぇ、加減ミスったな。女だからって軽すぎるぜ、もっと鍛えとけよヒーロー志望。……ま、死んじゃいねぇだろ。死んでさえいなけりゃいいって話だったしな」
着地した大男はぶつくさと独り言を言いながら、ゆっくりと緑谷の方に振り向く。大男からは奇妙な白いマスクとフードが外れていて、雪柳を殴りつけた剛腕には、生々しい肉の色をした太い繊維のようなものが絡みついていた。
「――パパ、ママっ……!」
大男の顔を見たらしい洸汰くんが目元に涙をいっぱい溜めて、喉の奥から絞り出すような声を出した。
怯えるのも無理はない、と緑谷は思った。晒された大男の顔の左半分には大きな傷跡があり、左目には異様なデザインの義眼がはめられている。いかにも好戦的な表情も相まって、かなり凶悪な印象を受けた。
「……洸汰くんごめん。降りて、少し下がってて」
緑谷は怯えている洸汰くんを一度強く抱きしめたあと、大男から視線を外さずにゆっくりと洸汰くんを地面に降ろした。
大男の横合いの岸壁に背を預ける形で座り込み、項垂れている雪柳を見る。大男の発言を信用していいのかわからないが、きっと、死んだりはしていないはず。しかし、あんな殴打を食らったのだから、まったくの無事であるはずもない。意識があるかも怪しい。少なくともすぐには動けない――緑谷は、瞬時にそう判断した。
緑谷の中に〝雪柳をこの場に置いていく〟なんて選択肢はなく、したがって〝洸汰くんを連れて逃げる〟という選択肢もなくなってしまった。
さらに痛恨だったのは、ズボンの右ポケットに入れていたはずのスマートフォンが見当たらないことだった。雪柳に運んでもらっていた最中か、そうでなければ雪柳に放してもらった後に落としたか……雪柳が一緒だからということもあって、誰にもこの場所を告げずに来てしまった。以前ヒーロー殺しと相対した時と違って、応援は望めない。
(一人……一人だ。僕一人で、やれるのか? この
緑谷は背後の洸汰くんの表情を改めて見て、弱い方に流れかけた心を奮い立たせた。
やるしかないのだ。自分がやらなければ洸汰くんは、雪柳は。
「だい、大丈夫だよ、洸汰くん……僕が、必ず救けるから」
「……必ず、救けるねぇ……ハッハァ」
大男はあからさまに嘲りを含んだ声音で緑谷の発言を反復する。
「その正義面、流石はヒーロー志望って感じだな、ガキ。なぁおまえ、確認しとくが緑谷ってやつで間違いねぇよな? いや、ほんとラッキーだぜ。おまえのことは率先してぶっ殺しておけってお達しでな……」
「――っ!」
大男は喋りながら左手で外套の胸元を掴んだ。
そして。
「じっくりいたぶってやるから、血ィ見せろ!!!」
外套を脱ぎ捨てると同時に身をかがめ、腰だめに右腕を構えた。
――来る。
「――ぐっ、うぅっ!?」
すぐ後ろに洸汰くんがいるから、迂闊に避けることはできないと考えていた。
すなわち初手はほとんど防御一択……しかし、それにしてもいきなりのアッパーカットは想定しておらず、両腕を交差させて拳を受けることで腹に直撃をもらうことはなかったが、思い切り空中に吹き飛ばされてしまった。
「安心しろよ、あんなチビガキでも貴重なおもちゃだ。おまえのついでにうっかり殺しちまうなんて、そんなもったいねぇことはしねぇさ」
「!?」
空中にいるはずなのに、すぐ後ろで大男の声が聞こえた。
追撃が、早すぎる。
「く、そっ……ッ!」
緑谷はなんとか空中で身体を捻ったがガードはまったく間に合わず、先ほどの拳よりも幾分か重たい蹴りが腹部にクリーンヒットして、再び吹き飛ばされてしまった。
地面に叩きつけられ、転がる。身体中が痛かった。
「はっはは!! 血だ! いいぜこれだよ楽しいぜ!!! ……っと、ふぅ、いけねぇいけねぇ。お楽しみの前に、一応仕事はしなくちゃなぁ……なぁおい、爆豪ってガキはどこにいる? あっちは傷つけるなって言われてっから、正直メンドくせぇんだが……」
大男の発言を聞いて、緑谷は目を見開いた。
(どうして、かっちゃん? それに、
つい、思考の海に沈みそうになった緑谷だったが、身体の痛みで我に返る。
気になることが多すぎる。しかし、今は目の前の敵に集中しなければ。
「……ぐっ」
全身に個性を――ワンフォーオールを張り巡らせる。今、自分にできる最大限である出力5%のフルカウル。
緑谷は地面に伏した状態から一気に大男の懐へと接近し、がら空きの胴体目掛けて一撃を放った……が。
「――おいおい、人が質問してんのにいきなり殴り掛かんなって。まぁ、いいや。知らねぇってことでいいな……で、今のがおまえの個性か? 速さは悪くねぇが……」
奇しくも、先ほど緑谷が大男の拳を腕で受けたように、大男も緑谷の拳を腕で受けていた。
「力が足りねぇなぁ!!」
「ぐあっ!?」
だが、結果はまるで違った。
いくらあのオールマイトの個性『ワン・フォー・オール』とは言え、5%のパワーでは大男はびくともせず、腕で振り払われただけで緑谷は再び地面を転げることになった。
ただただ振り払われただけだが、緑谷はすぐに立てなかった。たった二、三度拳を交えただけなのに、もう、身体中がボロボロだった。
「俺の個性は『筋肉増強』!! 皮下に収まんねぇほどの筋線維で底上げされる速さ!! 力!! 何が言いてぇかって!? 自慢だよ!! つまり、おまえは俺の完全なる劣等型だ! わかるか俺の今の気持ちが!? 笑えてしかたねぇよ!!」
大男が大声で喚く中、横向きに倒れる緑谷の視線の先には、ちょうど雪柳の姿があった。肩が微かに動いていることからおそらく息をしているが、やはり意識があるかどうかは判別がつかない。
以前のことを、緑谷は思い出す。雄英高校に入学してすぐの、USJでのことだ。
あの時の緑谷には、雪柳を救けるだけの力がなかった。いや、厳密に言えば力は持っていたが、それをまともに扱うことができなかった。だから、持っていなかったも同然だ。
自分がもっと早く『ワン・フォー・オール』を扱えるようになっていれば、もしかしたら彼女は左腕を失うところまではいかなかったかもしれない。とんだ思い上がりかもしれないが、それでも時々、考えてしまうことがある。
今の自分には、あの時よりもずっと力がある。
なのにまた、こんな。
「えぇ、おい!? 聞いてんのか!? そんなヘボ個性でどうやって
大男が一方的に喚き散らし、腕を大きく振りかぶった。
緑谷は「避けなきゃ」とだけ咄嗟に思考したが――ふと、小石が地面に落ちる音がした。
大男は気勢をそがれたように腕を降ろし、その場で後ろに振り向く。
洸汰くんが、何かを投げ終えたような恰好で、大男を睨みつけていた。
「……ウォーターホース……パパも……ママも……そんな風にいたぶって殺したのか……!」
「――……っ!!」
緑谷は、息を呑んだ。
そして同時に、思い出した。知っていた。
目の前の大男。
洸汰くんの両親を殺した張本人だ。
さっき洸汰くんが怯えていたのは、奴の容姿に怯えたからじゃない。洸汰くんはあの時点で、気が付いていたのだ。
「……おいおいマジか、あのヒーローの子どもかよ? 運命的にもほどがあるだろ……ウォーターホース。もちろん覚えてるぜ。この俺の左目を、義眼にした二人だ」
大男――マスキュラ―は洸汰くんの方を向いた。緑谷と、雪柳のいる方には完全に背を向けた形だ。
「おまえのせいで……おまえみたいなやつのせいで! いつもいつもこんなことになるんだ!!」
「……はぁ、ガキはそうやってすぐ責任転嫁する。よくねぇな。俺はこの眼のこと恨んじゃいねぇんだぜ? 俺はやりたいことやって、あの二人はそれを止めたがった。お互いがやりてぇことをやりてぇようにやった結果さ」
マスキュラ―は言いながら、再び両腕に筋線維を纏い始める。洸汰くんがびくりと身体を震わせて、後ずさった。
「いいか、ガキ。悪いのはなぁ、できもしねぇことをやりたがった――てめぇの、パパとママさ!!!」
洸汰くんに向けて、マスキュラーが拳を振りかぶる。
「――おまえはもうッ、喋るなァッ!!!」
そして、そのマスキュラ―に向かって一番に飛び出したのは、