『おまっ、お待たせ……しましたあっっ‼︎』
もうそろそろ門限を迎えようという頃合い。
まだ少々時間の余裕があるものの、しかし明日は大切な日だ。
オフの日まで「今やらなくても構わない」仕事に没頭し、肝心の当日に体調を崩しては元も子もない。
流石に段々能率も低下してきたことだし、そろそろ切り上げようか、というタイミングで、生徒会室のドアが大きな音を立てて叩かれた。
「……?」
……お待たせしました、と聞こえたが。
デリバリーを注文した覚えもないし、ドア越しにくぐもっていたものの、聞き覚えのある声だ。
声からして、どう考えても生徒の誰か。
そうなれば、居留守を決め込むわけにもいかない。
休日とは言え、こんな時間に生徒会室までやってきた生徒を無下に追い返すようなことはしたくないのだから。
とはいえ、何故「お待たせしました」なのだろうかと疑問に思いながら、ドアを開けてやれば。
「はひゅー……、しゅ、すみませんこんな時間に騒ぎ立ててしまいましてっ」
ドアの前にいたのは、肩で息をする一人の生徒。
大荷物を抱え、何故か木の棒を地面に突いて、満身創痍といった体で。
「いやあ大変お待たせしましたっ!オーダーいただきましたフライヤーとカンバン、納期今夜までってあたし的にも中々の極道注文でしたけどいやーなんとかなるものですね!これが……愛?なんて妄想の丈を炸裂させながら描いてたら案外あっという間でして!なんとか早めに仕上げてお持ちした次第ですっっ!」
ふむ?
……アグネスデジタルに最近何かを発注した覚えはないのだが。
生徒会で何か頼むことがあっただろうか。しかしエアグルーヴが若干警戒している相手であるアグネスデジタルに依頼を掛けるか?ブライアンとも思えんが……。
記憶を手繰ろうとしていると、アグネスデジタルはごそごそと抱えた包みから何かを取り出して手渡してくる。
ぺらり、と紙の感触。すべすべとした手触りはコート紙か。
手渡されたそれに目を落とせば、そこには「感謝祭サプライズイベント!夢と夢がぶつかる模擬レース大会開催!」と大きな文字が踊っている。
「ちょおっと時間がなかったので生徒会のみなさんへの原稿確認はすっ飛ばしちゃいましたけど、完全お任せと伺ったので超特急で仕上げてきましたっ!なのでこちら刷り見本になります!どうぞお手にとってご確認くださいっっ!……あっ、すみませんちょっとテンション上がっちゃいまして。なんかこうやって手にとってもらうとちょっとイベントっぽくて楽しくなっちゃいますよね……。刷り直しはまぁ、間に合わないというかー……最悪コピー機フル稼働で朝までに枚数揃える所存ではあるんですが……ええと、会長さんのイラストとか勝手に描いちゃってるので、ご確認お願いしますっっ!」
一気に捲し立てられて若干混乱するが、整理すると。
「……明日の模擬レースのフライヤーか」
「ですです!いやーあたしもいきなり聞かされて魂抜けるかと思うぐらいびっくりしました!」
あははは、と楽しそうに笑うアグネスデジタル。
目の下に隈がはっきり出ているあたり、相当無茶をやったらしい。
しかし、一体誰が?
トレーナー君はまず間違いなく、こういうことを依頼しているのであれば今朝の時点で私に何かしら伝えてくる。特に私の肖像権が関わるような場面では、確実に。
そのラインで動いた可能性があるとすれば駿川さんだが、彼女がやるのであればトレセン学園で保有している宣材写真から発注を掛ける。これで時間のない中で偽装のためだけにリスクを取ったというのであれば脱帽するところだが、彼女がやるならもっと立場を使って悪辣に仕掛けてくるだろうし、これも除外して良いだろう。
他にこういうことをやりそうなのはゴールドシップぐらいだが、彼女であればもっと悪い方向に愉快なものを発注する。それこそ、ゴシップ紙のように。
テイオーであればアグネスデジタルは動かさない。彼女との接点がないし、あの場での反応を見ている限りはこのレースを積極的に利用はしてこないだろう。
メジロマックイーンとブライアンに至っては論外。メジロマックイーンは完全に巻き込まれただけだし、ブライアンは恐らく強敵とのレース目当て。
そうなれば、候補は自ずと絞られてくる。
ーーーーアグネスタキオン、だろうな。
このレースを最大限に利用しに来るとすれば、彼女を置いて他にいないだろう。
狙いは……ああ。なるほど。
ひとつ頷いて、フライヤーから顔を上げる。
「……うん、確かに。お疲れ様、デジタル君。今回もいい仕事ぶりだ」
フライヤー自体には文句の付けようもない。
丁寧に描き込まれたイラスト、文言に関しても相当考えられており、指摘するような事項は見当たらなかった。
「ひゃいっ!ありがたき幸せっっ!……ごふっ……いやーちょっと今尊死するかと思いました……」
「ふふ、相変わらずで何よりだよ。さて、そろそろ時間も遅い。その分ではほとんど寝ていないのだろう?無理してもらって申し訳ないな。今夜はできれば早めに床に就いて、ゆっくり休んで欲しい」
「……っスゥー……正統派スパダリ上司……はっ⁉︎あたしは今何を……」
一瞬白目を剥いていたような気もするが、トレーナー君の語るところによればこれが正常運転だという。
かなり奇矯な性格をしているとは思うが、その仕事ぶりは素直に尊敬に値する。
「はは……」
とはいえ、どう対応するのが正解なのか、いまだに掴みきれていないところがあった。
毎度の事だが、大変に有用なスキルを多数持っているものの、大変に挙動不審なアグネスデジタルからサンプルと称した荷物を受け取り、寮に帰して。
行儀が悪いと思いつつ、執務机に腰掛け、受け取ったフライヤーに目を落とす。
「夢と夢のぶつかり合い、か」
ロマンチックな表現をする割に、そこに仕掛けた策は随分と趣味が悪い。
……衆人環視を利用するか。
いつぞやのテイオーの策を彷彿とさせるが、アグネスタキオンのそれはより手が込んでいる。
私に約束を踏み倒させないようにするのが狙いで間違いないだろう。
小賢しいが、有効な手だ。
今回の約束の確実な履行を求めるのであれば、ほぼ身内であり、かつ利害関係者であるテイオー達を使うよりは、何も知らない第三者である一般ファンを利用した方がよほど効果が高い。
私の夢は常々公言していることだ。であれば私が、そして何よりもトレーナー君がそれを曲げるような真似は許してはくれない。
トレーナー君から見れば、それが「瑣末なこと」だったとしても。
こうした番外戦術は不得手かと思っていたが、なかなかどうして強かじゃないか。
この分だと、もしかすると実況なりアナウンスにも既に台本が回っているかもしれない。
場合によっては、今回の勝敗に賭けたものまで詳らかにするようなコメントを仕込んでいる可能性もある。
厄介だが、妥当な手段かつ真っ向から攻めてきた、というところだろう。
……それにしても、相当に警戒されているな。
レースで決着をつけようとは言ったが、それを他人に知らせるとは一言も言わなかった。
当事者であるトレーナー君にはレースの開催自体は呑んでもらったが、「勝負」の結果に付随する事項についての了承は得ていない。
言ってしまえばどうとでも言い逃れできる口約束だ。
踏み倒そうと思えば踏み倒せてしまう。
故に、わざわざこうして「事前にサンプルを納品」させて釘を刺しに来たのだろう。
約束は守りたまえよ、と遠回しに。
フライヤー自体は今頃は学園入口の頒布物の中にでも放り込まれている事だろう。
アグネスデジタルの言によれば、看板なども用意しているようだ。実に手回しがいい。
明朝の最終チェックの際、こちらに確認が回ってくることだろう。
……現場の混乱は避けたい。事前に通達だけでも出しておこうか。
全く。
先日から散々に引っ掻き回してくれる。
「……約束は守るさ、アグネスタキオン」
私に勝ったなら、な。