トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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プロローグ
夜の訪れは淑やかに


人類の歴史はそれと共にあった。

ヒトに最も近く、しかし遠い者。

人類最古の友にして、現代まで脈々と続くその関係性は現代になってなお、より近づく事はあっても遠のく事は無い。

 

ウマ娘。

 

人類と共に歩む最も近い友人にして、人類と酷似しているが違う別種の生き物。

神代、古代、中世、近代と両者はあまりにも近づきすぎ、現代もなお、よき友として共存共栄の関係であり続けている。

 

我々人類との最大の違いは、ピンと立った長い耳と、感情と連動して揺れる艶やかな尻尾、そして女性しか生まれず、ほぼ全員が眉目秀麗という特異性である。

人類に酷似した外見でありながら高性能・高機能な耳と尾を持ち、その筋力は質量に反し異様に甚大。特に走力は動物界においても突出しており、全種族中でも上位に値するスピードを有している。それが最も顕著に表れるのが、「走る」という行為だ。

現在において彼女たちが生業にしている中で、何が「花形」なのかを思い返せば理解いただけると思うが、とにかく走ることが、そして一番を取ることが好きな彼女たちは、競争バとして人類とウマ娘にとっての最大のエンターテイメントを提供してくれている。

僥倖、というほかない。

人類を遥かに圧倒する、それこそ鍛え上げた大人の男性ですら蹴り一つで即死させてしまうような圧倒的な膂力を持つ小柄な女性達が、その熱意を人類の制圧ではなく「楽しませる」「喜ばせる」という方向に振り切っているのだ。当然、競争バとなれなかった者たちも、肉体面以外で人類とそう大きな差がないことから普通に社会生活に溶け込んでおり、古代より連綿と続く関係は、先人たちがそれこそ「うっかり」蹴られて死んだり、楽しそうに駆け回る少女に「うっかり」激突されて粉砕されるということはあれど、上手く関係を構築してきたものだ。

そのおかげで我々人類としては、スペック的には圧倒的上位存在であるところの彼女たちに怯える必要なく、上手く共存していけている。

・・・何故彼女たちが妙に人類というか、ヒトに対して妙に友好的というか、いっそ献身的ですらあるのかはいまいちよくわからないし、そもそもウマソウルなる胡乱な超常的ないし霊的要素によるものとされてはいるものの、その原理もさっぱり不明。挙句なぜウマ「娘」だけなのか、ウマ「息子」はなぜ生まれないのか、など、有史以来解明されていない事象もそれはそれは盛りだくさんだが、兎にも角にも圧倒的な身体能力を持つ存在と上手く生きていけているというのは大変喜ばしい事だろう。

 

「ウマ娘と人類の歴史」と記された、至極シンプルで古ぼけた装丁のハードカバー本をぱたりと閉じてため息をつく。

 

これで16冊目だ。

自室のデスクに堆く積まれた文献の類を改めて当たってみたものの、進捗は芳しくない。

ついに子供向けの学習書籍まで手を出してはみたものの、「分かっていたことだが」やはり納得の行く記述はどこにもなかった。

かといって、大学の論文データベースを当たっても、求めた内容は検証も不十分な怪文書のような論文ばかり。ウマ娘が光速を超える可能性などという珍妙なタイトルも存在していた。よく見れば研究者名がよく見知った名前だったため、ある意味で納得できる話だったが。

さて、オカルトに片足を突っ込んだ存在であるウマ娘なのだが、しかし「存在しているものはしょうがない」とばかりにその存在自体の研究は半ば放棄されたに等しい。

学者肌のウマ娘らが執筆した文献もいくらかあたってみたし、身近な「そういう輩」の協力を得て調査を行うも出てくるのは「ウマムスコンドリア」だのという胡乱な単語ばかり。

頭をがしがしと掻き、長時間座りっぱなしで凝り固まった身体をほぐすべく大きく伸びをする。

ばきばき、と嫌な音が響く。

伸びをしながらふと壁に掛けた時計に視線をやれば、随分と長い時間本を読んでいたことに気づく。

 

「はぁ・・・もうこんな時間か」

 

もう良い時間だ。寝なくては明日の業務に差し支える。

ため息を一つ。

ばさりと服を脱ぎ散らかし、シャワールームで熱いシャワーを浴びる。

私が勤めている日本ウマ娘トレーニングセンター学園…通称トレセン学園では、ほとんど芝が中心とはいえ日常的に屋外でウマ娘のトレーニングを行っている。

自分が走るわけではないとはいえ、どうしても埃っぽくなってしまう。

 

「あ゛ー・・・」

 

我が事ながら、おっさん臭い声が喉の奥から漏れ出してしまう。

随分と慣れたとはいえ、屋外で日々仕事をするというのは意外と大変なのだ。

いつの間にか付着した汚れが、埃が、熱いシャワーで流れ落ちていくのは爽快だが、同時に日々の疲れを取るためにはやはりゆっくり湯に浸かりたいと思う時もある。

まぁ、諸般の事情によってそれは叶わないので、せめて熱いシャワーで一日の疲れを流してしまいたい。

 

ふと、勢いよく滴るシャワーの水音に紛れるように、コンコンと軽い音が聞こえた。

 

・・・気のせいだな。

時間は既に丑三つ時。すなわち午前2時を回った辺り。

こんな時間に物音はまぁ、ほぼしないのが普通である。

いくらトレセン学園内の隅に、学園と外の境界に接するようにして設置されたトレーナー寮とはいえど、学園をぐるりと取り囲む塀は高いし、トレーナー寮のある塀の外は近隣住民への配慮なのか、散歩道のようになっている。

深夜にかけて走っている新聞配達の音も、この散歩道の植栽によって大分吸収されてしまうし、トレーナー寮の自室はそれぞれやたらと防音に気を使った設計になっている。

よほど大声を上げたり、どたばたと暴れたりしない限り、近隣の生活音も入ってこないという恵まれた寮生活だ。

とはいえ、利益を享受するということは同時に義務も果たさなければならない。

通常であれば、良質な労働力を確保するために企業が福利厚生を手厚くするように。

 

その一つが、これだ。

 

シャワーを止めれば、途端に静寂に包まれる。

不幸なことに、とても防音性能に優れたこの1LDKの部屋は1人暮らしには過分と言えるまでの待遇と言える。

待遇がとても良い事はとても喜ばしい事ではあるのだが、一方、ワンルームで十分ではないか、などと思うこともしばしばあるほどには、がらんとした雰囲気になりがちなのだ。

 

コンコン。

 

再び物音がした。

残念なことにホラーの類にはめっぽう強い、というか。

そもそもオカルトに片足を突っ込んだような存在であるところのウマ娘が近くにいるトレーナー業などをしていれば、ある意味で理不尽としか思えないそういう超常現象にも耐性が付く。そういうものだと諦めて受け入れるほかないという意味でだが。

 

そして、今私の身に起きていることは、そうした事象よりも遥かに現実的な問題だった。

 

「・・・・・・ふう」

 

ひとまず、吊るしてあったバスタオルで身体をささっと拭うと、身体に巻く。

そして思い切って、音のした方…すなわち、浴室に備え付けられた窓を開く。

 

「やあ、トレーナー君。こんばんは」

 

そこにいたのは、幽霊でも歩く腐乱死体でも形容しがたい冒涜的な何かでもなく、可愛らしくも凛々しい顔だった。

少し視線を上にやれば、ぴこぴこと嬉しそうに揺れる長耳。

恐らく、少し背伸びをして窓からその足元を伺えば、尻尾も縦に揺れている事だろう。

 

つまり、ウマ娘のご登場である。

・・・こんな時間にである。

 

「・・・ルドルフか。こんな時間にどうしたんだ?」

 

成人した人間がタオルを巻いただけ、という随分とみっともない姿で窓を開けるというのはどうにも締まらないが、しかしここで放置するほうが後々厄介な事態になるという事だけは身に染みて理解しているが故に、こんな状態でも対応せざるを得ない。

 

「それはこちらのセリフさ。こんな夜更けまで仕事だなんて、根を詰めすぎじゃないかと思ってね」

 

これから春を迎えようという頃合い。流石に夜風はまだ冷たい。

ほんのりと頬を紅潮させる凛々しい美少女と深夜に窓越しで会話、などというのは、表面的な事象をなぞればとても甘美なものに映るだろうが、映像としてはタオルを一枚巻いたずぶ濡れの冴えない大人が鉄柵付きの窓越しにうら若き少女と会話するという、刑務所じみた有り様である。

そして、何故起きていた事を知っているのか、というのは今更問うても仕方がない。

相手は一度顔を合わせた人間を忘れずに覚えているような記憶力を誇り、学園内の事は大抵把握している豪傑だ。

どうやって情報を集めているのか、そして集めた情報を何に使っているのかは担当トレーナーにも理解できない。

 

「まあそう堅い事を言わないでくれよ。トレーナーというのは…まあ、いつだって『ウマ娘』の事を考えているものだ。寝ようって時につい熱が入ってしまうのなんてよくあるだろう?」

 

「ああ、知っているとも。キミはいつだって『私の事を』第一に考えてくれる。しかし、私のために君が体調を崩しでもしたら、私の調子まで落としてしまうことは良く知っているだろう?私たちは比翼連理。どちらも常に壮健でいなければならない」

 

「分かっている。分かっているさ。うっかりずぶ濡れのまま寝てしまった時の話はよしてくれよ」

 

努めて苦笑いを浮かべ、追及を躱しにかかる。

トレーナー想いなのはシンボリルドルフの良いところではあるが、一方で何故か私に対してだけは妙に説教が長いという悪癖がある。

しかも説教中にはヒートアップしているのか徐々に距離を詰めてくるため、威圧感が説教を受ける時間に比例して増していくという厄介な性質も持っている。

以前、詰められた距離に対して一歩ずつ下がっていったところ、壁際まで追いやられた挙句逃げられないよう壁ドンをされるという事態に発展したほどだ。

今は私とルドルフの間に鉄柵付き窓という名の壁があるため、説教に発展しても逃げられそうなのが救いだが、それでも深夜2時から都合2~3時間に及ぶであろう説教リサイタルを聴き続けるだけの余力はない。

逃げられるなら逃げたいというのが本音であった。

 

「ふふ、キミも案外抜けているところがあるからね。私としても心配なのだよ」

 

「はあ、まったく『ルナ』には敵わないな。恥ずかしいところも全部見られているし、頭が上がらないよ」

 

その言葉に反応してか、シンボリルドルフは何かを噛みしめるようにそっと眼を閉じ、耳をぶるりと震わせた。

外は寒いが、頬の色がより濃くなったのは気のせいではないだろう。

 

幼名で呼ぶことを許されている数少ない者の一人だという自覚はある。

あるのだが、効果が高すぎるのが難点だ。

 

…ここで「ちょろい」などと思ってはいけない。絶対に。

相手は無敗の三冠にして生徒会会長に君臨する、文武に秀でた傑物だ。

うっかりそんな気配を出せばまず間違いなく見抜かれる。

それで散々痛い目に遭わされて今があるのだ。

 

「それで、この寒い深夜に巡回か?」

 

一度こうなると暫く動かなくなる事がよくよく分かっているため、こちらから声を掛けてやると、ぱちりと目を開く。

たったそれだけの動作で喜色を消し去り、平静そのものの表情に戻るというのだから自制心の高さが伺えるというものだ。

 

「ああ。最近時期が時期だからな。脱走者が多くて困る」

 

不穏な単語が飛び出した。

 

「脱走者」

 

思わずおうむ返しで言葉が出た。

 

「うむ。もうあと少しで4月だ。4月になれば、卒業することになる者が増えるからな」

 

当たり前だろう?という顔をしてさらりと宣うルドルフに、思わず「うわぁ」という表情をしてしまった私を誰が責められようか。

 

それはつまり。

ウマ娘たちの中から、「トレーナーと離れる」事になる者が出る季節なのである。

 

 

 

地獄である。

 

 

 

一度何かの拍子に惚れたりしてしまえば、新潟芝1,000メートルのように一途で、底なし沼のように愛情が深く、重バ場よりもなんというかこう「愛が重い」彼女たちが、愛するトレーナーと離れ離れになるという事態である。

 

どう軽く見積もっても地獄である。

 

どうしよう。

懸命に忘れようと目を逸らし続けていたというのに。

毎年毎年、3月末の退寮日は大事件が起きるというのに。

 

例えば、トゥインクルシリーズで結果が出せず夢破れ、ドリームリーグへの移籍が出来なかった者。

例えば、故障により競争バとしてのバ生を諦めざるを得なくなってしまった者。

そういったウマ娘たちが、それでも愛する者を手放したくないとばかりにちょっとばかりハジけてしまう、そんな時期なのである。

 

「そう嫌そうな顔をしないでやってくれ。彼女達の気持ちも分かってしまうのだから」

 

少し耳を伏せたルドルフが言うが、トレーナーの側からしたら本当に大事件なのだ。

 

どの程度の騒動なのか、と思うだろう。

精々、連れて帰ろうとしたり、泣いて縋ったり、そういうレベルだと思うだろう。

見た目は私よりも小さな少女たちだ。中学・高校の卒業式でよく見かけるような光景を思い浮かべるかもしれない。

 

私もそう思っていた時期があった。

 

だが、現実はより過激で過酷である。

私の尊敬するベテラントレーナーであった先輩の身に降り注いだ「掛かりウマ娘」による凶行の数々を思い浮かべると、涙が止まらなくなるほどである。

 

まず3月31日未明、その日卒業が決まっていた担当ウマ娘に寝込みを襲われ、拉致された。

午前6時、現役の担当ウマ娘がトレーナーに仕掛けていた「複数のGPS」から現在地を特定。事態を察した彼女はトレーナー奪還に乗り込んだ。走って。

トレーナーを手に入れて気を抜いたところを強襲し、これを見事奪還。

なお、ここで起きたカーチェイスならぬウマチェイスでトレーナーは肋骨2か所、右上腕骨に損傷を受ける。

ウマチェイスとまさかの格闘戦の繰り広げられた市街地には、蹄鉄の形に陥没したアスファルトや、蹴りによってギャグのように凹まされた道路標識など、「そういえばウマ娘が暴れるとこうなるんだよなあ」と人類に根源的恐怖心を思い返させるような有様であったという。

これだけで既にとんでもない激闘が繰り広げられたことが伝わってくるが、酷いのはここからである。

首尾よく奪還したトレーナーをトレセン学園へ横抱きで輸送している最中、今度は担当外のウマ娘3名から奇襲を受ける。

このウマ娘たちは専属トレーナーを中々得られなかった頃に彼の指導を受け、その後専属契約ではないものの、指導の甲斐あってチームに加入が認められ、無事デビューに至ったという経緯を持つ者たちだった。

ここで今度は足首を捻挫。さらに激しい勢いで運ばれたため首のむち打ちになる。

上手い事奪取したものの、3人もいたがために内部抗争が発生。引っ張られた結果、左右の肩、そして股関節脱臼の憂き目に遭う。

そして全身全霊を掛けたこの争奪戦によって、関与したウマ娘は全員スタミナ切れによりダウン。31日深夜、先輩がトレセン学園付近の路地で発見された際には、もはやボロ雑巾のような姿になっていた。服もあちこち破れあられもない事になっており、どさくさに紛れて何故か嚙まれたような痕も散見されていた。

 

その後救急搬送され、一命はとりとめたもののトレーナーとしてのメンタルは一命をとりとめられなかったらしく、ウマ娘を見ると震えが止まらなくなり、最終的には心理的外傷と怪我の後遺症によりまともにトレーナーとして働くことができなくなり、現在は中央ウマ娘障害年金機構によって保護されており、ウマ娘の居ない自然豊かな環境でリハビリを行っている。

 

なお、下手人であるところのウマ娘たちは、トレセン学園内にひっそりと存在する「厩舎」と呼ばれる再教育施設にぶちこまれ、トレーナーと離れたことによるメンタルケアと並行して社会奉仕という名の刑務に励んでいるとのことだ。

法治国家がなんて様だと思わなくもないが、実のところトレーナーという「事故に遭いやすい」特殊な職業は、給与がとんでもなく高い代わりに対ウマ娘に関しての人権は妙に軽い。

一般的に社会で生活を送っているウマ娘による傷害事件などは、その絶対数が少ないこともあり、事故以外ではほぼ恋愛がらみ以外で発生していない。

時折残念なことになる一般人もいることはいるが、凶悪事件にまでは至らず、ちょっとした怪我をはずみで負わせてしまった、とかそういうレベルである。

 

さて、何故先輩がそこまで酷い目に遭ったのか。

それは単純な話だ。

「競走バ」などのスポーツに関わるウマ娘は「闘争心が凄まじく強い」のだ。

そうでなければ限界を超えて力を出すなんてことはできないし、レース中に骨折していたことに気が付かない、等という事にはならないのではないかと言われている。

 

そんな、特に血の気の多い選りすぐりのウマ娘と接するトレーナーという仕事。

たまに死者が出るのも頷ける。

 

…。

 

…そして。

その中でも「極めつけ」であるところのシンボリルドルフが目の前にいる訳である。

無敗の三冠。勝利よりもたった3度の敗北を語りたくなるウマ娘。

「皇帝」。

 

名前からしてシャレになっていない。

 

圧倒的に強く、気質が比較的穏やかであったからこそ、こうして生徒会長の座に就き、現在はドリームトロフィーリーグで活躍し続けている彼女だが、3年目の有馬記念の直前あたりからは自分がURAを完全制覇し、トゥインクルシリーズでの戦いに区切りがついてしまえばトレーナーが離れて行ってしまうのではないか、という不安感からか盛大に荒れた。

しまいには、当時まだ幼さの残る顔をした彼女が、目に涙を溜めて私の部屋にやってきたときは覚悟を決めかけたほどだった。

何故かって?

 

やってきたというか、仕事を終えて帰ってきて、電気をつけたら部屋のど真ん中に立っていたからである。

以前複数のウマ娘を掛け持ちしていたトレーナーが痴情のもつれで刺されたという話を先輩トレーナーから語られたことのあった私は死を覚悟するほかなかったのだ。

 

「もうそんな季節か…」

 

思わず目の焦点がどこか遠くへ行ってしまう。

くつくつ、と喉を鳴らす音がして、ルドルフが楽しそうに笑っているのがピントの合わない視界の中、なんとなくわかってしまう。

 

「まあ、だからこそ私たち生徒会は治安維持活動に勤しむ、というわけさ」

ウマ娘たちが一線を踏み外さないように、とね。とルドルフは落ち着き払った顔で宣う。

 

確かに、それ自体は善い行いだ。罪のないトレーナーたちがうっかり殉死しかねないこの環境は、トレーナーにとっては大きな心理的負担となる。

特に、卒業するウマ娘の担当トレーナーは。朝目が覚めるとそこは見知らぬ天井で、見知らないのに良く見知った顔に似ている人たちに挨拶され、気が付けばペラペラの紙にサインを書かされ、一生を良い感じに拘束されるなんてこともままあるのだ。

実際に実家に連れていかれたというトレーナーたちは往々にして彼女たちの父親を名乗る人たちに深く同情されるまでが定番の流れであるという。

一方で頭からぴょこんと耳が生えているタイプの母親だった場合、下手人であるウマ娘に向かってサムズアップを行うのが慣例だという。

 

「…深夜に活動するのはトレーナーとしては思う所もあるけれど、ウマ娘の平和な未来のためにも口をはさむのは野暮というものだね」

 

「すまないが、分かってほしい」

 

うん。ものすごく申し訳なさそうな顔をされているが、是非その治安維持活動は継続してほしい。出来れば365日二十四時間態勢でトレーナー寮を警備してほしい。と思ったが、それはそれで事件の香りしかしない。

出来ればウマ娘以外の人間を雇って警備を行ってほしいと切に願う。

鎮圧用のゴム弾や麻酔銃の配備を忘れるな。あの速度だから当たらないとは思うが。

 

「…とはいえ、それでこそ皇帝、シンボリルドルフだ。頑張って」

 

「…うむ!おっと、こんな時間にすまなかったな。それに、このまま立ち話をしていては風邪を引かせてしまう。十分暖かくして寝てくれよ」

 

「ありがとう。おやすみ、ルナ」

 

そういって窓をそっと閉める。

トレーナーとしてはそれらしい恰好をつけなくてはならないはずなのだが、そもそもタオルを一枚巻いただけの状態で恰好を付けるもない。

あのライオンのような少女は何かとプライベートでは私にちょっかいを掛けてくるというか、表面的には穏やかなのだがその底で熱い闘志と共に何かが渦巻いているような気がしてならない。

 

ふう、とため息をつきたくなる衝動を押しやり、もう一度熱いシャワーを少し浴びる。

 

窓を閉めたからと言って安心してはならない。

なにせ、彼女たちはとても耳がいいからだ。

 

ここでため息などついてみろ、しばらくすると「何か気に障ってしまっただろうか」等々の大量のメッセージが届き始めるのだ。

しかもそれに気づかず寝たりしてしまえば、翌朝調子が絶不調まで落ちた担当ウマ娘とご対面だ。

それだけならばまだ何とかできるが、思いつめた顔や憔悴しきった顔をしていたら接触前に解決しなければならない。下手に刺激すると何が起きるか分からないからだ。

 

やれやれ、と首を振り、枕元に放置していた端末を手に取る。

「寝る前に明日の天気を…」

 

『明日は雨。ところにより暴風雨となるでしょう』

 

何故か非常に嫌な予感がした。


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