トレセン学園は今日も重バ場です   作:しゃちくらげ

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闘志満満

 

みぃんみんみんみん……。

 

 

窓の外で蝉が鳴いている。

 

真上から降り注ぐような陽光が、緑のコントラストをより鮮明に映し出す。

心地よさそうに、カーテンが風にそよいでいる。

 

珍しく快晴を記録した新潟の気温は、雪国だから涼しいだろうと高を括っていた私を打ちのめすのに十分だった。

 

こうも暑いと、蝉の声さえも恨めしくて仕方がない。

1週間程度の命の中で最善を尽くすべく鳴いている蝉の声でさえ、今は恨めしかった。

 

ベッドに横たわったまま、先日のレース結果をまとめた資料をぱらぱらと捲っていく。

 

新潟。芝1,000メートル。バ場状態は不良。

 

結果からいえば、バ場状態による番狂わせは起きなかった。

平均タイム55.2に対して、今回は59.2。不良バ場でこれなら十分といったところか。

メイクデビューからいきなり不良バ場というのは中々についていないが、経験値を得ることができたと考えておくこととする。

 

この暑い中、まずは一つ結果が出せたことについては胸を撫で下ろしている。

 

本来であれば、気候の良い秋でのメイクデビューを選ぶところだった。

夏であれば涼しい北海道を選ぶのがセオリー。

 

秋まで待とうか、とも考えたが、ルドルフの調子があまりにも良かった。

メイクデビューさせるなら、今しかないと思うほどに。

 

では北海道かと考えた時、悩んだ。

確かに気候は良い。夏にしては涼しいし、セオリーとなっているのは何もくだらない慣習からではなく、実利があるからだ。

 

ただし、そうなればコースは「ダート」。

その一点だけが気がかりだった。

これからクラシック路線に向かって行こうと言う中で、初戦がダートで良いものなのか、と。

 

結局、走る事になる張本人と最後まで協議を重ねた。

最終的には時期が近く、かつ芝のコースということで、新潟でのメイクデビューを選択して、今こうして新潟にいるのである。

 

ふぅ、と細く息を吐く。

 

正直なところ、ルドルフの勝利は疑っていなかった。

一方で、色々と不安が尽きなかったことも、また確か。

それをルドルフが悟ることが無いよう、外面を取り繕うのに随分と神経を使った。

 

まあ、あの子のことだから察した上で気づかないふりぐらいはするだろうが。

 

 

 

 

そして。

 

気づかないふりをしてやるのは、果たして優しさなのだろうか。

 

先ほどから部屋のドアを細く開けてこちらを覗き込んでいる彼女は、入って良いものかどうか悩んでいるらしい。

こちらをそっと覗き込んでは部屋の前をうろうろと落ち着きなく歩き回っているようで、ぺたぺたと小さな足音が頻繁に聞こえていた。

 

「入って良いよ、ルナ」

 

流石に見ていられなくなり、声を掛ける。

がたがた、と若干ドアにぶつかったような音がして、ひょこ、とドアの隙間から顔を見せた。

 

手招きしてやると、観念したのか部屋に入ってくる。

先ほどから耳が萎れっぱなしだ。

後ろめたさが強いのか、とぼとぼと擬音の付きそうな足取りで、ベッドの脇までやってきて。

 

「……あの、本当にごめんなさい」

 

深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事は数日前に遡る。

 

7月23日。担当であるシンボリルドルフのメイクデビュー当日のことだ。

1,000メートルをマイルと思って走る、という課題をクリアしての一着。

 

最初の、小さな一歩。

 

それでも、申し分のない結果。

シンボリルドルフの覇道、その第一歩が踏み出されたことに、小さく拳を握りしめて喜んだものだ。

 

そして、ルドルフを迎えたその時。

 

「無事に勝てました!! トレーナーさん!」

 

ひまわりのような輝かしい笑顔を浮かべた愛バがこちらに駆けてくる。

両手をぶんぶんと振りながら、嬉しそうに、誇らしそうに。

感極まって潤んだ瞳が、酷く美しく見えた。

 

「おめでとう、」

 

ててて、とルドルフが駆けてくる。

ハグを求めるよう、両手を大きく開いて。

 

 

 

 

ーーー上がり3ハロン最速のスピードで。

 

 

 

 

ウマ娘の足は、速い。

時速70キロ付近で走れるほどに。

見た目はまだ小柄なルナとはいえ、ウマ娘。

つい先ほどまでターフの上で見事な走りを披露してくれたウマ娘である。

 

それが全力疾走に近い速度で突っ込んでくればどうなるか。

 

どん、と大きな音。

ルドルフの輪郭が一瞬、ぶれて見えた。

 

は? 消え―――

 

認識に身体が全く追いつかない。

視界から消えた三日月が、次の瞬間には跳ね上がった。

 

まずい、これは。

 

そして。

 

「ル゛ッ……」

 

圧し潰されて、肺から酸素が押し出される。

蛙でさえもう少し上等な断末魔を上げるだろうに、私に出来たことはただ重力に逆らって浮き上がる、ただそれだけだ。

 

私の腹部には、あの可愛らしい三日月が下からえぐりこむような角度で突っ込まれている。

受け止めるか、避けるか。そんな選択肢すら与えられることなく、三日月の直撃弾を受けたのであった。

 

酷く世界がスローに映る。

視界が明滅し、急速に暗転していく。

 

霞む私の目が最後に見たのは、「やべえやっちまいました」という顔をした愛バだった。

 

 

 

 

 

結局、ルナに轢かれた、というか突き上げを食らった私は、見事な「への字」に浮き上がり。

そのままべちゃりと床に叩きつけられて失神したらしい。

しかもおかしなところに衝撃が加わったのか、呼吸が停止していたという。

 

苦しまないうちに意識を飛ばせたのは幸いと言って良いのだろうか。

無論、そのまま救急車で病院へ運ばれることとなった。

 

 

 

担当したウマ娘の初勝利を見届け。

しかし初めてのウイニングライブは、見ることが出来なかった。

 

そして新潟から帰ることもできずに入院である。

 

外傷の内容としては、肋骨骨折が数カ所。

幸いにして内臓破裂や折れた骨が内臓を傷つけることもなく、あとは精々が床に落ちた際に変な姿勢で落ちたらしく肩を脱臼したことと、頭部を強かに床にぶつけ、出血していたらしいと言うところか。

 

 

ほぼ交通事故にでも遭ったかのような有様である。

 

一方、轢いた側のルナは全くの無傷であった。

こんなことで怪我をさせなくてよかった、と安堵するとともに、己の脆弱さにため息が出る。

 

そういった事情により、今のルドルフもといルナは妙におどおどしている。

感極まってつい思いっきり駆けてきてしまって、そのまま飛びついてしまったことについては特段怒っていないし、責めることもない。

後遺症も残らない程度の事故で済んで助かったと思ったほどだ。

 

というわけで、私から含みなく彼女に言葉を伝える。

ここで変に嫌味を言っているように取れる発言をしてしまうと、大惨事を招くと言うのは、まだ短い付き合いでもよく理解している。

 

「びっくりしたけど、大丈夫。もうそろそろ退院できるから」

 

主に心臓とか肺がびっくりしたらしいが。

 

「で、でも……」

「大丈夫だよ。2、3日ならいくらでも巻き返せる」

 

それに、お詫びならもう入院初日に何度も聞いたし、こちらも気にしてはいない。

感極まったウマ娘による事故の可能性を考慮していなかったトレーナー側が悪いからだ。

どうも生死の境を彷徨ったような気もしたが。

 

また泣きそうになっているルナの頭を、そっと撫でてやる。

彼女はしばらくの間、大人しく撫でられていた。

 

 

 

 

しばらくして。

 

「あっ、そうでした。お見舞いにフルーツを持ってきたんです。食べませんか?」

 

にこにこと、下げていたバスケットからフルーツを取り出しながら彼女は言う。

病院食も味気ないので、ここは好意に甘えておくべき場面だろう。

 

「いただこうかな」

「それじゃあ、準備しますね!」

 

いそいそと手にしたフルーツナイフを使って、りんごの皮をするすると剥いていく。

ある程度料理もできるとのことだったが、手際が良いなと思った。

 

するすると伸びていくりんごの皮や、手元の様子を見ていると、何故かルナの顔が赤くなっていく。

 

「……あの、トレーナーさん? そんなに見つめられると、ちょっと緊張しちゃうんですが」

「ああ、ごめん。上手に剥くなと思って。私がやってもすぐに切れてしまうから」

「えへへ、意外とコツがあるんですよ。今度教えてあげましょう」

 

ふんす、と得意げな顔をしていたが、その頬はりんごのような色に染まっていた。

 

 

 

 

「剥けましたよ、どうぞ!」

 

にっこりと。

笑顔で差し出されたりんごを受け取ろうとして、腹部の痛みに顔を顰めてしまう。

当然ではあるのだが、なんだかんだで折れているので痛いものは痛い。

なんとかして身体を起こそうとしたが、ベッドに優しく押し戻されてしまった。

 

「……その、あーん、です」

 

ずい、と。

フォークに刺したりんごが、口元へ突き出された。

 

良いのだろうか、とも思ったが。

好意を無下にするというのは、中々に難しい。

 

「あーん……」

 

どうしようかと悩んでいるうちに、りんごを突き刺したフォークが小刻みに震え始めた。

だんだん赤くなる顔。

流石に申し訳なくなって口を開く。

 

結局、押し切られるように、差し出されたりんごを一口、齧ったのだった。

 

「……ありがとう」

「えへへー」

 

ご機嫌に笑うルナ。

ここ数ヶ月という短い付き合いだが、四六時中彼女のことを見て、考えてとしているうちに、彼女の機嫌は尻尾の動きで大まかに分かるようになってきていた。

今はぱたぱた、と上下に揺れており、大変にご機嫌は麗しい様子。

 

しゃくしゃく、と瑞々しいりんごの食感を楽しんでいると、ふとルナの雰囲気が変わった。

 

「トレーナーさん、この資料は?」

 

ご機嫌な様子はなりを潜め、真剣な表情をして、私が広げた資料を覗き込んでいた。

相変わらず真面目だ。切り替えも早い。

 

「メイクデビューのレース分析。 ……とはいっても、今回のお題というか、指示に関しても問題なくクリア出来ているから、確認レベルで見ているだけだよ」

「あの、入院してる時くらい休んでください」

 

呆れたように言われるが、それはお互い様だと思う。

 

「暇なんだ。それに、明日には退院だからね。次を考え始めるに早すぎる事はないよ」

「次、ですか」

「うん。今回の結果を元に調整を重ねて、次は……」

 

なんとなしに、窓の外を見る。

青空の下、これからの事に思いを馳せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

……次は、耐衝撃プロテクターを服の下に仕込んでおこう。

 

 

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