トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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一朝之患

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずきり、ずきり。

痛む頭を抱えて、片付けを済ませた部屋を出る。

施錠して、鍵をポケットにねじ込んで。

 

昨日はアルコールに浮かされ、後悔に苛まれながら他人の部屋で眠った。

どうにも飲みすぎたらしい。

 

スタッフ寮の廊下を、ぺたぺたと歩く。

踏み出す一歩ごとに、ずきりずきりと痛みが神経を苛む。

 

酔ったところで記憶が飛ぶなら良かったのに。

忘れてしまえるなら、それで良かったのに。

 

 

なんとも、私らしい話だと思う。

 

 

 

 

 

玄関口の近くが、妙に混み合っていた。

普段見慣れない顔が、困惑したように立ち往生している。

ああ、そうか。ここはスタッフ寮だった。と今更ながらに思い出す。

時刻は朝の6時。そろそろ各セクションのスタッフが通勤を始める頃合いだろうか。

 

昨日はあまり考えずに通り過ぎていたが、昨日よりも少しばかり早い時間だ。

スタッフ寮の構造や日頃の様子には詳しくないが……もしかすると、ランドリーなどの利用者が朝に列を成しているのが日常的な光景なのかもしれない。

 

「……あの、どうしたんですか、これ」

 

手近にいたスタッフ…上下白服なので、恐らくは調理スタッフであろう女性に声を掛ける。

 

「え?あら、トレーナーの方……?」

 

振り返った女性は、少しばかり驚いたように目を丸くする。

確かに、こちらの寮にトレーナーが出入りすることは滅多にない。

基本的に制服が主体のトレセン学園内では、動きやすい格好をしている大人は大体がトレーナー職である上、特徴的な蹄鉄を模したマークのバッジを付けているので、分かりやすいようになっている。

 

しかし、この縋るような目は一体どういうことなのだろうか。

 

「えっ、トレーナーが来てるの?」

 

女性の発言に反応してか、周囲に溜まっていた面々が一斉にこちらを振り返る。

……何だか非常に嫌な予感がする。

目立つのは慣れていないし、朝早くから事件の類は勘弁して欲しいと思いつつ、再度繰り返す。

訊きたくない、と心底思いながら。

 

「どうしたんですか?」

 

「え、ええと……」

 

聞かれた側である女性スタッフはそっと身を避けていく。

同時に、近くに溜まっていたスタッフたちが、道を譲るかのように避けていく。

 

「あれです」

 

あれ、と示された先。

人垣がまるで示し合わせたかのように割れていった先に、それは立っていた。

携帯端末に目を落とし、何事か考えているらしい、ウマ娘の姿が。

 

「……アグネスタキオン?」

 

ぴん、と立てた耳がこちらを向き、ぱっと顔を上げた。

濁りがちな目が続けてこちらを向き、視線がぶつかる。

にぃ、と特徴的な笑顔が向けられた。

 

「やあやあトレーナーくん!ご機嫌はいかがかな?」

 

こんな朝っぱらから出くわしたくないウマ娘が、にんまりと楽しそうな笑顔を浮かべて立っていた。

 

なるほど、スタッフたちがこんな入り口で詰まっていた理由も理解できるものだった。

当然のことだが、問題児の奇行にはできるだけ巻き込まれたくない。

トレセン学園スタッフの自己防衛本能として刷り込まれた危機回避本能は、今日もきちんと仕事をしているようで何よりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、スタッフ寮にまで出向いてどうしたんだい」

 

まるで危険物や事件を遠巻きにして眺めるかのようなスタッフたちによる、警察官でも到着したかのような人垣の割れ方に若干の恐ろしさーーーこの場合、訓練された動きに引いてしまったという感じだがーーーを感じながら、歩み出る。

 

これではまるで民衆を守る勇者のそれだ。或いは、生贄に捧げられる哀れな村人か。

私にそんな役回りを押し付けて欲しくないのだが、昨日の今日で彼女がこんなところまでやってきた、ということは目当ては恐らく、私だ。

逃げることはできるが、スタッフたちの目がそうはさせてくれない。

 

「おはよう、トレーナーくん。きみがお困りだと思ってこうしてデリバリーにやってきたというのに、随分と不服そうじゃないかい?」

 

少しばかり気を害した、と言うような言葉を吐いておきながら、アグネスタキオンは何処となく嬉しそうに、楽しそうにくつくつと喉を鳴らす。

 

「……デリバリー?」

 

そして、嫌な言葉が聞こえた気がする。

デリバリー、ということは薬でも届けに来たということだろうか?

 

「風邪薬なら何日分か貰っていたと思うけど」

 

「いやいや、そうじゃないさ。昨晩は駿川さん()()と飲み会だったと言うじゃないか。であれば、今のきみに必要な薬は恐らく、二日酔いのそれだろう?」

 

「……よくご存知で」

 

ずきり、と思い出したように二日酔いが痛みを主張し始める。

それと、駿川さん()()、と言ったということは、昨夜のことがある程度把握されている状態だということだろう。

アグネスタキオンは煙に巻くようなことは良く口にしてはいるものの、あやふやな言葉をあまり使わない癖がある。

その彼女が明確に、いや、あえてそこにイントネーションを置いて発言したということは、つまりそういうことなのだろう。

 

「分かっているとも。ウマ娘と違って、人間のアルコール分解能力には限界がある。久しぶりにストレス解消のためにアルコールを飲むのは良いが、二日酔いはいけない。アルコールは適度なリラックスに良いけれど、摂取しすぎるのは脳に良くないよ」

 

滔々と、謳うように述べるアグネスタキオン。

……実に、実に胡散臭いことこの上ない。

 

基本的に、言っていることは大抵真っ当だったりするのだが、根底にあって然るべきモラルを何処かに置き忘れて来ていたり、あるいは表情、仕草がその胡散臭さをひどく助長させる。

先日、彼女の薬で随分と助けられたばかりだというのに、それでも。

 

「というわけで、だ。市販薬の薬などというのは所詮気休め。どうせ飲むなら私の薬を飲みたまえよ」

 

基本的には大人しか利用しない寮の購買では、その手のドリンクも販売している。

二日酔いに効く、或いは肝機能を助けるような成分が配合された、あまり美味しいとはいえないようなそれらが。

適当なタイミングで購入しようかと思っていたが、予測されていたらしい。

 

「市販のドリンクなんて気休めだからね?」

 

そう言いながら、思ったよりも小さな手で、薬包を押し付けてくる。

 

「変なものは混ざっていないね?」

 

思わず受け取ってしまったが、あまり安易に彼女の薬に頼るのも後が怖い。

依存性などがあるようなものはこれまで渡されたことはない。あくまで別の意味で事故の可能性があるからだ。

 

手渡された小さな包み紙が、手の中でかさりと小さく音を立てる。

 

今時、薬包で処方されることなんて随分減ったものだと思っていたが、彼女はどうにも、頑なにこういう若干レトロというか、『らしい』ものを好む傾向にあるようだ。

個包装するには機材が必要なので、それも仕方のないことかもしれないが。

 

「変なものとは心外だね。ちゃんと薬効成分が入っているよ」

 

「……言い直そうか。体が不必要に発光する、体が縮む……あるいはその他、何かの愉快な効果を発揮するような成分は含まれていないね?」

 

最近、その手の悪戯を仕掛けられることはほとんどない筈だが、過去に何度か全身を激しく発光させられたりと酷い目に遭わされた経験が、警戒心を呼び起こしている。

 

「………………………含まれてないよ」

 

そして、大抵悪びれることなく大笑し、そして時間経過で薬効が消滅するまでの間放置しがちな下手人は目を逸らして唇を尖らせている。

わざとやっているのであれば大したものだと思うほどの怪しさだった。

 

「……なに、今の間は」

 

「もう!トレーナーくんはうるさいなあ。ちゃんと二日酔いが収まるのだからさっさと飲みたまえよ。私の薬の効能はきみが身体をもって証明しているだろう?」

 

そして、きちんと言葉で戦えば強い筈の彼女は、困った時は大抵、駄々をこねるようにゴリ押ししてくるのだ。

この手口でよくマンハッタンカフェが犠牲になりがちである。

あれで存外はっきりとものを言うマンハッタンカフェだが、時折押し切られたのか実験の被害に遭っているところを見かける。

 

「ほら、ちゃんと水もあるよ。さあ飲みたまえ。さあ。はーやーくー!」

 

ヤケになったのか、頬にごりごりとミネラルウォーターのボトルを押し付けてくる。

こう言うところで妙な稚気を発揮しなくても良いのに、と思う。

 

「痛い痛い痛い、分かった、分かった飲むよ」

 

処置なし、である。

諦めて両手をあげ、降参を示せば、背後でざわめきが起こる。

 

『え……飲むのあれ?』

『おい離れろ、爆発するぞ!』

 

誰かの悲鳴じみた一言を切っ掛けに、ざわめきが潮が引いたように遠ざかっていく。

 

いや、いくらなんでも爆発はしないだろう。

 

手元の薬包、そしてミネラルウォーターをちらりと見て、アグネスタキオンの目をじっと見つめる。

 

「……なんだいその目は。いくら私でも、きみを爆発させるわけがないだろう?実験に使える優秀なモルモットくんを事故で失うのは嫌だからね」

 

「もし爆発したら祟ってやるからね」

 

「モルモットくんが私を祟ってくれるなら有り難く頂戴するよ。カフェを通訳にしないとならないかもしれないけれどねえ」

 

そんなことになってみろ。大変なことになるぞ。

主にルドルフが大変なことになるぞ。

どう大変になるのかについては、私では予想もつかないが。

 

「……まあ、せっかくの好意だしね。頂くよ」

 

触れた感触からして大体わかってはいたものの、包みを解けば、やはり粉薬だった。

口に放り込み、ペットボトルの水で流し込む。

強い苦味が舌を刺激し、少しばかり気が滅入ってくる。

 

「良薬口に苦し、だよ。そのぐらい我慢したまえよ」

 

顔を顰めてしまっていただろうか。

アグネスタキオンが、少し不満そうに頬を膨らませていた。

 

「あー……こういう粉薬を飲むのが久しぶりでね」

 

昔から、錠剤はまとめて飲めても粉薬は苦手だったなと思う。

子供の頃、飲む際に噎せて鼻に入った時は地獄だった。

 

「最近は錠剤かカプセルが主流だからね。保管もしやすく飲みやすい。薬効の発揮タイミングなど考える必要はあるが……まあ、剤系を整えるのも面倒だからね」

 

錠剤というのはそんなに簡単に作れないとは思うのだが、あのラボを見る限り、恐らく彼女はやろうと思えば錠剤も作れるだろう。

学園側は一度追放しようとしていた割に、機材に投資しているのは一体何故なのか。

 

「それに、これは即効性があっても良い薬だよ。早く効くに越したことはないだろう?」

 

「おっしゃる通りで。……少し胃がスースーするね」

 

「生薬……まあハーブなんかも入れているからね。最近はすこしばかり、飲む側の都合にも配慮しているのさ」

 

意外な言葉に、思わず動きが止まる。

効けば良い、ぐらいの感覚だろうかと思いきや、人に飲ませる薬では配慮していたとは。

実際に持っていたことはほとんどないはずなのだが、何故だろうか、彼女は容赦無く注射器でもなんでも使いかねないイメージがある。

 

……変われば変わる、ということだろう。

 

「ま、本当に最近からだけど。誰かがここの所よく体調を崩すからねぇ……致し方なくだよ」

 

頼んではいない。

……頼んではいないのだが、体調の悪いところに適切な処方をしてくれた彼女を無下にするのも違う話だ。

 

「ん……ありがとう」

 

単純に、体調を気遣ってくれた事、飲みやすく工夫してくれたことには感謝すべきだろう。

 

「構わないさ。後でメールでレポート用紙を送るから、薬効があればフィードバックをちゃんと送ってくれよ?」

 

薬効については不安には思っていない。

彼女の薬は、効きすぎるがために頭痛の種になるのだから。

それこそ、魔女の薬のように。

 

「わかったよ。それじゃ、わざわざありがとね」

 

そう言って彼女にペットボトルを返そうとして、ふと動きを止める。

流石に口をつけたものを返すのも申し訳ない。

バッグに手を突っ込めば、トレーニング用に入れているドリンクボトルに指先が触れた。

 

「ああ、これ。私ので申し訳ないけど、綺麗なはずだから。中身はスポーツドリンクだよ」

 

「……おや、別に水ぐらい構いやしないのに。きみも律儀だね」

 

ぱちくり、と目を瞬かせてドリンクボトルを受け取ったアグネスタキオンは、いつもより少しだけ柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「……それで、なんで付いてくるんだ?」

 

薬は恐らく効いてくるだろう、と思い、諦めてトレーニング場への道を歩き出すと、当然のような顔をしてアグネスタキオンがついてきた。

 

「何でも何も、ラボに帰るからに決まっているだろう?戻る道がこれしかないのだから……ああ、これはアレかな?」

 

呆れたような顔をされてしまう。

何故だろうか、割と人に呆れられてしまうことの多い私ではあるが、彼女の呆れ顔というのは妙に癪に障る。

小バ鹿にした、と形容して良いような態度なのだ。

恐らく、当人にはそのつもりはないのだろうが。これが日頃の行いというやつだろうか。

 

「……なんだい」

 

「最近少し読むようになった本に書いてあったよ。好きな子にちょっと刺々しい態度を取ってしまうというアレだろう?デジタルくんが特に詳しいが、そういう心理的な動きというものもあるというじゃないか」

 

「どういう目線でそれを読んだのか、そして何を読んだのかはとても気になるところではあるけど、違うよ。忘れてたんだ」

 

恐らくだがそれは甘酸っぱい青春物語とか、そういう類の物ではないだろうか。

あくまで純粋に目に見える数字だけ追いかけていた彼女が、そうした娯楽小説などに関心を示すようになったのは良い変化かもしれないが、しかし着眼点がどうにもズレているような気がする。

確か以前、心の動きが肉体面に与える影響がどうとか言って、街を連れ回されたことがあった。

 

「それは残念。ふゥん……こういうのは幼い時分に経験しておくべき事だったかな」

 

「何言ってるの。まだ若いんだから、これからいくらでも時間はあるでしょうに」

 

「……動揺は無しか。これは参考文献を見直す必要があるかな?デジタルくんに協力を仰いでみるのも悪くないか……」

 

顎に手を当て、考え込むようにして呟かれた一言は、聞かなかったことにした。

これでまともに取り合っていると、嬉々としてデータ採取を始めるのだから。

 

「それで、朝からどういう風の吹き回しだったんだい」

 

隣を歩くアグネスタキオンに訊く。

確かに何かと薬を届けてくれたりと、意外な面倒見の良さを発揮している彼女ではあるが、どうにも、何といえばいいのだろうか。

 

これはあくまでも感覚としてだが、どこか歯切れが悪い。

 

「うん?私の善意がそんなに信用できないかな?」

 

顔を覗き込むようにして彼女は笑う。

だが、何か言いたげでもある。

 

「いや、何か言いたそうにして……」

 

ーーー違和感。

何か言いたいことでもあるのだろうか。

昨日の時間をとる、と言うことであれば、それについてはきちんと……。

 

否。違う、これはーーー

 

「待って、アグネスタキオン」

 

「何だい」

 

「そこ座って。脱いで。今すぐに」

 

「……君はそう言うところは意外にせっかちだなあ」

 

やれやれ、と。

少しばかりバツが悪そうにアグネスタキオンは笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

そして、呆然としたような声が聞こえた気がした。

 

 


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