トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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有耶無耶

 

 

 

 

 

 

おそらく、居るだろうなとは思っていた。

 

「やあ、見回りかな。お疲れ様」

 

だからこちらも、驚くことなく言葉を返す。

ガス灯のようなデザインの街灯は、現代的な明るさで周囲をはっきりと照らし出してくれる。

当然、夜道に佇む人影でさえ。

 

「ああ。感謝祭が近いとどうしてもね」

 

困ったものだ、と言うように彼女は腕を組む。

前髪の三日月が揺れる。

声色も、目の動きにもおかしな点はない。

しかし、嘘だ、と直感的に感じた。

 

感謝祭が近づくと、出し物の準備に生徒たちは忙しくなる。

クラシック、そして天皇賞やヴィクトリアマイルなど、大レースを控えた時期に感謝祭というのもどうなのかと毎度思うが、基本的な運営はスタッフが中心となって行っている。

大抵は日中のトレーニングの時間を多少割いたり、トレーニング後の時間を使って準備を進めることで十分に事足りる。

 

しかしそれでも、準備が間に合わない生徒というのは頻繁に出てくる。

故に、ルドルフが口にした通り、そういう生徒が夜間にこっそり作業を進めようとして校舎に忍び込んだりする時期ではある。

それは確かだ。だから、その言に疑うところは特段ない。

 

強いて言えば、経験則だ。

こうしてルドルフが若干規則を曲げてでもやってくるときは、大抵。

 

つい最近の夜もそうだった。

あの晩は3月31日という、ここトレセン学園では最も危険とされる日ではあったが。

随分と心配性な皇帝陛下だとは思うが、これも長く付き合っていれば多少の心構えもできてこようものだ。

わざわざ成田土産の鉄砲漬けを送り込んできたあたり、余程心配だったものと見える。

 

最近、何を切っ掛けにか碌な目に遭わされていないこともあり、多少心配しているのではないか、と思い始めていたので、そこに特段不思議はなかった。

碌な目に遭わされていない理由の一つが、ルドルフ自身だったとしても。

 

「なあ、トレーナー君。少し散歩でもどうだろうか?酔い覚ましに出てきたのだろう?」

 

「渡りに船だね。夜中のひとり散歩というのも少々味気ないと思っていたところだよ」

 

アルコールに浮かされるような足取りで、一歩踏み出せば、やはりどうにもふわふわとした頼りのないそれ。

心配しているのか、ルドルフが泥酔してしまった私を迎えに来た時の位置に陣取り始めている。

定位置である私の少し前ではなく、いつでも支えられるような、肘の触れそうな距離に。

介助してもらう程酔ってはいないんだけどな、と少しおかしくなって笑う。

 

「大丈夫、ちゃんと歩けるよ」

 

「おや、酔っ払いはだいたい同じことを言うものだと耳にしていたが」

 

「それは耳に痛いね。でも今日は大丈夫だ。ほろ酔いぐらいなものだよ」

 

 

 

 

夜の並木路を二人で歩く、ということは実の所、あまりない。

ウマ娘は学生寮に帰っていくし、私はトレーナー寮に帰る。

時折遅くなってしまった時に、ルドルフを送り届ける程度か、或いは外で飲んでいる時に迎えにくる程度。

普段はあまり、夜に行動を共にすることがない。

 

「しかしこうして夜の散歩、というのも趣があるものだね」

 

「うん、確かにそうだね。桜は随分と寂しくなってしまったけれど」

 

それもそうだろう。

よく考えずとも、私は大人。彼女は学生の身だ。

トレーニングで遅くまで付き合うことはあれど、プライベートな部分には極力立ち入ってこなかった。

 

ゆったりと歩いていると、通り抜けていく風が頬を撫でて、体温を奪っていく。

アルコールで火照った熱を、攫っていくように。

 

「ふふっ、だが、散って尚美しいものもあるよ。ウマ娘たちのようにね」

 

「違いないね」

 

風に、散る機会を失った桜の花弁が時折混ざっては通り過ぎていく。

散る機会を失ったまま、彼らも燻っていたのだろうか。

考えても仕方がないことではあるが、私もきっと同じような姿だったのかもしれない。

自分を美しいものに喩えたくなるというのもみっともない話だが、なんだかおかしくなってくる。

 

「おや、今夜は随分とご機嫌じゃないか」

 

「そうかな。……そうかもしれないね」

 

なんだか、最近こうしてルドルフと落ち着いて歩くことも随分と減っていたように思える。

環境がそれを許さないという側面もあったが、ここのところの騒ぎのおかげで、朝から泣きじゃくっていたり、私が打ちのめされていたりと碌な目にあっていなかった。

 

改めてこうして隣を歩くと思う。

これでよかったのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、感謝祭で生徒会は何かやるのかい?」

 

「ふむ。出店などは参加しないよ。レースイベントにはいくつか出走予定だが、そう本気を出すようなレースでもない」

 

確かに、毎回感謝祭では真っ当なエキシビジョンレースなどよりも、借り物レース、ふざけたものだと金船障害などと言う酷いレースもあったが、大抵は感謝祭だからと許されている。

一つの大きなお祭り騒ぎなのだ。多少のやらかしは許容されている。

なによりも、ファンが盛り上がりすればそれでいいのだ。

昔のルドルフはファンサービスもスケジュール化しており、時間が来ると途中でもあっさり終わらせてしまうところがあったが、最近運営側としての活動が増えるにつけ、その辺りのサービス心が芽生えたのか、比較的手厚く対応するようになっている。

 

そういえば以前、エキシビジョンでメンタル面の不調から凡走をしてしまい、ファンをざわつかせてしまったことがあった。

もう数年前の出来事ではあったが、当時ルドルフが全て一人で抱えてしまう癖があった中での出来事だったので、随分と記憶に残っている。

 

「……そうは言うけれど、レースでルドルフが抑えられるとも思わないんだけど」

 

「おやおや、これは信頼関係を見直さないとならないぞ、トレーナー君。私は自制もきちんとできるとも」

 

それは本当だろうか、と最近の事件のことを考えると、どうしてもつい疑いの目を向けてしまうところだ。

あの晩には、不思議なことにどこからか野球ボールが飛び込んできて事なきを得たが、あれは自制心など完全に飛んでいたと思うのだが。

 

「……ま、その自制心には期待させてもらおうかな。それに、そんなことで足を壊してしまうような鍛え方もしてないからね」

 

もちろんだとも、とルドルフは頷いた。

 

「………それで、トレーナー君はどうして外に?」

 

「アルコールで火照った頭を冷やしにね」

 

「やはり少し飲み過ぎでもしたかな」

 

「いやいや、鉄砲付けが美味しくてお酒が進んでしまって。……あれ、ルドルフでしょ?」

 

「……よく覚えていたな。一度差し入れに持ち込んだ程度だったと思ったんだが」

 

「成田土産、だもんね。流石に覚えているよ」

 

「ふむ。あれを気に入ったのであれば、どうだろう、今度のオフに成田山にでも観光に行かないか?」

 

「ルドルフの地元だったかな」

 

「ああ。シンボリ家の近くだな」

 

ルドルフの目が若干泳いでいる。

こういう目をしていたことが、そういえば過去にもあったなと思い返すと、自ずと何が起きたのかを思い出すことができた。

 

「……空港でのアレみたいにならないよね?」

 

「………どうだろうか。家のことは流石に私にもわからないさ」

 

成田空港から飛行機で遠征に向かう際、ルドルフのご家族と鉢合わせると言う事件があった。その際、硬直して動かないルドルフを他所に、それはもう熱心に「娘をお願いします」と頼まれ、随分とプレッシャーを掛けられたことを覚えている。

 

「あのときは大変だったんだよ。シンボリ家の方々が名家なのに、妙にフランクに接してくるから」

 

「私の大切なトレーナー君だからな。流石にそこは弁えて貰っているとも」

 

ルドルフからは随分と厳しい両親と聞いていたので、正直なところ突然出会した際は心臓が止まるかと思った。掛けられてしまった期待は重かったが、その後、なんとか三冠を得ることもできた。

仮に再び、何かの拍子に出くわしてしまったとしても、胸を張ってルドルフを預かった責任を果たしましたと報告ができそうなので、その点では問題ないかとは思う。

 

……とはいえ、私のような一般的な家庭出身の人間からすると、あの名門特有の空気感は身が竦むような思いをさせられてしまうので、できるだけ近寄りたいとは思えない。

 

「じゃあ時間が出来たら観光に行こうか、テイオーも連れて」

 

「そうだな。……せっかくだし、テイオーにも私の育った土地を見てもらおうか」

 

……おや。今日は随分と聞き分けがいいな。

先日のデートと言う名の息抜きが功を奏したのだろうか。

 

「そういえば、これはどこに向かってるのかな?」

 

「あぁ、屋上に出ようかと思って。あっちに外階段があるんだ」

 

「なるほど。……路を外れていくものだから、少々驚いてね」

 

ぐるり、と寮の周りと歩いていく。

交わされる言葉は多くない。

トレーナー君は感謝祭で何かやるのか、今後の予定はどうするか、など。

他愛もない話がぽつりぽつりと交わされる。

 

「ここだね。足元暗いから、気をつけて」

 

そう言いながら、私は外階段への鉄扉を押し開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、随分といい眺めだな」

 

吹きっさらしの屋上に出て、欄干に寄り掛かるようにしてルドルフが口を開いた。

流れていく風は地上よりも少しばかり冷たく、そして強い。

 

「生徒会室ほどじゃないけどね」

 

風にそよぐ耳と尻尾、スカートの裾。

ぼんやりとその後ろ姿を眺めながら、ポケットからポーチを取り出し、開く。

 

入っているのは、煙草のパッケージと、小さなライター。

………よくもまあ、こんなのを覚えていたものだと関心してしまう。

 

吸っていたのは、それこそ配属直前あたりだ。

サブトレーナー時代は吸っていなかったし、ほんの何度か彼女の前で口にした程度なのに、よくもまあ覚えていたものだ。

 

特に、ルドルフを担当に取ってからは全く口にしなくなっていたものを、まさか今更手渡されるとは思わなかった。

飲み会の場では、時折煙草が欲しくなることはある。

しかし、ルドルフが迎えに来ることも多く、また匂いを残したくなかったこともあって、今まで吸おうとは思っていなかった。

自分で持たないようにしていたぐらいなので、完全に遠ざかっていたのだが。

 

封を切って、軽くパッケージを揺すってやれば、数本が切り口から飛び出す。

そのうち一本を無造作に口で引き抜いて、咥える。

 

「……トレーナー君は煙草を吸っていたのか?」

 

不意に、物音に気づいてルドルフが振り返って目を丸くした。

 

「……昔は、ね」

 

目が合う。

出入り口の電灯と、ぼんやりと月明かりだけが光源の、暗い屋上で。

 

「禁煙には成功した、と言うことなのかな。それとも、知らないところで吸っていたのかな?」

 

紫色の瞳が揺れる。

気づかなかったな、それは。

そんな言葉が、風に紛れて少しばかり遠くで聞こえた気がした。

 

「……火は、付けなくていいのかな?」

 

「いいんだ。つい出してしまったけど、ルドルフにこんなものを吸わせるのも偲びないから」

 

なんとなく、本当に何の考えもなく煙草を口にしておいてなんだが、ルドルフの前で紫煙を燻らせるのは趣味じゃない。

そもそも、こんなものは一人の時で十分なのだから。

 

「別に構わないよ。他のウマ娘の匂いをさせるより、余程良い」

 

「……まだ根に持っているのかな」

 

「いいや、そうじゃないよ。君がそれを纏うなら、私がそれを好きになるだけだ」

 

このご時世、そしてウマ娘という嗅覚の強さなのに、煙草を嫌がらないというのは珍しい。

とはいえ、悪影響を与えてしまう可能性は極力避けるべきだろう。

 

「……こんなもの、好きになられても困るんだけどね」

 

全く、何故ルドルフの前でこんなものを出してしまったのかと自責の念に苛まれる。

 

「そうだな。……私がいるところでは吸いづらいだろう。少々名残惜しいが、今夜はこれで失礼するよ」

 

「ごめんね」

 

「構わないさ。君とのちょっとした冒険、楽しかったよ。それにーーー」

 

 

ーーー君と会えてよかった。

 

 

だから、ルドルフがそんなことを言った時。

弾かれたように振り向いてしまった。

思わず零してしまった、ということだろうか。珍しく口許に手を当てて驚いたような色があった。

 

「……こちらこそ」

 

ただ心配で、ただ申し訳がなくて。

私の管理不足だったし、経験不足だった。

あの時、もっと早く気づけていれば。もっと対策を取っておけば。

きっと凱旋門賞にも彼女は挑戦できていただろう。

 

だけど、なんだか。

その一言で、救われたような気持ちになったのだ。

 

そう、本当に。

君と会えて、良かった。

 

こんなことを今更想うのも、きっとアルコールのせいなのだから。

手を軽く振って背を向けたルドルフが扉の向こうに消えていくまで、ぼんやりと目で追いかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルドルフが屋上から立ち去って、しばらく。

空を彩るのは、月と、ぼんやりと月明かりを含んだ雲。

地上の灯りは、つい先日眺めたものとはまた趣が違う。

 

もう一度。欄干に身を預け、空を見上げてみる。

あちらでみた景色も、こちらで見る景色も。

空を見上げてしまえば、そう変わらない。

 

咥えた煙草が、少しばかり湿り気を帯びてきた。

 

最近、昔を思い出すことが増えた。

駿川さんと、少し話をするようになったからだろうか。

それとも、あの部屋の香りのせいだろうか。

 

ルドルフが身に纏うアイリスの残り香は、屋上に吹き付ける風が攫って行ってしまった。

 

ポーチからライターを取り出す。

手入れの行き届いた、金属のライター。

 

刻まれた文字はーーーいや。

 

きんっ、と。

金属の冷たい音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、それに火を灯すことは、しなかった。

昔のことを思い出しすぎてしまいそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 


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