トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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茫然自失

 

 

 

 

目が覚めて。しばしぼんやりして。

覚醒するかしないかのうちに、なんとか身を起こしてカーテンを引いてやれば、日差しが眩しい。

 

朝の日光を浴びると体のリズムが整いやすいとはトレーナー君から聞いていたが、寝不足気味の体にも良く効くものらしい。

あるいは、強い光を浴びることで強制的に体が朝を自覚するとでも言えば良いのか。

 

それにしても、昨晩は思っていた通りにトレーナー君と会うことができた。

良い夜を過ごせたと思う。

 

トレーナー君は相変わらず、あまり自分のことを語ろうとはしないが、昔煙草を吸っていたことがあるというのは新たに知ることができた情報だったと言えよう。

いつまで吸っていたのかは不明だが、少なくとも私と契約してからはそう言った気配は感じなかった。精々が、飲み会の帰りに煙草の香りが服についていたぐらいだろうか。

 

昨晩寝る前に書き込んだ日記帳を眺めれば、昨晩の出来事が仔細に記されている。

大抵、前日の生徒会の職務についてだったり、翌日の予定を書き込む癖があるのだが、昨晩記したのはそのほとんどがトレーナー君のことばかり。

 

昔はウマ娘の本能がどう、と耳にしたところで一笑に付していたが、いざ自分がなってみるとどうにも気持ちが抑えられない。

身体が本格化に向かっていくにつれ、その気持ちは酷く大きくなっていき、そしてそのまま萎むことなく身を焦がす。

これを本能の一言で片付けるのは簡単だが、その実、これまで歩んできた足跡や絆といった形のない積み重ねを振り返れば、そんなことは口が裂けても言えない。

それはどのウマ娘であっても、きっと同じなのだろう。

 

寝ぼけ気味の頭を振って、意識を覚醒させようと試みる。

どうにも起き抜けの時間帯は頭が働かない。

ええと、確か寝起きには林檎などが良いのだったか。今度試してみよう。

 

そんなことを思いながら、スリッパを突っかける。

洗面所へと向かう足は軽い。

 

まだ知らないことがあったのだ、という喜びと、あの緑色の企みをなんとか阻止できたという安堵。

最悪、踏み込むことも選択肢に入れていたが、樫本トレーナーは良い仕事をしてくれたようで何よりだ。おそらく樫本トレーナーはともかく、あの察しのいい理事長秘書はその意味に気がついたことだろう。

牽制というにはささやかではあったが、昨晩ふらりと出てきたトレーナー君の姿と、帰りがけに遠目に酔い潰れた樫本トレーナーを送り届けて行く駿川さんの後ろ姿が見えたので、二度目の策はきちんと効果を発揮したようだった。

監視ツール類を確認するも、特段おかしな事態は発生していない。

 

歯を磨き、洗顔を済ませると丁寧に髪を整えていく。

身だしなみは大切だ。それは何も社会通念上でそういった身だしなみを整えることが好ましいという一般論を語るつもりはない。

日々会っているとは言え、大切な人の前で無様な姿は晒したくない。ただそれだけだ。

 

時折みっともないところを見せてしまうこともあるが、過去にアグネスデジタルから献本と称して送り付けられた(とトレーナー君が供述する、若干過激な描写が所々見受けられる)書籍に記述のあった「ギャップ萌え」という単語。

普段しっかりしている者がふと見せるだらしない面、あるいは不良生徒の時折見せる優しさ。

そういったギャップが、人の心を強く擽るのだという。

その言葉に縋り過信するつもりもないが、しかしトレーナー君の態度が特段変わらないということは、少なくともその時に見せてしまった醜態はプラスにもならなければマイナスにもなっていないということ。

元より表情に出ない人物ではあるが、あれで存外嫌な時は顔に出る。

 

なお、トレーナー君の持っていた過激な書籍は、どうもアグネスデジタルが書いた物だったそうだ。題材が題材だったので見逃したが、彼女は言動こそエキセントリックだが、時折とても含蓄のあることを言う。天才と変人は紙一重というが、彼女もまた優れたるひとかどの人物なのだろう。

 

……私と思われるウマ娘が、愛するトレーナー君と実に良く似た人物をものにする展開は、手に汗握る緩急を付けつつもハッピーエンド。読んでいてとても胸が踊ったので、今もこうして私室の本棚に3冊ほど仕舞い込んである。心のバイブルという奴だ。

 

わざわざ上製本をオーダーしたが、アグネスデジタルが気絶と覚醒を繰り返しながらも満足のいくものに仕上げてくれた。極めて有能かつ無害な彼女だが、あの情緒不安定さだけは欠点と思われる。

背表紙を眺めるだけでも幸せな気持ちにしてくれるというのは、素晴らしいことだと思うのだ。

 

そんなことを考えながら、耳の手入れや尻尾のブラッシングを淡々と済ませていく。

寝相が悪いという自覚はないが、私はどうにも寝癖が付きやすいらしいので、髪も尻尾も丹念に。

 

寝間着を脱いで、棚から香水の瓶を摘み上げる。

窓から差し込む光が、瓶に反射してきらきらと輝いて見える。

トレーナー君にプレゼントしてもらったものをずっと愛用しているが、もらった瓶に詰め替えて大事に使っている、私の宝物だ。

 

ウエストに香水を1、2回ほど吹き付ける。

あまり強く匂いすぎるのは好みではない。服の間からほんのり香る程度で良い。

元より、私たちの嗅覚からすれば香水の匂いは強すぎるのだが、トレーナー君の選んでくれたこれはウマ娘でも問題なく使える一品。

肝心のトレーナー君が気づくことは滅多にないが、触れそうな距離まで近づいた時には時折気づいてくれることがあるので、それを楽しみに毎日付けていると言っても過言ではない。

 

しっかりとアイロンをかけた制服に袖を通し、身支度を整えていく。

姿見で念入りに確認を行う。今日は寝癖も残っていないし、シンボリルドルフとして恥ずかしくない姿になっていることを確認して、部屋を出る。

 

さて。

百折不撓。今日も1日、頑張ろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テイオー。そこは腕の位置がちょっと低いね。思い切って振り上げて」

 

「……はーい」

 

一面の鏡の前で、音楽に乗せて身体を動かしていく。

大きめにかけられた音楽に負けないよう、備え付けのピンマイクでトレーナー君が指示を出していく。

 

「ルドルフ。わかってると思うけどそこはもっと不敵な感じで。表情筋もっと動かして」

 

「……トレーナー君」

 

ウィニングライブはトゥインクルシリーズの華だ。

レースで勝てて二流。ウィニングライブのセンターを勤め上げ、ファンを魅了してこそ一流なのだということは痛いほどよく解っている。

 

楽曲は定番中の定番。ウマ娘たちから敬意と憧れの目を向けられる、一流の証明。

ちょくちょく新曲なども出るが、節目となるレースでのみ使うことが許される楽曲というのは、下手をすれば一生そのステージに立つことのできない者も多い。

なにせ、ひとつのレースでステージに立てるのが18名程度。

G1レースにもなれば、開催数は極端に少ないのだ。そうなれば、そもそも楽曲の練習の必要性が生じるのもごく一部のウマ娘に限られる。

 

「そこ、もっと大きく動くことを意識して。ステージの下から見ると相当大袈裟に動かないと動きが小さく見えるよ。特に激しい曲だから、体のキレも意識して」

 

そんな楽曲の振り付けの練習を行うのは構わない。

トレーナーによっては、担当のモチベーション維持のために、目標とするステージのセンターの振り付けを練習させることもあるほどだ。

 

「はい、一旦休憩。二人とも表情が硬すぎるよ。集中するのは良いことだけど、ウィニングライブではファンを楽しませることを徹底して」

 

……解せぬ。

先ほどからそればかりが頭をぐるぐると回っている。

徹底的に振り付けを叩き込まれた身体は勝手に付いていっているが、しかし酷く集中を欠いてしまっていた。

 

「トレーナー君」

 

私が声をかけると、トレーナー君は少し困ったように眉根を寄せ、タオルを手にやってくる。

そして、その後ろから背景を宇宙にでもしたような表情をしたテイオーがとてとてと小走りにやってきた。

 

「ルドルフは特に顔が硬いよ?あのあと眠れなかった?」

 

「む……いや、頗る快眠ではあったんだが……そうではなく!」

 

思わず声を荒げてしまう。

おかしい。絶対におかしい。

何故アグネスタキオンがさも担当ウマ娘のような顔をして混ざっているのか。

 

「そーだよ!」

 

同調するように声を上げるテイオーが、トレーナー君の腕と胴の間から顔を出しながら追従する。

追従してくれるのはありがたいが、そこは私の、七冠ウマ娘である私の場所だぞテイオー。

その場所はお前にはまだ一千年は早い。後で理解らせる必要があるな、これは。

 

「どっち」

 

困ったようにトレーナー君が問う。

いかん。少し冷静さを欠いていた。

 

「……こほん。そうではなく、何故アグネスタキオンがしれっと混ざっている?なあトレーナー君。私は集合時からずっと疑問だったんだ。何故君は抱えられて出勤してきて、そして何故彼女はさも当然のようにトレーニングに混ざっている?」

 

本心を述べて良いのであれば、あの異物は即刻この場というかこの学園から叩き出してしまいたい。

同伴出勤の時点で戦争の引き金を引いているようなものだが、同伴どころか乗バまでさせているのだ。

乗バ、乗バ出勤だと?大変に羨ま……こほん。けしからん。

今すぐに叩き出してしまいたい。いや、叩き出さなくてはならないのではないか?つい先日、あれだけの騒ぎを引き起こし、私を煽り倒してドアを蹴り破る事になった原因を作り出したのは彼女のせいではないか?

わたし悪くないもん。

今朝はなんだか遅刻しかけたのか大慌てのトレーナー君の勢いに流されるような形でここまで連れてこられ、そのままの勢いで練習を開始されてしまったが……根本的におかしい点が複数存在する。

 

一点目。何故アグネスタキオンに乗バして現れたのか。

二点目。勢いで流されていたが何故アグネスタキオンがトレーニングに参加しているのか。

三点目。アグネスタキオンの後ろから走ってきて、トレーナー君の端末を手渡して崩れ落ちたウマ娘は一体どこのウマの骨なのか。

四点目。テイオーが担ぎ上げていたはずの桐生院サブトレーナーは一体どこで落としてきたのか。

 

考えろ、シンボリルドルフ。

今そこで呑気にトレーナー君が用意してくれたタオルを我が物顔で使っているあれを叩き出し、ついでに始末するための口実を。

トレーナー君もトレーナー君だ。まさかあんなウマ娘に乗バを許すなどと、最近ガードが緩くなり過ぎていやしないだろうか。

それに、何故トレーニングに参加させているのかも解せない。一体今朝、何があったのか。

監視アプリを確認しようと端末を取り出してみれば、そこにはエアグルーヴからの大量の着信と、メッセージが数件。

 

『緊急です。会長のトレーナーがアグネスタキオンに連れ去られています』

『追っていたのですが、距離の関係で振り切られました。向かっている方向はトレーニング場の方向です。確保を』

 

思わず頭を抱えてしまう。

メッセージの着信は、トレーニング開始の数分前。これに気がつく前に颯爽とウマ娘に乗ったトレーナー君が現れ、そのまま勢いでダンススタジオに押し込まれてしまったため、確認が遅れていた。

気づいていればアグネスタキオンと一戦交えてトレーナー君を奪還することも選択肢に入っていたのだろうが、後の祭りである。

 

もう何もかも気に入らないが、四点目についてはまあ、気にはなるが比較的問題としては軽微だ。この重大なインシデントの前では霞む。ありていに言ってしまえば、今はどうでもいい。

 

スタジオの小窓から外を見れば、ようやく持ち直したらしい端末を届けに来ていたウマ娘が壁に手をついて立ち上がろうとしているところだった。激戦のレース後のような有様だが、彼女に一体何が起きたのだろうか。これもこれで気にはなるが、やはり優先度は低い。

一度顔を見れば覚えられるので、後で少し調べておこうと心のメモ帳に認めておく。

 

「そーだよ!なんで⁉︎ボクの時は絶対に混ぜてくれなかったじゃん!」

 

今は大変に残念なことだがトレーナー君の担当ウマ娘として書類上名前を連ねているテイオーだが、つい最近までは一切練習に参加を許可することはなかった。

 

だというのに、なぜこの不審バは当然のように混ざっているのか。

乗バといい、混ざっていることといい、先日の口論といい、このウマ娘は本当に碌な事をしない。

 

「ふゥん?私がここにいることがそんなに不思議かい?」

 

やいのやいのと騒いでいる事に気づいたのか、タオルで汗を拭っていたアグネスタキオンが嬉々として首を突っ込んできた。

 

「うん」

 

テイオーが身も蓋もなく頷いた。

 

「……不思議?単純に理解できないだけだ。担当ウマ娘以外をトレーナーがトレーニングに混ぜることは通常、無い。であれば何故、担当契約もしていない君がここにいる?それは誰の許可を得ての狼藉だ?」

 

以前、理事長の指示によってアグネスタキオンの生活改善を指示された際も、トレーナー君は頑なに私との合同トレーニングなどは行わなかった。

私の指導、その空き時間を見つけてはアグネスタキオンの元に通う姿は大変に健気で愛おしいものであったことは否定しないが、一方でわたしのトレーナーさんの時間をこれでもかと拘束していることに、これまでの人生においてかつて無いほどの苛立ちを感じていたことも事実だ。当時我慢出来ていたのは奇跡と呼んでいいと思う。

そうであるが故に、それを感じ取って参加させなかったのか。あるいは、他の要因か。

 

「あっはっは!確かに生徒会長の言わんとすることも理解できるとも。だがね、この場合に勘案すべき大きな可能性が一つ抜け落ちている。私が『三人目』であるという、その可能性を!その場合は許可したのは当然トレーナー君だということになるねぇ?」

 

嫌らしい、試すように口の端を歪めながらアグネスタキオンが言い放った。

 

……バ鹿な。

 

あまりにも唐突な発言に、思わずぽかんと口を開いてしまう。

テイオーはいよいよ本格的に背景に宇宙を漂わせ始め、何故か同じくびっくりした顔のトレーナー君の手から、ぽとりと資料が滑り落ちて床に散乱した。

 

「まさか……契約したの……?ボクとカイチョー以外のウマ娘と……?」

 

トレーナー君の脇に挟まったことで、表情を先ほどから気の抜けた幸せそうな顔と、アグネスタキオンを威嚇する顔の二種類の間を行ったり来たりしていたテイオーが、まるで別人のような顔になって呟いた。

 

「君たちは一体何を言ってるの……?」

 

困惑しきったトレーナー君の小さな呟きが、ピンマイクを通してやけに大きく部屋に響き渡った。

 

 


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