「……あーと……場所を変えようか」
「すみません……」
一斉に注目が集まるのは精神的に宜しくないものがある。
いくらトレセン学園附属病院、しかもウマ娘科とはいえ、この病院に訪れるのはトレセン学園の関係者ばかりではない外来患者も多い。
桐生院トレーナーも私も、どちらも胸にトレーナーバッヂを付けたままなのだ。
下手に目立つのはよろしくない。
現に、小さな子供がこちらを見て目をきらきらと輝かせているのだから。
「ねえママ!あれってトレーナーバッヂだよね!もしかして将来のスカウト!?」
……などと騒ぎ、母親を困らせている。
残念なことだが、トレーナーがスカウトして良いのは入学してきたウマ娘だけである。
地方所属のウマ娘をスカウトしたり、レース教室からトレセン学園へ進学するようスカウトする例は多々あるが、そういう役割はトレセン学園という法人においても別の役割を持った面々である。
指導はできないが、とことんまでにウマ娘の潜在能力を見抜くことに特化した変た……変人たちの巣窟であり、ついでに言うと警察のご厄介になることも多い専門部署があるのだ。
とはいえ、私たちは一般的なトレーナーだ。
騒ぎになる前に撤退するが吉だろう。
買ったばかりの自販機のコーヒーを飲み干し、ゴミ箱へ放り込む。
軽く子供に手を振って、子供のきらきらした目に困り果てた様子の桐生院トレーナーを促して待合室から外へ出る。
病院内なので電源を切っていた端末を取り出し、ルドルフとテイオー、そしてアグネスタキオンへそれぞれ外へ出ている旨を連絡する。
どのみちバリウムまで飲まされるので、しばらくは出てこれないのだから、少し時間を潰していてもいいだろう。
外に併設されたカフェにそそくさと入店する。
まだコーヒーを飲み終えていない桐生院トレーナーをそのままテラスへ案内し、注文を通して、カップを手に席へ戻る。
相変わらずこの系列は呪文のようなメニューばかりだが、なんだかんだと季節モノに関しては美味しく仕上げてくるのであまり心配していない。
にんじん味やりんご味といった、ウマ娘に微妙に配慮した、いわゆる「映える」メニューも多いため、放課後に学生が屯している姿をよく見かけるが、ここは病院。
どちらかというと落ち着いてコーヒーを楽しむものが多いように見受けられる。
こちらは一般的な外来とも共有の店舗となっており、いささか落ち着いた様子だった。
「はい、桜のフラペチーノだそうだよ。甘いのは大丈夫だったかな」
「は、はい。ありがとうございます。すみません、びっくりして大きな声を……」
手渡しながら、対面へ腰掛ける。
日差しは穏やかだ。カフェのテラス席には蛍光灯の無機質な光ではなく、陽光が差し込み、少しばかりの肌寒さを随分と和らげている。少しばかりほっとするような景色。
手にしたコーヒーの暖かさもまた、心配半分に検査結果をそわそわと待たなければならない今の私にはよく染み込むようだった。
ここのところ立て続けに騒動が起き、また自身も騒ぎを起こしてしまったこともあり、正直なところ桐生院トレーナーに対して何も伝えることができていないと、後ろめたい気持ちが強い。
中央のトレーナーであれば、ウマ娘の役に立ちたい、という一心でここまでたどり着いている仲間といっても過言ではないので、自分の持てるものを開示するに吝かではないのだが、しかし中々時間が取れず、悪しきOJTそのものを実践してしまっていた。
……検査が終了して出てくるまで、あと1時間程度になるだろうか。
対面では、そわそわと緊張したように揺れる黒髪。
「まだ緊張する?」
「正直に申し上げるなら、はい……」
聞いておいてなんだが、人間とのまともなコミュニケーションというのがだいぶ減っているような気がしなくもない。
今も現に、つい耳の動きを目で追おうとして、視線が頭の上に向いてしまったほどだった。
対外的に記者などのメディアとの会話はあるにはあるが、仕事を通じての要件のやりとりしかしないため、こうして後輩とゆっくり話をするなんてことは滅多になかった。
まだチームを持つレベルに至っていないため、サブトレーナーを持つこともない。
あくまで毎年の「通過儀礼」として新人を数名受け持ち、数週間の研修を経て彼らがサブトレーナーとしてチームに就いたり、早速新人トレーナーとして活動を始めるというのを見送ってきたが、あまり彼ら一人一人ときちんと話をしたことはなかった。
あくまでも業務上のやりとりに終始していたのは、はて、何故だったのか。
「そうだよね。私も、実はまだ緊張しているんだ」
「え?」
ーーーー思うに。
思うに私が、彼ら後輩とのまともなコミュニケーションを取ってこなかったのも、事務的対応に終始していたというのも、自分の劣等感故だったのかもしれない。
いつしか歪んでいたトレーナーとしての想いはテイオーに自覚させられ、環境も激変している。
何を怖がっていたのか。それは明白だった。
今となってはもうそんなことはあり得ないと自覚はしていたが、恐らくはーーー。
いや、それは今は詮無いことだ。
「これだけトレーナー業をやっていても、ウマ娘を育てるのと人を育てるのでは勝手が違うからね。研修とはいっても、なんだかんだで緊張してるんだよ」
「そうなんですか?」
ぱちくり、と目を瞬かせる桐生院トレーナー。
「予想外なことばっかりだったでしょう?」
予想外どころではないだろう。
おそらく、常識とか憧れだとか、そういったものが結構な勢いですり減った事だろうし。
「正直にいえば、はい。予想外、といいますか……養成課程で教えられたことも真実でしたが……世の教育者の悩みを垣間見たような気がしました」
オブラートに包まれた表現ではあるが、要するに「思ってたよりぶっ飛んでいた」と言うことに他ならないだろう。
しかし一方で、やっていけるのか不安、といったニュアンスも、言葉も出てきていない。
いい傾向だ。先日のハッピーミークの騒動でも驚いてはいたが、だからといって引きずるような素振りもない。
名門一族の教育の賜物か、それとも。
「こうして現場に出てみると、色々と思い知らされるよね」
「はい……。身内にもウマ娘の方が何人かいましたが、皆さん引退なりされた後でしたので、その……」
「あぁ、少し落ち着いてるのかな」
「はい。比較的に穏やかと言いますか。現役の方はあんなにも、こう……」
「……あはは」
言葉を濁す。気持ちはよくわかる。
血の気が多いというか、闘争心が強いというか。
とはいえ、それこそがウマ娘の良いところであり、もっとも強い思いであり、そして欠点でもあるのだから。
しかしこれを養成過程で伝えるのは難しい。
アスリートにはよくあることなのかもしれないが、肉体の強度も高く、そしてその強度の限界を意思の力一つで飛び越えてしまえるそれは、人間よりも強烈だとさえ言われている。
それを養成過程で伝えたところで、あくまでも机上の空論。実際に肌で触れてみないとわからないことも多い。
実際に私もそれで痛い目をみた。何度も。
「そういえば、検査の結果次第で模擬レースをやるんですよね?」
「検査結果に何もなければね」
何もない、と自身では確信しているからこそ、本当は歓迎すべきことではある。
なにせ、これまではルドルフ一人しかいなかったのだ。
テイオーが加わったことで、並走トレーニングができるようになった。
確かに実力差がまだ隔絶していたとしても、並走できるというだけでも大きな意味がある。
そして、今回はアグネスタキオンを始め他数名も巻き込んでの模擬レースだ。
ルドルフにとっては注意すべきはアグネスタキオンや、何故か名前の挙がっていたナリタブライアンとなるかもしれないが、それでもレースから一歩引いた位置に落ち着きつつあるルドルフにとってはいい刺激となる。
休養も十分取らせてある。確かにそろそろ模擬レースを真剣に考える頃合いだったのも確か。
だが、何か釈然としないものがあるのも事実である。
何かが裏で動いているような気配がある。
あの場にいなかったことが悔やまれる。聞いていたであろう桐生院トレーナーから聞き出すことも出来なくはないが……。
「どうされました?」
現時点で桐生院トレーナーから報告してこない、ということは何らかの口止めが行われた可能性が高い。
詮索したく思ってしまうのは悪い癖だ。どのみちルドルフが関わって、あるいは主導して行っていると言うことは、私に被害が及ぶような話ではない、と思いたい。
そうであるならば、一旦この件については棚に上げてしまおう。
結果さえ出てしまえば、おそらくルドルフの方から説明があることだろうし。
さて、時間は有限だ。ルドルフやテイオーがいるところでトレーナー間とはいえ、異性と込み入った話をするということは若干の危険を伴うこともあるので、今のうちに可能な限り桐生院トレーナーと話をしておきたい。
「それじゃあ、色々と今のうちにレクチャーを済ませてしまおうか」
「はいっ」
桐生院トレーナーの嬉しそうな返事は、今度はしっかりと声を抑えられたものだった。
ご無沙汰してますがエタってないもん。
新シリーズひっそり開始したり合同誌作ったりとしてましたが続き頑張って書いて参ります。