「雪柳さん、洸汰くん。まずは施設に向かおう」
緑谷くんのその発言に、私は引っ掛かりを覚えた。
まずはってなんだろうか、と。
胸の痛みにもある程度慣れてきて多少は呼吸も落ち着いてきたものの、それでも声を出すのは躊躇してしまう。
なので、私はじっと緑谷くんの目を見つめてみたのだが、そんなことをしている間に洸汰くんが「まずはってなんだよ、そんな身体でおまえ、まだ何かする気なのか?」と私の疑問を全部言ってくれた。
「えっと。さっき、あの
狙いが生徒……たぶんそれは、爆豪くんのことだろう。
奴が緑谷くんに尋ねていたのは、私も聞いていた。あの大男に殴り飛ばされて少しの間気を失い、それからちょうど意識を取り戻した時に耳にしたことだ。
爆豪くんをどうするつもりなのかはわからないが……とにかく彼が
緑谷くんが幼馴染である爆豪くんを心配する気持ちは人一倍のはずだ。たとえ、傍目からすればどう見ても仲が良好でなくっても、緑谷くんにとっては関係ないはずだ。緑谷くんは、そういう人だ。
そして、爆豪くん以外のみんなだって、危険な状況にあることは間違いない。緑谷くんが言うように
緑谷くんは、爆豪くんを、みんなを救けるために動くつもりでいるのだ。もはや両腕がまともに使えないような状態なのに。
……ともあれ、それでも緑谷くんが一旦施設に向かおうと言った理由は明白だ。
「――でも、まずは君を安全なところに届けないと。だから、一旦施設に行く。二手に分かれることも考えたけど、途中でまた
緑谷くんは洸汰くんに向けていた視線をちらりと私へ移した。
洸汰くんを施設に預けに行くことに、もちろん異論はない。万が一を考えて一緒に行くことも同様だ。
でも、その後で緑谷くんが動くことには同意できなかったから、彼から向けられた視線に対して頷くことは躊躇った。私だって当然みんなが心配だけど、同じくらい緑谷くんのことだって心配なのだ。彼の怪我は、どう見てもこれ以上動き回っていいものじゃない。
ただ同時に、私がこの場で緑谷くんを説得するのはいろんな意味で難しかった。緑谷くんの目は決意に満ち満ちているし、私はあれこれと言葉を尽くすのが物理的に困難な状態だ。
その点、施設に行けば相澤先生かブラドキング先生が必ずいるだろうし、今の状態の緑谷くんが戦線に出ることを、いや、万全の状態だったとしても絶対に許さないはずだ――と、そう思い至ることができて、ようやく頷けたのだ。
とにかくそういうわけで、私たちは施設へと急ぐことになった。
※ ※ ※
洸汰くんのことは、緑谷くんが背負って運ぶことになった。
緑谷くんが率先して言い出したというのもあるが、私はとても【氷衣】を使えるような状態じゃないので、移動には氷の板を作って飛ぶことになる。自分が乗るだけなら加減速のコントロールも適当でいいが、洸汰くんも乗せるとなるとそうはいかない。
またそもそも、私が個性の操作を誤りかねない状態だし、そんな高高度を飛ぶつもりはないけど落下でもしたら大変だ。なので、大変心苦しいが、施設に早くたどり着くために緑谷くんに任せることにしたのだ。
そうして、施設へと戻る途中。
「――あ、おい、あれ!」
突然、洸汰くんが緑谷くんの背中の上で声を上げた。
洸汰くんが指差した方向を見てみれば、そこには広場の方へと走っている相澤先生の姿があった。
「先生!!」
緑谷くんが大声で呼ぶと、相澤先生が私たちに気が付いた。先生はその場で立ち止まり、緑谷くんの名前を言いかけて、とても険しい表情を浮かべた。
「先生! よかった! 大変なんです……! 伝えなきゃいけないことがたくさんあって、けど、とりあえず僕、マンダレイに早く伝えないといけないことがあって……!」
緑谷くんはあきらかに興奮した様子で、矢継ぎ早に話し続ける。
相澤先生が声をかけても、まったく耳に入っていないような状態。
焦っている。
先ほどまでなんとか保っていた冷静さを失って、焦りが前面に出始めてしまっている。
「先生、洸汰くんと、雪柳さんをお願いします! 絶対に二人を守ってください!」
緑谷くんは洸汰くんを背中から降ろすと、そのまま広場の方に向かって走り出した。
「みどり、や、うっ、けほっ」
私は緑谷くんを呼び止めようと反射的に声を出そうとしたが、気道に絡んでいたらしい血と胸部の痛みに遮られてしまう。
「雪柳、おまえ――くっ、おい緑谷! 待て!!」
相澤先生は一瞬私に気を取られて、緑谷くんを止めるのが遅れた。相澤先生が個性を使えば止められただろうに、緑谷くんの姿はそのたった一瞬ですでに見えなくなってしまった。
「――雪柳、状況の説明……は、難しいか。なら、手短に一つだけ確認するが、おまえらは
「は、い」
私が簡潔に肯定すると、相澤先生は短いため息を吐いた。
「わかってると思うが、後で説教だ。今は――」
「洸汰くんは、私が。先生は……」
「……ああ。俺は、あいつらを救けに行く。だからおまえは、洸汰くんを連れて無事に施設まで戻れ。できるな?」
ここから施設まで、おそらく歩いても十分とかからない距離だろう。それに、相澤先生が走ってきたこの道を辿ればかなり安全なはずだ。洸汰くんの安全を考えれば念には念をと思う気持ちもあるけれど、そのせいで誰かの窮地に間に合わなくなってしまうかもしれない。
だから私は、相澤先生の言葉に頷いた。相澤先生には緑谷くんを追ってもらった方がいい。緑谷くんを殴ってでも止めてもらって、それからみんなを救けてもらう方がいい。
「……みんなを……お願い、します」
「ああ、もちろんだ」
相澤先生は力強く首肯して、すぐさま緑谷くんと同じように広場の方へと向かっていった。
私は細く息を吐いた後、改めて洸汰くんに向き合う。
「……洸汰くん、行こう」
「う、うん……わっ、な、なんでいきなりパーカー脱いで」
「冷たい、から。ごめんね」
私は上に着ていたジップパーカーを脱いで洸汰くんに着せた。そして、氷の板を地面に降ろして洸汰くんに乗ってもらう。右手側で洸汰くんのことをしっかり抱いた後、私は再び氷の板を動かし始める。
「……姉ちゃん」
「なん、ですか?」
洸汰くんが私の服をぎゅっと掴んできた。
「ごめん、なさい。ごめんなさい……! 昨日、水かけたのに。なのに……僕のために、あんなに怒ってくれて、こんな怪我までして」
洸汰くんはしゃくり上げながらごめんなさい、ごめんなさいと謝ってくる。
私は、洸太くんの頭を抱いて、右肩に軽く押し付けた。
「大丈夫、大丈夫、です。気にしてません、から」
「でも、でも……ねぇ、アイツ……兄ちゃんは、平気かなぁ……! 僕、アイツのキンタマ殴ったんだ。でもアイツも、あんなボロボロになって僕のこと救けてくれて……まだ、ごめんなさいも、ありがとうも言えてないのに……!」
「……さっきの、先生。強い人、だから。大丈夫、みんな、みんな救けてくれます。きっと……だからあとで、言ってあげて。ありがとうって、いっぱいね」
控え目にしがみついている洸汰くんの背中を、私はぽんぽんと軽く叩いて宥める……なんだか、無性に懐かしい気分になって――。
「――……?」
――ふと、人影が視界の端に映った。
長身の男。
黒いコート。
腕や顔の大部分に、焼けただれたような痕。
知らない人間。
かざされた、掌。
直後、私は反射的にその掌から距離を取ろうと氷の板を動かし、洸汰くんを抱きしめて背を向けた。
「――がっ、ああっ!!」
眩い青色の光と同時に、身体の左側、主に首から肩、背中にかけて激痛が走る。
炎に焼かれたのだと理解するのには、少しだけ時間がかかった。
私たちが乗っていた氷の板は分厚く作っていたから、溶け切ってしまうようなことはなかった。
しかし、突如襲ってきた痛みのせいで私は個性の制御を一瞬手放してしまい、慣性のままに氷の板ごと地面へと放り出される。
「うっ、ね、姉ちゃん……!?」
腕の中の洸汰くんを庇うようにして落ちた私は、少なくとも表面上は彼に怪我がないことを確かめると、すぐさま立ち上がって振り向いた。
その時私が考えたのは、考えることができたのは、たった一つだけ。
――洸汰くんを、守らなきゃ。
「――っ!」
足元に散らばっていた大小さまざまな氷の破片たちを、火傷男めがけてノーモーションで放つ。
すると火傷男は、おそらく奴の個性である炎による迎撃でなく、回避を選択した。一瞬で溶かし切るにはあきらかに大きすぎる氷塊が交じっていたからだろう。
火傷男の判断は的確で、私の朧げな狙い通りでもあった。
「ーー洸汰くん施設へ!! 早く、走って!!!」
私は血反吐を吐きながらそう叫び、個性を発動して【氷衣】を纏った。
そして、回避のために体勢を崩していた火傷男に掴みかかり、そのまま草木が生い茂る道の外れへと引き摺り込んだ。
※ ※ ※
「……ハッ、判断が早いぜ。流石は天下の雄英生ってところか」
私が投げ飛ばした火傷男は、難なく着地して流れるように立ち上がった。
火傷男の容貌は、改めて見ても不気味だった。
下瞼、下顎から首にかけてと、それから手首から先を除いた両腕の上腕全部がひどい火傷の痕に覆われており、縫合痕のようなものもあちこちにある。
また、相澤先生と同じか少し低いくらいの高身長で痩せ身だ。人を見かけで判断するのは褒められたことじゃないけれど、それでもこの火傷男から受ける印象はやはり不気味の一言に尽きた。
ただ、少し不思議なのは……どことなく、この男に既視感を覚えるところだ。
一度見たことがあったとして、忘れるわけがないだろう。
だったら、誰かに似ているとか? それはいったい誰に――。
「……っ、は、ぁ」
不意に走った激痛で、思考が現実に引き戻される。……いや、痛みはもう、ずっと感じていた。
正直に言って、今なお意識を保てていることが不思議でならない。目の前の火傷男への既視感なんて比じゃないくらいに、だ。
火傷男を道外れに引き摺り込んだのは、ただ、洸汰くんを守るためだった。後のことは何も考えておらず、もはや私は気力と体力を使い果たしていた。
今の私は、地面に立っているようで立っていない。【氷衣】によってかろうじて身体を支え、倒れないようにだけしている状態だ。
……だから、火傷男がゆっくりとこちらに近づいてきて、私の首に手をかけてきてもなんの抵抗もできなかった。
「本当は、プロヒーローにちょっかいかける予定だったんだが……
「……ゆ、うせん……」
――ああ、と。
私は、ここでようやく気が付いた。
そう言えば、あの大男が名前を確認したのは、爆豪くんだけではなかったじゃないか。
奴は、私も。
「雪柳氷雨。おまえは、死んでさえいなければいいらしい。……まだ、抵抗するか?」
火傷男の問いかけに、私は答えを返さなかった。
洸汰くんはちゃんと施設に向かってくれただろうか、と考える。
みんなは無事だろうか、と考える。
相澤先生はちゃんとみんなを救けてくれているだろうか、と考える。
私は、相澤先生との約束を守れなかった。
洸汰くんを無事に送り届けることができなかった。
私自身が無事であることも、叶わなかった。
でも、それでも。
「――あ?」
どうせ、ヒーローになることは諦めた身だ。
この火傷男を放置しても、良いことなんてない。
森で起こっている火事はきっとこいつの仕業で、しかも現在位置を考えれば、広場と施設を分断するような真似をされかねない。
だから、排除しておこう。
さっきと違って、誰かを巻き込む心配もない。加減をする必要がないのだから、本当の本当に簡単だ。
一瞬の後、私は、私を中心とした周囲一帯に全力で冷気を発生させた。
「――ッ、て、め」
火傷男が開いた口は、そのまま塞がらなくなった。舌の根まで凍り付いているのが見えた。
私は【氷衣】で持ち上げた右手で、火傷男を軽く突き飛ばす。
すると
「――……」
そして気が付けば、私も地面に倒れ伏していた。【氷衣】で身体を支えるのも、限界だった。
意識が遠のく。
たった今自分がしでかしたことについてすら、考える暇もない。
けれど、私は最後に見た。
霞む視界のその先に、夜の闇よりもずっと暗い、黒い霧が現れるのを。