トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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独立自尊

 

 

 

「……と言うわけでねぇ、トレーナーくん、君は模擬レースの申請をしてくれたまえ」

 

ダンススタジオに戻り、10時からの検査を伝えようとしたところで。

私が口を開こうとする前に、妙に楽しそうににやにやと笑うアグネスタキオンが、まるで決定事項のようにそう宣った。

 

「模擬レース?アグネスタキオンが?ルドルフと?」

 

これから脚の検査に連れて行くのだし、そもそも今朝の殊勝な態度は何だったのか。

いや結局のところは私を抱え上げて走っていたし、その後違和感もなさそうなので、無事な事は無事なのだろう。

しかし、それでも脚の問題はどうしたって不安要素でしかない。

これがしばらく脚に不安のない状態だったならばともかく、こんなことを言い出した当人が今朝方、脚に違和感があると神妙な雰囲気でわざわざ診せに来たほどだ。

触診の結果は異常なしだったが、しかし検査もしていない状態で、よりによってウマ娘にとって最大の負荷の掛かるレースを行うなど正気の沙汰ではない。

 

「駄目だよ。今は認められない」

 

流石に、にべもなく切り捨てるほかない。こんな時期に無用なリスクを冒す必要はない。

しかし、いつものように「えーっ!」という例によって非常にわざとらしいリアクションは返ってこない。

アグネスタキオンはやれやれとでも言いたいかのように肩を竦めると、まるで舞台役者でも紹介するように一歩脇にずれた。

 

「トレーナー君の懸念も尤もだ」

 

代わるようにして、ルドルフが前に出た。

先ほどからずっと後ろで腕を組み、妙な圧力を放っていたので、思わず一歩下がりそうになる。

しかし、ここでアグネスタキオンの跋扈を許してはならない。

なんとか堪え、言葉を紡ぐ。

 

「分かっているなら、なんでその話を受けたのかな」

 

別にルドルフと敵対したいわけではないが、言葉に棘が含まれてしまう。

私の言葉に、ルドルフは少し困ったようにその形の良い眉を寄せた。

 

「……実は話を吹っ掛けたのは私でね」

 

―――待て。ルドルフが吹っ掛けた?

 

思わず目を剥いてしまう。

思い返せば、あのガラスの脚をこのトレセン学園に引き留めた時も、今回の様に彼女が独断で仕掛けたレースが切っ掛けだった。

アグネスタキオンの他にも、彼女が突発的にこうした事を行った例はいくつかあり、そのどれもが良い結果を導き出した。

彼女が私を介さずに突然こうした独断を行う時は、大抵。

 

何かがある。

……だが、どうにも雰囲気が違う。

 

「何があったの」

 

「……いやなに、我々の矜持が掛かっていてね」

 

「矜持?」

 

苦笑気味に返された言葉に、思わず鸚鵡返しをしてしまう。

悪い癖だ。

 

しかし、どうにも彼女にしては歯切れが悪い。

ルドルフの言葉から嘘は感じない。出会った頃からの癖である、誤魔化そうとする際の癖も出ていない。

正直、状況は良く分からないが、矜持の問題というからには何かしら譲れないものがあった、ということだろう。

しかし、あくまで真実のうち一つだけを口にしているような感じを受ける。

 

問うてみれば、ルドルフは横目でちらりとアグネスタキオンを見た。

視線を送られた側も、やれやれとばかりに首を左右に軽く振るだけ。

 

「まあ、あまり大っぴらにすることでもない話だよ、これはね」

 

「そう言われても、何が起きているか分からないことには調整も難しいのだけど」

 

「ふぅン……乙女の秘密を暴くのはきみの趣味かな?それならば私も開示するに吝かでもないけれどねえ」

 

そう言って、ひょいとジャージの裾を軽く持ち上げて見せる。

ちらりと目に映った白い肌が目に眩しい。

 

「あらぬ嫌疑をかけないでくれないかな」

 

思わず何事かと吸い寄せられた視線を引き剥がし、ルドルフの目を見る。

 

「矜持を賭けてレースをするのは構わない。だけど、その言葉だけで私が折れると思うかい?」

 

私が最も恐れていることはルドルフのーーー

 

いや、言い訳はすまい。

私が最も嫌なことは、ウマ娘の怪我だ。それも、止められたはずのそれで怪我などされれば。

 

全盛期を迎えつつあったルドルフの海外G1挑戦を回避させる事になった。

自分の手腕が及ばなかったためにそんな結果を招いておきながら、ここで「そうですか」と折れることはできない。

 

「……思わないな。だが、理解して欲しい」

 

「理解してあげたいところだけど、そうならば尚のこと説明してほしい」

 

私を納得させて欲しい、というのが正直なところだ。

訳もわからないままルドルフとアグネスタキオンに押し切られ、もし何かあれば。

それは一生に残るような傷になる。

 

私の、ではない。

そんなものは今更だ。そんな事にいちいち気を払っていては、トレーナーなどやってはいられない。

 

それは彼女たちの傷になる。

 

私には彼女たちの代わりに怪我を、傷を受けることはできない。

トレーナー職というのはあくまでも主役に寄り添い、支えるサポーターでしかない。

断じて主役にはなり得ないからこそ、主役が最大のパフォーマンスを発揮できるように様々なものを肩代わりし、道を舗装してやるのが仕事であり、存在意義だ。

 

ルドルフの瞳が揺れる。

些細な動き。私の右手に視線が少しばかり動く。

後ろめたいことがあるときの動きだ。

 

トレーナーという肩書きに拘泥するつもりはない。

だが、私がすべきことは一時的な感情に左右されてゴールを見失うことではなく……嫌われようと、煙たがられようと至上目的を遂げさせる、ただそれだけだ。

 

「だから、説得してみせて」

 

 

 

 

 

 

トレーナー君の悪癖が出た、と思った。

海外出走を取りやめにする直前、不意に覚悟を決めたような眼をした瞬間を思い出す。

 

真っ直ぐで揺るぎない、芯の宿った黒い瞳。

私に関する一切の罪も汚れも引き受けるような、自ら進んで処刑台へ足を進めるような、そんな酷く覚悟を決めた瞳。

 

私を射抜くように向けられた視線は、びくともしない。

 

『だから、説得してみせて』

 

重い言葉だ。

私の、ただ一度の怪我。

何も重い外傷を負ったわけでもない。しかし、海外への挑戦を断念せざるを得なかったのもまた事実。

それが招いたのはトレーナー君の信念のより一層の強化だった。

 

この黒い、ともすれば何を考えているのかわからないとまで言われる瞳で見据えられると、時々落ち着かなくなることがある。

心の奥底までまっすぐ見通してしまうのではないかと思うほど、硬質な光を宿した黒い瞳。

 

何よりも私のことを第一に考え、私の掲げる夢のためならば諫言も躊躇う言なく口にする。

この私にとって何よりも得難いその精神性。

私を含む他の誰よりも私のことを案じ、そして腹立たしい事に今はその「心配」はガラスの靴へも向けられている。

だからこそ、尚更譲れなくなっているのだろう。

 

矜持の問題と口にしたが、まさか「トレーナー君との契約権を賭けた」レースを行おうなどとは露ほども考えてはいないだろう。

今更こんな事を言える訳もない。

 

感情の問題を抜きに、あくまで合理のみを取って考えれば、アグネスタキオンの担当を勤めることができるトレーナーなど、私のトレーナー君を置いて他にはいない。それは自明の理だ。

おそらく、それ自体はトレーナー君本人も、アグネスタキオンも、私も共通の認識として持っていることだ。

理事長や、もしかするとあの悪魔じみた秘書でさえ。

 

だが、これは譲れないものの一つだ。

仮に結果として傷を負うのが私たちであったとして、それをトレーナー君が背負う必要などない。

下らない争いであることも理解している。

頭の中にまだ残っている冷静な部分では、トレーナー君に嫌われたくないのだから一旦引き下がって謝罪し、時期を見計らうべきだと騒いでいる。

それに、アグネスタキオンという逸材はトレーナー君の下にあってこそ輝く至高の原石だとも。

 

 

 

だが。

 

だけど。

私の中の、いや、わたし自身が叫んでいる。

 

 

 

 

 

ーーーー気に入らない、と。

 

 

 

 

このままなし崩しで担当になどさせてやるものか、と。

誰よりも納得させて欲しいのは他ならないわたしだ。

わたしへの指導時間を削ってまで「わたしの」トレーナー君の時間を割くに値するのか、わたしはそれを納得させて欲しい。

 

すう、と一つ息を吸って、吐く。

私の気持ちを見透かすような黒い瞳を、押し返す。

 

「解っているさ。これは私の我儘だ」

 

解っているとも。これがどうしようもない感情であることも、理性では却下されて然るべきだということも。

君が反対するであろうことだって、分かりきっていた。

 

「だったらーーー」

 

トレーナー君は理性の生き物だ。

いや、激情も何もかも、目的という一つの大きなベールで全て押さえ込んでしまえるタイプの生き物だ。

そして、トレーナー君は私の希望を無下にはしない。

これは慢心でもなんでもなく、経験則からの打算。

 

「だから一つ提案しよう」

 

トレーナー君は感情で判断することは滅多にない。

冷静でない時もあることはあるが、それでも判断を下す前に理性が必ず顔を覗かせる。

鋼の意思というには少々硬すぎるが、そうであるからこそ、付け込む余地が生まれる。

 

そう、打算によるものであろうと、私の意思を最大限に尊重した上で、様々なものを天秤に掛け、判断を下す。

 

「この後検査に連れて行くのだろう?ならば、その結果如何で模擬レースを行うかどうか、君に判断してもらうという事でどうだろうか」

 

トレーナー君の判断したことを覆すことは私であっても難しい。

トレーナーとして持つウマ娘に対する強権もあるにはあるが、原則の問題ではなく、これは心の問題だ。

なればこそ、トレーナー君に「良い」と判断を下してもらうしかない。

 

先程、アグネスタキオンが脚に違和感を感じていたと口にしていた。

それが余計に判断を複雑にさせる。

本来君が気にすべきは私の調子だけなのだから、一度アグネスタキオンの脚部不安さえ医療機関での検査結果を元に否定できてしまえば、あとは私の調子の問題だ。

 

そして今の私は、相当に調子が良い。

先日鉄扉を蹴り破るなどという真似をしてしまったが、その影響も全くない。

精神面も酷く充実しているし、肉体面も全盛期を過ぎてしまったとはいえ、トレーナー君のおかげで陰りは見られない。

 

「……解った。検査結果を確認して判断しよう」

 

よし、これでいい。

アグネスタキオンの脚部不安が不確定要素ではあるが、トレーナー君の診断で問題ないというのであれば、何か問題が発生する可能性は極めて少ないだろう。

必要なのは判断してもらうための裏付けだけとなる。

 

「我儘を言ってすまない」

 

頭を下げる。

正直に白状すれば、トレーナー君を賭けた争いではあるものの、こんなことでトレーナー君本人の気を揉ませることは本意ではないし、こんなことで一瞬であっても君と対立することは避けたかった。

謝れば良い、というものではないのは理解しているが、それでも。

 

 

 

 

 

 

ルドルフに頭を下げさせてしまった。

不味いな、私も随分と意固地になってしまっていただろうか。

 

間違ったことはしていないとは思うが、頭ごなしに駄目だと断ずるのもあまりよろしくない。

ルドルフに頭を上げてもらい、さてどうしようかと考えた瞬間、視界に白いものがぬるりと飛び込んできた。

 

「なートレーナー。それアタシも混ぜてくれよ!こっちのマックちゃんも!」

 

「わたくしを巻き込まないでくださいませんか⁉︎」

 

「……うわ出た」

 

げんなりする、とはこの事だろう。

芦毛の問題児が、芦毛の問題児を担いでやってきた。

声と毛色を見るに、担がれてじたばたと暴れているのはメジロマックイーンだろう。

よく絡まれているところを見かけるが、こんなに仲が良かっただろうか。

 

「アタシ参上!おめーが面白いことやるって聞いてプリズンブレイクしてきたぜ!」

 

それと、メジロマックイーンの足がばたばたと暴れているのであまり近づかないで欲しい。

ゴールドシップというやたら背の高いウマ娘に担がれているせいで角度的に色々見えそうになっているし、そもそも暴れている脚に蹴られでもしたら位置的に頭に当たるので、致命傷になる可能性が高い。

 

「どっから出てきたの」

 

一歩二歩と後ろに下がる。

代わるようにルドルフが少し前へ出て、ゴールドシップを軽く牽制するが、相手は例の問題児だ。

 

「このマックちゃんと一緒に監獄に閉じ込められてたんだけどよー、びびっとゴルシちゃんセンサーがこっちでおもしれー事始めるってキャッチしてな!」

 

「その勘は本当にどうなって……待ってくださいゴールドシップさん。今そっちにトレーナーさんいますの!?」

 

メジロマックイーンの足の動きがぴたり、と止まった。

流石に恥ずかしいものがあったらしい。だらり、と持ち上げられた猫のように大人しくなった。

 

「……ルドルフ?」

 

別にレースを私が主催するわけではないので、ルドルフへ視線を送れば、彼女はため息を吐いて眉間を揉みほぐしている。

 

「……ゴールドシップ。今回のレースはあくまでも……」

 

「そう言えばこないだこんな本拾ってよー。図書館のモンでもなさそーなんだけど会長なんか知ってっか?はいこれ。生徒会で戻しといてくれよ」

 

突然話の方向性が変わった。

ゴールドシップがどこからともなく取り出した冊子をルドルフに手渡す。

 

「……二人の出走を許可しよう」

 

「おっ、会長は話がはえーな!じゃーアタシたちはちょっくら滝に打たれて修行してくっぞ!」

 

「何を勝手に決めてるんで……滝!?」

 

慌てるマックイーンを担ぎ上げたまま、ゴールドシップは意気揚々とスタジオを出て行った。

何故かムーンウォークで。

 

嵐が去り、取り残された私たちは思わずぽかんと間抜けに口を開いてしまう。

 

「……ねえルドルフ。今何か後ろ暗い取引が行われなかった?」

 

「気のせいだよ。考えてみれば重要なのはアグネスタキオンと私のレースというだけだ。他のウマ娘にとっては出走することで何か良い経験が得られるかもしれないからね」

 

……盛大に目が泳いでいるのだが、ルドルフの手にしたろくに表紙もない冊子からは何か、触れてはならないような瘴気のようなものを感じる。

知らぬが仏、という便利な言葉を盾に、見なかったことにする。

 

「さて、それじゃあ検査に行くから準備して、9時半に正門前に集合して。……気絶してるダイワスカーレットも連れていかなきゃいけないしね。桐生院トレーナーは申し訳ないですが、ついでに病院の場所なども案内するので一緒に」

 

「……だそうだよ、アグネスタキオン」

 

「何言ってんの、ルドルフとテイオーもだからね。ついでだし採血とかもやっておこうかな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……えっ」」

 

何故そこで裏切られたような顔をするのか。

 

 


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