トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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無病息災

手元の甘ったるく、そして桜の甘い香りのするコーヒー……コーヒーと言えばいいのでしょうか、これは。ともあれ、手元の飲み物もすっかりなくなって、机の上の資料を私のメモ書きが埋め尽くした頃。

対面に座るトレーナーさんから、私は指導をいただいていました。

現役トップランナーの一人から話を直接聞くことのできる機会というのは貴重なものです。

それも『皇帝の杖』。

名声と同時に負の側面も一手に押し付けられた若きトップトレーナーの一角に短期間とは言え師事することができたのは僥倖でした。

 

今回は、トレーナー業における一年の大まかな流れや、レースに向けての追い込み、夏季合宿における合宿所の利用申請などについて。

基本的な内容であり、すこしばかり上から目線になってしまいますが、それでもオリエテーションとして十分な内容。ルールにないやり方など、暗黙の了解に至るまで案外知る機会のなかったことを事前に教えていただけるのもとても助かります。

 

桐生院家は確かに名門です。

G1ウマ娘も輩出していますし、歴代中央のトレーナーを輩出してきたという実績を持つ、一流トレーナーの家系。

でも、だからこそ何の背景も持たず、その身一つで頂点まで駆け上がった、いわゆる天稟を持つと言われているトレーナーというものに私は興味を持っていました。

リギルのような、正統派王道の系譜でもなく。

カノープスのような、一流の系譜でもなく。

スピカのような、異端の系譜でもない。

 

リギルの東条トレーナーに見出され、教えを受け、スピカの沖野トレーナーから指導を受け、そして何よりも、あのシンボリルドルフさんが自ら見出した逸材。

そして実際に研修生として行動を共にしてみて、少ないながらも分かったことがありました。

 

ーーートレーナーとしての技量は「理解できる範囲」を超えていない。

桐生院家の先代たちの方が、まだ理解不能なスキルを持っていたように感じます。

それは積み重ねられてきた経験による智。

いわゆる「何となくわかる」というもの。

 

トレセン学園に実地研修として訪れた際、サブトレーナーとしてチームの手伝いをさせていただいた際も、正直超能力じみた技術があちこちで使われていたことをよく覚えています。

 

しかし、このトレーナーさんにはそれが見られない。

あくまで合理的にトレーニングを積み上げていかれている。

 

しかし、そうであれば何故。

「三冠ウマ娘」を輩出できたのか。

シンボリルドルフというウマ娘のポテンシャルが圧倒的に高かったから?

それも考えましたが、しかしそれをどのようにして引き出した?

 

……そのバックグラウンドは、未だよくわかりません。

率直に言えば、それを探る以前の問題です。私の理解も何もかもが足りていない。

高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない、と創作の中で語られることがあるように、ロジックを積み上げた果てに、何かそういった隔絶したものを持っていたとしても、何ら不思議ではない。

 

 

ーーー私はそれが知りたい。

 

 

自分が担当ウマ娘を持つのは、少なくとも6月の選抜レースが始まってから。

現時点ではハッピーミークというウマ娘が私に関心を持ってくれているようですが、ここでいきなり決められるほど、私もまだ諦めていない。

 

「トレーナーさんはシンボリルドルフさんと、トウカイテイオーさんからの逆指名でしたよね」

 

「うん?……よく知っているね。お恥ずかしい話だけどその通りだよ」

 

逆スカウトに恥ずかしいも何もないと思うのですが。

選抜前から交流を結んでいたウマ娘が、選抜を終えて、そのトレーナーに逆スカウトをして契約を結ぶなんて例はそれこそ数多く、またウマ娘の側から契約を求められるようなトレーナーというのは、数少ないのですから。

 

「どういうスカウトだったのでしょうか?」

 

「……話せば長くなるから、また今度ね」

 

ちらと腕時計に目をやると、すぅ、と音もなくトレーナーさんが立ち上がった。

 

「さて、あの三人の検査も終わったようだし、そろそろ行こうか」

 

ぐい、と軽く伸びをして、てきぱきと荷物をまとめ始めたのを見て、私はこの貴重な時間が終わったことにようやく思い至りました。

 

「……あ、トレーナーさん。最後に一つお聞かせいただけませんか」

 

ばたばたと急いで資料を鞄に詰め込みながら、私はトレーナーさんに問いかけます。

 

「ん?」

 

「今回の模擬戦、どなたが……」

 

勝つのでしょうか、と。

最後まで口を開くことはできませんでした。

 

何故なら、トレーナーさんの背後から、しゅるりと絡みつくように、蛇のような挙動で姿を見せた方の威圧感に呑まれてしまったから。

 

「もちろん『私』だ。そうだろう、トレーナー君?」

 

これはもしかして、また掛かっている、ということなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様。検査の結果は?」

 

鼓動が妙に跳ねた、というか。

迎えに行こうとした矢先に背後から声を掛けられるという、それはそれは大変に心臓に悪い登場の仕方をした我が愛バの頭にぽんと手を当てながら、向き直る。

 

「問題なし、だそうだよ。テイオーも、アグネスタキオンも同様だそうだ」

 

「分かった。この後医師から説明を受けてくるから、ここでお茶でもして待っててくれるかな」

 

「うん。これで一了百了、後顧の憂なくレースに挑めようというものだ。娘に私の背中を見せるまたとない機会だからね」

 

……娘?

ルドルフは迂遠な言い回しやダジャレを多用する方ではあるが、今回はどういうことなのだろうか。

レースで掛けられているらしい「矜持」というのも未だに不明なままだし、今回はやけに嫌な予感が付き纏っている。

怪我でもしないよう、念入りに調整しておいたほうがいいかもしれない。

 

「……まあ、行ってくるよ。テイオーとアグネスタキオンにもカフェにいると伝えておいてくれるかい」

 

「分かった」

 

 

 

 

 

 

 

 

結局。

医師から診断結果の説明を受けたが、精密検査でも問題は見つからなかった。

アグネスタキオンの脚も人並みに治っているし、テイオーの骨折痕も綺麗にくっついている。リモデリング期も終わり、ほぼ元と遜色ない状態まで回復しているとのことだ。

重い鉄扉を蹴り破ったルドルフに至ってはCT検査でも異常なし。炎症すら起こしていない。

 

……この診断結果をもってレースは駄目だ、とは到底言えないだろう。

むしろ喜ぶべきことなのだが、どうにもレースに掛けられていると思しき胡乱な「矜持」なるものが気になって仕方がない。

真っ向から聞いたところで答えてもらえるようなものなら良いが、ルドルフが説明していないというところで何か後ろ暗いものを若干感じなくもない。

 

……。

 

リノリウムの床を靴底が叩く音が異様に反射して響く中、思考を巡らせる。

もはや模擬レースを止めることは難しい。

であれば、どのようにして活かすか、である。

 

期間は短いが、以前のように感謝祭の演目の一つとして模擬レースをねじ込むか?

過去に精神的な余裕が摩耗したルドルフが凡走してしまった事があったが……ふむ。

感謝祭のスケジュールを確認していけば、ほぼびっちりと常に何かしらが動いているような状況ではあるものの、模擬レースを一つ詰め込む事ができるぐらいの余裕はある。

 

受付に軽く頭を下げつつ院内から出ると、端末から通話をかける。

ものの1コール鳴りきらないうちに通話に応答があった。

 

『はーい。あなたから電話というのは珍しいですね。どうされましたか?』

 

「駿川さん、実は少しお願い事が」

 

『寮の部屋なら空いてますよー。あ、お夕飯何がいいですか?』

 

「いえ、感謝祭のプログラムのことで……」

 

 

 

 

 

 

 

諸々所用を済ませ、カフェのテラス席に戻れば。

女性が三人集まれば姦しい、とはよく聞くが、一体どういうことだろうか。

 

にこやかに何事か話しているウマ娘三人と、トレーナーが一人の四人席において、異様に重い空気感の中、桐生院トレーナーだけが顔色悪く軽く俯いている。

一体何があったのか。

 

いや、ウマ娘に慣れていない状況で、かつ自分がメイントレーナーでもないのに、担当外のウマ娘まで混ざっている状況で放り出してしまったことは大変に申し訳ないと思うが。

 

「お待たせ」

 

軽く声をかければ、ぐりんと6本3組の耳がこちらを一斉に向いた。

同時に、桐生院トレーナーが勢いよく顔をあげ、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。

 

「おっ、お疲れ様です!」

 

若干涙目である。本当に何があったんだろうか。

 

「やあ、おかえり。トレーナーくん、問題はなかっただろう?」

 

今回の元凶であるアグネスタキオンがふふんと腕を組んで楽しそうに言ってのける。

今朝の沈みっぷりは一体何だったのか、と思わなくもないが、ああいう顔をできる程度には余裕を取り戻したようでなによりである。

 

「おかえり。……その様子だと、レースの手配も済ませてくれたということかな」

 

「まあ、一応レースの手配は済ませておいたよ」

 

「やったー!カイチョーとレースだー!」

 

「ふゥん……相変わらず君は仕事が早くて助かるねえ。それではそろそろ撤収と行こうじゃないか。研究に戻りたくてねえ……」

 

「タキオン先輩の足の検査で来たんでしょ、今日さー。なんでボクまでお注射されなきゃいけなかったのさ」

 

「テイオー。トレーナー君も多忙なのだから、できるタイミングでやってしまおうという気持ちは理解してあげてほしい」

 

口を尖らせて抗議するテイオーを、コーヒーを口元に運びながらルドルフが柔らかく窘めた。

が、しかし。採血に幼児退行までして対抗しようとしたその所業が消えるわけではない。

何故か突然素直に受けに行ったが、あれもあれで何が起きたのか良くわからないままだった。

 

「さて、それじゃあそろそろ帰ろう……ん?ダイワスカーレットは?」

 

「「「あ」」」

 

 

 

 

 

 

その後。

 

『ご来院中のお客様に、迷子のお知らせをいたします。ダイワスカーレットさん……』

というなんとも無情な放送が放たれ、顔を赤くして若干涙目のダイワスカーレットが足音も荒く現れ、ようやく学園へ戻ることとなったのであった。

なお、普通に呼び出せば良いものを何故か迷子センターに連絡したのは、妙に真剣なアグネスタキオンだった。

 

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