トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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一徹無垢

 

 

 

ベンチに腰掛けたアグネスタキオンが、左足の靴、ソックスと順番に脱いでいく。

しゅるり、と衣擦れの音がして、白い素肌が露になった。

 

艶やかな、白く細い足だ。

ルドルフやテイオーのそれとは違う、一種病的な繊細さを内包しているようにさえ感じてしまうのは、足元不安があったからだろうか。

『ガラスの靴』、と自嘲気味に口にしていたが、なるほど確かにガラスの靴でも履いているかのような、一種の透明感を感じさせる。

 

腰掛けた彼女の前に膝を着き、外観からの情報を探る。

腫れはない、変色もしていない。少々白さが目立つが、肌色も健康。

爪の色も問題ない。…形も、随分前に指導した通りに思っていたよりも丁寧に整えられている。

外見上は、特段おかしな点はない。

 

しかし、態々私のところまで彼女が出向いてきたということは、何かしら不安があるはずだ。

立ち姿は兎も角、歩く姿に若干の違和感を覚えたに留まるので、こればかりは詳細に調べてみない事には分からない。

 

「触るよ」

 

「うん、頼むよ」

 

診せに来た以上は分かっているとは思うが、触れる前には声を掛ける。

これで驚かれて、反射的に蹴られでもしたら今度は私が病院送りになるのだから。

 

ひたり、と肌に触れる。

肌理の細かい、繊細さを感じさせる肌。

奔放な性質をしているが、その実は名家の出身者だ。

ずぼらなように見えていても、メンテナンスはしっかりとしている。

 

その白い肌に、触れていく。

触れ、軽く圧し、反応を伺う。

壊れ物を扱うかのように、繊細に、丁寧に。

 

「痛みは?」

 

「今はないよ、幸いな事にね」

 

擽ったそうに尾と耳をぴくぴくと動かしながらも、そう答える。

だが、気になる言い方だ。

思わず、目を見て問う。また抱え込もうとしていないだろうな、との意志を込めて。

 

「…今は?」

 

「…失礼。言葉が正確ではなかったようだねぇ。気付いた時点から現在に至るまで、痛みは無いよ。少しばかり違和感がある、と言えば伝わるかな」

 

肩を竦めて彼女は笑った。

斜に構えたシニカルな笑み。いつも通りと言えばいつも通りのそれ。

しかし、瞳の奥、濁ったベールの向こう側で、僅かに揺れる物があった。

 

不安だ。

 

「ならいいんだ。続けるよ」

 

こんな目をしておいて、誤魔化しも何もあったものではない。

痛みは無い。今のところは、これが真実だろう。

視線を切って、その違和感の源へと向き合う。

するりと伸ばされた、細く長い脚。

 

……左脚の違和感。

 

違和感を感じたという事は、少なからず何かしらの『漠然とした不調』を感じたという事だ。

非常に漠然とした、ぼんやりと形がはっきりとしない、小さな種子。

大抵のウマ娘ならば「明日痛むようだったら保健室に行こうかな」というようなレベルで済ませてしまう事もある、そんな些細な不調。

 

だが、アグネスタキオンにとってそれは、葬り去ったはずの過去の痛みを、在りし日の絶望を思い出させるに十分だったのだろう。

 

彼女の治療とリハビリは、生活習慣の改善と合わせて行った。

それこそ彼女が弱音を吐き、逃げ出そうとする程に、徹底的に。

トレーニングも全て見直し、リハビリとメンタルケアを重ね、走るのに十分な強度まで心身共に回復している。

 

だが、それでもやってくるのが脚の故障だ。

そして、彼女のそれは特に再発しやすいとされるもの。

 

余程不安に感じたのだろう。

こんな早朝からひっそりと…ひっそりとか?兎も角、わざわざ顔を出し、言いづらそうにしていた程なのだから。

 

脚をそっと撫で下ろしていく。

……浮腫みはない。

 

「ふっ、くく、そう丁寧に触れられると擽ったいねぇ」

 

ぴくりぴくりと、時折脚に緊張が走っては緩む。

案外、擽ったいのに弱いのは変わっていなかった。

……筋肉の強張りも、触れた感じは誤差の範疇内。

過去には、患部の発熱や炎症だけでなく、痛みのせいか、周辺筋肉の強張りまであった。

 

アグネスタキオンが過去に患っていたそれは、腱繊維の一部断裂に端を発する発熱、腫脹を主とする疾患。それは所謂、不治の病。ウマ娘にとっての癌。

 

当初彼女の面倒を見ることになった頃、それは腫れあがって熱を持っていた。

はっきり言ってしまえば、何故まだ走れるのかと疑問に思うような、酷いものだった。

 

「な、なあ……おーい?聞いているのかい?」

 

これが彼女を自暴自棄にさせ、突拍子もない言動に繋がっているのではないかと疑った程だ。

濁った瞳に、狂ったような色を灯し。

笑いながら破滅へと突き進んでいく、そんなウマ娘だと。

 

……足首を軽く掴んでゆっくり動かせば、可動域にも異常は見られない。

膝も、股関節もどちらも動きにぎこちなさがない。

日々の執拗なまでに時間を割いたストレッチを、口を尖らせながらもしっかりと行っている証左だろう。

 

なにやら先ほどからぎゃあぎゃあと喧しいが、今構っている余裕はない。

集中しろ。一つの異変すら見逃すな。

 

どのみちこの後、トレセン学園の附属病院へ検査に連れて行くことは確定事項ではあるが、まず第一に必要なのは安心させることだ。

それは無責任な「大丈夫」ではなく、状況を把握したうえで必要な措置も併せて告げるべきなのだから。

 

……そういえば、アグネスタキオンへの認識を改めたのは、いつだったか。

ふとした拍子に放たれた、彼女の野望。

 

『可能性の果て。光の先へ』

 

誰も彼もが「非現実的だ」と笑い、忌避したそれは、それこそ突拍子もないタイミングで口にされた。

到底、そんな大きな野望を語る場面では無かったにも関わらず、彼女は堂々とそれを言ってのけた。

 

理事長からオーダーされたのは生活習慣の改善と、選抜への出走。

ルドルフの強い反対を押してでも捻じ込まれたオーダーは、それだけの筈だった。

 

だけど。

 

その狂おしいまでの激情を宿した瞳が。

その姿が。

 

あの夕焼けの中に見た景色のように。

どうしようもなく、美しく見えたから。

 

 

 

 

 

 

 

だから。

 

「……アグネスタキオン」

 

「……ッ、な、なんだい」

 

恐る恐る、おっかなびっくり物陰から覗き込む子供のように。

見たくないものを、我慢して直視するように。

 

だから私は、精一杯、安心させるために言葉を紡ぐ。

 

「大丈夫。君の脚は、いつかその先へ連れて行ってくれるだろう」

 

ぽん、と脚に触れ、顔を上げれば。

びっくりしたような顔で硬直するアグネスタキオンと目が合った。

 

それと、視界の大部分を、何故か見慣れないウマ娘の顔が覗き込むようにして塞いでいた。

 

「さっきから何してるんですか、あなた達は!」

 

「……え?うわ、ちょっ…」

 

……びっくりした。

いや、びっくりしたなんてものじゃない。

 

集中していて全く気付かなかったが、何やら見知らぬウマ娘から突然怒鳴りつけられてしまった。

それもかなりの至近距離で。

その迫力に思わず仰け反ろうとし、そのまま後ろへと無様に転がってしまったのである。

 

よりによってここはターフでも、室内でもない。

ただ地面に敷き詰められた煉瓦に、強かに後頭部を強打した。

目の前をぱちりと火花が踊る。

 

「っつぅ………」

 

「あっ、だ、大丈夫ですか⁉」

 

痛む後頭部を抑えのたうち回っていると、手が差し出された。

見上げれば、先ほどのウマ娘が困惑気味に手を差し出している。

 

「ええと……大丈夫」

 

手を払うような真似はしない。

確かに後頭部は痛むが、引っ張り上げてもらわなくても一人で立ち上がれる程度。

しゃがみこんだ状態から転がっただけなので、そう大袈裟にする必要もない。

 

「すみません……」

 

しゅん、と耳を伏せたウマ娘。

綺麗な栗毛。

やたらとボリュームのあるツインテールに、頭にはティアラを乗せたウマ娘。

ん?どこかで……いや、確か新入生の。

 

日頃の癖で、ウマ娘を見るとつい観察してしまうのは職業病だと思う。

頭のティアラから、だんだん視線を下げ……下……げ……

――――いや、でか。

 

 

……違う。

ああ、見覚えがあるな、このウマ娘は。

確か名前は。

 

「…ダイワスカーレット、だったかな。どうしたの?」

 

「あ、はい。……あれ、アタシの名前……いえ、そうじゃないです。学園内で一体何してるんですかあなた達は!」

 

びしいっ、と音がしそうな勢いで、指が突き付けられる。

何故だか若干頬を染めて、指先もぷるぷると震えているが、正直な所状況が飲み込めない。

 

「……どういうこと、アグネスタキオン?」

 

思わず、恐らくは話を聞いていたであろうアグネスタキオンに助けを求めれば、彼女は彼女で不思議そうに首を傾げていた。

 

「ふゥん……いやね、彼女の言によれば、さっきから脱げだの脚を撫でまわしたりだのと、不埒な行為に及んでいたように見えていたようだよ、きみは。そうそう、きみは集中すると周囲でどれだけ声がしていても聞こえなくなるようだね。実に興味深いねえ……」

 

ソックスをもそもそと履きなおしながら、アグネスタキオンはそんなことを言い出した。

それにしてもこのウマ娘、ソックスを履くのが下手くそである。何故踵の部分が上に来ているのか。

 

「……うん?え、あぁ……」

 

しかし言われてみれば、確かにそこだけ抜き出してみれば酷い発言のように聞こえたかもしれない。

今すぐ脱げ、と言い出し、何故か脚を撫でまわしているのだから。

 

「実際のところは、アグネスタキオンから求められたんだけど」

 

「な、ななっ!?」

 

何故か口をぱくぱくと開閉し、小刻みに震え出すダイワスカーレット。

 

言い出しにくかったらしいとはいえ、脚の調子を診せに来たのはアグネスタキオンだ。私から無理やり脱がせて触診に及んだという事実はないので、これは弁明しておかなければならないだろう。

確かに、スピカのトレーナーもよく善意で脚の調子を確認しようとし、蹴り飛ばされているというのだから。

蹴られないだけでも大分有難い話ではあるのだが、これが噂となり、尾鰭と背鰭を備え、ロケットブースターまで装備した上でルドルフの元へ到着した日には、私の身体から胃と呼称される器官が分離されることになってしまうため、可能な限り誤解は解いておきたい。

 

「っく、あっはっはっは!前々から感じていたが、トレーナーくんは言葉が足りないと言われやしないかい?」

 

「……たまに言われるけど」

 

「ふふ、そうだろうそうだろう。普段は端的に物を言うくせに、そういう所がきみの面白い所なのかもしれないねえ……」

 

ようやくソックスと靴を履き終えたアグネスタキオンが、ひょいとベンチから立ち上がると脚の調子を確かめるように動かしながら、楽しそうに喉の奥で笑う。

 

赤い顔をしたまま固まっているダイワスカーレットの目が、ぐるぐると内心の混乱を示すように回っていた。

 

 

 

 

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