「まず第一に、あなたのこれまでについての話をさせてもらうわ。まだ混乱しているであろうあなたにさらなる無理を強いる形にはなるけれど、それでも、あなたの今後について話すためには伝えておかなければいけないと判断したの」
ヒーロー公安委員会の会長を名乗ったその女性は、そんなふうに話を切り出した。
ただ、意味がわからない。
話を聞かれることも、そして今後についての話というのも、なんとなくわかる。
でも、
「あなたはヒーロー・グラキエスの子どもで、六年前に起こった氷渡一家殺害・誘拐事件の被害者で、そして一年近く
「……保護、観察」
自然と、眉間に皺が寄る。あまり……好ましい響きでは、ない。
会長さんはこちらの反応を見たからか、「決してあなたのプライバシーを侵すような真似はしていないわ……それでも十二分に不快な事実でしょうけれど」と言い訳がましいセリフを吐いて、さらに続けた。
「ただ、あなたが置かれていた境遇から鑑みて、当時のあなたの精神状態と、変異した個性に対する懸念を拭いきれなかった。あなたの個性の変異が
「……理解は、できます。でもその、保護観察って。具体的には、何をしていたんですか」
「あなたの身近な人に、あなたの様子を注意して見てもらっていただけよ。初めは、主にあなたのお婆さまに事情を説明して協力してもらっていたわ。あなたが中学校に通うようになってからは学校側にも。あなたのお婆さまが亡くなったあとは、あなたの後見人に。そして、あなたが雄英高校に入学してからは、担任であるイレイザーヘッドを始めとした教職員たちに、ね」
「……そう、ですか」
会長さんの淀みない返答に、複雑な感情が湧いてくる。
具体的な言葉にできなくて、もどかしい。
ただやはり、それが喜ばしい感情の類でないことは確かだった。相澤先生たちに目を向けるのが何故か嫌で、顔を俯けるしかなかった。
しかし。
「……あなたのこの処遇は、今なお続いているものよ。あなたが日常生活の中で個性を暴走させる可能性は早々にかなり低いとされていたけれど……あなたがヒーローを志したことで、再び注意を払う必要性が高まった。だから公安は、雄英にあなたを受け入れるように要請したの」
「公安、が?」
すぐに、思わず顔を上げる羽目になった。
視線を向けた先にいた校長先生は、神妙な様子で首を縦に振った。
「君を特別スカウト枠で雄英に招き入れたのは、確かに公安からの要請があったことも一つの要因なのさ。ただ、勘違いはしないでほしい。私たち自身が君の中にヒーローの素質を見出したことも、誓って嘘ではないのさ」
「…………」
それを聞いて安心したとは、とてもじゃないが言い難い。むしろ、胸の内の燻りが大きくなったように感じる。
校長先生から、改めて会長さんへと目を向ける。
すると彼女は何食わぬ顔で、さらに踏み込んできた。
「雄英にあなたを受け入れさせた最大の理由は、イレイザーヘッドの存在よ。あなたが個性を暴走させたときに、最も安全に止められるのが彼だった。それに彼は、
今度は、相澤先生のことを見つめた。
相澤先生は口を噤んだまま、ただ、頷いた。
「そして」
それから会長さんは、間を置かずに続ける。
「今年度の初め、
けれど、と会長さんは言って、オールマイト先生の方にちらりと視線を送った。
「オール・フォー・ワンはそもそも、死んでいるはずだった。今から
視界の端で、オールマイト先生が微かに顔を歪めるのが見えた。
オール・フォー・ワンの討伐……さっきの「相討ちになった」という発言も含めて考えると、オールマイト先生はオール・フォー・ワンを殺したつもりだった、ということなのだろうか。
……いや、何にせよ、話の本筋には関係ないことだろう。
会長さんの言葉に再び意識を向ける。
「――要するに、かつてあなたを捕らえていた
「――……あぁ、はい」
一瞬、何の話をされているのかわからなくなってしまった。
自分がかつてオール・フォー・ワンの下に捕らえられていたことなんて、もう知っている。まさしく本人から話を聞いたのだから。
おそらく会長さんは、こちらがその事実を知らないと思っていたのだろう。でも確かに、あの人から聞くまでは知らないことだった。
それにしても、この話の着地点が見えない――そんなふうに考えた途端に、会長さんは切り込んできた。
「そこで、一つの疑惑が生じた。四月の、一度目の襲撃事件については可能性の一つとして言及されただけ。それが七月の、あなたたち雄英高校1年A組の生徒がショッピングモールで死柄木弔と接触した件を経て、本格的に意見が交わされた。そして――林間合宿で、二度目の襲撃を受けた」
「……なん、ですか。疑惑って……」
「オール・フォー・ワンは、他人の個性を奪ったり、逆に無理やり与えたりすることができるという、異質で強力な個性を持っているわ。奴は超常黎明期から生きていて、奪ってきた個性の数も、種類も、計り知れない……」
超常黎明期から生きているという事実については少なくない驚きがあったものの、おおよそ知っていることだった。それもまた、本人に直接聞いたからだ。
――けれど。
それは、どうでもいい。
そんなことは、どうでもいい。
会長さんが何を言いたいのか、たぶん、わかってしまった。
……あぁ、もう、最悪だ。
「……つまり、一つの可能性として、あなたが――」
「――
会長さんの言葉を遮って言うと、大人たちが揃いも揃って眉間に皺を寄せた。
なんで、あなたたちがそんな顔をするんだ。
追い詰めてきているのは、あなたたちだろうに。
「……いいえ雪柳さん、その言い方では少し語弊があるわ。私たちは何も、あなたが積極的な内通者であるとまでは考えていない。オール・フォー・ワンがあなたを対象として設定した探知系個性を持っている、あるいはあなた自身がオール・フォー・ワンからなんらかの、監視を受けるような個性を植え付けられている――そういう可能性を考慮した、というだけよ」
「疑っていることには、変わりないじゃないですか。……で、それを踏まえて今後の話ですもんね。雄英は退学、それで誰の迷惑にもならないように隔離とか、そんなところですか」
会長さんを睨みつけながら苛立ちを隠さず言葉をぶつけるが、見かねたらしい相澤先生がすかさず口を挟んできた
「雪柳、落ち着いてくれ。誰もおまえにそんなことを強いたりはしない。だから、落ち着け」
そうしてなだめられて、少し、頭が冷える。
大きく息を吸って、吐いた。
「……すいません、でした」
「いいえ、あなたの怒りはもっともよ。ただ、こうして包み隠さず話をしたことは、あなたへの誠意でもあるの。それだけは理解して欲しいわ」
誠意。
随分と聞こえのいい言葉だな、と思った。
――しかし、だ。
「――それで、雪柳さん。
結局のところ、その誠意とやらをこうして脅しの道具として使ってくる。
子どもだと思って、バカにしているのだろうか。その意図に気が付かないほどの間抜けだと思われているのだろうか。
要するに、「オール・フォー・ワンと話したことを洗いざらい吐け、さもなければおまえへの疑惑はもっと強くなるぞ」と言っているわけだ。
これまでの話を打ち明けたのは、誠意であり、今後の話のため。それが本音か建前かに関係なく、確信的にこういう話の運び方をして、ある種の脅迫を仕掛けてきているのは紛うことなき事実だ。少なくとも、こちらとしてはそう受け取らざるを得ない。
……それに、彼らへの心証がどうあれ。
オール・フォー・ワンとの会話の内容を、おいそれと話せるわけがない。
もしも話したとして、自分はいったいどうなる?
雪柳氷雨は、いったいどう扱われる?
どう、思われる?
公安にも、先生たちにも、誰にも絶対に話せない。ここで口を噤んで彼らに悪印象を与えることよりも、真実を話すことの方が、ずっと怖い。
だから。
「……何も。何も、覚えていません」
彼らから視線を外して、心を閉ざして。
せめてもの抵抗として、そう言うしかなかった。
「本当に、何も覚えていないの?」
「……はい。ずっと……怪我の痛みに、うなされていて。誰かと話した記憶は、ありません」
半分は本当だが、もう半分は真っ赤な嘘。
無理があるのはわかっている。
ついさっきオール・フォー・ワンの名前にあれだけ露骨に反応しておいて、たった今会長さんに尋ねられてから考え込むような素振りを見せておいて。
自分で顧みても、何も覚えていない人間の反応でないことは明らかだ。
でも、嘘だと思われても構わない。立場が悪くなっても構わない。
「……雪柳少女、君は――」
「誰に、何度尋ねられても。たとえ、内通者の疑いが強まろうとも。答えは同じです。何も、覚えていません」
顔は上げないまま、オールマイト先生の心遣いを拒絶して、言い放つ。
――しばらく、居心地の悪い沈黙が部屋を満たした。
視線が鋭く突き刺さるのを感じるが、決して反応はしなかった。
やがて、誰かの小さなため息が聞こえたかと思うと、さらに少しの間があって、校長先生が口を開いた。
「雪柳さん。雄英は今後、全寮制を敷くことを決定したのさ。これは、表向きには相次ぐ
「……そんなこと、容疑者を相手に言っていいんですか」
「こんなことは言いたくないけれど、だからこそ、なのさ。君は確かに今まで疑われていて、その疑いを完全に晴らすことはできていない。ただ、事ここに至っては、雄英に関わっている人間全員が容疑者。私やイレイザーヘッドを含めた教師たち、事務員、用務員、そして遺憾だけれど生徒たちもね。その中で君はむしろ、オール・フォー・ワンによって知らず知らずのうちに内通者となってしまっていた可能性の方が高いわけで、いっそのこと疑われている自覚を持ってもらった方が良いと考えたのさ」
校長先生は「イレイザーにこの話をしてしまうのはその限りでないけれど、彼に責任を取らせずに教師を続けさせればどうせ気が付いてしまうはずなのさ」と付け加えるように言う。
「――だから、雪柳さん。君には今後も、雄英高校でヒーローを目指して欲しい。雄英の下で学び続けて、立派なヒーローになって欲しいのさ」
……ああ、なるほど、そう来るのか。
校長先生の顔を見た後、公安の人たちの顔色も窺ったが、彼らはやはり平然とした顔をしていた。つまり、彼らと雄英の間でも話がついているのだろう。
ヒーローになれ、か。
「……合宿で一人、
そう尋ね返すと、全員が一様に目を見開いた。
何故、驚くのだろうか。
攫われた現場にすぐさまブラドキング先生が駆けつけたと言っていたし、だったらそこに死体があったに違いないのに……いや、もしかして黒霧が回収したのか? それで、死体が見つかっていなかったのか?
だとしたら藪蛇だったと言えるわけだが……しかしそもそも隠すつもりがなかったのだから、別に問題はない。
「……雪柳。あの合宿の現場で、
「……ええ、そうです」
相澤先生の質問に頷くと、彼は安堵の混じったような息を吐いた。
「おそらくそれは、別の
「雪柳少女。さらに付け加えると、私は神野で荼毘が生きているのをこの目で確認している。君は人を殺したりなんてしていない。罪の意識を覚える必要はないよ」
相澤先生とオールマイト先生が、立て続けにそう言う。
……相手が偽物だったから良いなんて、そんな結果論で済む話なのだろうか。
だって、あの時抱いた殺意は本物だった。相手が偽物だからやったんじゃない。相手が本物だと思ったからこそ、やったんだ。
それでもなお、罪の意識を抱く必要はないのだろうか。
また仮に、そのことが許されてしまうのだとしても、あの大男のこともある。
あの大男は偽物なんかじゃなかったはずで、自分はあの大男を殺害するつもりで個性を使った。これは間違いなく殺人未遂だろう。
元々、それも含めて自首するつもりでいたのだ。
そして、ヒーローになることは諦めたつもりでいたのだ。
それを、打ち明けようとした。
しかし、すんでのところで遮られた。
「――あなたが交戦したもう一人の
「……でも、自分は一度、あの大男を殺してでも止めるつもりで個性を使いました。緑谷くんがあいつを気絶させなければ、間違いなくそのまま殺していました……それも、正当防衛で済むんですか」
「
会長さんのその一言で、決定的に、心が澱む。
――つまるところ、この場の大人たちにとって一番都合がいいのは、雪柳氷雨が今まで通りにヒーローを目指すという展開なのだろう。
少し考えを巡らせてみれば、そこにあるのが別段複雑な事情でもないことは簡単にわかった。
相澤先生の話によれば、世間は雪柳氷雨という少女に対しておおむね同情的。
入学早々に
そんな散々な目に遭った少女が、理由はどうあれ雄英を去ることになったとして、世間はどういう反応をするか。雄英に対してどんな印象を抱くか。
それに、雄英はこれから寮制を敷くというのだから、雪柳氷雨を雄英に留まらせるだけで合法的に軟禁、監視もできる。わざわざ殺人未遂の罪を負わせるよりも、ずっと穏便な形で、簡単に。
雪柳氷雨がヒーローを目指すことで、多くのことが丸く収まる。
「雪柳さん。あなたには今まで通り、ヒーローを目指してもらいたい。あなたにはその過程で、身の潔白を証明してほしい。それが、我々公安の出した結論よ」
端から、選択肢が与えられていたわけじゃなかったんだ。
だったら。
だったら、〝私〟は。
「――わかりました」
吐き気がする。
でも同時に、視界が開けたような感じもした。
私が私であることを認めてもらうために。
私が私であることを許してもらうために。
だから、私が私になるために。
「私は、ヒーローになりますよ」
それが、雪柳氷雨の
※ ※ ※
そして、私は髪を切った。
背中まで伸ばしていた私の髪は、背中や首と共に一部が焼かれてしまっていた。
だから、それを肩より少し上のあたりでバッサリと切って、整えたのだ。
そこに特別な意味を意識しなかったと言えば嘘になるが、同時に、あまり深く考えることもしなかった。