トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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克己復礼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故、どうしてだ」

 

ほぼ無人と言って良い、ベンチが立ち並ぶ室内。

人気はない。

リノリウムの床が、蛍光灯の灯りを反射して特有の光沢を見せる、無機質な室内。

 

窓の外へ視線をやれば、曇天が太陽を遮り、薄暗い。

蛍光灯が乾いた音を立てて時折明滅するさまは、まるで廃墟のようにさえ思えた。

 

「どうして、どうしてここでお別れだなんて言うんだ、トレーナー君。……私は何か間違えてしまったのか?」

 

私のシャツを掴み、力なく崩れ落ちたルドルフが額を付けるようにして慟哭する。

私たちの他に耳目はない。

ただただ、彼女の嗚咽混じりの声が乾いた空気に跳ね返るばかりだ。

 

何故?

そんなことを言われても、私にだってどうしようもないことは数多ある。

その一つが、今日こうして姿を見せた。ただそれだけの事だ。

 

壁に掛けられた時計に目をやる。

実に質素で、飾り気のない、必要最低限を突き詰めたようなそれには、どこか親近感を覚えてしまう。

 

別れを告げた私が口にする言葉は、一つ。

 

 

 

 

 

 

「……いいから早く行っておいで。テイオーみたいに連れていかれるところを見られたら事でしょうに」

 

ーーーそう、採血の時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『58番の患者様、3番の採血室へ………』

 

「やだー!!やだやだやだやだやだやだやだー!!!!」

 

びったんびったん、と。

まるで釣り上げた魚のように、私の担当ウマ娘が全身全霊で運命に抗おうとしていた。

 

『58番の患者様、いらっしゃいませんか?』

 

何度目のアナウンスだろうか。

廊下にスピーカー越しの音声が反響する。

 

そしてそれ以上の声量でもって抵抗するウマ娘が一人。

我が誇り高き愛バにして、稀代の七冠馬、シンボリルドルフその人だった。

 

シンボリルドルフというよりは、ルナだった。

 

「ほらルドルフ、呼ばれてるから行っておいで」

 

「今ルドルフってゆったー!!」

 

だめだ。完全に退行してらっしゃる。

皇帝の神威もどこかへ置き忘れてきたらしい。

幸い、と形容して良いのかは甚だ疑問ではあるが、同行しているアグネスタキオンは採血を平気な顔で終わらせると別のフロアに足のCT検査を受けに行ったし、テイオーは採血に抵抗し過ぎて眠っている。

 

気絶したと言うか、泣き疲れた上に採血で貧血を起こしたらしく、カバールームで眠っている。

注射は嫌いと散々駄々をこねていたが、まさか極度のストレスと緊張でか、貧血を起こしてしまうとは思わなかった。

医師と少し話したが、どう考えても血管迷走神経反射だろう。

よほど嫌だったと見える。

こんなことでひどいストレスを掛けるのは本意ではないが、今後は検査するにしてもできるだけレースに支障のない時期にやってもらうよう配慮しなくてはなるまい。

ともあれ、30分はカバールームで寝かせることとなったが、検査自体は無事に終了している。

 

目下の問題は、テイオーの末路を見届けたというか、見届けることになってしまい軽くパニックを起こしている、この病院&注射嫌い1号である。

徹底した体調管理は、病院に掛かりたくないが故にやっているのではないかと本気で勘繰ってしまうような取り乱しっぷりに、毎度のことながら頭が痛む。

 

「ほら、ルナ。テイオーだって……まああの様ではあるけど、採血自体はちゃんとやったんだから……」

 

「やだー!!」

 

よりによって、注射嫌い同士と言うことで待合室で妙なシンパシーを分かち合っていたところにテイオーのダウンである。

貧血を起こし、青ざめた顔で運ばれていくテイオーを見送ってしまったがために、注射嫌いに拍車が掛かっている。

一年に一度のペースで検査は受けてもらっているが、普段はここまでごねることはなかった。

 

そもそも、ルドルフは恐ろしく外面を取り繕う性質だ。

現に、ここに移動するまでの間は、脱走しようとするテイオーを捕獲し、何かと面倒を見たり、注射が痛くなくなるおまじないや、実践的なアドバイス(しばらく注射予定箇所をつねるなどの若干怪しいものまで)を行ったり、ついでに何くれとなく「体調管理を完璧にこなしている私には不要」と主張してきていたほどだ。

まあ、体調管理が仮に完璧だったとしても、検査はするべきなので私は黙って同僚に借りた車のハンドルを握っていたのだが。

 

テイオーの隣に収まっていたアグネスタキオンが微妙な半笑いを浮かべているのがルームミラーに映って見えたが、彼女は見抜いていて黙っていた可能性が高い。

どちらかといえば自分が注射器を持つ側だものな、アグネスタキオンは。

 

皮肉げというよりは、珍しいことにどういう表情をして良いのかわからなくなったかのような微妙な表情を思い出しつつ、周囲を見渡すも、人影は相変わらずない。

 

この病院はトレセン学園の附属病院とはいえ、普段は外来の患者も受け入れている。

待合室にこれほど人がいないと言うのは、実の所初めてのことなのだ。

 

テイオーとアグネスタキオンがいた手前、若干小刻みに震えていたり視線が泳いでいたりもしたが、普段はそのまま注射を受け、若干涙目になりつつ戻って来て、しばらく大人しくなるのが毎年のことであったが、今年はよりによって待合室に誰もいない。

 

ウマ娘の外科外来は特に、一般的にスターと言われるようなウマ娘も検査などで掛かることが多いため、受付からかなり遠くにある上に、妙な報道陣が入り込まないように所々に防音扉が設置されており、まず外に音が漏れない仕組みとなっている。

いわゆるVIP向けの病院のような構造をしているのだ。

 

そのため、普段から病院の従事者もあまりこの待合室にいることはないのだが、今日はそもそも患者が私たちを除いて一人もいない。

 

結果どうなるのかといえば、ご覧の有様である。

もはや外面がどうとか、そういった小賢しいプライドは車の中にでも置き忘れてきたのだろう。

 

「うぅぅぅぅぅぅ……」

 

「唸ってもだめ。テイオーが起きてきた時どうするつもり?」

 

「ぐっ、それは……」

 

『58番の患者様、いらっしゃいませんかー?』

 

「わ、私にはあの放送が処刑執行人が罪状を読み上げるようにしか聞こえない」

 

「大袈裟な……」

 

ぶるぶると震えながらシャツにしがみつく絶対皇帝。

もしこれが写真に撮られて流出でもすれば大惨事だ。

憶測が憶測を呼ぶことは間違いない。色んな意味で。

 

「失血死したらどうしよう」

 

「大さじ一杯かそこらの量だよ?」

 

「そんなに取ったら死んでしまうじゃないか」

 

その程度で死んでしまうのであればとてもレースなど走らせられない。

転んで擦りむいただけで入院しそうである。

冷静になればルドルフだって解っているはずなのだ。

 

だが、運ばれていくテイオーの姿を思い出しているのか、顔色はもはや青色を通り越して蒼白になっているし、涙目でぶるぶる震えている。

 

『58番……シンボリルドルフさーん?採血室へどうぞー』

 

呼ぶ側も良い加減痺れを切らしたのか、ついに名前でアナウンスされ出した。

いよいよもって震えが大きくなっていく。そこまでだろうか。

 

たかだか大さじいっぱいと少し程度の採血とはいえ、最強の皇帝にも怖いものは怖いらしい。

普段は外面と理性の力でなんとかルナちゃんサイドを圧殺して採血を受けられていたらしいが、完全に今回はダメなようだ。

今必要なのは冷静な事実ではなく、なんだかこうふんわりと優しく騙してくれる嘘なのだ。

 

どう丸め込んだものか、と自分の経験を考えてみる。

子供の頃、予防接種は確かに恐ろしかった。

白衣を見ただけで逃げ出そうとしたらしいことは、母から散々ネタにされてきたので、嫌と言うほど覚えている。

 

そう考えると、怯えて大暴れする子供を宥めすかしてなんとかあの注射針を打ち込むためのお膳立てをやって退けてしまう母親というのは、実は凄まじい生き物だったのだなあと思わず遠い目をしてしまう。

 

「私が親になった時、子供にどうやって注射を受けさせれば良いんだろう……」

 

いや、趣旨が違うのは十分に理解しているが、しかし似たようなものである。

仮に子供がウマ娘だったとすれば、予防接種を受ける年齢によっては私の命に関わる問題だ。

癇癪を起こされたら、ちょっと死にかねない。

世の親御さんは、一体どうやってこの致死性の高いイベントをこなしてきたのだろうか。

 

考え込んでいると、不意に引っ張られていたシャツから手が離れた。

 

「え?」

 

しゃきと伸びた背筋。

きりと引き締められつつも、余裕のある表情。

私のシンボリルドルフが、何か忘れ物を取りに帰ってきたかの如く、目を離した隙に帰ってきていた。

 

「ではまた後で」

 

「あ、うん」

 

……。

 

今の一瞬で、一体何があった?

遠くから、「子は親の背中を見て育つ……か」などと、微妙に考えていたことと似たような言葉が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

ルドルフの採血が終わった後、採血からそのままバリウムや肺検査など他の検査に行くとのことが看護師の方から伝えられたため、一旦検査棟から外に出る。

外に出る、といっても、単に健康診断用の待合室から他の患者がひしめく待合室へ移動するだけなのだが。

 

健康診断のそれとは異なり、こちらの外来待合室は広い。

医大の附属病院などは何度も足を踏み入れた経験があるが、医大でもない学校法人がこれほど巨大な病院を経営しているというのは何だか不思議でもある。

 

壁際に設置された自動販売機にコインを数枚投入し、コーヒーのボタンを押し込む。

しばらくすると、受け取り口に紙コップが押し出された。

火傷しないよう、そっと取り出して、溢さないようにしながら壁にもたれ掛かり、カップに口をつける。

 

自販機に多くを求めるまいとは思う。

病院の待合室とはいえ、徹底的に消毒され続けているためか、若干の薬臭さと共に、カップから立ち登る香りを吸い込む。

それでも、心を落ち着けるに十分だった。

 

一息ついて、顔をあげる。

いかにも清潔で、どこか消毒薬の匂いを感じ取ってしまいそうな病院の待合室。

 

右を見ても左を見ても、ウマ娘だらけの不思議な病院がここ、トレセン学園附属病院だ。

ウマ娘というのは、基本的には人間とそう変わらない構造をしているのだが、かといってヒトと一緒くたにして診るには少々違い過ぎる生き物だ。

必然、専門病院というものも必要とされるし、専門科医としての資格も必要とされる。

 

幸いにして、大部分でヒトと身体構造が変わらないこともあって、専門科医としての取得ルート自体はきちんと整備がされている。

麻酔科医と同じように医師免許取得後に実地研修ないし追加課程を受講し、修了考査を受けて初めてウマ娘科医の資格を得ることができるようになっている。

おかげで町医者でもある程度きちんと診療は可能となっているが、流石に精密検査の類ともなれば、一定以上の設備を保有する病院を選ばなければならない。

 

そして、最もウマ娘が多く集まり、そして怪我率も高い地域はどこかと問われれば、それはここ中央とそれぞれ地方トレセン学園の周辺となる。

 

ウマ娘自体は全国どこへ行っても、少数ながらそれなりに見かけることはあるが、中央・地方トレセン学園の周辺ともなればその数は比べ物にならない。

 

それは、彼女たちにとって生活しやすい環境が整備されやすいから、という切実な事情もある。

なにせ、田舎へ行けば行くほど、異物が排除されがちだからだ。

マイノリティというのは、害があろうがなかろうが、どうしたって非難の的になりやすいのだから。

 

……百駿多幸。創ろう、全てのウマ娘が幸せに暮らせる世を、か。

 

彼女の夢を実現するには、さて、どれほどの艱難辛苦がーーー。

 

「あ、トレーナーさん。お疲れ様です」

 

「……ん、桐生院トレーナー。お疲れ様。ダイワスカーレットは?」

 

声のした方に目をやれば、桐生院トレーナーがいた。

彼女には倒れていたダイワスカーレットを任せてしまったのだが、無事に診察を終えたらしい。

 

「疲労、だそうです。本人が言うには、準備せずにいきなり全力疾走をしてしまったそうで、軽い貧血も併発していたみたいで……」

 

「ああ、なるほど……」

 

原因に心当たりがありすぎた。

そういえば、私の携帯端末を拾って追いかけてきてくれたのがことの発端だった。

なんというか、私のせいであって私のせいではない微妙なところなのだが、そもそも私が端末を落とさなければ良かった話なので、後で果物でも差し入れようと思う。

 

「今は休憩室で休んでもらっています」

 

「お疲れ様でした。コーヒーでいいですか?」

 

ポケットから取り出した硬貨を自販機に放り込み、先ほどと同じようにボタンを押す。

 

「えっ、あっ、はい!」

 

慌てたような桐生院トレーナーの返事は、たくさんの患者……それも大半がウマ娘というで賑やかで華やかな環境でありながら病院特有の静けさを持つ空間に、実によく響いた。

 

一斉にこちらを向く見知らぬウマ娘たちの視線が、妙に痛いと感じた。

 

 

 


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