そしてまた、目が覚める。
穏やかな目覚め、だった。
規則的な電子音。白い天井。消毒の匂い。
柔らかいベッドの上に仰向けで寝かされているようだった。呼吸の苦痛も、背中や首を覆っているはずの火傷の激痛も感じない。
周囲を確認しようと頭を動かしてみて、首から肩の皮膚が突っ張ったような感じがしたことが気になった。さらに軽く身じろぎをしてみれば、背中に服が触れている感覚がひどく鈍い。なんとなく、この身体がどういう状態にあるのかを察する。
部屋の中には誰の姿もなかった。そのことに心の底から安堵して、同時に寂しさも感じて――そもそも、そんな悠長なことを考えていていい状況なのかと考えるに至って、一気に不安が押し寄せてきた。
右手の手首に付けられていた点滴の針を、口を使って乱暴に取り去る。そうして自由になった右手で、今度は身体に張り付いていた心電図計のコードたちを無造作に引き剥がす。
身体を起こし、ベッドを降りた。この場所から、
……それからすぐ、再び立ち上がるよりも早く部屋の外から足音が聞こえてきて、看護師の格好をした人たちが現れた。
彼らは慌てた表情で駆け寄って来たかと思うと、「ここは安全な病院だ」、「あなたは救助されたんだ」、「だから落ち着いて」というようなことを矢継ぎ早に言ってきた。
言葉の意味を十分に理解した途端、今までの焦燥感はなんだったんだろうというくらいに心が落ち着いた。今度こそ本当に安心したせいか、ますます手足に力が入らなくなってしまって、ベッドに戻るにあたっては看護師さんたちの手を借りることになった。
そしてその後、これまた慌て気味に部屋へやって来た医師からそのままの流れで簡単な診察を受けて、いろいろな説明をされた。
曰く、自分が救助されてから既に二日が経過しているらしい。
曰く、雄英高校から駆け付けたリカバリーガールが個性で治療を施してくれたらしい。
曰く、しかし彼女でも左側の首から背中にかけての火傷痕を綺麗に治すことはできなかったらしい。
その他にも、身体の状態についていろいろな説明を受けた。あまり頭に入ってこなかったが、火傷痕以外に後遺症は残っていないということだけ理解できた。
そうして一連の説明が終わって、点滴針を無理やり引き抜いたせいで血が滲んでいた右手首に手当もしてもらって、医師も看護師も部屋を去った。
その後しばらくは無為な時間を過ごした。
天井を見つめながら、ただ、ぼんやりとしていた。
強いて言えば、右手首に巻かれた包帯の奥でじくじくと存在感を主張する痛みだけがずっと気になっていたくらいか。
そんな時間の終わりを告げたのは、病室のドアをノックする音。
こちらが返事をする間もなく、大勢の大人たちがぞろぞろと病室に入って来た。
※ ※ ※
知っている顔は二人分だけだった。
一人は、相澤先生だった。見慣れたヒーロースーツ姿のはずなのにどことない違和感を覚えて、すぐにそれがいつもより髭が薄いせいだと気が付いた。
もう一人は、根津校長先生だった。こちらはいつもと特段変わらない様子だが、なんとなく、いくらか険しい表情をしているように感じた。校長先生に限った話ではないが、異形型個性の人の表情を読み取るにはそれなりの慣れやコツが必要だ。
そして、他の人たちについては、一切の見覚えがない。
まずもって一際目を引かれたのは、相澤先生の隣に立っている骸骨かミイラのように痩せ細ったボロボロの怪我人だ。なんだか萎れた金髪に加えて目元は落ち窪んで真っ暗だが、その奥に覗く瞳はとても綺麗な青い色。こちらを見る表情は何とも痛ましそうで純粋すぎるほどの心配の気持ちが伝わってくるのだが、彼の方がよっぽど痛ましい姿をしている。
あとは、パリッとしたビジネススーツを着ている人が三人。女性が一人、男性が二人で、彼らは相澤先生と骸骨の人、校長先生の少し後ろに並んで立っていた。
「雪柳」
最初に口を開いたのは、相澤先生だった。
「体調は、大丈夫か」
「……大丈夫らしい、です。お医者さんによれば」
声を出すのは随分と久しぶりな気がしたけれど、ほんの少しつっかえただけで、意外にすんなりと言葉が出た。
ただ、我ながら驚いてしまうほど、声音は無機質な感じがした。だからと言って、次から取り繕おうとも思わなかったが。
「……その医者からも、身体のこと以外はあまり詳しく聞かなかっただろ。不審に思ったかもしれないが、少し事情があって口止めさせてもらっていたんだ」
相澤先生はそう言いながら、ちらりとスーツ姿の人たちを見やる。
彼らの仕業だ、と、暗に言っているのだろうか。そもそも誰なのかという紹介もないわけだが口は挟まず、今更ながらに上体を起こした。
相澤先生は再びこちらの目を見て、話を続ける。
「俺の口から、事の顛末を説明する。合宿で起こったこと、それから神野で……合宿の後、おまえたちを救け出すための作戦が行われたんだが、その時のことだ――」
――林間合宿での最終的な被害は、プロヒーロー6名のうち1名……ピクシーボブが意識不明の重体、もう1名、ラグドールが大量の血痕を残して行方不明。生徒の方は15名が
……ああ、安心しろ。今言った全員、命に別状はない。生徒たちは既に意識を取り戻しているし、後遺症も残っていない。ピクシーボブもだ。ラグドールは、少し複雑だが……少なくとも、大きな怪我を負ったりはしていない。だから、安心していい。
さて、まずは合宿でのことだ。おまえと別れた後のことから、順を追って話していく。
爆豪が
だが緑谷は、それを伝えた後に施設へ戻らず、森の奥へと入っていったようでな。さらに少しして広場へたどり着いた俺はマンダレイたちに加勢しつつ、生徒たちへ戦闘の許可を出した。
雪柳、おまえはそれを……聞いた覚えはない、か。つまり、その時点で既に黒霧にワープさせられていたわけだな……。
……おまえが
おまえが荼毘――炎の個性を持っている火傷痕の男に襲われたことは、施設に走ってきた洸汰くんがブラドへ伝えてくれたんだ。だが、ブラドが駆けつけた時には、もうおまえの姿はなかった。周囲一帯が氷漬けになっていたことから、おまえがそこにいた痕跡はあったそうだが……そう、そうか。やはり黒霧か。おまえが見たもの、聞いたものについては、この後でゆっくり聞かせてもらうよ。
それで……爆豪についてだが、
……その後、当然合宿は中止になった。翌日にはマスコミが雄英に詰めかけて、世間は大騒ぎだ。何せ、USJ襲撃から半年も経たないうちにまたもや
ただ、襲撃から二日後にはおまえと爆豪の救出作戦兼
そして、そのアジトの所在というのが神奈川県横浜市の神野区だったんだが――。
「――相澤くん。そこからは、私が話してもいいだろうか」
相澤先生の言葉を遮って、金髪の骸骨の人が口を開いた。
あまり、力のない声。
けれど、確かに聞き覚えがあった。
「……オールマイト、先生?」
「……ああ、そうさ。にわかには信じられないだろうけれど、これが、私の
本当に、本当に信じられない。
面影すらないとまでは思わない。が、逆に言えばそんな表現をせざるを得ないほどに、変わり果てた姿だ。
けれど、この場の誰一人として否定しないということは、きっと、嘘でも冗談でもないのだろう。
オールマイト先生は、静かに、ゆっくりと語り出した。
「……相澤くんが言った通り、君たちの救出作戦は迅速に決行された。
記憶にない。
別にそれを告げるつもりはなかったが、オールマイト先生には伝わってしまったようだった。
「雪柳少女はずっと気を失っていたようだったから、覚えはないかもしれないね。ともかくその後、私を含めた精鋭のヒーローたちで即座に無力化を図ったんだが……結局その場では連合のメンバーたちを取り逃がし、君も爆豪少年も、再び連れ去られることになってしまった」
「……ワープの個性の、黒霧とかいう奴のせいですか」
「いいや。別の人間……
――思わず、目を見開いた。動悸が嫌に激しくなって、背筋に冷たい汗が流れた。
オールマイト先生の言う
「おい雪柳、大丈夫か」
「……だい、じょうぶです。すいません、続けてください」
よっぽどあからさまに顔色に出てしまったのか、相澤先生が少し焦った様子で近寄ってこようとしたが、なんとかすぐに取り繕えた。
オールマイト先生はますます痛ましい表情になって、校長先生もスーツ姿の人たちも揃って僅かに険しい顔をしていた。
「……すまない雪柳少女。配慮が足りなかったね。ただ、ここから先は奴に……オール・フォー・ワンについて、触れざるを得ないんだ。続きを話して、本当に大丈夫かい?」
オール・フォー・ワン。
そうか、あの人は、そんな
「……ええ、平気です。聞かせてください」
高鳴った心臓を押さえ付けるように胸元へ手を当てながらそう言うと、オールマイト先生はこくりと頷いてさらに話を続けてくれた。
「オール・フォー・ワンがいたのが、神野のアジトの方だった。奴が、個性で死柄木たちと君や爆豪少年をワープさせたんだ。神野の方にはNo.4ヒーローのベストジーニストを筆頭とした数名のヒーローたちと警察がアジトへと突入していて、複数保管されていた脳無たちの捕縛や、行方不明だったラグドールの身柄を保護することができていたそうだ。だが……奴がワープの個性を使った時点で、既に、その場にいたヒーローたちは倒されていた」
「倒されて、って」
「ヒーローたちに、死者は出ていないよ。しかし、オール・フォー・ワンは本来、五年前の……流石に全盛期は過ぎていたものの、名実ともに〝平和の象徴〟として活動できていた私ですら相討ちになったような存在だ。そして、私が後遺症として大幅に力を衰えさせたように、奴もまた大幅に弱体化していたが……それでもなお、ベストジーニストにすら奴の相手は荷が重かった」
オールマイト先生ですら、相打ちがやっとの存在。
No.4ヒーローですら歯が立たない存在。
それを聞いても、驚きはなかった。むしろ、すんなりと納得できてしまった。
そして、結局のところ何が起こったのか。ようやくその予想がついた。
「……つまり、オールマイト先生は、神野でそのオール・フォー・ワンと戦った……そういうことですか」
「ああ。そうして奴を倒すことはできたが、今まで隠してきたこの姿を、衆目に晒すことになってしまった。力を使い果たしてしまったんだ」
「……そう、ですか」
自分で導き出した結論だからか、やはり驚愕はなかった。
でも、頭の、心の整理が付かない。ただでさえ
オールマイト先生が。
オールマイトが、平和の象徴が、力尽きた。
その意味は、あまりにも大きい。今の自分には、受け止め切れない。受け止めるだけの余裕がない。
ふと気が付けば、オールマイト先生から視線を逸らして、床を見つめていた。
次に聞こえてきたのは、相澤先生の声だった。
「……オールマイトとオール・フォー・ワンが戦う最中、おまえと爆豪はそれに巻き込まれかねないほど近くにいた。死柄木たちはオール・フォー・ワンにその場から逃げるよう促され、おまえたちのことも連れ去ろうとしたようだが、それは間一髪阻止された。まぁ、だからこそおまえは今ここにいるわけだが……」
「……それは、オールマイト先生が?」
「いいや、雪柳少女。君と爆豪少年を救け出したのは、その時現場に来ていた緑谷少年たちだったんだ」
「え?」
耳を疑った。
顔を上げて相澤先生の顔を見ると、まさしく苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「……緑谷、轟、切島、飯田、八百万。この五人が、おまえや爆豪を救け出そうと独断で行動していたんだ。そしてその結果、実際におまえと爆豪の救出をやってのけた。……いや、
そんなの、当たり前だ。
だってそんなの、先生たちが……いや、警察やヒーローだって、許すはずがない。許されるはずがないことを、その5人だってわかっていたはずだ。わからないはずがない。なのに、なんで。
「……その時の詳しい状況については、俺もまだ把握しきれていないのが正直なところだ。だから今は、とにかくそういうことだったとだけ知っていてくれればいい」
――もう、わけがわからない。
いや、違う。
そもそも、最初から、ぜんぶわけがわからないのだ。
また、目が覚めたらぜんぶ終わっていた。
USJの時も。
五年前も。
あるいは、おばあちゃんが死んだ時でさえ。
目が覚めたら、気が付いたら、重大なことはぜんぶ終わっている。自分の知らないところで、自分の知らないうちに、ぜんぶ。
……ああ、だからなのだろうか。悲しみだとか、怒りだとか、そういう抱いて然るべき感情を抱くのがいつも
いや、それとも。
やっぱり自分が
「――雪柳?」
「……あぁ、ええ、はい。わかりましたよ」
気が付くと、相澤先生が怪訝そうな表情でこちらを窺っていたが、適当に誤魔化す。
考えるのは、一旦やめにした。
「それで、話は終わりですか」
そしてすかさず尋ねれば、相澤先生は「いや」と首を横に振った。
「おおよそは話し終えたが、最後にもう一つだけ、おまえに伝えておかないといけないことがある。今回の合宿襲撃について、雄英は記者会見を行なった。謝罪と、経緯や今後の対応を説明するためだったんだが……そこで、あるフリーのジャーナリストがな。おまえがUSJ襲撃事件の際に片腕を失くして、生死の境を彷徨っていた事実を暴露したんだ」
相澤先生は、また苦々しい表情を浮かべた。
「当時の報道では、生徒にも重傷者が一名出た、というところまでしか情報として出させなかった。それは、おまえのプライバシーを守るためであり、雄英が
それは、そうだ。あの頃は、連日のお見舞い以外にも警察からの事情聴取やらで実はかなり忙しかったのだが、雄英高校の世間に対する姿勢とそれに伴う自分の扱いなどについてもきちんと話をした。
自分の認識としては、そもそもこの怪我はほとんど自業自得。雄英を責めるための道具にされるのは何よりも不本意だったから、当然納得していることだ。
別にこれは、隠蔽でもなんでもない。個人のプライバシーの権利と照らし合わせて考えれば、たとえば腕を失っただなんて容易に個人を特定できるような情報が報道されてしまうことの方がよっぽど問題のはずだ。
けれど……。
「雄英への批判は、大丈夫なんですか」
「……ああ、それはまぁ、実のところ大した問題じゃない。むしろ、そんな情報を生放送の記者会見でいきなり暴露したジャーナリストへの批判の方が流石に多いくらいだ。そもそも神野事件についての報道がまだまだ落ち着いていないのもあるが、テレビでは会見の映像を流すにしてもきっちりその辺りはカットされている。……ただ、ネットの方がどうにもな。おまえに対して同情的ではあるが、随分と話題にされているのが実情だ」
「……そうですか」
……まぁ、雄英がさほど困っていないなら別にいいな、と思った。苛立ちも何も、特にはない。
「――状況の説明は、もう十分ね。そろそろ、こちらから本題に入らせてもらってもいいかしら」
不意にそんなことを言ったのは、今まで静観していたスーツ姿の女性だった。
彼女は男性二人と共に近付いてきて、相澤先生たちよりも半歩近い位置に立った。
「初めまして、雪柳氷雨さん。挨拶もせずに今までごめんなさいね。私たちはヒーロー公安委員会の者。そして私は、公安委員会の会長よ」
さらに、続けて。
「あなたに、話を聞きに来た。それから、あなたのこれまでと、これからについて話をしに来たの」
そう、言った。