トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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幕間は特にぬまぬましていきます。エアグルーヴさんほんのちょっとだけど初登場。



幕間-ぬるくなったサイダー

 

 

ひらひら、と後ろ手に手を振って立ち去っていくトレーナー君の背を追い続けようとする目をなんとか逸らし、溜まってしまった新入生たちに声を掛けて寮へと促していく。

 

全く。

スカウトすること自体は否定しないと確かに言った。

私が今日はほとんどトレーニングに参加できないという理由もあるだろう。

だが、手を出すのが少々早くないだろうか。

 

…思わず新入生にキツい目を向けてしまったという自覚はある。

即座にトレーナー君が取り成してくれたから助かったものの、生徒会長としてこの場に立っているということが一瞬、頭から吹き飛びかけてしまうほど、頭に血が上っていた。猛省せねばなるまい。もう、こんなことせぇへん。

 

…。

エアグルーヴにこの会心の作を披露したいところだが、彼女は彼女で今頃忙殺されている頃合いだ。

なにせ、窓から遠目にトレーナー君が囲まれているのを見つけてしまい、思わず近くにいたエアグルーヴに押し付けてきてしまったのだから。

それこそさらに猛省せねばなるまい。

 

…行けるな。

 

 

おっと、いかん。思考が逸れてしまった。

 

大体、私のトレーナーは自己評価が低すぎる。

その大半が私の責任であることはわかっている。

 

私の我儘だということは重々承知しているが…。

私のトレーナーなのだから、もっと胸を張り、堂々としていてほしいのだ。

私の隣に立つものが誰であれ、もう誰にも文句など言わせるつもりはない。

黙らせるだけの実績も積み上げてきたと、自分では思っている。

そして私のトレーナーも、もうメディアから叩かれることは無くなっている。

別にメディアに圧力をかけたなんて事ではない。

単純に、トレーナーとしての実力で黙らせたのだ。

 

私の1日を追うという、ドキュメンタリーが作られたことがあった。

制作局は当初、トレーナーをなるべく映さずに、私を中心とした撮影を行おうとしていた。

そのことに私は随分と腹を立てたものだが、1日私たちに付き合って撮影を行なった彼らは、態度を一変させてもう1日の再撮影を希望したほどだ。

…まぁ、トレーナー君が「あまりルドルフに負担がかけられないから」と却下してしまったが。

あの辺りからメディアも扱いを変え始めた。

 

もう随分と遅いというのに。

 

一度ついてしまった淀みはなかなか払拭することが難しい。

自信過剰よりは良いが、しかし不当な評価のまま前へ進むことができていないという状況には、心が痛む。

 

事あるごとに指摘はしているものの、他人のことにはよく気づくくせに自分のことはなかなか客観視することができないらしい。

 

 

 

 

だが、そういうところも含めて愛おしいと思うのだ。

 

私が付けてしまった、疵。

トレーナー君の輝かしい実績に、深く刻まれた傷。

 

…もうあれから随分経つ。

もどかしさは確かにある。あなたは超一流のトレーナーなのだと、胸を張って欲しいという気持ちはちゃんとある。

 

一方で、じゅくじゅくと淀んで膿んでしまった私のつけた傷跡が、ずっとトレーナーの心に残っている。ずっと痛みに苛まれている。

 

トレーナー君は気づいていない。

あの時の傷が、今もなお痛みを残している事に、自分で気がついていない。

 

事あるごとに私は認識を訂正しようとしてきたが、いつまで経ってもきちんと聞き入れてくれようとはしない。

 

いまだに使っている、ぼろぼろになったショルダーバッグ。

三冠を達成する前。クラシックレースに出走する前。

なんの気もなしに、誕生日にプレゼントしたそれ。

別にブランド物だとか、そんなに大した物じゃない。

だけど、思い出だからとずっと使ってくれている。

 

ルドルフにもらった物だから、と。

それだけの理由で。

 

だから、自分で気づいていない疵の痛み。

それすらも、私が付けた物だからと、そのままにしているとすれば?

考え過ぎかもしれない。

現にトレーナー君は、そんなものが自分の心の裡に残っているだなんて思っていない。

 

心底不思議そうに「そんな大したもんじゃないよ」などと嘯いている。

 

だから。

 

だから、嬉しいのだ。

 

きっと私の思い過ごしだろう。

トラウマというものは、本人が自覚することが難しいからトラウマなのだ。

だけど、無意識でそうなっていたなら。

 

早くそんな傷を癒して、胸を張っていて欲しい。

傷にいつまでも気がつかず、じゅくじゅくと痛むそれをずっと抱えていてほしい。

 

明らかな矛盾だ。

全くもって合理的ではないし、完全なエゴでしかない。

 

だけど、それはトレーナー君と私を繋ぐ、確かな縁の一つなのだ。

その心の中に私という傷跡が残り続けている。

それはなんて甘美でーーー。

 

 

いけない。

ぼんやりしていたら、いつの間にか寮についていた。

 

無事に寮長のフジキセキとヒシアマゾンに新入生の案内を引き継ぐと、軽く手を振ってその場を立ち去る。

 

 

「…ふう」

 

 

吐き出した吐息はどうにも熱く、そして淀んでいる。

昨日からずっとこの有様だ。

聞き分けのいいフリをして、私も随分と独占欲が強くなっていたらしい。

これまでは、この「シンボリルドルフ」のトレーナーを狙うなんてことをやる者は居なかった。

それは私がトレーナー君の隣に常に陣取っていたこともあったし、まだ経験の浅いトレーナーだったため、複数担当を持つことを拒否していたからだ。

 

これから忙しくなる。

生徒会長としての仕事が忙しいのはいつものことだが、これからは、トレーナーの奪い合いが起きるだろう。

これだけの成果を上げておいて、今まで一人の担当だけやっていた優秀なトレーナー。

それが、公然と「最低でも二人は取る」と口にした。

学園側がそれを強く求めたという背景もあるが、トレーナー君自身がきちんとそれに向き合うつもりになっている。

 

悔しくも、嬉しい。

私だけを見ていて欲しい。いつも側にいて欲しい。

だけれど、そんなことが許されるほど、あの才覚は安くない。

もっとたくさんのウマ娘を担当して、優秀な競走バを多く送り出して欲しい。

 

ジレンマだ。

どうしようもなく、心が掻き乱される。

 

受け入れなくてはならない。受け入れたくない。

 

トレーナー君が手ずから食べさせてくれた飴玉はもう口の中で溶け去ってしまっていた。

 

生徒会室まで戻ってくると、エアグルーヴが不思議そうな顔をしていた。

 

「お帰りなさい、会長」

 

「うむ。そちらは問題なかったか?」

 

「ええ。来賓は皆さんお帰りになりました。次のスケジュールですが、秋川理事長との打ち合わせが。まだ少々時間がありますので、一度ご休憩を」

 

まったく、優秀な副会長だ。

秘書じみたことまでやらなくていいと言ってはいるのだが、彼女はそれを頑なに聞き入れてくれない。

確かに、助かっている部分が非常に大きいため、無理にやめてくれとも私の口からは言えないところがあるが、彼女もレースに出ているのに、大概ハードワーカーだ。

私が言えた義理ではないが。専属トレーナーと異なり、そこまで柔軟に対応できる訳ではないチーム所属でよくやっていると思う。

 

「わかった。エアグルーヴも少し休憩を取ってくれ」

 

いつもきりりとした顔で私の隣に控えてくれる彼女だが、流石にこの連日の業務で精神的な疲れは残っているようだから。

 

「はい。…ところで会長?」

 

「なんだい?」

 

「その缶、どうしたんですか?」

 

ふと言われてみれば、トレーナー君から預かった缶ジュースをそのまま持っていたらしい。

 

「そういえばそうだったな…」

 

ひょいと目の高さまで持ち上げ、まじまじとラベルを見つめる。

 

「百味サイダーですか。私は苦手ですが、結構な売り上げがあるようですね」

 

「そうだったのか。前はよく飲んでいた覚えがあるが、このフレーバーは初めて目にするな」

 

「…会長が?」

 

「私だっていつもコーヒーばかり飲んでいるわけではないよ」

 

「すみません。あまり甘い飲み物は飲まれないのかと思っていました」

 

「ふふ、甘いものが好きなのは、他の子達と変わらないさ」

 

そう、例えば。

時折手ずから口に押し込まれる、りんご味のキャンディとか、な。

 

トレーナー君が飲み残した缶ジュースに、そっと口を付ける。

くい、と傾ければ、なるほど確かにこれは人間には厳しいだろう。

我々ウマ娘としてはこの手の青臭さというか、植物系のフレーバーはむしろ歓迎だが、これがヒトなら話は別だ。

 

開栓から随分と経っているからか、炭酸にはほとんど勢いがない。

トレーナー君がずっと手で持っていて、その後私が持ちっぱなしになっていたそれは随分とまぁ、温くなってしまっている。

 

だけれど、悪くない。

私の体温とトレーナー君の体温が混ざり合った、温く気の抜けたサイダー。

好んで飲みたい味ではない。弱々しく弾ける炭酸に、べったりとした甘さが喉に粘りつくように残る。

だけど、どうしようもなく官能的で、美味しいと感じてしまった。

 

ぺろり、とはしたなくも口元を舐めてしまう。

 

 

「…ふふ、悪くないじゃないか」

 

今日のところは、これで我慢してやる事にしよう。

それはそうと、夜のトレーニングが楽しみだ。

 

エアグルーヴは、不思議そうにきょとんと首を傾けていた。

 


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