若干動作が重くなった玄関扉を押せば、ぎぎぃと不安になるような音を立てて軋み、開いていく。
……テイオーを部屋に入れたときには気が付かなかったが、表から見てみれば若干ドア扉がへこんでいた。
基本的に人間が大半を占め、更にウマ娘が入り込むことの少ないスタッフ寮までは流石に頑丈さを求めていなかったのだろう。
テイオーたちが生活している学生寮と、出入りすることのあるトレーナー寮は防音に加えて耐久性も狂ったように高めた仕様となっているおかげで、ドアを軽く叩いても殆ど音が通らない。
そのため、学生寮感覚で中に伝わるように強めに叩けばそうもなる。後で注意しておいた方が良いだろう。
それと、間違いなく駿川さんにお詫びしておかないとならないだろうな。
ドアとしての機能自体は喪失していないが、これは取り換えになるだろうし。
普段使っていない部屋という事だけが救いか。
流石にテイオーを残して行くにしても施錠はしておいた方がよいだろうと思い、鍵を探していると、腕を組んだルドルフが呆れたように口を開く。
「それしてもトレーナー君、二度寝をするなら鍵くらい締めた方が良いと思うよ。いくら学園内でも不用心だろう?用心に越したことはないよ」
「……面目ない」
確かに、施錠もせずに二度寝してしまったのは不用心だった。
施錠したような気もするのだが、寝ぼけていたのだろう。
ようやく鍵を探り当て、鍵穴に差し込んで捻る。
「……うん?」
何か、おかしい感覚が指先に伝えられ、首を捻る。
「どうした?」
「いや、錠が落ちないんだ」
鍵が閉まる音もしなければ、妙に軽く回る。
がちゃがちゃと捻っているうちに、ふと足元に何かが落ちていることに気付いた。
――銀色をした、何かの鉄片が。
「……ルドルフ」
「何かな?」
思わず振り返り、ルドルフを見れば。
私を見て、足元の何かに気付いたのか、ピンと耳が立った。
そして誇り高き皇帝陛下は、腕を組んだまま――――そっと目を逸らした。
私が下手人ですと言わんばかりの姿であった。
「……ねえルドルフ?」
「……何かな」
トレーナー職と他の一般スタッフでは待遇から生活圏まで相当に違うとはいえ、わざわざ「スタッフ寮は要塞化してませんよ」などと説明されることはない。そしてトレーナー関連ではないため、余計に生徒側にそのことが知らされることはない。
ルドルフの事なので、職員に要件があるなどでこちらへ足を運んでいてもおかしくはないが、それでも知らなかった可能性がある。
スタッフが執着された事件などがこちらの寮で起きていれば話は別だったかもしれないが、うっかりやらかしてしまった場合には、該当スタッフはひっそりとトレーナー寮へ「お引越し」させられる。
人事セクションの職員曰く「纏めたほうが効率がいい」とのことだった。
卒業シーズンには騎動隊の出動要請まで掛けているので、一か所にまとまっていてくれた方が防衛を手厚くできるのだろう。そう考えると要塞じみているが、兎も角。
特段生徒側がスタッフ寮の事について知る機会はない、ということだ。
ルドルフが学園内で掌握している権限はあくまでも「生徒に関する事項」だけである。
「…………」
目を逸らすルドルフに、少しばかりの非難の気持ちを込めて視線を投げかける。
「……すまない。ドアノブを捻ったら普通に開いたんだ……」
ドア自体は無事というか、そもそもドア枠から外れているわけでもなく、ドアノブがもぎ取られているわけでもない。
そして耳が前にしゅんと垂れている。
つまり破壊しようという意志があったというわけではないだろう。
あのメッセージを見て掛かり気味だったので力加減を間違えた上、気付かなかったというところだろうか。
……なるほど。
これはいよいよ駿川さんに怒られるかもしれない。
「温かくなったね」
朝の散歩、というのはそう珍しい事ではない。
元々、担当を複数取るという辞令が言い渡されるまでは比較的頻繁にこうして二人で散歩をしていたものだった。
「そうだな」
最近は目が覚めると部屋が半壊していたり、早朝から押しかけられたりと忙しないお陰で機会が減っているが、彼女はこういう「何気ない時間」を特に大切にする傾向が強い。
どうにも時間の経過が濃密になりすぎているお陰か、弁当を用意して外で朝食を摂ったのが遥か昔の出来事のように思えてくる。
まるで時間が圧縮されたかのようだ。
こつん、こつんと。
革靴が石畳を叩く軽快な音。
聞きなれたリズム。どれほどの間、ルドルフと歩んできたのだろうか。
並木道をのんびりと歩いていく。
トレーナー寮や学園棟近辺、そしてウマ娘の寮の周辺は、軽い自主トレのために散歩道が整備されているが、スタッフ寮の近辺は正反対に、あくまで通勤路しか整備されていない。
ここ数日はこちらから通っているとはいえ、まともに景色を眺めながら歩いてみれば、どこか違う世界に来たような気さえしてくるから不思議なものだ。
一昨日は早朝から携帯端末のお陰でひどい目に遭い、昨日はアグネスタキオンに運ばれてしまい、碌に眺めることもなかった。
トレーナーとしてこのトレセン学園に務めるようになって、気が付けば見知った景色ばかりになっていた筈なのだが、存外まだこうして新鮮な気持ちで歩く事の出来る道もまだまだ残されているのかもしれない。
こうして常とは違う場所を二人で散歩するというのは、随分久しぶりの事だった。
「こうして見ていると、行き交うのが学園職員の方々しかいないな。見慣れているはずなのに、新鮮に感じるよ」
「私もこちらへは滅多に来ないし、これはこれで珍しい経験だと思うよ」
「怪我の功名、というやつかな?」
「それをルドルフが言っていいのかい?」
思わず訊き返せば、ふふ、と小さくルドルフが笑う。
何となくおかしくて、つられるように私も笑う。
一頻り笑って、ルドルフがぽつりと呟いた。
「……これからますます忙しくなって来るな」
明日には感謝祭が控えている。
これから始まるのはクラシック戦線だ。
ルドルフにとっては通り過ぎた日の事だし、テイオーにとっては、まだ未来の話。
そのために準備することはあっても、まだ目前に迫る話ではない。
とはいえ、忙しくなってくるのは確かだ。
「落ち着いていた頃が懐かしい、とは思ってしまうけどね。……そういえば、朝の散歩も久しぶりだ」
思わず口からそんな言葉が零れる。
ルドルフの気晴らしに、相談に。何かにつけて供に行動してきた筈が、いつの間にか少しばかり距離が出来ていた。
ルドルフが足を止めて振り返った。
ほぼ同時に、私も足を止める。
いつだってこうだった。彼女は私を振り返る。
「君の周りも随分と賑やかになってしまったからね。当然のようにやっていたことだが、今となってはそれさえ争奪戦だよ。少し寂しく感じてしまうさ」
苦笑を浮かべながら、少し寂しそうに。
どうにも当たり前になりすぎていたのかもしれない。
騒がしい日々に飲み込まれるように、押し流されるように。
直視しないようにしていたはずのそれが、向き合えと迫ってきたように感じた。
不意に頭を殴られたようだ。
寂しいと、そう思わせてしまったということはつまり、十分に一人一人と向き合えていないということではないか。
ほんの少し前を、先導するように歩くルドルフの背中を、どれほど見てきたのだろうか。
折り目正しく歩くたびに揺れる耳と尻尾。スカートの裾。
そして、振り返って私が付いてきているか確認する姿を、どれだけ見てきたのだろうか。
あれほど身近だったはずのそれが、どこか遠い日のような気がした。
ああ。そうか。忘れていたのかもしれない。
目を逸らしていたのかもしれない。
当たり前だったものが、変わってしまっていたことを。
ルドルフなら大丈夫だと、無条件に信頼を押し付けようとしていたことを。
「それはーーー」
すまない、と続けようとして。
被せるように言葉が投げかけられた。
「なあ、トレーナー君」
「何?」
「決めたよ」
「何を?」
突然の宣言。
何事かと首を傾げてみれば、ルドルフはつかつかと靴音も高く、歩み寄ってくる。
爛々と輝く紫色が近付く。
この目をしたルドルフにはどうにも弱いというのに。
「明日は視察でも運営でもない。私とのデートだ」
――――そして物凄く真剣な顔をして、何か言い出した。
「……あの、生徒会の仕事は?」
思わず、おずおずと訊き返してしまう。
「両立する」
しかし、当のルドルフは眼をぎらつかせて、胸を張って。
まるで出走直前のような顔をして。
そう言い切った。
「ルドルフの負担が」
「両立すると私が決めた」
異論は?
そう瞳で問うてくる。
「あ、はい」
宿した強い光に気圧されるままに。
明日の視察や運営は、皇帝的には「デート」という事になったらしい。
ポケットの中で、携帯端末が忙しなく震えていた。