トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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春和景明

 

ぼんやりと意識が覚醒していく。

瞼に鞭を打って、その重い腰を上げさせて。

枕元、というか。ソファーとセットで置かれているローテーブルの上に放置した携帯端末に手を伸ばして、時間を確認する。

 

時刻は起床時間6分前。

 

どうせならもう少しだけ寝ていればよかったと思いつつ、しかし習慣となった生活リズムというのは案外強固なものだ。

二度寝さえしなければある程度決まった時間に目が覚めてしまう。

 

二度寝の誘惑に争うのは困難な事だが、感謝祭当日に二度寝を決め込んで寝坊などすれば、より困難な事態を引き起こすことは想像に難くない。

何なれば感謝祭どころか何の特別性もない平日ですら致命傷となることさえあるのだ。

 

起きあがろうとして、若干の痛みを足に感じつつ、準備を整えていく。

日頃からそこまで手を抜いているつもりはないが、しかし感謝祭の日は一般ファンから報道まで、多くの人がこのトレセン学園に詰めかける。

身支度は念入りにするに越したことはないだろう。

 

姿見で身だしなみを確認し、荷物を持って玄関扉を押し開く。

 

「おはようございます、トレーナーさん」

 

玄関を開いた瞬間に掛けられたのは、ここ最近また良く聞くようになり、そして頭の上がらないそれ。

今日もぴしりと折り目正しく目立つ色の制服に身を包み、同じ色の帽子を頭に載せた姿。

……。

扉を開けば、0秒で駿川さん。

 

「……おはようございます、駿川さん」

 

ノータイムで挨拶を返す。

なんとなくそんな気がしていたが、驚くものは驚く。

実に心臓に悪いが、幸いにして反射的に声は出てくれた。

担当ウマ娘たちもそうだが、彼女たちは何故こうやって出待ちのような真似を好むのだろうか。不意打ちは基本戦術とでも言うつもりだろうか。

 

そんな心境が伝わったわけでもあるまいが、多少なりとも表情に出てしまったのかもしれない。

少し首を傾げて微笑む彼女は、悪戯に成功したような顔をしていた。

 

「驚かせてしまってすみません。インターフォンを鳴らすべきか悩みまして」

 

軽い謝罪とともに、紙の束が差し出される。

受け取りつつ、表題にさっと目を通す。

『レースイベント実施計画』とそこには記されていた。

 

「何か問題が?」

 

書類から顔を上げれば、先程までとは少しばかり色の違う微笑み。

今度は、理事長秘書としての顔だった。

 

「少し、お耳に入れておきたいことがありまして」

 

寝起き早々に聞きたくないなあ、と思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駿川さんとの打ち合わせを終え、気持ち早足でいつもの道を歩く。

開場に向けた準備も追い込みの頃合い。遠くからは微かに音楽や声が響いており、どこか楽しげな雰囲気は伝わってくるものの、流石にスタッフ寮の近辺は落ち着いたものだ。

落ち着いたもの、という表現は適切ではないかもしれない。

ゲートが開く直前のような、若干ひりついた雰囲気が漂っている。

 

ぱたぱたと駆けていくスタッフも見かける中、黙々と歩く。

大した距離ではないが、その間にタスク整理と考え事に没頭していくには十分な距離。

 

ルドルフとの視察……いや、デートだったか。については、巡回経路とタイムスケジュールは既に頭に叩き込んである。

それらに関する打ち合わせもとうに済ませているし、メディア対応についても共有は済んでいる。

未デビューのウマ娘も特定の行事には参加するが、ファン数も限られているため基本的にはフリー行動に近い。いわゆる学校の運動会と文化祭を足して割ったようなイメージか。

このため、ルドルフはともかく、テイオーに関しては今日はほとんど自由行動だという。

 

……本来であればテイオーも視察に同行させるなりして、経験を積ませた方が良いのだろうとは思う。

とはいえ、テイオーの素質を鑑みれば、デビューしてしまえばすぐに忙しくなることだろう。自由に回れる機会というのは思いのほか貴重なのかもしれない。

まあ、ルドルフの我儘もあることはあったが、テイオー本人が望まない限りは今回については自由にさせて問題ないだろう。

 

さて、トラブルが起きてもいいようにスケジュールにバッファを持たせてあるし、基本的にはほぼ終日ルドルフと行動するため、余程のことがない限りは問題とならないだろう。

テイオーにも昨晩、もしインタビューを求められた場合、適当に躱すように伝えてある。食い下がられたらすぐに連絡をするように、と念を押してあるし、最悪「会長に確認を取っていい?」と言えば大抵の記者なら引き下がる。私もたまに使う。

外見と言動に比して賢い所がある、というのは分かっている。不利益になるような受け答えはしないという程度には信頼している。

そういった面での不安はあまりない。

 

一方、その他の準備は万全、とまではいかずとも、何とか整え切ったというところ。

ルドルフからの突発的な企画ではあったが、エキシビジョンマッチ自体は過去にも開催したことがあったのが幸いして、準備自体は方々に迷惑を掛けつつも、なんとか整えることができた。

過去のエキシビジョンマッチを思い返せば、公式戦でなかったから救いはあったものの……それでもルドルフに凡走させてしまうという、大変に苦い思い出だった。

その後に自ら追い込みすぎる彼女の悪癖が解消されたため、ひとつ大きな契機となった部分はあったが、その際の運営経験が大変に役に立った。

 

そして本日最大の問題は、レースそのものである。

 

シンボリルドルフ、トウカイテイオー、アグネスタキオン、ナリタブライアン、ゴールドシップ、メジロマックイーンの、6人立てでのレース。

見る限り、現役のスターウマ娘に、次代のスター候補が揃っている。

幸いにして、と言っていいのかは不明だが、トレーナーとしては公式戦ではないため多少は気が楽というところ。

これが仮に全員が同年代で、クラシックレースだったとしたら。私の胃は今頃どこかへ旅立っていることだろう。

 

……さて。

とりとめのない思考を一旦棚に上げ、意識を切り替える。

遠目にもウマ娘の姿が増えてきており、またそこかしこに屋台やら特設ステージのようなものがちらほらと見えてきている。

トレーナーとの待ち合わせなのか、所在なさげにそわそわと待っているウマ娘の姿も多い。

ついでに、ウマ娘に担ぎ上げられていたり、引きずられるようにして連行されていく姿も時折見かけるのに誰も制止しようとしないあたりにこの学園の業の深さが現れているが、今更の話だ。

 

彼女達の前を素通りし、警備についている騎動隊の方に会釈してトレーナー棟に足を踏み入れる。

ここは静かなものだ。

というのも、トレーナーの執務室だらけのこの棟は一般客の立ち入りが禁止されている。

妙な記者が入り込むことを防ぐための措置だ。

ついでに、警備の手間が増えるため、一般生徒も基本的に用がなければ立ち入りが禁止されるため、平穏そのもの。

 

表の喧騒から切り離された静寂の中に、靴音を響かせて歩く。

その中に、もう一つ響くものがあった。

 

ありがちなチャイムの音が、館内のスピーカーから鳴り響く。

同様に、学園内中のスピーカーから同じ音が響いていることだろう。

 

『みなさん、おはようございます』

 

放送は例年、職員が持ち回りでやっているところだが、今年の担当はどうやら駿川さんのようだった。

反響して、若干エコーの掛かったような声。

 

『まもなく、感謝祭が始まります。開場に伴い、一般の方が学園内に入られます。開場以降、走ると大変危険ですので、みなさん十分注意してください』

 

駿川さんによる諸注意が流れる中、階段を上がって、自分に割り当てられた部屋へ向かう。

 

今このトレーナー棟に入れるウマ娘というのは少ない。

精々が感謝祭実行委員会や、各種委員会所属などの役付きの生徒ぐらいなものだ。

つまり、その中でも極め付けは問題なく通過できる、ということに他ならない。

 

執務室のドアを開けば、私を迎える声があった。

 

「おはよう、トレーナー君」

 

「おはよう、ルドルフ」

 

機嫌の良さそうなルドルフが、何故か部屋のど真ん中で腕を組んで待っていた。

口角を上げて、尻尾はぱたぱたと上下に振れている。

一年に数度しかない、大きなイベントだ。生徒会長としても大いに気合を漲らせている。

何となくデジャヴのようなものを感じなくもないが。

 

「一日千秋。今年もこの日がやってきたな」

 

「毎年のことながら、開始前っていうのは少し緊張するけれど」

 

「違いないな。……さて、そろそろだ」

 

ついと視線を上に向けるルドルフ。

私もつられて視線をあげる。

その先には、先ほどから延々と諸注意事項を説明しているスピーカー。

 

『……それでは、秋川理事長より開幕の宣言をお願いいたします』

 

『うむ』

 

一瞬の静寂。

 

『開場ッ!! 生徒諸君も楽しんでくれたまえ! ファンへの感謝の気持ちを忘れずにな!』

 

わっ、と上がった歓声は、生徒のものか、それとも外で待つファンのものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして。

秋川理事長の宣言をもって、ファン感謝祭の幕が上がった。

 

「さ、それでは早速だが、デート(巡回)に行こうか」

 

言うが早いか、しゅるりと腕に絡みつく感触。

絡みつく、というか。

ものすごく強固にホールドされたと言うべきか。

 

「逸れてはいけないからな」

 

「あ、うん……」

 

……今日もまた、忙しい一日になりそうだった。

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