「それじゃ」
色々と得るものの多いウイニングライブのトレーニングを終えて。
きらりと気持ちの良い汗を滴らせるウマ娘たち。軽く上がった息と、心地よい疲労感。
しかし私は、冷や汗が止まらない状況下に置かれていました。
「………それで?」
ぴり、と肌を刺すような空気を醸し出して、腕を組み、壁に持たれ掛かるようにして放たれた一言。
「一体何を問うているのか、明確にすべきだと私は思うけどねえ」
対する言葉は、やれやれ、と枕に付いていそうな、酷く退屈そうな言葉。
その言葉をきっかけに、より強くなる重圧に圧し潰されそうになりながら、私は己の不甲斐なさを呪うばかりです。
何故か。それは今、このダンススタジオをご覧いただければわかるかと思います。
トレーナーさんの担当ウマ娘が二人。シンボリルドルフさんと、トウカイテイオーさん。
そして部外ウマ娘?のアグネスタキオンさん。それと、私。
そう、現在トレーナーさんは何処かへふらりと行ってしまったのです。
丁度ダンスに使うシューズなどのトレーニング用品を片付けていたタイミングだったので、咄嗟についていこうという発想ができず、そうこうしているうちにトレーナーさんは書類を引っ掴むとダンススタジオから出て行ってしまいました。
残された指示は、「5分か10分程度で帰ってくるから、ちょっとここで待ってて」の一言。
簡潔な言葉と、ついでに私と担当ウマ娘たちを残して颯爽と。
シンボリルドルフさんがそれに対して「ああ、頼んだよ」とにこやかに見送ったので、思わず私も反射的に「いってらっしゃい」と声をかけてしまいました。
その結果、見事な出遅れ。ゲート訓練の指導なども当然叩き込まれては来ていますが、自分がゲート難だったと思い知らされるのは中々に堪えるものがあります。
……一番堪えるのは、ドアが閉じられ、トレーナーさんがガラス越しに通り過ぎていった直後から発生しているこの剣呑な空気ですが。
ちらりとダンススタジオの隅へ目を向けてみれば、そこにはいつも元気印のトウカイテイオーさんが。
「んー……」
普段、こう言う時でも明るく振る舞うトウカイテイオーさんは、ぶすっとした顔で隅っこに座っています。介入は見込めない状態と判断すべきでしょう。
「アグネスタキオン。腹を割って話そうじゃないか」
「おや、私は常に胸襟を開いているつもりだよ。少なくとも、トレーナーくんの前ではね」
ぱたぱた、と襟元を軽く払うようにして茶化すアグネスタキオンさん。
癖の強いウマ娘、という事前データの通りではありました。
しかし、皇帝シンボリルドルフに真っ向から喧嘩を売るような行動をするタイプではないと、データから私は判じていました。
こうして直接目にしてみると、事前情報と実際に受ける雰囲気では、大きな齟齬を感じますね。
トレーナーさんから頂いたデータシートには、これまで担当してきたシンボリルドルフさん、トウカイテイオーさんの他に、何故か数名分のデータシートが混ざっていました。
その中にあった一人、アグネスタキオンさんは、それを参照する限りは極めて奇矯なな性格をしていると記載がありましたが、まさかここまでとは。
データからではわからない実体験として、今まさに経験値を積んでいるところではありますが、それにしても荒療治と言いましょうか。
思い切り掛かっているように見受けられるウマ娘たちを放置できてしまうのは、ベテランならではの判断……即ち、彼女たちの間で収められる問題として認識すべきなのか、それとも私への試練なのでしょうか。
試練だとすれば、期待に答えられずに大変申し訳ないとは思うのですが、もうすでにこのプレッシャーに押し潰されそうです。
「そういう趣旨ではないさ。君の脚については、ことその一点に関しては私は君に敬意を払っている。その上で、まず我々には対話と理解が足りていない」
「それは実に尤もな意見だ。常々私も、会長には少しばかり言いたいことがあったからねぇ」
もしかすると、掛かりウマ娘の近くに置くことで、向き合い方を短時間で経験させようという事なのかもしれません。
「端的に言おう。私は君が気に食わない」
「おや、随分と率直な物言いだねえ。皇帝らしくない、とでも言えばいいのかな?」
「その通りだな。だが、君が「私のトレーナー君」の担当ウマ娘として近くに居たいと望むのであれば、相応のやり方と言うものがある」
理事長の横槍などと言うやり方ではなく、な。
言外にそう告げているように、私の耳には聞こえました。
以前、トレーナーさんが理事長からの指示で面倒を見ていた時期があるとはお聞きしています。
「はて。トレーナーくんの許可以外に他に何が必要だと言うんだい?」
「決まっているだろう。その覚悟の程を見せてもらおうと、そう言っている」
ぴり、とまた一層空気がその鋭さを増しました。
お互いに軽く俯いていて、表情は読みづらいですが、口元だけは歪んだ三日月のように釣り上がっています。
「……方法は」
「私とレースで決着をつけようか」
「構わないよ。データを取るには絶好の機会だ」
「走るのは私と君、そしてテイオー、君だ」
「え、ボク?」
突然水を向けられたトウカイテイオーさんが、びっくりしたように自分を指差しながら困惑気味に声を上げた。
「当然、君もトレーナー君の担当ウマ娘なのだから」
「……ま、それもそうだね。いいよー」
「あぁ、そうそう。走るのは構わないんだけどねえ、一つだけ条件をこちらからも追加していいかい」
ぽん、とわざとらしく手を打って、アグネスタキオンさんが「今思い出した」とでも言うかのように彼女は口を開きます。
「なんだ?」
「ナリタブライアン君と並走する約束があってね。彼女も入れてくれないか」
「………買収でもしたな?」
「人聞きが悪い。司法取引したのさ」
「道理で不自然な動きをとっていたわけだ。ブライアンが何故かメジロマックイーンとゴールドシップを反省室送りにしてしていたからな」
「そういうわけだから、4人立てでいこうじゃあないか。距離は?」
「2000だ」
「わざわざフェアプレーを重要視するあたりは流石の貫禄かい?」
「いいや、私の得意な距離だからだな」
「………おやおや、未デビューの私に随分と大人気のないことだね」
「はっきり言おうか。君のことは気に入らないが、その脚がトレーナー君の栄達に貢献できるのであれば、私に否やはない」
だから。
「やって見せろ、アグネスタキオン」
「ふぅん……委細承知した。真っ向から叩き伏せて見せよう」
「テイオーもそれでいいな?」
「カイチョーと走れるならボクはまあいいよ。色々と見ておきたいこともあるからねー」
……まずいです。
トレーナーさんのいないところで、話がどんどん進んでいってしまっています。
お戻りになられた時に、サブトレは何をしていたのかと言われるような自体は避けたいところですが、しかしこの空気の中制止をするのも……。
そこで悩んでしまったのがよくなかったのでしょう。
ばあん、と大きな音を立てて、スタジオのドアが開け放たれました。
「あっ、トレ……」
「ゴルシちゃん参上!おもしれーことしようとしてんじゃねえか!アタシも混ぜてくれよ!あとこっちのマックちゃんもな!」
神様。先輩。
私に試練を与えるにしても、もう少し手心を加えていただけはしませんでしょうか。
私の頭はもう完全にフリーズしていました。
「なんで私また巻き込まれてるんですの!?」
秋の花粉10倍とかいうブタクサの乱を受けて思考能力が著しく低下しており、投稿が大幅に遅れておりすみません。
これも全て花粉ってやつの仕業なんです。信じてください。