寮の中に入ってみて私が最初に抱いた感想は、「なんじゃこの豪邸」だった。「豪邸やないかい」と言いながら心配になるくらいの勢いでぶっ倒れたお茶子ちゃんは、完全に私と同じ感想を抱いたと見做していいだろう。
もっとも、少し冷静になってみれば、外から見た時の印象を覆すほどに豪華絢爛な内装だったわけではなかった。たった21人で暮らすにはかなり広々としているし、各設備は機能的で新築なりに綺麗ではあるのだが……。
……ともかく、相澤先生はそんな寮の中を一通り案内してくれた後、私たちに対して「今日のところは荷解きと部屋作りをしておくように」という指示を出した。仮免試験対策などを含めた今後の動きについては、明日以降詳しく説明するとのことである。
――相澤先生が解散を告げてから一時間ほど経った頃、私の部屋にチャイムの音が鳴り響いた。
「……びっくりした……」
別にやましいことをしていたわけではないが、突然大きな音が鳴ったことに驚いたし、そもそも寮の部屋にドアチャイムが付いていたこと自体にも驚いてしまった。
デスクに向かっていた私は椅子から立ち上がって歩き、部屋の扉を開ける。
するとそこには、ラフな格好をしたお茶子ちゃんが立っていた。
「氷雨ちゃん、いきなりごめんね」
「どうしたんですか、お茶子ちゃん」
「えっとね、私もう荷解きと部屋作り終わっちゃったからさ、何か手伝えることあるかなぁってみんなのとこ回ってたんだ。ほら、ベッドとか机とか、重いもの動かしたかったらお任せあれ! ってね?」
お茶子ちゃんは両方の手の平を掲げてひらひらと振った後、ぐっと力こぶを作るようなポーズを取った。
「……なるほど。確かにお茶子ちゃんの個性なら、適任ですね。ただ、ありがたいですが私も既に部屋作りは終わらせたので」
「あ、そうなんだ。早い……と、思ったけど、氷雨ちゃんも一人暮らしだったもんね。実家から引っ越しの人は荷物の整理大変そうだけど……」
「ええ、そうですね。広さの違いはあっても部屋の構造はほとんど同じだったので、元々収納してあった場所に戻すくらいの感覚でした」
「そうそう、私もそんな感じ。家具の配置とかもわざわざ変えなくてもいいかなぁってなっちゃうよねぇ」
たはは、とお茶子ちゃんはほっぺたを掻きながら笑った。
……そも、自室は一人につき一部屋与えられており、部屋の間取りはトイレとクローゼットがあるだけのワンルームだ。ただし、生活スペースだけでもおそらく9畳はあって、全体で見れば12畳くらいの広さがある。キッチンや風呂が備え付けられていないのも、一階の共用スペースに食堂と大浴場があるというだけの話。
また、部屋にはベッドやデスク、冷蔵庫、エアコンといった必要最低限の家具があらかじめ備え付けられていて、これは入寮の前から聞かされていた。それぞれ実家で使っていたものや新しく購入したものを使いたい場合には、事前に申し出ることで入れ替えてもらえるということになっていたのである。
私はというと、ベッドと冷蔵庫は今年の四月に入居したタイミングで新しく購入したばかりだったのでこの寮の部屋に運び込んでもらう形をとっていて、デスクは元々持っていなかったしエアコンも賃貸に元々設置されていたものを使っていたため、これらについては備え付けのものをそのままにしてもらっていた。
そして、元々の家具の配置を変えようとすら思わず、また仮に変えるつもりがあったとしても私は私の個性でなんとかできるので、何にせよお茶子ちゃんの手を煩わせることはなかっただろう。
「……お茶子ちゃん?」
「――へっ!? あっ、い、いや……」
ふと、お茶子ちゃんの視線が私の左手に注がれていることに気が付いて、私は声をかけた。
お茶子ちゃんは大げさに驚いたかと思えばすぐに落ち着いて、少し眉根を寄せながら言った。
「……えと、氷雨ちゃん……普通の義手は修理中なんかな、って。ヒーロー活動用の義手だと、不便だったりせん?」
「いえ、特には。それに、あっちの義手はもう使わないことにしたので」
「え」
お茶子ちゃんが目を見開いて固まった。
そんなに驚くことだろうか、と疑問に思いつつも私は気にせず、簡単に理由を説明する。
「……緑谷くんか、他の誰かから聞いたかもしれませんけど。合宿の時、
さらに言えば、そもそも義手を二つの用途――日常生活用と、ヒーロー活動用に分けていたこと自体が間違いだったのだ。
つまるところそれは、
「……まぁ、とにかくあまり気にしないでください。みなさんに迷惑をかけるようなことはないと思うので」
「う、うん……って、いや! 別になんも迷惑とか思わんからね!? ホント、私だけじゃなくって、みんな絶対迷惑とか思わんて!」
「ええ、わかってます。わかってますよ」
お茶子ちゃんが食い気味に主張してきたけれど、みんなが迷惑を迷惑と思わないような人たちであることは重々承知している。
……だからこそ、甘えるつもりがないのだが。
「――すいませんお茶子ちゃん、私、少しやることがありまして。よかったら他のみんなのところに行ってあげてください」
多少強引に思われるかもしれないと思いつつも、私は話を切り上げにかかった。
するとお茶子ちゃんは存外素直に引き下がって、最後には「何か手伝うことあったら呼んでね!」と言ってくれた。
「――……」
扉を閉じて、目を瞑る。
大きく息を吸って、大きく息を吐いた。
「……よし」
大丈夫、大丈夫だ。
※ ※ ※
お茶子ちゃんに対して「やることがある」と言ったのは、話を切り上げるための嘘だったわけではない。
やることというのは〝手紙〟。
プッシーキャッツの皆さんと、洸汰くんに宛てた手紙を書くことだ。
病院で例の話を終えた後、私は相澤先生から二通の手紙を受け取っていた。
一通は、大きい字で、ひらがなだけで、「ありがとう」と「ごめんなさい」と、私のことを心配しているという三つの内容が書かれた洸汰くんからの手紙。
そしてもう一通はマンダレイさんからのもので、同じく私に対する謝罪、感謝、心配と、洸汰くんの手紙を補足するような内容が記されていたのだった。
私は相澤先生にプッシーキャッツの事務所の連絡先を聞いて、その日のうちに電話をした。
ラグドールさんとピクシーボブさんはまだ入院中とのことだったものの、マンダレイさんと虎さんとは話せたし、洸汰くんとも言葉を交わすことができた……が、それはそれとして、せっかく手紙を書いてもらったのだから、こちらもしっかり返事の手紙を書こうと決めたのである。
ただ、入寮の準備の忙しさにかまけて、既に一週間近く経っていた。あまり遅くなっては今更かと思われかねないと思い、先ほど荷解きと部屋作りが早々に終わってしまった時点で、今日中にでも書き切ってしまおうという算段を付けたのだ。
……が、いざ書き始めてみると、意外にこれが進まない。思えば、誰かに宛てて手書きの手紙を書くなんて、今までしたことがなかった。
しかも相手の片方は小学生で、まぁマンダレイさんあたりが読み聞かせてくれるだろうとは思いつつも、できれば洸汰くん一人で読めるような内容が良いに違いない……なんてあれこれ考えてしまったり。
さらにはプッシーキャッツの皆さんに宛てた手紙も「失礼のないように」と考えてしまってなかなか筆が進まず、ようやく書き始めても途中で書き損じてしまったり。
そんなこんなでなんとか二通の手紙に封ができたのは、外がすっかり真っ暗になった頃合いだった。
「――っと」
人をダメにするクッションに身体を沈めて一息ついていたところに、また、部屋のチャイムが鳴った。
本日二回目……どころではない。
実は、お茶子ちゃんの訪問の後も何度か……いや、何度も人が来てるのだ。
透ちゃんと三奈ちゃんが夕食の時間に呼びに来てくれたり、部屋作りを終えたらしい梅雨ちゃんを除いた女子五人が一階で休憩しないかと誘いに来てくれたり、それを断ったすぐ後で部屋王を決める(?)ために部屋の中を見せてほしいとかなんとかで男子を含めた大勢がやって来たり。
どれもこれも不意打ちというか、訪ねてきてくれた理由がわからないのが普通だったのだが……今回については、違う。
「――百ちゃん、どうぞ」
「……ありがとうございます。お邪魔しますわ、雪柳さん」
扉を開けたところにいたのは、やっぱり百ちゃんだった。
先ほど彼女から「顔を合わせて話したいことがあるから部屋を訪ねたい」という旨の連絡をもらっていたのだ。
「ええと……ああ、すいません、クッションは一つしかなくって……よければそっちの椅子に座って下さい」
「よろしいのですか? では、失礼しますわ」
百ちゃんにはデスクの椅子に座ってもらい、私はベッドに腰をかけた。
お互いに、向き合う格好になる。
「……えっと、百ちゃん……目元が少し赤いですけど、大丈夫ですか?」
百ちゃんが本題を話し始める前に、ドアを開けて彼女の顔を見た時から気になっていたことを尋ねる。
泣いた痕のようにしか見えないのだが、いったいどうしたのだろうか。
「え、あっ……お恥ずかしいですわ。……ええと、その。先ほど、爆豪さんと雪柳さんを救出に行った5人と、蛙吹さんと麗日さんとで、少し話をしまして。私たちは……先生方の信頼を裏切っただけでなく、私たちの身を案じて救出を反対した蛙吹さんの気持ちも裏切ってしまっていたのだと、改めて気が付かされましたの」
百ちゃんは顔を俯けながら、膝の上で拳を握り締める。
「救出に行かなければよかったとは、言えません。私たちが行かなくても爆豪さんと雪柳さんは無事だったかもしれませんが、あれだけの窮地では、やはり無事では済まなかったかもしれないとも強く思いますから。ただ同時に、信頼を、心配を裏切った事実は重く受け止めなければいけませんし、深く反省しなければいけないと――」
そこまで言って百ちゃんは、ハッと顔を上げた。
「も、申し訳ありません。これは、雪柳さんに聞いてもらうようなことでは」
「……いえ。むしろ……謝らなければいけないのは、私です。すいません。元はと言えば、私が捕まったせいで百ちゃんたちは動かないといけなくなったわけですから」
「雪柳さん、そんなことは……!」
「ありますよ。あります。……まぁ、爆豪くんも捕まっていたことを考えると、あまり強く主張するつもりはないですが」
でも、爆豪くんもまた、どこかにそういう気持ちを持っているのではないだろうか。プライドが異常なまでに高い彼だからこそ、私よりもその気持ちは強いかもしれない……表立って認めることはないだろうけれど。
「――とにかくすいません、詮索してしまって。それで、本題の話というのは、なんでしょうか」
お互いに「自分の方が悪い」と言い合うようなことになりそうな気がしたので、無理矢理に話題を切り替える。
百ちゃんも同じことを思ったのか、若干不満そうにしながらもこくりと頷いて切り出した。
「……その、もしも雪柳さんが気になさっていたり、何か事情があったりするようでしたら、無理に答えていただかなくてもいいのですが」
「なんでしょうか」
「雪柳さんの……お怪我の、具合。本当に、本当に大丈夫、なのでしょうか」
……あぁなるほど、そういうことか。
「救出してくれた時に、見ましたか」
「……大部分は、包帯で覆われていましたが……少しだけ」
百ちゃんが見たということは、彼女以外の救出組4人と、爆豪くんもだろうか。
私の背中の火傷。もう少し厳密に言うと、左の肩甲骨あたりを中心として首、肩、上腕あたりに広がっていた熱傷。
それを、百ちゃんたちは見たのだろう
「先日SNSで無事を知らせるメッセージをいただいた時には、怪我も問題ないと仰っていましたが……」
無事を知らせたメッセージというと、目を覚ましたその日に渡されたスマホでとりあえずクラスのグループに一言残したやつだろう。
本当は個別にたくさんメッセージが来ていたのだが、一つ一つに返事をするだけの余裕がなかったから一括で済ませて、それきりにしていたのだ。
また、クラスのみんなだけでなく、その他にもいろいろな人から連絡が来ていたのだが……まぁ、それは今は置いておこう。
「……返事を勿体ぶるわけではないですが、何か、私の動きに違和感とかありましたかね」
「いえ、動きには、特に。ただ……雪柳さんは以前からずっと長袖なのでそこはともかく、その、ハイネックのインナーシャツ。それと、先ほど入浴にお誘いした際に、後で入ると固辞されていたのを見て、ですわ」
「あー……まぁ、火傷のことを知っていたら、察しも付いちゃいますか。いつまでも隠し通せるわけがないのは、わかっていましたが」
それでも、可能な限り隠すつもりだったのだ。
きっと、責任云々じゃなく、みんなが気に病むだろうから。
……とは言え、ここまで来て百ちゃん相手にまで隠すことはできないし、隠すつもりもなかった。
私は、首を覆っているインナーの裾を軽く引っ張って、晒す。
百ちゃんの目には、赤黒く変色した肌の色――引き合いに出すのは憚られるが、轟くんの顔の火傷痕とほとんど同じ色になった首元が映ったことだろう。
「……っ!」
「これが、首や背中の左側、左肩から上腕の半分くらいまで、ですね。動かす時に少しだけ皮膚が突っ張る感じがある以外、機能的な後遺症はありませんが」
目が覚めた翌日に改めて詳しい話を医師から聞いたが、火傷を負わされた範囲は広く、深さもそれなり以上で、重傷としか言いようがない有様だったそうだ。
ただ、それでも外科手術の必要がなかったのは駆けつけてくれたリカバリーガールのおかげであり、そして意外にも
もっとも、いくらそこを強調したとして、悲痛な表情を浮かべる百ちゃんへの慰めにはならないであろうことはわかっている。
「……痕を、消すことは」
「完全には難しい、と」
「……そんなっ……」
百ちゃんは片手で口元を押さえて、ぽろぽろと涙をこぼし始めてしまった。
私はベッドから立ち上がって百ちゃんに近付き、目の前でしゃがんで彼女の膝に置かれたもう片方の手をそっと握る。
「……泣かないでください、百ちゃん。私は、大丈夫ですから。その、普通の女性が肌に傷痕を残してしまうのとは、事の深刻さが違うと言いますか。下世話ですけど、男性に見せるとかそういう予定はないですし、大衆浴場なんかは元々行かないようにしているわけですし」
――そう、私は大丈夫。私が今言ったような、百ちゃんが捉えているような意味では、大丈夫だ。
「――すみません、雪柳さん……一番お辛いのは、雪柳さんですのに……」
「……いいんです。こちらこそすみません、私のために泣かせてしまって」
しばらくして落ち着いた百ちゃんに、私は作り笑いを浮かべて答える。
「みんな優しいから、きっと、百ちゃんと同じように気に病ませてしまうと思うんです。だから、このことはできる限り隠しておきたい。今後は、今みたいにハイネックで長袖のインナーを常に着ておくつもりです。それと当然、一緒の入浴なんかは確実に避けたいので……できれば、百ちゃんには協力してもらいたいです」
……百ちゃん相手に火傷痕のことを誤魔化さなかったのは、こういう打算があったからだ。
一度、無理やりだったとは言え林間合宿で一緒に入浴してしまったので、いずれまた強引に風呂場へ連行されたりするかもしれないという心配がある。その末に傷痕が見つかろうものなら間違いなく目も当てられないような空気になるだろうから、それだけは絶対に避けたいのだ。
「……わかり、ました。雪柳さんがそう望まれるのでしたら……協力させていただきますわ」
百ちゃんはしばらく俯いた後、絞り出すような声で言った。
私はお礼を言いつつ、「たぶん、三奈ちゃんや透ちゃんあたりをやんわりと嗜めてもらえれば、それで大丈夫だと思うので」と付け加える。他の三人については、合宿の時みたいに見て見ぬ振りをすることはあったとしても、無理強いをしてくることはないはずだ。
三奈ちゃんや透ちゃんが距離を縮めてくれようとすることだって、本来なら喜ばしいことだった。その手段が裸の付き合いというのは少々困る話だったが、そこにある気持ちが間違いなく善意であることは重々理解していたから。
けれど、今となってはそれが苦しい。
お茶子ちゃんが寄り添おうとしてくれるのも、百ちゃんが心を痛めてくれるのも、全部、全部、吐き気がするくらいに苦しい。
氷渡氷雨のつもりでいただけの偽物。
氷渡吹雪の身体を乗っ取って、真っ当な人間であるかのように振る舞ってきた偽物。
そんな私に、同情なんて必要ないのだ。
それは、私に相応しくないものなのだ。
「……雪柳さん? どうされましたか?」
「……いえ、なんでも。なんでもないです」
視線を上げると、さっきよりもあからさまに目元が腫れてしまっている百ちゃんの顔があった。
「百ちゃん、目、閉じてください」
「は、はい? ……きゃっ!」
私は個性を使って右手に冷気を纏わせて、百ちゃんの目に当てた。
「気休めでしょうけど、何もしないよりは腫れが引くんじゃないかな、と」
「お、お気遣いありがとうございます……」
……その後、少し経ってから、百ちゃんは隣の自室に戻っていった。
最後には、お茶子ちゃんと同じように「何か悩みがあったら相談して欲しい」と言い残して。
部屋で一人きりになった私は、ベッドに倒れ込んだ。
うつ伏せになって枕に顔を埋め、吐き出したい感情のすべてを飲み下そうとしているうちに、その日はいつの間にか眠ってしまっていた。